『西尾幹二全集第8巻 教育文明論』の感想(一)

 西尾幹二全集の次の配本がそろそろではないか、どうなっているのかと知友から質問されだしている。たしかに昨年末までに出版されていなくてはならない約束であった。じりじり遅れている。

 第9巻『文学評論』は2月末頃の刊行となる。2ヶ月遅れた。作品の単なる集合ではなく、再編成、再生であるうえに、分量も多い。仕方がなかったのだが、こんなふうに遅れると、先が思いやられる。たゞ編集部は、一年4巻はスケジュール的にとうてい無理なのだとも言っている。私が並行して他の活動も捨てないからである。ご理解いたゞきたい。

 第8巻『教育文明論』について三人の方から感想文をいたゞいた。最初は山形県南陽市の公認会計士・高石宏典さんからで、以前より私の教育論にご関心が高かった方なので、感想文を寄せていたゞいた。

 大学院で勉強中の岩淵順さんは『日本の教育 ドイツの教育』についての独自の体験を、また鳥取大学教授の武田修士さんは全集が出るたびに全巻を読破し、感想を寄せて下さるので、今回も心のこもった一文をちょうだいした。

 以下に三人からのご批評文を順次掲示させていたゞく。

ゲストエッセイ
公認会計士 髙石宏典

 『教育文明論』は後記を含めると800頁余りに及ぶ大分量の巻であり内容的にも広がりが大きいが、私が西尾先生の教育を論じた諸著作の中で予てから最も共感し共鳴していたのは教育観に関する以下の言葉であった。

「何度も言うが、教育は自己教育であって、自分で自分を発見していく行為である。それは各人の自由な魂の内発性以外に何も期待しない立場であって、制度上の自由などとはまったく無関係である。私のこの立場はある意味では極端な理想論だともいえる。」(『全集』298頁、『日本の教育 智恵と矛盾』14頁)

 その共感と共鳴は今でも変わっていない。私が最初に教育は自己教育だと痛感させられたのは、昭和50年代前半の高校生時に遡る。県立高校入試の国数英3教科得点合計で9割前後は出来た私が、その4か月後に実施された高校最初の全国規模の3教科模擬試験では5割強しか得点出来ずに大きな衝撃を受けていた。その一方で、満点に近い点数を獲得した国立高校や私立高校の秀才たちもおり、明らかな学力差が私の気分をさらに暗く重くした。私の出身高校は当時、山形県内で二番手が定位置の進学校であったが、この程度の得点でも上位2割以内の校内順位だったのを覚えている。思えばまさにこの時から、私は否応なしに大学受験競争に巻き込まれ偏差値思考に毒され始めていくことになった。

 教師たちからはこの試験結果について何の説明もなく、私は必要以上に劣等感に悩まされた。未履修の内容が試験で問われていたのだから出来なくて当たり前だったのに、なぜ「気にしなくていい!」の一言があの時なかったのだろう。この厳しい結果と現実から、私は教科書を出来るだけ先へ先へと自分で予習することが肝心だと考え実践しその他にも試行錯誤を繰り返して自分なりに頑張ったが、どう勉強すれば受験に有効なのかその方法をつかみ切れないまま時間は過ぎ、入れる大学に入学して高校生活を終えた。

 「日本の学生は入りたい大学に入るのではなく、入れる大学に入るにすぎない。ごく一握りの大学生を除いて、他の大半の大学生は、厳密に考えると不本意入学者である。これほど不幸で不毛な教育をしている高等教育は世界に他に例がない。」(『全集』589~590頁、『教育と自由』162頁)

 西尾先生が仰るように、私も不本意入学者の1人で偏差値思考に囚われ屈託を抱えて生きていた。それでも、私が入学した昭和50年代後半の国立大学の場合、出席をとらない講義や課題レポート提出で単位が取得できる講義も多く、自由で伸びやかで豊満な時間が与えられたことは私にとって何より貴重だった。勉強は強制されるものではなく、個人個人が好き勝手にやればいいという高校とは好対照の雰囲気が私にはありがたかった。私はこれ幸いとばかり講義にはあまり出席せず、面白いと感じた経済学や会計学などの専門書を基本的には独習して知識を得、大学の試験等に対応した。講義に出なくても成績が悪かった訳ではなく、4年間ほぼ全額の授業料を免除された。西尾先生のご本と出合ったのも大学生の時で、このことは当時の大学の自由で長閑な雰囲気とあり余る時間があればこそだったようにも思う。

 以上のような私の経験に照らして日本の大学が「不幸で不毛な高等教育」だとは必ずしも思わないが、以下の先生の文章から分かるように欧米の大学教育の厳しさは日本のそれとは余りにも対照的で、殊に学問の発展という観点からすれば日本の大学教育は明らかに甘すぎもはや機能不全に陥っていると考えるべきなのかもしれない。

 「ドイツの大学には試験がない。講義は聴きっぱなしである。市民公開講座となんら変わるところがない。試験がないから、成績もない。成績がないから落第とか、及第ということもない。学年も、在学年限もないのだから、卒業ということもない。何年籍を置いて講義を聴いても、それだけでは何の資格も得られない。(中略)結局、なんらかの資格を取るには、学生は大学の定むるところを当てにはできず、ゼミナールでいい発表をして教授に認められて、上級ゼミナールにもぐりこみ、学位論文を受理してもらうか、さもなければ各種専門職の資格を保証する国家試験に合格するか、いずれかの道を歩む外はないだろう。」(『全集』149~150頁、『日本の教育 ドイツの教育』129頁)

 「アメリカの大学では、競争は入学時の一発勝負ではなく、入学後に始まる。進級の選別は厳しく、落第や退学は遠慮なくどしどし行われる。公立大学には格差があるので、成績いかんで上位の大学へ転出できるし、また成績が芳しくなければ下位の大学へ移動しなければならない。これは「転職」を恥とせず、そこに積極的な人生の意味を見出しているアメリカの企業社会人の生き方と、つながっている。」(『全集』250頁、『日本の教育 ドイツの教育』259頁)

 ドイツとアメリカの大学は何て平等で自由で公正なのだろうか。ドイツの大学は何て厳しいのだろう。ドイツの大学生はこうした孤独と自由に本当に耐えられるのだろうか。アメリカの大学は厳しくても何て親切なのだろうか。ドイツとアメリカの個人主義に立脚した大学のあり方やその後のこれら外国人の生き方は、大学が学歴ブランドで楽園に過ぎずその後は企業等の集団に帰属する日本人的な生き方と何と対照的だろうか。私はこんな風に率直に思わずにはいられない。楽園としての私の大学4年間はあっという間に過ぎたが、その後には、先生が『ヨーロッパ像の転換』で記された以下のような疑問が残っただけであった。

 「一体いかなる恐怖心が日本人を闇雲に学校教育へと駆り立てているのであろうか?たえ間ない欲求不満と競争意識に追いまくられて、自足する幸福を喪い、自己はただ他人との比較においてしか価値を持ち得ず、その結果手に入れたものがいったい何のための知識か、何のための教養か、それがいつも問題なのである。」(『ヨーロッパ像の転換』158頁)

 大学卒業後、私は紆余曲折を経て平成元年にようやく公認会計士第二次試験(現行の論文式試験)に合格し、監査法人に就職して社会人となった。会計士試験への対処法は高校や大学時代と変わらない我流であったが、勉強は他人から教わるものではないと固く信じていたのでその信条を貫いた。高校も大学も私にとっては詰まるところ通り過ぎた場所にすぎなかった。また、一般企業への就職を考えなかったのは、ここでこういう仕事をしたいという具体的なイメージが描けなかったからである。就職後、会計監査の実務経験を通して、職員間の相互牽制の下で仕事をするスタイルが自分にはストレスであることが分かり、法人内の薄暗い監査調書室で独り作業をすることが多くなった。それでも何ら咎められもせずに約8年も勤務出来たのは、創業者で公認会計士でもあった故塚田正紀先生の度量の大きさと鷹揚さに因るところが大きかった。仕事という実践教育を通して、私は自分が何者であるかを少しずつ発見し悟っていった。

 私には、半世紀余りを生きて来て、学校や社会との関わりの中でたとえ仮に深い挫折感を経験せずにもう少しうまく立ち回れていたとしても、結局は今のような自営業の立場で独り仕事をする道を選択していたに違いないという確信がある。今の仕事スタイルが私には最も自然な形である。サラリーマンとは異なり仕事上の集団や個人との関わり方はそれ程タイトではないが、それでも日本社会の中で私をして負の感情に陥らしむ二つのものがある。それは偏差値思考と人並意識である。ここで偏差値思考とは他者との比較において自分を相対的に位置づける受験競争によって植えつけられたあの固定観念であり、人並意識とは日本社会の至る所に蔓延している人は誰しもこうでなくてはならないというあの固定観念のことを意味している。私は、この二つの固定観念が日本人の無意識下に潜伏して、日本社会を息苦しくし卑小化し活力を失わせている大きな原因だと考えている。人は本来、自由感と運命感の交差するところにしか幸福感を感じられないそういう生き物ではないだろうか? 保身のみを考えてちまちま生きることは果たして本当に幸福感につながるのだろうか? 少なくとも私は、人それぞれにおいて二つの固定観念に囚われない自由感と運命感の共存する一筋の道がきっとあるはずだと信じている。

 最後に、『教育文明論』を拝読して今なお印象深いのは、西尾先生が第十四期中央教育審議会委員として文部官僚たちと孤軍奮闘された、ハラハラドキドキの臨場感あふれる答申草稿の変貌過程に関する記述であった。私はこの件を胸と胃を締めつけられる思いなしに読み進めることができなかった。自分の文章を相手の意向で勝手に修正されることは、私の経験上、神経を逆なでされるか腸をかき回されるような思い以外にはありえない。西尾先生の心身のご負担は如何ばかりであられたろうか。そして、この『教育と自由』終章の末節において先生が以下の心情を吐露された箇所を拝読した際に、私はニーチェの『ツァラツストラ』における木炭とダイヤモンドの噛み合わない以下の面白おかしい会話を連想していた。二つの引用文ともに価値と価値とが対立している。

 「最終答申が出るときになって、私の努力の大半が空しくなり、肝心な草稿はほとんど削り取られ、置き去りにされるような思いがしたとき、私は卒然と気がついた。私の考えていた教育改革と他の委員諸氏のそれとは何という隔たりがあったであろう。私は「価値」を問題にしていた。「価値転換」を問題にしていたのだ。ところが、諸氏はすでに存在する一定の価値の範囲における制度の修正、ないし手直しを考えていたにすぎない。」(『全集』686頁、『教育と自由』288頁)

 「「なぜそう硬いのか」―― あるときダイヤモンドに木炭がたずねた。「われわれは近親ではないか」―― なぜそんなに軟らかいのか。おお、わたしの兄弟たちよ。そうわたしは君たちにたずねる。君たちは――わたしの兄弟ではないか。なぜそんなに軟らかいのか、なぜそんなに回避的、譲歩的なのか。なぜ君たちの心にはそんなに多くの取消しと中止とがあるのか。なぜ君たちのまなざしには、そんなにわずかしか運命がないのか。もし君たちが運命であること、仮借なき者であることを欲しないならば、どうして君たちはわたしとともに――勝利を得ることができようか。そしてもし君たちの硬さが、光を放ち、分かち、切断することを欲しないならば、どうして君たちはいつの日かわたしとともに――創造することができようか。(中略)おお、わたしの兄弟たちよ。この新しい表をわたしは君たちの頭上にかかげる。「硬くなれ!」――」(ニーチェ『ツァラツストラ』「新旧の表」29 手塚富雄氏 訳)

 人は所詮、この木炭とダイヤモンドのように分かり合えないのかもしれないが、人が理想を持ちそれを信じて生きていくことは必ずしも無意味ではないのかもしれない。ニーチェのこの言葉はそのようにも読めるし、パイオニア精神を持つ人々の長く険しいそれぞれの道のりを暗示しているようにも思える。
                     (了)          

「『西尾幹二全集第8巻 教育文明論』の感想(一)」への3件のフィードバック

  1. 【人的資源強靭化計画】
    数学の整数論の代表的難問にABC予想というのがあり、
    フェルマーの最終定理も、この予想を使えば一気に証明
    できてしまうそうです。その証明は21世紀数学史上最大
    の偉業になるそうです。その証明の500ページの論文が、
    望月新一教授により発表されました。この論文の吟味に
    数年かかるそうですが、その正否にかかわらず、注目さ
    れているのが、オブジェクトと呼ばれる数学的抽象概念
    を用いた、彼の証明手法で、これまでにない独創的なも
    のだそうです。
    参考: http://wired.jp/2012/09/24/abc-conjecture/

    国力=人口×個人能力とすると、人口減少の状況での国
    力維持あるいは増強のため、個人能力(特に理数系能力)
    を向上させねばなりません。具体的には、人口減少に伴
    う国力弱体化に対する克服策として、彼のような人材の
    量産化が考えられます。つまりエネルギー資源以上に重
    要な人的資源の強靭化を、成長戦略の基本とすることで
    す。最終目標は、天才量産体制構築です。

    大航海時代以降のヨーロッパの中国、インド、イスラム
    諸国への勢力拡大が、技術の優位性から来たことを勘案
    すると、その基となる理数系能力の重要性を認識できま
    す。先進国も新興国もそのことに気づいているので、こ
    れからは国民の理数系能力向上の大競争時代になります。
    したがって日本は、現状のままでは先進国どころか新興
    国にも後塵を拝す可能性があります。
    (http://www.imojp.org/laureler/imo/record_imo.html#IMO52
    によると数学オリンピックで日本は北朝鮮より順位が低
    い。)

    この競争は、大学間の国際競争にもつながり、日本でも
    将来は主要大学が、国際水準から取り残されないため、
    英語入試、外国人入学や英語での講義の導入の可能性も
    あります。そうなると、日本人でも日本の主要大学入学
    が困難になり、日本の人的資源の劣化になります。その
    阻止のためにも、なるべく早急に理数系と英語の能力向
    上のための教育戦略を立てるのが肝要です。これにより
    逆に、アメリカなどへの飛び級留学の優秀な人材の増加
    が可能となります。

    人的資源強靭化戦略の主要項目は理数系教育です。その
    ための手法として、過去の実績のあるパターンまたはモ
    デルを参考にし、日本独自のプログラムを策定するのが、
    よさそうです。参考にすべきモデルには、たとえば、ア
    シュケナージユダヤ式学習法とハークネス教育法があり
    ます。

    1, アシュケナージユダヤ式学習法
    アシュケナージユダヤ人はユダヤ人一派で、ドイツ東欧
    系で、現在多数がアメリカに住んでいます。シオニスト
    は認めていませんが、一説にはユダヤ教に改宗したハザ
    ール人とも言われています。人口は1170万人(世界人口
    の約0.2%)ですが、ノーベル賞の22%(170人以上)、フィ
    ールズ賞の27%(14人)の受賞があります。一方日本人は
    ノーベル賞が約20人、フィールズ賞が3人です。アメリ
    カのCEOの約20%、アイビーリーグ学生の約20%(特に最優
    秀レベルはほとんど)を占めています。有名人には、
    アインシュタイン(相対論)、フォン・ノイマン(数学、
    量子論)、ボーア(量子論)、オッペンハマー(物理)、
    ファインマン(場の量子論)、シュレーディンガー(量子
    論)、ウィッテン(M理論)、ザッカーバーグ(Facebook)、
    ペレルマン(ポアンカレ予想)、サミュエルソン、ドラッ
    カー、スピルバーグ、ハリソン・フォード、セルゲイ・
    ブリン(Google)、ラリー・ペイジ(Google)、グリーンス
    パン、バーナンキ、ジャネット・イエレン、・・・がいます。

    このような天才輩出の背景には、独特の教育システムが
    あります。まず、年齢ごとの実行項目は以下のとおりで
    す。

    3歳:文学や読み書きを習う
    4歳:モーゼ五書の暗唱が始まる
    5歳:預言書と聖文学、タルムード(ユダヤ学の総合体系
    全集)を学び始める
    12歳:モーゼ五書はほとんど暗記している
    13歳:成人、ユダヤ教の基礎をマスターしている

    ここで特徴的なのは、幼児教育における暗記中心教育、
    徹底した道徳教育、知的好奇心向上教育です。ただし、
    暗記中心教育は単なる手段で、目的は知的好奇心向上で
    す。(徹底的道徳教育のため非行が少ないそうです。)こ
    のような幼児教育のため、小学校入学時には日本人との
    知的能力の差ができています。(日本人の子供がひらが
    なを習い始める頃、ユダヤ人の子供は大抵の文書が読め
    ます。)

    幼児期の暗記中心教育では、脳の活性に大変優れた効果
    がある素読を積極的に取り入れています。しかも反復を
    します。幼児期のこのような思考能力基礎体力強化を行
    うことが重要です。それができれば、その後の早い時期
    である小学校低学年から自主的に学習するようになりま
    す。そのころには暗記教育の比率は下がり、思考能力中
    心の教育にになります。

    知的好奇心向上のため、ユダヤ人家庭には蔵書が多くあ
    るそうです。日本でも本の多い家庭の子供は成績優秀だ
    そうです。さらに、好奇心向上のためには生徒の自主性
    が必要で、それを引き出すためユダヤ人は子供をよくほ
    めるそうです。かつ合理性、論理性を植えつけます。ま
    た、人格尊重から体罰はありません。

    スポコン(スポーツ根性)モノが好きな日本ではその逆で、
    子供をよく叱り、規律で縛るのがよしとされ、アシュケ
    ナージユダヤ式学習法とは対極をなしています。結果、
    日本の子供はびくびくしながら緊張感を持ち続け、萎縮
    してしまい創造性を伸ばせません。このような環境、特
    に体罰は、天才発現の阻害要因です。したがって、この
    ままでは永遠に高IQのアシュケナージユダヤ人に追い
    つけません。

    アシュケナージユダヤ人は小学校入学時には、読書によ
    りかなりの知識があるので、小学校以降の授業では、大
    学の輪講のような生徒も発言する、生徒中心の授業が可
    能になります。その上、褒めて能力を引き出す教育です。
    その結果、以下の好循環が生まれます。

    1) 生徒たちが自己表現をする
    2) 自己表現はそれぞれ、みな尊重される
    3) 生徒の自尊心が強化される
    4) また、授業に多様性と彩りが生まれる
    5) 生徒は魅力的な授業に積極的に参加する
    6) 1)に戻る

    日本ではこの逆で、生徒の自己主張が抑えられ、従順な
    生徒がよいとされています。

    アシュケナージユダヤ人の教育のその他の特徴は、以下
    のとおりです。

    1) 多言語の学習
    ヘブライ語、英語、居住地現地語が話せる。
    2) 多分野の知識習得
    ひとりで多分野でトップクラスの業績を達成する人が多
    い。(ウィッテンは歴史学と言語学をやった後物理に移
    行した。)逆に、日本ではその道一筋がよしとされる。

    アシュケナージユダヤ式学習法の成果のひとつに、IQの
    向上があります。アメリカでの民族別IQと所得のデータ
    に以下のようなものがあります。

    平均IQ
    アシュケナージユダヤ人:110-118
    東アジア人:100-106
    白人:100
    黒人:60-80

    一世帯あたりの平均所得
    アシュケナージユダヤ人:$87000
    東アジア人:$61100
    白人:$50800
    黒人:$30900
    日系人:$69500

    これによるとIQと所得に正の相関があり、教育による人
    的資源強靭化の重要性が理解できます。

    2. Harkness teaching method(ハークネス教育法)
    望月新一教授の経歴を見ると、
    ・Phillips Exeter Academyを2年で卒業
    ・プリンストン大学:16才入学、19歳卒業、22歳Ph.D取得
    とあり、日本でも飛び級の必要性が検討されるべきだと
    いえ、また興味深いのがPhillips Exeter Academyでの
    教育です。これはアメリカ中等教育最高峰と言えるThe
    Ten Schoolsの一つです。そこのHP
    ( http://www.exeter.edu/ )によると、クラスは約10人
    程度で、そこでは日本のような机の列はなく、ハークネ
    ス机と呼ばれるひとつの長円形の大きな机のまわりで、
    生徒がお互いの顔を見ながら、教師が作成した演習書の
    問題を、黒板で解き合います。これがハークネス教育法
    だそうです。生徒は自主的に予習復習し、問題解決も自
    主的に行うことになり、これは生徒中心の教育法です。
    生徒中心で大学の輪講のような学習という点では、天才
    を多く輩出するユダヤ式学習法にも通じるところがあり
    そうです。その逆が日本の教師中心の教育法です。出場
    者に対するハークネス法により、日本の高校生も数学オ
    リンピックで金メダルを取るようになりました。

    以上の教育モデルを参考に、日本独自の人的資源強靭化
    プログラムを作成する必要性があります。両方のモデル
    の共通点は、生徒の自主的に予習、復習、問題解決をす
    る自主性で、その裏づけとなる思考能力が重要です。そ
    のため、小学前の幼児教育による思考能力の基礎体力の
    獲得が必要です。鉄は熱いうちに打てと言われます。

    脳活動基礎体力獲得のための幼児教育を要約すれば、読
    み書き暗算です。そこで、以下の事項を小学校入学前に
    義務化して徹底的に行うべきです。層を厚くするため、
    対象は全幼児にすべきです。

    1. ソロバン(特に珠算式暗算)
    暗算法には、従来の九九、インド式暗算法、ゴースト暗
    算がありますが、珠算式暗算とその応用のフラッシュ暗
    算の方が右脳の鍛錬に有効です。対応可能桁数などを考
    えても、より実用的です。

    ソロバンは、かつては職業訓練的な側面が強かったので
    すが、今は脳のトレーニングや集中力、数の量的理解な
    どに役立つことが注目されています。準備として、数の
    概念と加減乗除を教える必要があります。その次にソロ
    バンでの計算法の習得、珠算式暗算の習得となります。
    最終的にはフラッシュ暗算までの習得が理想です。珠算
    暗算、フラッシュ暗算は、脳内でソロバンをイメージし
    て計算をするため、ゲーム感覚での右脳の鍛錬に役立ち、
    創造力だけでなく、イメージ的な記憶法も自然に習得さ
    れます。右脳が鍛えられた母集団からの天才発現の確率
    は、そうでないものより高くなります。なお、左利きの
    子は左手でソロバンをやらせるのがよさそうです。
    (アメリカ大統領に左利きが多い。特にフォード以降、7
    人中5人がそうです。例:オバマ、クリントン、ブッシ
    ュ父)

    2. 素読と漢字学習
    論理的思考は脳の情報処理能力に依存しており、その能
    力の強度は幼児期に確定します。その強度最大化に効果
    的な学習法が、素読です。素読のため漢字学習が必要で
    す。現在の小学校低学年で習う漢字を、幼児期に学ばせ
    ます。漢字学習は、右脳の鍛錬にもなるそうです。アメ
    リカでの空間性と言語性のIQの以下のデータがあります。
    東アジア人:空間性IQ 110、言語性IQ 97
    アシュケナージユダヤ人:空間性IQ 98-105、言語性IQ
    117-125
    東アジア人の空間性IQが高いのは、漢字が関係している
    かも知れません。

    3. 英語
    視野を広めるという意味で、幼児期の外国語習得は重要
    です。特に英語は、以下の点で人的資源強靭化に最適で
    す。
    1) アメリカ留学
    高等教育の最高峰はアメリカの大学です。アメリカ人と
    の人脈形成にも効果的です。
    2) 国際性
    オリンピック招致などの国際案件では人脈が重要で、そ
    のためにも英語でのコミュニケーションできる人の層が
    厚いことが必須です。
    3) 論理性
    文は概念と概念の関係の配列で、英語ではその関係性が、
    日本語より正確です。したがって以下の例のように、日
    本語より論理的な文となります。
    ・英語ではSVOが明確ですが、日本語ではあいまいです。
    例: 英語の
    A loves B.
    に対し、日本語では
    A はBが好きです。
    のように、主語をあらわす”は”と”が”が用いられて
    います。
    ・英語は時制の一致の概念がありますが、日本語には
    ありません。
    ・日本語にはnothing, noneのようなゼロ表現や、
    less、lestのような負表現がありません。
    ・英語ではitなどの代名詞、doなどの代動詞、oneなど
    が多用されますが、日本語は同じ単語がそのまま用い
    られ冗長的です。
    例:
    the second half of the last centry and the first
    half of this one
    ・英語の前置詞の表現内容の方が、日本語の助
    詞のそれより豊富です。
    ・英語には関係詞がありますが、日本語にはありません。
    ・日本語では、能動態受動態があいまいです。
    ・全般的に日本語には不正確な表現が多く、話者は意味
    の解釈を聞き手におまかせとなります。
    例:
    Aは危ない。

    A is in danger.
    とも
    A is dangerous.
    の両方解釈でき、文脈から聞き手は解釈せざるを得ませ
    ん。・名文の文章スタイルが身についていると良い文章
    を書けるのと同様に、語順などの文のスタイルが明確な
    英語の方が、しっかり情報が伝わる誤解が少ない会話が
    成立します。一方ニュースなどのインタビューでの日本
    人の回答は、文になっていなく擬態語が過多で情緒的で
    す。
    4) プログラミング言語との親和性
    (ユダヤ人は多言語を話しますが、独特の文化を維持し
    ています。)

    幼児期には文法を教えず、
    http://takaojimba.blog.so-net.ne.jp/2008-08-30
    https://spreadsheets.google.com/pub?key=p3G3JGWcrtP4BZbRlMIA2AA
    のような英語の素読を、ネイティブスピーカーの朗読の
    オウム返しで音読し、暗唱するのが、幼児に適した効率
    よい英語能力習得法です。日本語がしっかりしないと
    英語が身につかないのは、小学校以降に英語学習を始め
    る場合にいえることで、幼児期の英語学習には当てはま
    りません。幼児期ならば日本語も英語も過渡的な状態な
    ので、同時に両方しっかりとしたものにさせることが可
    能です。

    初等以上の教育では、以下のプログラムを用意する必要
    があります。

    ・奨学金制度の充実
    ・飛び級
    ・英才教育
    ・ハークネス法
    http://www.jpost.com/LocalIsrael/TelAvivAndCenter/Article.aspx?id=188988
    Southridge 高校(公立オレゴン州)の数学の授業です。
    https://www.youtube.com/watch?v=ZUZOlwJ2TqA
    ・アメリカ留学奨励
    中等教育以上の留学支援体制を完備する。たとえば、日
    系人や在留邦人にボランティアを募り、留学生支援の現
    地拠点を作る。そこへの資金援助もかかせません。(例:
    寮、ホームステイ、相談所)また、対応する奨学金制度
    を充実させる。
    ・多分野への知的好奇心の誘導
    MITメディアラボ所長の伊藤 穰一氏によれば、イノベー
    ションには多分野交流が必要です。
    ・自主的問題解決能力促進

    新規の全天候型屋内運動場のような無駄な箱物の建設と
    その後の維持に金を使うより、教育投資する方が国力強
    化につながります。

  2. 他の委員諸氏は「価値の修正」に専心し、先生は「価値の転換」に専心していたの旨の一文は、真に肚に沁みますなあ。
    私事になりますが、私は東大法学部に3浪して落ちました。
    何故こだわったか。そこが「価値中立」であると評価していたからです。
    何故落ち続けたか。私が「大価値」を求める余り「価値偏向」の病に陥ったからです。
    今は何を思うか。「大価値中立」から「小価値中立」を見下ろしています。(笑)
    先生とは政治では意見を異にする事は多いですが、事、思想哲学となるとまだまだ多くを学び啓発させて頂いているようです。

  3. >「最終答申が出るときになって、私の努力の大半が空しくなり、肝心な草稿はほとんど削り取られ、置き去りにされるような思いがしたとき、私は卒然と気がついた。私の考えていた教育改革と他の委員諸氏のそれとは何という隔たりがあったであろう。私は「価値」を問題にしていた。「価値転換」を問題にしていたのだ。ところが、諸氏はすでに存在する一定の価値の範囲における制度の修正、ないし手直しを考えていたにすぎない。」(『全集』686頁、『教育と自由』288頁)

     「「なぜそう硬いのか」―― あるときダイヤモンドに木炭がたずねた。「われわれは近親ではないか」―― なぜそんなに軟らかいのか。おお、わたしの兄弟たちよ。そうわたしは君たちにたずねる。君たちは――わたしの兄弟ではないか。なぜそんなに軟らかいのか、なぜそんなに回避的、譲歩的なのか。なぜ君たちの心にはそんなに多くの取消しと中止とがあるのか。なぜ君たちのまなざしには、そんなにわずかしか運命がないのか。もし君たちが運命であること、仮借なき者であることを欲しないならば、どうして君たちはわたしとともに――勝利を得ることができようか。そしてもし君たちの硬さが、光を放ち、分かち、切断することを欲しないならば、どうして君たちはいつの日かわたしとともに――創造することができようか。(中略)おお、わたしの兄弟たちよ。この新しい表をわたしは君たちの頭上にかかげる。「硬くなれ!」――」(ニーチェ『ツァラツストラ』「新旧の表」29 手塚富雄氏 訳)

    この言葉に全てがあると理解できました。
    なにか・・・北国の寒々とした空の切れ間に、季節はずれの太陽の光を感じるような、そんな感じがしました。
    素晴らしい言葉の連続に、私はなぜか勇気だけが湧いてきます。
    不思議な・・・本当に不思議な感覚です。

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