安倍首相は三月十四日に参議院予算委員会で河野談話を安倍内閣において見直すことはないと表明しました。さらにこうも述べたといいます。「慰安婦問題については筆舌に尽くしがたい、辛い思いをされた方々のことを思い、心が痛む」。また村山談話についても「歴代内閣の立場を、引き継いでいる」と。今までのご自身の意向をとり下げ、すべての期待をもひっくり返す驚くべき発言といわざるを得ません。海外で献身的に慰安婦像の取り下げ運動をしている愛国者たちに日本政府は合わせる顔がないでしょう。
同じ方針を菅官房長官は十日に公表していました。アメリカ国務省のサキ報道官は十日の記者会見で、安倍政権が「河野談話を支持する立場」を明らかにしたとの認識を表明し、韓国を念頭に近隣諸国との関係改善に向けた「前向きな一歩だ」と評価したのです。そして「今後とも過去の歴史に起因する問題に取り組むよう日本の指導者に促していく」とも述べたというのです。
菅官房長官は十一日の記者会見でこれを承けて、河野談話の継承はたびたび述べてきた通りだと重ねて強調し、さらに「決着した過去の問題が韓国政府から再び提起されている状況なので、しっかり(談話の作成過程を)検証する。国会から要請があれば、調査結果の提出に応じる」とも言っています。十二日には検証の結果にかかわらず、談話を見直す考えはないとも補説しました。同日斎木外務次官が韓国を日帰り訪問しました。参議院予算委員会における首相の十四日の正式発言はこれら全部を承けています。
韓国がアメリカ国内のいたるところに慰安婦像や石碑を次々と乱立させようとしていることは周知の通りです。さらにフランス国際漫画祭での日本侮辱の展示、ハルビン駅頭での安重根の記念館の開設、ユネスコ・世界記憶遺産への性奴隷犯罪資料の登録や記念日制定の推進、など今や国や手段を選ばぬ狂乱ぶりです。中国もこれに歩調を合わせ、世界五十ヵ国の外交機関で、靖国参拝はナチスの墓詣りに等しく、東條英機はヒットラーと同じであるとの国際キャンペーンを展開しました。習近平はドイツ訪問に際し、ホロコースト施設訪問を希望し、そこで日本誹謗演説を企てましたが、さすがこれはドイツ政府から拒まれました。
中国の歴史非難は、日米間に楔を打ち込む政治意図があり、韓国をそこから切り離し、引き戻そうとするのがアメリカ政府の思惑でしょう。ただ動機があるていど読める中国と異なり、韓国の心理状態はすでに病的です。日本が謝罪し後退すれば対日攻撃はこれに反比例し、笠に着て増大することは経験上明らかです。日本の忍耐は限界に達している近年の異常ぶりは、果たしてオバマ大統領にきちんと伝えられているのでしょうか。サキ報道官の言葉から伺い知る限り、アメリカ政府は困難を理解しようとする気がなく、東アジアの現実をひどく軽く考えているように思えてなりません。そしてただ日本にだけ過重な心理負担を要求するのであれば、今まで協力的だった保守的国民階層のアメリカ離れはさらに急速に進むでしょう。
日本政府は河野談話を検証はするが見直さない、と言ったわけですが、これはいったいどういう意味でしょう。安倍氏は第一次内閣と同じようにまたまたへたれたということでしょうか。「戦後レジームからの脱却」はどうなったのでしょう。ここが踏ん張り所ではないのですか。
サキ報道官は日本の決定を「前向きな一歩」と評価しましたが、日本とアメリカは価値観は同じではありません。日本の歴史認識は日本人が決めるのです。サキ氏の物言いは傲慢です。われわれは単に自国愛と自尊心からのみ言っているのではなく、中国と手を組んだ韓国の度重なる対日侮辱は、日米韓の防衛協力を不可能にするようなていのものです。敵性国家はどこかを新たに露呈させました。日韓両政府の非公式協議で日本側の一人が、半島有事が起きたとき日米安保の事前協議において、日本は米軍が日本国内の基地を使うことを認めないこともあり得ると発言したとき、韓国側は凍りつき、言葉を失ったといいます(産経新聞三月十八日)。日米同盟の対策を根本から練り直さなければならないような現実の変化が起こっているのです。北朝鮮有事に際し、韓国は中国側に寝返る可能性が高いのです。ロシアの不安な心が事前に読めなかったオバマ大統領は、日本の不安な心もまったく分らないのかもしれません。
日本の側も黙っていては何も動きません。渡部昇一氏がいい提言をしています。安倍首相自身がワシントンに行って会見を開く。事前に慰安婦に関する想定問答集をつくって研究し、効果的な応答の仕方を準備し、世界中のテレビや新聞の質問に答える。渡部氏は言います。「安倍さんが断固として発言する。そうしなければ日本の名誉は永久に回復されないでしょう」(渡部昇一・馬渕睦夫『日本の敵』飛鳥新社)
私も賛成です。安倍さんならできる。首相の弁論能力を高く評価しています。問題は腹を括って決断できるか否かの一点です。
慰安婦問題と尖閣の防衛問題がいま同時に現われたのは偶然ではなく、韓国と中国を用いてアメリカがあらためて敗戦国日本を抑えたがっている点に問題の本質があるのです。
つづく
日本の歴史は、その節目節目で「九州」あるいは「薩摩」が大きく活躍してきました。
日本の建国にしてからが、建国の地は「九州」で、天武天皇は九州の地で初代の「天皇」を名乗り、国名を「日本」としました。
その直前、小野妹子が遣隋使として役目を果たし、隋の答礼使・裴世清を伴ってヤマト国に帰国しました。
ヤマト国には阿蘇山という火を噴く山があって、ヤマト国の王の名は「アメノタリシヒコ」と、中国の正史『隋書』には記されています。
しかり! 隋の時代から、日本の歴史は九州を中心に動いていたのでしだ。
南北朝、とくに南朝の皇脈が守られてきたのも九州でしたし、幕末の篤姫の活躍も、明治維新の激動も薩摩が主導してきました。
そして、今、日本は、ふたたび大きな歴史の節目に差し掛かっており、時代は日本の復興と変革の主導力を薩摩=鹿児島に発揮するように求めています。