『天皇と原爆』の書評

 「毎日のできごとの反省」というブログがある。昨年気がついて、批評眼が秀れているので注目した。辛辣なところもあり、理解に奥行きもあり、バランスがいい。いろいろな人の新刊本の書評を読んだ。ブロガーのお名前をまだ知らない。

 『天皇と原爆』について昨年10月に書評をなさって下さっている。遅ればせだが、ご許可を得ていたので、掲示させていたゞく。

書評・天皇と原爆・西尾幹二・新潮社

2013-10-05 13:53:40 | Weblog

 今まで読んだ西尾氏の本とかなり重複している。同じ傾向の本を選択して読んでいるのだからそうなっても仕方ないだろう。ただ、要約されて総花的になっているような気がするので、頭を整理するにはいいのかも知れない。できるだけ重複しないものをピックアップしてみようと思う。

 サモアの分割、という話がある(P47)。19世紀後半にアメリカとイギリスが、南太平洋のサモアの領土保全を協定する。ところがドイツがサモア王にドイツの主権を認めさせたので、米英独が争った後にベルリンで話し合いサモアの独立を宣言する。ところが内乱が起こると、米英独が対立競争をするのだが、競争から英国が逃げると、米独で分割統治する。この事件は米西戦争、ハワイ併合のわずか二年後である。西尾氏は、これを太平洋における領土拡張の始まりの象徴である。と書く。米西戦争は一気に太平洋を越えてフィリピンまで行ったが、ハワイ、サモアと着々と太平洋の領土を拡大しているのだ。ドイツ領は第一次大戦に負けたため、信託統治領を経て、第二次大戦後独立をしているが、東サモアはいまだにアメリカ領である。この頃のアメリカは英国と同じく典型的な力による帝国主義の膨張国家である。

 豊臣秀吉や江戸幕府のキリシタン弾圧は今では非難を込めて語られる。長崎には日本二十六聖人殉教の地というのがある。しかし西尾氏が書くように西欧のキリスト教宣教師は海外の侵略の手先であったのが事実である。例えば中国では日中の離間を謀るために、宣教師は反日スパイの役割を演じていた(P54)。経費からすれば「アメリカがキリスト教伝道に使った額は全体投資額の四分の一というほどの巨額です。」と言うのだからすさまじい。

 ついでに最近のアフガニスタンへの介入やイラク戦争も、アメリカの西進の一環であると断定する(P55)。多くの保守論客が日米同盟のゆえにこれらの介入を支持し、反対するのは左翼である。しかし西尾氏のこのような観点は、一方で常に考えおかなければならない。知っていて同盟するのはいいが、盲従するのは政治家のすることではない。また、政治家なら日米同盟と言う現実的妥協の理由はあるが、思想家だけの立場なら別である。アメリカの「闇の宗教」(P74)という項はこの本の重要なテーマである。本書では繰り返し、日本と米国はともに神の国であり、それゆえ衝突したのは必然であるということを論じているからである。

 アメリカには、ヨーロッパ以上に強固な宗教的土壌が根強く存在します。ヨーロッパで弾圧された清教徒の一団がメイフラワー号に乗って新天地をめざしたという建国のいきさつからみても、それはあきらかです。・・・非常に宗教的な土壌から、「きれいごと」が生まれてくるのではないというのではないかというのが、私の仮説なのです。アメリカの唱える人権思想や「正義派」ぶりっこは、非理性的である。(P75)

アメリカ人のやることは非常に乱暴であるが、言葉は実に綺麗事に満ちている、というのは多くの体験で分かるはずである。日本国憲法からして、よく読めば論理的には日本は禁治産者だから軍備を持ってはいけない、ということを言っているのだが「諸国民の正義」とか綺麗な言葉が並べられている。それはアメリカ国内でも同様である。西尾氏は言う。占領政策で日本に持ち込まれた、グレース・ケリー主演の「上流社会」という映画は金持ちのアメリカ人の優雅な生活を紹介して、復興しかけの日本人を圧倒した。しかし、同時にインディアンへの無法や黒人へのリンチは公然と行われていた、ということは戦前には日本ではよく知られていたのである(P80)。

 ヨーロッパの魔女裁判は有名であるが、アメリカでも1692年にマサチューセッツ州でも行われている。これは硬直した宗教思想が欧米人にあり、異なった宗教や意見を許さないのである。アメリカの信教の自由と言っても、それは聖書に基づく宗教の範囲に限定されている。これに比べ日本は思想にも宗教にも一般的には寛容である。キリシタン弾圧は、キリスト教宣教師が侵略の尖兵であったためであり、防衛問題であるから宗教弾圧ではない。幕府の教学は朱子学であったが、それに反対意見を述べた荻生徂徠は罪に問われることもなかった。本居宣長は朱子学も幕府が保護していた仏教も排撃したが問題にされなかった。十八世紀のヨーロッパでは、キリスト教の神の絶対性にカントやフィヒテがほんの少し疑義を提出し、人間の立場を主張しただけで、大学の先生を辞めさせられたりするなどされた。(P81)日本には思想の自由がなく、欧米とは違う、というのも戦後吹き込まれた幻想である。

 アメリカが宗教に立脚した国であるということは、大統領が就任の宣誓をするときに、聖書に手を置くことでも分かる。そればかりではない。レーガン大統領は就任演説で「われわれは神のもとなる国家である。これから後も、大統領就任式の日が、祈りの日となることは、適切で良きことであろう」という一句があった。ところが演説を細大漏らさず翻訳した朝日新聞の記事には、この一句だけがすっぽり抜けていた。(P118)西尾氏は意図的だろうと考えながらも、宗教の事は個人的なものであり、枝葉だから省略したとして好意的に解釈している。森首相が『日本は神の国』と発言して問題にされたのは、この演説のよほど後だから、関連はないのだが、朝日新聞は、戦前、神国日本などと言っていたと批判しているのだから、アメリカ大統領が、公然と米国は神の国だと言っているのは都合が悪いから意図的に削除したのである。

 戦時に神国日本を強調した急先鋒は朝日新聞である。朝日新聞のコラムは戦前から「天声人語」である。ところが、昭和17年の1月から、昭和20年の9月まで、何と「神風賦」となっている。戦争が始まった翌月から「神風」と煽り、戦争に負けた翌月、すまして元に戻しているのである。変わり身の早さは見事である。

 森首相を批判したのは、神国という軍国主義を思い出させる、という理由の他に政教分離、という憲法の原則を持ち出している。ところが西尾氏によれば、国により政教分離の意味は欧米でも国によりかなり異なる。(P138)ヨーロッパでは、教会による政治に対する圧力が強過ぎた経験から、宗教権力から国家を守る、法王庁から近代市民社会の自由を守る、という意味である。信仰は個人の内面にとどめ、信仰が異なる人々の間でも政治の話が出来るようにする、という意味である。アメリカでは、建国の経過から聖書に依拠した宗教ならばどの教会派も平等である、という意味である。ところが、唯一日本のように厳格な政教分離を行っているのはフランスであるのだという。それは革命国家だからであり、学校にキリストの絵を飾ってもいけないし、教室で聖書を朗読することも禁止されている。

 西尾氏は日本がフランスのように厳格に政教分離を行っているのが問題である、とするのだが小生に言わせれば、実は日本でも厳格に政教分離が行われている訳ではない。日本でも比叡山など、宗教が政治力を持って騒乱を招いた時代があるから、むしろ宗教が国家に干渉することを防ぐ歴史的必要性はある。ところが、公明党が支持母体の創価学会という宗教団体に操られていることは問題にされてはいない。問題にされているのは、玉串料を自治体が払ったなどということである。つまり政教分離を口実に神道だけが排撃されているのである。家を建てるとき地鎮祭をするように、神道は深層で日本人の生活に密着しているから、神道の行事に自治体が費用を負担するということが起きるのである。日本の左翼は可哀そうに、GHQに国家神道が軍国主義の支柱であり侵略戦争を起こした、などと吹き込まれて、忠犬のように従っているのである。彼等は日本人としての心の根幹を破壊されたのである。

 大統領の宣誓に見られるように、アメリカが政治に及ぼす宗教の影響が大きいのは、アメリカ社会が、ヨーロッパの十九世紀や江戸時代の日本のように、脱宗教の洗礼を受けていないからだ(P140)と言われると納得する。同じイギリス出身でもヨーロッパ人とアメリカ人がかなり異質な理由はこれで納得できる。アメリカの移民が始まってから、ヨーロッパとは歴史的に分離されたのである。アングロサクソン中心で純粋培養されたアメリカ。一方で多数の国民国家が競い合い、それにローマ法王庁が絡み合う、という複雑な歴史が妥協的な社会を作っていったのである。それはアメリカ建国後のことだから、アメリカは取り残されている。それでも、西洋人は一般的に日本人より原理主義的な傾向があることは否めない。

 同様に日本の政教分離は、歴史的には日本は独自の観念を持っているのだという。心や魂の問題は仏教に頼り、国家をどう考えるかという公的な面は天皇の問題になる、というのである。日本は江戸時代から迷信が乏しい国で、西欧の魔女裁判は元禄時代までも行われており、その時代に日本では現世を謳歌していた(P141)。日本人は現実的なのであり、だからこそ、万能の神があらゆるものを創ったなどという夢物語を信じられないのである。

 皇室への恐怖と原爆投下(P187)という項は、本のタイトルのゆえんであろう。アメリカにとって日本は「神の国」に反抗した悪魔だから原爆投下をやってのけた。天皇の名の下に頑強に抵抗した日本に畏怖を感じたのである。その後、意識が変化して原爆投下に対して罪の意識を感じるようになってきた。日本の統治に利用するために、天皇を残したというのは間違いで、天皇を倒すことはできないことがアメリカ人にはわかってきたのである。それで長期的に皇室を弱体化し失くす方法を講じてきた。ひとつの方法は皇室の財産を全部なくし、皇族を減らして皇室を孤立させた。もうひとつは教育である。今上天皇陛下の皇太子当時にクエーカー教徒の家庭教師をつけ、今の皇太子殿下にはイギリスに留学させた。(P191)頭脳を西洋人に改造しよう、というのである。

 さらに、皇太子妃殿下はカトリック系の学校出身で、現地体験から欧米趣味をもっておられ、洋風ではない皇室の生活がストレスになっている、というのだが、妃殿下との結婚までアメリカの陰謀だというのは出来過ぎた話のように思われる。ただ、西尾氏は雅子妃殿下について厳しい論調で批判している論文を世に出している。大日本史や、新井白石、福田恆存、会田雄次、三島由紀夫などの例をひいているが、元々民とて皇室は批判すべきことはきちんと批判すべきという考え方の持ち主(P231)なのである。

いずれにしてもイギリスが建国の英雄の娘であるアウンサン・スー・チーを長く英国で暮らさせて英国人と結婚させ、ソフトの力でミャンマーを支配しようとしているのと同類の高等戦術を使っている。(P190)西尾氏はそれでも日本は必要に迫られれば「神の国」が激しくよみがえる可能性がある(P192)と希望をつないでいる。

 和辻哲郎は高名な倫理学者であるが、昭和18年に「アメリカの国民性」という貴重な論文を書いている。(P211)その書でバーナード・ショウの英国人の国民性についての風刺を引用している。「イギリス人は生まれつき世界の主人たるべき不思議な力を持っている・・・彼の欲しいものを征服することが彼の道徳的宗教的義務であるといふ燃えるような確信が・・・彼の心に生じてくる・・・貴族のやうに好き勝手に振る舞ひ、欲しいものは何でも掴む・・・」のだという。これがアメリカに渡った英国人の基本的性格なのである。ショウは皮肉めかしているが内容は事実である。

 和辻によるイギリス人のやり方はこうである。土人の村に酒を持ち込んで、さんざん酔っぱらわせ、土人の酋長たちに契約書に署名させる。酔っぱらった酋長は彼らに森で狩りをする権利を与えたのだと勝手に解釈するのだが、契約書にはイギリス人が土人の森の地主だと書いてある。酔いが覚めた土人は怒りイギリス人を殺すと、契約を守らなかったと復讐し、土地を手に入れる。こうして世界中で平和条約や和親条約を使って領土を拡大する。(P217)和辻はこの説明をするのにベンジャミン・フランクリンを引用している。

そしてインディアンの文明は秩序だっており、イギリスからやってきた文明人と称する人たちのやりかたのほうか、むしろ奴隷的で卑しいものだと、インディアンたちは考えていたであろうと、フランクリンは気付いていた、というのである。これは西郷隆盛が西洋人は野蛮である、と断定したのと共通するものであろう。ところがフランクリンは、そう考えながらも、気の毒ながらインディアンには滅びてもらわなければならない、(P219)と考えたというから西洋人というのは怖しい。和辻に言わせると、フランクリンは良識的なのだそうだ。

 和辻氏は別のエピソードも紹介する。あるスウェーデンの牧師が、聖書についてアダムとイブの話からキリスト受難の聖書の話を土人の酋長たちにした。非常に貴重なあなた方の言い伝えを聞かせてくれた、お礼にと言って酋長が、トウモロコシとインゲン豆の起源についての神話を話すと牧師は怒りだす。「私の話したのは神聖なる神の業なんだ。しかし君のは作り話に過ぎない。」というのだ。土人も怒って、我々は礼儀を心得ているから、あなたの話を本当だと思って聞いたのに、あなた方は礼儀作法を教わらなかったようだから、我々の話を本当だと思って聞けないのだ、というのである。これは西洋人の独善をついた貴重なエピソードである。この性格の基本は今でも変わらないことをわれわれは心するべきである。

 そして和親条約を締結してからが、アングロサクソンの侵略の始まりである、ということは日本にも適用されていると和辻氏はいうのだ(P252)。ペリーは大砲で威嚇しながら和親条約の締結を迫ったが、拒めば平和の提議に応じなかったとして武力で侵略するつもりであった。対支二十一箇条の条約は、武力の威嚇の下になされたとして、欧米に批難された。不戦条約を作り一方で自衛か否かは自国が決める、と言っておきながら、満洲事変以後の日本を不戦条約違反であるとした。

 しかもこの身勝手な欧米人の行為を正当化したのがトーマス・ホッブスの人権平等説であるというのだ。ホッブスの人権平等説とは、あらゆる人間は自然、つまり戦いの状態に置いて平等に作られているというのである。簡単に言えば強い者は弱い者を叩いてもいい、という平等なのである。もちろん、インディアンや原住民にした行為が「正義」や「平和」のもとに行われることの矛盾は、欧米人も承知している。だが、原住民からあらゆるものを奪い取ることの欲求を抑えることが出来ないから、こんな理屈をこねるのである。

 荻生徂徠が「・・・『古文辞学』と言って、前漢より以前の古文書にのみ真実を求め、後漢以後の本は読まないと豪語し、ずっとくだった南宋の時代の朱子学の硬直を叩きました。」(P233)というのであるが、小生はこの言葉を西尾氏とは別の意味に受け取った。本来の漢民族は、漢王朝が崩壊すると同時に滅亡した。古代ローマ人が現代イタリア人とは民族も文明も断絶しているのと同じ意味で、秦漢王朝の漢民族と現代中国の自称漢民族は文明的にも民族のDNAも断絶している。儒学などの支那の古典は漢王朝までに完成したものである。それを異民族が勝手にひねくり回した南宋の朱子学などというものは偽物だと思うのである。徂徠は内容から、後漢以後のものはだめだと判断したのだろうが、小生は歴史的に判断したのである。

「『天皇と原爆』の書評」への6件のフィードバック

  1. 軍事について非常に該博な方ですね。
    この方の別サイトの大東亜戦争論を読むと日本の海軍は年功序列でだめになったというふうにも感じますが、これはなんとなく同感するところです。
    平和時で文明が安定しているのであれば、過去の慣例を素直に引継ぐのが懸命なのでしょう。それであれば年功序列が適しているのでしょうが、そうでない時代はおそらくだめなのでしょう。
    軍事に詳しく歴史にも詳しいというと下記の方のブログを以前からときどき読んでいます。頭脳的に鋭くて歴史分析がスケールが大きく面白いです。
    防衛省OBの太田述正氏のブログ「http://blog.ohtan.net/」。
    むかしから思うことですが、普通の日本人は中庸を重んじバランス感覚のとれている人が多いと思います。過去に数多くの無名のブログを読んでもそう思いました。それに対して日本の知識人は左翼がのさばった影響なのか偏狭的な人間が多いような気がします。

  2. 西尾幹二先生、盧溝橋事件について質問させていただいても、
    よろしいでしょうか。
    昭和12年(1937年)7月7日~の盧溝橋事件についてですが、
    日本軍は念のため7月6日、7日に演習することは、
    事前に7月4日に支那側に通知していましたが、
    その具体的な文書の題名と内容は、どのようなものでしょうか?
    自分なりに調べてもわかりませんでしたので、
    もし、お時間があれば教えていただきたいです。
    よろしくお願いします。

  3. 「株式日記と経済展望」というブログに西尾先生のことが書かれていたので
    貼らせて頂きます。

    ヒトラー政権下のドイツ国防軍は、ドイツ国内、紛争地、および占領地全域に、
    大規模な売春所を運営していた。オリジナルの証拠書類が残されている。

    2014年8月27日 水曜日

    ◆ドイツも騙された慰安婦報道の虚偽 朝日新聞の大誤報が日本人に与えた屈辱と悲しみ 8月27日 川口マーン恵美

     “多勢に無勢”という感覚は、日本にいる限り分からない。日本でなら、あるテーマを巡って激しく意見が分かれていても、少なくとも各人は、事の背景、そして、相手の論拠は理解している。その上での議論だ。

     また、ときに場違いの討論会に顔を突っ込み、多勢に無勢で袋叩きに遭うことはあるが、そんなときでも、そこを一歩離れれば、たちまちたくさんの同意見の人に囲まれることができる。そこでクダを巻けば、腹の虫も収まろう。

     ところが、ドイツでは違う。私は完全に孤立する。慰安婦問題の背景をドイツ人に十分に理解させることはほとんど不可能だ。それには、慰安婦とは何かということをはじめ、日本と韓国の過去の関係、現在の関係、そして何より、この問題において朝日新聞の果たした役割と、誤報が独り歩きしている理由を説明しなくてはならない。

     しかし、ドイツのメディアはそんなことは無視して、日本で報道された残虐な慰安婦物語だけを取り上げ、「性の奴隷の悲劇」を書いている。

     それが違うと言っても、誰も信じない。家族も友人も、分かってはくれない。特に、朝日新聞は日本の有識者の好んで読む全国有力紙であるので、その新聞が何十年も誤報を発信し続けるなどということは、はっきり言って、あり得ないことなのだ。

     しかも、特に知識人ほどテレビや新聞に書いてあることをちゃんと読んでいて、自分は事情通だと思い込んでいる。彼らにとって私の言い分は、悪を善と言いくるめる、姑息で幼稚で国家主義的な醜い嘘だ。私はその醜い嘘を広めようとしている修正主義者で、つまり、ちょっと問題ある思想を持つ人間となる。(中略)

    連邦議会に慰安婦支援の決議を提出、日本を弾劾したドイツの政治家

     ドイツでは、2012年2月29日、「『慰安婦』の苦しみの承認と補償」というタイトルの決議案が、SPD(ドイツ社民党)議員団の連名で、ドイツの連邦議会に提出されたという経緯がある。1997年にアメリカの下院で採択された「従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議」を見習おうという趣旨だった。

     アメリカでは、この流れに基づいて、その後、あちこちで慰安婦の像が建つという異常な事態になった。決議案提出の代表者は、現在の外務大臣シュタインマイヤー氏である。

     このドイツの決議案については、以前に月刊WILLで詳しく書いたが、議員たちは、元慰安婦であったという韓国人の女性を英雄のように持ち上げて、彼女たちの言うことを100%採用して、この決議案を作った。そしてその中で、日本軍が朝鮮半島のいたいけな少女まで「強制連行」し、売春させ、「処刑、拷問」していたと主張した。

     決議案の前文には、「戦争犯罪の追放と解明の意味について豊かな知識を持っているドイツの連邦議会は、慰安婦を、彼女たちの懸案において支援したい」とある。

     ドイツ人は、ホロコーストを徹底して追及した自分たちのことを誇りに思っているが、この文章には矛盾がある。彼らはホロコーストに関しては謝罪し、賠償しているが、普通の戦争犯罪には、概ね頬かむりをしたままだ。第一、ホロコーストと慰安婦問題を同列に並べるのもおかしい。

     いずれにしても、この動議が連邦議会で取り上げられたのが同年11月29日。その際、各党の代表のスピーチがあったが、これはまさに、元慰安婦の女性たちの証言のみに基づいた日本弾劾の場だった。彼らは日本政府に、犠牲者への賠償の支払いと、責任者の処罰を求めた。(中略)

     この決議案は、ドイツ連邦議会のホームページで、政府刊行物として全文を読むことができる。私は、それを読みながら、最初唖然とし、そのあとは腹立たしさを通り越して、ただ悲しかった。

     しかし、その後、調べ始めたら、ドイツ軍の売春所の話が続々と出てきた。日本の慰安婦とは違い、ちゃんと証拠もあった。ヒトラー政権下のドイツ国防軍は、ドイツ国内、紛争地、および占領地全域に、大規模な売春所を運営していた。

     売春施設は、兵士用、将校用、親衛隊員用、外国からの徴用労働者用などに分かれ、驚くべきことに、それは強制収容所、絶滅収容所にまであった。

     売春婦として働かされたのは、占領地の女性、および、女子強制収容所の女囚である。様々な国籍の若くて美しい女性が囚人の中から引き抜かれ、全土に配置された。ニュルンベルクの文書センターに行けば、ちゃんとオリジナルの証拠書類が残されている。

     結局、ドイツ連邦議会はこの決議案を採択しなかった。その理由は、おそらく、実はドイツ人も自国軍の売春の実態を知っていて、このような決議案の矛先は、ブーメランのように自分たちのところに戻ってくることを知っていたからではないかと思う。(後略)

    (私のコメント)

    ドイツ人はアメリカ人よりも多少は利口なので、日本軍慰安婦批判決議は採択されなかったようですが、それはいずれ自分たちにブーメランのように帰って来ることが分かっていたからだ。アメリカでは2007年7月30日の下院で慰安婦決議がなされた。しかし慰安婦の根拠が河野談話だけであり、朝日新聞が30年にわたって書き続け、日本政府の官房長官が強制性を認めたからだ。

    河野談話自身が韓国の政府に騙されて、二度と取り上げないと言った口約束を真に受けて政治的妥協で河野談話が発表された。しかし河野談話が根拠となり日本政府自身が従軍慰安婦の強制性を認めた事になり、日本政府はまんまと韓国政府に騙された。アメリカ下院で慰安婦決議がなされたことに対して当時の塩崎官房長官はノーコメントとした。本来ならば抗議しなければならないはずだ。

    今日では米軍慰安婦問題も浮上して来たので、日本軍慰安婦と米軍慰安婦と掻き分けていますが、川口マーン恵美氏の記事によればドイツ軍慰安婦もあったようだ。以前にも西尾幹二氏が外人記者クラブでもドイツ軍慰安婦を取り上げていましたが、これはニュルンベルクの文書センターに行けば、ちゃんとオリジナルの証拠書類が残されているそうですが、日本軍慰安婦にはそのような証拠書類は無い。

    米軍慰安婦問題も当時の証拠書類が残っており朴大統領自身が責任者だったという証拠書類もある。証拠書類のある慰安婦問題は批判されずに、日本軍の証拠書類も無く慰安婦たちの証言だけで日本が断罪されるのは不可解ですが、日本軍による強制連行が行われれば当然命令書類は存在するはずですが、いくら探しても出てこない。ドイツ軍や韓国軍が間抜けで証拠書類を焼却しなかったのでしょうか。

    証拠書類がないにもかかわらず認めろと言うのは理不尽ですが、自分たちがやっていたから日本軍もやっていたはずだと思い込んで批判しているのでしょうが、本当に強制連行していれば証拠書類があるはずだ。戦後のアメリカ軍にしても日本軍による違法行為は東京裁判などでBC級裁判として裁かれたから、慰安婦問題も強制連行していれば裁判になっていたはずだ。

    ドイツ軍の慰安婦たちは、川口マーン恵美氏の記事によれば、「売春婦として働かされたのは、占領地の女性、および、女子強制収容所の女囚である。様々な国籍の若くて美しい女性が囚人の中から引き抜かれ、全土に配置された。」そうです。しかしそのような事はホロコーストの陰に隠れて問題されていない。

    それよりも、慰安婦問題が大きな問題なったのが朝日新聞の記事であり、それが世界に配信され続けてきた。朝日新聞は日本の一流新聞と認識されており、それが意図的な誤報を報道し続けてきたとすれば朝日新聞は信用を失い潰れるだろう。本来ならば戦前においては朝日新聞は戦争を煽って来たのだからGHQによって処分されたはずだ。

    戦争を煽って来たのにGHQに処分されなかったのは不可解ですが、戦争を煽ること自体がアメリカの利益にかなう事ならば不思議でもなんでもない。アメリカ国民は戦争を望んでいなかったがルーズベルト大統領は戦争をしたがっていた。朝日新聞はだから戦争を煽って日本を戦争に引きずり込んだ功労者なのだ。だから戦後も処分されなかったとすれば筋が通る。

    朝日新聞はアメリカのプロパガンダ機関とみなせば、従軍慰安婦問題も南京大虐殺問題も冷戦崩壊後の90年代に朝日新聞が主動的に書き始めた事ともつじつまが合う。つまり朝日新聞は戦前も戦後も一貫してアメリカの意向を反映した宣伝機関であり、「鬼畜米英」と言っていながら日本国民を挑発していたのだ。

  4. ◇◆竹島を独島と呼ばせようとする都知事◆◇
     竹島を独島と呼び南朝鮮領であるとする教育が象徴的
    な、反日教育機関の用地として、23区内の貴重な土地を
    南朝鮮に貢ぐ企ての、口を隠して飲む朝鮮飲みで有名な
    都知事には、失望しました。

     南朝鮮大統領からの南朝鮮族専用の小中高一貫校新設
    要請に快諾した都知事は、本来福祉目的施設に優先的に
    割り当てるはずだった23区内の貴重な土地を、その学校
    設立のために提供する意欲が大きいようです。よりに
    よって、ひたすら事大主義に起因する小中華思想の朝鮮
    族優越主義に基づく反日教育が行われ、その橋頭堡とな
    るものが新設されことに、都知事は積極的です。もちろん、
    その学校では日本語授業はありません。日本人社会とは
    独立した南朝鮮族コミュニティーの新たな核になります。

     なぜ都知事は、日本人のための少子化対策などの福祉
    施設より、南朝鮮族の人口侵略施設を優先するのでしょ
    うか。

  5. 多分都知事の出自は半島から来ているのでしょう。幼少期の食べ癖はしつけの有無にかかわらず何気ない動作に出るものです。いわば、三つ子の魂百まで忘れずですね。関西の商家は三つまでの教育を大切にしたようです。

  6. 慰安婦いわゆる軍隊娼婦の朝日の大虚報は日本の恥です。論調転換させるのは戦前に反軍部的な論陣を張っていたのを在郷軍人会の不買運動から戦争をあおる姿勢に転換した例に倣い不買運動をするといいですね。

仁王門 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です