池田俊二著「見て・感じて・考へる」の刊行

見て・感じて・考へる 見て・感じて・考へる
(2014/10/20)
池田 俊二

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添え書きの口上  西尾幹二

 私はいつもの悪い癖で、ぎりぎりまで本書の草稿の拝読を怠っていて、著者から再校ゲラも出たのであと一週間しか待てないと言われて慌てて拝読に手を着けた。私の横着がいけないのだが、ちょうど急ぐ仕事が幾つも重なっていて、時期も悪かった。

 途中まで読んではたと困った。私が何か添え書きするのはまずいなとさえ思った。私らしき人物が登場し、その主張的立場を語っているからである。著者が私を尊敬しているというスタイルになっているだけに、私が私をプロパガンダすることになり兼ねない個所が生じている。本書の刊行を祝って口添えするのは恥しいだけでなく、厚かましくもある。しかも私の主張的立場は必ずしも正確には伝えられていない。これも当惑している点である。

 よほど添え書きをお断わりしようかと思ったが、今となっては時すでに遅く、出版に差し障りが生じるかもしれない。というより、右の問題点以外には私が発言しない理由は何もなく、本書の内容そのものは私にとって魅力的であり、ページをめくるごとに共感同感の連続である。そこで、読者はどうかご了解いただきたいのだが、私らしき人物に関する部分はなかったことにして――再校も出ている段階でそこを全部削ってくれといまさら言うのは無茶なので――そういう前提で以下をお読みいただきたい。

 著者の池田俊二氏は私の『人生の深淵について』の生みの親で、私がものを書く仕事のスタートラインに立ったときの目撃証人のような方だった。私の全集14巻『人生論集』の後記でこのいきさつを詳しく語っている。氏を「刎頸の友」とそこで呼んでいる。

 本書は一人の老人が死ぬ前にどうしても言っておきたい世の中への怒りの証言のようなものともいえるが、それは同世代の私が共有しているものでもある。文鳥はだしに使われているだけで、あらずもがなであり、文学効果をあげているとも思えない。ただ、これがないと著者は多分書きにくかったのだろう。自己韜晦の仮面に使っているのである。それほどにも怒りは深く、強く、内攻的でもあるからである。気の合う友人や元同僚、同じ思想を持ち合う二人の娘婿に囲まれている終(つい)の栖という舞台設定も、同じような仮面、表現をしやすくするための著者の工夫でもあるが、似たような生活場面が著者の日々の暮しの中にあるのではないかと推定される。そうした知的環境の中に生きている老後の「主人公」は幸わせでもある。しかし噴き出す思いは烈しく、正直で、生々しくて、ストレートである。若いときから押し殺してきた感情、官庁勤務で表現を阻まれていた思想、しかしどう考えても世の中一般の観念やメディアの通念が間違っていたことは、次第に歴然としてきている昨今の情勢である。それを考えると、何であんな分り切ったばからしさが社会を圧倒していたのか、不思議に思える。著者は若いときから完全に軽蔑しきっていた人や思想がある。しかし世の中がかつてそれらを正道のごとく担ぎ回っていた歴史がある。思えばその歴史において著者は孤独だった。その孤独感を偲べばこそ今の怒りは鮮烈である。

 その意味で本書の中で私がいちばんリアリティを感じたのは最後のエピソードである。同窓会で亡くなった二名の友への追悼演説が回想されている。早稲田のロシア文学科に行った友人が共産主義の夢から目覚めたのは新聞社のモスクワ支局長になってソ連を実地体験してからであった。「現場を見てからでなくてはほんたうのことが分らないやうでどうするか。我々は文字を持つてゐる。ものを見ずとも、文字、書物により真実を知ることはいくらでも出来る。」と著者は叫んだ。もう一人の物故者には東大の全学連闘士であった。「何が日本にとつてのプラスなのか、人類にとつてのプラスなのかを考へないのか。時の風潮といふやうなものを情状として私は認めない。」

 これでは追悼演説ではなくて弾劾演説ではないか、と本文中に対話者の相手に言われてしまうが、このエピソードはひょっとして実話ではなかろうか。同窓会でこれに似た立居振舞があったのではないか。真相はもちろん知る由もないが、この場面の扱いだけが身内や親友を相手にした室内の気安い対話ではないのである。第三者に向けた公開の口上なのである。

 そのことが何を意味するかを考えた。孤独がここだけ破裂している。

 考えてみれば私のような評論家は社会的にこの「破裂」を繰り返して来ている。第三者に向けたこの手の「公開の口上」を課題とし、職業化している。それだけに同窓会のような場面では決して口を開かない。無駄口を噤んで穏和しくしている。怒りや軽蔑感を気取られぬようにしている。本書の著者にしても平生は多分そうだろう。永年の官庁勤務の社会生活では自己を隠蔽しつづけて来たであろう。

 本書ではその孤独感がいかに重かったかをいかんなく示す。同じ苦渋を内心に深く抱えて生きている人は少なくなく、否、最近は言葉を求めてあがき出している人々がメディアの空文化の度合いに比例して増えつづけていると私は観察している。本書はそういう人々の喝を癒やすカタルシスの書でもある。しかし、ただ単にそういうことに心理的に役立つ一書であるのではなく、戦後の日本の病理学的な「心の闇」がいまだに克服しがたく、ここを超えなければ今後の日本に未来はないことへの倫理的な処方箋を、思いがけぬ裏側の戸口を開いて見せてくれた一書であるといえるだろう。

 尚、文中に出てくる鴎外、漱石、荷風の文学、あるいは乃木大将をめぐる文学談義の質の高さは、本書が高度な趣味をもつ文人気質の知識人の筆になることをも証してくれている。著者が旧仮名論者であり、福田恆存の心酔者でもあることをお伝えしておく。

平成26年9月23日

「池田俊二著「見て・感じて・考へる」の刊行」への7件のフィードバック

  1. >著者が旧仮名論者であり、福田恆存の心酔者でもあることをお伝えしておく。

    舊漢字・舊假名遣ひの件で前囘の私の質問に對して先生から御囘答をいたゞいた氣がします。小學校から當用漢字・「現代仮名遣い」で刷り込まれた私は、それが基準になり高校時代に古文が嫌になりました。しかし、岩波文庫等で明治・大正時代・昭和初期の名文を讀むには舊漢字・舊假名遣ひに慣れていかないと讀めなくなる。そして谷崎潤一郎の「文章讀本」を讀んで、その文章の美しさに舊漢字・舊假名遣ひこそ本物ではないのかと感覺的に氣附く譯です。また、通信教育のZ會で齋藤秀三郎の「熟語本位 英和中辭典」や漢和辭典でも簡野道明の「字源」を獎められても舊漢字・舊假名遣ひの爲に敬遠してゐました。我々の世代は戰後教育の御蔭でさう云ふ學生が増えて、たうたう上記の名著を絶版に追ひやつて仕舞ひます。そしてどうしてさう云ふ名著が讀めない世代が増えたかといふと終戰直後のGHQの存在が浮上してきたのです。有識者會議と云ふあたかも民主主義的な會議と云ふ名目で強制的に變へられたことが判るとアメリカの日本の根源的な思考の源を破壞する行爲を許せなくなりました。先生のブログで焚書までさせられてゐたことも判明します。今後、憲法を改正する時は現行の舊漢字・舊假名遣ひで書かれたものが文法的にも矛盾だらけの當用漢字・「現代仮名遣い」に改惡されると思ふと恐ろしくなります。

  2. デファクトスタンダード(de facto standard)

    Q:現代仮名遣のどこが気に入らないの?
    A:永年使はれてきた歴史的かなづかひを簡單に捨てて、その後より改善された假名遣が來ると思ひきや殘念な部分も多く、しかもそれらが國語學者たちの長い檢討と討論の末決つたり、國民の意見を聞いたり等ではなく、一部の表音主義者(言葉は發音通りに書くべきとする人)が密室で非民主主義的に決定して、あたかも「クーデター」のやうに變つてしまひ、簡單に戻すことが不可能になつてしまつたことです。

    Q:舊字舊かなは軍國主義的な政府による押つけで、現代かなづかいは「みんなが使いやすい日本語」を民主主義的に採用した良い改革だったのでは。

    A:意外にも事實は全く逆です。舊字舊かなは「デファクトスタンダード(de facto standard)」つまり政府の命令ではなく民間から發生した事實上の標準になり、長い年月を掛けて釀成されてきた國語を、明治政府が追認・整理したものでしたが、新字新かなは、それを簡單に捨てて、政府が一方的に決めた國語を國民に使はせたものでした。歴史的假名遣は法律で全面禁止されたわけではありませんが、日常生活で現代仮名遣を使はざるを得ない状況に追ひ込まれたり、(丁度韓國で漢字を讀めない世代を作り出す教育がなされたのに似て)舊字舊かなを讀めない世代を作り出す學校教育によつて、現役の國語表記としては絶滅寸前まで追ひやられたのです。

  3. >カーステン ソルハイムさんへ
     少し誤解があるように思います。江戸時代まで仮名遣いは混乱をきわめていました。日本語の内部に混乱の原因があるからです。明治政府が、契沖仮名遣いをもって奈良時代の用法を正とし、統一しました。統制したのは政府です。

     新仮名はGHQが介入する前に日本陸軍が採用し、使用していました。砲兵(はうへい)、焼夷弾(せういだん)、召集(せうしふ)、火薬(くわやく)などが読みにくくて不便だからです。

     拙著『江戸のダイナミズム』第17章をごらん下さい。

     旧漢字の復活は正しいと思いますが、旧仮名はどうでしょうか。次のような区別を国民に要求するのは間違っていると思いませんか。

    小用(せうよう)、従容(しょうよう)、
    称揚(しょうやう)、賞揚(しゃうやう)、
    商用(しゃうよう)、逍遥(せうえう)、

     第17章をよく読んで考えてください。

  4. 西尾先生のあげられた、小用(せうよう)、従容(しょうよう)、称揚(しょうよう)・賞揚(しゃうやう)商用(しゃうよう)逍遥(せうえう)は
    いづれも、字音かなづかひです。

    これは歴史的かなづかひ(旧かな)の一種ともいへますが、故萩野貞樹先生によると「昔の人が・・・シナ語の音を仮名で転写したものです」「原音に近いのではないかと昔の人が思っただけです」「どうせおぼえきれない」「仮名で書きたいときは調べるしかありません」「漢語は漢字で書くのが普通なので心配はいりません」と言つてゐます。

    福田恒存も「漢字の『かながき』であつて、厳密にいへば『かなづかひ』ではない」「『路地』はつねに漢字で書くとすれば、それが『ろじ』だつたか
    『ろぢ』だつたかは覚える必要はないのです。漢字を知らぬうちには発音記号として『ろじ』と教へておけばいい」「もし長じて、言葉に敏感になり、なかには文士を志すものが出てきたとすれば、そして、かれがたまたま『路地』を正しくかながきにしたいと洒落を起したとすれば、その洒落気にたいして、辞書を引き、語源を尋ねるくらゐの労は払ふべきであらう」「私は最初から(漢)字音のかながきは、発音どほりでよろしからんと申してゐるのです」との説です。
    以上、いづれも拙著『日本語を知らない俳人たち』に引用させてもらひました。

    字音かなづかひといへどもとことん遵守すべしといふ意見も、ごく一部にあるやうですが、我が国語問題での師たる上記のお二方は、その必要なしとおつしやつて下さつてゐますので、私はこれに甘えて、覚える努力はほとんどしてゐません。
    西尾先生の6例の区別など全くつきません。さういふ要求をされても、とても応じられません。
    以上、私が常用してゐる正字対応のソフトだとうまく送れませんので、「新字体」用の普通のソフトで書かせていたできました。

  5. 4.>西尾幹二先生
    わざわざ御囘答いたゞきまして、ありがとうございます。關口存男の『趣味のドイツ語』を讀むと舊漢字・「新」假名遣ひでした。私は舊漢字・舊假名遣ひだと思ひ込んでいました。齋藤秀三郎の『熟語本位 英和中辭典』は舊漢字・舊假名遣ひです。私は關口存男や齋藤秀三郎等の渾身の著作が絶版に追ひやられてゐることが悔しくてなりません。彼ら以上の本があるでせうか?『字源』を含め、それらの名著を絶版にしてしまつたのは私のやうな小學校から當用漢字・「現代仮名遣い」で刷り込まれた學生です。舊漢字・舊假名遣ひに拒絶反應が出てゐるやうでは戰前の名著を原書で讀むことが出來なくなります。私はそこに危機感を感じてゐます。西尾先生のやうな知の巨人相手には何も言へませんが、早速、『江戸のダイナミズム』を購入して反論があれば、また、書き込ませて下さい。
                               御禮まで

  6. >池田 俊二先生

    御助言を賜り、ありがたうございます。
    とてもよく判りました。
    昨日、グラフィック・デザイナーと仕事で會ふことになりました。彼が云ふには機能的でなければ美しくないと云ひます。學校のベランダに何かを設置してしまひ、それが原因で兒童が手すりから落ちる事故があつたとしたら、それがどんなに美しいものでもデザインとしては失格だと云ふやうなことを話してくれました。
    私は舊漢字・舊假名遣ひが美しく思へてなりません。「言う」の未然形が言「わ」ないとワ行で終止形は言「う」とア行では文法的にもデタラメです。舊假名遣ひなら未然形は言「は」ないでハ行、終止形も言「ふ」でハ行で統一されています。どちらが理に適つてゐるでせうか。
    學書のやうなむづかしい事は判りませんが、「眞理は美しい」また、「美しいものは眞理」だと思ひます。
    萬が一、憲法が改正されたら現行の舊漢字・舊假名遣ひを變へられる思ふとぞつとします。しかし、所詮、現行の憲法がGHQ憲法ですからどうでもよいとも思ひます。

    私は、舊漢字・舊假名遣ひがうまく書けないので「契沖」と云ふソフトで變換しています。變換を忘れて「現代仮名遣い」を使つたりしても氣附かないレベルの人間です。
    現行の出版物が「現代仮名遣い」の洪水であり、小學校から刷り込まれたものを修正するのは本當に難しいです。

  7. カーステン ソルハイムさん

    本質をついた御指摘ですね。

    福田・萩野兩先生が問題にしてをられるのは、
    漢字音の書き方ではなく、仰せのやうな、本來
    の日本語の表記です。
    「言ふ」(歴史的かなづかひ)と「言う(現代
    かなづかい)」では、どちらが合理的で、正
    統かといふことです。
    前者だと、未然「言は」、連用「言ひ」、終止
    「言ふ」、連體「言ふ」、已然「言へ」、命令
    「言へ」と、ハ行で一貫してゐますね。
    「言う」(現代かなづかい)では、未然「言わ」、
    連用「言い」、終止「言う」、連體「言う」、已
    然「言え」、命令「言え」と、ワ行とア行の間を
    行つたり來たりしますね。同じ語が活用により、
    かく變るとは、原理上あり得ないことです。「表
    記は語に隨ふべし。音に隨ふべからず」といふ鐵
    則に反してゐるからです。

    あるいは「書く」といふ4段活用動詞に意志の助
    動詞「う」を接續させる際、どう書くか。歴史的
    かなづかひでは「書かう」、現代かなづかいでは
    「書こう」です。前者の「書か」は「書かない」
    の「書か」と同じく、未然形です。しかし「書こ」
    などといふ日本語はあり得ません。隨つてはいけ
    ない音に隨ふから、このやうな珍現象が怒るので
    す。

    私は54年前に福田恆存の『私の國語教室』が世
    に出ると同時に歴史的假名遣に轉向しました。
    そして、10年くらゐ前にパソコンを始め、間も
    なく、ソルハイムさんと同樣契冲を採用しました。
    しかし、未熟な私が契冲で書いたものは、どういふ
    わけか、コメント欄には送れません。ですから、4
    のごとく、普通のマイクロソフトによりました。い
    ま初めて契冲によつたものを、愚妻に頼んで、怒ら
    れなながら、「貼附け」とやらにより送ります。う
    まくゆきますやうに!

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