阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム「第二十二回」

西尾幹二先生のアフォリズム 第8巻 教育文明論 より
坦々塾会員 阿由葉 秀峰

(8-1)なにかをするための自由ではなく、なにもしないですますための自由

(8-2)子供の躾や教育に関して、親と学校の間に分担領域の明確な区分がなく、親はなにからなにまで学校に期待しているくせに、学校のやることは信用がならんと疑わしい目で見つめ、子供の面前でさえそう公言して憚らない親もいるほどである。

(8-3)普段から、なんでも蟠(わだかま)りなく口にし、ある程度無遠慮に内心を打明けているような家族同士であれば、ことさらの「話合い」などまず必要がないのである。そういう雰囲気が家庭のなかに醸し出されているのかどうかは、親の責任、ことに父親の責任である。永年にわたる彼の生き方が、家庭内の空気を決めているのである。いい空気が得られるかどうかは、父親の社会的地位の上下とはなんの関係もない。

(8-4)大人が競争したくないために、子供の世界にそれを押しつけている。

出展 全集第八巻
「Ⅰ 『日本の教育ドイツの教育』を書く前に私が教育について考えたこと」
(8-1) P11 上段「今の教師はなぜ評点を恐れるのか」より
(8-2) P23 下段「わが父への感謝」より
(8-3) P29 上段「わが父への感謝」より
(8-4) P48 上段「競争回避の智慧と矛盾」より

「阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム「第二十二回」」への4件のフィードバック

  1. 「私の言っていることは人種差別ではありません。それぞれの国民が生まれた土地のアイデンティティを大事にし、美しさを守るのは他者への尊重と言うべきでしょう? 私が移民に反対するのはそういうことからなのです。
     ところが我がフランスでは、社会主義的な考え方から、たとえ不法労働者でも同じように扱うという思想がある。(中略)それどころか失業保険をつけ、教育も医療も補助を受けられる。そうなると自分の国なんか放り出して、何もしなくても100倍のカネが入るフランスに来るわけですから」

    「気を付けなくてはいけない。日本が少しでも気を緩めると移民に占拠されますよ。私は5年前にイタリアの人々に言ったんだ。今のうちに移民対策をプログラムに入れておかなければ駄目だと。いやウチは移民を出すほうだと本気にしなかった。ご覧なさい。150万人の移民が入ってきている。ヨーロッパの一番貧しい国でも第3世界の一番金持ちのところにくらべたら、ずっと上なんです。日本もここからが正念場ですよ」

    http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20141026/dms1410261145005-n1.htm http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20141026/dms1410261145005-n2.htm

    http://www.news-postseven.com/archives/20141028_280848.html

    これは、今から22年前、あるジャーナリストが、フランスの国民戦線のルペン氏にインタビューした際の発言です。当時彼は、「ヒトラーの再来」と呼ばれ、メディアからリンチと言っていいほど叩かれていましたが、決して移民反対の意見を変えようとはしませんでした。
    現党首は、彼の娘ですが、国民戦線は支持を拡大し、党首は次期大統領の可能性まで出てきました。
    ルペン氏が指摘したイタリアはどうなりましたか?移民によって、治安の悪化、暴動、不動産価格の下落、産業の破壊、社会保障費の増大、その結果による年金の減額という事態になり、現政権は移民の制限に懸命です。
    犯罪の三分の一は外国人、暴動の発生、移民同士の違法薬物の取引から銃撃戦まで発生し、治安維持のために軍隊を展開する羽目となり、内相が移民への寛容を後悔する声明を発表、荒れ果てた移民居住に壁を建てようとする声もあるほどです。
    イタリアだけでなく、移民を入れた国は例外なく社会が混乱しています。
    わが国はどうでしょう?外国人が増加してどうなりましたか?外国人による殺人、強盗、婦女暴行、詐欺、麻薬、自動車窃盗などの犯罪や不正によって、今や全国の刑務所は外国人であふれかえり、府中刑務所では、囚人の2割が外国人です。対応言語は、40以上で、宗教も習慣も思考回路も異なる多種多様な外国人を押し付けられ、悲鳴を上げています。これが、移民推進派のいう多文化共生社会なのでしょうか?

    今や外国人の生活保護費用は、年間1200億円であり、毎年5千世帯ずつ増加しております。それどころか、不正受給もたはつしております。先日、某タレントのバングラディッュ人の父親が医療費の不正受給で捕まりましたが、これが氷山の一家であることくらい小学生にでも理解できるでしょう(不正受給で捕まった外国人は、皆がやっていたので真似た、他の人にやり方を教わったと証言しています)。
    脱税、地下銀行を通じた不正送金、そして社会保障費の不正受給。外国人が増えれば、増えるほど、日本人の富が外国人に奪われ、海外へ流れていくことになるわけです。移民を入れれば、社会保障費の担い手になると、移民推進派は、得意気に語っていますが、現実を知らずに能天気なことを言うなということです。今や日本人が、外国人に食い物にされているのですよ。

    外国人の比率が1割を超える群馬県大泉町では、現在外国人の高齢化、生活保護受給者の増加、税金の滞納によって、町は深刻な財政難に陥りました。
    高齢化対策のために移民をなどといっていますが、事実上の移民である外国人労働者の高齢化が現場では、深刻な問題になっているのです。
    この町の町長は、「国は移民問題の本質を、まるでわかっていない」と雑誌のインタビューで答えていますが、

    埼玉県議員の鈴木正人氏(チャンネル桜に出演なさったことがあります)によると、埼玉県の川口市の団地では、中国人の入居者が増え、そのため居住環境の悪化に耐えられず、住民達が次々と引っ越しているそうです。自発的な引っ越しですが、追い出されたも同じです。私の知人が、私用で川口市と隣の蕨市に足を運んだことがあるのですが、市民の外国人、特に中国人、韓国人をよく言う人はいなかったとのことです。ルールも守らず、自分達でかたまり、やりたいようにやり、そのくせ貰うものだけは、しっかり貰うからです。口にこそ出しませんが、可能なら追い出したいと思っているようです。

    群馬県の大泉町にせよ、埼玉県の川口市にせよ、外国人が流入することで、地域住民が課せられる負担、深刻な問題など、当事者でない移民推進派は、机上の理想論だけで片付けようとします。
    現実に外国人を押し付けられた行政、教育現場、地域住民の苦悩を理解するべきでしょう。

    22年前、ルペン氏を取材したジャーナリストは、今年欧州を取材し、移民によって社会が劣化している現状を目の当たりにしました。
    そして、「移民は、日本文化を破壊し、日本を日本でなくしてしまう」と断言しています。日本が日本でなくなることが、日本の未来のあり方なのでしょうか。日本が日本でなくなれば、日本という国の価値が、消滅することを意味しないのでしょうか?
    多文化主義の美名のもと、その国々の特色をなくすことは、世界的、文化的視点からみれば、間違いなく損失だと思います。

    22年前、ルペン氏は、こういいました。

    「あなたは日本人だ。日本人には日本の国家というものがある。
    これが世界を面白くしている。国家のボーダーを取りやめて、
    一緒になろう、仲良くやりましょうなんて、そんなのは子供のそら言だ」

    一歩国外へ出れば、世界のどこかで、人種、民族、宗教、宗派の対立で、血みどろの殺しあいが繰り広げられています。南方の島々で、機械文明と無縁に暮らす人々が、弓や槍で部族間抗争に明け暮れていますが、私達は彼らを「未開の蛮族」と呼んで笑うことなどできない現実が、広がっているのでしょう。
    ルペン氏の言う通りです。平和のために多文化主義を否定し、移民受け入れを拒否するべきなのです。

  2. >ウミユリさま
    いつもコメント有難うございます。

    22年前のルペン氏の言葉・・・・・・

    日本人は子供の空事が大好きだから、
    気をつけなくてはなりません。
    今が正念場です。

    教育現場でも多文化主義は善であると教えられています。

    共生ならまだいいのですが、
    結局片方が壊されてしまいます。
    インカの教訓で、お人よしは滅亡されると思います。

  3. フランスの人口学者であり、移民問題の研究家であるエマニュルトッド氏は、20年前に「移民の運命」という本を著し、「多文化主義は、移民を社会的に孤立させ、原理主義へ傾倒させている」と分析しています。
    欧州で、イスラム系の移民の二世、三世が原理主義に走り、テロ活動を行った背景を20年前に予見していたのです。
    彼は、20年前に多文化主義が失敗であることを見抜いていたのですね。

    http://dutchphotos.blogspot.jp/2012/07/blog-post_17.html
    このサイトは、オランダ人と結婚した日本女性のものですが、オランダは多文化主義の失敗から、移民がスラム街を形成したり、移民同士が衝突するなどの深刻な事態があるそうです。
    移民を入れることは、国外の人種、民族、宗教、宗派の対立を国内に持ち込むことになるのですが、移民推進派は、まるでわかっていないようです。
    彼女は、「移民受け入れを主張する人たちは、オランダに一年間くらしてみるべき」と書いておられましたが、現実から乖離した理想主義的な移民推進派は、国外の移民問題の苦悩を知るべきでしょう。
    人類の歴史は戦争の歴史であるとよく言われますが、それは同時に文化対立の歴史、民族紛争、宗教紛争の歴史でもあるのです。
    移民が原因で戦争に発展した事例は、過去に幾らでもあり、二十一世紀においても、アフリカのコートジボワールが、移民問題と宗教対立がこじれて凄惨な内戦に発展した事例があります。
    多文化主義など、移民を不幸に追いやる愚行であり、異文化を混ぜることは、戦争の引き金になることさえあるのです。

  4. >(8-3)普段から、なんでも蟠(わだかま)りなく口にし、ある程度無遠慮に内心を打明けているような家族同士であれば、ことさらの「話合い」などまず必要がないのである。そういう雰囲気が家庭のなかに醸し出されているのかどうかは、親の責任、ことに父親の責任である。永年にわたる彼の生き方が、家庭内の空気を決めているのである。いい空気が得られるかどうかは、父親の社会的地位の上下とはなんの関係もない。<

    私の記憶を辿っても、おそらく父親と自分の進路や将来の相談などをした記憶はほとんどない。もっぱら父親とは商売の話や過去の親父の経験談を聞くのがせいぜいで、父親から自分の生き方をどうすべきかというアドバイスを聞こうとしたことはほとんどない。
    私にとっては父親は一番身近な社会人だったということなのだろう。
    「親」という役割の前に父親は家族の中で一種冷徹な社会人として、子に接していたほうが健全なのではないだろうか。
    しかしその構造が今はかなり崩れ、母親が密接な親子を演じたり、時には冷徹な社会人を演じていたりしているような、まことに子供にとっては難解な人間関係社会になり落ちていはしないだろうか。

    父親不在という現実が、今の日本の大きな社会問題と化していることを、意識しなければならないのかもしれない。

    実は我が家でも問題はいろいろあり、私も女房も子育てという点で頭を悩ましている。どうしてもそのことが頭から離れないため、女房のストレスは募る一方である。介護苦労と似たような一種独特のフラストレーションが家庭内にある。
    親とは言え子供が厄介な存在にさえなり、どうやって子供と理解し合えるかで頭を悩ます毎日である。

    しかし私が先日疲れて帰ってきた際、子供がたまたま台所でくたっている私の横に座り、「お父さんおつかれさん」と声をかけてきた。
    子供とどう接するか悩む前に、私の意識の中はとにかく今の自分の仕事環境の厳しさをただ子供に素直に打ち明けるしかなかった。
    素っ裸な自分の心境を子供は素直に聞き入っていた。
    もちろんそれ以上の言葉は子供に投じないように、ただ自分を語ることに専念した。

    それがどう子供に伝わったのかはわからない。でも子供の目を見れば私の「愚痴」もけして無駄ではなかったと確信している。

    結局子供にとって親は切り離せない存在なのだろうが、必要以上に接近されるとかえって抵抗したくなるものなのだろうとその時感じた。
    ぐたぐた説教を言うより、子供を一人の大人と認め、自分の苦労をさらけ出して、そこにある自分の本性を子供に知ってもらう気持ちのほうが、本当は子供が一番聞きたい親の本音なのかもしれないと、その時思った。

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