阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム「第二十八回」

(8-33)要するに知能指数の高い高度能力の所有者を、十八歳段階で、幾つかの特定の大学(最近では有力私大もこの中に入りますが)がほぼ完全に独占してしまう構造に、日本の教育組織の最大の難点があるのです。だからこそ予備校や塾は繁昌し、進学競争が幼稚園児からスタートするという日本の最悪の教育環境が国民を苦しめつづけているのです。

(8-34)競争を鎮めるために、学校の数を増やせば増やすほど、「格差」は逆に大きくなり、ヒエラルヒーの上下の差は広がり、上を不必要に押し上げ、下を無意味に押し下げるという力学が働くように思えます。

(8-35)日本の教育から自由競争はすでに完全に消え失せているのである。大学の固定した序列構造に群がる非生産的な競争はみられるが、真に公平で、健康な自由競争はすでに存在していない。

(8-36)例えば、私は否定でしか語らない。否定しなければ現実を明確に捉えることが出来ないからですが、同時に、ある事を否定することで私は何か別のことを肯定しています。私の肯定の仕方はいつもそういう性格のものです。従って最初からストレートに希望や期待を語ることを好みません。

(8-37)学問は認識の世界だが、教育は認識の対象で終わって良いのだろうか。教育は文献学や歴史学と違って、一歩行動に踏み込んで初めて分かってくる世界ではないだろうか。教育についていくら正しい認識を持ち得ても、現実を少しでもその正しい認識に近づけなければ意味がないともいえるのではないか。

出展 全集第八巻
「Ⅳ 第十四回中央教育審議会委員として」
(8-33) P424 下段から425上段「飯島宗一氏への公開状」より
(8-34) P447 下段「日本の教育の平等と効率」より

「Ⅴ 教育と自由―中教審報告から大学改革へ」
(8-35) P469 下段「中教審答申を終えて」より
(8-36) P478 下段「第一章 中教審委員「懺悔録」」より
(8-37) P491 上段「第一章 中教審委員「懺悔録」」より

「阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム「第二十八回」」への1件のフィードバック

  1. 私は教育にはかかわりのない人間ですが、いろいろな噂を聞くとやはり気になります。最近聞いたのは大学の教育課程の授業で「新しい歴史教科書をつくる会」が話題となり「西尾幹二会長が代表をつとめた会である」と説明した後に「南京大虐殺は無かったとか侵略を美化した教科書である」とレッテルをはりつけたそうです。しかもその講師は団塊世代とかではなく30代の中年であったとのこと。やはり教育学部とはいまだそういうところのようです。
    また先月、早稲田際に行ってきましたが、そこで各学部の日本史入試問題が陳列していたので(もっとも最近は大学過去問はネットで見れますが)比較してみたのですが、中国人を何万人も強制連行したなどと記載しているのは教育学部の日本史だけです。他の学部は比較的まともに思いました。
    救いがあったのは早稲田際で田母神氏の講演イベントを開催していたことです。むかしなら抵抗があって無理だったのではないでしょうか。
    ただ残念ながら最近の田母神氏は憲法破棄とか、また聞きようによっては家族制度の復活ようなものを目指しておられるように聞こえる。こういう発想では日本の左翼には永久に勝てないと感じざるをえません。家族を大事とする法律があるから家族を大事にする人間が増えるのではなく、家族を大事にする人間が増えるから家族を大事とする法律が形成されるのでしょう。しかし現代は法律で束縛して人間の道徳を形成させることは不可能だし不要だと確信しています。
    日本の歴史を尊重しながら穏健な自由主義的精神をもった日本人の層が厚みを増してこそ左翼の縄張りが縮小していくと思っています。大学授業などではかつて慰安婦ネタがときどき聞かれましたが、最近は日本人の良識派ががんばって朝日新聞を追い詰めたせいで、訳のわからない慰安婦問題主張派は少しづつ影をひそめてきたように感じます。
    あと極論であり実現不可でしょうが教育学部はつぶせと思います。教育とは何の関係もないところではないでしょうか。

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