阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム「第二十九回」

(8-38)世界と人生において、われわれの出会う問題のすべては複雑だが、解決の手口がすべて複雑だとは限らない。否、単純な解決を目指して一直線に進む情熱がなければ、どんな問題も解決には至らない。そのためには問題の形態が単純にみえてこなくてはならない。

(8-39)いわゆる教育の世界では、人間性の暗い側面や、社会の発展に逆行する価値に権利を与えるという考えがそもそもない。死への心構えも近代の教育学のテーマにはならない。悪の魅力にも正面から目を向けることはしない。これでは人間性の半分に目をつむっているにも等しいのだ。教育という言葉に信頼が寄せられない所以である。

(8-40)教育学者や教育官庁や教育関係者に失望してもいいが、日本の子供たちに失望してしまうわけにはいかない。日本の学校教育に絶望してもいいが、子供の未来に絶望するわけにはいかない。日本の社会をみすみすそうと分っている病理の淵から救い出さないでおくわけにもいかない。
 ここにある意味でわれわれのディレンマがあり、問題の発端がある。

(8-41)文部省は、実際には、「明日にも」対応し解決しなくてはならない課題に取り巻かれているはずなのである。ただその課題を見ていないだけである。

(8-42)十八歳以下の子供たちも、できるだけ他人と同じ学歴を得ようとして受験競争をするのだとしたら、それはじつは競争心理ではない。他の存在と同じでありたいと思うのは、要するに競争回避心理だからである。

出展 全集第八巻
「Ⅴ 教育と自由―中教審報告から大学改革へ」
(8-38) P495 下段「第一章 中教審委員「懺悔録」」より
(8-39) P496 下段から497上段「第一章 中教審委員「懺悔録」」より
(8-40) P497 下段から498上段「第一章 中教審委員「懺悔録」」より
(8-41) P518 上段「第一章 中教審委員「懺悔録」」うpろ
(8-42) P534 上段「第二章 自由の修正と自由の回復」より

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