2015年の新年を迎えて(四)

以下はこの動画に寄せられたコメントです。

-BERSERK HAWKWIND
2 週間前 (編集済み)

大変教養に富むお話、ありがとうございました。伺っていて整合性を考える必要性を感じた事を一点申し上げます。共産主義が創作された時点よりも以前では、国家対国家という構図からの考察でも全体を合理的に説明できると考えました。一方、その後では実際にはアメリカ自体も国際金融資本に支配されてしまった、という現状を考えると、実際にはやはりイギリスの”支配層”、いわゆる一部のユダヤ系と便乗集団が、アメリカを通じて制空権を抑える、更には”制宇宙空間権”を抑えることで世界のコントロールしようとしている、と考えるのがより全体を合理的に説明すると考えます。更にイギリス自体も中央銀行はアメリカと同じく彼らの手中ですから、国家間の対立構造が見えつつも、やはり特に共産主義発生後は彼らの意図の上で操作されてきた、と考えると、より辻褄が合うと考えます。

Kimiaki Ohyama
2 週間前

西尾先生の話、断然面白い。イギリの制海権、アメリカの制空権と金融支配の歴史。さて、今の日本政府は防衛上支邦を封じ込めるためどうする。支邦の東シナ海から太平洋への進出。将来、正面から東京を攻撃される可能性は十分ある。政治家も防衛上の見識を高め、大いに議論すべきである。又、実際に予算を付けて、支邦封じ込めのため、防衛設備を増強すべきである。

清水光裕
1 週間前

西部先生といい西尾先生いい今年の対談は良いですね。
私が20代~30代にかけて薫陶を受けた(勝手に思い込んでいる(笑))巨匠のお話。
お二人が日本を憂うる気持ち、日本人(瑞穂の国に住む人々)を誇りにし愛している事がうかがわれます。・・・(西部先生は照れ隠し皮肉屋さんの高杉晋作、西尾先生は心配性の吉田松陰ですかね、すみません。)
保守思想を突き詰めると三島文学などを読んだりして、行きつく先はニヒリズムの肉体言語に陥りがちですが、西部、西尾両氏の考えでどうにか踏みとどまれます(笑)。
言語の可能性という中に。
そして、日本も捨てたものじゃない、がんばらねば。・・・とね。

Momo Fuji
2 週間前

明けましておめでとうございます。
西尾先生の大ファンです。GHQ焚書図書開封の本も、西尾先生ご自身の教養の深さも日本の宝物で、国を愛する日本人みんなが、この国の歴史や文化をよく知り、考え、共有していくことが、これからの日本に大事だと思います。これからも末永くお元気で決して無理はなさらずに、『日本の未来のために』よろしくお願いいたします。

「2015年の新年を迎えて(四)」への3件のフィードバック

  1. やはり何だかんだ言っても、欧州の貴族や富裕層は、欧州以外の土地で「壮大なチェス」をやっていたのだと感じます。しかもそれは、現代もその本質は大して変わっていない。

    数年前から思っているのは、あの「新大陸」が無かったら、我が国の国体は果たして在ったのか?という歴史の皮肉です。

    イスラムやロシアの「強さ」が、欧州各国の、海洋への可能性を膨張させ、その結果、あの大陸に「お化け」を作り、欧州各国が、そのお化けに心酔して、騒ぎ立てていたその間が、我が国の「江戸時代」だとするなら

    あの大陸の存在が、我が国の時を稼ぎ、在る意味の砦として機能していたのかも分かりません。

    歴史は一枚の布ですが、その様な時間に照らしながら眺めますと

    まるで数百万のネイティブアメリカンの死や、マヤやアステカの死も、我が国体の建立に不可欠で在った気がしてきます。まるで彼等が「時を稼いだ」様な錯覚すら覚えるのです。

    そんな「二つの国」、更に言えば二つの文明が、西尾先生が良く言われておられる「20世紀にぶつかるべくしてぶつかった」のだとする背景に見る時、壮大なまでの歴史の皮肉を生々しく感じるばかりです。

    米国が無ければ、我が国体は無かったかも知れない。
    我が国体が無ければ、大東亜戦争すら無かったかも知れない。

    よくある話で、「果たして米国は乗っ取られたのか?」という話題がありますが

    個人的には本質は何も変わらないと感じます。

    思うのは、それが「本当に」プラグマティズムなのか、実は狂気的なまでの神への信仰、或いは嫌悪から来るものなのか、その「根」が見えない。

    空を覆う爆撃機の編隊を「天使の群れ」だと言い
    DNA螺旋を「神の設計図」だと言い
    最近では、ヒッグス粒子を「神の粒子」と言う。

    やはり西洋とは、未だバベルの塔を夢見てて、あらゆる学問は、神への階段への手段だと考えている。

    我が国との、圧倒的なまでのこの相違

    もしかしたら、我が国が彼等を見る以上に、彼等は我が国を、驚異、或いは狂気と捉えるものがあるのやもしれません。

  2. なにやら波乱含みの2015年、その幕開けにふさわしい新春対談を興味深く拝見しました。ところで、「レバレッジをかける」というのは(金融市場では一見、複雑精緻な仕組みが作られていますが)、端的にいえば、たとえば元手が100円あれば、それを証拠金として1000円まで博打に参加することが出来ますよ、ということです。勝てば大儲け、負ければもちろん払わなければならないか、負債で残ります。いわゆる「ハイリスク、ハイリターン」の投資(投機)行為ですが、おおむね素人とか人の好い方が負けるように出来ているのではないでしょうか?なお博打で絶対に負けない人たちもいます。それは「賭場」の運営者たち(金融機関、保険会社、格付機関、会計士、弁護士エトセトラ・・)です。

  3. 西尾先生、西部先生の読者です。貴学達と同世代で不肖小生も現役の現場職人として大東亜戦争を依然として闘っております。鬼畜米英は死語ではないと思いますが、一神教のドグマを克服する戦いが今後も続いて行くのだと思い、貴兄達のご活躍を応援し見守って参ります。

Tukuyomi へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です