講演 ヨーロッパ「主権国家」体制は神話だった(決定稿)(三)

            (三)

 「暴力」が基本にあった・・・。正論12月号にホッブスを例に、中世のもっぱら暴力について書いているので憶えておられると思います。

『西洋の歴史は戦争の歴史といったが、イコール掠奪の歴史でもあった。掠奪は経済活動ですらあった。』 『略奪し強奪しあうことこそ人間の生業であった。それは自然法に反すると考えられるどころか、戦利品が多ければ多いほど名誉も多いと考えられた。』

 その実例をここではたくさん書いています。どれか一つだけ例を挙げると分かり易いのですが・・・、一番最初に私が書いたトーマ・バザンの「シャルル七世の歴史」の一節からとった、分かり易い具体的な例です。読んだ人は知っているかと思います。

『この辺りでは畠仕事は都市の城壁の中、砦(とりで)や城の柵の中で行われる。それ程でない場合でも高い塔や望楼の上から目の届く範囲内でなければ、とうてい野良(のら)仕事などできなかった。物見の者が、遠くから一列になって駆けてくる盗賊の群を見付ける。鐘やラッパはおろかなこと、およそ音のする物はことごとく乱打されて、野良や葡萄畠で働いている者たちに、即刻手近かの防御拠点に身を寄せよと警報を伝える。このようなことは、ごくありふれたことだし、またいたる所で絶えず繰り返されたのである。警報を聞くと、牛も馬もただちに鋤から解放される。長い間の習慣でしつけられているから、追うたり曳いたりするまでもなく、狂わんばかりに駆けだして安全な場所へと走って行く。仔羊や豚でさえ、同じ習慣を身につけていた』

 要するにそれぐらい無法なんです。今の「イスラム国」を見てください。無法でしょう?これはイスラムでなくヨーロッパの話なのですが、近代国家が生まれる前の「中世がえり」。世界は中世に近付いているということで、皆さんに今この話をしているわけです。

 

『だから、大土地所有者は武装集団を抱えていたし、民衆も武器を常時携えていた。僧侶ですら武装していた。橋も砦になり、教会は城塞として造られ、僧院には濠、跳ね橋、防柵があり、地下牢や絞首台まで備えている所もあった。僧院や聖堂は掠奪の標的になり易かった。』

 暴力がいたるところに偏在しているで点は、平安末期の日本も恐らくそうでしょう。でも上に聳え立つ公権力が成立していれば、ことにそれが武家集団であれば、それほど無秩序にはならないんですね。ヨーロッパ中世には国家がないんですよ。国境がないんです。あったのは教会なんです。全体として、カトリック教会そのものが国家だった。これは精神的権威であっても政治的権威ではありませんから、ホッブスが「万人の万人に対する戦い」と言った姿が、ヨーロッパ中世の姿であった。

 戦争が日常であり、掠奪が合法であり、反逆とか復讐とかが当たり前なこととして横行していわけであります。Fehde(フェーデ)という言葉があるのですが、フェーデというのは、プライベートな戦争のことです。

 他人に対する想像力がひどく弱い時代で、相手の痛みの感じ方が無かったのではないか。例えば目玉をえぐり出すという刑罰がありました。しかもこれは「お情け」であった。「死刑にしないでやるから」と・・・。これは、最近の「イスラム国」の残虐処刑を思わせます。人類はあっという間に千年を飛び超えてしまったのではないかと・・・。

『今の中国大陸もある程度そうかもしれないが、すくなくとも蒋介石時代の支那大陸はそうだった。あるとき黄文雄氏が「戦いに負けた方は匪賊になり、勝ち進んだ方は軍閥になる」という面白い言い方をされた。』

 私は名言だと思い憶えていますが、国家というものが無かった時代の大陸の無法状態の中で、強盗集団が軍事力になり軍閥になる。地方権力になる。だから今中東で起こっていることがまさにそれであります。

『 面白いのは8世紀の西洋のある法典にも似たような規定があることだった。ウェセックス国の法典第十三条に、7人までは窃盗、7人から35人までは窃盗団、それを超えるものが軍隊である、という規定がある。盗賊と軍隊との違いは単数の相違でしかなかった。』

 まだ国家意識とかいったものもはっきりしなかった時代の話です。

 さて、そういう状況の中で最近の出来事を見ると、安倍総理は「法の必要」ということを頻りに言いますね。ここでいう「法」というのは「国際法」のことでしょうけど、「法」という言葉が通らない勢力に向かって「法」ということを言うわけですね。

 では、「国際法」とは何だったのか? あるいは安倍総理が言う「法」というのは、どういう形で出現したのか? 今を見ていると、確かに中世に戻ったようであり、そして、「法」はまさに「無法」なわけです。一方で私たちは、なにか何となく、主権国家というものがあって、それを当然の事とうけとめて、そして、「それに反している!」と怒っているわけです。しかし、もし「国家」だとしたら、爆撃または空爆することは「無法」ではないのでしょうか?

 ひと頃、「北朝鮮を核査察せよ」と言いましたね。それに対して、ひとつの国の主権国家の防衛権を、「なんとしても核を開発する」と言っている北朝鮮の主張のほうが、道理に合っていると言えないでしょうか? それは主権国家の自由ではないでしょうか? それは「日本の危険」ということとはまた別問題の問い、として言っていますが、「無法」といことを言うならば、どちらが「無法」かわかりません。いつの間にかヨーロッパやアメリカが決めている法秩序、国際法秩序つまり主権国家体制というものが自明のこととされています。そしてそれをヨーロッパ、アメリカの側が破ることはいくらでもあるのに、私たちはその主権国家体制というのを自明のことのように考えているのは、正しいのだろうか? おかしいのだろうか?

つづく

「講演 ヨーロッパ「主権国家」体制は神話だった(決定稿)(三)」への4件のフィードバック

  1. 私の欧米に対する姿勢はこうです。
    先駆者に対する敬意が常に、横暴者に対する反感より優っていると。
    ここ百年でも横暴者としてアジアに災厄をもたらした否定的側面もあったでありましょう。
    しかし、文化文明の先駆者としてアジアに恩恵をもたらした肯定的側面はそれをはるかに上回り多くあったと考えます。
    私は何事も光明の部分を見る者です。又、それだけでもいかんと思って西尾先生の批判精神に満ちたいわば暗黒解剖からもできるだけ学ばんとする者でもあります。

  2. 英国でミスパールハーバー。レイプオブナンキン。と呼ばれていた者です。

    西尾先生にぜひ見てほしい分析があります。

    日経ビジネスオンラインの鈴置高史さんの朝鮮半島を分析したコラムと『日本と韓国は米中代理戦争を闘う』です。これは米国のCSISよりも正確な分析をしています。

    もうひとつ。青山繁春さんが「2024にアメリカ中国系大統領が出る。安全保障をアメリカ頼みにできない。」という分析どおり、中国系妊婦の人海戦術によるアメリカ乗っ取り。の現実です。

  3. このブログを日頃拝読致しております。

    さて、今回のブログですが、「あみがけの部分」と「そうでない部分」とがあり、その区別が全く分かりません。

  4. 西尾先生。私(世界史専攻)や先生、日本人は、中国(韓国)の儒教による中華支配を分析も体験もしていません。

    つまり、敵を分析をしていません。

    鈴置高史さん、木村幹さん、荒木信子さんの研究に目を通してみてください。推測ですが、彼らは米国で研究し、日本に発信しています。つまり中国、ロシア、朝鮮半島、アメリカの動きと将来を研究し、しています。

    私たち日本人は島国で韓国と歴史しか見ていません。

    以下は私の予想です。

    「韓国は消滅します。日本が大陸に向き合う最前線になります。」

    日本は日米同盟を深化します。が、米国はパンダハガーマネーと中国系移民に支配されています。中国系大統領が出ます。もう日本米国に安全保障を任せられないのです。

    ちなみに韓国はなりすまします。味方になりすまし、被害者になりすまし、日本人になりすまし、戦勝国になりすまします。リパード大使の襲撃事件でも、被害者になりすまします。

    怒らず冷静に敵を分析して、日本は勝たねばなりません。

    幸田文や中勘助の日本語を焚書され、言語空間を閉ざされ、皇室と靖国を壊され、チベットのようにされてはいけない。

    先生。どうか鈴置高史さんの研究に目を通してください。勝つために。

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