番匠幸一郎氏を囲んで (最終回)

西尾:まだご発言ない方、では三好さん。

三好:一つだけ質問いいですか。さきほど大使の方から周辺諸国の反米感情の話をされたんですが、防衛庁自衛隊内での今回のイラク派兵に対して派遣を潔しとしないような、そういう意見というのはあったんでしょうか。人道復興支援ということで、100%納得して行ったのかどうか。要するに、なぜ我々が行って、アメリカの戦争意思の後始末をせねばならぬかと、まぁそういう捉え方をする人もいたんじゃないかと思うんですけど、それについて番匠さん、いかがでしょうか。

番匠:私は中央での議論は承知をしておりません。私は当事、北海道の端の副隊長だったもんですから、どういう議論がなされたかよく承知しておりませんけれども、私が任務をいただいた時にですね、自分なりにいろいろなことを聞いて、整理した目的というのは、これは総理や長官もおっしゃっておりましたけれど、四つある。

 一つは今まさにそこに支援を求めている人がいるじゃないかと。戦乱の災禍の中で、人道的な支援或いは復興の支援を求めている人たちがいる時に、なんらの手助けもしないのか、ということに対する答えとしての、イラク派遣の目的。もう一つは、中東の安定というのは、我々の国益に直結するし、特に資源についても、中東が平和であるということは非常に重要だと思う。そのために日本として何をするかということ。三つ目に、防衛大綱の中でも、国際的な役割にどう貢献するかということがずっと言われてきていましたし、世界でこれだけの大国である日本が、何らかのことをしないということはないんじゃないかということ。そして日米関係、というこの四つを総理もおっしゃっているし、我々自身も整理しましたけれども、それについては余りえぇ?という疑問 の声が隊員の中であったとは思いません。

 人によっていろいろあるかもしれませんけれども、私は総理が旭川で記者会見されたように、実際に我々に対して話をされたことに対しては、スーッと入って来ました。自衛隊でしか出来ないから行ってもらうんだと。それから日本人は試されているんだ、というフレーズを言われましたけれど、私はそこが非常にズシンと来ました。お前たちにしか、今やってもらえないんだ、だから頼むよと。それから、今日本人は試されているんだ、日本は試されているんだというのは、まさにそうだと、私自身、そう納得しました。隊員達もそうだと思います。いろんな意見があることは、勿論承知していますけれども、そう言われた時に、且つ法律が通って、いろんな国内の議論の結果、民主主義国家としてやるということが決まった以上は、それに対しては我々はもう、迷いも無く出来たんじゃないかと思います。

 先ほど訓練のことを申し上げましたけれど、私は義和団事件のこととか、或いはトルコの軍艦のエルトゥールル号のこととか、或いは台湾統治の時の日本精神とかいろんなことを隊員達と勉強し、議論しました。我々自身がどういうスタンスで、現地で仕事をしたらいいのか、歴史のことを申し上げましたけれど、最後は歴史上の責任ではないかなと自分でもそういうふうに思いました。私は鹿児島の出身で、大山元帥のこと好きなんですけれども、日清戦争の時に、二軍司令官として訓示した内容というのを正確ではないけれど、記憶しておりまして、

 「文明によって戦い、義をもって処す。世界が見ておる、よいか。」

 と言ったというふうに言われています。まさに私はそうじゃないかと、文明をもって支援をし、義、我々のその、なんていうか、日本人の心をもって現地の人を処する。そういうことを世界中が見ている。そういう仕事を我々がさせてもらえるというのであれば、そりゃあ自衛官として、この道に奉じている以上、潔くやろうじゃないかと、いうことです。あまりそういう意味では、今回のイラク戦争そのものに対する正当性の議論だとか、対米関係上の問題とかそういうことにはさして影響されずに、わりと単純にその辺のところは整理していたような気がいたします。

山口:今あげられた、1、2、3、4の中で私なんか一般国民から受け止めるとね、日本の自主的な判断で、今おっしゃった1、2、3、だから日本はやるんだ、自主的にこれはやらなきゃいかんのだと、それは分るんだけれど・・・小泉さんの発言は4が突出しちゃうんですよ。初めから協力ありき、それでむしろその理屈付けで、1、2、3が来るような感じを受けるんでね。そりゃあワシントンに行ってちやほやされますから。だけど、我々一般国民としてあらまほしき姿は、日本が自分の独立主権国家としての判断としてやるんだと、1、2、3をね、そして結果としてアメリカと歩調を合わせることになるというふうでないと。

西尾:首相の言い方は確かに間違っていると思いますが、私はイラク派遣は日本の独立への行動だと思います。日本の自主行動だと、日本が国家として本当に独立するための、少なくとも軍が独立していく為の初歩的な第一歩だと思いますけどね。

山口:そうですね、そういう位置づけで首相にきちっと国民に説明してもらいたい。

西尾:そう、首相の発言が変だということは事実ですけど、でも僕らはそう思っていますから。反米的な議論をする人がいることはたしかですけどね。

山口:そう、おっしゃるとおり、主体的にやったんだと。

西尾:主体性なんですこれ、日本の。「路の会」はそういう考えを持っている人の集りですけど、そうでない人が物を書いている人の中に多いのもご承知のとおりです。

(大笑い)

番匠:実はオペレーションは、非常に主体的でした。我々がやったことというのは、全部自分達が考えてやるんです。もちろん調整はありますけど、日本からの物資の輸送も、勿論クェートとかで米軍の協力は得ますけれども、基本的には自分達の考え、自分達の予算、自分達の計画、そして自分達のやり方でやるという・・・・

西尾:のみならず、アフガンの沖の、日本のインド洋でのアメリカへの支援というのは、他の国のまね出来ないことをアメリカにひとり日本が与えている凄い支援でしょう。あの海上からの支援は。はい、入江さんどうぞ。

入江:日本人の物の考え方です。第一次世界大戦はヨーロッパで戦っていましたから、いろんな利益が直接脅かされることがなかったんです。だけどイギリスが同盟国に支援を申し入れてきたんです。結局日本は多少支援をするんだけど、あの時の国内の議論はやはり、なんていうか、なんでイギリスの尻拭いをするんだとか、そういうことを言いたがる人が国内にいたんですよ。それはなんというか、戦後の日本人の悪い所にも通じるけれど、第一次世界大戦を見ても、そういう自分の世界に対する貢献というのをここでも言っているわけだけれども、その時もそう言っていたんだけれど、それをひやかすような人たちがいるんだね。それは私は日本人の大変悪い所だと思いますね。知識人の中にも多いですよ。

西尾:たくさんいますよ。

入江:イラク派兵反対だ、なぜかというと、日本の利益がなにもかかっていない、ただアメリカのためにやってやるだけじゃないかと。だけど世界の治安ということがあるんでね、日本にも非常に主体的な問題なんだから、それはね、そのことを何て言うんでしょ。それは私は自衛隊ではなく、そういうことを議論するのは、我々知識人の責任ですね。

西尾:同時に政治家の発言の問題ですね。今山口さんがおっしゃったように、総理大臣がものの言い方を知らないですよね。ただ第一次世界大戦の時も、ご承知のように駆逐艦隊が出て行ってですね、そしてマルタ島沖で商船を守って魚雷に自らぶつかって沈没した艦もありましてね、果敢に戦ったんですよ。あの時ね。その時はそれで、その事実は感謝もされ、それからベルサイユ会議における発言力もそれで増したんで・・・

入江:大変感謝されたんですね。

西尾:ただ陸上部隊は出さなかったですね。

入江:地上軍を出すべきだったと思いますけどね。出さなかったんですよ。

西尾:あの時地上軍を出していれば、シベリア出兵はまた違った受け取り方をされたと思いますね。日本はやらないんだよね。そういうことは絶対やらない。

○○:今日は番匠先生には最初に政治や外交の問題からは離れてお話いただく約束でしたよね。

西尾:政治からは離れて、(笑い)そうでした。我々が余計な話をしてはいけないと思いますよ。申し訳ありません。本当に今日はどうも有り難うございました。どうも、じゃあ

番匠:有り難うございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・拍手・・・・・・・・・・・・・・・・

(追記:テープの聴き取りが小さな聴き間違いをしている場合があることをお断りしておきます。発言者のお名前が全員わからず○○になっているのは、テープの聴き取り者がお声を知らないためです。聴き取り者は広島の長谷川さんです。ご苦労さまでした。そういうわけでテープが私の手許にありませんので、おゆるし下さい。――西尾)

修正:3/21

「番匠幸一郎氏を囲んで (最終回)」への2件のフィードバック

  1. ++++++++++++++++++++++++++++++
     今回の企画は、実際にイラクの現場で活動した自衛隊員の生の声が聞けて、非常に示唆に富む内容であり、とても貴重で有益な内容だったと思います。

     ただ、一つだけちょっと気になったことがありましたので、ここに書き記したいと思います。

     それは、日本の主体性ということについての議論であります。
     日本は主体性を持たないといけないということは、理論上は全くもってもっともなことであり、異論をはさむ余地なないでしょう。
     ただ、その主体性をどのようにして持たせる様にするかということには、慎重に検討してみる必要があると思われます。

     ここからはあくまでも私の個人的な意見でありますが、イラク派遣に対する小泉首相の発言について、この会では言い方がおかしいということで皆さんは納得されていたようですが、私はちょっと違う考えを持っています。

     確かに最初は、対米協力ということを強調しすぎていて、もっと日本独自の行動であるという点を強調すればよいのにと私も考えていました。
     ただ、いまから当時を振り返ってみると、国民を納得させるという目的を果たす政治的な観点から見ると、日本の自主性を強調するよりも対米協力といった方が納得させやすかった、あるいは、反発を少なくする効果があったのではないかということです。

     私は、日本人の軍事音痴、あるいは戦争嫌いというのは、以前ほどではないとしても、まだ根強く国民の間に残っているのではないかと見ています。

     言葉で説明されても、どうしても自衛隊を日本から海外に派遣するということに、生理的な抵抗感を感じる国民が大勢いるのではないかと思います。
     もし、日本が自主的に派遣すると小泉首相が口にすると、サヨクマスコミによって、軍国主義の復活だという大キャンペーンが行われて、国民がそれに乗せられてしまうという事態も起こりうるのではないでしょうか。

     小泉さんは、そのことに不安を覚えて、戦争反対キャンペーンよりは、反米キャンペーンの方がまだましだという計算をして、あえて対米協力を強調したとは考えられないでしょうか。
     日本人はもともとアメリカが大好きですから、アメリカに協力するという名目での海外派兵ならば、それほど抵抗は感じないと思われます。
     どれだけ反米キャンペーンをマスコミが行っても、多少は小泉内閣を批判する声は起こるでしょうが、それほど大きくはなりません。
     マスコミに踊らされていても、本当はアメリカが大好きなので、それほど本気になって反対はしないのですね。

     路の会に参加している知識人の方々は、国家意識をしっかりともった人間が集まっておりますが、国民感情はそれほど国家意識が強いわけではありません。
     私の見るところでは、年配の方ならまだしも、若い世代の人間は、日本人としての自覚がとても弱いのです。
     私もかつてはそうでした。
     いまでもはっきりと覚えていますが、つくる会の一回目のシンポジウムの時に、西尾先生が「われわれ日本人は原爆投下を許してはいない」という発言をされましたが、それを聞いていた私は、「我々日本人は」といっても、僕はそういう意識は持っていないから一緒にしないでほしいと、若干の反発心を持った覚えがあります。

     それでも私は、学生時代に司馬遼太郎を愛読していたので、同じ年代の人間よりも国家や日本人ということについては考えている人間だったと思いますが、小さい時から反日教育を受けていたので、国家意識というものがその程度しか形成されていなかったのであります。

     まして、他の一般的な若者は、私よりももっと意識が低いのです。
     日本の将来とか、国家のあり方などということについて論じることなど皆無です。
     むしろ、そういう固い話をすると疎んじられて友達ができないという現実があります(事実、私には心の許せる友人は一人もいません)。

     そのようなことを考慮すると、まだ今の日本では、日本の自主独立という話は、おおっぴらには議論できない土壌があるのではないかとも思います。
     現在、日本は新しい扉に手をかけていながら、なかなか扉を開くことが出来ない状態にあるということですが、このままぱっと扉を開けても大丈夫だろうかという若干の不安があります。
     支那の脅威が日々増していく中で、扉は開かなくてはいけない状況が刻一刻と迫っていることも理解できるのですが、あけるタイミングを間違うと、日本社会がとんでもない方向に暴走するのではないかというジレンマがあります。

     とにかく戦争はイヤだと、ある日突然、共産党政権が誕生するのではないかという危惧もあります。
     もしかすると日本人は、言論の自由よりも、人権全体主義社会の方をあえて選んだりはしないでしょうか。

     私は日本人の英知を信じたいと思いますが、若干ですが信じきれない部分もあるのが現状であります。

  2. 丁度三島由紀夫氏が死んでから35年経た。昭和45年11月45歳、万博開催の時だった。全国で大学生が暴れまわって騒ぎ終わった翌年、この万博の翌年は浅間山荘襲撃事件だった。当時の事は時代の背景など詳細が判らなかった。2001年三島由紀夫事件の死の原因を遺書が平成12年、死後30年目に日の目を見て総括された本ヲ読んだ。憲法9条の後生大と守り刀ににして平和教育の元とか人権平等の実現とかで美化されて横暴と陰謀が支配する鵺のような怪物が跋扈するこの日本は正に正念場です。当時は米国内でもベトナム反戦運動が盛り上がり、国内でも警察力で学生による学園闘争も一段落してた。治安出動も発動されず鎮圧されてた時代が彼の死の意味を劇場的と軽く見なしていたと思います。それ以来極左翼はソフティケイト路線を取り草の根で雑草のように巧妙に生き延びていると実感しています。背骨、中心部が求心力を欠いてるままに世界の中を漂流状態では人口過剰国家がアジア地域に2つもある状態では日本の国は飲み込まれ兼ねません。真摯に将来をはっきり明言できる先生の活躍をおいのりしています。

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