歴史とも政治ともまったく違うタイプの本が出版されて、すでに知っている人はともかく、オヤと思われた方は少なくないだろう。新刊
『人生の深淵について』(洋泉社、現在販売中¥1500)は、私がこれまでに書いた最高の作品と秘かに自認しているものでもある。
文章書きは50歳代にあるピークに達する。それから次の段階へ自分を切り拓いていく。『人生の深淵について』はゆえあって執筆当時には刊行を見合わせていた。65歳で一度公刊した。評判を得たので、未収録稿を加えて、このたび完本作成を志した。
50歳代に一番いい仕事をして、そのあと徐々に萎んでいくケースもあるし、逆に老年に新しい世界を切り拓くことができる人もいる。さて、私は果してどうか。それを決めるのはこれからの一、二年に未知の分野を学習し、自分を脱皮させることに成功するか否かである。
『人生の深淵について』の刊行で一番嬉しかったのは、畏友小浜逸郎さんに身に余る解説を書いて頂けたことである。20枚ほどもある力のこもった解説である。まず同書の目次を掲げ、次に小浜さんの了解を得て、解説の一部を紹介する。
目 次
怒りについて 007
虚栄について 027
孤独について 055
退屈について 078
羞恥について 108
嘘について 132
死について 152
宿命について 167
教養について 193
苦悩について 205
権力欲について 221
著者覚書 237
解説 小浜逸郎 241
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解説 「思想」の大きさについて(抜粋) 小浜逸郎
人も知るように、西尾幹二氏は、戦後の主流をなしていた軽薄な「進歩的知識人」たちや「西洋かぶれ」の言論風潮に一貫して抵抗してきた「保守思想家」の巨頭である。また国難の感知を言論にのみ表現して事足れリとすることを潔しとせず、歴史教科書問題のような運動のリーダーシップを発揮しないではおれない情熱的な「社会運動家」としての側面もお持ちである。多くの人は、ジャーナリズムが作り出すこの政治言論や社会運動の構図における一方の雄としてのイメージを通して、西尾氏の名を知ったであろう。
しかし私の推測では、氏がじつは、モンテーニュやパスカル、ラ・ロシュフコー、少し時を隔てて、キルケゴール、ニーチェ、カミュ、我が国では小林秀雄や福田恒存といった、いわゆる「モラリスト」の系譜に連なる、冷静な人間観察力と鋭い心理洞察力をそなえた倫理思想や文学思想の持ち主でもある事実は、氏自身の華々しい活躍の陰に隠れて、案外知られていないような気がする。いや、知っている人はじつはたくさんいるがただ黙って読み味わっているだけで、私などがいかにも賢(さか)しらにその事実を言挙げする必要はないのかもしれない。
けれども、ふつうの人間がみな思想家である以上、専門的な「思想家」が、その代弁者としてどれだけふつうの人生そのものについて含蓄の深い言葉を発しているかについて何か言ってみたくなるのが、西尾思想の一ファンとしての人情というものである。なぜなら、氏の言説のこの側面が、万一、政治的な言論枠組みの単純で声高な分類と理解によってかき消されてしまうようなことになったとしたら、それはどう見ても思想が思想として迎え入れられるべき公平さと自由の原理に背く仕儀となるからだ。
本書は、その「モラリスト」としての氏の側面が遺憾なく表現された著作のひとつである。著者への失礼を顧みずに言えば、マイナーな雑誌に発表された連載エッセイから多く収録されていて、そのせいもあってか、かえって大舞台での公式言論の建て前が強制してくる窮屈な鎧(よろい)を脱ぎ捨てた、自由闊達、潤いと味わいに満ちた人生論集の一見本となっている。日常生活で出会うふとした経験の数々からの一瞬の感知を自ら過たず捕捉し、それを若き日々に積んだ読書体験による確乎たる人間観に結合させてゆく巧みな氏の手法は、並大抵のものとは思われない。
泥濘(でいねい)のような政治言論や社会運動の世界に自ら飛び込んで八面六臂(はちめんろっぴ)の多忙さを引き受けてこられた西尾氏に、どうしてこのような人間観察を表現に定着させるだけの「ゆとり」が見いだせるのか、正直なところ不思議としか言いようがない。しかしよくよく考えれば、それだからこそ、と言えるのかもしれない。そういえば、マキャベリもホッブズもロックもゲーテもスタンダールもそうだった。いろいろやっているからこそ見えてくる物事について表現せずにはいられなくなるのだ。思想の大きさとは、そういうことかもしれない。
この本の帯に、「生きることに不安を感じ、迷ったとき思わず手にとる本がある。それが西尾人生論だ」とある。
この本ではニーチェ、ゲーテなどの言葉を引用しながらも、自身の体験を交えて具体的で平易な文章を用いて人生が語られている。
が、しかし、この本を己が人生に不安や迷いを感じている人が安易に答えを求めて手にしてはいけない。
おそらくこの本の中で西尾先生が説きたいのは、不安や迷いの具体的な解決方法ではない。
西尾先生の、己が人生を真摯に、誠実に見つめているその姿勢をこそ見つめ、そして自らで結論を導く糧とすべきであろう。
とまれ、この本を読んでから西尾先生にあって話をしようという勇気を持つ人が一体何人いるのであろう。
それくらい、その深い洞察に感銘を覚えた・・・我こそと思うものはこの本を手にするがいい、そして著者の人生観と己が人生観との鬩ぎ合いを楽しむがいい。
何人の人が楽しめる程の人生観を確立しているのかは私の知りようもないところであるが。
薄っぺらい、耳に当たりのよい励ましだけの人生論に辟易している方にこそお薦めする。
格好良い帯の文句だなあ^^
『西尾人正論』と、固有名詞にしちゃってるのが素晴らしい。
おととい、立川の大きな書店に行ったんですけど、まだなかった。
近日購入し、感想を書きます^^