渡辺 望氏自身による紹介文
次に『未完の大東亜戦争』の紹介を記したいと思います。この本のテーマをアスペクト出版の編集者の貝瀬裕一さんから提示されたとき、とても嬉しい気持ちでした。なぜかというと、ずっと以前から私が書いてみたいテーマだったからです。「本土決戦とは何か」ということは、高校生くらいのときからずっと考えていたことでした。
今年は集団安保法制云々のことがあっから余計そうだったのでしょうけど、8月15日周辺になると、憲法学者や近代史学者を中心に平和主義の合唱がメディアでおこなわれることにうんざりという方は勿論少なくないでしょうけど、うんざりするだけでなくて、どうしてこういう面々がこの国に多いかということを考えなくてはいけないと思います。よく、日本は有史以来、たいへん恵まれた存在で、きわめて早い段階から統一国家、国民国家を形成することができ、そして他国から蹂躙されたことのない幸せがあったということを聞きますが、まさにその「幸せ」が、平和主義のぬるま湯風呂をつくってしまったのではないだろうか、と私は毎年、8月になると思うのですよ。
もし、8月15日以降も戦争が継続したらどうなっただろうか。これは間違いなく、たいへんな不幸が日本に訪れたと思います。核兵器の大量使用、米ソによる日本の分断、皇室の存続の危機、そして言うまでもなく気の遠くなるような戦死者。昭和天皇が聖断の御前会議で言われたように、この世界から日本がなくなってしまうかもしれないほどの悲劇がこの国土を蹂躙したかもしれません。しかしそのような悲劇がもしあれば、今の体たらくな日本の左派、平和主義者などがいなことも事実ではないか。そのすさまじい日本本土決戦の仮想上の悲劇は、果たして日本人にとって「不幸」なことなのだろうか。私自身は、8月15日の終戦をもっとも妥当とする「穏健論」にういつまでも依拠しています。しかし依拠しつつも、この現在の日本の精神的不幸の根源を模索するために、「終戦が早すぎた」=日本本土決戦という思考実験の必要を感じるのです。
以上の視点から、いろんな角度から日本本土決戦を検討してみたのですが、たとえば「本土決戦」というと何か日本人にとってとてつもなく恐ろしい存在に思えますが、世界の国民国家間の戦争はほとんどが「本土決戦」だという事実がありますね。また昭和20年当時、内地にいたいろんな日本人知識人の手記に描かれている「本土決戦」=竹槍での戦い、のイメージは、実は8月6日の原爆投下以前の地上戦のものでしかない。「核兵器が使われる日本本土決戦」の想像というのをおこなう前に戦争が終わってしまったともいえます。それから大本営の一部には、1944年に日本本土に連合軍が侵攻してくると考えた面々もいました。もしそんなことがおきたら、大東亜戦争の終結と日本本土決戦は別個の問題になりますね。そんなふうに、「日本本土決戦」の想像というのも、実は単一ではないんですね。
また、アメリカにとっても日本本土決戦はたいへんな歴史的苦境でした。日本本土決戦がおこなわれて、日本軍と国土義勇隊が沖縄戦・硫黄島戦並みの抵抗をすれば50万人の死傷者(ベトナム戦争でのアメリカの死傷者は39万人)が予想されたからです。この数字に怯えて、マンハッタン計画に異常な熱意を傾けたのがトルーマンであり、また陸軍長官スティムソンらは日本への降伏条件を緩和すべきという立場を展開しはじめたりもする。ところがマッカーサーは、日本本土決戦を自分の軍人人生のフィナーレとするヒロイズムにこだわり、総計で140万人の地上軍、42隻の正規空母と24隻の戦艦を投入する地上最大の作戦=日本本土決戦に執拗にこだわり、トルーマンと対立します。この対立、そして「日本本土決戦のやり残し感」が、その後の朝鮮戦争などに重大な影響をもたらすことになります。
一方、スターリンはすべての秘密情報を把握しつつ、ソ連にとっての最大限の利益を日本列島の地図を前にして毎日考えている。またイギリスはイギリスで、日本本土決戦により大東亜戦争が長期化すれば、南方に取り残された300万の日本兵が植民地独立勢力と結託して反英ゲリラになることを恐れ、日本への降伏条件をなるべく緩和するべしとの立場を主張します。要するに、1945年夏の世界情勢は、日本本土決戦を中心に動いていたということができるでしょう。日本人はとかく、日本人の視点からしか日本本土決戦のことを考えたがらないですが、こうした世界情勢の中での日本本土決戦への思考ということは、たいへん大事なことだと思います。
けれどこうした客観的視点をおおいに投じても、最後は当時の日本人の精神がどうだったかということを問題にしないといけなくなります。核戦争にせよ、地上戦にせよ、対米ソ両面戦争にせよ、日本人が本土決戦に挑むには「滅亡」を覚悟しなければならないのは厳然たる事実でした。このような「滅亡」の覚悟を、日本人は有史以来経験したことがなかったのです。しかし、この「滅亡」を全肯定し、「日本本土決戦をなすべきであった」という危険なロジックに足を踏み入れ、そしてついにそれを完成させてしまったのが三島由紀夫でした。この紹介文では省きますが、本書ではところどころに、三島由紀夫のこの本土決戦論のかかわりについて触れ、考察を展開しています。三島のあの自死でさえ、本土決戦論と重大な関係があると思います。ある意味で本書は裏道からの三島由紀夫論といえるかもしれません。
また後半部分では、純軍事的側面から、日本本土決戦のシミュレーションの章も設けました。8月15日以降も戦争が続いた場合、「鈴木貫太郎内閣で戦争が継続するのかそれともそれ以外の内閣で戦争が継続するのか?」、「アメリカは原子爆弾を日本本土決戦にどれほど生産投入することが可能だったか?」「ソ連軍の南下のスピードはどれくらいか?」「天皇の聖断とアメリカの対日降伏条件融和派が一致を見せることはありえたのか?」「本土決戦がおこなわれた場合の特攻作戦の戦果は?」などの諸要素について考察しています。これらの思考実験を通じて、「思想としての日本本土決戦」とうべき史学の分野の生成に資することができればと思い、終戦の季節に刊行完成いたしましたのが本書でございます。
ふむふむ。
>なぜ京都は爆撃少なかったか → 京都に原爆が投下されていたら、捏造・南京大虐殺の人数は50万人とされた
8月23日/京都新聞「天眼」に人気哲学者/梅原猛(90)寄稿
京都への空襲が控えられたのは、アメリカ人東洋美術研究者ウォーナーの進言説が戦後信じられて来たが、それは事実でなく、むしろアメリカの日本占領政策のプロパガンダのために仕立て上げらものであることを歴史研究者の吉田守男氏が『日本の古都はなぜ空襲を免れたのか』と題する著書で明らかにした。
アメリカがあの大戦争にもかかわらず、日本の古都の文化財を尊重していたと思わせるウォーナー伝説が占領政策を有利にするとアメリカは考えたという。そして京都への空襲が控えられたのは、米軍によって京都が原爆投下の最有力候補地されていたからであると吉田氏は断定する。原爆の威力を日本人に誇示するために通常の爆撃が控えられていたのである。京都は最後まで投下目標として残っていたが、もし京都に原爆が投下されていたら、当時の市民90万人のうち50万人が死んだのではと放射線防護学者安斎育郎氏は推定する。1945年7月に京都は原爆投下目標から外されたが、それは古都が壊滅すればアメリカの占領政策がうまくいかず、日本が共産化するのではないかというスチムソン陸軍長官の指摘によるものであった。
もし、京都に原爆が投下されていたら、南京大虐殺の人数は50万人となっていただろう。何故なら広島、長崎に原爆を落とし民間人を虐殺したアメリカは、日本軍も当然大虐殺をしているはずだとして調査したが、何処にも日本軍の大虐殺が発見でき無かった。このためGHQのアメリカと支那は南京大虐殺を捏造し、広島、長崎の原爆投下による大虐殺の見返りとしたのだ。なお、終戦間近にルーズベルトが死んだことを神に感謝したい。京都、及び日本にとって不幸中の幸いであった。ルーズベルトは日本に20個ほどの原爆を投下し日本を完全に壊滅するつもりであったからである。
2015/08/23(日)
人気哲学者と哲学者はまったく違う、念のため。
「The Washington Post Is An Amateur」
(ビデオブロガー/ランダムヨウコのWashington Post 紙女記者を再教育!)
https://www.youtube.com/watch?v=y3Jj8_fvdeM
↓ 読者 ↓
大変なお怒りですね。穴という女が何をしたのかだいたい分かりましたが、そもそもアメリカ人に正義や騎士道精神を求めるのがムリな話です。こいつらは大陸に居た人々を大虐殺し、アフリカから黒人を奴隷として略奪し、日本に原子爆弾という人類史上最悪の実験を行っても恥じない国なのです。祖先はイギリスからの犯罪者,ゴロツキですからね。日本のように武士道精神を培った民族ではなく、中韓米などは強いものにはシッポを振り、すきあらば弱みに付け込む、金を巻き上げるチンピラ民族なのです。正義と言う言葉も知らないでしょう。
アメリカが一番恐れた日本の「素養」は、皮肉にも「集団性」ではないかと率直に思います。過日戦地では、めまぐるしく戦い抜く日本兵の、想像を超えるその実態が、何から生まれ何に支えられているものなのか、それがわからなかったということ。その支えているものを蹴散らさなければ、アメリカは本当の勝利を手にすることは不可能だと認識したに違いないのでしょう。
今頃になって、言い訳がましく「核」の必要性を信じたり疑ったりしていますが、どんな不幸な出来事でも、加害者の方が「忘れることができない」という現実。先生が常日頃おっしゃっているように、被害者は変化するんです。でも加害者は忘れることができない。忘れるということ自体が悲劇になってしまう。
恐ろしい人間の感情の仕組みだと感じます。
その意味で、日本が被害者のままでなければ、アメリカの領土的安定性は確保できません。しかし、このままでは抑え込むための維持費が底をつく「悩み」が持続する。
そこを安倍氏はうまく突いた。
「アメリカさん、ご心配ご無用。我々もあなた方に不安を与えることなく、世界の不安に手助けをいたしますよ」と語った。
その意味で捉えてくれたアメリカの今の悩みの浅さに、正直「おやおや」と私は感じた。
本来なら「おいちょっと待てよ、日本よ。もしかして本気で仕返しをするきになったんじゃないだろうな」と、言い出すはずだったのが、今回は何故か安倍氏の演説が請けに請けた。
この事情は大きく二つあると思う。
一つは、アメリカの財政事情がまじで危ないということ。そしてその防衛費を増長しかねない過去の冷戦時代を招く要素のウクライナ問題で、日本が西側のスタンスを一応示したという事実。
しかし、このアメリカの感情はおそらくそう長くは続かないのではないかと思う。その理由は、アメリカ自身がこの演説を本当の意味で予想していなかったという可能性がまずあること。ある程度予測可能なことだったとしても、瞬間的にこれほど納得できる内容だとは思っていなかったこと。しかし同時に、日本の軍事的「立ち上がり」は、長期的にはアメリカの脅威となること。その反面、ウクライナ問題の根本的なアメリカの苦悩の打開には、日本の参加を必要とし、「日本」という「駒」は絶対譲れないという現実。
一方日本は、いくらアメリカに靡いても、北方領土を変換できないことは承知の事実だが、しかし、ロシアと直接外交をするためには軍事的圧力が不可欠であることは当然のことで、その踏み台に立つには、一度アメリカを納得させなければならない。そのための名演説だったということは、私みたいな一市民でさえ想像がつく。
当初ウクライナ問題が勃発したとき、やれやれと思ったのも事実ですが、今となっては胆略的な外交姿勢で臨むよりも、時間はかかれど中身のある国家として交渉に臨めることは、良き方向だと認識します。
ここまできたら、「焦らないこと」これがキーワードなのかもしれない。
西尾先生、本の紹介は止めて下さい!
面白そうな本ばかりなので、全部購読するはめになり、次から次へとお金と時間が無くなって迷惑です?!
今回ご紹介の本土決戦の思想に関する渡辺さんの著作も、以前から気にしていたテーマなので、購入することになりそうです。
渡辺さんの前回の『大東亜戦争を敗戦に導いた七人』も興味深く、林さんの『日米開戦陸軍の勝算』と対を成すようなテーマで、今後の思索の糧となりました。
それから、先生と川口さんの対談『膨張するドイツの衝撃』も読みましたが、いつもながら目から鱗です。ドイツと欧州に関わる問題などよく分かりました。
ただ、最終章の原発問題に関する対談の中で、西尾先生が原発の最大の問題の一つとしてテロ対策不足を指摘されておりましたが、細部の話で恐縮ですが二点補足させて頂けたらと思います。
まず、国内原発の警備が民間警備会社となっているとのご認識の様ですが、9.11テロ以降は機動隊も派遣されて警備にあたっているようです。もっとも、その程度の警備ではこの厳しい国際情況では不足かもしれません。テロ攻撃で福島と同じような炉心冷却事故を人為的に起こさせないような、警備強化と訓練はもっと工夫が必要かもしれません。
それから、先生がさらに心配された、地下貫通ミサイルによる攻撃で原発が核爆発することですが、それは核分裂炉の原理からあり得ません。
なぜなら、炉心がミサイルで破壊されると核物質が飛び散り、臨界状態が一瞬で解けてしまい、核爆発など起こり得ないからです。
それ以前に、原発の燃料の核分裂性同位体の密度は原子炉級(~70%)で、原爆級(90%~)と比較して低く、原爆が核物質の周りを火薬で囲んでようやく爆発するのと比べて分かるように、炉心の周りを火薬で囲んで爆発させても核分裂性同位体の密度が薄過ぎて、核爆発は起こり得ません。
原発で核爆発を見るには、核兵器で原発を攻撃するしかないと思われます。
それから、原発に対する私のスタンスは川口さんに近いのですが、ある反原発の方への私のコメントについてのリンクを次に記しましたので、ご高覧頂ければ喜びです。
http://sns.mynippon.jp/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=636575&comment_count=3
先生の、原子力ムラの人間への不信はごもっともですが、どうか、誠実に頑張っている人々もいることを忘れないよう切にお願いいたします。
> 韓国、「直立二足歩行」の道無し! (筑波大学大学院教授・古田博司(62))
シナの古代先進技術国に極貧国が隣り合わせたというのが真実だ。シナとしては相手にならないから放っておく。攻める必要も無い。コリヤを攻めてくるのは決まって、満州から南下する北方民族、海から上がってくる日本民族かのどちらかであった。
http://www.sankei.com/column/news/150609/clm1506090001-n1.html
>古田博司提唱 非韓三原則 『助けない、教えない、関わらない』
半島併合30数年間で犯島族に与えた日本国民の税金は現在値で63兆円、民間投資額との計80兆円超。 ← まだ足らんのか乞食族が!資源収奪どころか、逆に朝鮮近代化のために膨大な税金を与えて来てしまった!石器時代のままにして置けの福沢の警告生かせキムチ安倍!
・古来、日本に渡って来た渡来人は、現代朝鮮人の先祖ではない。
・古代百済人=現代の韓国人では無い!
・古代中国人=現代の中国人では無い!
・古代エジプト人=現代のエジプト人とは違う
・古代ギリシャ人=現在のギリシャ人とは違う人種だ
・古代イスラエル人=現在のイスラエル人とは別の人種だ
・漢字は中国人の発明では無い!
>アジアで一番信用できない発言
・食人種/真空地帯 「やりました できました!」
・食糞種/キムチ菌 「やります できます!」
・日本人(人類) 「できません」
>米国と日本の国益が一致することなど有り得ない!真の日本の敵
シナが尖閣諸島を盗りに来ていることは事実だが、尖閣諸島が日本領だと確定する事が一番嫌なのは、米国ですよ。
・尖閣諸島の「竹島化」を狙っているのはシナではなく、米国です。
・そもそも日韓の間に竹島問題を作ったのは、米国です。
・日ソ間に北方領土問題を作ったのも、米国です。
・日本を最も自主独立させたくないのは、米国です。
・日米同盟と云う偽装同盟の最大の受益者は日本ではなく、米国です。
・米国が日本を失えば、インドを失った英国よりもある意味で悲惨です。
中韓憎しで真っ当な歴史観を失ってはいけません。集団的自衛権など枝葉末節な議論です。だいたいね、集団的どころか自衛隊には国際法に因る自然権である単独による自衛権がありません。尖閣が日米安保の5条?笑わせてはいけません。5条には日本の施政権が及ぶ場所とある。尖閣諸島の施政権から日本を引かせているのはシナではなく米国ですよ。安倍に圧力を掛けて尖閣上陸はおろか漁業活動も出来なくして、今は双方の公船が自由に入り乱れる状態になっています。つまり安倍政権になって歴史上初めて、日本は尖閣諸島の施政権を既に失っています。このことは米国が「尖閣の竹島化」を画策している証拠です。安倍の後、尖閣は必ず竹島化します。米国の現状変更するなと云う命令は実は中国に対してではなく、日本に対する命令です。因みに米国大統領は2ヶ月間は自由に戦争が出来ます。議会の承認は入りません。反日左翼にばかりに気を取られていると米国と云う戦後のレジーム、真の日本の敵を見失います。 2014/06/20(金)