新刊『維新の源流としての水戸学』(一)

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宮崎正弘氏の国際ニュース早読み4644号より

松陰も西郷も水戸学に激甚な影響を受けて奔った
  幕末日本を激震に導いた水戸学の根幹に何があったのか?

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西尾幹二『維新の源流としての水戸学』(徳間書店)
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 GHQ焚書図書開封シリーズ第十一巻は「水戸学」である。このシリーズの目的は米占領軍の日本人洗脳工作の一環として行われた重要文献の焚書本を探し当て、時代的背景の考察や、諸作の根源的なエネルギーに光を当てる地道な作業だが、この文脈から、本巻は水戸学へアプローチする。
 しかし過去のシリーズとはやや趣を異にして、これは「水戸学の入門書」を兼ねる、西尾幹二氏の解説書になっている。
 徳川御三家でありながら、尊皇攘夷思想の源流となって幕末維新を思想的に領導し、結果的に徳川幕府を倒すことになった、その歴史のアイロニーを秘めるのも水戸学である。
 「幕府は水戸学という爆弾を抱えた政権だった」(165p)。
 吉田松陰は水戸へ遊学し、会沢正志齋のもとに足繁く通った。松陰は水戸学を通じて、日本史を発見し、先師・山鹿素行をこえる何ものかを身につけた。兵法、孫子、孔孟と松陰がそれまでに学んだことに重ねてかれは万世一系の日本の歴史に開眼する。
 西郷隆盛は水戸学の巨匠・藤田東湖に学び、また横井小楠は、藤田を絶賛した。維新回転の原動力は、こうして水戸学の学者・論客と志士たちの交流を通して始まり、桜田門外の変へまっしぐらに突き進んでいく。
 吉田松陰の斬首は「長州をして反徳川に走らせる決定打」となった。西郷は命を捨てても国に尽くす信念をえた。
 その水戸学である。
 前期、中期、後期とわかれる水戸学はそれぞれの時代で中味が異なっている。
 前期水戸学の大きなテーマは「南朝の是認」であり、北畠親房の「神皇正統記」と同じく南朝が正統とみる。しかしながら前期水戸学は「天皇のご存在をものすごく尊重しておきながら、神話は排するという点でどこかシナ的です」。
 水戸光圀は、ほかにも独自の解釈で『大日本史』の編纂を命じた。

 後期水戸学には国学の風が流れ込む。
 その前に中期水戸学は藤田幽谷が引き継ぎ、この古着屋の息子が水戸藩では大学者となった。身分差別を超越した、新しいシステムが水戸では作動していた。幽谷の異例の出世に嫉妬した反対派の暗躍が敗退し、後年の天狗党の悲劇に繋がる。
 そして「後期水戸学」の特色は国際環境の変化によって「歴史をもっと違う見方で見るようになってくる。欧米という先進世界と戦わなければならない状態になって」、国防が重視されるという特徴が濃厚にでてくるのである。
 それでいて水戸学には儒学を基礎として仏教を排斥するとマイナスの要素があった。
 「非常に早い時期から「脱神話世界」を掲げたのが儒教の歴史観」(107p)だったから、初期水戸学は「脱神話」であるのに、後期水戸学は「神話的歴史観に近づいていく。思想が変わってきた」わけで「『古事記』『日本書紀』を認め、日本のありかたを単純な合理主義では考えなくなっていく」のである。
 そこで西尾氏は藤田東湖の父親、藤田幽谷の再評価を試みる。
 それも国際的パースペクティブから「モーツアルトと同時代人」であり、かれは十八にして藩主に見いだされたうえ、藩校を率いた大学者、立原翠軒と対立していく。これがやがて天狗党の乱という血なまぐさい事件へつながり、凄絶な内ゲバの結果、尊皇攘夷の魁となった水戸藩から人材が払底してしまうのだ。
藤田幽谷は家康を神君とは認めず、『当時の儒学者の「多くは支那と日本との国体を判別する力に乏しかった」がために立原は、幽谷との対決の道に陥った。
 幽谷の息子の藤田東湖は「なんと十年かけて『弘道館記述義』」を完成されているが、これは『儒教と神道が一つになっていることがわかります。しかも、この『弘道館記述義』は、GHQの焚書図書の対象とはならず、翻訳まででた。
 したがって奇妙なことに「国学のひとたちは儒仏思想を排斥しましたが、水戸学は仏教を排斥したものの、儒教は排斥するどころか、依存しています」(280p)。
 かくして西尾幹二氏の水戸学入門はきわめて分かりやすく、その思想の中枢と時代の変遷を活写している。
 最後に西尾氏は、「戦争体験者の歴史観、戦争観には失望してきた」として、大岡昇平、司馬遼太郎にならべて山本七平への批判を加えている。
 ページを開いたら止まらず、一気に読んでしまった。

  

「新刊『維新の源流としての水戸学』(一)」への6件のフィードバック

  1. この本を拝読して、つくづく感じたことの一つは、中韓両国からしばしば聞こえてくる、日本に定着している文化、文物は、もともと自分たちが起源であり、日本はそれを真似した、或いはせいぜいそれらを「発展させただけだ」という物言いが、如何に浅薄であるばかりか、そうした主張そのものが、彼ら自身、現実生活のあらゆる基準を、日本という「外に」求めるしかないことを告白しているようなものだということです。

    殊に天皇に限って言えば、中韓両国が逆立ちしても持ちえない、文字通り「有難い」存在であって、普段はあたかも存在しないかの如くに扱われながら、あの東日本大震災の時のように、我が国の一大事には、たちまちとてつもない存在感を示すという、誠に稀有な存在であります。

    江戸時代の人々にとって、天皇がどういう存在であったかに関して、面白い話があります。

    「うつけ」を装ったと言われる加賀藩三代藩主前田利常死後の、正徳2年(1712)10月、加賀藩の支藩大聖寺領内では、年貢減免を求める一揆が起きましたが、その時の農民たちの言葉が、「仕置き(政治)が悪くば、年貢はせぬぞ。京の王様(天皇)の御百姓になるぞ」だったといいます。
    (北國新聞 連載『加賀百万石 利常夜話』平成10年(1998)10月~12月)

    一方浄土真宗に対して利常がどう対処したかは、「百姓の持ちたる国」だった北陸特有の事情がありました。

    利常が参勤交代で江戸へ向かう途中、美濃(岐阜県)関ヶ原と、翌日の尾張(愛知県)熱田を通行中、二度もおびただしい群集を目撃しますが、それは「東門跡(ひがしもんぜき 東本願寺門主)」のお通りと聞き、拝みに来た人々でした。
    もしこれが北陸だったら、と想像するに加え、北陸の領民が、蓮如が真宗の教義と共に伝えた文明の香りや生活の規律によって、意外にも「文明化」されているのを見て、利常は、彼らの信仰を尊重し、真宗寺院を通して、領民を掌握することにしたといいます。

    江戸時代初期、何度も幕府から謀反の嫌疑をかけられた外様大名前田利常は、あらゆる手段で幕府に対抗した第百八代後水尾天皇から、直々に「忍」の一文字を賜りますが、それは、帝自身利常の立場に共感したからだと言われています。

    ともかく利常は、その後王朝の伝統や文化への傾斜を強め、孫の綱紀の時には、尊王思想として定着しました。

    御三家の中でも経済的にひっ迫していた水戸藩と、外様の加賀百万石とは対照的ですが、奇しくも綱紀のおじに当たる水戸光圀という逸材が、維新の回天を演出したことは、誠に不思議な縁とも言えます。

    水戸学が戦後無視されてきた理由の一つは、尊皇の立場以外のものは評価しないという、一種の狭量さがあったからだ、との先生のご指摘ですが、確かに、今でも庶民の生活密着している仏教の教えや、生活習慣を否定することは、我々現代人から見ても、不自然に思えます。

    とりわけ何百年もの間、武士が政権の座に居続けたという、他国に類を見ない我が国の歴史を考える場合、仏教、特に禅宗の意義は無視できないからです。

    武術研究家の甲野義紀氏によれば、日本人の不思議なところは、「崇文軽武」のシナの思想に染まらなかったのみならず、戦闘行為そのものを思想家、哲学化さらには宗教化するという、西欧にも見られない特徴を持っていることです。

    「人を殺す」という役目を背負った武士は、いかに「合法的」とはいえ、ぬぐいきれない後ろめたさがあったはずですが、簡明かつ超理論的な禅宗は、武士が貴族社会への憧れを断ち切り、精神的に完全に独立し、独自の文化を持つために、打ってつけだったと考えられます。

    その後戦国期に発達した「茶の湯」は、死が日常だった往時、武士にとって格別の時間だったに違いなく、さらには「命のやりとり」を茶の湯に重ね合わせることにより、「武」を正面から肯定する空気が生まれるようになり、その現れの一つが「切腹」という風習だと考えられるのです。

    つまり「人を殺す」というタブーをあえて肯定する以上、自らの命を絶つ時には、躊躇なくかつ具体的な礼式に則った実施方法を持たなければ、とてもこのタブーに怯まずに、身分社会の頂点に立つことはできなかったはずであり、そのため、武士は常に死を見つめる生き方を身に付けるため、幼児期から刀剣と共に行住坐臥生活し、またその刀剣の操法を学ぶ事に努めたのです。(『剣の精神誌』無住心剣術の系譜と思想 甲野義紀著)

    シリーズの今回の本を通読して、最も強く感じたのは、先生が活写された、天才藤田幽谷の「慎まざるべからざるなり」の一言を始め、戦前の研究書から流れる言い回しの力強さ、そしてそこから伺える日本人のしぶとさでした。

    こうした迫力ある言説は、教育現場においても、少なくとも私は一度も聞いたことがありません。8月のテレビの戦争特集で、ニュースキャスターが「現代の私たちは、学問の自由があるのですから・・・」と戦前の人を憐れむような言い方をしたり、近年のNHKの時代劇が、「新しき国」「新しい日本人」などと連発するのを見ると、現代の知的退廃や劣化は、幕末に向かう江戸時代以上なのではないかとさえ思います。

    主語の不明な無機質の文章、隠された邪悪な意思を甘美な表現で包み、大衆を扇動しようとする言葉の数々にも、無批判になっている所に、現代の危機があるからです。

    神道と仏教、またシナや西洋の学問、さらに朝廷と幕府、台頭する町人などが有機的に絡み合って、成熟してきた江戸時代の社会は、我々が思っている以上に高度な社会だったに違いありません。

    それは、まさに水戸学が「道徳の歴史から制度の歴史」(P154)へと「質的転換」を遂げたという事実に現れています。

    現に我々が生活している現代の様々な社会制度とて、決して古いものではありません。
    私は昨年、厚労省から海軍にいた父の軍歴を取り寄せましたが、真っ先に目についたのが、名前と生年月日の隣に記されている「族称 平民」という文字でした。

    また近年流行している家系図製作のサービスに依頼して、両親の家系図を作りましたが、手に入れた古い戸籍を見て、その合理性に驚きました。

    親から子、孫まで記されたその方式は、家族構成や家系が一目瞭然であり、左翼が何と言おうと、どう考えても、今の戸籍の方が使いにくいと言わざるを得ませんでした。

    因みに平成22年6月、古い戸籍の保存期間が80年から150年に延長されました。ただし、これは何も古い歴史を大切にするという訳ではなく、専ら相続の手続きに役立てるためでしかありません。その後、古い戸籍を廃棄するか否かは、各自治体に任されているので、行政書士は、今のうちに古い戸籍を取り寄せておくべきだと警告しています。

    未だ残るGHQの政策のみならず、社会のあらゆるところで進む過去を消そうとする動き、何でもあるのに、ちっとも満たされた感じがしないという我々に決定的に欠けているのが、「超越者」(P152)に他なりません。そして我々日本人にとっての「超越者」、「公」は、今もなお天皇という存在でしかないと思わざるを得ませんでした。

    最後に、我々の危機をさらに増幅させているアメリカの権力という存在(P167)をどうするかという問題を含め、両陛下と皇室を守って行けるかどうかは、ひとえに我々国民一人一人が、精神的に自立できるか否かにかかっているいうことを、読了後しみじみかみしめました。

    コメント欄なのに長くなって大変失礼しました。

  2. 『ヨーロッパ共同体の破綻へ向けた、ドイツの疾走』

    西尾先生のブログ、いつも楽しく読ませて頂いています。
    ありがとうございます。感想をご報告申し上げます。
    ドイツの大学で、ラテン語の授業に出ているのですが、その際、何度も何度も繰り返される、それでいて、とても示唆に富んだ出来事があります。それは、『祖国』を意味するラテン語のpatriaという単語を巡る、講師と学生とのやり取りです。ラテン語のpatriaが、テキストに現れると、講師は、ドイツ語のVaterlandに置き換え、学生に説明を始めます。すると、ドイツ人学生は、これを、道徳を侵犯する問題として受け取ります。そして、すかさず強い叱責のこもった質問を、講師にぶつけます。そして、授業はいつも同じ質問で中断されてしまいます。
    『故郷(Heimat)じゃダメですか?』
     ドイツ人学生には、ラテン語の『祖国patria』が翻訳できません。ここには、母国語の『祖国Vaterland』という言葉の響きに対する感情的な憎悪の態度が潜んでいて、それ故に、学生たちは、この言葉を聞くと、攻撃性を宿した拒絶の態度を、あからさまに表明します。いくら、語源の相違を、講師が指摘しても、彼らは、まった聞く耳をもちません。そのため、ドイツ人学生が、この単語を、『故郷』という誤訳に譲歩させようとして、講師を叱責する場面に、何度も遭遇しました。
     何より興味深いのは、講師を問い詰めている時、学生の表情や声質、態度が、あからさまに、恍惚状態を帯びていくことです。ドイツの大学で繰り返される、この茶番劇は滑稽であり、見ていてとても哀しく感じます。何故ならかつて、トーマス・マンも、『祖国』を捨て新天地に『故郷』を求めましたが、彼の地で、『故郷』を手にすることなんてできなかったからです。偉大なドイツ詩人と一般学生を比較するつもりはありません。けれど、ドイツ人学生と講師の間にすら、明確な断絶が存在しています。ドイツ人学生は、先人が命を賭して取り戻そうとした『祖国』を、あからさまに拒絶します。そして、この拒絶の態度は、僅か数年の間に、ますます強化され、補強されてきたものであるように見えます。
     西尾先生の、ご指摘なされる、『ヨーロッパ共同体の破綻へ向けた、ドイツの疾走』を、ドイツで暮らす者として、このように実感しています。経済場面に現れる『ドイツの暴走』、これを支えているものの正体こそ、上記した、道徳の衣装をまとった、拒絶の態度に他ならない、と感じるからです。少々遠回りの言い方で申し訳ないのですが、ドイツ人は、『集団の罪』を負わなかったかわりに、『祖国』という『集団の記憶』を喪失してしまったようにみえます。そして、『祖国』を消し去るために、日本を遥かに凌ぐ莫大なお金が投入されました。ヤスパースは、戦勝国側の人間であり、むしろ戦勝国に『故郷』を得た民族を救済したのではないでしょうか?
     このことに直結する問題なのですが、ヨーロッパに押し寄せる移民を、経済難民、政治難民、戦争難民などの区分を設けて、問題の焦点をぼかそうとする議論があります。が、ドイツに入国を果たした彼らが、唯一確実に手に入れるものは、奴隷労働者という身分に他なりません。これは、どんな理由でドイツに逃げてきても(注)皆同じです。移民がもたらす莫大な規模の闇経済は、ギリシア危機同様、米国がしかける欧州破壊工作であるように思われます。
     すでに欧州共同体の構成各国は、経済問題で崩壊過程にあるのですが、独り勝ちといわれているドイツにおいても、やたらに移民を入れたおかげで、大都市を中心に、無国籍化したゲットーがものすごい勢いで広がっています。
     EUが、崩壊に向かうことは、合理的帰結のようです。そして、なによりも残念でならないのは、ドイツ人学生の『祖国』を憎悪する極めて強固な内的衝動が、破綻にむけた暴走を支えていることです。

    (注) 2010年時点で、EU圏内の不法移民は、1000万の壁を突破している。この不法滞在者による奴隷労働がEU圏の経済活動全体に占める割合も、すでに2割強にたっする。また、不法移民のEU圏内への移送は、年平均40万人にものぼるのだが、実にその九割は、闇ルート(奴隷商人の手)を経由したものである。なお、これらの統計数値は、年平均数万単位に上る正規移民を一切含んでいない。

  3. 書評
    西尾幹二『GHQ焚書図書開封11・維新の源流としての水戸学』(徳間書店)

                                     玉川博己

    西尾幹二氏の『GHQ焚書図書開封』シリーズの最新刊である本書は「維新の源流としての水戸学」を取り上げている。著者は本書において、GHQが没収指定を行った高須芳次郎や深作安文などの戦争中に書かれた水戸学に関する書物を取り上げ、その内容を紹介しながら、著者自身の水戸学論を展開している。そしてそれは単に明治維新の源流ともいうべき水戸学を紹介するのみならず、迫りくる欧米列強の侵略の圧力の中で事なかれ主義に過ごしていた江戸幕府を、現在の戦後占領体制の残滓を引きずる日本に投影させて、維新革命の思想となった水戸学の現代的意義を問いかけるものである。
    私自身の水戸学に対するイメージは、『大日本史』の編纂に着手し、湊川に大楠公の墓所を建立し尊皇思想を普及せしめた義公水戸光圀に代表される前期水戸学、そして幕末期にそれまでの尊皇敬幕思想を一気に尊皇攘夷思想に転換させていった烈公水戸斉昭、会沢正志斎、藤田東湖などの後期水戸学である。かつて私は神戸の造船会社に勤務していたことがあるが、湊川神社境内にある光圀の揮毫による「嗚呼忠心楠子之墓」の墓碑は身近な存在であった。後年水戸を訪れる機会があったとき、郊外の太田にある西山荘にも立ち寄り今も残されている晩年の光圀が過ごした質素な書斎や、折にふれ光圀が正座して京都の方角を遥拝したといわれる庭に大いに感銘を受けたものである。

    さて本書において西尾氏はまず水戸学が持っていた変革の思想の意義を重視する。徳川御三家の一員といういわば幕藩体制を支えるべき立場の水戸藩が、当初は尊皇敬幕を掲げながらも幕府の事なかれ主義や問題先送りの守旧感情を、その内部から壊していった思想と行動は維新史を考える上で欠かすことはできないと明快に指摘している。そして著者は、比喩として戦後における自民党体制の、国防という主権を外国に預けたままの怠惰な守旧感情のどうにもならぬしぶとさを思い合わせずにはいられないと皮肉を込めて批判していることには全く同感である。
    前期水戸学と後期水戸学のそれぞれの特徴について西尾氏は次のように述べる。前期水戸学が合理的であり、神話的歴史観を排している面を持つのに対して、後期水戸学は国防の観点が強調されるようになってきていると。『大日本史』の編纂に当って、光圀は基本方針としてそれまで国史上の難問であった神宮皇后や大友皇子の扱いを明確にする(神宮皇后の即位否定、大友皇子の即位是認)とともに、南朝(吉野朝)正統論を打ち出した。これらは大義名分の立場から光圀が決定したもので、後にすべて明治政府によって継承されている。

    また西尾氏は前期水戸学と後期水戸学の中間の時期に位置する藤田幽谷(藤田東湖の父)をいわば中期水戸学と位置づけて、水戸学の転換を図った存在として重視する。光圀の時代はまだ尊皇敬幕思想であり、決して幕府を否定するものではなかったが、幽谷は「尊皇賤覇」を唱え、当時松平定信に提出した「正名論」は後に老中となる定信の不興を買ったという。「尊皇賤覇」とは天皇を幕府の上に置くものであり、天皇を崇め奉る思想は幕府にとって危険思想と見なされたのである。この幽谷の思想が弟子の会沢正志斎や息子の藤田東湖に引き継がれ、「尊皇賤覇」は「尊皇排覇」に進み、やがて尊皇攘夷を唱え維新の革命的イデオロギーの源流となる後期水戸学に発展してゆく。

    後期水戸学の大きな柱は尊皇攘夷と国学である、と西尾氏は述べる。これは言い換えれば尊皇と国防ということである。幕末近くになると欧米列強の東亜侵略の波が日本にも及び、日本の危機が現実のものとなりつつあるにもかかわらず、幕府はこれを直視せず、ただ無為無策、問題先送りの対応であった。(戦後の日本政府と同じではないか。)これに危機感を募らせたのが烈公水戸斉昭と彼が登用した会沢正志斎と藤田東湖であり、ここに後期水戸学はいよいよ現実に対処する変革の思想として発展し、会沢正志斎の「新論」や藤田東湖の「弘道館記述義」は全国の勤皇の志士たちに熱烈に受け入れられるのである。平野国臣、吉田松陰、西郷隆盛ら志士たちは競って水戸を訪れ、尊皇攘夷思想に触れて大いに感奮興起したことはいうまでもない。尊皇攘夷というと偏狭な排外的ナショナリズム思想であると誤解されやすいが、西尾氏はそれを否定し文明開化と尊皇攘夷は矛盾対立していないと述べる。外国の文明を取り入れるが、その基本にあるのは自分を強くすることである、という西尾氏の指摘は、後に福澤諭吉が唱えた「独立自尊」の思想に通じるのではないだろうか。西尾氏は儒学を否定した国学と儒学に依拠した水戸学の相違点を述べる。しかし儒学を用いつつも藤田東湖はシナ思想の「禅譲」と「放伐」はこれを排撃する。これは水戸学に限らず古来海外の文化と思想を受容してきた日本人がその受容に際して取捨選択を行い、長を取って短を捨てる民族的伝統によるものなのであろう。

    最後に西尾氏は総括として、「天皇を中心として国家統一をするという尊王攘夷のスローガンは、日本が近代国家になって行くための必然のステップだった」「その序幕を開いたのが水戸学」であったと結論する。また西尾氏は尊皇とは「日本人の個我の発見」であり、「天皇の名において、近代的自我が発現した」のであるとする。「水戸学一党一派の徹底した勤皇イデオロギーがあったおかげで、国難の時代に、この国は天皇家を中核とした近代統一国家を形成することに成功した」「薩長の武士も水戸学の思想に心酔し、これを頼りにしていた」という結語には大いに感銘するものがあった。『文化防衛論』において、天皇こそ日本の文化・伝統・歴史の中心であり、また天皇のみが日本における革命の原理であるとした三島由紀夫の言葉を思い出す本書の読後感である。

  4. この著作と直接は関係ないかもしれませんが~。
    もっとも西尾先生の本は
    一本のテーマですべてつながっている気がします。

    ※ 2番さまの直のリポート、迫力あります。

    『戦線布告「NO」と言える日本経済』
    石原慎太郎著、3部作読んでます。
    一昔前の著作ですが不思議と普遍的。

    西尾先生の数年前お書きになった中に
    郵便民営化されたことが何を意味するか
    記されていた本と合わせ読みすると何か見えてきた思い。

    ・・・・・・・
    ヨーロッパ共同体の崩壊予測は
    西尾先生が早くからされていました。
    一人勝ちドイツも移民問題他から破たんも
    様々な例をあげて。
    アメリカ・パワー(帝国)からの対抗、脱却が
    最悪の結果も。

    中国も経済崩壊の発端に内部崩壊が加速。
    その先に反日と異常な軍拡。

    そこへ日本は異次元の無意味な内部論争の
    あけくれ(ガラパゴス化がピッタリ)。
    この辺も「日本は危ない、危機的」と
    以前からプレゼンしておられた姿が印象的。

    素人考えですが現代はすべての関連で動いている。
    一国平和主義、一人勝ちアメリカなんてありえない。
    周りの弱体化に成功しても自らの国力とて
    立ち行かなくなる背合わせ。

    収奪する国々が弱って来ては吸い上げる富が枯渇。
    根底には移民立国、近未来は白人種は逆転。
    また中枢部に中・韓国の内部侵入はあらたなウイルス。

    西尾先生の著作は過去を読み解き
    未来予想につながっててこわい。

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