産經新聞9月10日正論欄より
自国の歴史を漢字漢文で綴(つづ)っていた朝鮮半島の人々が戦後、漢字を捨て、学校教育の現場からも漢字を追放したと聞く。住人は自国の歴史が原文で読めないわけだ。
私はそのことが文化的に致命傷だと憂慮しているが、それなら今の日本人は自国の歴史の原文を簡単に読めるだろうか。漢文も古文も十分に教育されていない今の日本人も、同様に歴史から見放されていないか。
≪≪≪ 未来危うくする文科省の通達 ≫≫≫
学者の概説を通じて間接的に自国の歴史を知ってはいるが、国民の多くがもっと原点に容易に近づける教育がなされていたなら、現在のような「国難」に歴史は黙って的確な答えを与えてくれる。
聖徳太子の十七条憲法と明治における大日本帝国憲法を持つわが国が第3番目の憲法を作ることがどうしてもできない。もたもたして簡単にいかないのは何も政治的な理由だけによるのではない。
古代と近代に日本列島は二つの巨大文明に襲われた。二つの憲法はその二つの文明、古代中国文明と近代西洋文明を鏡とし、それに寄り添わせたのではなく、それを契機にわが国が独自性を発揮したのである。しかしいずれにせよ大文明の鏡がなければ生まれなかった。今の日本の困難は自分の外にいかなる鏡も見いだせないことにある。米国は臨時に鏡の役を果たしたが、その期限は尽きた。
はっきり見つめておきたいが、今の我が国は鏡を自らの歴史の中に、基軸を自らの過去の中に置く以外に、新しい憲法をつくるどんな精神上の動機も見いだすことはできない。もはや外の文明は活路を開く頼りにはならない。
そう思ったとき、自国の言語と歴史への研鑚(けんさん)、とりわけ教育の現場でのその錬磨が何にもまして民族の生存にかかわる重大事であることは、否応(いやおう)なく認識されるはずである。ところが現実はどうなっているのか。
文部科学省は6月8日、「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」という通知を各国立大学長などに出した。冒頭で「人文社会系学部・大学院については(中略)組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換を積極的に取り組むように努めることとする」とあり、現にその方向の改廃が着手されていると聞く。先に教育課程の一般教育を廃止し、今度リベラルアーツの中心である人文社会科学系の学問を縮小する文科省の方針は、人間を平板化し、一国の未来を危うくする由々しき事態として座視しがたい。
≪≪≪ 国家の運命を動かした文学者≫≫≫
文学部は哲学・史学・文学を中心に据え、西欧の大学が神学を主軸とするように(ドイツでは今でも「哲学部」という)、言語教育を基本に置く。文学部が昔は大学の精神のいわば扇の要だった。
言語は教養の鍵である。何かの情報を伝達すればそれでよいというものではない。言語教育を実用面でのみ考えることは、人間を次第に非人間化し、野蛮に近づけることである。言語は人間存在そのものなのである。言語教育を少なくして、理工系の能力を開発する方に時間を回すべきだというのは「大学とは何か?」を考えていないに等しい。言語の能力と科学の能力は排斥し合うものではない。
ことにわが国では政治危機に当たって先導的役割を果たしてきたのは文学者だった。ベルリンの壁を越える逃亡者の事実を最初に報告したのは竹山道雄(独文学)であり、北朝鮮の核開発の事実をつげたのは村松剛(仏文学)だった。その他、小林秀雄(仏文学)、田中美知太郎(西洋古典学)、福田恆存(英文学)、江藤淳(英文学)など、国家の運命を動かす重大な言葉を残した危機の思想家が、みな文学者だということは偶然だろうか。
≪≪≪訴える言葉を失ったデザイン≫≫≫
本欄の執筆者の渡部昇一(英語学)、小堀桂一郎(独文学)、長谷川三千子(哲学)各氏もこの流れにある。言葉の学問に携わる人間は右顧左眄せず、時局を論じても人間存在そのものの内部から声を発している。
人文系学問と危機の思想の関係は戦前においても同様で、大川周明(印度哲学)、平泉澄(国史)、山田孝雄(国語学)、和辻哲郎(倫理学)、仲小路彰(西洋哲学)などを挙げれば、文科省の今回の「通知」が将来、いかに我が国の知性を凡庸化せしめ、自らの歴史の内部からの自己決定権を奪う、無気力な平板化への屈服をもたらすことが予想される。
今のことと直接関係はないが、オリンピックの新国立競技場とエンブレムの二つ続いた白紙撤回は、組織運営問題以上の不安を国民に与えている。基本には二つのデザインに共通する無国籍性がある。北京オリンピックのエンブレムが印璽をデザインして民族性を自然に出しているのに、今度の失敗した二つのデザインには一目見ても今の日本の魂の抜けた、抽象的な空虚さが露呈している。
大切なのは言語である。自国の歴史を読めなくしている文明ではデザインにおいても訴える言葉が欠けている。
素晴らしい!!掲載の日から、何度も読み返し、切り取って手元に置いています。
国家の本質、政治的危機と文化系の知、というものの関係をこれほど具体的に明言したものを他に知りません。名前を挙げられた方々への敬意も感じられ、熱い気持ちになりました。
言葉・・・そうですね、やっぱり人間は言葉と文字が大切です。
このどちらも、「人間個人」を表します。
どんなに優秀な才能をもっている人間でも、言葉や文章が平坦だと、何の魅力もありません。
言葉や文章は、人を惹きつける要素があります。そしてそれがとても大事なものでもあります。
おそらくこのどちらも、心に響く最大の武器だからでしょう。そして同時にこれらは、大方独自なものだからでしょう。
普段の会話でさえも、それは十分成し遂げられています。さりげない言葉であっても、人間そのものを表しています。
ではどうやって人間は言葉や文章を磨くことができるのか。
そのキーワードは「愛」だと思います。
「愛情」の有無がとても大事な要素ではないでしょうか。
「愛情」の存在しない言葉や文章には、人は感動しません。
「愛すること」は一種の「リスク」です。
たとえ360度全方向的に通用する文言を見いだせたとしても、そこに「愛」が存在しないと、だれも振り向いてはくれない。
「愛する」ことで言葉の中に責任が生まれ、その責任が言葉に力を与えてくれる。
人は他人がリスクを背負っているかどうかを、意外と天秤に掛けながら聞いている。たとえば女性は男性の甘い声の中に「愛」を感じなければ心を開かないでしょう。男性はその女性のみを愛する真剣な感情を持つという「リスク」によって、言葉の重さを訴えている。
そうした「リスク」に賭けて、男性は女性に自分の愛情をアピールする。
これが言葉の原点ではないだろうか。
文学に携わる方々の原点には、この「愛情とそれに賭けるリスキーな言葉」が共通に持ち合わせているのではないかと思う。
別の表現でいうと、大きく広く語りながら、局所的に持論を絞り込み、そこで生まれる「責任」と常に葛藤し、言葉により鋭く切り開きながらも、それが上滑りしないために、言葉の中に「愛情」のニュアンスを常に意識して表現している。それはまるで、愛することを止めてしまうと、全ての言葉が無駄死にすることをあらかじめ知っているかのごとく、様々な行間に「人間愛」を降り注いでいる。
これが文学を学んだ方々の下地なのではないだろうか。
<続き>
「愛」と一言で済ましてしまう空しさは理解しているつもりです。
しかし、理解できないのは「愛」を一定の距離に置こうとする読み手の身勝手さです。
私は専門的に文学を学んだ身ではありませんが、しかし文学はそうした素人をつねに読み手として構えなければならない運命を背負っています。
そしてその読み手の能力が低かろうが高かろうが、ど真剣に相対さねばならないというその宿命。
あきんどの世界もそれに少し似た部分があります。
文学と聞けば、まるで商売とは程遠い世界のように思われがちですが、私は決してそうは思わない。西尾先生の存在を知ってからは、その意識がより強くなったという思いがある。
「政治を語るなら経済を知れ。経済を語るなら歴史を知れ」
これは西尾先生の哲学の一部分です。
私はこの言葉の中に、「愛情」を感じたのです。
全く違う分野が結びつきを得るには何が不可欠なのか、実は案外悩みました。「 」のなかの言葉の意味は一見分かりやすいようで、私には実はかなり難解だったのです。
政治と経済はほぼ同じ分野のようでありながら、しかし全く違う世界がそこにあって、ましてや経済と歴史なんか、普通に考えればなかなか結びつかない両者です。
ところが西尾先生は政治と経済、経済と歴史のその隔たりを、エロスの矢のごとく密着させたんです。
人間の感情が一度芽生えれば、それは認識となって、意識の根底から離れられないように、西尾哲学はそれを示唆しました。
ですから、それからの私の意識の中には、例えば政治家が経済を語れない場合には残念に思い、経済を語る人が歴史を認識していないとなおさら残念に思うわけです。
仮にその相対関係が未熟だったとしても、例えば政治家が経済学に疎かったとしても、政治に対する純粋無垢な愛情があれば理解できるし、経済学者が仮に歴史認識を間違っていたとしても、商人の原点に立ち返る心のあらわれさえ備わっていれば、それは万人に愛情の一部となって伝わる可能性があるんじゃないかと思ったわけです。
GHQ焚書図書での西尾先生の解説を拝見しておりますと、常に感じることは、「人間愛」なんです。人間らしい感情の存在、人間として当たり前に備わっている感情・・・それが、戦前も戦後もまったく違っていないんだよと、先生は訴えていらっしゃるのだろうと思うわけです。
そこに気づかせてくれる先生の「愛情」が、私には強く響くのです。
余計な話かもしれませんがもう少し語らせてください。
私は中学生のころから恋心を抱いていた女性がいました。
彼女をくどくために、それはそれは数多くの恋文を重ねました。
大学生の時ようやくその恋が実って、文通ができるようになりました。
残念ながらその恋は最終決着には至りませんでしたが、私は手紙の上で「恋」を描きました。私たちは遠距離愛でしたので、落ち合うことが不可能でした。しかし、当時の私には手紙での恋愛が最高の愛情表現ツールだったのです。
そうした経験は、いずれ「書く」ことへの無抵抗を私に身に着けさせました。なにせありきたりな内容では飽きてしまいますから、かなりどエロな話題もした経験があります。しかし根本的に失っていなかったものは、「愛情」でした。でもそれを露骨に語ったことは無かったと記憶しております。
私の本心は「ジュテーム」と叫びたくてしかたがありませんでしたが、結局私はその言葉を言い出せませんでした。
たぶんあの時の恋文は私の最高傑作の連続でしょう。
なぜなら、「愛情」が最高点で掲げられた文章だからです。
けして私のこんな些細な経験にこじつけるわけではないのですが、しかし、残念ながら現実は、書き手が読み手を躍らせる役目を担っているというのが現実でしょう。
そうした役割がどうしたこうしたと考えるよりも、お互いが「愛情」というニュアンスを感じながら関係すれば、言葉というのは生きてくるんじゃないかと考えるわけです。
<さらに続き>
ケインズ経済学というものがあります。
具体的にこの経済学を事細かに説明できるほどの知識が私には備わっていませんが、よく耳にする「音」となって、ケインズ経済学というものが存在しています。
以前興味本位でその学問を覗いたことがあります。ちらっとだけですが。
専門用語が並ぶこの学問を、どのように受け止めてどのように咀嚼すればよいのか、かなり悩んだ記憶があります。
私は商人の倅ですから、商売のいろはは一応心得ているつもりです。
しかし、マクロ的な視野に立って自分の商才を見定めれるほどの才能は有していないでしょう。
私たち一般人は、常時ミクロ的な見地で世の中を見定めているのが現実です。でも、現場での経験値というものが私たちにはあります。父や祖父が残した「伝統」というものもあります。そしてそれが間違いなく心の支えになっています。
そうした言い伝えと自分の経験から生まれる将来像というものが一応存在します。
これはごく当たり前な商人の心構えです。
ところがその点、ケインズ経済学というものが、案外未来予想に疎いという文章を読んだ記憶があります。問い詰めた説明はできませんが、例えば予測可能な金利の上げ下げや、株式市場の今後の行方などを、数値的に説明できるものとして確立されていないという論です。
簡単に言えば株の上げ下げなど、経済学では語るに値しないという論点なのかもしれません。株は常に上げ下げするものであり、それがいつどういう風におこるかという問題はここでは論外だ・・・ということなのか。
しかし、それって無責任なんですよ。単純に怒りが込みあがってきます。
私たちあきんどは、商品の寿命を常に意識しながら現場で汗を流しているわけであって、物の命に感じることを示さない学問に、嫌気を感じずにいられましょうか。
つまり「市場」に対する「愛情」が存在していないのです。
つめたく凍る氷でさえ、かき氷屋のおばさんは篤い愛情を氷に注いで商売しているんですよ。氷が溶けないように溶けないように愛情を注いでいるんです。
学問とは「学び問いただす」ということかと認識します。
しかし多くの学問は、学ぶことはあっても、問いただすことが不足しているんじゃないか。あきらかに不足している部分を、自分の能力で補おうとする意識が欠如されている。
本当にケインズ学派が理論を維持するなら、不足している部分を補えたはずです。自分たちの経済学への愛情さえあれば、それは可能だったはず。
現在の経済を実質的に論じている学問の世界では、「未来予想」的思考は欠かせないはずです。つまりそれは歴史をまず学ぶところから始めなければならない。今の時代厭らしいくらいにケインズが嫌っていた株の上げ下げ予想が、市場で要求されているという、この現代病のような現実。
もし私がケインズの愛人だったならば、「ジョン、ちょっとくらいエコノミーにも愛情を注いだら?」と書置きしたかもしれない。
「正論」7月号の「日本のための5冊」の企画で西尾先生の「戦前を絆す」では戦後の小林秀雄や福田恆存等ではなく、当欄の戦前5人からの作品を選ばれています。
戦後主流の保守思想は、徒に戦争を批判または反省する愚を戒めるが、「あと一歩というところで口を噤んでいる。(268頁上段)」そして、「一口でいえば戦後から戦後を批判する制限枠内に留まり、アメリカ占領軍の袋の中に閉ざされたままであるという印象を受けるのである。(268頁中段)」。
終戦までの日本の置かれた運命に、我が身を置いて素直に向き合うことを避けている不正直な姿勢からは「そこから先がない。あるいはそれ以前がない、(268頁上段)」。そこから真の歴史や思想は見えず、その営為も窺うことはできません。
西尾先生が今度のご講演で言語文化を江戸のから昭和のダイナミズムへとどう繋がってゆくのか、たいへんな興味を掻き立てられております。
・三島と正田美智子・
>在日問題を「難民問題である」と喝破したのは三島由紀夫である。
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/68f7ec32f333ea10c2d72c744180b1ad
極めて正確な視線を半世紀前の作家が保持していたことに驚かされる。
そして、なぜ三島以外のこれといっためぼしい知識人がこれに対して声を上げなかったのかも、いぶかしいことであろう。「戦後の日本にとっては、真の民族問題はありえず、在日朝鮮人問題は、国際問題であり、リフュジー(難民)の問題であっても、日本国内の問題ではありえない。これを内部の問題であるかの如く扱う一部の扱いには、明らかに政治的意図があって、先進工業国における革命主体としての異民族の利用価値を認めたものに他ならない」
*新潮文庫『裸体と衣装』初版306頁
「敗戦によって現有領土に押し込められた日本は、国内に於ける異民族問題をほとんど持たなくなり、アメリカのように一部民族と国家の相反関係や、民族主義に対して国家が受け身に立たざるをえぬ状況というものを持たないのである。(略)従って異民族問題をことさら政治的に追及するような戦術は、作られた緊張の匂いがする」
「半革命宣言」ではこうも述べている。「左翼がいう、日本における朝鮮人問題、少数民族問題は欺瞞である。なぜなら、われわれはいま、朝鮮の政治状況の変化によって、多くの韓国人をかかえているが、彼らが問題にするのはこの韓国人ではなく、日本人が必ずしも歓迎しないにもかかわらず、日本に北朝鮮大学校をつくり、都知事の認可を得て、反日教育をほどこすような北鮮人の問題を、無理矢理少数民族の問題として規定するのである」「彼らはすでに、人間性の疎外、民族的疎外の問題を、フィクションの上に置かざるを得なくなっている」作られた緊張。フィクション。要するに、在日が被害者であるためのもろもろは、フィクション、虚構によるしかない、と。何かマイナスになることを言われた時、朝鮮人たちが徒党を組んで押しかけ、また家族に危害を及ぼすぞと脅していたあの時代(1960年代)に、腹の座った発言であろう。もっとも、語彙の豊かな三島流レトリックを単に、在日と在日支持左翼が理解出来なかっただけのことかもしれない。
ちなみに、三島由紀夫の見合い相手が正田美智子、つまり現皇后であり三島はおそらくこれをモチーフに「春の雪」を著している。三島と現皇后がなぜ、結ばれなかったのか理由はつまびらかではないが、愛国右翼の粋のような人物と、カトリック左翼とでもいうべき独特の感性を秘めた娘とは、所詮相容れなかったのかもしれぬ。在日朝鮮人たちが、強制連行されてきたというのは三島の言う「フィクション」に過ぎない。彼らが日本に居着き、特権を貪るための方便、嘘である。このほど、韓国が強制連行の「証拠」として出して来た文書や写真が、逆に強制連行ではなかったことを証明していて、何と頭の悪い民族であろうかと思いを新たにせざるを得ない。論理構築能力が、著しく欠如しているのだろう。まず、ハングルのルビが振ってあることに留意。日帝の植民地化により、「韓国人は言葉を奪われた」というのが彼らの定番の「売り」であるのだが、それがこの文書一つであっさり、嘘だとばれる。また文言も「お願い」文であり、帰国も自由だができれば日本に踏みとどまって、助けて欲しいと言っている。どこが強制連行であろうか。
◆戦時徴用は強制労働は嘘 1000名の募集に7000人殺到していた/NEWS ポストセブン 8月7日(金)16時6分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150807-00000017-pseven-kr
ふむふむ。
15/09/24 00:40
子路