西尾幹二全集刊行記念講演会報告(三)

(三)

昭和のダイナミズム

 私がなにかに触れて好きな人、というくらいで並べてみたのですが、点線の上は昭和ではないからです。でもこういう流れでしょう。なぜこんな流れを考えたかというと、「江戸時代の継承」ということなのです。

 仏教の流れがあります。これはいちばん左の流れですね。それから儒教の流れは切れてしまいました。儒学の大家はいますが、吉川幸次郎にしても毛沢東礼賛に走ってしまう人たちで、中国研究家はおよそ尊敬に値しません。貝塚茂樹とか、宮崎市定とか大学者には違いありませんが、何で毛沢東礼賛なのでしょうか。外来思想としての儒学、つまり合理主義の面。これは西洋学がそっくり引き受けたというふうに考えて、これがその次の左側の五人です。それから国学は脈々と宣長の血統がありまして、私はこの三人だと思っているのです。折口信夫、橋本進吉、山田孝雄(やまだよしお)。最後の二人は国語学者ですけれど、本当に宣長の国語学を継承していますね。そして山田孝雄は国語学者だけではなくて、同時に宣長と同じ日本主義あるいは国学主義、国体論者です。

 その次の列は歴史家ということです。ところで歴史家にちゃんとした人がいるのでしょうか。私が好きなのは坂本太郎です、知っていますか。この人のものは何かと読みますが、良いですね。論じられるほどの材料は持っていません。ただ、読んでいないけれど密かに全集は持っています。そして問題は平泉澄(ひらいずみきよし)ですよね、これはすごい人ですね。それから右側はどちらかというと日本浪漫派。大川周明はちょっと違いますが。こういう文脈で言えるかどうかはちょっと分かりませんが、何となく分かるでしょう。でも「徳富蘇峰の流れ」というわけでは必ずしもありません。

 私は今申し上げましたように、昭和のダイナミズムは、江戸のダイナミズムを継承している、そういう風に理解しているのです。明治、大正はつまらないというのが私の独断と偏見でありまして、明治、大正を飛ばして江戸を継承して花を開かせたのは昭和の思想文化であると。そしてそれは、皆さんを含めて私たちが生きていた、目の前で見てきた人たちです。今、その時代が終わろうとしているのです。終わろうどころではない、もう終わっているのです。今さっきそこで新潮の元編集長と話しましたけれど、「もうあかん。文学は無くなっちゃった。」と言っていましたが、もう無くなってしまったのです。文学者というものがいなくなっている。芥川賞があっても、そんなものは何の証拠にもならない。

 つまり私たちが見てきた昭和のダイナミズムは、私たちが最後の目撃証人、皆さんはこういった人たちの本を買ったり読んだりしてきたわけだから最後の目撃証人で、これをもって日本は終わりとなりつつある。この後出てこないかもしれない、なにも起こらないかもしれないですね。そういう意味で、江戸で花開いた文化は昭和に花開いたのではないか、というのが私の仮説で、それで仏教の流れ、合理主義、西洋の流れ、それから国学の流れ、歴史、そしてその他日本浪漫派というようなことで考えてみたわけです。特徴は何れの人も全部というわけではないけれど、何れにしても古代復帰の願望を持っているということです。価値観が古代に傾いているということです。これは江戸時代と同じです。江戸は近代と古代の架け橋の時代であって、古代に傾斜した時代です。神秘主義ですよ、徂徠だって宣長だって。でも明治大正は神秘主義が一変に無くなっちゃう時代ではないですか。それでやっぱり昭和には古代復古、永遠というものの視座、時間を超えてゆくものへの視座。そういったものがこの人たちにはあります。そしてそれは江戸時代にもあったものです。合理化された明治、大正には無いのです。

 もう一つは西洋に学び西洋を越えるという視点がどの人にもある。皆西洋に学んでいます。国語学者でもそうです。国語学者だから国語だけやって、なんて人は誰もいませんよ。皆当然ながら西洋語も出来るし、平泉澄なんかすごい人ですよね。国史ですけど語学が達者ですごい人ですよ。だけど、ドイツ語もフランス語も英語もすごいですね。西洋を学び西洋を越える、という視点が皆ある。それが一つ。

 それから比較文明のというものの視座を持っている。やはり他の文明と自分を比較するという感覚はどの方もお持ちです。例えば鈴木大拙も仏教をどのようにして西洋に理解させるか、西洋人に理解させるか、というところからスタートしていますから。もちろん英語で仏教を語るということにおいて傑出していたわけだし。現実に比較文化、外来との緊張を持たない日本人はいなかったということです。

 私はここに柳田國男は入れていないのです。何かそういう大きな精神の流れの穴。それを欠落している人に見えるから。つまり西洋との闘いや西洋との緊張、それによって自分、日本をもう一回認識して・・・、というような問題意識から完全に離れてしまっている人で、私は全然魅力を感じません。私には、柳田國男は何を言っているのかよく解らないのです。正直言って私にはそうなのです。私にも解らない人は一杯いるのです。

 ここに挙げた人も皆解るわけではありません。この中でも好きな人もいるし、読んでもよく解らないという人もいるのです。例えば大川周明です。私は大川周明よりも平泉澄のほうがずっと解るのです。大川周明という人は、朱子学、儒学から出た人です。そうしてインド哲学が専門で、イスラム研究に入るわけですから。その間に大変な碩学で、いろんな日本の歴史も含めてやったわけで、巨大な思想家ですけれども。読んでいると何かピンとこないところがあり、言葉が分かりにくいのです。例えば平泉澄の言っていることはピンピン解るのですけれど、大川周明の言っていることは解らない。ということは例えば平泉澄はドイツ哲学があるから、基本に私には解り易いということで、大川周明が解りにくい、ということは多分そういうところなので、個人差です。こうなると普遍的なことを言っているのではなくて、私は個人差です。この中で和辻哲郎は好きだし、小林秀雄、竹山道夫、福田恒存、よく解るし、平泉澄も解る、坂本太郎も解る。でも大川周明、保田與重郎は解りにくいのです。私には非常に解りにくい人です。それは個人の好みだからしょうがないのですね。

 それからもう一つは「広角レンズ」になっているということ。言い方は変ですが、視野が広くなっているということ。これは明治、大正の人には無かった問題です。例えば大川周明の視野の広さというのは凄まじいです。ほんとうに何処まで行くのか分からないような、いろんな分野に触手を伸ばしています。他の人も含めてそうです。和辻哲郎の博覧強記には唯々驚くわけですが、どなたも皆視野が広くなっている。

 それに対して、そんな視野なんか広げたって駄目なのだと、小林秀雄なんかが言おうとして自我を逆の方向に持っていこうとするようなのもあります。敢えて博識というものに挑戦して、純粋自我という所に自分を持ってゆこうとする。そういうような人もいるけれど。しかし小林秀雄の視野が狭いというわけでは勿論なくて、非常に広いですよね。

 つまり、いろいろな意味でこれらの人たちは新しい時代と、そして再び言いますが、比較文明の意識、西洋を学んで西洋を越える、広角レンズ、古代復帰への意思、永遠への視座をもっている。そういった意味で江戸の思想と繋がっていてそれを復活させていると。そういう側面がある。仏教、国学、この人たちにみんな繋がっていますから。そういう私としての感想を最初に述べておきます。私はこれらの人の個々の思想について今お話しすることはとても出来ないのですが、いくつか言わなければならないことが残っておりますので、お話ししたいと思います。

 昭和のダイナミズムと称して、これは戦前も戦後も境を設けておりません。つまり戦前も戦後もひとつです。これを何で線引きするのか私には理解できない。明治維新もそうです。維新で線引きして何も良いことはありません。維新の前後は繋がっているのですから。それは文学史だってそうです。全部繋がっています。それは繋いで考えるべきだし、昭和も繋いで考えるべきだと思うのです。少し例を説明しますと、昭和10年代の言論の世界というのは非常に盛んであったということを皆知らない。出版界も大変活力を帯びていた。戦争前夜です。まるで自由のない言論封圧の時代だと思われるのは大間違いで、確かに戦前に正統と思われなかった思想は、戦後抑圧されたかもしれない。しかし戦前には戦後とは違った戦前に特有の活発な言論活動があったということを言いたいのです。時流に投じたベストセラーもありました。百何十万部などというベストセラーもありました。

 戦前に正統と思われなかった思想が、戦後息を吹き返したのは当然ではありますが、今度は逆に戦前に正統と思われていた思想が抑圧されてしまい、ずうっと今日に至っているというのはやはり不自然ではないでしょうか。敗戦で日本の全てが変わったという錯覚を与えているのはGHQです。日本人にとって自分が生きてきた時代の思想を他人の手で捥ぎ取られたり、捨てられたりする理由はありません。

つづく

「西尾幹二全集刊行記念講演会報告(三)」への2件のフィードバック

  1. 昭和天皇辞世歌

    やすらけき世を祈りしもいまだならず 
             くやしくもあるかきざしみゆれど
                             (昭和六十三年八月十五日)
    http://hikarinoshingun.giri.jp/01-donna-oshieka/0103dno-kamata-ronbun/h1602gyosei-kuyasikumoaruka-01.htm
    >ねず
    https://www.youtube.com/watch?v=MoYkLbupy8E
    http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/9cc5e37b4eea6a13fd3b1a734ed4a04a
    皇居のバチカンかぶれ「お皿帽子(81)」

  2. 幹二 先生、こんにちは!!

    国民の歴史 文庫決定版 を買いましたよ!

    「歴史とは何か」

    「自画像を描けない日本人」

    他、加筆部位を見比べ新たに線を引きながら読み進んでいます。

    *

    【2, 時代区分について】

    ・武士団における忠誠の観念は ~~( 中略

    ・歴史は民族によって異なって当然 ~~ 差異が認められるからである。

    ・呼び名はどこまでも呼び名にすぎない。

    等、先生は1999/10 ~ 時点で既に大まかな見解を導いているんですよね!

    勿論、人其々意見がある!!なので、” 大まかな見解 “と記しました。

    取っ掛りさえ在れば、歴史や幹二先生の言わんとする事が良く分かる。

    *

    僕は、世界最古の縄文土器文明―――― p 89 .

    にて、生きる者に輪廻はあるわ と、悟った身であります。

    h27 10/31 17:04 ,

    子路 。

copy にコメントする コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です