旧著紹介

 コメント欄に「ニーチェが冒涜されている」という文章を書いていた方がいたので、最近はさっぱりニーチェを読まない私ですが、2013年に『ニーチェを知る事典』(故渡辺二郎氏と共編)という旧著復活の本を出したときの私の「文庫版を出すに当って」をご紹介したいと思います。

niitye.jpg

 この本は、当時活躍されていたニーチェ研究家その他の方々の文章を蒐めた本ですが、レベルは高く、まだ大学教授が「劣化」していない時代の知性の鮮烈さを保っています。

 ちくま学芸文庫刊、780ページ、¥2000です。今でも入手可能です。当ブログでご紹介するのを忘れていたのは単なる偶然です。私の「文庫版を出すに当って」をさしあたりご紹介します。

 

私は最近ニーチェについてある簡単な本を書くように求められてお断わりした経験を持つ。それは右側のページにニーチェの言葉を置いて、左側でそれへのコメントを記すという編集者のアイデアに出た本だった。

 右側のページだけで終わらせる本、つまりニーチェ語録集なら作れないでもない。現にそういう本はこれまでにもたくさんある。けれどもニーチェの言葉を左側のページで簡単に解説したり、分り易く説き聞かせたりする本はどうしても作れない。書き手が負けてしまうことが明らかだからである。ニーチェの言葉が靭(つよ)いからだけではない。含みがあって謎が多いからでもない。書き手が自らにウソをつく結果に終ることが間違いないからである。

 最近の世の中は余りにも物事を簡単に考える人が多くなっている。ニーチェはニーチェを読む人に自らの体験を求めている。ニーチェはまず自分の読者であることを止めよと言っている。読者はニーチェを読解するのではなく、ニーチェを読むことを通じて、自分自身とは何であるかを再体験せよと言っている。

 本書は少し前の時代に、いろいろな分野で活躍された著名な方々の文章から成り立っている。ニーチェ研究家もいるが、そうでない人もいる。が、どなたもニーチェを体験して来た人々である。ニーチェと格闘して来た人々といった方がいいかもしれない。

 本書は入門書ではない。ニーチェを何とか苦心してすでに自分の体験にして来た方々が、自らの体験をそれぞれの分野で語った文章群である。ニーチェはじつに驚くほどの多面体である。だから本書にみられる体験も多様で、いろいろな切り口で語られている。本書の読者はどれか一つを真実と思わずに、さりとてすべてが真実であるという単なる相対論にも陥らずに、ニーチェを通じて自己を再体験するための苦闘の一助としていただければありがたい。

 ニーチェから発せられるすべては読者に向けられた問いであって、答はない。ニーチェから問われたくないと思う人はニーチェを読む必要もない。なにか簡単な解説の言葉を拾い読みして、知識として、教養としてニーチェを知ろうと思う人は、ニーチェに近づかない方がいい。

2013年4月

「旧著紹介」への9件のフィードバック

  1. 昔、書道の時間に、私がふざけて筆で絵を描いていたとき、担任の先生がそれを見て「君はいまそれを真面目に描いているのかい?それともふざけて描いているのかい?」と言われた時があった。
    私はその時答えに迷った。半分真面目で半分不真面目だったからだ。
    当時の私は子供心に、書道と言う時間がけして嫌いではなかったが、でも何度挑戦しても教科書のようには書けない自分に腹が立ち、気分転換に大好きな風景画を描いたのだった。
    実はその数日前テレビを見ていたら、墨で竹林を描く中国の少女の映像を見た。彼女は書道の天才で、中国でも注目の書道家だと報じられていた。
    年齢は私とほぼ同年。彼女にできて自分にできないはずはないと思い込んだ私は、「ふざけて」その彼女の描いた竹林に挑戦してみたのだった。

    しかし、なかなかテレビで見た画像のようには描けず、挑戦しているうちに彼女のすごさがわかった。悔しい思いが私の中に少しだけあった。目で見た記憶を頼りにイメージの中でそれに挑んだ私であったが、何度描いても映像のようなインパクトが生まれてこなかった。
    それ以来私の中にその竹林のイメージは、空想と現実の狭間で記憶に残り、実は何度か年賀状などでそれを描き、送ったことがある。

    <先生に送った年賀状の中にも、多分その絵が一枚あるはずです。
    何年前かは忘れましたが>

    私は自分がイメージしたものを、現実の「教科書」のようにそれを自分の目で見ながら描くことが大嫌いな人間です。真似をしようとしていることは間違いないのですが、実際に目で見ながら描いてしまっては、それは私の中の「本物」ではないということを、子供の時からこだわる、ちょっと変にプライドが高い人間だったのかもしれません。
    同じイメージで絵を描くにしても、それを目で見ながら描くことは卑怯だと思いながら、至らない腕前でそれに挑んでいた当時の自分。
    担任の先生は、はたして私の描いた墨絵をどう評価したのかわかりませんが、空想の世界を描いているかのように見えたのならそれは実際には間違いで、私にはちゃんと心の中にお手本があり、他の生徒が真面目に書道をしている時間に、この子はなにをしているんだ・・・としか思わなかったのなら、先生のその眼は単に「教師」としての威厳の確保でしかそれを為していないということに、一応子供の側から言わせてもらうとそうなる。

    その時の私は真面目にふざけていた。これが本当のところだった。
    しかし、それとはパラレルに、自分の実力を試したかったという、もう一つの本当の自分がいたのも間違いない事実なのだ。

  2. 本日(11月25日)、『西尾幹二全集 第12卷』が屆きました。
    先生と江藤淳との對談「新・全體主義が日本を呪縛する」に、次の一節があります(P630)。

    江藤 冷戰が終わったということは、アメリカにとって、すなわち自由と民主の旗印がこなごなになったということです。そこに出てきたのが嫌煙權であり、垂直に挑戰を受ける人であり、ブラック・オア・ホワイトであり、同性愛幼兒姦だった。實を言うと、それがソ連であっても、ナチズムであっても、何を國是にしようが、不寛容な方向に進む社會というのは、それまで育んできたものを壞す社會に他ならないんです。
    かつてあった美と道徳、本音と建前、ウソとホント。そういうものが混在した成熟社會を壞していこうとしているのだと思います。
    西尾 同じような方向の社會の單純化というか、平板化というのは、ヨーロッパでも次第に強まっていますね。ドイツなども、昔はそうでなかったはずですが、今はウラもオモテもない社會なんだとしみじみ感じます。僞善がなくなってしまったんです。僞善が生きているということは、同時に羞恥心があるということでしょう。嘘をついてでも守らなくてはならないものがある社會ということでしょう。
    江藤 そう、そのとおりです。
    西尾 ノーベル平和賞をもらった故ヴィリー・ブラント元首相は、生前、長く連れ添ってきた糟糠の妻を捨てて、自分の娘より若い祕書と再婚しました。それについて私などは、周りのドイツ人に「苦々しく思っている人も多いんでしょうね」と聞くわけですよ。すると、今のドイツ人たちは、キョトンとした顏をします。そして「ああ、ブラントは立派だ。
    自分の信念に忠實に行動した」と答える(笑)。まったく照れもはにかみ
    もない。愛をつらぬくのが正しいという、いわば戰後的觀念があるだけです。いかにも薄っぺらです。僞善の意味さえ分からなくなってしまっているのです。
    江藤 日本にもそれはありますが、ドイツのほうがひどそうですね。

    社會主義者 ブラントの面目躍如ですね。私が直ちに聯想したのは、やはり社會主義者であるオランド(現・フランス大統領)でした。この人も、事實婚(夫婦別姓?)を實行するなど、自己の信念に忠實です。入籍などといふ、前時代の遺物に附合ふつもりは亳もないやうです。そして勿論遺産相續は、嫡出子・庶子(かういふ語は、彼の辭書にはないでせうね)により差があつてはならない、すべて平等であるべきだと考へてゐるのでせう。
    オランド大統領がテロに對する決意を語る時、その顏、聲、身振はいかめしく、重々しい。あらゆる人間的思考や過誤を總括し、超越した、人類最後の叡智は我にありと信じてゐるやうです。
    あの騷ぎを、カトリック、イスラムの戰ひとする向きが多く、根本はそのとほりでせうが、大統領がかざしてゐるものには、もう少しだけ先にあるやうな氣がします。それは、フランス革命によつて神に代る坐を得た「近代理性」です。
    今囘もさうですが、私がそれを確信したのは、一月のシャルリー・エブト襲撃事件の後です。大統領がパリの街を、メルケル獨首相、キャメロン英首相、ネターニャフ イスラエル首相、アッパスパレスチナ議長その他と共に、「ラ・マルセイエーズ」を歌ひながら、デモする姿は印象的でした。
    あれは尋常ではなく、なにかに憑かれてゐました。「自分が奉じてゐるのは、普通の神ではない。 ”理性 ”といふ特別の神なのだ。ヤハヴェや、アラーを完全に超克したものなのだ」と信じてゐることは疑へないと感じました。

    私には、理性とは近代のお化けのやうに思はれました。オランドには「照れもはにかみもない」のです。すべてが大マジメなのです。かういふ手合こそ、最も恐るべし。
    ジハードとやらを敢行してゐる戰士たちが氣の毒でした。彼等に言ひたいかつた「あなたがたは十分に本氣だ。しかし相手はもつと本氣だ」と。もしも、オランドに對して「神も理性も大きな力を持つてゐる。けれども、オールマイティーではない。それらを登場させる前に、西尾先生の指摘に從つて、移民政策を見直してはどうか」とでも忠告したら、キョトンとするか、ウーンと叫んで氣絶するかと想像し、苦笑するのみでした。

  3. 池田俊二さんの投稿を読ませていただいて、ふと江藤淳氏の「死」について西尾先生が、とある青年に「君は江藤氏がなぜ死を選んだかわかるかい」と聞いたことを思い出しました。その青年は答えに詰まりそれを見た西尾先生は質問しながら答えを彼に言い出した。
    「それはね・・・『愛』なんだよ」

    その青年と言うのは・・・ミッドナイト蘭君・・・です。
    もうあれから13年くらい過ぎたんですね。
    当時彼が突然先生に「会いましょうか」と呼び出され、その席で聞かされた話題の一つを、彼がわざわざ私に知らせてくれた時の話なんですが、先生のこの質問がおそらくよほどインパクトがあったのか、ちんぷんかんぷんな私に、嬉しそうに語っていたのを思い出しました。

    私の中では「そうかぁ、江藤淳という方は、愛妻家なんだな」ぐらいしか印象が残らなかったわけですが。
    でも全集12章では、池田さんが示されたように、江藤氏との人間の内面の話題を語り合っていらっしゃるようにお見受けできます。
    もしかすると、この時の話題が蘭君との会話ともに関わってくると踏んでよろしいいのでしょうか。
    そして西尾先生の江藤淳氏へのメッセージは「愛に生きた江藤氏」という印象を持ってよろしいのでっしょうか。
    それとも、もっともっと深い意味がそこにはあると探るべきなのでしょうか。

  4. 白鳥春彦編訳『超訳 ニーチェの言葉』ですね。

    私も最近読んでみましたが、ニーチェと格闘してこられた方から見ればなるほど「冒涜」という言葉を使いたくなるのもわかるような気がします。
     しかし、いつの時代も他人のふんどしで相撲を取る輩はいます。あまり目くじらを立てる必要はないのではないでしょうか。それよりも、ニーチェの残した言葉の中から、とりわけ分かりやすい言葉、一般受けのしやすい言葉が広く知られることのほうが大切ではないでしょうか。こういった企画物は一応登山の入口にはなります。登山口に立ってそこから一歩を踏み出す人もいるでしょうが、大半はそこで入山を断念するか、そこに立ったことで満足して、下界で、山に登ったかのような顔をして言いふらす人も出てくるでしょう。
    しかし、私としては、その中から、特に若い人の中からニーチェと本気で格闘しようというほんの一握りの人が現われることのほうに期待したいと思います。こういった本がきっかけになることもあるでしょう。

    私自身は、むしろ先生が近著『GHQ焚書図書開封 11』「維新の源流としての水戸学」で触れられているような歴史や思想と格闘している人間で、ニーチェと本気で格闘したとは言えない人間ですが、西尾先生の著作の愛読者として、先生のニーチェ関連の論文および翻訳と向き合った経験はあります。それを元に晩年のニーチェ――光と断崖――について気づいたことを論文にして書いたこともありますが、最近、気まぐれにご指摘の本を手にとって読んでみて、ある時期のニーチェには、こんな軽やかな言葉があったのか、と新鮮な驚きがありました。

     これまで読んだ先生が翻訳されたニーチェの著作は、まさに格闘を読者に求めているようなところがあったからです。先生の論考にしても、わかりやすく書こうと拝察されるにもかかわらず、難解なニーチェという存在の謎に取り組んでいることもあって、やはり気安く読めるような内容ではありませんでした。

     その経験からも、ニーチェならこんな現象を舌打ちするかもしれませんが、こんな時代ですから、世間的にはこういった本もそれなりの価値があるものだと思います。

  5. >最近の世の中は余りにも物事を簡単に考える人が多くなっている。ニーチェはニーチェを読む人に自らの体験を求めている。ニーチェはまず自分の読者であることを止めよと言っている。読者はニーチェを読解するのではなく、ニーチェを読むことを通じて、自分自身とは何であるかを再体験せよと言っている。<

    私のような無学な人間の方が、ある意味このような言葉はありがたく感じます。
    以前先生に、「悲劇の誕生」をこれから読み始めます・・・と伝えたところ、「最初の方は難解なので、先読みし、そのあと一章から読むことを勧めます」とアドバイスされたんですが、そういわれるとなおさら第一章から読みたくなり、実際読んだわけですが、たしかに先生がおっしゃる通り、かなり難解でした。

    かなり難解ということこそが間違いで、ある種の「この世のものではない」ものを具現化しようとする魂というか、まぁ具体化するのは難しいわけですが、私のいつもの怖いもの知らずな立場で言わせていただきますと、これは尋常では理解できない段階の世界を描いている、というのが最初の印象でした。
    おそらくニーチェもその反応は間違いない判断として、彼の哲学の範疇なんでしょう。
    しかし、私はどこか悔しい思いがあるんです。どうして彼が語ろうとしている真実が見抜けないのか。
    実はここが間違いの始まりだったんですね。
    彼の言論をそのまま受け継ぐことを、彼がほかの人間に望むはずはないということに、少しづつ気づき始めると、ニーチェという偉大な人間と、何も教養のない自分との「差」が無いことに気づいたんです。
    ということは、自分の中にニーチェと同等の何かがあり得るということに気づいたんです。
    しかし、それはやはり「悲劇の誕生」を読んだから気づいたわけです。
    そのことがニーチェにとって望むべきか否かはもうどうでもいいわけです。
    誰かの言葉に「反応」するその才能自体が、その人間の能力であり、それがあるかないかというだけの問題で、べつに取り上げる問題ではないわけです。
    問題は、どれだけ「自分」があるかということ。
    私はニーチェほどドライな人間ではないと考えますので、とりあえず人生の経験値から語る主義なんですが、人生は「あきらめない」ことが私の哲学です。
    いろいろ経験させていただいたなかで、どんなに年を重ねても学ばなければならないことが沢山あり、逆に年を重ねるほど、学べることが沢山あることの幸せが私にはあります。
    これは私だけの人生観です。

    それを堂々と示すことが、ニーチェと対等に・・・いやそれ以上に自分を存在させることだと思うわけです。

  6. 「あきんど」さんがご自身のニーチェ体験を書いておられるのを読んで、自分のニーチェ体験も少し書いてみようと思いました。前回のコメントで最晩年のニーチェについて論考を書いたことがあるといいましたが、自分自身ニーチェと全力で格闘したことがあるとは言えないということもあって、どうせ誰も読まないだろうと思って「神になった悲劇人 最晩年のニーチェ」という題名で、一年ほど前にブクログという電子書籍のプラットフォームにて公表したのですが、案の定、誰も読みませんでた。

    私がニーチェそのものよりも、先生のニーチェ論と取り組もうとしたきっかけは、先生がいろんなところでお書きになられている、日本人の信仰は天皇と仏教に由来する超越神への二重の信仰で成り立っている、との見方に異見があって、先生の論への批判を通じて、言わば自分なりの国体論を書こうと思い立ったことがきっかけでした。先生の論を批判する以上、先生の歴史に対する論考だけでなく、ニーチェ論もちゃんと読んでおかなければならないと思ったのが、取り組むきっかけとなりました。ですから数ヶ月の格闘ということになりますが、貴重な体験でした。

     読んだのは『ニーチェ 第一部・第二部』『ニーチェとの対話』「光と断崖―最晩年のニーチェ」、翻訳の方は『偶像の黄昏』『アンチ・クリスト』『この人を見よ!』、そしてカール・レイヴィット『ブルクハルト』中の先生の担当論文です。

     私はニーチェの思想を哲学的に語る能力はないのですが、これらの著作を読むうちに気になったのはニーチェと老ブルクハルトの関係でした。二人の関係はワーグナーとの愛憎関係と違って、単純に割り切れないところがあり、この点に関しては先生もあまり踏み込んでおられません。
     誰に対しても容赦ない批判を行ったニーチェですが、この老人に対してだけは生涯尊敬の念を失うことなく、一方で批判の言葉も残していますが、いわゆる「発狂」の瞬間まで師友としてへりくだって接しました。ブルクハルトの方はだんだん冷淡になっていきましたが…。

    先生が翻訳されたカール・レーヴィットの『ブルクハルト』第一章「ブルクハルトとニーチェ」は、この疑問を解く上で示唆に富んだ内容で、そこから私なりの仮説を立てることができました。

    結論から申しますと。ニーチェがニヒリズムを超克する上で提唱した「超人」の思想とは、ブルクハルトが『世界史的考察』で述べた「歴史における偉大さ」に対する考察を下敷きにしたものではなかったか、ということです。
    ブルクハルトは歴史への観照から歴史的偉人の仕事を考察しましたが、ニーチェはこの師友が歴史から汲み出したものをしっかり受け取って、彼らが直面していた時代の危機に立ち向かっていこうとした。老ブルクハルトは時代の危機に絶望し、先生流に言えば歴史の神殿に拝跪しましたが、若きニーチェは時代の危機に立ち向かって、自ら未来に向かってその歴史の神殿を飛び出し、新しい価値の創造者という歴史的偉人になろうとの決意を持って哲学的実践を行った。その実践のドキュメントが彼の諸著作であり、彼がそれらを必ずブルクハルトに贈って批評を請い続けたのも良くわかるような気がするのです。(ニーチェがブルクハルトのこの世界史に関する講義を受け感銘を受けたのは歴史上の事実であり、これはニーチェにとって重要な処女作『悲劇の誕生』の胎動期のことでした。)
     そして、それらの結末として、ニーチェは断崖に落ちて闇に落ちたのではなく、身体の自由は失われたにしても、精神的境地においては古代ギリシャ的な意味における「神」になったのだ、との結論に至りました。いわゆる狂気の書簡において、ニーチェ自身が、ディオニュソスやイエスやカエサルと並ぶ「神」になったという趣旨のことを述べているのです。この境地は近代合理主義精神では理解しかねるものですが、それこそニーチェが乗越えようと悪戦苦闘した敵そのものだったことを忘れてはなりません。

    彼の主張は本居宣長や新井白石が定義した「神」概念に重なるところがあり、われわれ日本人にはむしろ理解しやすい。そう考えると、ニーチェのエピゴーネンたちに対する「冒涜」との宗教的な言葉を用いての批判もわかるような気がするのです。
    「超人」と訳されるドイツ語【ubermensch】は英訳すると[overman][superman]となって、上(かみ)とか、優秀とか、超越などの形容が冠せられる人間ということになると思います。

     拙論では概略こんなことを述べたのですが、ここまで書いて、深刻なニーチェ体験を重ねてこられた方々が集うこのブログで、しかも先生のブログで、無学の自分が広告するのはいまだに躊躇を覚えるのですが、やはり思い切って拙論を公表してみたいと思います。自分のブログでしばらく公表するので、素人のニーチェ論を読もうという物数寄な方がおられましたらお読みください。数日後から五回に分けて次のブログにアップいたします。

    http://saigou.at.webry.info/

  7. 「ミーハーファンは必要」

     先日、「ニーチェを冒涜するな」との投稿をしたばかりですが、私のような人ばかりがいても問題があります。

     それは、新たにニーチェに興味を持った人間を排除することになるからですね。

     陸上の為末さんが述べていましたが、「オタクとコアなファンが業界を滅ぼす」というものがあります。

     ニーチェ自身がどう思うかは分かりませんが、ニーチェオタクとコアなファンだけでは、この業界も先細りだということですね。

     ニーチェの現代語訳が出てくる必要もあるでしょう。

     「ツァラトゥストラかく語りき」が、今では「ツァラトゥストラはこう言った」という表現になっているのも時代の流れで仕方ないでしょう。

     専門家の間では、「かく語りき」という表現を守るべきだとは思いますけどね。

     専門家の存在は、そういうところにあると思いますしね。

     そもそも、ニーチェの言葉でなければ、いくら現代語訳したところで、100万部以上の売り上げを果たすことは出来ないでしょう。

     ニーチェの言葉のエッセンスを正しく理解していれば、表現を変えても、その本質は伝わるのではないでしょうか。

     最近の例ですが、私がツイッターで、福田恒在先生の言葉を、多少アレンジして載せてみたところ、とんでもない数のリツイートが返ってきたという出来事がありました。

     福田先生の言葉の本質は理解していたので、それを現代の若者にも分かる言葉で伝えただけで、これほどの反応が返ってくるとは思いませんでした。

     後は一言、この言葉は「福田恒在」という人物の言葉である、ということを伝えれば、若者の中に、福田先生の著書を読んでみようと思う人が出てくるかもしれません。

     まあ、なんというか、もう少し工夫をすれば、まだまだ、真の保守だった人物の言葉を、現代の若者に伝える方法はあると思いますね。

     もっとも、私が真の保守と認める人物は、現存する言論人の中には、ほとんど見当たりません。

  8. ◇◆核の傘の消滅◆◇
    アメリカの対漢族政策には、Containment派とEngagement
    派があります。前者は、アジアでの軍事的プレゼンス維
    持のための対抗政策に、後者は、漢族の民主主義化と法
    治主義化の願望を念頭にした親和政策に、主眼を置いて
    います。

    アメリカの資本取引のrealized capital gainsの約半分
    を、同国国民の0.1%の上位所得者が保有しており、彼ら
    の属するグローバル金融資本には、Goldman Sachsや
    BlackRockがあります。対漢族ビジネスで甘い汁を吸って
    いる彼らは、Engagement派であり、民主共和両党に多額
    の献金をしています。彼らの年収は、数百億円から数千
    億円と言われており、その微少部分が献金されたとして
    も、以下のように驚くべき額です。アメリカの政治資金
    規正法はゆるく、政治家自身の政治資金団体への献金上
    限は数万ドルですが、その支援団体への献金は上限があ
    りません。

    例:
    ・現在大統領レース中のクリントンとブッシュは、それ
    ぞれ数百名の献金者がおり、彼らの平均献金額はクリン
    トンで約160万ドル、ブッシュで約130万ドルです。
    ・3年前の大統領選でSheldon Adelsonは、1.3億ドル拠
    出し、今年Carl Icahnは1.5億ドル拠出しています。

    Containment派とEngagement派は拮抗しており、両グ
    ループの妥協的政策が表面上実現され、それは
    Congagementと呼ばれますが、政治資金の大半を
    Engagement派が出しているので、本質的にはEngagement
    的な政策になります。よって、本質的な対漢族政策は、
    民主共和両党同じです。日本ではその表面的な部分のみ
    が受け取められる願望が強すぎ、本質の認識が無意識的
    に除去されます。

    本質的にEngagementであるCongagementのいい例が、今
    回の南シナ海でのアメリカ艦船派遣です。その派遣とそ
    れに対する漢族の反発は、日本での受け止め方は、「ア
    メリカよくやった」ですが、本質はプロレス型猫パンチ
    合戦です。そのため、暗礁軍事基地化工事進捗には、何
    ら影響がなく、このままでは約5年後には、そこには巡行
    ミサイルと弾道ミサイルが、それぞれ数百機配備されま
    す。巡行ミサイルは、海面1m上空をマッハ2か3で飛行
    するので捕捉が困難で、アメリカ艦船の脅威となります。
    特に空母がやられると大打撃で、アメリカ海軍は怖くて
    南シナ海に侵入できなくなります。その後、そこは位置
    特定困難な核搭載潜水艦の巣となり、アメリカにとって
    の核の脅威となります。よって、アメリカは漢族との戦
    争が不可能となります。これは、日本にとっての核の傘
    の消滅を意味します。

  9. 前回のコメントで書いた『神になった悲劇人 最晩年のニーチェ』をブログにアップいたしましたのでお知らせ致します。
    ご意見、ご批判いただけると幸いです。

    http://saigou.at.webry.info/

    内容は前回のコメントで紹介したとおりですが、

    ①ニーチェとディオニュソス、②ニーチェとブルクハルト、③ニーチェの到達点、④神になった悲劇人 最晩年のニーチェ

    となっております。

    あと補論としての試論「ニーチェと論語」という文章も掲載する予定です。

稲垣秀哉 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です