日本人は少しおかしいのでは?

 ときどき日本人はどうしてこんなにおかしい民族なのだろうかと思うことがある。わずか12年前に、今から信じられないあまりに奇怪な言葉が書かれて、本気にされていた事実を次の文章から読み取っていたゞこう。

 最近出たばかりの私の全集第12巻『全体主義の呪い』の576ページ以下である。自分の昔の文章を整理していて発見した。

 この作品は初版から10年後の2003年に『壁の向こうの狂気』と題を変えて改版されたが、そのとき加筆した部分にこの言葉はあった。私もすっかり忘れていたのだった。

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全集第12巻P576より

 北朝鮮の拉致家族五人の帰国は、私たち日本人の「壁」の向こうからの客の到来が示す深刻さをはじめて切実に感じさせました。向こう側の社会はまったく異質なのだという「体制の相違」を、日本人は初めて本格的に突きつけられました。それは相違がよく分っていないナイーヴすぎる人が少なくないということで、かえって国民におやという不可解さと問題を考えさせるきっかけを与えました。

 北朝鮮が他の自由な国と同じ法意識や外交常識をもつという前提で、この国と仲良くして事態の解決を図ろうという楽天的なひとびとが最初いかに多かったかを思い出して下さい。「体制の相違」を一度も考えたことのない素朴なひとびとの無警戒ぶりを一つの意図をもって集め、並べたのは、五人が帰国した10月末から11月にかけての朝日新聞投書欄「声」でした。

「じっくり時間をかけ、両国を自由に往来できるようにして、子供と将来について相談できる環境をつくるのが大切なのではないでしょうか。子どもたちに逆拉致のような苦しみとならぬよう最大限の配慮が約束されて、初めて心から帰国が喜べると思うのですが」(10月24日)
「彼らの日朝間の自由往来を要求してはどうか。来日したい時に来日することができれば、何回か日朝間を往復するうちにどちらを生活の本拠にするかを判断できるだろう」(同25日)

 そもそもこういうことが簡単に出来ない相手国だから苦労しているのではないでしょうか。日本政府が五人をもう北朝鮮には戻さないと決定した件についても、次のようなオピニオンがのっていました。

「24年の歳月で築かれた人間関係や友情を、考える間もなく突然捨てるのである。いくら故郷への帰国であれ大きな衝撃に違いない」(同26日)

「ご家族を思った時、乱暴な処置ではないでしょうか。また、北朝鮮に行かせてあげて、連日の報道疲れを休め、ご家族で話し合う時間を持っていただいてもよいと思います」(同27日)

 ことに次の一文を読んだときに、現実からのあまりの外れ方にわが目を疑う思いでした。

「今回の政府の決定は、本人の意向を踏まえたものと言えず、明白な憲法違反だからである。・・・・・憲法22条は『何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない』と明記している。・・・・・拉致被害者にも、この居住の自由が保障されるべきことは言うまでもない。それを『政府方針』の名の下に、勝手に奪うことがどうして許されるのか」(同29日)

 常識ある読者は朝日新聞がなぜこんなわざとらしい投書を相次いでのせるのか不思議に思い、次第に腹が立ってくるでしょう。あの国に通用しない内容であることは新聞社側は百も知っているはずであります。承知でレベル以下の幼い空論、編集者の作文かと疑わせる文章を毎日のようにのせ続けていました。

 そこに新聞社の下心があります。やがて被害者の親子離れが問題となり、世論が割れた頃合いを見計らって、投書の内容は社説となり、北朝鮮政府を同情的に理解する社論が展開されるという手筈になるのでしょう。朝日新聞が再三やってきたことでした。

 何かというと日本の植民地統治時代の罪をもち出し、拉致の犯罪性を薄めようとするのも同紙のほぼ常套のやり方でした。

 鎖国状態になっている「全体主義国家」というものの実態について、かなりの知識が届けられているはずなのに、いったいどうしてこれほどまでに人を食ったような言論がわが国では堂々と罷り通っているのでしょうか。誤認の拉致被害者をいったん北朝鮮に戻すのが正しい対応だという意見は、朝日の「声」だけでなく、マスコミの至る処に存在しました。

「どこでどのように生きるかを選ぶのは本人であって、それを自由に選べ、また変更できる状況を作り出すことこそ大事なのでは」(「毎日新聞」)12月1日)

 と書いているのは作家の高樹のぶ子氏でした。彼女は「被害者を二カ月に一度日本に帰国させる約束をとりつけよ」などと相手をまるでフランスかイギリスのような国と思っている能天気は発言をぶちあげてます。

 彼女は「北朝鮮から『約束を破った』と言われる一連のやり方には納得がいかない」と、拉致という犯罪国の言い分を認め、五人を戻さないことで
「外から見た日本はまことに情緒的で傲慢、信用ならない子供に見えるに違いない」とまでのおっしゃりようであります。

 この最後の一文に毎日新聞編集委員の岸井成格氏が感動し(「毎日新聞」12月3日)、一日朝TBS系テレビで「被害者五人をいったん北朝鮮に戻すべきです」と持論を主張してきたと報告し、同席の大宅映子さんが「私もそう思う」と同調したそうです。同じ発言は評論家の木元教子さん(「読売新聞」10月31日)にもあり、民主党の石井一副代表も「日本政府のやり方は間違っている。私なら『一度帰り、一か月後に家族全部を連れて帰ってこい』という」(「産経新聞」11月21日)とまるであの国が何でも許してくれる自由の国であるかのような言い方をなさっている。

 いったいどうしてこんな言い方があちこちで罷り通っているのでしょう。五人と子供たちを切り離したのは日本政府の決定だという誤解が以上みてきた一定方向のマスコミを蔽っています。

 「体制の相違」という初歩的認識を彼らにもう一度しっかりかみしめてもらいたい。

 日本を知り、北朝鮮を外から見てしまった五人は、もはや元の北朝鮮公民ではありません。北へ戻れば、二度と日本へ帰れないでしょう。強制収容所へ入れられるかもしれません。過酷な運命が待っていましょう。そのことを一番知って恐怖しているのは、ほかならぬ彼ら五人だという明白な証拠があります。彼らは帰国後、北へすぐ戻る素振りをみせていました。政治的に用心深い安全な発言を繰り返していたのはそのためです。二歩の政府はひょっとすると自分たちを助けないかもしれない、とずっと考えていたふしがあります。北へ送還するかもしれないとの不安に怯えていたからなのです。

 日本政府が永住帰国を決定した前後から、五人は「もう北へ戻りたくない」「日本で家族と会いたい」と言い出すようになりました。安心したからです。日本政府が無理に言わせているからではありません。政府決定でようやく不安が消えたからなのでした。これが「全体主義国家」とわれわれの側にある普通の国との間の「埋められぬ断層」の心理現象です。

引用終わり
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 いかがであろう。読者の皆様には多分びっくりされたであろう。

 「朝日」や「毎日」がおかしいというのは確かだが、それだけではない。日本人はおかしいとも思うだろう。

 これらの言葉を私はむろん否定的に扱っているが、まともに付き合って書いている。狂気扱いはしていない。これらが流通していた世の中の現実感覚を私も前提にしている。間違った内容だと言っているが、気違いだとは言っていない。しかし今からみれば、私だけではない、「朝日」の読者だって自分たちが作っていた言葉の世界は精神的に正気ではない世界だったと考えるだろう。

 日本人はやはりどこか本当に狂っているのだろうか。

「日本人は少しおかしいのでは?」への9件のフィードバック

  1.  等々力孝一です。
     日本人は本当におかしいのだと思います。
    我田引水、宣伝となって恐縮ですが、私は拙著『占領下制定憲法打破・第九条改定に策あり』(展転社・11月10日刊)で次のように記述しました。憲法前文の冒頭(「日本国民は、……政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」)を引用し、

     ……「政府の行為による戦争の惨禍」とは、先の(アジアにおける)大戦が日本政府の行為によって起こされたことを述べている。……そこには、先の大戦が諸国間の対立・国際関係によって起こされたという視点は全く欠落し、又はそうした視点は隠蔽されている。そこから当然、先の大戦は日本政府の間違った行為によって引き起こされたのであり、それは「侵略戦争」であること、そのもたらした惨禍の責任はすべて日本政府にある、という結論に導かれる。そこで、そのような政府の行為を許さないために、諸国民との協和による成果と自由の恵沢を確保することが必要であり、主権が国民にあることを明示したこの憲法の制定が必要かつ正当である、と宣言している。このわずか数行のうちに、戦争に対する贖罪意識――ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラムを通じて日本人の精神に内面化されたポツダム・イデオロギー<拙著第二章を参照して下さい>――を確認し再生産する「装置」が埋め込まれている。この贖罪意識は自己正当性・アイデンティティー・自国の歴史等に対する疑念と否定を生み、その自虐的精神が、以下に述べる押し付けられたイデオロギーを、あたかも自発的意思をもって摂取しているかのように思い込ませるのである。

     さらに、前文後半を引用:――
    「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」

    そして、次の通り批判しています。
     ……重要なことは、「前文」後半のこの文章全体が、その内容の正しさ・真実性を立証しようとするものではなく、そこに書いてある言葉がそのまま「呪文」となっていることである。この前文を繰り返し読み、また聞かされて、無意識のうちに「人類の崇高な理想」に酔い痴れ、世界のあり方を直視し認識する意思と能力が失われてゆく。我が国のあり方と歴史に対する認識についても同様である。それが、「われらは、……政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。……」という、もっともらしい最後の文章まで続くのである。
    (中略)
    まさに占領下憲法は、ポツダムイデオロギーとこの呪文と化した「人類普遍の原理」(普遍主義イデオロギー)とが渾然一体となった、あるいは苦みの強いポツダムイデオロギーを普遍主義イデオロギーの糖衣で包んだ麻薬というべきものなのだ。それが憲法教育・憲法学の名のもとに、義務教育、高等教育、さらに大学・大学院を通じて、国民意識に投与され蓄積され、遂には中毒症状を呈するまでに至る。その症状の核心をなすものは国家観念の麻痺である。その結果は、空想的平和主義の蔓延、愛国心と国家の自主自立意識の喪失、伝統的な秩序と道徳観念の崩壊である。
    (中略)
    ……占領下憲法は、その条規による実効的規制以前に、そのイデオロギーによる国民精神、社会、文化に対する影響力・支配力が強大であることがわかる。八月革命説に立ち「正統解釈」をもってポツダムイデオロギーの効果を一層高める憲法学界を源流にして、教育界・法曹界の通路を経て、アカデミズム、言論界(マスメディア)、政界・官界(国家機関)、さらに経済界へと、継続的に浸透し、かつ拡大的に循環する構造が現存する……この回路を構成する各部分を通じて、この流れに抵抗する力は内在しているが、社会と国家の中に権力的構造として組み込まれているこの構造全体の力に圧迫され、埋没せざるを得ない。その循環的過程を通じて先に述べた国家観念の麻痺症状が慢性的に加重進行する。……
    (以下略)

     まさに戦後日本人は、占領下制定憲法の器の中で「笑気ガス」のようなものが混入した空域を呼吸しながら生息してきたのです。当然おかしくなります。それでも、先生の引用された文章が、今日ではより多くの人が「おかしい」と感じられるようになったことは、それだけ「ガス」の効果が低下したということでしょう。しかし、ガス発生装置とその容器本体・権力構造そのものは未だ揺らいではいない、そこが問題です。

     マスコミのおかしさは、ただ「偏向」といった程度ものではなく、「敵性権力」の浸透と見るべきものです。その悪性ガスの影響から免れた人、覚醒した人たちが、なお眠らせられている同胞達を如何に救出し自立させるか、それが占領下制定憲法打破に他ならない。それが拙著の考え方です。筆者は基本的に日本人の素朴で健全な良識には楽観的です。ご意見・ご批判を期待致します。

  2. 日本人はどこか狂っています。
    なぜか、想像力がないからです。
    それはなぜか、興味と関心がないからです。
    それはなぜか、自分で生きていないからです。
    それはなぜか、その必要がないからです。

  3. こんにちは! 26日間の入院生活からようやく開放されました。腱板損傷手術後の痛みは残りますが、リハビリと自主トレで稼動範囲を広げていかないとなりません。先生!やはり、歩行は大事です。膝のサポートなど良い商品がでていますのでこれらを使いながら適度な運動をお勧めします。

    さて、入院中当該箇所が特に気になって読み返していました。
    2002年、11月7日産経正論「朝日の「声」欄から見える珍風景」12月12日「5人の被害者戻せば「北」の思うつぼ」先生の主張はその頃朝日や毎日の記事に警鐘をならしたものでした。当時、蓮池透氏と交友があった私は朝日、毎日記事に怒りをぶつけていたことを思いだします。

    国家が家族を守ることに安心したゆえ、日本で子どもたちを待つ決断した蓮池さん、地村さん、その一方で5人の家族が帰ってきたことに国民を狂喜したものの先生が仰るとおりそこに正気をみる日本人も多いのです。
    日本人は狂っていますよ。

    門田隆将氏の「日本、遥かなり」新刊ではエルッールル号トルコ95年の恩返しの詳細がありますが、トルコとの交渉は民間人でした。外務省などクズですわ!!
    情けない日本人の姿が鮮明に紹介されていて(もちろん気丈な日本人の姿もみえるのですが)この国は、国民の生命と財産を守るなどという気概はもちあわせていません。

    すべてが他人事、拉致問題もしかりです。情けないです!!

  4. 世界経営のビジョンも無く、常に外界に対して受け身で、大国にも小国にも見境無く遠慮ばかりして、自らの国益を主張できない。こんな性格を普通は、意気地無しといいます。
    現行憲法の悪文は読み通すことさえかないませぬ。素朴なネイティブ日本人は素直にそう思っとります。

  5. 小池さん、入院・手術のことは存じませんでした。怪我をされたのでせうね。これからリハビリですか。本復されることを祈り上げます。

    小池さんは2002年頃、「毎日 記事に怒りをぶつけていた」由、お察しします。私もあのころ不愉快であつたことは覺えてゐますが、毎日湯氣を立てて怒つたといふほどではなかつたやうな氣がします。今も昔も、小池さんと共に「日本人は狂つている」と考へますが、永年同じやうなことを見つゞけて來て疲れ、喜怒哀樂の感情が枯渇しかかつてゐたのでせう。あるいは、自身の心身の健康のために、意識して、眞劍に向合ふことを避けたのかもしれません。

    私が北朝鮮關聯で、毎日腹を立てたのは、今から55~56年前でせうか、朝鮮人(北よりも南の出身者の方が多かつたとか)とその日本人妻や子供が歸還事業とやらで、向うに渡り始めたあとのことです。どのくらゐの期間續いたのか、手許の資料では93,340人といふトータルになつてゐます。

    最初の歸還船とされるものは、1959年12月14日に新潟港を出港しましたが、その直後から、日本の新聞には北朝鮮を「地上の樂園」とする記事が載り始めます。
    ※1959年12月24日(出港の10日あと) 産經「暖かい宿舎や出迎え/細かい心づかいの受け入れ」※1960年1月9日 読売「北朝鮮へ帰った日本人妻たち『夢のような正月』ほんとうに来てよかった」
    ※1960年2月26日 朝日「帰還事業者が増えたのはなんといっても『完全就職 生活保障』と伝えられた北朝鮮の魅力らしい。在日朝鮮人の多くは帰還実施まで、将来に希望の少ない日本の生活に愛想を尽かしながらも、二度と戻れぬ日本を去って ”未知の故国”へ渡るフンギリをつけかねていたらしい。ところが、第一次船で帰った人たちに対する歓迎振りや、完備した受け入れ体制、目覚ましい復興ぶり、などが報道され、さらに『明るい毎日の生活』を伝える帰還者たちの手紙が届いたため、帰還へと踏み切ったようだ」

    ほんの一部を引きましたが、かういふ記事で溢れました。その多くに附合ひ、腹を立てつゞけた私の疲勞は相當なものでした。(私は北朝鮮には行つたことも見たこともありませんが、樂園ではなく、地獄であることは、當時でも斷言出來ました)1960年4月には、朝、毎、讀、産、共同の記者が各紙に書いた記事をまとめた『北朝鮮の記録・訪朝記者團の報告』といふ本が出版されました(新讀書社)。
    ラヂオでは、大新聞の有名コラムニストたちによる時事談義の番組がありましたが、入江徳郎(朝日・天聲人語)、荒垣秀雄(毎日・餘滴)高木健夫(讀賣・編集手帖)が北について、例によつて例のごとき御託宣を竝べました(私は健康によくないと知りながら、それを聽きました。御苦勞千萬なことでした)。同じくラヂオで、サイデンステッカーといふアメリカ人が「多くの日本人記者が北朝鮮に取材に行き、歸國後北朝鮮天國論を展開した」と述べ、この人らしい口調で嘲笑しました。歸還事業や北に對する非難で、私が覺えてゐるのは、この一件のみです。日本人による非難もなかつた筈はなく、私はそれに接して、溜飮を下げたと思はれますが、放送でも活字でも、不思議なことに記憶に殘つてゐません。
    1962年には、吉永小百合主演の『キューポラのある街』といふ映畫が封切りになり、川口驛で、知合ひの歸國を喜んで送る場面があるさうです(私は見ませんでした)。サユリちやん、今でも、原爆詩の朗讀などを、得意げにやりますね。あの表情は自信に滿ちてゐます。正義は我にありと確信してゐるのでせう。そして自らに醉つてゐます。彼女は共産黨だと聞いたことがあり、現にイデオロギーめいたことには、なんにでも顏を出し、「戰爭反對」「民主主義を守れ」の合唱に加はります。あれは、時局便乘の意志によつてゐるのではなく、心からそれを信じてゐると思はれます。つまり、自分で自分を騙してゐるのです。

    歸還事業で働いた元日共黨員某はのちに拉致被害者を救ふ會の會長などになりました。そして「歸還事業では過ちを犯した。その罪滅ぼしのために」などと言ひましたが、私は一切信じませんでした。小池さん、たしかに昔も今も日本は狂つてゐます。西尾先生が引いてをられる「拉致被害者を二ヵ月に一度日本に歸國させる」といつた名論には、流石にいまはお目にかかれませんが、なんとか救出しようといふ熱意も、一般には薄れました。どうしたらいいか、私には分かりません。小池さんのやうな方の御盡力に期待するのみです。

    1月24日の坦々塾新年會でお目にかかれるでせうか。折角御養生の上よいお年をお迎へ下さい。

  6. 今朝、「日韓 悲劇の深層」を読み終えました。内容の濃い立派な本でとても勉強になりました。
    これから全集第12巻に取り組みます。第12巻は僕にとっては4冊目の全集です。
    去る13日の集会で先生のお元気な姿に接することができ、参加して良かったと心から思いました。

  7. 悲しいが憲法改正できないのもアメリカや中国が悪いのではなく日本国民の精神性が幼稚であるからである。
    自主防衛を目指すのを拒否してるのは他ならぬ日本国民である。
    この国民ありて政府ありである。

    右も左もアメリカ様に甘えきった他力本願症状から抜け出すには起爆剤が必要である。
    それが戦争なのかもしれない。

  8. 西尾先生の言うとおりである。
    アメリカや中国が悪いとかよりも国民の意識改革が急務である。
    まずは対米従属を良しとしてきた保守派が自主防衛主義に変わるべきだ。
    従来の左翼よりも保守が保守でなくなってる保守派の左傾化こそ大問題であると私は見ている。

  9. 西尾先生のご指摘は全くその通りで、西尾先生と同年齢の私には、至極当たり前、常識的なお話とご意見に思われます。敗戦で初めて洗脳されていた自分達に気ずき、ある意味で目が覚めた、我々世代の日本人の多くは、今の北朝鮮の状況を戦前戦中の日本の状況あるいは日本の封建時代の体制と、ごく自然に、ダブって見えてきます。異なる二つの体制を実体験しない世代は往々にして西尾先生の指摘された錯覚や誤謬を犯しやすいのだと思います。戦後70年間の日本の政治体制下での「洗脳」、いつの時代でもどこの国でも起こっている、この「洗脳」という言わば自然現象を、自覚し客観視出来るのは、いつの時代でもどこの国でも、ごく少数の選ばれた人間だけかもしれませんが。この70年間に行われた日本人の洗脳の効果がマスコミを含めていかに社会の隅々まで行き渡っているかを如実に示したケースでしょう。我々は時として、戦前あるいは封建時代に生きた一人の日本人に立ち戻っての今の日本の体制を眺めてみることも必要となります。つまり相対的に今の体制を評価し批判することが必要なのです。西尾先生はその先導者です。

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