「ドイツ・EU・中国」そして日本の孤独(三)

 よくドイツとフランスが仲良くやったように日本と中国韓国が仲良くやるべきだ、などといいますが、そんな筋違いな話はありません。日本が頭が上がらなかった国はアメリカでした。そしてドイツはフランスでした。日本にとっての中国は、ドイツにとってのロシアです。そして日本にとっての韓国は、ドイツにとってのポーランドです。そういう文化的・力学的関係です。それを考えれば、日米の和解がここまで進んでいるということは、ドイツとフランスの和解と同じようなことが、EU共同体と日米安保条約、ヨーロッパ大陸と太平洋の和解ということで世界が成り立っていると理解することができるのではないでしょうか。

 アメリカも努力をしたけれど、日本もすごい努力をしました。原子爆弾の投下について日本は一言も言わなかった、じっと耐え忍んだではありませんか。こんなことはふつう考えられません。アメリカはまだ疑っているはずです。何かあったら復讐されるのではないかと今でも思っているはずです。それが現代の核問題に微妙に影を投じています。しかし日本はそういう感情は持っていないでしょう。世界には不思議なことがたくさんあります。世界の七不思議のひとつは、ある外国人、私のドイツ人の友人が日本に来たとき、「日本がアメリカから原爆を落とされたことや、大空襲を受けたことを一言も言わないことが不可解だ。」と言って帰国してゆく。つまりそれくらい不思議なことなのです。アメリカもそのことに気が付いていますから、非常に敏感になっていまして、最近8月6日の広島の記念日にはアメリカの大使が必ず出席するようになっています。それもこの3年の話です。向こうも気を遣っているわけです。

 同じように忍耐というものがあって、たとえば戦後日本はドイツと違って貿易をする相手はアメリカしかいませんでした。ドイツは近隣「先進国」と自由な貿易を展開するために、それがために「謝罪」ということを、見苦しいまでに頭を下げなければ貿易ひとつできませんでした。しかし日本は戦争が終わって気が付いてみれば、朝鮮半島ではあらたな戦争があり、中国も革命があり、また東南アジア諸国には購買力がなかった。だから日本は戦後の発展を何で支えたかというと、アメリカがマーケットを寛大に開いてくれたからです。アメリカ市場によって日本の戦後の復興は成し遂げられたのです。その寛大さと自由に対しては、やはり日本は感謝しているでしょうし、「アメリカが嫌いではない。」というのはそれがためでしょう。アメリカ映画とジャズとコカ・コーラとレディ・ファーストなどが入ってきて雰囲気もそれを支えたでしょう。

 それに対してドイツは全く違っていて、アメリカは直接の繋がりはなく、近隣諸国に徹底的に気を遣わなければならないその代表がフランスだったのです。独仏和解というのは双方の努力によって成されたのと同様に、日米和解もまた双方の努力によって成されたと理解しています。私の考えはそれほど間違ってはいないでしょう。つまり「お互い様の痛み分け」を敢然と遣り遂げたということです。

 ところがEUの統合という問題が起こってきますと、どこが一番損をするかというとドイツです。これはマルクの忍耐というものが無ければ、成り立たない。つまり放って置けばマルクの一人勝ちですから、どう抑えていかに損をするかということがなければ成立しませんでした。マルクの忍耐がEUを成立させたのです。しかもEUの機運は共産主義の崩壊が切っ掛けとなっています。これが冷戦終結の諸テーマと全部繋がるのです。マルクの忍耐がどこから来るかというと、勿論ナチスの暴政に対するドイツ人の反省とその気持ちが伝わって、やっとフランスとの和解を勝ち取りました。

 冷戦の終結が大きく影響します。1981年にドロールというフランスの大蔵大臣がヨーロッパ共同体(EC)のアイディアを提唱します。1982年にブレジネフが亡くなり、85年にゴルバチョフが登場して、89年にベルリンの壁が崩壊する。そのような80年代の歴史ドラマがあるのですが、それに引き摺られるようにしてヨーロッパの統合という理念が強く打ち出されるのです。だから冷戦というのが何かというと、「コミュニズムという名のグローバリズム」つまり共産主義という名の普遍思想にとって代わって、もう一つの普遍思想「ヨーロッパ」で纏まろうということです。普遍思想ということをいうと、日本にも伝わった気分があり、言葉としては「国際化」という言葉で、そのあと世界じゅうで国境を互い低くしましょうという「グローバリズム」に名を変えます。

 しかし共産主義の崩壊と同時に何が興ったかというと、実際には世界普遍思想ではなく、各民族と宗教の台頭です。いろんな小さな民族や小さな宗教がどんどん独自性を発揮して対立する。独立を主張して争う。しかし不思議なことに民族と民族の間は厳しく対立するのに反して、大きな宗教の内部の国家の群の柵はどんどん低くなるということが起こりました。これは皆さんの歴史感覚の中でおわかりでしょう。例えば一つの宗教の中にたくさんの国があったけれど民族同士の対立は残る。けれどその間の国家間の垣根は低くなる。イスラムが大きな一つの纏まりになろうとすると、イスラムが抱えていた小さな垣根は低くなってゆく。ヨーロッパも同じで、キリスト教文明圏が一つに纏まろうとすると各国の垣根は低くなる。それを「グローバリズム」という名で呼んで、共産主義が崩壊したあとに起こった大きな出来事のひとつです。

 それが潰れるのは2008年のリーマンショックです。なぜなら金融の破局が伝わる速度は国境を越えて広がるけれど、陥った困難からどう自己救済するかは各国に任されているだけで、だれも助けてくれないのです。そこで結局国家ということになるのです。だからリーマンショック以降の金融大恐慌が起こって初めて日本全体・地球全体が、結局は国家ということに気付いて、今もその流れの中にいると理解してよいのではないでしょうか。それまでは国家を越えることこそが理想のように言われていたわけです。それがEUを作った力だったのですが、私はその背景にもう一つ大きな問題があったと思います。ある防衛心理、これは1970年にニクソンショックといって、アメリカが金とドルとの兌換を放棄、止めてしまって、ご承知のように、ドルをどんどん増刷すればよいというアメリカ独自の我儘が始まります。こんなことではアメリカにやられてしまうと、ヨーロッパはこの無制約な危険を敏感に感じ取りました。このアメリカがどんどん札を刷ればいいというのを「帝国還流」と言いました。今でもそうですが、お金は全部アメリカ帝国に戻ってゆくということです。未だに金融を締めたり緩めたり、アメリカの肚ひとつでもって、新興国が潰れたり上向いたりします。

 「帝国還流」と80年代に起こった日本の台頭がヨーロッパに衝撃を走らせます。日米経済同盟が地球のGDPの40%を占めました。1981年フランスのドロールについて先に述べましたが、その時日本は中曽根内閣で、1980年代は日本の自動車生産台数が世界第一位になった時代で同時にレーガン・サッチャー・中曽根時代といわれた時代です。そのあと89年にベルリンの壁が崩壊してから一転してアメリカは日本を敵視し始めます。

 そして次にユーロの登場となりますが、それについて私は、EUはやりすぎだったと思います。マーケットの統一だけでやめておけばよかった。しかし貨幣の統一までやってしまった。金融と財政の統一をやったら身動きが取れなくなって、とにかく主権が放棄されるというのは各国にとって苦痛ですから、苛立ちが烈しくなり、イギリスはユーロには加わらなかった。今ではユーロだけではなくEUからも抜けたがっていますが、貨幣の統一までやったのは失敗だったと思います。ユーロはそもそもドルに対しての自己防衛で成り立っていました。札を刷って垂れ流すのはアメリカです。輸入が好き勝手にできたアメリカ。あの「帝国還流」から西ヨーロッパが自分を守るためにEUを作り、アメリカが並みの国になれば、私はやがてフランとマルクは復活するだろうとその当時考えました。アメリカの経済学者レスター・サローが、「大欧州が出現して、ソ連を含む8億ものマーケットが生まれる。」ということを簡単に予言したので、私は各国にはエゴイズムがあるので、絶対にそうはならないと考え、「朝日新聞」1992年7月6日夕刊に「『大欧州』の出現に疑問」※を書きました。(※『西尾幹二全集 第11巻「自由の悲劇」』 では「旧共産圏の人々のGefühlsstau(感情のとどこおり)」に改題。206頁~208頁)

(まとめ 阿由葉秀峰)

つづく

「「ドイツ・EU・中国」そして日本の孤独(三)」への4件のフィードバック

  1. 『井上 秀雄 元・樟蔭女子短期大学 学長 著書『倭・倭人・倭国』
    当『邪馬台国論争・終結宣言』から

    井上 秀雄 著『倭・倭人・倭国』
    東アジア古代史再検討― 人文書院の「最重要事項」を
    紹介している箇所を以下、そのまま引用致します。

    【 古代東アジア史研究界の権威で、東北大学名誉教授
    井上秀雄氏は、 其(その)著『倭・倭人・倭国』の中で次の如く
    指摘している。「旧来『倭』を考える場合、それが民族名であろうと
    国名であろうと、とにかく『倭』は『古代日本』と云う考えから
    出発して来たが、此の事自体既に大きな誤ちを犯している。

    『倭人・倭国』について、此の様に考える旧来の定説を裏付ける
    記述は、日本側の文献には殆ど見当らず、又、中国・朝鮮や韓国の
    古典中に於いても同じである。」更に又、次の如くも謂(い)う。

    「日本側の資料『古事記・日本書紀』を見る限り、『倭』を
    『大和朝廷』乃至はその支配領域とする記事は極めて稀であり
    『倭の五王』を『大和朝廷』の諸天皇と見た形跡もない。

    又、『倭』から『日本』への国号改変も、従来いわれている様な
    雅号を 求めたとする根拠もない。

    『倭の五王』に就ても、これを応神(おうじん)から
    仁徳(にんとく)に始まって、雄略(ゆうりゃく)に
    至る迄の五人の天皇の名に推定しようとしているが、この事は
    朝鮮の学者は不審に思っており日本の研究者が云う程度の比定の
    仕方であれば、『三国史記』に出て来る新羅(しんら)の
    王名に充分に当嵌(あてはま)るのではないか。】

  2. 日本は戦後絶大な国家を友にした。その名はアメリカ合衆国。
    悲しいかなその国は日本にとって、時に父であり、時に母であり、時に友であり、時に敵でもあったが、けして弟や妹の立場にはならなかった。

    日米の関係を短く語るならこういう表現になるのでしょう。

    もしかすると、ドイツの場合は、時にフランスを弟や妹として扱わなければならない時間帯もあったということなのか。

    今から10年くらい前でしたか、世界で一番幸せな国はドイツだろう・・・と、西尾先生は語っていましたね。
    つまり、ロシアの脅威がほぼ存在しない当時のドイツの状況は、戦後最大の緩みを感じている時間帯だと表現されていました。
    それに比べ日本は、近隣諸国とのいざこざが絶えない毎日で、そのことが日本とドイツの大きく違う点であるとおっしゃっていましたね。

    結局その経緯が今はどのようなことをもたらしたのか・・・という視点も大事かなと感じます。

    ドイツ・・・ドイツと言う国の特性がどのようなものなのか、その本質を私は知りませんが、仮に日本と似ている部分があるとすれば、心の底の気高さなのではないかと感じます。
    例えば、東ドイツ国民がベルリンの壁崩壊直後、それを態度でも心理面でも表しました。東ドイツにあるものは、西ドイツにだってあって当たり前な民族意識であり、当時東ドイツはチェコやポーランドよりも、復興が遅れた地域だと先生はおっしゃっていましたね。
    なぜなら、チェコやポーランドは同じ東ヨーロッパですが、国内で民主化を解決しなければならない状況であり、それに比べ東ドイツは、西ドイツがでしゃばってきて、何もかにも西ドイツが決めてしまう現実に、ただ無抵抗に沈黙せざるを得なかったと説明されています。

    この東ドイツのプライドこそ、今考えてみると、西ドイツの本質であり、我々他国人は、ドイツと言う国を、我々の理想の路線に乗せすぎているのではないかと思います。そういった他国の目を意識しすぎた代表例が、メルケルだったということなのではないでしょうか。
    女性特有の細やかさが仇になった例なのかもしれません。

  3. 「朝鮮は資源が無く植民地にする価値が無かった」説の真偽
    カテゴリ日韓関係
    ekesete1ekesete1 Comment(0)Trackback(0)
    ネットでよく見る主張だが、本当だろうか。
    以下参考資料
    (昭和十八年)
    朝鮮及台湾の現況

    一八、重要鉱物の生産
    朝鮮、台湾殊に朝鮮は重要鉱物の埋蔵多種豊富にして戦時下帝国の鉱物増産に寄与する所大なるものあり。
    左に両外地に於ける重要鉱産物の生産量の全国生産量に対する比率を示す(昭和十七年度)
             朝鮮       台湾
             %         %
    鉄鉱石    四四・四      〇
    銅       四・五     三・五
    鉛       三六・〇      〇
    亜鉛      一三・九      〇
    石綿     六一・七    九・四
    蛍石     九〇・〇       〇
    雲母      一〇〇      〇
    鱗状黒鉛   一〇〇      〇
    土状黒鉛   一〇〇      〇
    タングステン 八三・三      〇
    モリブデン  六七・一      〇

    石炭は朝鮮約七百万瓲、台湾約三百万瓲の生産額を示し朝鮮の生産の約半額は無煙炭なり、之に対し需要は約九百万瓲も達するを以て朝鮮は無煙炭約一〇〇万瓲を内地に移出し(練炭原料等となる)北支、満洲等より有煙炭(特に製鉄原料炭)約三百万瓲の輸移入を要する状況に在り。
    台湾は生産額需要に超過し支那、南洋方面へ約四十万瓲輸出を為しつつあり。
    金は朝鮮の最重要鉱産物にして昭和十七年度の生産額は内地約二十瓲に対し朝鮮二十四瓲(一億三千万円)、台湾三瓲に上れるが今回の金鉱業整備方針に依り銅を随伴する鉱山以外は廃山・休止せらるることとなり全●千二百余の金山中存続するものは約四分の一となり目下資材労務の他産業への転換着々実施中なり。
    鉄鉱石の朝鮮に於ける生産は現在すでに年産約三百万瓲に達し内地の夫れを凌駕せるが最近船腹事情に依り支那及南方鉄鉱石の輸入減に対処する為大規模の緊急増産を行ふ方針の閣議決定を見昭和十九年度に於ては約四百五十万瓲の生産を目途とし輸送施設の整備、粉鉱焼結設備の増設等を実施中なり。

    アジア歴史資料センターhttp://www.jacar.go.jp
    レファレンスコードB02031284800(14・15枚目)
    本邦内政関係雑纂/植民地関係 第一巻

    地下資源の宝庫
    重工業の二大要素として地下資源と電力が挙げられるが、半島に於てその何れも万点の折紙がついている。昭和六年末金輸出禁止と宇垣総督の産金奨励政策と相俟って、文字通り産金王国を現出した時代も今は過ぎ、時代は鉄、石炭をはじめ特殊鉱の開発時代となった。

    鉄 は咸鏡南道利原鉄山及び平安南道壽鉱山の赤鉄鉱、平安南道价川及び黄海道載寧、銀龍、下聖、兼二浦の赤褐両鉄鉱、咸鏡北道茂山、江原道襄陽、三和の磁鉄鉱がある。就中茂山鉄山は品位に於て三八%程度の貧鉱ではあるが、その埋蔵量は優に南満洲の鞍山鉄山を凌ぐと称せられ、且つ純粋の磁鉄鉱のみで選鉱容易な点は鞍山よりも稼行が有利といはれる。この他江原道三陟の磁鉄鉱、咸鏡南道端川の大鉱床も着々開発準備が進められてゐる。

    石炭 は咸北の吉州明川、鏡城、会寧、雄基、慶源、慶興の各炭田を主として平南の安州、黄海の鳳山、慶南の慶州等以上何れも褐炭で、総埋蔵量四億瓲と推定されてゐる。また無煙炭は有名な平壌の寺洞炭坑をはじめ江原道三陟及び寧越、咸南高原、全南和順、慶北聞慶、平南北部一帯其他数ヶ所あり、推定総埋蔵量約十三億五千万瓲、これは無尽蔵といっていゝ数字である。

    黒鉛 電化工業用として国内供給の百%を負荷される黒鉛は、坩堝、電極、カーボン原料となる鱗状黒鉛が平北江界地方(大馬々、江界、咸章洞、城于孟洞、勝栄、時中の各鉱山)咸北城津地方(城津、新興両鉱山)平北楚山郡地方(市束、楸谷、車嶺各鉱山)及び伏木、元玉、碧潼の各鉱山から産し、また土状黒鉛は山野月明(忠北)小宮(同)馬老(同)咸昌(慶北)永興(咸南)長興(同)价川第一、价川第二(平南)等が最も著名で何れも国内需要に対する自給目標を殆んど満してゐる。

    タングステン鉱 現在稼行中の主なものは小林百年、箕州、中川青陽、鯨水、順鏡山、上東、平安、内金剛各鉱山等で、その他金剛山一帯、平北昌城軍、平南陽徳郡、寧遠郡、咸南長津郡、忠北忠州郡、堤川郡、黄海谷山郡、忠南青陽郡等が主な産地であるが、世界的有名な金剛山がタングステン盗掘団に荒されて、景勝保存と資源開発の二筋道に悩んだなども一挿話であらう。

    蛍石 は江原道金化、春川、楊口、華川、淮陽の各郡、忠北永同、堤川両郡、全北錦山郡、黄海載寧、平山両郡、京畿抱川郡等に分布し、最近愈よアルミニウム工業の緊急増産と共に急速にその開発を要請されてゐる。

    雲母 咸北、平北、咸南各道に分布し、その主な鉱山は咸北林洞鉱山、砲手鉱山、平北芦田洞鉱山等で、その産出の全部は朝鮮雲母開発販売株式会社の手を経て内地に移出されてゐる。

    マグネサイト は咸北吉州郡(南溪、白岩)咸南端川郡(北斗、龍陽)が大部分を占め、就中龍陽鉱山は埋蔵量三十億瓲と推算される世界的大鉱床である。

    水鉛鉱 全北の長水、江原の金剛、忠北の忠州重石、大華、慶北の龍鳳水鉛各鉱山の外に最近続々新鉱床が発見されてゐる。

    明礬石 はアルミニウム原料として特に重要なものであるが、全南、慶南に多量賦存し、その主要鉱床は全南の犢川、加沙島、玉埋山各鉱山等である。

    ニッケル鉱 江原道伊川郡板橋面、咸南咸州郡徳山面、慶北星州郡草田面其他に最近発見され目下急速に開発準備が進められてゐる。

    燐鉱 咸南端川南斗日面、咸北城津郡鶴西面、平北龍川郡加次島、平南平原郡永柔面に於て有望な燐灰石鉱床が発見され、南斗日面の真豊燐山、永柔面の永柔鉱山は既に着々生産実績を挙げてゐる。

    コバルト鉱 慶北慶山郡押梁面、慶南咸安郡艅航面、 咸北会寧ろ郡八乙面其他各地に発見されつゝあり、鉱量も相当豊富である。

    満俺鉱 主要なものは慶北奉化郡小川面、江原金化郡遠南面などである。
     
      この他稀有金属としてセリウム、トリウムを含むモナズ石やタンタル石、小藤石、紅柱石、霞石なども発見され、まさに地下資源の宝庫たる名に背かない。なほ我が国内で産出する重要鉱物資源中、朝鮮に依存する昭和十八年の割合とその開発実績を示すと次の通りである。

    品名 十八年度全国生産額中朝鮮に期待さるゝ割合 十七年度の期待量に対する実績割合

    黒鉛 一〇〇% 九四%
    雲母 一〇〇% 六五%
    コバルト鉱 一〇〇% 三九%
    蛍石 九一% 九六%
    タングステン鉱 八四% 一〇四%
    モリブデン鉱 六七% 一一〇%
    石綿 六二% 九一%
    鉛 五二% 八五%
    鉛鉱石 五一% 八四%

    (朝鮮総督府情報課 編「新しき朝鮮」 昭和19年)
    http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1267113/28

  4. 再び与太話めいて、お叱りを受けそうですが、”穿った話を出来るのも西尾先生の所しか無い”とも思われるので。
    EUのいわば脆弱性はその旗に表れているのではないか。
    ヨーロッパを語るのに赤色が無いのです。
    繰り返すも単なる印象論の域を出ませんが。
    人は無意識のうちに赤色に託すものがEUには欠けているのではないか。
    80年代以降EUの理念が打ち出されて来たと先生の談話にありますが、
    所謂新自由主義誕生、興隆と期を一にしています。
    ここで私は赤色を平等性を象徴すると伝統慣習的に捉えますが、
    新自由主義的思潮にとって赤色とは、平等性を象徴し、ともするとポピュリズムとして排するのがお家芸の物事を象徴する色ではなかったのではないか。
    多分共産主義の終焉、克服を願って赤色を排したとも考えられます。
    勿論赤が全部であったら全体主義共産主義を連想させるでしょう。
    しかし、EUにとって大切なことは、アンチテーゼの赤色を全て捨て去る事ではなく、ジンテーゼとして止揚して一部に組み込むことだと私は考えます。
    人が無意識のうちに赤色に託す、平等性、連帯、団結等こそ、現在のEU強化の為の根本原理の一つに加えられなければならぬと感じます。
    新自由主義の青色(私は自由と捉えますが)だけでは脆弱であり持続可能ではないのです。
    与太話へのお付き合いありがとうございました。

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