「ドイツ・EU・中国」そして日本の孤独(七)

 講演後の対談から(対談者の発言は省きます。)
 
 日本の孤独ということについて、2012年に中国で反日暴動がありましたが、世界は日本に同情をしませんでした。それで中国の味方をする。アメリカもそうでした。全く理解できないのは第二次世界大戦の前にも同じようなことがあって、日本商品はボイコットされた。「日貨排斥」といいます。「か弱いシナ人を邪悪な日本人が虐めている。キリスト教の精神からも許せない。」それが戦前のアメリカの人の大方の心理でした。今だってそうです。そしてアメリカもイギリスもドイツも中国で稼ぐだけ稼いでさっさと立ち去って、日本にだけ政治負担が残る。今回もそんな感じでしょう。これからもそうなるのではないのでしょうか。だから中国に介入しないのが一番賢い。中国から稼ごうと思わないで、他から稼いで出来るだけ中国に介入しない。少なくとも韓国にはそうですね。そのことは気づきましたね。ならば中国にも同じです。一切貿易もしなくていいんじゃないでしょうか。中国と貿易をしないと成り立たないのですか。三橋貴明さんは中国との貿易は必要ないと書いているけれど、どうなんでしょう。

 日本はドイツ帝国と中国で対立するだろうと私は言いましたが、中国とドイツが以上のような関係なので、ドイツは経済的だけではなく技術的にも軍事的にも中国を応援をするでしょう。ドイツの技術を惜しげもなく与えているようですから。日本の技術なんか要らないと中国は豪語しています。

 問題はなによりも軍事技術です。今武器輸出国の1位がアメリカで2位がロシア、3位が中国で4位がドイツという順序です。日本はやりませんから。しかし諸外国は武器輸出をした国のほうが信頼できる国と評価します。新興国や小さな国は輸入品として最新の武器が欲しいのです。いま潜水艦の問題で最終的な結論は聞いていませんが、オーストラリアが日本の潜水艦を欲しいと言っていますが、政府がはっきりしないので日本の三菱重工業も煮え切らない。アメリカの信号システムが入っているからオーストラリアは日本製が欲しいといいます。ヨーロッパ・ドイツのシステムではアメリカのものに整合できないので、システムを整合させたいとオーストラリアは思っているそうです。通信システムとかでしょうか。それにもかかわらず日本のメーカーが積極的ではないということです。日本は不思議な国です。ドイツ・中国一致と日本との対立は軍事的な面ですね。ドイツは表に出てきません。ちょうど蒋介石を応援したゼークトのように、ドイツは後ろで中国を支えることでしょう。でも皆さんは日本が戦争をするわけないと思うことでしょう。

 ドイツが日本憎しになるのは仕方のないことで、フォルクスワーゲンの走行中の検査機械は日本製だったそうですね。これでドイツはまたやられた、と思っているでしょう。でもヨーロッパはそんなバカではありません。中国が為替を変動相場制にしないとか、あの滅茶苦茶な株式マーケットのやり方を知っていながらSDRを推進する理由は、よく分りません。一方で反対している人も沢山いるわけですから、今でも分かりません。またこういう考えもあるかもしれません。SDRを引き受けるのなら、習近平が半年後に履行するなどという口約束ではだめで、これだけのことを実行せよ。そういうことになると中国経済はガタガタになると宮崎正弘さんは言っていますね。人民元が変動相場制を受け容れたら、もの凄い急落をするでしょう。4分の1くらいになるでしょう。それを待ち構えているのは禿鷹ファンドです。上がっても落ちても儲けるのです。だからじっと見ているのではないですか。人民元が轍にはまったら大変だから、中国の国内でも簡単に受けない方がいい、という声もあるようで。だからよく分からないのです。変動相場制になったら人民元が急落することだけは確かなようです。そうなると日本のGDPがまた2位に戻ってしまう。ドル高計算ですからそうなるのではないでしょうか。

 これから10年くらい中国経済はダメでしょうけれど、20年後はわかりませんね。皆さんも何かで読んでご存知でしょうけれど、中国は今の政治体制では続かないでしょう。つまり7つくらいに軍閥(今は軍管区というが)ごとに国が割れてしまうのではないでしょうか。そう言う人もいます。軍管区が7つありますね。あるいは連邦スタイルになるとか、チベットとウイグルが独立するとか、台湾もそれを望んでいるでしょうし。そうなればまともな国になるかもしれません。だいたい中国はヨーロッパみたいに各地で文化も言葉も違う地帯ですから一つになっているのがおかしいのです。ヨーロッパがバラバラなように、もともとバラバラな国なのです。中国はたくさんの地方、地域、国々があって、字を読まなければ意思伝達ができない。毛沢東が大演説をしても地方から来た議員たちは何を言っているか分からなかったそうで、そのうちにペーパーが回ってきて読んでわかるということです。ですから漢字だけが唯一の伝達手段で、発音も文法も違うのです。それは黄文雄さんも言っていますね。しかし最近は北京語が普及してきているということです。一概には言えませんが、それでも文化はバラバラです。ちょうどアイルランドやポーランドが英語を使わなければ理解できないとかそういう様なことで、インドはもっとすごいので唯一の公用語が英語にならざるを得ない。日本は珍しいのです。タクシーの運転手も日本語が通じます。最近はスポーツ選手に日本国籍の黒人が入ってきて驚きましたね。

 日本はすでに移民国家です。だから「移民国家宣言」をしたらいいのですよ。日本は移民を受け入れていないということはなく、すでに100万人くらいは受け入れているでしょう。でも宣言なんかしたら「入れてくれるんだ!」ということになって・・・。言わない方がいいのかもしれません。政治難民、迫害されている難民の受け入れについても、ある程度入れているのでしょうけれど、今はかなり少数でしょう。外国人を入れるということは「外国に依存」することになります。大相撲がはっきりした例ですね。私は制限をしたほうがいいと思います。どこそこ国からは何人とか。

 日本が他国の移民政策の失敗に学べずに政策を進めていることについて、まだ実施していないと思うけれど、安倍さんは怪しいですね。「特区」というかたちで神戸のほうで外国人の女中さんを受け入れるというのが始まるでしょう。何人受け入れるか知りませんが、やめた方がいいと思います。というのも東南アジアの若い女性を家事労働者として迎え入れて、代わりに主婦がライフスタイルを変えて外で働けるために、ということらしいけれど、そんなことをしたら子供たちは日本語を話せなくなりますよ。もう一つ大事なことは、他の国は外国人を搾取することに慣れていて、使用人は使用人として区別して暮らせるけれど、日本人はそれが出来ないから「○○ちゃん、一緒にご飯を食べましょうよ。」となるに決まっています。そんなけじめの無いことをやっていたらいつか逆転します。中国人を非常に大事にした老夫婦が殺害されているではありませんか。そんな目立つ事件がすでにいくつもありましたよね。ですから慣れていないのです。パリは道路の清掃はチェニジア人などの黒人で、不動産屋はベトナム人、花屋さんはイタリア人で、なんていうことになっているらしいのですが、そしてアパートの受付はスペイン人で持ち主はフランス人だとか。そいうことを平然と何百年とやっていますから、パリは人種差別都市なのです。だから「外国人お断り」という張り紙をしたら人種差別撤廃法に引っかかったのです。日本は迂闊でそんな背景が無いから、すぐに「人種差別をしている国」というレッテルを貼られます。差別が固定化して当たり前になっている社会とはいろんなことが違うのです。今度のフランスの事件は驚くべきことでしたが、今後も続くことでしょう。ベルギーにもパリにもそういう人が住む町がありますね。アラビア特区のような所が。東京にも大久保とか北池袋とかがありますよね。そういう地域は自然と出来るのです。排他的で警察も容易に立ち入れないということです。今日はあまり移民の話をするつもりはなかったのですが。もうこれだけ世界で広がればどうでしょう。それでも日本には無理でしょうか。これだけ世界の教訓を見ていたら学ぶのではないでしょうか。

 介護領域の雇用に外国人を使うことがいけないのは、そういうことではなく、それよりも介護要員の給料を上げるべきということなのです。つまり移民を入れればその職種の賃金はさらに下がるということを意味するのです。だから怪しからんのです。それは雇い主の側だけが利益を上げることになります。だからこそ賃金を上げることが絶対に必要なのです。スーパーマーケットだって外国人を雇ってはいけないということにすれば、アルバイト店員の給料も上げることになるのです。一時そういうことがあったではありませんか、人が来てくれないから、ということでどんどん上がったと。それは労働者にとって幸せなことではありませんか。外国人を入れると経済的減速がおこり自由競争ではなくなり、どの職種でも日本の労働者が不当な扱いを受けることになってゆくのです。

 では高等人材だったら良いだろうということですが、これもまたとんでもないことで、今6年制一貫校、麻布とか開成とかにドドッと中国人が入っているようですよ。それで彼らが東大に入って官僚機構に入っていくのですよ。恐ろしいことです。一方でそれはたいしたことは無い、例えば大昔に大化の改新のころに帰化人とかあったじゃないかとか。それは意味が全然違います。中国人やイスラム系民族大移動の時代という現代現象と古代の話は違うのです。それから石原慎太郎は昔から何かというと外国人を入れろと言い、日本人は宗教的にも懐が深いので、どんな人がどれだけ入ってきたって、いつか抱え込んでしまうから大丈夫なので、ケチなことを言っちゃいけないなどと書いています。これは知らないのですよ、あの人は。日本の文化は確かに包容力があり、いろいろ巻き込む力をもっているのですが、ある特定のものは置き去りにしてゆくのです。仲間に入れないのです。人種的にも民族的にも置き去りにしてゆきます。まずキリスト教がそうです。キリスト教は受け容れていないのです。つまり置き去りにされていくわけです。韓国儒教も受け容れないでしょう。日本の文化体系の中に入っていません。つまりこの国は「原理主義」は受け容れないのです。だから意外と拒絶的なのです。包容力があるなどというのは古代と現代を勘違していて・・・。変なことを言う人です。保守に非ざる考えですね。

(まとめ 阿由葉秀峰)

つづく

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です