前橋講演における皇室問題への言及(四)

●30年後を憂慮する

 そんなことを考えますと、万世一系の天皇制度が危いところに来ているということが今分ります。このことを非常にいろんな方が言い出しています。高崎経済大学の八木秀次氏、若い憲法学者が言い出していますし、小堀桂一郎氏やその他いろんな方が発言なさっておるのですが、私が実はこのことで心を痛め始めたのは左翼の論客が、マルクス主義の憲法学者がこのことに気が付いていることです。

 すでに私は論文を二つ三つ読んでいます。憲法学者は圧倒的に左翼の人が多い。保守の憲法学者というのは本当に数えるほどしかいないのです。保守系の思想家というのは概して文学者が多いのですよ。私みたいに。ですから気が付かないですね。普通の人は皇室典範を読みませんし、あまりそういうことを日常的に考えませんから。

 こういう時局になってみて初めて法律学者が役割を果たすべき時ですが、その時ちゃんと敵には凄い法律学者がいるのです。共産党系の憲法学者が「万世一系の天皇は男系であって、もし女帝ままでいけば30年後はしめたものだ」ということを何となく臭わせるようなことを言っている訳ですよ。「しめた」という言葉は使っていませんけども。

 つまり、天皇制をなくそうと思っている勢力にとって、時期が到来したと。これはなし崩しにこのままいってしまったら、みんな国民は深く考えないから「女性天皇万歳」と言っているうちに30年たち、天皇否定論者が一斉に「ああ今の天皇制度はもはや歴史上のものではない。万世一系とは言いがたい。形骸化している、にせものだ」という批判を必ず言い出すに決まっています。

 その時、保守側が守ると思ったって、もう間に合わない。守ろうと思ったって打つ手がない訳ですよ。それらのことを知っている学者、あるいは宮内庁の長官をなさっていた方や皇室関係の学問を積んでいる人や古代史に通じている人が日本にはいっぱいいますが、政府の今の懇話会の中には入っていないのですよ。

 ですから「30年後を憂慮する」というのが、私が今一番考えている不安です。しかし非常にこれは難しい問題だということです。理由を申しますと、宮家は4つしか残っていなくて、ご承知のように大正天皇には男子のお子様がおられます。昭和天皇以下、秩父宮、高松宮、三笠宮でございますが、秩父宮、高松宮家にはお子さまはなく、三笠宮は今の世代のあと、女のお子さんがおられるだけです。それ以前の天皇、明治天皇のお子様はみな内親王であられる。そうしますと、男系というのを遡ると、江戸時代に遡らないと見つからないということになる。

 つまり江戸時代に確立していた宮家をGHQが廃絶してしまいました。その宮家に復活していただかないと、男系はたぶん得がたいということになる。歴史を見ると、そういう風に思い切って幾代も遡ったことはいっぱいあります。7代ぐらい前に天皇家の血筋を遡るということに国民の理解が得られるか、という問題がもう一つありますね。いち早くそこまで気が付いた政府側は「国民の理解が得られる範囲で」ということで「女帝よし」としようと、押し切ろうとしているのではないかと。私が今述べたみたいなことは気が付かないはずはない。気が付いてあえて、ということではないでしょうか。

 さあ、僕は非常に不安です。というのは、方法としては宮家を復活して江戸時代につらなる旧宮家であろうとも皇統、男子系統の皇統の方々で「皇室に戻ってもいい」という方々を秩父宮家や高松宮家の養子に迎えて、そしてその方と最も皇統に近い秋篠宮の内親王様や雅子様の内親王様などに結ばれていただくというような、直系とそれから今の天皇家のファミリーの血のつながりとのバランスというのを考えるしかない。

 しかし、そういうことまでを画策してテニスの恋の物語とか、そういう物語を作らないと国民が納得しない時代ですから、うまくいくかなあ、遅すぎないかなあと、私は強硬な原理論を唱える人に対しては果してうまくいくものかなぁという不安を申し上げる。しかし、また、安易な女性肯定論を言う人には「いや30年後が怖いよ。これは天皇制がなし崩し的になくなるということを意味するのだからね」と言わざるを得ない。非常に難しい問題です。

「前橋講演における皇室問題への言及(四)」への4件のフィードバック

  1. もしもですが、もし皇太子がカトリックに改宗すると言ったら、
    どうなります?
    たとえ皇族であっても、信教の自由は保証されていると思います。
    これを止めるものはない。そうなったら、日本国がひっくり返ります。
    ひっくり返ってかまわない。
    皇室がカトリックでなにが悪い?むかしは仏教だったんだから。

    それから、愛子様ですが、愛子様が卑弥呼だと分かったら、
    どうなります?
    愛子様を女帝にしてみて、彼女が卑弥呼だと分かったら、
    男系だの女系だのどうでもよくなるでしょう。
    われわれの国は神国なんだから、なにが起こるか分かりません。
    こざかしい勉強で、すべてをはかるべきではありません。

  2. 歴史軸を意識しないで済んだ日本

    皇室の問題も中国・朝鮮の問題も日本側から見れば同質の問題がありそうな気がしています。保守系の先生方は以下に書いたことは当たり前のように実行しているのでしょうけど……。

    今回は『日本文化春号』の中にあった言葉にも刺激されて書いています。

    その言葉とは「天・地・人」という言葉です。私は以前からこれは「天・地・人・時間」の四軸ではないかと考えています。
    日本は四季に優れほぼ日単位で同じ季節が廻ってきます。そう言う点からはインド佛教の循環的世界観が容易に理解できる素地はあったのでしょう。哲学的部分をのぞき無限に繰り返す極暑の世界という概念ですから、その世界からの脱するためには解脱という方法論を示したのがインド佛教ではないかと考えてみると、解脱ということに日本人がどこまで理解できたかちょっと疑問がありますが。少なくとも循環論は理解しやすかったはずです。循環論には時間という軸がありません。時間という軸がないものに儒教があります。王朝が無限に天の理に従って交代するという世界観だからです。共産主義には予定調和ということで時間軸がありますからそういう意味では中国政府はもしかすると中華文化とは違って時間軸を持っているかもしれません。

    一方で基督教やイスラム世界はどうなのでしょう。基督教世界は予定調和の世界観だとしたら時間軸が大きな柱にはるはずです。

    さて以下は日本も西洋化しなさいという論説ではありません。

    日本の場合は積極的に日本人がよいと判断したものを取り入れる私なりの言い方で言うと特異なという言葉を入れてもいい「習合文化」です。しかしこういう文化で時間軸の意識が弱いのはまずいのでしょう。意識的にやっておかないといつのまにか変な文化に習合している可能性さえあるからです。

    そういう点をチェックするのに天や地だけでは難しいのではないでしょうか。やはり言葉で自分を律する伝統の再チェックと再発見を行うことによってしか問題の解決は為されないと私なんか思います。例えば皇室の女帝問題を議論するいままでの軸は人間軸ですから、それも現代に生存する人間が規準になった軸ですから、時代の空気が影響しますからこれはこれでまずいわけです。これはいわば縦軸でしょう。やはり時間軸を入れて縦横十文字で物事はみないといけないようです。経理では表を作るのに縦横の集計を取って合計チェックを行います。だから正確な表が得られるわけです。

    さて今度は現在世間をにぎわせている中国と韓国の行動です。
    どうして日本だけ非難されるのかというのは考えられる理由が幾つ
    かあります。特に今回のテーマでは以下の④が重要ではないでしょうか。これは簡単に達成できませんが、必要なことだと思います。

    ①道徳的優位に立とうとしている。日本は法だけでなく倫理や道徳
    という内心を規制することで社会を安定させてきた文化を持ってい
    るという認識の元、その根幹のところを崩すことによって日本は国
    民国家として崩壊すると見込んでいる。

    ②日本は何でも話し合いで解決できると思い込んでいるから戦争の
    リスクを回避できる。そして強く出れば必ず下がると見込んでい
    る。いわば争うより和を尊ぶ点を逆に責めている。

    ③中国政府や韓国政府の失策をごまかすために日本人のナイーブさ
    は好都合である。

    ④日本人の外交や歴史認識が弱体であるから攻めている。文化防衛
    とは多軸で防衛しないと不可能だが、日本人は横軸である現状でし
    か考えないからつい現状是認になりやすい。歴史の軸である縦軸の
    認識があまりないから簡単に崩壊出来ると見込んでいる。

    ⑤日本人は少し優遇すると現実を見ないですぐ永遠の友であると思
    い込んでしまう。騙しやすい。

    ⑥中国や朝鮮に対する贖罪意識が強い。

    ⑦反日の人間が報道を握っている。

    ⑧国家意識どころか対外認識・他者認識そのものも弱い。

    ⑨歴史を共有出来るというのは同じ価値観を共有出来るという意味ですから、中国や朝鮮の歴史認識を一致させることは、日本がなくなって中国か朝鮮になることです。

  3. すでに一定の結論の出ている有名な事柄を言い出す人がいるとは

    ある博士(真摯に天皇制について考えたことのある方はご存知のはずですので名前は伏せます)のご著書より

     天皇は国民の一種だとする学説は正しいか

     憲法学者の中にも天皇は国民である、国民の一種であるという説があるが、これは学説、学問上の説というべきではなく、イデオロギーに基づく希望的解釈、極めて不当な自己慰安的俗説と言わねばならない。国民の一人が、世襲的に皇位に即き、天皇と称し、日本国の象徴と認められ、内閣の助言と承認によって憲法上の国事行為を営み、皇室用財産たる皇居に居住し、国家予算により皇室費を受け、宮廷を維持し、その事務を処理するため、官庁たる宮内庁が設置せられ、陛下の敬称を受ける等々のことがあり得るだろうか。実定法たる憲法に「天皇」という文字で規定してあるのを、いかなる学術的根拠に基づいてこれを「国民」と解釈し得るのか全く常軌を逸した非学問的感情的独断論である。

     天皇、皇族の基本的人権をもっと尊重せよという論は本当であるか

     天皇皇族の基本的人権を尊重することは当然だが、これを主張するものは殆んどといってよい程、何らかの意味で天皇の軽視者、不好者、反天皇主義者のようであるから、問題は単純でない。天皇皇族の場合は、天皇たり皇族たることの本分に障害とならない範囲で基本的人権の享有があるものと解すべきで、国家や国民に無責任な人間の自己だけのものとしての人権と同架に論ずることは許されない。旅行の自由でも言論の自由でも遊戯の自由でもその他極めて多くの自由が天皇であり皇族である故に制限されるのは当然である。特権は国民と異なり自由は国民と同じという論理は成り立たぬ。

    当時、国内の知識人の誰一人として議論に勝つ能わずといわれた方の膨大な数のご著書より一部抜粋させていただきました。
    この方の書き記されたものは、国立国会図書館にも資料として収蔵されています。

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