特別対談 西尾幹二先生 × 菅家一比古主幹(三)

●文芸評論家の使命

菅家 先生は数々の文芸評論家と関わって来られましたが、最近の文芸評論家について感じられることは?
西尾 もう文芸評論の時代は終わりました。そんなものはもうないのですよ。私も人生をかける仕事だと思って入り込んだのですが間違えました。当時はそう思った人がたくさんいました。
 世界から文学がなくなることはありません。けれども、詩や小説のレベルが低下した時代に、一流の文芸評論は生まれません。
 昭和の高度成長期、あの時代は文芸評論を志す人がものすごく多かった。それで才能を発揮できなくて敗北。でも私は途中でふと気がつきました。文芸評論なんかやっていても駄目だと。それで九十年代の初頭に足を洗いました。
菅家 時代は昭和から平成へと移った頃ですね。
西尾 私の評論活動の価値を申し上げておきます。謙虚に申し上げます。私の評論活動の意義は、冷戦崩壊後にやっと起こったと自己解釈しております。
菅家 冷戦崩壊後にですか?
西尾 はい。冷戦崩壊後に共産主義の世界的な動きを論じ、その全体主義の危険と影響を見極め(『全体主義の呪い』)、引き続いて起こったアメリカの対日批判に向き合い、日本のポジションを主張し、文化的・経済的意義を説き、そして散々それを論じて一歩も引きませんでした。
 まもなくその淵源が先の戦争の是非にあると知り、教科書改善運動に取り組み、それを主導し、終わって一挙にこの運動からも離れました。
 その後、歴史、文明の独自の世界観を切り開くことにし、長編評論をいくつも書き、その結果、主なもので『国民の歴史』『江戸のダイナミズム』『少年記』などを出版しました。『少年記』は私の五歳から十七歳までの文学的表現です。戦争真っ最中の記録。ですから私の戦争体験記でもあるのです。
菅家 先生は戦時中、どちらで過ごされたのですか?
西尾 茨城県の水戸と栃木県寄りのとある寒村です。つまり疎開です。
菅家 それも読んでみたいですね。
西尾 私の独自性、つまり小林秀雄や福田恆つねあり存や竹山道雄(三人とも日本を代表する文芸評論家)と異なる点は、冷戦崩壊後にやっと発揮されたということです。
 彼らは冷戦前ですから、はっきり言って「反共親米」だったのです。 しかし私は若い時からアメリカを批判していました。世界の現実を見ようという立場から親米ではなく、「反共反米」にならざるを得なかったのです。

●原発問題の本質

菅家 先程核武装のお話がでましたので申し上げます。先生の脱原発、本当に前から私も同じ意見です。
 五年前の東日本大震災、その年の七月に都内のホールで大きなシンポジウムがあり、パネリストで私も呼ばれたのです。錚そうそう々たるメンバーがたくさんいまして。
 それで私は何故ここへ呼ばれているのかなと自問して、古神道家としての観点からなのかと思ったので、あえて言わせて頂いたのです。私は「脱原発です」と。私以外、みんな原発推進論者でした。
 当然その理由はと聞かれました。それで、日本は火力発電がありますが、火の神様がいます。水力発電も水の神様がいます。風力発電、風の神様がいます。そして火山の神様、地熱発電、これも神様がいらっしゃいます。
 しかし、原発大明神などという神様はいません。つまり自然のエネルギーではないのです。プルトニウムという人間が勝手に作り上げたこの元素、これは異常です。これは日本の国柄には合っていません。
 だから私は脱原発。左翼団体の反原発とは違います。今の日本は確かに原発エネルギーが必要です。しかし十年計画、十五年計画を通して、原子力に替わる代替えエネルギーを産学官共同で研究開発すべきですと。
 しかしながら、左翼市民平和団体の主張は異常過ぎます。別の意図が隠されていますね。
西尾 私は原発もしばらくはあっていいと。ただ徐々に減らしていくべきだと当時書きました。私も核武装論者で、従って『平和主義ではない脱原発』という本を出しています。
菅家 はい、存じております。先生のおっしゃっていることと私の考えていることは全く同じなのです。
西尾 ただ原発の問題は益々難しくなってきています。今再稼働しても、やはり採算が合わないのではないでしょうか。
菅家 しかし日本の技術力と潜在的能力は、必ず近い将来ポスト原発の再生エネルギーを可能にすると信じております。
 ただ、この原発の件で保守派の意見が分かれていることは残念です。
西尾 これはおかしい。もうちょっと柔軟に考えなければ。
菅家 近代文明社会、即工業化社会、日本の保守派はそちらに流れてはいけないように思います。。
西尾 原発によって国土が汚されるのが不愉快でなりません。
 福島の汚染も解決していないのに、今度は西日本で起きたらどうなりますか。福島は海へ流れたからまだ良かったものの、西日本で起きると風が東へ流れるから大変なのです。
 一番問題なのはテロに対する防衛体制が脆ぜいじゃく弱すぎる。自衛隊が原発を守っていないということ。誰が守っているかというと民間の警備員です。
菅家 警備会社まかせです。
西尾 危機管理がなっていない。この国はどうなっているのかというのが、私の根本的疑問です。怖ろしい国ですよ。ですから原発賛成という前に、まず安全面を確立して欲しい。
菅家 原発を一つ襲われたら、日本人はかなり目が覚めるかもしれませんね。
西尾 全然わかってない。何度やられてもわからない国民だね。

●いま問う、戦後七十年という時代

菅家 西尾先生の『国民の歴史』を読んで、歴史家・言論人としての見識と情熱に改めて感動しましたが、
当時そうとう反響があったのではないでしょうか。
西尾 私はあの本を「日本から見た世界史の中に置かれた日本史」という構想で書きましたが、『国民の歴史』をそんなに評価してくれているのはあなただけです。
菅家 『人生について』も素晴らしい本です。みんなに読んで欲しい。
西尾 実は『国民の歴史』を書いてから悪口ばかり言われたので、傷ついてもいるのです。当時私の顔を見た国立大学のある先生が「国民なんてものはないんだ。国民の歴史なんて変だ。国民なんて概念はないんだ」と、そう言いました。お前は頭の固い馬鹿だと言わんばかりに。
 「国民国家とかいうものは過去のものだ」という意見なら、文明論上の議論を交わしてもいいと思いますよ。だけど国立大学の教師が「国民」という言葉をさも汚いもののように考えている。彼らはみんなそう。そう思っている連中にマスコミは媚こびを売っています。
 そんな勢力にああだこうだと言われてきましたから、あの本がいい本だなんて自分でもわかりません。 
 第一あの本を正面から論評してくれる人が殆どいません。批判的な単行本なら十冊位出て、左翼の歴史家から総立ちになって叩かれました。
菅家 注目されたんですね。反応があったんですよ。
西尾 彼らも痛いところを突かれたのでしょう。網野善彦などむきになって噛みついていました。
菅家 最後にお伺いしますが、文明論的に日本の歴史とは、いったい何でしょうか?
西尾 日本は、地理的、時代的に孤立した宿命を背負わされた民族で、他に類例をみない地球上の孤独な立場におかれてきました。
 それにも関わらず、極めて短期間にその悲運を跳ね返しました。そのわずか数十年の歳月を乗り越えた幕末、明治、大正、昭和初期までの日本人の対応力は、これまた世界史上に例がありません。
 でも、私は日本人は偉大だったなどと言うのではなく、そのことに耐えて戦った人々の苦難と悲しみを偲び、ただひたすら共感し、同情し、痛哭し、よくやってくださったという尊敬の念のみがあります。
 そして今を無思慮に生きる我々の焦り、怒り、苛立ち、空しさのことを考えております。
 安倍首相の戦後七十年談話はあっけなかった。期待していたのに、こんな馬鹿みたいな逃げ方は無かったと思います。私たちは過去の人たちをどんな根拠があって批判出来るのでしょうか。
 私は過去をなんでも礼讃するのではありません。健気な努力と悲しみで生きた人たちの想いに、ただ胸が痛くなるということだけです。
 そして西洋にただ同化すればいいと思っていた思想は空しくなりました。明治初期、時代はそういうものでした。それを今さら明治時代は偉大だと絶賛する人もいますが、それを言ったからってどうなりますか。
菅家 明治のバックボーンは江戸時代に培われた日本人の気質でした。
西尾 歴史は未来によって変わります。明治は偉大だったのではなく、悲しくつらい時代だった。幕末から昭和に生きた人々は国難に耐え、よくやったと思います。私たちよりも偉大な発展を短期間で行いました。それに比べれば私たちは一体何をやっているのでしょうか。
菅家 要するに、何も出来なかった。戦後七十年も経つのに、何も変えることができなかった。日本人はここまで西洋文明のマインドコントロールにかかってしまいました。
西尾 それもあると思いますが、同じようなことは明治にもあった筈です。あんな厳しい状況は無かったのですから。戦後の七十年間はそこまで厳しいとは言えません。何も考えないで、呑気に過ごしてしまった。
菅家 日本人の意識を変えて、西洋文明による病を克服しなければなりません。
 私事ですが、六月から「平成菅家廊下・翔塾」を開講いたします。総合人間力の向上を目的に知徳、人徳、天徳、知性、品性、霊性、これを高めていく本格的な人間教育をして参ります。
 西尾先生もどうか私たち後進を育てて下さい。本日は貴重なお話を伺えました。本当にありがとうございました。
西尾 ありがとうございました。

 

西尾幹二先生との対談は文字に起こすと三万文字を超え、これをどのようにまとめ、掲載可能な一万字に抑えることができるかと、とても苦労しました。削られた三分の二の中身の濃さは、本当に勿体無い限りです。
 西尾先生は若き日にミュンヘン大学の研究員となり、その体験を元に書かれたのが『ヨーロッパ像の転換』『ヨーロッパの個人主義』でした。これらは当時、学者、文化人、知識人から多いに注目され、哲学者の梅原猛は「一人の思想家の登場を見た」と言い、ジャーナリストの草柳大蔵は「論理の超特急」と評しました。
 私が西尾先生と最初に出会ったのは四十年近く前になると思います。先生は若くして知性派として知られ、いまでは天下の碩学であり、日本の言論界の重鎮として大きな影響力を持っておられます。その洞察力はあまりにも深くて鋭いものがあります。
 三時間近くに亘った対談はどれも素晴らしい内容のもので、その全てが載せられないのが残念でなりません。これからも益々お元気で日本の行く末を見守っていただきたいと思います。
 西尾先生、本当にありがとうございました。
菅家一比古

(文責・編集部)

「特別対談 西尾幹二先生 × 菅家一比古主幹(三)」への2件のフィードバック

  1. 少し前のTVニュースで、現在各地の学校で増えている外国人の子弟が、
    アイデンティティーの問題を抱えているので、教育現場で彼らの精神的
    ケアをするのが課題だ、というのがありました。

    本来は、日本国の構成員たる日本人を養成するためにあるはずの公教育
    の場で、外国人の子弟の精神的ケアまで請け負わなければならないとす
    れば、近い将来、教師のなり手がなくなるのではないか、と訝しくなり
    ます。

    しかも自国民の子弟のアイデンティティーでさえ、滅茶苦茶にしかねな
    い教育をしておきながら、外国人のケアとは、誠にお笑い種としか言い
    ようがありません。

    一方、最近成立した「ヘイトスピーチ法案」ですが、「人種等を理由にす
    る差別」の定義もあいまいな理念法(産経ニュース 4/25)でしかない
    とはいえ、成立の経緯を見るに、この法案に賛成した議員たちがどれほど
    否定しようが、差別される側に、我々日本民族だけが含まれていないと
    見なされても仕方がありません。

    しかしこれは全くおかしな話で、権利や自由が一方向にだけ限りなく開
    かれていて、反対方向には目をつむるという、この法案の性質は、まさに
    戦後の風潮を如実に反映していると言わねばなりません。

    ここで昭和2年(1927)の『法律問題 紛争ヨリ判決ヘ』(発行 玉井清
    文堂)を参考にしてみますと、
    「法律行為は私法上の効力を生ぜしむるを目的とする意思表示をいふも
    ので」すが、「然し國家の利益とか、社會の秩序に違背した行為は、その
    効果を認めないのです。民法に『公の秩序又は善良の風俗に反する事項を
    目的とする法律行為は無効とす』といふ規定があるのです。…然し縦令
    (たとへ)善良の風俗に反するも、若しも公の秩序を害することがなけ
    れば、法律はこれに干渉するのいはれがないのですから、公の秩序に反
    するものや、善良の風俗に反して、而も公の秩序に反する法律行為は、
    無効であることを規定されてあるのです。」とあります。

    一例を挙げると、NHKの朝の連ドラではお馴染みの描き方である「戦前
    の大家族制は悪だ」という考え方における、最大の憎まれ役の「戸主」で
    あっても、
    「…家族制度の厳格であった時代には、戸主は一家の主宰として家内百般
    の仕事を統轄し、外に対してはその家を代表し、内に在りては家族を薫育
    し、財産全部の所有権を有ってゐて、家族に対しては絶対に生殺與奪の権
    を有ってゐたのが、今日では斯ように全権はなく、唯だ一家の安寧秩序を保
    つ必要から、家族に対する監督保護の責任があるに過ぎないのです。…」と
    なっています。

    さらに「例えば、戸主は家族の教育上や、或は教育上の必要から、家族の
    居所を指定する権利を有ってゐるのです。然し指定するにしても相當の理
    由がなくては駄目です。また家族が婿養子とか、結婚するとかには、これ
    に同意したり、反對する権利もあるのです。然し戸主の同意がないとて、
    それがために婚姻や縁組は無効にはならぬので。」

    確かに、戸主は家族に対して、様々な制限を設ける権利を持っていますが、
    「…戸主が家族を薫育する以上、この権利のあるのは當然なのであります。」

    また家族が戸主の指定した居所にいない場合、引越しを催促できるが、家族
    がこれに応じない時は離籍することが可能となります。
    「然しその家族が未成年者であるときは、この制裁は行はれないので、未
    成年者は思慮不十分で、自活する力がなくても、往々無分別に家を飛び出
    すことがあるから、これを離籍しては、その未成年者の前途を誤る恐れが
    あるからです。」と、あくまで家族を保護する目的であることが分かるの
    です。

    他方、「家族には何んな義務があるか」の項目では、
    「家族はいろゝ身分を変更する場合には、戸主の同意を得なければならぬ。
    …若も戸主の同意を得なくして婚姻や養子縁組をしたときは、復籍を拒ま
    れて萬一離婚や離縁となっても實家へ帰ることは出来ないのです。…」

    加えて「子に對する親の権利」の項目では、
    「…抑々(そもそも)親子の情愛は天倫に出づるもので、法律はこの天倫
    の厚薄を利用し、子の年齢がまだ自己を管理し、又た自己の利益に着眼する
    に至らぬ時、その父母をして子の身の上と財産とを管理せしむるので、これ
    は寧ろ父母たる者の義務であって、その権利では無いのであります。父母
    たる者は、須(すべから)くその恩愛に長じて無形の権力を養ふべく、徒ら
    に圧制是れ事とするが如きを許さないのです。親権は決して無限の権力を
    附與するものではないのであります。…」
    そして、親権者となるのは実の父母や、継父や継母であるを問わないが、
    「…併し後父が前夫の子、對するとき、母が庶子に對するとき、後妻が
    前妻の子に對するときの場合には、その實子に對すると寛厳軽重の差の
    あるべきは、人情の免れぬところですから、これに基づいて継父や継母
    又は嫡母が親権を行ふ場合には、後見の規定を準用するのであります。
    …」

    以上のように、戦前のこの法律相談の本の一節を読むだけでも、法律の
    目的やその運用に際しても、戦前の方が説得力がある上、人間の本性や
    心情に対する洞察や配慮にも富んでいたのではないかと思えるのです。

    翻って現代では、多くの識者が指摘する通り、ひたすら個人の権利ばか
    りが強調されて、その結果どういった状況が出現するかに関しては、何
    の記述もされないのです。
    例えば学校現場においても、何の現実的な条件もなしに「人権」や
    「平等」が絶対善の如くに教えられるため、遥か彼方の外国の恵まれな
    い人々を始め、隣の席にいる外国人子弟に対しても、あたかも身内に対
    すると同様の情愛と親しみを感ずべき、或は対応すべきであることを強
    要されている、と生徒たちが感じたとしても不思議はありません。

    こうした教育が、如何に悲惨で非人間的な結果をもたらすかは、既に多
    くの実例が示しています。

    ところが「非人間的に厳しい」戦後のこうした教育にも拘わらず、我々
    が昨今直面しているのは、「日本人であるが故に、責められる」といった、
    まさに想定外の事態ではないでしょうか。

    つまり「本邦外出身者に対する保護」を目的とした、この「ヘイト
    スピーチ法案」にしても、延いては「日本人差別法案」に容易に転化
    し得ることを、実に多くの人々が即座に直観したように、「南京」や
    「慰安婦」にしても、それらの真偽如何を超えて、そこに、何者かに
    よる、我々日本人自体を貶めようようとする悪意ある「意思」を明確
    に感ずるのであります。

    なぜなら「悪態をつく」程度のことなら、人間社会においては何処にでも
    起こり得るのであって、例え民事事件や刑事事件に関わるケースであって
    も、こうした事案そのものは、即座に人種問題や民族問題に直結するとは
    限らないため、その都度処理すればよいだけの話だからです。

    しかしこの法案の成立如何に拘わらず、多くの人が憂慮している事態の芽
    は既に発生しています。
    例えば「北海道観光振興機構が中国人観光客に向けたマナーガイドを改訂
    『中国人に常識がないと決めつけている』と指摘受け」(産経ニュース4/25)
    (http://www.sankei.com/life/news/160425/lif1604250008-n1.html)
    ですが、他の場所においても、日本国内におけるシナ人たちが、最近のマ
    スコミその他における自分たちへの悪評に対して、訴訟を起こそうとする
    など、水面下の動きは決して小さくありません。

    西尾先生は、随分以前からあの大戦での日本とドイツの違いを明確にされ
    てきました。
    「ナチスによるユダヤ人虐殺は科学的組織的計画的論理的であったが、
    日本軍の蛮行は突発的幼児的無思想的情緒的であった…」(『西尾幹二の
    思想と行動③』P308)
    つまり日本軍は、外地にあっても、他民族の計画的組織的な虐殺を目的に
    行動したことは一度もないのであって、あるのは戦争にはつきものの
    個々の戦闘行為そのものや、個別の戦争犯罪だけなのです。

    しかるに中韓両国その他による「南京」や「慰安婦」のなどプロパガン
    ダは、我が日本軍がナチスのように計画的組織的な非道を行ったかの如く
    に宣伝し、自国民に吹き込んでいます。そうした教育の結果、彼の民族が
    日本国内にあっては、自分たちに対する少しの悪評であっても、それを
    日本人全体への恨みに増幅させるであろうことは、容易に想像できます。

    ここで参考になるのは、やはり『魔女狩り』(森島恒雄 著 岩波新書
    1970)です。

    「魔女」の歴史は古く、各国に説話として存在したが、それが人々に憎まれ、
    恐れられたのは、魔女が呪術を用いて人を殺したり農作物を枯らすといった
    反社会的な刑事犯的行為のためでした。そして意外なことに、「教会側は
    むしろ魔女をかばう側に回っていた(11,12世紀頃まで)」のです。

    ところが「あらゆる法皇の中でもっとも迷信的、もっとも貪欲、もっとも
    残忍だったヨハネス22世の時代は、所謂『法皇のバビロン捕囚』時代
    (1309~77)で、法皇の権力は国王の権力に押さえられ、法皇庁はローマ
    からアヴィ二ヨンに移されてフランス王の支配下にあり、ローマ法皇を主
    権者とするカトリック的『世界政府』がいまにも崩壊しそうな危機的状況
    にあった時代である。カトリック教会の危機的状況は…やがて宗教改革運動
    につながり、『宗教戦争』という名の、西ヨーロッパ全土を荒廃させる社会
    的大動乱に移ることになる。ヨハネスの解禁令から勢いを得た魔女狩りは、
    この社会的動乱とぴったり歩調を合わせて、1600年のピークへ向かうので
    ある。魔女問題は民俗学の問題だけでなく、政治の問題でもある。」

    「魔女が政治的な道具として登場し始め、…その典型例がテンプル騎士団
    (1119~1312)対するもぐり魔女裁判であり…ジャンヌ・ダルクの異端
    審問(1431年処刑)」でした。

    ただこれらは未だ統一的な魔女概念が確立していず、「政治的な必要から、
    異端者の魔女的色彩を意識的に施して行われた過渡的もぐり魔女裁判で
    あった。…」

    その後「魔女の異端性を論証する専門的な魔女論」が現れたが、中でも
    「きわめて科学的」「学問的業績としてはほとんど第一級に属する」と
    評される『魔女の槌』(1485)は「精細な神学的典拠とスコラ学的論理に
    よって、(魔女行為)が決して伝承的な迷信ではなく、異端的な事実であ
    ることを立証している。」

    そしてこの書物によって確立された結論は、「魔女は悪魔と盟約を結んで
    悪魔に臣従し、その代償として悪魔の魔力を与えられ、超自然的な妖術
    を行うことができる」というものであり、つまり「魔女は『明らかな異端を
    伴う』どころか、『異端者の中でも極悪の異端者』となった」のです。

    そのため「…雑多な魔女は悪魔と結託した『異端者』として一本に統一
    され、個々の行為は問題ではなくなった。…高級な『異端者』に昇格した
    『新しい魔女』はすべて極刑である。たとえ善行を行っても(悪魔との結
    託ゆえに)火焙りである、一律に。」

    この百年以上かけて確立された魔女論が、多くの人々に説得力を持ったのは、
    この15世紀後半の『魔女の槌』の、「論証と実証を兼ね備えた科学性」であり、「その論証の段落毎に挙げられている豊富な実例にあった」。そして魔女狩り
    の激化とともに「自供が豊富になり」、ますます「新しい魔女像が人々の心深
    く刻み込まれていった…。」

    そして「尋問事項がと尋問方法が定型化していた」ために、「なるべく多くの
    民衆を集めて見物させるよう準備された一種のショー(異端者の処刑)」に
    おいて、「大勢の魔女の個々の自白が、期せずして一致しているとすれば、
    (しかもそれが、幼い頃から聞かされていた魔女物語とぴったり符号して
    いるとすればなおさら)大衆にとって魔女の実在は動かせないものとなり、
    その自供は真実の告白として受け取られるのは無理もなかった。」

    こうして「自分たちの手で創作した架空の『新しい魔女』を、真実の魔女と
    思い込んだのと同様に、裁判官たちは自分で仕組んだからくりの自供の一致
    を自然な一致と思い込み、その一致はまた自供の真実性の証明である、と
    確信したのである。」

    しかし時代が下り、「魔女の歴史にかつてなかった珍しい特異性を持ってい
    る」アメリカの「セーレムの魔女」事件では、これまでにない現象が現れ
    ました。
    セーレムの牧師サムエル・パリスは、使っていた黒人奴隷が密かに行う
    ブードゥー教の儀式により、娘たちが影響され異常な挙動をするようにな
    ったとして魔女狩りが始まり(1692)、ニューイングランド周辺の地域一帯
    に広がった末、20名が絞殺されたが、「ボストンの商人ロバート・カレフ
    は、この魔女裁判の不合理の核心をつく抗議文を、事実に立脚して、
    コトン・メーザーのその他の有力な魔女狩り支持者あてに書き始めた。…
    時勢は一変しつつあった。嘘の自白を強要された被告たちが、今度は本当
    の自白を訴え始めたのである。おまけに、…ヒステリー娘たちが、…真相
    を打ち明け始めたのだ。結末を簡単に言えば、1693年5月、知事は獄中
    の被告全部を放免した。…」

    以上長々と引用しましたが、魔女狩りの歴史は、如何にして「洗脳」が
    行われるか、また政治的な目的(富の独占、政治的権力保持)のためには、
    聖職者や学者までが、如何に執念深く「魔女=異端者」の論証のためにエネ
    ルギーを割いたかが分かります。また一旦信じ込んだ嘘が如何に根強く人々
    に染みつくかについては、中共の手口が頭に浮かびます。
    最初は、「呪術で悪事を行う」から罰せられていただけの魔女は、ついには
    「魔女である」が故に拘束され、裁判も著しく簡略化されて、何の反論も
    許されずに、死刑台に送られたのです。

    現代日本を生きる我々は、多くの識者が指摘するように、国内外の様々な
    勢力によって、「魔女の汚名」を着せられ、歴史の舞台から引きずり下ろさ
    れようとしています。
    謂れなき「慰安婦報道」によって、いじめを受けている海外の日本人子弟
    がいるそうですが、そうした状況を放置しておくなら、いつしか「日本人
    である」というだけで迫害されるようになるのではないでしょうか。

    それに対して、粘り強くまた気の遠くなるような、しかも血の滲む地道
    な研究を厭わない研究者によって、反撃の努力がなされています。

    しかるに「ヘイトスピーチ法案」に賛同した政治家たちは、我が国が、今は
    まだ日本人が多数であることに胡坐をかき、高を括り、目先の手当てだけで
    事が片付くと考えているに違いありません。我が国の行く末を憂える識者
    の主張を、杞憂だと言ってまともに取り合わないのが彼らの常です。

    しかし自分たちが制定した法律によって、我が国が二十年、三十年、百年
    後にどうなっているかの想像力もなく、危機意識のない彼らは、後世にな
    って、「闘いを避けて(恐れて)、自国民を売った政治家」の汚名を着るの
    ではないでしょうか。

    毎度長くなり、大変失礼しました。

  2. 黒ユリ様

    いつもコメントありがとうございます。
    魔女狩りについて詳しく説明していただき、
    とても勉強になりました。
    日本が自身を魔女にみたてて追い込んでいくなんて、
    本当に残念です。
    追い込んでいく

黒ユリ にコメントする コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です