気が付けば「つくる会」の周りは敵ばかり(3)

ゲストエッセイ
坦々塾塾生・つくる会会員・石原 隆夫

9)つくる会教科書潰しの朝日新聞記事と文科省の不作為

ざっと「つくる会」の辿った道を振り返ってみた。波瀾万丈の道のりだったと言っても良い。
そんな「つくる会」の主な目的は、我々(自由社)の教科書で出来るだけ多くの中学生が歴史や公民を学び、子供達が将来誇りある日本人として振る舞うことである。そうなれば、70年にわたって続いてきた「戦犯国日本(東京裁判史観)」の国民意識をも払拭することもできると思うからだ。何処の国の歴史にも光と影がある。日本だけが光の部分を隠し影の部分だけを日本の歴史として教える。かつてイギリスの教科書も植民地の贖罪意識で酷い教科書だったが、サッチャー政権で「誇りあるイギリス」史観が復活したという。イギリスでは教科書改善ができて、なぜ日本はできないのか。答えは簡単である。国民の意識の問題であろう。巷間よく言われることだが、外国の左翼は他国からの非難には保守と一致団結して反論するという。国内の議論では保守と対抗していても、国益が絡むと熱烈な愛国者に変身するのだが、日本はといえば、外国に通じ祖国を誹謗中傷することが愛国者だと思い、そうすることがかつて日韓を併合して植民地にし、中国を侵略し、遂にはアメリカ様に刃向かった「罪深く馬鹿な日本人」を糾弾する「良い日本人」であると思い込んでいるのであろう。「良い日本人」とは端的に言えば、「罪深く馬鹿な日本人」の一人が自分の先祖である事にすら気付いていないのであり、世界標準から見れば、売国奴であり根無し草の愚か者に過ぎないのである。日本が今歴史戦で苦戦を強いられている、南京問題にしろ慰安婦問題にしろ、全てが日本人が捏ち上げた嘘から始まっているのだが、それを利用して日本を攻撃する中韓の人達から見れば、彼らは売国奴であり嘲笑の的である。日本にとっては彼らは「内なる敵」であるが、彼らの思いの根底には「東京裁判史観」に基づいた長いあいだの反日教育があるのだ。エリートを輩出し国家の官僚に送り込んでいる東京大学をはじめとする主要大学や歴史学会では、牢固として日本悪玉論である「東京裁判史観」を遵奉している現状を考えれば、「内なる敵」の増産に歯止めを掛けるのは容易なことではなく、国民の意識が変わるような余程の奇跡が起こらない限り、売国奴は日本の教育を危機に陥れ続けるだろう。

「つくる会」はそのような日本に歴史教育を通じて一石を投じようとした。だがそれは言論、出版の自由や結社の自由が憲法で保障されていることが前提であり、まさか最初の検定で外務省が「つくる会」潰しを仕掛けるなどとは思いもよらないことだったし、再びそのような事が起きるとは思ってもみなかったのだが、現実は我々の認識は甘かったようである。

平成27年4月24日、朝日新聞にとんでもない記事が載った。直前まで検定調査審議会の歴史小委員長だった上山和雄氏が、『教科書検定「密室」の内側』というインタビュウ記事に登場したのだ。朝日の記事のタイミングは、文科省の検定結果発表の直後であり採択戦突入の直前であった。インタビューでは上山氏は問題発言を連発しているが、「つくる会」にとって見逃せないのは以下の発言である。(記事引用)『検定が厳格になったとは思っていません。むしろストライクゾーンが広がったと感じます。日本のいいところばかりを書こうとする「自由社」と、歴史の具体的な場面から書き起こす新しいスタイルですが、学習指導要領の枠に沿っていない「学び舎」。この2冊とも、いったん不合格になりながら結局、合格したのですから』、『自由社の方は、これまでも同じ論調の別の教科書を合格にしているので、【×】にすると継続性の点で問題がある。では、もう1社の学び舎を【×】にするかですが、基準を一方に緩く、一方に厳しくするのはまずい。結果として(両方を合格にしたことで)間口が広くなったと感じています』
詳しくはURLを参照して欲しい。http://digital.asahi.com/articles/DA3S11721215.html?rm=150
このインタビュー記事から採択権者が受けた印象は、「自由社」は日本のいいところばかりを書こうとする偏向した教科書であり、それ故に一旦不合格になったこと、「学び舎」は学習指導要領には不適格な教科書だったこと、最終的に両者を合格させたのは、「自由社」を合格させるなら「学び舎」も合格させないとバランスがとれないという妥協の結果だったこと等だが、致命的だったのは、「自由社」も「学び舎」と同じく学習指導要領に不適格な教科書だという印象を与えてしまったことだろう。我々から見れば、これは「学び舎」を合格させるために「自由社」を貶めてだしに使ったという証言であり、まことに際どい内容である。上山氏は直前まで検定に関わった人物であり、退職したとはいえ一定期間の守秘義務があるにも関わらず、敢えて採択戦の直前に「自由社」だけを取り上げて貶める報道をした朝日新聞と上山氏の狙いは一体何だったのか。当時、「つくる会」が何もしなかったわけではない。記事が出た翌日には文科省に厳重抗議したが、何ら返答は得られなかったのだ。

私は正直なところこの記事を見て、採択戦の敗戦を覚悟した。自分が採択権者であれば「自由社」と「学び舎」は採択しない。もし「自由社」を採択すれば、反対派からこの朝日新聞の記事を示されれば、全く反論は出来ないであろう。一方、学習指導要領から外れた教科書という認識があるにも拘わらず、文科省の根本権限とも言える検定制度を自ら否定したに等しい違反行為をしても敢えて「学び舎」を合格させた文科省と、朝日新聞の際どい記事が示す一連のながれを考察すると、いわゆる「つくる会効果」を良しとしない反「つくる会」勢力のなり振り構わない「つくる会」への反撃の姿が、私には見えてきたのである。

ところで、上山和雄氏とはどんな人物なのか?
上山 和雄(うえやま かずお、1946年-)は、日本の歴史学者。國學院大學文学部教授。専門は日本近現代史。博士(文学)(東京大学、2005年)とある。
上のインタビューで述べている中から、いくつか上山氏の歴史観がよく判る下りを上げてみよう。東京裁判については『日本人から、自分たちが学んできた歴史への誇りと信頼を失わせました』などの記述が問題になり、私を含む何人かが批判しました。『歴史研究のイロハを踏まえてない』『教科書としてのバランスが崩れている』と」、「戦勝国の行為を裁かなかったことや、平和に対する罪を過去にさかのぼって適用したことの不当性など東京裁判の問題点ばかりを取り上げ、民主化や戦後改革がなぜ必要になったかなどを十分記述していなかった点です。」、「教科書には、守るべき最低ラインがあると思うんです。戦後の日本は、太平洋戦争を引き起こした仕組みの否定、つまり東京裁判を受け入れ、民主化を進めるところから出発したわけです。これは政府見解というより国民の共通認識でしょう。そこを否定するのは戦後の日本を否定するものと言わざるを得ません」、「歴史の見方には、いくつかあると思います。お国自慢をする『花のお江戸史観』、その反対の『自虐史観』。もっとも、自虐史観と非難される人々が日本を愛していないわけではない。愛しているからこそ過去の誤りを率直に認め、二度と起きないようにする考えもあるでしょう。三つ目としては戦前の皇国史観のように国民を動員するのを狙うものもある」、「教育の最大の目的は、子どもたちがきちんと生きていけるようにすること。一面的な考え方しかできない。近くの国と仲良くできない。そんな人間をつくっていいとは誰も思わないでしょう」などと述べている。また別の場所ではhttps://www.youtube.com/watch?v=OBaj2Mzk2ZQ「領土問題で考慮すべきは、単に日本固有の領土というような政府の言いなりではなく、領土問 題には相手がある事なのだから中国や韓国、ロシアの言い分も子供達に教えるべきだ。そうで なければ子供達は納得しない」、「良い教育とは何かといえば、戦前の「日本が一番」「天皇・国家のために死ぬ」という最悪の 教育の反省として戦後の教育があるのであり、それを自虐的とかいうのは当たらない」などという。上山氏がまさに東京裁判史観にどっぷり漬かっている事が判るコメントであり、これでは自由社の教科書を目の敵にするのも無理はないだろう。検定の過程を見れば、文科省の検定調査審議会は上山氏のような東京裁判史観しか見えない浅薄な歴史観をもつ委員が多いのではないかと思う。上山氏のコメントは、東京裁判を否定するコラムを書き、南京事件に触れず、逆に中国の国際法違反が明確な通州事件を書いた「新しい歴史教科書」を念頭に置いた「つくる会」潰しの露骨な謀略的批判であったと思う。

それを確信させたのは、産経新聞平成27年5月7日の【日本の議論】という記事で学び舎を取り上げ、これは一体どこの国の教科書なのか…新参入『学び舎』歴史教科書、検定前“凄まじき中身”という記事だった。(URL参照)
http://www.sankei.com/premium/news/150507/prm1505070008-n1.html
これは検定合格前の「学び舎」に関する記事だが、その内容はまさに今までの自虐史観教科書の存在が薄れるほどの凄まじさである。修正した検定合格後の中身は判らなくとも、今までとは全く異なる教科書であることは十分想像できた。何度も言うが問題は、学習指導要領から外れた「学び舎」の教科書を、なぜ文科省は検定合格にしたのかということである。一字一句にまで注文をつける検定の厳しさは何処に消えたのか。「学び舎」を特別扱いする理由があったのではないか。一方で自由社は今回の検定でもいつもと同様にかなり厳しい対応を受けた。一旦不合格になった理由は内容よりも主に誤字誤植を指摘され、それの修正に時間が掛かったために慣習的に一旦不合格になったにすぎないのである。その証拠に、他社の検定合格日は3月31日付けで自由社は4月6日と1週間違いに過ぎないのだ。上山氏が言うように内容的に記述が偏っていたからなどでは決してない。上山氏の発言には自由社を貶める意図が明確に見えるのだ。

ここから先は私の仮説ではあるが、決して根拠がないわけではない。過去20年の「つくる会」運動の歴史を振り返ることから見えてくる事実をつなぎあわせれば、朧気ながらも「学び舎」の必然的出現とその意図が見えてくるのである。

「気が付けば「つくる会」の周りは敵ばかり(3)」への5件のフィードバック

  1. 幹二先生、こんばんは!!

    昨今のニュースで嫌な気持ちです、如何お過ごしでしょうか?

    歴史を見るに、歴史が変わる因果とは人の心の移ろいです、

    長曾我部元親も、長男を失い阿修羅に成りましたよね?

    NHK 歴史秘話ヒストリアで観ていました。

    僕も、荒れ狂っていた時、壁からTVから殴り壊せる物は何でも壊していました。

    今、大切にしている物は それが金で買えるなら人に壊されても怒らないでしょう。

    人の怒りとは 何なのか?心から隣人を愛していると言えるのか?

    己に問うに、沈黙あるのみです。

    16/07/30 , 19:37 , 子路 .

  2. 門外漢ですが、この石原様の連載で「新しい歴史教科書をつくる会」の御活動の全貌を垣間見た思いで、義憤を感じます。鈴木敏明氏のブログも併せて読みましたが、歴史戦の最前線で内外の敵と雄々しく戦っておられることも知りました。

    安倍総理が「つくる会」の機関紙に投稿した言葉は、「『つくる会』の活動は大変有意義で感謝と敬意を表します。今後とも一層の成果をあげられますよう期待します」だったようです。その後の安倍談話に照らすと、本気で当時この発言をしたかは疑問、少なくも現時点では、池田様ご指摘のように、「我が國を譏り我等の先人を貶しめて得々としてゐる」安倍総理ですのでこのご自身の発言を裏切っていますが、私は心からの深甚なる感謝と敬意の念を「つくる会」に捧げたいと思います。

    池田様の、「妥協や配慮は如何なる場合も必要ですが、それが過度になることは禁物です」に賛同します。そして「方便としての妥協」と「歴史認識のプリンシプル」は明確に一線を画すことが出来、「朝日新聞に文句を言われない教科書」は明らかに根本から「つくる会」の精神と原則に違背しますので彼もまた会を裏切ったことになります。

    この最前線の戦いにおける主敵は中国共産党で、韓国はその走狗、これらと結ぶ日本国内の売国奴が外務省と左派勢力(日本共産党とその仲間、日教組、教育委員会、教科書選定委員会、中核派、労組、市民団体、在日韓国人団体―以下、まとめて“左翼“)であるという構図がハッキリ見えてきました。八木等の分派勢力も皆様真正保守本流に仇なす輩であり利敵勢力であることも。フジサンケイ・グループの動きは所詮ビジネス感覚によるもので理念など始めからなく、本が売れるか儲かるかどうかだけが行動基準でしょう。商売人には理念など天からないのです。

    「教科書採択の構造問題」は戦後70年続いた「狂った戦後レジーム」に直結していると思われますし、採択惨敗はこの体制が続く限り、教科書を買う側が変わりませんので教科書市場(マーケット)の需要も変わらず、続くと思います。横浜の中田氏、杉並の山田氏が珍しく健闘し採択に漕ぎ着けても所詮例外的事象に過ぎません。「孤高の道を歩む」ことは始めから運命づけられていたと思います。

    筑波大付属、学芸大付属、東大付属、灘、麻布などのエリート養成校が「学び舎」を選ぶのも彼らの意識や思想が「つくる会」の側ではなく、「学び舎」という左翼集団に近く、20年前の自虐史観の時代と変わっていないということでしょう。

    従って、教科書を買う方、選ぶ方のマインドを戦略的、根本的に正常化し、自由社の教科書を買わざるをえない、選ばざるを得ない状況を作らなければ採択率の変革は土台無理と思います。教科書の販売(マーケティング)と歴史認識(思想)の混同は本来避けなければなりませんが、教科書に限れば表裏一体ですので、この連載によく登場する「国民の意識」を変える、一般国民の常識、普通の日本人の意識を正しい方向に変える努力が必要です。WGIPの逆洗脳で国家予算と人材を投入すれば明日にも実現しますが、これは現下の自民党体制化では不可能ですから、草莽のネットワークにより実現するしか方法はありません。上からの国民啓蒙は国は出来ても民間には出来ません。民間に出来るのは横のネットワークです。採択率は確かに運動の成果を計るバロメータですがその増減に一喜一憂しても無駄であり、5%ではなく、50%台に乗せることを図るべきと考えます。ネットをリンクでつなぎ、出版と併せ、国民有権者に以下を知らしめて「つくる会」の正当性をアピールしては如何でしょう。

    1. 平成9年に発足した「つくる会」は西尾幹二氏の理念で創設され、発足時には日本の保守系学者・識者の殆どを糾合し、会員数は1万人を超えたこと。「つくる会」の歴史と公民の教科書は市販本として76万部売れたこと。
    2. 外務省が元インド大使野田英二郎を検定審議官に送りだし、「つくる会」の教科書を不合格にするよう他の審議官に働き掛けていたことが発覚し流石に罷免されたこと。
    3. 中韓両外国政府が日本の教科書の内容に容喙し、日本政府に修正を要求したことは不遜かつ無礼であからさまな内政干渉であること。韓国は採択地の首長に面会を強要し姉妹都市の解消をちらつかせて「つくる会」教科書の採択に反対したこと。
    4. 日本国政府・外務省は韓国(公人・私人)のこの内政干渉に抗議もせず、彼らの入国を制限せず、彼らのやりたい放題を放任し黙認したこと。
    5. 「つくる会」の教科書を排撃する中国や韓国の内政干渉に採択関係者が屈服した結果、採択数が低迷していること。
    6. 「つくる会」に対立する左翼連中の「新しい教科書」への反対理由を整理して一つずつ反論を加え論破する。この日録の読者には当たり前の議論ですが念のため記します。確かに「採択戦は一般国民に対する宣伝戦」ですので、国民の目の前で論点の対立を分かり易く提示し、易しく左翼を破るのが有効です。
    ① 「子供達を戦争に狩り出し駆り立てる教科書」というレッテル貼に対しては、つくる会の教科書がどのように子供を戦争に駆り立てるのか因果関係を立証せよと要求し、中国、韓国、米国、ロシアの教科書は子供を戦争に駆り立てないのか?と反問すれば済む筈です。彼らに論証は出来ません。
    ② 「日本のいいところばかりを書こうとする」に対しては中、韓、米、ロなど世界中の教科書が自国のいいことを買いているではないか、何故日本だけ歴史の影しか記述できず光を書くことを許されないのか?と質問すれば終わります。影だけしか描かないことは教科書としてのバランスが崩れるでしょう。
    ③ 「戦勝国の行為を裁かなかったことや、平和に対する罪を過去にさかのぼって適用したことの不当性など東京裁判の問題点」を取り上げないことはバランスに欠けるだけでなく、公正さにも欠けることにならないか?
    ④ 「日本の教科書が守るべき最低ラインを決めた」のはGHQであり、確かに戦後の日本は東京裁判を受け入れるところから出発したが、それはWGIPに沿ったものであり主権回復とともに克服すべきものだった。これが現政権、政府の目指すところとされ、心ある日本国民の共通認識である。
    ⑤ 「東京裁判を否定し戦後レジームを超克する」ことで日本の真の独立を回復することができる。あなた方は対米従属や対中隷属を望むのか?
    ⑥ 「教育の最大の目的」は、子どもたちがきちんと生きていけるようにすること。WGIPや左翼思想一辺倒の一面的な考え方しかできない子供教育は学び舎にふさわしくないではないか?
    ⑦ 「日本を貶めよう、日本を共産化しようとする近くの国」と仲良くするそんな人間をつくってはならず、その2国を除く国家と仲良くすればいいのではないか?

    以下、私見を補足します。
    1.「保守側は左翼の教科書を一瞬にして葬り去るようなレッテルを見いだせず、常に宣伝戦では左翼に完敗している」と云われますが、それこそ西尾幹二先生や西鋭夫先生の文言を借りればいくらでもキャッチフレーズは案出できると思います。
    2.「新しい教科書」を私も買って読みましたが、遠慮が感じられ、もっと踏み込んだ内容にしてもいいのではないかと思います。慰安婦や南京の消去、通州、尼港、通化やマッカーサーの議会証言もいいのですが例えば、大東亜戦争の世界史的意義、近隣諸国の評価や個々の戦闘における日本軍の武勇などです。
    3.今の段階で国定教科書化すれば、現政権下の憲法改正で懸念されることと同じことが懸念されます。中途半端な教科書になることは必然です。
    4.採択関係者が、「つくる会」の教科書を選ぶと、極左の脅迫で家族が危険に晒され、韓国に姉妹都市を人質にされるので断念した、という事実に現在の日本人の脆弱と情けなさがよく表れています。脅迫には屈せず、脅迫を告発し処罰させるのが法治国の常識ではないか、姉妹都市を人質にするような都市とは縁を切ればいいだけの話ではないかと思います。腰抜けの採択関係者こそ戦後日本の悪しき「平和主義」教育の成果物といえないでしょうか。

  3. >商売人には理念など天からないのです

    あきんどです。
    私は商売人です。
    理念がないとレッテルを貼られた立場の人間です。

    勇馬さん、お気持ちはわかりますが、言葉が少々過ぎていませんか。

    個人のプライドを守ることは、人間の第一歩です。
    貴殿の意見はおおむね納得できますが、この一点を追及すると、心に引っかかるのはぬぐえません。
    あまり言葉尻を拾ってあーだこーだと言いたくありませんが、ただ、この一点がひっかかると、「じゃああんたには本当の理念ていうやつが、正しくあるんかい」と。逆切れしちゃうのが人間の感情というやつではないですかね。

    日本人なら、国民皆天皇家とつながりがある人間なんだという意識の前提が、普段から感じておられますか。それが一番大切な理念ていうものじゃないですか。
    歴史認識がどうのこうのと語っても、個人の認識なんか、立場が違えば皆違うのが普通じゃないですか。

    そういったねじれた社会でも、貴殿が理想とする「理念」を少しでも感じながら、日々商売をしている商人も、けっこういると思いますよ。

    本当はみんな話せばわかる人間なんだと思います。
    ただ、個人的にある種の団体に属すると、行動が妨げられるのが現状で、それを流してきた政治の現状が、最大の敵ではないでしょうか。
    その意味では、そうした商売根性的忍耐力というものが、現状では必要不可欠であり、貴殿がおっしゃるように、欧米のそうした部分での忍耐力が現実的なのは、まさに「損得」を露呈できる民族的力強さが、今も昔も続いているからだと私は思うのです。

    もしかすると、我が日本はに今足りないのは、そうした純粋な商売根性ではないかと思うわけですが、いかがなものでしょう。

    商人の認識を本当の意味で再認識していただければ、私のこの思いは伝わるのではないかと思います。

  4. あきんど様

    私自身、政治家でも役人でも学者でもない平凡な国際ビジネスを生業にしてきた「あきんど」の一人でした。「商売人には理念など天からない」と断言したときの「商売人」は言うまでもなく「理念をもたない商売人」としてのフジサンケイグループ批判の文脈のなかでの言葉です。一種のトートロジーですが、レトリックとしてのトートロジーであることをお察しください。私見を「おおむね納得」して頂いているならば、この種の商人にあきんど様は、(と書いているとなにやら混乱しますが、)含まれませんので、ご自身に「理念がないとレッテルを貼られた立場の人間」とレッテルを張り替える必要は毛頭ありません。この御議論は残念ながら言葉尻を捉えるものになっています。私の尊敬する日本の典型的商人は出光佐三ですが、もし彼がフジサンケイの総帥であったならば必ずつくる会を支援したと思います。

    ここでの中心的論点は、件のフジサンケイグループや日枝久が所謂理念や正義感、倫理感のある商人かどうか、節操のない商人かどうかではなく、つくる会の歴史教科書の採択を拡げるにはどうしたらいいか、内外の敵に抗して採択を伸ばす効果的方途は何か、日本国民の意識を変える良策はないか、です。「個人のプライドや人間の感情」のような私的な話ではなく、このような公的なテーマが議論の焦点です。門外漢であり部外者でもある者が頼まれもせず生意気な提言をすることは本来差し控えるべきでしたが、石原様のこの連載を通読して、義憤と痛憤に駆られ、思わずコメントを投稿してしまいました。平成19年の分裂前に教科書出版社だった扶桑社が「つくる会」と関係解消し、教科書業界から撤退し、「つくる会」の梯子を外し、新たに3億円を支援して扶桑社の子会社(育鵬社)を立ち上げたのがフジサンケイグループであるとの記述を信頼しての私見であり提言でした。

    たしかに日本人は皆天皇家とつながっているとは思いますが、そのことを根拠に同胞意識を持つことはありませんし、そのような意識が大切な理念とも思いません。日本語と日本文化の共有こそが日本人の証しです。個人の認識は立場が違えば皆違うのも当たり前です。これは「ねじれた社会」でもなんでもなく当たり前の社会です。問題はあきんど様が「理念」を少しでも保持しながら日々商売をしている商人かどうかでしょう。先月来のお言葉からイエスと推察します。

    「みんな話せばわかる人間なんだ」という認識は甘すぎます。犬養毅(78歳)は5・15事件で「話せば分かる」と言って青年将校に無残に射殺されました。つくる会の内外の敵は皆いくら話しても分からない者たちです。分からない者たちを分からせるのは力しかなく、それは多数派工作であり、すなわち政治の世界です。志ある者がその志を延べようとすれば政治運動化することを避けられません。

    昨日の都知事選での小池勝利は彼女がSNSを重視したことも一因のようです。この現象は我々に朗報と思います。つくる会の方々は「青少年を含む日本人すべてが日本近代の誇り高い歴史を共有し、敗戦によって喪わされた本来の日本を取り戻す」ことが目的であり、「自由社の新しい教科書」の販売を伸ばすことはその手段と解釈しています。販売で金を儲ける営利的商人根性はありません。せいぜい5%の損益分岐を意識することぐらいでしょう。そしてこの二つは日本人の意識が変われば新しい教科書が選ばれ、新しい教科書が普及すれば日本人の意識が変わるという相互に相乗効果のある関係ですが、私は前者こそ第一に解決すべき先決事項であると認識し、その為にはSMS(インターネット・フェイスブック・ツイッターなど)の活用しかないと考えるものです。

    この日録を反日左翼が「右翼の巣窟」として警戒していれば我々のコメントも読むでしょう。しかし彼らに先を越させるエサを与えることになってもいいと思っています。石原様の情報を6点に整理しましたが、この情報を普通の倫理感覚と論理能力をもった日本人が読めば必ず「つくる会」の味方になります。左翼連中の流すプロパガンダとつくる会や真の愛国者の真実の情報がぶつかれば真実が勝つのが必然です。「採択を有利にするため」既成政党の政治家に接近するのは素より拙策であり、大衆の教宣こそが最善策ではないか、それがネットで可能な時代が来ているのではないかと思います。

    以上、門外漢であり部外者でもある者の意見は見当違いであるかもしれず皆様の更なるご批判を仰ぎたいと思っています。

  5. 私自身、政治家でも役人でも学者でもない平凡な国際ビジネスを生業にしてきた「あきんど」の一人でした。「商売人には理念など天からない」と断言したときの「商売人」は言うまでもなく「理念をもたない商売人」としてのフジサンケイグループ批判の文脈のなかでの言葉です。一種のトートロジーですが、レトリックとしてのトートロジーであることをお察しください。<

    はい、それは先刻承知しております。
    が、しかし「商売人には理念など天からない」というご発言は、行き過ぎではないでしょうか。

    例えるのであれば「ときに商売人は理念を失いがちになるもの」で収まるのではないかと意見します。

    いずれにせよ、勇馬様のご意見に全面反対の姿勢ではありません。
    ただ、貴殿のレスに
    >「たしかに日本人は皆天皇家とつながっているとは思いますが、そのことを根拠に同胞意識を持つことはありませんし、そのような意識が大切な理念とも思いません。日本語と日本文化の共有こそが日本人の証しです。個人の認識は立場が違えば皆違うのも当たり前です。これは「ねじれた社会」でもなんでもなく当たり前の社会です。問題はあきんど様が「理念」を少しでも保持しながら日々商売をしている商人かどうかでしょう。先月来のお言葉からイエスと推察します。<
    とあります。

    この意識の問題・・・と言いましょうか、日本人の特質とは何なのかということから、「つくる会」が存続している一つのセンテンスを凝視すると、日本人同胞論というのは
    「土台」になっているんじゃないかと思います。
    たしかにそんなことを普段の生活環境で意識している国民がどれだけいるかはわかりませんが、いろんな災害のあとに起こす日本人の行動と心理を司るものの根源は、「日本人同胞論」となります。

    実を言いますと、私の家系は加茂族です。いわゆる天皇家の水才案内人です。
    ですから、私は本当の日本人ではない可能性があります。
    少なくとも、天皇家とは血の縁がありません。
    加茂族の本当の資質はいまだ解明されていません。
    朝鮮人説もあります。しかし、それを肯定すると、天智天皇がもしや朝鮮人出身者となる説もあるようです。

    いずれにせよ、私は子供のころからこんな話を聞かされて育ちました。
    その意味では稀有な日本人なのかもしれません。

    私が「日本人」を意識する土台は「天皇家」以外になにもありません。
    あとはせいぜい、三本足の烏が本当にいるかどうか、出会う烏を凝視することぐらいですかね。

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