西尾幹二先生のアフォリズム 第6巻 坦々塾会員 阿由葉 秀峰
(6-1)過去の思想はすでに歴史に固定され、動かないものとしてわれわれの前にあるのではない。今なお新しく評価され、批判され、われわれの内部に運動を引き起こす流動体として存在しているのである。いな過去の思想はそのものとして存在しているのではけっしてない。われわれがそれによって体験をかち得たその結果として、はじめて過去の思想は存在するにいたる。
(6-2)宗教に対するある理解の仕方が正解であったか、誤解であったかは合理的に決められることではない。誤解によっても人は信仰を得ることができるし、認識を拡大することができる。そしてそれが結果として正解に触れ、それを包みこんで増殖していくことがありうる。
(6-3)人は「正解」を知っただけではなんにもならない。それは単なる知識である。知識で人は生きることはできない。「客観的な事実」とは近代人のもっとも陥りやすい錯覚の一種である。
(6-4)誰でも他人の不幸を見て心愉しむところがあるが、それはまだ悪人とはいえない。他人の不幸によって自分が安堵するというなにほどかの利益があるからである。しかし本来の悪人は、自分にはなんの利益もないのに、他人の不幸や苦悩を見て限りない愉悦を覚える存在であるとされる。この種の悪人にとっては他人の不幸や苦悩をみることそれ自体が目的になる。
(6-5)近世哲学が確立されて、人は石が下方に向かうという本質をもつものであるとは考えず、石がいかなる条件のもとにいかなる仕方で下方に向かうかだけを研究するようになった。つまり自然現象の根底にある不変の本質を求めるのではなく、自然現象の法則を求めることに、自らの探究の範囲を限定したのである。これによって自然科学は確立した。と同時に近世の哲学は、それ以降自然科学のこの確実性と矛盾しない道を歩まざるを得なくなった。
(6-6)すべてを説明し、なにも選択しないのは、現代知識人のもっとも好むところであろう。
(6-7)近代の批判的精神は、瞞されまいとする意識を人に与え、人はそのこと自体に結果として瞞されている。「正解」とはそうであって欲しいという学者の単なる願望にすぎないのではあるまいか。
(6-8)中国で爛熟してから日本に渡来した大乗仏教を基に、千数百年信仰を支えてきた自分自身の生活経験を度外視して、近代の仏教学が成り立つということは、なんとしても私の常識には反するのである。ヨーロッパの学者が指し示した阿含経典と、日本に渡来した密教化した大乗経典の間には千年くらいの落差があるはずであり、自分自身のこの重い経験をあっさり抹殺するに足るほど「原点」という二文字への恐怖心が強かったのだろうか。
(6-9)何千何万という経典をことごとく仏説とする東洋人の不合理は、キリストの直接の言葉を唯一の規範(カノン)にする彼らにとっては納得出来ないことであったに違いない。しかしそれはあくまで彼らのお家の事情である。少し冷静になってみれば、西洋人が小乗仏典を根本経典と定めたのは、宗教の合理化と無神論の進行した十九世紀西欧の精神状況となんらかの形で関係があったくらいのことは、考えることが出来たはずであろう。
(6-10)つまり仏教とはいかなる規定をも拒む、外延の広い概念で、それゆえに数万の経典はすべて仏身と言い得て懐疑の生じなかった所以でもある。
にも拘わらずこれに接した西洋人は、つねに規範(カノン)を大切にし、一定の視点からしかものを見ようとはしない。
(6-11)キリスト教の根柢にユダヤ教があり、ユダヤ教がより根源的であるからといって、べつだん西欧カトリックの正統派の信仰はそのこと自体で揺らぐようなことはない。ヴェーダやウパニシャッドと、中国渡来の大乗仏教に培われた日本人の信仰との間にも、当然、この関係が成り立ってしかるべき筈なのである。
(6-12)近代意識の先駆とみられる江戸時代の富永仲基は、『出定後語』においてなるほど西欧人より百年も早く聖典を歴史の産物とし、小乗経典に着目し、近代の実証研究の成果に匹敵する見解を述べてはいるが、しかしまた同時に、彼は実証の不可能ということ、最古の仏説を文献から抽出することは不可能であり、無意味であることにも気がついていたのである。仲基は「(シャカの直説に近いものを見出しうる)其の小乗の諸経でさへ、多くは後人の手に成りて真説は甚だまれなるべし」と述べ、認識の限界への強い知的懐疑を表明している。これをみると、批判の進んだ現代の仏教学者より、江戸時代の人間の方がいかに思索の力が勁かったかが分るだろう。
(6-13)正解とは何か。それは一片の知識にすぎないのではないか。(中略)信仰を失ったことの最もあからさまなしるしとして、文献学を信仰している、という以上のことではあり得まい。
(6-14)過去がたとえ誤解であり、擬似であったにいせよ、われわれは自分の過去を払い捨ててしまうことは出来ない。しかし過去を大切にする姿勢までが、少しでも古い根源に遡及したいとする知的欲念となって、近代の原理に支配され勝ちであることをわれわれは忘れないでおきたい。過去を愛することと、過去を通じて自分を主張することとは、元来、別個のことである。
(6-15)歴史を相対化するということは、一種の破壊行動であるけれども、さりとていったん認識が開かれれば、破壊を避けることはできないという矛盾がある。それは当然のことであり、すべての学問が背負う宿命でもあります。
(6-16)私は概して社会に変化を望まない。なにかが良くなるように期待する前に、これ以上悪くならないようにと祈るだけである。
それは私が理想を信じないからでは決してない。社会のなかで実現が期待できる程度の理想を、ことごとく軽蔑してやまないからにほかならない。
私はなにかが可能だと語る人にたいして、これまでつねに、はたしてほんとうに可能だろうかという疑問だけを突きつけてきた。私には現実の堅い壁が気になる。なぜ人は壁の一部を少しでも改修することから仕事を始めようとしないのだろう。なぜ壁をいっぺんに取り毀し、自分は壁の向こう側に立っているという見取図で物事を語り始めるのであろう。そういう人々の理想は、私には少しも理想には見えない。それは空想にすぎない。
(6-17)未来は必ずこうなる、だからわれわれはこうすべきだという類のあらゆる確言、あらゆる断定を語る者は、私の目にはすべてアジテータに見える。
(6-18)人間も生物である以上、未知の事柄にたいしては、たとえ望ましいと思う事柄にでも、慎重に、おずおずと手探りしながら向かって行くしか生き方を知らないものなのだ。真の理想家は現実の堅牢さ、リアリティの不動の重さを知っている。現実を良くするように期待する前に、これ以上悪くならないようにと祈願する、(中略)
真の理想家は現実の改善改良など頭から軽蔑しているからである。そんなことよりも自分の内心の理想がはるかに巨大だからである。また、そのような理想家でなければ、現実はほんとうには見えてこないのではないだろうか。
(6-19)ひとつひとつの具体的事例でエゴイズム、すなわち人間の愚劣で惨めな側面がわれわれの制度や社会の仕組みの基本を決めているのであって、そのような最低基準に理想を求めるべきではなく、愚劣な現実にはあくまで現実の道を行かしめよ、現実を変えることが理想だと思って安心するほどに小さな理想家であってはいけないということが、肚の底から分かっているひとはむしろ少ないといえるだろう。もしそうでなかったら、現実を少しばかし小手先で変えることを理想だと思って、理想と名づくものがたいがい安っぽい社会的解決をめざして、〝戦争のない世界〟であるとか、〝差別のない社会〟であるとかいった名称で飾られることはないだろう。
(6-20) 社会だの制度だの、それに関わる人間の心などに徒らに理想を求めるのではなく、ショーペンハウアーがいうように、どうせ人間の社会的心性に改善の余地はないものと大悟徹底して、環境を良くしようと考えるよりも、悪くしないようにだけ気を付けよう、と覚悟のほどを固めておけば、われわれはお互いによほど住みよい環境を作ることができるのではないかと思うのである。
ところが、世の中にはこれが分かっていない人が、とりわけ知識階級に跡を絶たず、おかげで世間をよほど住みづらくしている。
(6-21)われわれがショーペンハウアーのように人間に期待せず、人間を虚栄と利己心に満ちた愚かで哀れな存在として正視し、その限界点ですべての問題を眺めているなら、どこかの外国に理想をすぐ求めたり、その空想的な基準で日本人を責めたりはしないであろう。また、美化された理想を日本社会に押しつけた場合に、ばかばかしい混乱と無意味な葛藤が生じるだけだという、起こり得ることのいっさいの想像図を、リアルに思い描くこともできるであろう。
(6-22)現代の知識人はあまりに理想が小さすぎる。それゆえ現実を冷たく突き離して見ることができないだけでなく、そもそも現実そのものが見えない。
(6-23)現代の知性は不合理なるものをすでに信じていないというが、だからといって真の合理性を具えているとは、必ずしもいい難いのである。
(6-24)もし、歴史学者が個人的色彩を消すのに成功したならば、それによってより高い客観性が獲得されるということはけっして起こらないだろう。逆にあらゆる歴史的判断の基準を失い、とめどない相対性の泥沼の中に落ち込むだけであろう。例えば私は私の個人的な感覚、思考、判断力、さらには発想の癖というものまで排除してしまえば、私は私を理解できないばかりでなく、他人を理解することもできなくなるはずである。なぜなら他人は私を通じてしか理解し得ないものだからである。豊かな芸術的経験と感受力とをもたない者はいかなる芸術史をも記述できない。たとえ「私」を消し去ることが意図であったとする客観的な歴史記述がある成果を収め得たとしても、成果のうちには意図からはみ出たものが生きているはずである。
(6-25)歴史はわれわれがどんな風に未来を生きようとしているかという問題によって限定されてはじめてわれわれの前に現われるものであろう。その意味で、歴史はけっして過去からくるものではなく、未来からくるものである。ヨーロッパの歴史意識が、「終末」へ向かうキリスト教的な時間の観念と不可分であるといわれるのも、「終末」がはじめてわれわれの存在に意味と統一とを与えてくれるからであり、そのような目標というものをそなえている未来への緊張を欠いてしまっては、そもそも歴史意識は成り立たぬからであろう。人間が過去を決定するのは、人間が未来に決定されているからである。
(6-26)人間がみずからの主(あるじ)たるためには、人間の上に主たる存在を設定しなければならない―これは人間性の本質にかかわるパラドックスであろう。みずからがみずからをよく統御しうるためには、人はすすんで被統御者の位置につかなければならないのだ。個人は全体の中で自己の位置を知り、部分としての自己の限界内に徹することで、はじめて個人としての自覚を得る。だが、この現代において、人為的・人造的な全体者以外に、いかなる主が可能であろうか。が、考えてみれば、このように近代人が全体者を見失ったのは、近代人みずからが全体者たろうとしたからではなかったのか。部分としての人間がひとりひとり世界の主人公であることを主張しはじめたためなのだ。
(6-27)近代人は、人間の上にいかなる主をも認めようとはしなくなった。この人間への信頼、過信こそ、歴史主義の基礎でもあろう。
(6-28)過去は現代のわれわれとはかかわりなしに、客観的に動かず実在していると考えるのは、もちろん迷妄である。歴史は自然とは異なって、客観的な実在ではなく、歴史という言葉に支えられた世界であろう。だから過去の認識はわれわれの現在の立場に制約されている。現在に生きるわれわれの未来へ向う意識とも切り離せない。そこに、過去に対するわれわれの対処の仕方の困難がある。
(6-29)過去とのつながりを切られたときに、人間は歴史的基盤を失う。そういうとき、人間は単なる現在のうちに立ちつくし、未来への方途をも見失う。
出典 全集第六巻
ショーペンハウアーとドイツ思想 より
「Ⅰ ショーペンハウアーの思想と人間像」より
(6- 1)(26頁下段から27頁上段「ショーペンハウアーの虚像をめぐって」)
(6- 2)(70頁上段「西欧におけるインド把握の原型」)
(6- 3)(70頁上段から下段「西欧におけるインド把握の原型」)
(6- 4)(74頁下段「西欧におけるインド把握の原型」)
(6- 5)(99頁「神秘主義に憧れた非神秘家」)
(6- 6)(101頁「神秘主義に憧れた非神秘家」)
「Ⅱ ショーペンハウアーの諸相」より
(6- 7)(121頁「インド像の衝突」)
(6- 8)(123頁下段「インド像の衝突」)
(6- 9)(124頁上段「インド像の衝突」)
(6-10)(125頁上段から下段「インド像の衝突」)
(6-11)(129頁下段「インド像の衝突」)
(6-12)(136頁上段「インド像の衝突」)
(6-13)(136頁下段「インド像の衝突」)
(6-14)(137頁上段「インド像の衝突」)
(6-15)(150頁下段「富永仲基の仏典批判とショーペンハウアー」)
(6-16)(152頁下段から153頁上段「侮蔑者の智恵」)
(6-17)(154頁上段「侮蔑者の智恵」)
(6-18)(155頁上段「侮蔑者の智恵」)
(6-19)(160頁下段から161頁上段「侮蔑者の智恵」)
(6-20)(161頁上段「侮蔑者の智恵」)
(6-21)(163頁下段「侮蔑者の智恵」)
(6-22)(163頁下段から164頁上段「侮蔑者の智恵」)
(6-23)(164頁上段「侮蔑者の智恵」)
「Ⅲ 歴史と永遠」より
(6-24)(188頁下段から189頁上段「ヨーロッパにおける歴史主義と反歴史主義」)
(6-25)(195頁上段から下段「ヨーロッパにおける歴史主義と反歴史主義」)
(6-26)(202頁上段から下段「ヨーロッパにおける歴史主義と反歴史主義」)
(6-27)(202頁下段「ヨーロッパにおける歴史主義と反歴史主義」)
(6-28)(207頁下段「カール・レーヴィット『ブルクハルト―歴史の中に立つ人間』」)
(6-29)(210頁下段「カール・レーヴィット『ブルクハルト―歴史の中に立つ人間』」)