現代世界史放談(一)

日米戦争の始まり

昔から欧米がアジアで注目するのはシナであって、日本ではありません。ペリーが来航した頃、蒸気船は存在せず、まだ帆船でした。ペリーは太平洋を横断してきたのではなく、その頃、アフリカ南端の喜望峰を廻って上海に行くのに、ロンドンからとニューヨークからとの二つの航路がありました。面白いことに、ニューヨークからの方が近かったのです。

 それゆえ、1810年代の早い時期に、アメリカの対支貿易はイギリスを凌駕していました。スエズ運河ができたのはやっと明治維新の頃、1869年でした。その頃、蒸気船もできて、イギリスがアメリカを引き離し、焦ったアメリカはパナマ運河の開発を考えるようになります。

 パナマを切り拓くためにはカリブ海を自らのものにしなければならず、そのためにはスペイン勢力を同海域から追い払わなければならない。そこでアメリカは、スペインと戦争を始めるのです。スペインは当時、西太平洋にもまだ力を残していました。アメリカがフィリピンを押さえ、同時にハワイを占領し、スペインを倒した米西戦争(1898年)において、太平洋はスペインの海からアメリカの海になります。実は、これが日米戦争の始まりなのです。

その話をすると切りがありませんが、少なくとも当時のアメリカでは、領土を拡大することを嫌がる勢力が国内にかなりおり、膨張主義者たちはそうした内向きの議会勢力を押さえて太平洋へ出ていくために、スペインのフィリピン領有を否定する理由が必要になっていました。フィリピン自体よりも、さらに西側により強大なアメリカの敵があることを議会で主張せざるを得なかった。その敵というのが日本なのです。当時は日清戦争が終結しており、台湾は日本領でした。

その頃から日本がアメリカの最大の敵だったのかと考えますと、そうは思えません。アメリカは一貫してイギリスと争っていたのです。イギリスをいかにして倒すか。英米は絶え間ない張り合い状態にあった。両国の貿易競争で相克するプロセスのなかに日本があった。英米対立の構図における日米戦争、あるいは大東亜戦争のそういう側面を、戦後すっかり忘れられている問題点として指摘しておきたい。

世界の妄想「シナ幻想」

その頃、シナの人口は6億人くらい、広大な土地と巨大な資源が眠るに違いないと思い込む世界中の妄念があり、いまでもそう思い込むふうがあるらしく、人々は「シナ幻想」に踊っています。

ペリーは何としても太平洋横断航路を作らなければいけない、と海軍省に手紙を出します。シナへの中継地として日本が必要であると考え、小笠原諸島を狙います。

しかし小笠原はすでにイギリスが手を付けていて、ここでも英米はぶつかります。このようにシナが本命で、日本は中継地として重要だったにすぎません。でもその力学がずっと働いていて、「シナ幻想」が世界を覆っているからこそ、いまでもシナに「大甘」なのです。

白人は、習近平のような男が居座っているのが異常だと思わないようです。スターリンやヒトラーであれほど苦しんだはずではないかと言いたい。習近平のシナは、明らかにあのスターリン型の独裁国家に急速に変貌しているにもかかわらず、暢気でぼんやりしているのが西側諸国であり、日本政府も共産社会の克服の問題については強いことは言わない。

1992年の「南巡講話」から始まったシナの改革開放路線が生産力を高めて国家的台頭を示したのには、けっして遠い、長い歴史があるわけではありません。この約十年かそこらではないか。実は5年くらいではないかとも思えてなりません。そしていま、急速に峠を越えつつあります。

現代は、アメリカが日本と一緒になってシナ大陸にアヘン戦争を仕掛けていると私は思っています。意外な観点と思われるかもしれません。

21世紀のアヘンは、中国人にとって近代生活の富ときらびやかな便利さなのです。想像もつかないスピードで、中国人は浮かれ出したではありませんか。アヘンに溺れたのとよく似ています。2000年はじめ頃、中国はまだ貧しい、穏和しい国でしたが突然、強気になり出した。日本とアメリカの投資で膨れ上がったからです。それを「自分の力」と錯覚してどんどん借財を作り、自転車操業を繰り返すことによって力を経済的に外にも高めることだけに意を注ぎ、架空の力でここまできているのではないでしょうか。

つづく

月刊Hanada 2016年6月号より

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