現代世界史放談(八)

アメリカの覇権の背景

 はたしてそれを中国ができるのか、定かではありませんが、この大きな中国の賭け、その前に今日は歴史を古いところからお話をしたので、もう一度、イギリスとアメリカの覇権争いを思い出してもらいたいのです。第二次世界大戦は、アメリカがイギリスに勝利した戦争です。

 日独はだしにつかわれたようなものかもしれません。アメリカは常に地球の他の覇権国、地域の覇権国を許さないことで始まった国で、まずイギリスを、次にドイツを、そして日本を潰しにかかった。ロシアを許さなかった。次々と地域の覇権国を倒すのがアメリカの国是、いまもそうです。大統領候補のトランプが言っているじゃありませんか、アメリカの意向であり、ずっとそれできている。

 だからトランプは夢をもう一度と叫び、アメリカ人の心を摑んでいる。しかし実力がそれに伴わなければできないので、彼の主張のとおり、アメリカが「世界の警察官」であることを止めればドルは暴落し、アメリカの覇権も終わってしまうのです。アメリカはベトナム戦争からのち、一国で覇権国だったのではありません。日本という懐刀をもっていたので、アメリカは覇権国であることが可能になったのです。日本は黙って国債を買い続けて、その国際は国家予算んのなかに入れないできている不可解な構造が、日米一体でアメリカの覇権を可能にしてきたんです。トランプはそのことが全く分かっていない。

 アメリカは「世界の警察官」であることによってヨーロッパに価値、ロシアに勝ってきましたが、しかし中国に対してはどうか。中国も、アメリカと日本が手を組んで勝つという構造にするのは経済だけでやってもらいたい。それであれば日本は受けて立てばいい。

カトリックとプロテスタント

 冒頭で述べたようにペリーの来航の前から始まって、アメリカはイギリスと戦った。独立戦争ですね。それは何が原因かというと宗教が原因でした。ヨーロッパはキリスト教といってもカトリックとプロテスタントが相争っていた地域です。カトリックは日本の心とも繋がるところがあるのは、自然法を尊重するからです。カトリックは中世の初期にヨーロッパの古代神話の世界を残存させ、それと妥協した宗教なんです。ですからカトリックというのはある意味で異教徒には寛大な宗教なんです。内部の異端には厳しいが、異教徒には譲歩しなければ政治的に自分を存立もできない古い時代を生きました。

 だから、例えば靖国神社を取り潰すとマッカーサーが言ったが、ダメだと言ったのはアメリカのカトリック教徒でした。なぜならば自然法を尊重する、自然信仰があって、堕胎はいけないとか、男は女と結婚するものだとか、民族共同体のために戦った戦士に対しては何であれ、祈祷することは当たり前のことdと考えて、これが自然法で、カトリックは靖国神社を燃やすことに反対した。しかしアメリカは基本的にプロテスタントの国であり、イギリスもそうなんです。

 カトリックは古代人の信仰を残している。プロテスタントはそれを異端として退け、信仰を純粋化しようとした。その自覚が人間の主体性、近代化につながることは間違いありませんが、偏狭でときに破壊的です。

 ヨーロッパはカトリックとプロテスタントの間で17世紀に激しい戦乱を重ねます。それに疲れてしまい、宗派間の争いをやめて妥協するのが啓蒙主義です。カントの永遠の平和のために、なんてものが出てくる。ヨーロッパは宗教間闘争に疲れた。しかしそれがいかに根強いかは私が1960年代に留学した時はまだドイツの小学校はカトリックとプロテスタントに分かれていました。いまは宗派別学校闘争はやめようということになっています。

 ヨーロッパでは20世紀後半になってようやく日本に追いついてきたのです。日本は信長が比叡山を焼き討ちしたときをもって、宗教が政治の脅威となることは大体終わっている。その後島原の乱があり、大正時代に大本教もありますが、そのあと宗教が政治を脅かすことはオウムまでない。日本は大人の国なんです。それが神仏信仰なんです。

つづく

月刊Hanada 2016年6月号より

「現代世界史放談(八)」への1件のフィードバック

  1. 成る程、書いておられることは納得ですね。元々カソリックというのは、帝国ローマが東のコンスタンチノポリスと西のローマに分かれて以来の西の宗派でした。西のローマはすぐに滅びましたが、東ではイスタンブールを首都として長く栄えました。東のキリスト教は正教(オーソドックス)といいます。明らかに宗教的傾向は異なります。それは永い時間をかけての変化でした。明らかに東と西では傾向に差異は有りますが、西のカトリックとプロテスタントとの差異ほどではありませんね。プロテスタントというのは極めて狭量な原理主義的で排他的な傾向を持つものです。それが、ドイツ、イギリス、オランダ、などの傾向です。ルターやカルバンなどの原理主義は、ローマへの反抗・反逆から起きましたが、つまり名前の通り、プロテストする主義なのです。敵はせん滅殺戮するというのが彼等の方法論です。プロテスタントのなかでもクェーカー派などは、従来のプロテスタントとは若干異なる様ですが、全体的に見れば、西尾さんの仰る通りですね。このプロテスタントが世界の覇権を握っている事に、今日の世界の難問と諸問題があるようです。

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