前回につづき本からの直接の引用である。
長谷川さんはただ一方的に押し切られそうなその場の雰囲気を恐れたのである。さっそく電話で県の教育委員会に「しぼりこみ」の意味いかんを問い合わせた。指導第一課の門田(もんでん)剛年氏は市の課長と同じような答を言うばかりだった。長谷川さんが「一位をきめて報告するのはどうですか」というと「選ぶための諮問ですから、当然どれを選んだらよいかという判断ができなくてはなりません。だからそれは構わないのです」「判断するのは教育委員ではないのですか。だから順位づけしてはいけないはずだったと思いますが」「順位づけは構いません」というような応酬だったらしい。
しかし、同和問題対策のため旧文部省から送り込まれた、辣腕(らつわん)だった県の前教育長辰野氏がきめたルールとは真向から対立する話である。辰野氏は少し前に広島県から転出した。たちまち元のもくあみということか。
7月20日、廿日市市の臨時教育委員会が開かれた。メンバー構成を言っておくと、教育委員関係は五人で、教育長、教育委員長、教育委員S氏(広島大学名誉教授・生物学)、K氏(元中国電力常務。会社社長)、長谷川真美氏。それから行政から市の教育部長、教育総務課長、学校教育課長、ほか事務局の担当係。
会議の冒頭、目を剥くような驚くべき発言が学校教育課長からとび出した。
「歴史の教科書はすでに検定を通っているのですから、どれもみな同じで、歴史の内容については今日はご議論いただくことは控えていただきたい。われわれは政治的に中立でなくてはならないので、教科書の内容に踏みこんだ討議は本日は行えません」
「それなら何を論じるのですか」とある委員。
「子供にとって分り易いとか、先生たちが教え易いとかに関してです」
教育長がここでひきとった。
「つまり、歴史観で選んではいけないということです」あまりのことに長谷川さんは唖然として、開いた口がしばらく塞がらなかったらしい。
地方の小役人どもが何かを恐れ、必死に難を避けようとして、歴史の教科書の内容はみな同じなのだから、挿絵がきれいだからとか、図表がわかりやすいからとか、そんなことだけで討議せよ、という。しかし実際の教科書は、内容的に極左から中間左翼まであり、扶桑社本がそれらのすべてと対決している。なぜ逃げるのか。歴史の内容を論じなくて何で歴史の本の選択ができるであろう。私はおどおどした小役人の立居振舞いを笑ったゴーゴリーの風刺小説を思い出した。広島県廿日市市は帝政末期のロシアなのだろうか。
「それはおかしい」と教育委員のS氏が怒りだした。「このあいだは選定審議会から一方的なお話を伺っただけなので、今日はわれわれの側できちんとした討議をしたい」朝の9時半から始まって、中学の部に移ったのは昼すぎであった。
長谷川さんは用意していた原稿に基いて、約10分意見を述べさせてもらった。
〈教育荒廃に際し、教育委員の果すべき役割は大きい。自分は“教育委員はただのお飾りか”という文章で疑問を表明したことがある。教科書を選ぶことは教育委員にとって最も大切な仕事である。文部科学省の学習指導要領をこそ採択の基準にすべきなので、そのことを市の採択要綱の文言に入れるようにお願いしたら、それは大前提だから入れなくてよいというお話だった。けれどもわが国の国土と歴史に対する理解と愛情を深めるようにという学習指導要領の精神で、はたして廿日市市の答申は書かれているだろうか。扶桑社版では生徒はただ暗記するだけで、考える内容が非常に少ない、と答申にあるが、これはまったく逆の評価で、出来事、背景、影響というものの材料を扶桑社のようにたくさん与えて初めて、生徒に自分自身で考える力を養うことが出来るのである〉大略こう述べて、学習指導要領の大きな目標を掲げた一文をコピーで配り、
「この精神に添うような内容の教科書は扶桑社しかありません。私は本委員会に出された答申を差し戻したい」
教育部長が「差し戻されても困る」という大きな声をあげた。教育部長、教育総務課長、学校教育課長が立ち上がって教育長の所に集まり、こそこそと話し合った。
「差し戻しがまったく出来ないわけではありません。ただきちんとした新しい答申を出せるかどうか分りません」
と部長が困惑した顔で、とりなすように言った。S「長谷川さんは何が問題なのか、具体的に例をあげて言ってくれ」
長谷川「自分が調査した結果を発表していいですか」
S「どうぞ」
小生、4年前荒川区の教科書採択の検討委員になった経験がありますが、新しい歴史教科書を採択することは、残念ながらできませんでした。しかし、三省堂の英語の教科書に朝鮮の改名の話が「強制されて悲しい」と英語で出ていると、作る会から情報を得ていたので、この採用を否認したら、それはうまくいって他の英語の教科書が採用されました。教科書採択ではまず教育委員会の下部組織の検討委員会にいかに参加するかが大事です。また歴史教科書だけが左翼の手に落ちているわけではないですね。
荒川区には4年前に私も伺ったことがあります。
あの時はほんとうにご苦労様でした。今度の荒川区はいかがでしょうか。区長に不幸なトラブルがあって、運が悪いなと嘆いています。
それでも、なんとか、と祈ってをります。どうかよろしくおねがいします