新刊『民族への責任』について (三)

民族への責任 さて、今回の新刊については、版元の徳間書店のお許しを得て、約8ページに及ぶある部分をそっくり全文掲示することが可能になった。

 「西尾幹二のインターネット日録」の読者にとって管理人の長谷川さんのお名前は馴染みだろうが、どういう方なのか、私とどういう関係にあるか、私がなぜ彼女に全幅の信頼を置いているのか、分らないという人も少くないであろう。現にオピニオン板にそういう疑いの書き込みがあったので、信頼への由来を明らかにするよい機会と思えてここに全文8ページを掲示する。長谷川さんがドラマの主役となって登場するシーンである。

 本当はこう書いて読者の気を引いて、あとは本を買って読んでくれ、と言ったほうが有利なのだが、この本は他にもいっぱい面白い売りの部分があるので、ケチケチしない。ここは全面公開といこう。

 

 広島県廿日市(はつかいち)市は単独採択区である。県から教科書採択の委託を受けた市の教育委員会は、選定審議会(校長代表、PTA連合会長、学識者という名の元校長二名等から成る)に責任をまる投げした。さりとて選定審議会は自ら教科書を読んで、研究するわけではない。調査員と称する中学の教師に再び責任をまる投げした。調査員は各教科ごとに五人いる。彼らのみが教科書を読んで、報告書をつくる。選定審議会はその報告書の答申に黙って従い、文句をいわずに上にあげる。教科書を実際に見てもいないのだから、何かをいえるわけがない。かくて報告書の答申はそのまま教育委員会にあがってくる。教育委員たちも教科書は展示場でみる以外には接する機会がない。よほど熱心な委員以外は展示場に行かないし、行っても小中学の教科書ぜんぶ見るのは百時間かけてもできない。そこで委員会になると、答申を承認するといって、教科書を見もしない人がパチパチと賛成の手を叩く。これが前回までのやり方で、今回もほぼこの通りで行きそうだった。

 前回、教育委員長が冒頭、教育委員会は時間がなくて開けなかったので、「専決処分」したから委員のみなさま、このままどうかお認めください、という妙はことばを使った。教育委員会は開かれていなかったのに、教育長が任されて決定したという形式だけを踏もうとしたからだった。

 廿日市市教育委員の長谷川真美さん(主婦)は、市教育委員会規則の「教育長の事務委任」の条項中に「教科書採択は除く」とあるのを発見していた。そこで、今回はあらかじめ教育委員長に逃げ道を封じるべく釘をさしておいた。パチパチとみなで拍手して終り、つまり審議もせずに事後承認、というわけには今度はいかない。

 しかしあがってきた報告書の答申を見ると、総評が書かれていて、一番下の枠に、中学の歴史は東京書籍がよいと考える、と書かれてあった。教育委員会にあがってくる前に、一、二社にしぼりこんではいけない、というのが、文部科学省の指導方針だったはずだ。長谷川さんはびっくりして、「これは『しぼりこみ』ではありませんか」
と問うた。事務局側を代表して、学校教育課長が、
「いえ、これは『しぼりこみ』ではありません。『しぼりこみ』というのは、調査委員の研究段階で、あらかじめ何社かを外して、数社にしぼりこんで比較調査をすることをいいます。調査の段階では全社を扱っていますから、『しぼりこみ』ではありません」
長谷川「でも順位づけをしているではありませんか」
課長「調査の段階では順位づけもいたしておりません」
しかし現に東京書籍が一位として示されているのだから、いけしゃあしゃあとよく言えたものである。
長谷川「じゃあ、出された答申はこの委員会で変更してもかまわないのですね」
課長「委員たちの話合いによって、可能ではあります。しかし、答申は重んじられなければなりません」

 教育長がその通りだ、と口を挟んだ。彼はその後も何度も答申の尊重をくりかえし強調した。
課長「県の教育委員会から『しぼりこみ』をしてはいけないと指導されていますが、これは『しぼりこみ』ではないし、こういう研究報告の仕方をしてはいけないとは指導されておりません」
長谷川「今日のここから先の討議は延期していただけませんか。中学の歴史・公民は国際問題にもなっていて、慎重に審議したいので、7月20日に延ばして下さい」

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