私は天皇御譲位をめぐる問題については発言しないことに決めていて、今までのところこれを実行している。
以下に示すのはやはり同問題そのものへの発言ではない。
御厨貴氏は有識者会議の座長代理である。座長はたしか経済界の有力者で、従って「代理」が事実上の座長であることは他の同種の有識者会議の例にもみられる通りである。
御厨氏は果してこの重要なお役目の座に坐るにふさわしい思想の持主であろうか。
NHKスペシャル「シリーズJAPANデビュー 第二回 “天皇と憲法”」
2009年5月3日放送東京大学・御厨貴教授:
「で、問題はだからやっぱり、僕は、天皇条項だと思っていて、この天皇条項が、やっぱり、その、如何に非政治的に書かれていても、やっぱり政治的な意味を持つ場合があるし、そういう点でいうと、あそこをですね、やっぱり戦前と同じように、神聖にして犯すべからず、あるいは、不磨の大典としておくのは、やっぱり危険であって、そこに一歩踏み込む勇気を持つことね。天皇っていうのは、だから、その主権在民の立場から、どう考えるかってことを、本格的にやってみること、これね、みんなね、大事だと思いながらね、絶対口を噤んで言わないんですよ、危ないと思うから、危ないし面倒臭いし、ね。だから、ここを考えないと、21世紀の日本の国家像とかいった時に、何で天皇の話が出て来ないってなるわけでしょ、そういう、やっぱり、やっぱり、天皇って、そういう意味では、国の臍ですから、この臍の問題を、つまり日本国憲法においても臍だと思うな、考えないと、もういけない時期に来ている、と僕は思います」
以上はどう読んでも、皇室の存在は「主権在民の立場」にとっては障害になっている、ということを言っているのではないだろうか。「21世紀の日本の国家像」は共和制がふさわしいという意見の持主ではないだろうか。
こういう先入観をもっている方が今回の有識者会議の事実上の代表であることは果して許されることであろうか。
暫くコメントを控えるつもりでしたが、この記事を読み、又発言させて頂きます。御厨氏は大学同期で、彼の思想が形成される環境や雰囲気を共有しますので彼が宮沢や芦部、小林その他多くの敗戦利得者の系譜につながる先生方の話を聴いて育ち、主権在民というより寧ろ国民平等の理念から、21世紀の日本の国家像を考えるとき、本音では「何で天皇の話が出て来ないってなるわけでしょ」となることは、私も嘗てそうでしたので、よく分かります。公務員試験や司法試験に合格して官僚や法曹になった連中も、企業幹部も知識人の多くも、日本の伝統や歴史を自助努力で学ばない者は、理論にまじめであればあるほど、「みんな大事だと思いながらね、絶対口を噤んで言わない」だけで、心中で天皇は平等原則に反すると思っているはずです。
専門家委員会や有識者会議などの会議の結論や方向はキーパーソンの人選でほぼ決まります。御厨氏に将来の皇室護持に向けた配慮を期待できないとして、他に主要大学の誰が適任でしょう。人選した側にも、内閣にも、この手の輩が多く、「尊王」の立場は現在危うい状況であり、「国の臍」などという発想も天皇を外国人の目から眺めている証拠です。幕末でさえ世論は尊王と愛国では完全に一致していましたが今は一致しないところに日本の腐敗と悲劇の根本があるのではないかと思います。
たしかに天皇は「日本国憲法においても臍」に違いなく、9条とともに改正の臍とし元首と明文化すべく、幸い多数の一般国民や庶民は本能的に天皇の存在のありがたさを知っていますので、その基盤を背景に、国民的議論や討論で、彼ら知識階級の洗脳を解き、天皇の日本国における価値や意義を正しく認識させ、適正な知識を国民的コンセンサスに高める必要があります。この有識者会議を暴走させないよう西尾先生にもうひと踏ん張りして孤軍奮闘して頂きたいと今後の言論活動をお願いしたいものです。
楽秋庵様が触れられたDHCシアターの「やらまいか」は私も視聴しましたが、折角、保守の論客の顔が揃い乍ら西尾先生の発言は真意が参加者に伝わらず、議論が噛み合わないことに私だけでなく視聴者は歯痒い思いをしたと思います。保守層には安倍総理のどこが何故だめなのか、左翼層には何故皇室制度を伝統に沿って維持しなければならないかを懇々と諄々と説くことから始めなければならないと思います。
サラリーマンを経験した普通の日本の愛国者は、素人なりに、こういった議論の未はどうしても楽秋庵様のように、どうすれば変革を実現できるかの具体策を、あたかも担当した技術や製品の品質向上や、企業経営の改善を考えるように、考えて、その戦略を語りたくなります。この日録がそれにふさわしい場ではないかと見做し、私も投稿しています。言論の虚しさを感じつつも、素人が素人なりに真剣に考えた結果を投稿して読者の方々、特に池田様はじめ塾のシニアの方々のご批判やご意見を仰ぎ、その議論がこの日録を起点に波紋のように全国に広がることで、国民世論の質が少しでも良くなることを期待しています。なお楽秋庵様の掲げられた政策に基本的に賛同します。今は時間の余裕がありませんので参画は当分できませんが「歴史戦統一戦線サイト」立ち上げは秀逸なアイデアだと思います。
政府人選ということで付け足しです。毎年の歌会始は両陛下の御歌しか見ていませんでしたが今年は撰者の歌も見てあまりのひどさに呆れた次第です。日本文化にとって極めて重要なこの儀式に加わる撰者、全国民の詠進歌をえらぶ重要な役割の撰者に篠弘氏のような者を選任する宮内庁関係者を更迭する必要を感じます。
御厨貴もそうですが、竹中平蔵や浜田宏一と、安倍政権のブレインにはおかしな人が多すぎます。
ここのところトランプ大統領誕生、韓国の迷走、中国の横暴と国際問題が注目されることが多く、
その中で安倍氏が外交をたくみにさばいて支持率が高止まりしているのなら結構なことと思う。
しかし経済政策が成功しているとは言えず、デフレ圧力が相変わらず高く国民の将来への漠然とした不安は拭い去れないから、消費も伸びてはいないのです。
もっと心配なのが御皇室の問題で、今上陛下のご退位を議論する「有識者会議」なるもののメンバーは疑問だらけです。
御厨なる人物は左翼とは言えないかもしれないが基底にアメリカ製の戦後民主主義があるので
その議論は皇室を冷淡に吟味・分析する態度が際立っている。皇室崇敬の気持ちは感じられません。
私は昭和天皇を尊敬申し上げる者で、特に終戦後の陛下のご努力がなければ日本は消えていたと思います。
行幸の先々での多くのエピソードは今でも涙なくしては読めない。
我々日本国民がどれだけ御皇室に助けられたか、今の日本人は忘れてしまったかのようで、そこが残念でならない。
もし御厨某にこの気持ちがあれば、まずは例えば先帝陛下のご事蹟をもっと国民に知らしめ、そのうえで国民的議論に持っていくべきでしょう。
民主主義だの主権在民だの、薄っぺらな言葉で他人事のように皇室を語る姿勢に強烈な違和感を覚えます。
結局安倍氏のブレインはアメリカかぶれで固められており、日本古来の伝統など単なる懐古趣味としか見ていない。例によってアメリカの手先になって日本を改造しようとする連中ばかりですね。
日米関係を良好にするのも結構だが、かつての中曽根のように言いなりになって長期政権を維持するのなら情けないことです。
あんどう様
「皇室崇敬の気持ち」や「日本古来の伝統」を知らず、学ぼうともしないのがこの御厨氏、「アメリカの手先になって日本を改造しようとする保守連中」、左翼、自称リベラリストらです。かく申す私も不勉強で、プラトンの「ノモイ」に以下の言葉のあるのを最近まで知りませんでした。「わだつみの声消えることなく」の和田稔から上山春平を辿るうちに見つけました。
“いやしくも国家が民主制(自由と友愛)と君主制(思慮と権威)の二つを分け持つことのない限り、その国家は立派に治められることはない。”
アテナイやスパルタなどの古代ギリシャの多くの都市国家経営の経験を踏まえ、その末期に総括されたこの言葉を世界で最も高度に実践し、これからも実践しうる最も幸福で最善の国家が日本であること、天皇制という国家デザインが世界に誇るべきものであることがこの言葉で裏付けられないでしょうか。
昭和帝そして今上陛下まで辛うじて保持してきた日本国の「権威」はこのまま放置すればアメリカの手先になって日本を変えようとするニセ保守が、左翼と一緒になって、大昔のギリシャで失敗した民主制だけの国へもっていこうとしています。同時に権威として存在し続けなければならぬ皇室自身にも危機が差し迫っています。坦々塾の皆様は先刻ご承知で、警鐘をならしているのは西尾先生のみと思われます。思い違いでしょうか?