西欧の地球侵略と日本の鎖国(四)

 太平洋を中心とした世界地図を見てください。他の海と比べて太平洋は異様に大きいと思いませんか? 大西洋もインド洋も大きいけれど、太平洋の大きさは凄まじいですね。そして太平洋の南の国々、フィリピン、ジャワ海、インドネシア、セレベス海、パプア・ニューギニアそしてオーストラリア・・・。この辺り一帯の海域はなんと全体の南西に片寄っていると思いませんか? そして東側はなんと巨大でしょう。日本とアメリカの間には何も無いではないですか。ポツンとあるのはハワイです。太平洋の南はとても大きいのですが、これは島々が連なっています。メラネシアやポリネシアは群島で繋がっているので、南太平洋は島伝いに航海できるのです。しかし北太平洋の航海はどうしようもありません。今でも大変なことで、20年くらい前までは衛星を使ったGPSも無かったので星を計測して航行していたのです。北太平洋航路は現代の大型汽船の航行でも大変な緊張があったそうです。今はこのあたりはゴミの通路になっています。巨大ゴミが漂っているのです。東日本大震災の漂流物もここを渡ってカナダに行ったのですね。とにかく巨大だったのです。

 これを江戸時代の日本人に理解できなかったのは分かるでしょう。そしてヨーロッパ人にも全く分からなかったのです。太平洋は二つあるというのがヨーロッパの通説でした。それを覆したのがジェームズ・クックです。1770年から1780年の間に初めてクックが北太平洋に入ってハワイを発見して、この海域が南太平洋と続いているということが理解されるようになります。それまでは巨大な海が二つあると理解されていました。いかに江戸時代の日本人には手に負えない海であったかがお分かりいただけるかと思います。私はこの事実から「江戸時代の歴史」はすべて書き直されるべきだと思っております。今度また『新しい国民の歴史』で言わなければいけないと思っていますが、その理由をこれから証明します。
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 フェルディナンド・マゼランの航海した軌跡はどうであったか。世界一周を成し遂げますが一人で成し遂げることはできなかったのです。マゼランの航海はスペインが出発点です。そこから南アメリカ大陸南端の「マゼラン海峡」を通って太平洋の南、南太平洋に出てゆきます。それからずうっと行ってフィリピンに辿り着きますが、そこで不慮の死を遂げてしまいます。そして弟子たちが後を引き継いでスペインまで戻るのです。この大航海の間、マゼラン一行を苦しめたのは南太平洋が広かったということ。食べるものが無くなり、マストに付いていた牛革を食べたとか、黄色くなって腐った水を飲んだとか、船員は次々と壊血病に斃れて死んでいった。やっと辿り着いたフィリピンでは、島民の戦争に巻き込まれてマゼラン自身は弓矢に撃たれて死んでしまう。マゼランの弟子たちが1522年にスペインに戻って、初めて「世界一周」という名誉がマゼランの名につきました。

 フランシス・ドレイクはイギリスで海賊の親分のような人で、実際に世界一周を成し遂げました。ドレイクはエリザベス一世の申し子のような人で、スペインと勇猛な戦いをした人です。スペインを倒すための情熱に燃えた当時の代表的なイギリス魂を現した海賊です。後の1588年にスペインの無敵艦隊(インヴィンシブル)を打ち破ったアルマダの海戦によってドレイクは、敵の船団にどんどん火を点けて燃やしてしまうというそれまで考えつかない海賊ならではの戦術で、小国イギリスは大国スペインを打ち破り、エリザベス一世の名を上げた有名な海戦の覇主でした。そのため彼は海賊の身でありながら貴族に列せられました。そうは言っても元々イギリスは海軍で成り立っていたような国で、今でも海賊的な国です。ずっとそうだったので驚くようなことではありません。 

 ドレイクの世界一周の航路はイギリスから出港して、南アメリカ大陸の南端、マゼラン海峡の先、南アメリカ最南端のホーン岬をずうっと回って南太平洋に入り南アメリカ大陸を北上してゆきます。南アメリカはスペインの領土でその植民地を襲撃して財宝を略奪するためです。さらに北アメリカにも上ってゆき、オレゴンのあたりまで北上して植民地基地を次々と襲撃して、大量の財宝を奪い取って船に乗せて1580年に堂々とイギリスへ帰還したのです。そのときの財宝は当時のイギリスの国家予算の三倍でした。エリザベス女王をして狂喜至らしめたということで、海賊の女王ということですね。これがドレイクのドラマです。この時代の日本は戦国時代で、秀吉が1590年に天下統一。歴史的には驚くことではなく日本も似たようなものだったのです。
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北極点を真ん中あたりに置いて太平洋を上にした地図を見てください。右上にカムチャッカ半島があります。下にイギリスがあって、少し右上にノルウェー、スウェーデンのスカンジナビア半島があります。左上にグリーンランドがあって、その上にはカナダとアラスカがあります。右側に細長く見えるカムチャッカ半島のその右に日本列島があります。
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 また北アメリカ大陸を真上にして日本列島を右端に置いて、ユーラシア大陸を見渡せる地図を見てみると、カムチャッカ半島の上にベーリング海があります。北極海に入って左に行けばヨーロッパ。上に行けばアラスカ、カナダです。
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 さらに分り易い地図として、太平洋を真ん中として北を上にした絵解きの様な「マッカーサー地図(1979年)というものがあります。イギリスを出港すると北の海をくぐりぬけてカナダを通ってアラスカからベーリング海峡を抜けられる理屈です。同様にロシア、サンクトペテルブルクから陸路カムチャッカ半島に行って、そこから日本列島に行くこともできるし、ベーリング海峡に入って北の海からヨーロッパに戻ることも理屈上はできます。

 これが18世紀の夢だったのです。つまり17世紀までは西洋人の夢はインド洋と南太平洋で如何にして新しい領土を発見するかという話でしたが、スペインとポルトガルにしてやられたイギリスとロシアはどうしても自分たちの力で新しい海路を発見して、これをもって科学上の国家的栄誉を打ち立てなければならない。打倒スペイン、ポルトガル。そしてオランダはとうの昔に消えています。

 年表を見れば分かるように、18世紀になるとオランダは影も形も無くなっています。オランダは貿易上の争いからも退いてしますのです。ということは、日本はそのオランダ一国にぶら下がっていたのですからいかに半分しか分からなかったか、ということです。これからお話しする北太平洋を巡る激しい争奪戦から一国だけ脱落しているのはオランダなのです。スペインはまだ頑張っています。イギリス、ロシア、フランスそしてアメリカが順に登場します。そして初めて日本列島の周りが騒がしくなります。ですから、江戸時代は二つに分けて考えなければいけません。

つづく

“西欧の地球侵略と日本の鎖国(四)” への 3 件のフィードバック

  1. こんばんは。
    本日、日本第一党による辺野古での抗議活動が行われました。youtubeのURL記載します。私はもう見慣れた光景ですが、初めて目にすると刺激的な内容かと思われます。
    この動画は動画サイトでライブ中継されましたが、そこでのコメントでも「品が無い」「下品」だという意見がチラホラありました。では、品を持って活動して成果が出たのでしょうか?出ていないから今でもこのように争いが絶えないのです。党首本人も言っていましたが、本気でぶつかっているからこそ語気も強くなる。品を持ってというやり方は結果が出ない以上所詮、その人が活動したという自己満足にしか過ぎないといえると思います。
    先日、DHCへの懸念を書きましたが、ch桜も対した差はありません。桜井誠が都知選に出馬した際、桜会員の中でも桜井を取り上げず、今まで見向きもしなかった小池百合子を支持するのは何故なのか?という問題が挙がりました。それに応える動画を水島が上げていましたが、彼らの言動が好まないという理由が主でした。先に書いた品というやつです。「日本こころ」「武士道」を持って活動するのが保守だ、みたいな主張でした。そこで止めておけばいいものを、その時問題となっていた相模原での障害者施設殺人者及び過去に都知事選に出馬した麻原彰晃(オウム真理教)らと変わらない集まりだとさえ言い切りました。
    自身の持つ幻想の保守という立場が脅かされそうになると、なりふり構わない安倍支持者や親米保守らと変わらない存在なのです。日本の心?武士道?鼻で笑わせてくれます。
    今回のこの抗議活動で、左翼以上に警察が違法者に加担しているともいえる実態が明らかになりました。警察だろうがお上だろうが、間違っているものに声を上げるのは現状日本第一党しかありません。

  2. 今朝の産経に西尾先生が「日本の外交は国民が最大に望む一点を見落としがちだ。何かを怖がるか、安心していい気になるかのいずれかの心理的落とし穴にはまることが多い」と指摘され、先生の歯ぎしりさえ聞こえる正論でしたが、残念ながら慰安婦問題でも一般国民が切望してやまない、最大に望む、一点は、まさに政府の推進している「腰抜け平和外交」ではないでしょうか。

    どこの国とも正面から争わず曖昧なまま事態を穏やかにやり過ごせれば多少筋が曲がっても争いが避けられればそれでいいというのが戦後の我が日本国民多数の願望のように思います。「武士道と礼節の国」などでは最早なく「通俗大衆庶民の生活第一の臆病者の国」になり果てており、これこそGHQの企みであり、彼らは日本の怖さはサムライの精神が大衆を指導する国の成り立ちとみて、これを逆転させ、平和憲法の元、大衆がサムライ精神を踏みつける社会に変えてしまった、そのため名を惜しむとか恥辱を恥辱と感じる者たちが社会から排斥される事態になって、三島由紀夫の自決、西尾先生の切歯扼腕につながったと考えます。

    「20万人もの無垢な少女が旧日本軍に拉致連行され、性奴隷にされた」と韓国が国際社会に喧伝し中国が後押しするのは、この2国が日本を辱め、外交的に優位に立ち、反論されないのを知って、「国家的いやがらせ」を面白がり愉快に感じているからでしょう。これに対する日本外交の基本は、仰る通り、報復などより何より「虚報の打ち消し」こそが第一歩であるべきですが、あろうことか安倍首相、岸田外相は「当時の軍の関与」を認め、却って韓国の主張を公式にエンドースし、慰安婦像撤去の合意文書すら残さず、曖昧なままにしたのであって、文書化されず単なる努力義務でさえない像撤去をしないからといって違約を責めること自体おかしいのです。ではどうすればいいのでしょうか?

    ① 戦後の日本人は戦前の日本人とは違う人種になってしまっています。民族の変質を基に戻すことが根本ですが、これは教育によるしかありません。多くの方々が取り組んでいますが非力です。非力でも続けるしかありません。
    ② 外務省の外交姿勢が非難されますが、その背後には日本の政治家、特に日韓議員連盟の先生方がいることを山田宏議員がツイッターで告発し“韓日議員連盟の共同声明”もネットで見ることができます。今後韓国大使を戻すべく、かれら日韓の裏取引が機密裡に進むことが高い確度で想定されます。駐日韓国大使や韓国の政治家らが密かに来日し、または日韓議員連盟の先生方をソウルに呼び、接待の限りを尽くし、賄賂をたっぷり恵み、平身低頭し、日本が韓国の面子を立ててくれなければ韓国は政権がもたない、協力してくれ、と頼みこみ、日本の政治家らは、与野党を問わず、①歴史不勉強から韓国に対する贖罪意識を心理的に拭えず、②「宋襄の仁」の故事すら知らず、情けを掛け、譲歩してやることが良いことだと思い込み、これまでの過ちを繰り返すのでしょう。これまで対韓外交を歪めてきた勢力のこのような動きを封じるべく、その暗躍を天下に知らしめるには矢張りソーシャルメディアの活用でしょうか。メンバーに平沼赳夫氏の名があることは胡乱です、この連盟を改革して頂きたいのですが、諸事情で叶わないなら、せめて脱退して然るべきでしょう。
    ③ 楽秋庵主様ご指摘の通り、宮家氏、岡本氏、宮本氏らの発言を通じて政府外務省の基本戦略が伺われます。「戦争の敗者が過去を蒸し返しても外交的勝ち目は無いし得策ではなく、歴史戦など行うべきではない。国際政治では歴史の役割は小さい。」という外交方針は明らかに間違っており、「蒸し返し」続けるのは隣国であり、正しく反論し事実を明確にし捏造を国際社会で摘発し、潔白を示すことが最高の戦略です。安倍政権の中にここを根本的に変革する人材が居り、生き残ることを祈るばかりです。

  3. 江戸時代は二つある?それは江戸幕府の世界認識でしょうか?海外を知らないというのが私も含めた日本の庶民の特徴です。漠然と海外の人々は友好的で、親切で、話せばわかる義理と人情に通じていると思っています。勿論、為政者もですが。江戸幕府と云うのは意外と法治主義で、それだからこそ260年も続いたのでしょうが、これが幕末になり、白人たちは強力な火器を手に、強引に自分たちの目的を傲慢に無慈悲に通す連中だと、初めて気が付きます。さあ大変、どうしょう!このままでは幕府は瓦解し、下手をすれば大君まで危なくなる。日本国家の危機です。初めて気が付くまでに、大分時間が有ったのですが、それはその、先送りという、得意の手で長い間眠りこけていたのです。対抗するには、もはや幕藩体制では駄目で、それこそ、真の意味で日本を統一しなければならない。すんなりとそれが出来ないから、先送りをしていたのですが。

    面白いのは、幕府が鎖国政策を掲げてから、西欧列強の軍事的隆盛が始まする事です。面白いですね、日本が性根を入れて変化すべき時に眠りコケる事になった。17世紀に自然科学の基礎が据えられ、技術的な発展が始まるのですから、まるで真逆な事をしている。まあ、いくら罵倒しても事実ですから仕方がない。歴史は少数の先見者では、どうしょうもない事が多いのですから。

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