今年出した年賀状は650枚、全部印刷文で、私の直筆は加えていない。本当は一行でも直筆を加えればよろこばれるが、この枚数ではとても対応できない。
私の同年か少し上の世代で、今年をもって賀状を止めます、と書いてきた人が3~4人いた。十分に理解できる。私もいつまでつづけられるか。
当ブログの管理人から、賀状に刷られた短文を公開してほしい、と連絡があった。公開に値する文章でもなく、賀状の個人性をますます失うことにもなるので望ましくないが、少し時間もたったので、要請に応じ以下に公開する。
賀正 私は年を経て複雑なものよりも平明なものを次第に好むようになりました。暗鬱なものより快活なものを見るのが好きになりました。複雑で暗い世界になにか深い精神性をしきりに求めたのは、若さにあふれていた青春時代の心の働きだったのかもしれません。
私は同じことは二度書かない、同じ型の仕事は繰り返さないを、厳密には難しいのですが、ある程度モットーにしてきました。しかしやはり年を経て、自分で自分の過去を模倣していると思うことがあります。「精神は同じ階段を決して二度昇らないものだ」は古人の言葉ですが、とすると、平明で快活なものを好むようになったのは精神の衰えなのでしょうか。否、そうではなく、鳥も虫も羽根を休めるときがあり、海に吹く風にも凪の瞬間があるのが常です。そう考えることで安心したい自分も一方に存在しています。
平成29年 元旦 西尾幹二
DHCシアター(堤 堯氏司会)にたびたび出席しているが、1月5日(木)の「安倍外交で世界はこうなる!迫るチャイナリスク」をここに掲示する。出演者は、阿比留瑠比、福島香織、志方俊之、馬淵睦夫、関岡英之、日下公人、西尾幹二他である。
以下に掲示する。『やらまいか~真相はこうだ!~』
新年明けましておめでとうございます。
西尾先生、毎年新しいことにチャレンジする先生のその精神に、私は支えられてきた一人の人間です。
そろそろその気構えも改めなければならないと思っていたころです。
本当は先生を越せる人間にならなければならないと思ったこともありました。
ところが、追いつこうにも追いつけないほどの加速が、この10年間に特にありました。
勿論追いつこうとするその意識は、私の妄想ですが、でも私みたいな人間がそういう意識を持てる日本の環境こそが、もしかしたら先生が一番望んでいる日本の姿なのだろうと思い込み、今日まで先生の足跡を追っかけてきました。
まさか私がその足跡を追い越すことは無いにしろ、でも先生の教えの中ではそれを実現しなければならないという、今までの作品の行間にそれを感じながら接してきました。
そういった教えを、うまく表現できなくても、感じることができる人間であることに、私は人間性の本質をここで教わったことに感謝します。
もしも日本と言う大きな屋台骨が倒れそうになった時、それを支えることが私にとっては不自然ではないことの認識を、後々家族に報告しなければなりません。
何かを為すときは、何かができることの感謝を忘れなければ、人間はおそらく本当に生きがいを感じるのかもしれません。