新刊『民族への責任』について (七)

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新刊『民族への責任』について (七)
民族への責任
 未知の女性からの手紙に私は次のような返事を認めた。私が未知の読者への返事を書くことはこれまで滅多にないことなのに、これは例外である。

 拝復

 あなたのお手紙を拝読して、妙に納得しています。少くとも不快ではありませんでした。罵倒されている趣きもあり、腹を立てるべきでしょうが、私が「日本国と日本民族が未だ存在している」という幸せな安心感の内部に包まれてこの本を書いているのでないことは、あなただってよくお分りのところでしょう。

 「貴方様は日本国と日本民族が未だ存在していると勘違いしているようですが」と書かれてありましたが、あなたがヨーロッパの大学の学位によって自分の人生を支えられると勘違いしている程度には、私も自分の住む国の歴史と文化がまだ辛うじて存在していると勘違いしても、そう間違っているとは思いません。私はあなたの雅子様への対抗心といささかの軽蔑感を興味深く思いました。そこからあなたのご出身の階級や郷土、ご両親のご身分など――まったく書かれていないだけに――いろいろ想像し、小説家的イマジネーションを働かせています。

 思い切って日本を切り捨て、外国で研究に打ち込んで、日本への幻想など露ほども抱かずに徹底して生きてみて下さい。その揚句の果てに、やっぱり日本に立ち還らなければ自分の存在を支えられないと思うか、そうならないで済むか、それは分りませんが、いや味なくらいの外国かぶれになることも、ひとつの生き方です。

 なにごとにつけ不徹底であることは稔りをもたらしません。私は足して二で割るものの考え方をするなとあの本の中で言いつづけましたが、今まで天皇について発言しなかった私の、今度の本における唐突なまでの皇室問題への言及が、あなたを刺戟したのかなと思いました。だとしたら、皇室はやはり鍵ですね。

 あなたが書いている内容よりも、私を侮辱するような言い方で何とかして私に噛みつこうとしているその動機にむしろ興味を覚えました。しかしよく分りません。もう少し素直に、普通に書いて下されば、もっとはっきり分るのにと残念でした。ただ『民族への責任』という近著に私は雅子さんのことをほとんど書いていないので少し変だな、という気もしています。

 外国で勉強をなさって「もう日本に帰らない」と断固意気がってみてもなにか心が満たされず、不安を未来に抱いて苛立っているお嬢さんという印象でした。

 どうかご自分の人生をもっと大事にしてやっていって下さい。
                                  
                                  不一

 もう一度この無礼な手紙を読み直してみた。それなりに筋が通っているのである。今の日本に非常に多い、独立心旺盛な知的女性の一人であることは確かだろう。そして、『民族への責任』を訴えた私の危機意識、最後の拠り所としての日本への熱い思いが、彼女をいたく刺戟し、立腹させたに相違ない。

 「日本と日本民族は、もはや存在しないのです」と繰り返されるリフレインが、なぜ西尾はこんな自明なことが分らないのか、このバカヤロと叫んでいて、今のこの国の知識層に例の多い典型的な反応の一つではないかとも思える。しかしそれでいて自分を必死に守ろうとしていてどこか痛々しさを感じた。

 普通のケースとは違った意味で私の心を打つものがあったので書き留める。

「新刊『民族への責任』について (七)」への8件のフィードバック

  1. 私はアメリカで6年目の生活を始めました。西尾先生の書かれた民族の責任を読んでません。もちろんこの女性の手紙も読んでいません。それでも無理やり少し感じたことを書かせてください。

    一般的に言われているように、海外で長く生活する人には二つのタイプがいて、手紙の彼女のように、祖国を嫌いになってそこに住み着く人、私のように大好きになって早く帰りたいと思う人。(もちろんここ、海外での生活も大好きです。)両者とも少し勘違いしているかも知れないけれど、私は自分の考えを正しいと信じています。

    白人社会で生きる以上、アジア人は所詮は劣等民族。露骨ではなくても変な差別を受けることもしばしば。特に卒業後の就職に対して。就職に関しては露骨と言っても良いかも知れません。(ちなみに私も博士課程の学生です。)それでも白人社会で生きたいと思う人は、よほど祖国が嫌いなのでしょう。

    日本人は、綺麗な国土とやさしい民族を祖国に持つ、世界でも稀な国民。一度出ても帰りたくなる国。祖国を捨てたいと思っている多くの外国人を知っています。どこの国の人とは言いませんが・・・。私はまた祖国に帰りたいと思っている一人。私は日本人として生まれたことに誇りを持っています。

    乱筆をお許しください。

  2. ayさん、こんにちは。

    でも(いきなり、でもってなんだ?)不思議ですよね。

    海外に住んでいても、日本のブログを読み、会話が交せるんですから・・・・。世界は狭くなってきました。
    しっかり勉強して、帰ってきてくださいね。

  3. おそらく手紙の主にとって平民出身の皇太子妃殿下とは、
    皇太子殿下に愛されているのだからというロマンチシズムによって
    我慢と納得の範囲であったのでありましょう。
    しかし手紙の主が日頃より敬愛する西尾さんの筆によって
    妃殿下が学歴エリートと堂々形容されることだけは
    なぜか我慢の限界を越えているのであって、
    そのような形容をなんとしても否定したい、
    しかも嫉妬の動機を察せられぬようにして。
    そのためにはアメリカがどうの、日本がどうのと、
    こういう書き方をすれば西尾さんの同意を引き出せるのではと
    工夫し、まくしたてた、と自分は観察しております。

    しかし西尾さんには「知識層の典型反応」
    「どうか自分の人生を大切に」などと返されてしまい、
    これは滑稽で気の毒なすれ違いがあるように思えます。

  4. 何ともはや、凄まじい手紙をくれる読者がいるのですね。昨日読んだ時感じたのが先ずこの方のコンプレックスでしょうか。言い換えれば、自分の帰属する場所を失い掛けていることへの苛立ちと不安感。海外経験の長い、しかも女性に、この種の方が多いような気がします。

    何度か訪れた英国で、こういう祖国への反感とその裏に潜む、帰属願望を持った女性に何人となく会いました。単なる語学留学で渡英して、なんとなくだらだらとそのまま、目的も見失い滞英を続けるタイプと、ちゃんと大学大学院と自分なりの目的意識を持って研究に打ち込み、彼の地で活躍の道も見つけ出しているのに、日本人であることを強く意識している私に妙に突っかかってくる人。

    不思議と、私の知る限りでは全て女性でした。男は、いずれ日本に帰って何かしようと考えている人が殆どなのでしょうか。
    とすると、昨今の「男女共同参画社会」やらジェンダーフリーに躍らせて迷い出て来た女性達と、この読者、何処か共通点がありそうな気がします。

  5.  初めて投稿させていただきます。乱文お許しください。

     西尾先生が紹介された女性の文を拝見して私が思ったのは、「この方は、何に喜びを感じて人生を過ごしてこられたのだろう」という疑問です。

    人にとって人生とは、何か自己の目標を実現しようとする場という面をもっています。が、それだけでなく、いろいろな、ささやかなものだったり、深いものだったりする喜びを体験する場でもあるのだと思うのです。そしてこの、喜びに対する嗜好・選択・出会いの運命が、その人と絡み合い、ついには人格に大きな影響をもつのではないでしょうか。

    私は、生まれつき日本人であることから、数多くの恩恵を受けました。源氏物語、数々の和歌等の古典文学、夏目漱石等の近代文学、小津安二郎監督、鈴木清順監督等による日本映画の傑作群、そしてこのような場で告白するのは恥ずかしいのですが、現代日本文化が生んだ漫画の中の傑作等々。これら日本文化、日本語が産み出してきた、すばらしい作品、その一部を思い出しただけで陶酔させ、興奮させてしまう体験。これらに、生まれながらの言語でふれることができるというのは、なんとすばらしい経験でしょうか。

    もちろんこの経験は、逆に私を大きく規定しているのでしょうし、また、他の文化・言語の傑作群に生まれながらふれることができない、という運命と引き替えになっていることも確かです。とはいうものの、天が私に与えてくれたこの規範は、なんとすばらしい特権であることでしょうか。(こういう傑作群を持たない文化・言語もあるのです。)

    私にとって生まれながらの日本人であることは、生存や利益の獲得に有利であるというだけでなく、この特権と分かちがたい天命のように思われている次第です。

    西尾先生への手紙の主が、日本文化・日本語から得られた喜びというものをほとんど経験されていない人なのでは、という私の想像は、ただ単に外国語に対する私の能力不足の反映にすぎない、小人の邪推なのかもしれません。この方は語学の天才で、ネイティブスピーカーと同等に西欧の言語から喜びを得ている人なのかもしれません。

    しかし、そうであるなら、見捨てようとされている文化についてどう感じておられるのか、心を開いておられるのか、伺いたくおもう次第です。

  6. お手紙の主に対し、怒りを感じ、コメントさせていただきます。

    みなさんから反感をかうことを覚悟で書きます。
    私は、雅子様は日本の国と皇室の犠牲者だと思っています。

    あまりに痛ましく、かわいそうで、雅子様のお気持ちを察すると、かわいそう過ぎて苦しくなります。
    どうしてこんな悲惨な人生を送らなければならないのか…。

    今の時代、誰が好き好んで皇室なんかに入ろうと思うでしょうか。
    最初は、あんなに強固に拒んでいらしたじゃありませんか。
    結局、最後は日本の国のために自分の意思を捨てたのだと推測しています。
    つらすぎます。

    そのために、日本は優秀な頭脳を失いました。
    優秀な人材を失いました。

    仮に、万万が一、離婚することができたとしても、一生、マスコミに追いかけまわされるでしょう。
    雅子様には、どっちに転んでもイバラの道しか残されていません。

    それなのに、あんな言い方をなさるなんて、人間としても女性としても、品位と知性を疑います。

    西尾先生の返信を拝見し、ほんの少しだけ気持ちが収まりましたが…。

    勝手なことを書いてごめんなさい。

  7. チャンネル桜の放送を今見終わりました。

    人権擁護法案の危険性をお二人が論じ合っておられ、最新情報も語っておられました。与謝野政調会長がぐらぐらしていて、危ないということのようです。

    お二人で、この法案が通ったら文明以前に戻ると話されていましたが、法案が通過したあとの恐怖社会を思い浮かべてしまいました。

    みんなが口にチャックをし、言いたいことも差別発言になるのではないかと恐れ、どこかで人権擁護委員に見張られているのではないかとびくびくする嫌な社会・・・・絶対阻止したいものです。

  8. 初投稿です。一連のやり取り、興味深く読みました。私も、人前に立ち、意見を表明する等といったことを日常としております関係上、事柄は違えども、似たような誹謗的反応に出くわすことが偶にあります。西尾先生が示唆され、書き及ばなかった部分を、私流に膨らまして少し述べてみます。

     こういった反応に共通するのは、ひとつには、相手をその立論の前提、更に存在の根源から非難し侮蔑しながらも、熱心に関わってくることです。私ならそう判断した場合、歯牙にもかけず無視するところなので、随分不思議なことです。西尾先生の論説がそれほどナンセンスで軽侮する対象であり、世の中から外れたものであるならば、どの道滅びるものであるから「お気の毒に」と放っておけば良いものを、わざわざ手紙まで書いてよこす。これは心理的には先生への甘えで、先生に翻意を促して(懇願して)おり、先に「メシア」と書かれた方がおられましたが、正に救いを求めていることの裏返し、とも読めます。

     次に、そのように確固たる自説があるのなら、何処か公の場所で堂々と唱えれば良いものを、私信やネットのようなところでしか表明しません。これは実は、当人の能力の欠如で、衆目の下でのまともな論争には到底応え得ない、公の場ではその意見の責任をとても負えない、ということによります。でも、なんとか一太刀浴びせたいのです。転載されたお手紙を読んでも、文章のいい加減さ、論理性の無さは酷く、述べている学歴を疑います。気まぐれでムード的な大言壮語のあれこれは、まともに相手にする気がしません。しかし本人は、相当に頭が良いつもりでいます。

     そして、これが根源なのですが、とても個人的な動機があると思われます。非常に傷つき易い、或いは傷ついた脆弱な魂のおののき、のようなものが・・・。皇室、経済、靖国、欧米云々等々は、皆その隠れ蓑です。西尾先生が「素直に、普通に書かれていれば」と述べておられますが、その脆弱さ、ちっぽけさが露になるため、絶対に素直には語りません。加えてその事に本人が自覚的でないことも考えられます。そしてその脆弱さを相手に投影して、相手こそが脆弱でちっぽけであるのだ、と言わんばかりの主張をします。

     全く勝手な忖度ですが、彼女の場合、家柄や学歴に関して、自ら望む評価を日本で得られなかった、就職や恋愛も思い通りでなかった、失敗した、といった極めて個人的な事柄が、日本社会への怨嗟として心中で渦を巻いており、少々のインテリであるだけに、世界を股にかけ、歴史から国際問題まで巻き込んでその理由付けをしている、といった風です。「日本が私を評価しなかった」事を「私が日本を評価しないのだ」と、「私がふったのよ」と言わんばかり。本当にそういった動機で留学や海外渡航に踏み切る人は、結構いるようです。そのような訳で、彼女の場合、日本が評価されては困る、と。

     この手は、大概女性ですが、偶に男性にもおります。熱烈な恋愛でもしたら、変わると思うのですが、どこか気の毒な気がします。

     しかしこんな彼女ですから、このようにネットで肴にされては、益々恥ずかしくて日本に帰れなくなったでしょうね。個人名が挙げられていないとはいえ、こういう人って結構潔癖で繊細なものです。でも「肴にされたから帰りたくない」とは言いません。何か国際問題を理由にするでしょう(笑)。西尾先生も意地悪な方です。ここは冗談。

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