ゲストエッセイ
勇馬眞次郎
今日はこの場をお借りして「北方領土」について書かせて頂きます。敗戦後、父がソ連軍捕虜となり兄二人が満洲引揚で亡くなっていますので昔から関心を抱いてきました。情報不足や的外れなことがあればご指摘賜りたいと思います。
旧臘、長門市で日露首脳会談が鳴り物入りで行われ、予想通りプーチンに引き分けどころか寄り切られ、「合わせ技一本」の負けとなり、国民として深い失望を禁じ得ませんでした。領土問題を棚上げした経済協力、つまり遣らずぶったくりの食い逃げの目に合っています。安倍首相を貶したくはないのですが、これは歴史的な日本の外交敗北だったと思われます。
国内の政敵を次々に殺害し、チェチェン、クリミア、シリア他の世界各地の戦争に関わり、血と硝煙の匂いを漂わせドスを利かせたプーチンに比べ、平和ボケした与党の三世政治家たる安倍氏では、交渉に臨む迫力が違ったのではないでしょうか。国際的影響力と発言力をもつプーチンとの格の違いも悪さをしたのか、結局懸念された通りの結果となりました。
プーチンは日本のマネーと技術で“ロシア領土”の北方4島を開発させる「共同経済活動」を先行させることに成功しただけでなく、西側諸国によるクリミア制裁に日本を使って楔を打ち込み足並みを狂わせることにも成功したのではないでしょうか。安倍氏は「両国の信頼関係を醸成し」「平和条約への第1歩を踏み出した」などと綺麗ごとを述べていますが経済協力が将来の領土返還につながる保証は一切なく、要するに日本側の成果(実利)はゼロだったことになり、将にプーチンの対日外交の大勝利に他なりません。今回のトップ交渉で日本側が得るべきだったのは、事前に政府サイドが頻りに喧伝していた「領土返還」の約束でしたが会談後の両者の声明では一言も触れられませんでした。
かような結果になるくらいなら、読売・日本テレビインタビューでプーチンが「領土問題は存在しない」と言い放った時点で、西村眞悟氏主張の通り、「話しあう議題がなくなったのだから訪日無用」と云って会談を断り、プーチンを日本に入れるべきではなかったことになります。これは決して結果論ではなく、この結果は始めから可成りな確率で予測できたことでした。
安倍氏は巌流島の佐々木小次郎さながら2時間40分も待たされた挙句の90分余の密談だったわけですが、勿論この交渉でどの様な密約が交わされたのか、政府レベルでどのような取決めが裏でかわされたのか、どのような背景があるのかマスメデイアの報道する情報以外知るよしもありませんが、影響力をもった(御膳立てした)とも言われる鈴木宗男のテレビ番組発言で推測は可能です。
安倍氏は会談後正式に「4島での経済活動はロシア法でも日本法でもない特別な制度で」と云い、プーチン氏は明確に「ロシア法が適用」と云い、明らかに矛盾する説明になっています。「特別な制度」と言いながらその中身を定義しなければ全く空疎でナンセンスです。
日本は対露投融資3000億円をコミットしたと報じられていますが、嘗てサハリン1プロジェクト、サハリン2プロジェクトで手痛い目に会っていることを忘れてはならないでしょう。樺太の油田、天然ガス田の開発プロジェクトです。「共同経済活動」で日本側に齎される利益やリスクを真剣に客観的に検証しているのでしょうか。日本のビジネスチャンス拡大、資源確保などが挙げられていますが、ここでも食い逃げされる恐れはないのでしょうか。
70年前にソ連が日本の敗戦時にした国家犯罪はクリミア併合などとは比べ物にならない悪辣なものでしたが国際社会も日本国民もその事実を殆ど知りません。安倍氏は「互いに正義を主張しては問題は解決しない」と云ったそうですが、このような発言が出るということは、日本の正義が何で、ロシアの不正義が何であるかをキチンとレクチャーを受けていないと言わざるを得ません。
戦争で奪い返せないのであれば交渉力と謀略で返させるしかありません。その交渉には従来の手法と根本的に違った技を駆使しなければ土台無理なのです。
えんだんじ氏もご指摘になった通り、鈴木宗男はこの北方領土返還等の話し合いを食い物にして受託収賄、斡旋収賄、政治資金規正法違反で実刑判決を受けています。この類の者らの雑音を黙らせ、対ソ情報戦略を確実に遂行することしか領土返還を実現する道はありません。国家主権の問題に「島民の墓参」といった人道的な問題を絡ませることは却って問題を矮小化するものです。
会談前、プーチンは「歴史のピンポンをやめるべき」と牽制しましたが、この歴史問題こそロシアの最大の弱みであり今後の対露交渉の鍵を握ります。ロシアの対日歴史負債つまり日本はロシアに対して大きな「貸し」があること、ロシアが日本人に対して犯した国家的犯罪を国内と国際社会で衆知させ、返還が「ロシアの神聖な義務」であることのコンセンサス(国際世論)を作りあげる教育宣伝活動です。政府がやるべきですが民間に任せて非公式にしかも大々的に実施すればかなりな効果が期待できるでしょう。ロシアの有力な知識人であるアルハンゲルスキーやソルジェニーツィンは日本に返せと主張していますが今ロシア国内でこの意見をロシア人が公表すれば殺されるでしょう。しかし日本をベースにロシア国民に周知させる方法はあるはずです。
反対にロシアの対日世論工作を封じる必要があります。嘗て故瀬島龍三はロシアの極めて有力な誓約抑留者という名のスパイでした。現在も工作員が政財界、マスコミに野放しになっている可能性は高く彼らを徹底的に摘発し排除しない限り日本の情報工作は成功しないでしょう。
外交は所詮武力の背景がなければ無力です。核兵器を持たず憲法以下の法令で自ら手足を縛りあげている自衛隊しか持たない日本はロシアのような国からは侮りの対象でしかなく、まともな外交交渉の相手とは見ず、まともに領土の交渉をする気にもならないのではないかと思います。北方領土や樺太・千島をいざとなれば腕力で奪取する勢いがなければ領土は永遠に返りません。
要するに、謀略と武力の二つの基本を取り戻さないかぎり日本は外交交渉で永久に負け続けるしかなく、国際社会での日本国の地位すなわち首相の格もこの二つにかかっています。
1年前にTel Quel Japon の故Bruxelles氏から教示されたのですが、嘗て2人のロシア人有力者が以下の発言をしており、彼らの意見をその交渉に活用することが極めて有効であり、それ以外に北方領土を打開する方法はないとさえ思われます。対露交渉に向け日本人専門家(木村汎氏/袴田茂樹氏/佐藤優氏/鈴木宗男ら)が種々意見を公表しましたが、皆な大同小異で従来の発想を免れず、4島返還は絶対に無理でしょう。この鈴木宗男などはフジテレビの番組で「一島でも二島でも・・返還できれば」と自慢そうに首相との近さを吹聴していました。これまで日本が領土交渉で一歩も前進できないのは交渉手法が根本的に誤ってきたからと認識しなければ又失敗を繰り返すだけです。
国後・択捉にミサイル配備がされたあとに、「首脳間の信頼関係を」などと生ぬるいことを云うようでは駄目です。西尾先生も確かご指摘だったと記憶しますが、配備を撤去することが交渉の前提だと言わなければ交渉は始めから負けです。ウイッテ、スターリン、フルシチョフ、グロムイコ、エリツィン、プーチンなどロシアの歴代の指導者はみな狡猾で信義を知らず、約束を破ることを屁とも思わない奸知に長けた食わせ者揃いでした。彼らに自民党や政府の紳士方には太刀打ちできないのではないでしょうか。松岡洋祐のように豪胆に決然と交渉できる人材でなければ国民は国益を賭けた交渉を任すことが出来ません。
以下述べるように、「ロシアが日本に負っている歴史的負債を千島列島全てか、せめて4島を返すことが、ロシアの日本に対する神聖な義務である」と、日露戦争時の明石元二郎さながらの諜報によりロシア世論を変え、プーチンには喧嘩腰で臨むことだけが日本に勝機をもたらすと考えます。これをプーチンが受けられなければ決裂させ、平和条約締結を棚上げし、ロシアの莫大な対日補償債務の存在をことあるごとに主張し、永久に日本への負い目を味あわせ続けることが出来ます。安倍総理はつまらない妥協で汚名を日本史に残すよりは、100年かかっても、武力に訴えても、取り戻す覚悟を示して席を立つべきです。
「4島返還がロシアの神聖な義務である」と主張したV.A.アルハンゲルスキー(Valentin Akimovich Arkhangelsky)は何故かウイキペディアに登場せず生存しているかどうかも知れませんが、1928年生まれで作家、ジャーナリスト、イズベスチャ紙副編集長、イズベスチヤ紙別冊週刊ニェジェーリャ誌編集長、ウズベキスタン国会議員、タシケント市長を歴任したソ連中枢の人物です。ロシア人としての良心に根差したこの勇気ある発言はかつてのソルジェニーツィンと共通します。
ソルジェニーツインは、今では忘れられた作家ですが、20世紀ロシア文学の最高峰としてロシア文学史上トルストイやドストエフスキーに匹敵する存在で、北方領土はずっと日本領だったと公言していました。
“(クレムリンは)かつてロシア領であったことのない日本の島々(南千島列島)をエセ愛国主義のとてつもないねちっこさと傲慢さで返還しようとしない。革命前のロシアは自分の領土だと言った事さえなかった。ワシーリー・ゴローニン船長(国後島で幕府役人に捕縛され箱館で幽閉)は19世紀の始めに、プチャーチン提督は1855年に、まさに現在日本が主張している国境線を認めていた。領土の小さい日本にとってこれらの島々の返還は国家的な名誉と威信の大問題であり、来るべき世紀において西欧諸国側からもロシアの南側からも友邦が現れないで、対露圧力が益々厳しくならんとするときに、この友好国獲得の可能性を撥ね退け、独立国家共同体などに走るのか?”
トップ交渉は最後の局面でしかなく、まず日本国民が1940年以降の正しい歴史知識を共有し、領土に関する無関心、無欲、無気力を脱して、歯舞、色丹、国後、択捉の全面返還以外にあり得ないという圧倒的世論が形成されなければなりません。同時並行して、ロシア国内の世論形成も重要であり、アルハンゲルスキーやソルジェニーツィンのような有識者の考えをロシア国民に広く共有させるべく工作でき、更に国際世論を味方につけられれば、安倍総理もプーチンも、それ以外の結論を導くことが出来なくなります。現在日本国内では逆にロシアが、嘗て瀬島龍三など有力な日本人エージェントを使ったように、今も日本国内世論をロシアに有利に誘導する動きが見られるのは極めて遺憾です。
アルハンゲルスキーは以下のように主張します(プリンス近衛殺人事件、瀧澤一郎訳、新潮社―2000年)がこれは日本への強力な援軍であり大いに活用しなければならない意見です。
“これまで日本がロシアの手玉にとられ続けてきた理由は、日本がロシアと外交上対等以下であることを前提にするからであり、日露は決して対等ではなく、ロシアは日本に大きな歴史的債務を負っていることを交渉の前提に出来れば北方領土どころか全千島列島さえ正当に要求できる。”
ロシアの対日歴史負債とは以下の3つです。
1.1941年6月に同盟国ドイツが、2か月前に日本と中立条約を結んだソ連と戦端を開いた時に、日独同盟の好しみで、東からソ連を攻め込めば、ソ連は日独の挟み撃ちで壊滅していました。松岡外相がこの策を執ろうとし昭和天皇が止めさせたと言われていますが、日本が1942年4月に日ソ中立条約を律儀に遵守したことは、4年後にはソ連がこの条約を破ったことと照らし合わせ、日本の歴史的なソ連に対する大きな「貸し」と云えるのです。
2.反対にソ連は1945年2月にソ連は中立条約を一方的に反故にし、その後の非人道的で卑劣極まりない国家的犯罪を犯したという大きな「借り」を日本に負っています。
以下の経緯はソ連が国際社会で隠すべくもない歴史の汚点です。プーチンはよく「第二次大戦の結果、ソビエトが獲得した島」と言い募りますが、事実は、第二次大戦の戦闘終結後に「ソビエト軍が一方的に侵略した」のであり、ソ連は、戦争が終わってから戦争を始め、無抵抗の日本軍に「勝った」と称して9月3日を「対日戦勝記念日」にしています。この詭弁と虚言は日本政府が徹底的に反論して叩き潰さなければならないものです。
1945年2月、ヤルタ会談で米英に対日参戦を密約。
8月6日、広島原爆投下で日本の敗戦が必至に。
8月8日、日本時間23:00、モロトフ外相が佐藤尚武駐ソ大使に宣戦布告文を伝達。佐藤大使が直ちに外務省に、モスクワ中央電信局から打電したが、ソ連政府が公電を遮断したため、果たせず。
8月9日、日本時間00:00ソ連が日ソ中立条約を破って国交断絶、武力侵攻開始、満州・樺太へ侵入開始。満州・樺太の全土で日本民間人へ略奪暴行の限りを尽くす。
8月9日、日本時間04:00日本政府、タス通信、米国の放送により、宣戦布告を知る。
8月10日、日本時間11:15マリク駐日大使が東郷外相に宣戦布告文を手交。
8月14日、葛根廟事件。内モンゴル自治区葛根廟鎮で日本人避難民(国民学校児童とその母親ら)1,000名以上をソ連軍が戦車で虐殺。
8月15日、ポツダム宣言受諾(日本軍戦闘停止)
8月18日、ソ連軍は一方的に戦闘を継続し占守島に艦砲射撃後、上陸して日本軍を攻撃。
8月20日、樺太・真岡に上陸し多数の住民を殺戮(これを映画化したのが「氷雪の門」)。
8月28日以降―9月5日、歯舞、色丹、国後、択捉に上陸。
3. その後の日本人捕虜シベリア抑留、奴隷化という人道に悖る悪逆非道も日本に対する大きな「借り」といえるものです。1945年の敗戦後、極寒のシベリアへソ連政府に強制連行された日本人のうち50万人以上が殺されていながら未だに不問に付されているのです。
アルハンゲリスキーが、ソ連当局が保有する膨大な秘密文書を10年がかりで読み解いたソ連による犯罪的日本人抑留の記録をもとに近衛文麿の嫡男、近衛文隆が受けたソ連当局による逮捕、拷問、暗殺の詳細、その他の関東軍将官、将兵の抑留という名の奴隷化も本書が克明に証言しています。題名が不当であって、「日本人捕虜のシベリア強制連行と虐待および近衛文麿の暗殺」が正しいでしょう。アルハンゲリスキーがソ連の内部文書によって暴露し告発した重要な事実は以下の4点です。
⓵ 大東亜戦争終結時、関東軍は天皇の詔勅と政府の声明に従い自発的に武器を置いたにも拘わらず、ソ連はジュネーブ国際条約に違反し、日本人(軍人・民間人)を少なくも105万人(スターリンの秘密金庫に秘匿された文書による)捕虜にしたうえ暴力的にシベリアへ強制連行し、反人道的な虐待を行った。未集計の収容所の人数を合わせて推計すると250万人以上にのぼる。日本側調査による死者名簿では60万人にすぎず、この数字が現在定着している。
⓶ その内、少なく見積もっても50万人を過労死、凍死、餓死させ、墓を作らせず、墓を壊し、隠滅した。日本側調査による死者名簿では5万3千人にすぎない。
⓷ 近衛文隆(近衛文麿の自決によって公爵位相続)の暗殺はソ連の最高機密で、スターリンが先導し、最終決定者はフルシチョフ。
⓸ 日本の社会党その他のエージェントの協力で隠蔽工作が行われ、抑留生存者の死滅とともにこの国家犯罪が忘れ去られることを図った。
映画「氷雪の門」同様、ソ連に不都合な「シベリア抑留の悲劇」が「東京大空襲の悲惨」、「広島・長崎の原爆の残虐」に比べ極端に言及が少ないのは極めて不自然であり、本書が日本で普及しなかったのもソ連当局と瀬島龍三その他の日本人協力者らが隠蔽工作をしたからと推測されます。
瀬島龍三は、佐々淳行の「私を通りすぎたスパイたち、2016年」でも証言されていますが、「誓約抑留者」という名のソ連スパイでありながら、戦後、ソ連潜水艦の性能を向上させ同盟国の対日信用を失墜させた東芝ココム密輸事件の黒幕となり、伊藤忠商事会長、中曽根元首相や経済界のブレーンを務め95歳で天寿を全うした男で、本書でも、「ソ連参謀本部やKGBで命令された通りを東京裁判で全部証言し、よくやったと誉められた」と暴かれており、戦後レジームを陰で支えた一人ともいえるでしょう。
以上の3つの事実は、日本の敗戦のドサクサのなかで、WGIPとタイアップしたソ連の謀略によって秘匿され、日本の多くの人々が現在に至るまで知りません。国際社会は猶更無関心で、この歴史事実は殆どの国の教科書から抹消され、知る人は少ないのです。安倍総理はプーチンにこの3点を持ち出し、突きつけ、そこから交渉を開始すれば日本が圧倒的に交渉上優位に立てるのです。「ウソの対日戦勝記念日」の廃止と「シベリア抑留」の正式謝罪を求め、抑留者一人一人に労働賃金、慰謝料の支払、遺族には五十倍の額の弔慰金支払を請求し、「北方領土返還」よりも「シベリア抑留問題の解決」が真の日露友好を樹立するために重要な先決課題であり、これを避けた両国間の信頼関係構築はあり得ないと主張することが北方領土返還の近道です。外交交渉では相手の最も恐れ嫌がる弱点を遠慮なく容赦なく突くのが当然で、ロシアは歴史を捏造してまでこの手で日本を攻めていますが、優位にあるはずの日本は和を貴ぶ国民性からか、ひたすら相手を刺激しないよう、摩擦を避け、穏便で平和的な外交を追及し、正々堂々と胸を張って毅然と相手国に要求すべきことを要求しない性癖が出来上がっているように思えてなりません。
最後にアルハンゲルスキーの具体的提案をご紹介します。
“日本は堂々と胸を張って次の十カ条をクレムリン当局に要求すべきだ。”
一.関東軍は天皇の詔勅と政府の声明に従い自発的に武器をおいた。ロシア国会はこの関東軍を捕虜にした事実を非難する決議を採択し、日本に公式謝罪する。
二.対日戦勝記念日を廃止する。そのような勝利はなかった。日本に勝ったのは米国であってソ連ではなく、あったのはソ連の対日侵略行為のみである。
三.「日本人シベリア抑留白書」を刊行する。
四.暴力的にソ連国内に拉致されたすべての日本軍の兵・士官・将官及び無辜の市民は強制抑留者であること、そこからあらゆる問題が生まれたことを認める。
五.ソ連経済復興における日本人の勤労貢献に関する公式データーを公表し、もと抑留者一人一人に賃金を全額支払い、遺族には五十倍の額を支払う。
六.すべての日本人墓地を復旧、整備し、記念碑、記念塔、死者の名を入れた墓標を建立する。できうる限り正確な死亡者数を出し、日本側に死亡者名簿を渡す。
七.おおむね日本人の手により完工されたタイシェト・ブラーツク間のバイカル・アムール鉄道は、これを日本幹線と改称する。
八.ハバロフスク裁判など類似の日本人に対する裁判は国際法上の見地から不法であり、全被告者の名誉回復を実施する。
九.近衛文隆(近衛文麿の長男)関連の文書をすべて公開する。元イワノヴォ第四八号ラーゲリの跡地にプリンス・コノエ記念センターを設置する。プリンス・コノエ・フミタカ露日人道基金を創設し、カーゲーベー拷問室における文隆の生と死の物語を一巻本として刊行し、これを映画化し、テレビ・ラジオで放送する。文隆の殺人犯に対する国際法廷を開廷する。
十.しかるべき研究機関にシベリア抑留問題に関する基本文献たるべき研究成果を作成させ、傑出した著作・研究に対し賞金を出す。“
明治になってから、新政権の正統性を誇張するあまり旧政権時代の事績が殊更に無視されがちで、すでに江戸時代に徳川幕府政府が以下のように、小笠原諸島への主権行使の先鞭を付けていたことを忘れることは日本の外交上不利に働いたのではないかと思いますが、北方領土に関しても明治政府は同様のミスを犯し、榎本武揚に尻拭いさせていたことを付言します。
1675年に幕府が島谷市左衛門尉を小笠原諸島に派遣し島々の調査を実施、各地に地名し、此島大日本之内也の石碑も建立。1727年に小笠原貞任が幕府に請願書を提出以後、日本で小笠原島という名が定着。勝海舟の書き残した「海軍歴史II」に拠りますと、1862年に幕府の老中安藤信正が当時の幕臣中傑物と謳われた外国奉行水野忠徳に、「小笠原島開拓の御用仰せつけられ候につきては都合次第、御軍艦に乗り組み、彼の地に、巨細実検いたし、厚く勘弁の上、見込みの趣申し聞けられ候こと」と命じています。水野はこれを受け、遣米使節団を帰国させたばかりの咸臨丸で、小野友五郎、松岡磐吉、甲賀源吾など後に函館戦争で活躍する麾下の士を引き連れ、小笠原に渡っています。その節、居住していた米人Nathan Savory, George Horton、英人Thomas Webbなど主要人物との興味深い対話が記録されています。水野らの認識は、「これら外国人ども、いずれも軍艦、鯨取船等にて水夫(かこ)働き致し居り候者ども、老衰、疾病にて暇(いとま)だし候輩(やから)にて下賤の身柄にこれあり、国命を受け開拓に相越し候者とては一人もこれなく」と、インタビューした結果、結論づけ、彼らに次のように通告し喜ばれています。
「この度拙者ども罷リ越し候儀は当島開拓のため、しかしながら其の方ども退去させ候儀にはこれなく候間、安堵致すべく候」「ついては追々内地より農民ども相移し候間、末永く和合いたし相暮らし候様」
また以下の指示は現在の環境保護の観点からも評価されます。
「山々に棲み居り候獣類は恣に狩り取り候こと相なり難く候」
と禁猟を申し渡し見事は主権行使の実績を残しています。
その後、幕臣佐々倉桐太郎を派遣し正式な測量を行い同年6月には日本駐在の英米仏露独以下の各国外交団に小笠原諸島の領有権を公式に通告していますので、寺島卿がパークスの野望を出し抜いた功績はさることながら、回り道せずとも幕末の先人の外交成果を一言継承すると明言するだけで済んだのではないか、ことほど左様に明治新政府のやったことは幕末の開明官僚の後追いが多いこともわれわれが認識しておくべきことではないか、いま対露外交を担う外務官僚には、これら幕末官僚に学び、彼らに負けない適切妥当な措置を迅速に講じて国益を貫いてほしいものと思います。
了
勇馬 樣へ
いやはや、氣迫に滿ちた、情理兼ね備へた、そして簡にして要を得た
名論文につくづく感服致しました。
私も、この問題については少しは勉強したことがあり、勿論、いくつか
の論文も讀みましたが、これ以上のものに接したことはありません。
國に對する至情と、御勉強のほどに衷心より敬意を表します。
私などがお説に付け加へることは、一つもありませんが、以下、關係
の雜談を少々。
「敗戦後、父がソ連軍捕虜となり兄二人が満洲引揚で亡くなってい」
らつしやるのでせね。
私の從兄(二まはりも年上)は兵として、滿洲で終戰を迎へ、シベリ
ヤに送られる途中、行方不明になりました。後に歸還した戰友の證
言では、道中の收容所から、仲間數人と脱走したのださうです。その
後ソ聯軍に殺されたのか、シベリヤ虎にやられたのかは分りません。
公報では「昭和20年8月19日滿洲國暉春附近にて戰死(28歳)」と
なつてゐます。彼が昭和19年8月の出征前夜に、おほぜいの親戚が
集まつた宴で、醉つぱらひ、刀を振囘して踊つたのを、當時4歳の私
はかすかに覺えてゐますが、彼の生後5ヵ月だつた息子はなにも知り
ません。
ロシア相手に大失態をしでかした擧句に、「互いに正義を主張しては
問題は解決しない」などと氣樂なことを宣つたり、國民をごまかさうと
した總理大臣には、腸が煮えくり返り、輕侮の念を禁じえませんが、
そんなことにかかづらつてゐても得るものはありませんね。
「トップ交渉は最後の局面でしかなく、まず日本国民が1940年以降の
正しい歴史知識を共有し、領土に関する無関心、無欲、無気力を脱し
て、歯舞、色丹、国後、択捉の全面返還以外にあり得ないという圧倒
的世論が形成されなければなりません」との仰せがすべてです。
プーチンが、「ああ、いい湯だつた!」と御滿悦で引き揚げた夜、テレ
ビで、日露首腦會談をテーマにした、出席者のほとんどが保守派らし
い座談會を視聽しましたが、「中國への備へとして、いま對露關係改
善の重要なことが分らないやうでは、議論に加はる資格はない」と言
ふ人もゐて、「經濟の共同經營により相互信頼を釀成」に對する批判
は出ませんでした(私には、完全に狂つてゐると見えました)。
なるほど、これでは安倍さんもマジメにやらなくていいといふ氣になり
ますね。緊張感もないでせう。ことを決するのは、「壓倒的世論」です
ね。
「この10年、始めは米国からネットで、最近は直に面談して、友人知
人に折に触れ、戦後日本のレジーム改革の必要性や平和主義の誤
りを説き釈服を試みてきましたが、殆どが暖簾に腕押しとなるのは、
そして多くの真正保守論客の意見が世間に広まらない、世論になら
ないのは、現代日本人の多数の心的基盤が根本的に異なり、利に敏
いだけの商人の精神になったためではないかと思うようになりました」
との仰せのうち、最後の理由については、最近少し考へ、まとめてみ
ました(ここでお目にかけられるかもしれません)。
前半の「釈服」困難については、さもあらうと、想像がつくつもりです。
私の高校同級生 關野通夫さんや、同窓會文集擔當者のことについ
ては、えんだんじのブログに書きましたから、御記憶にあるかもしれ
ませんが、二人の間の憲法論爭を見ると、人はこれほど説得されな
いものかと、むしろ感歎してしまひます。關野さんは鋭鋒をもつて迫
り、相手は退却に退却をつづけます。そして、最後には默り込んでし
まひました。しかし「參つた」とは言はず、多分内心でも、「世界に誇
る平和憲法」といふ考へは變つてゐないと思はれます。60數年前
に刷り込まれたことが全てに優先するのです。御厨座長代理と全く
同じです。
勇馬さんがかくも難儀をされたのに、私が成功する筈もありません
が、他の作戰を思ひつかないので、今できることとして、この「『北方
領土』について」を知合ひに宣傳してみます。
左右いづれにしても、信念居士は避けて、たとへば俳句仲間で、今
まで一度もイデオロギーの話をしたことのない者を選んで、押しつけ
がましくなく・・・。
先述の從兄は、滿洲から妻子に宛てて頻繁に、後に言ふ繪手紙の
やうなものを寄越し、大抵は俳句も添へられてゐました。それを未
亡人がまとめましたが、「支那の子の軍歌可愛や日向ぼこ」「抱き
上ぐる吾子重かりし春の夢」「劍拔きて月夜を進む廣野原」など、ま
づ佳句と思はれるものがかなりあります。
それをタネに、僕のいとこの俳句だがね、こんなのどう思ふ?などと
切り出して、話の進み具合をみて、貴論の方に・・・。
さううまくゆくわけはありませんが、自分など、なんの役にも立たない
と諦めてゐたのですから、ダメモトですし、自分の勵みにもなります。
そして勿論、
「核兵器を持たず憲法以下の法令で自ら手足を縛りあげている自衛
隊しか持たない日本はロシアのような国からは侮りの対象でしかなく、
まともな外交交渉の相手とは見ず、まともに領土の交渉をする気にも
ならない。・・・北方領土や樺太・千島をいざとなれば腕力で奪取する
勢いがなければ領土は永遠に返りません」
「要するに、謀略と武力の二つの基本を取り戻さないかぎり日本は外
交交渉で永久に負け続けるしかなく」
「松岡洋祐のように豪胆に決然と交渉できる人材でなければ国民は国
益を賭けた交渉を任すことが出来ません」等のお説を自身の中でも、
確認しつつ、相手のレベル、段階に應じて・・・。少々樂しみにもなつて
きました。尊台のおかげです。
今月の19日に 西尾先生からお電話をいただきましたが、勇馬さんの
お名前が二度出ました。はつきりとはしませんでしたが、「あなたも勇
馬さんに讀ませる文章を・・・」と言はれたやうな氣がします。逆に、
私の方が先に貴文を拜讀しました。
望外の過分なお褒めに恐縮、恭悦の至りですが、確かな手応えも感じております。もっとも全て西尾先生他先達の考えの無意識の2番煎じか、受け売りに過ぎないのかもしれません。坦々塾諸先輩がご多忙なためのご指名と忖度しましたが、名誉なことですので、喜んで寄稿をお請けしました。先生の著作も一部しか読んでおらず、無学な元サラリーマンですので、本来ここに書く資格などないのですが、問題意識と志だけは皆さまと共有するつもりです。
亡父は満洲匪賊討伐の従軍カメラマンでしたが終戦直前に32歳で応召されそのまま捕虜となりました。ロシア語が出来たため通訳として優遇され隙を見て大連で脱走し飢えで骸骨のようになりながら亡母と合流し引き揚げることができたのですが、脱走後、行方不明となられ、遂に帰らぬ人となった御従兄の方は28歳。出征前夜の鮮やかなエピソードと、「抱き上ぐる吾子重かりし春の夢」の句には胸を打たれました。奥様は戦後さぞご苦労なさったことと思います。
これら池田様縁者や私の兄弟の悲劇も、西尾先生の御従兄の長崎での原爆死も、全体からみれば当時多くの日本人に降りかかった無数の災厄の一齣に過ぎませんが、その一つ一つが関係者には個別具体の強烈なドラマであり、戦後の日本の不幸として決して一括りにされてはならず、一つ一つの事例が鮮明に家庭や民族に語り継がれなければならないと存じます。
關野通夫様の「日本人を狂わせた洗脳工作」に私は得心しましたので(私自身探していた書証でした)、会社のトップはじめ弁護士、医師、教師などの友人・知人に配布し、また紹介もしたのですが、反応は極く一部に過ぎませんでした。私の釈服工作などは皆さまのご努力の周回遅れに過ぎないと存じますが、「人はこれほど説得されないものか」という思いは共通です。GHQ、OSSの刷り込みがこれほど完璧であればあるほど逆洗脳の必要を感じ、闘志をかきたてられます。身近な者を説得出来れば、それを梃にして日本人全体に拡張できるという望みは捨てていません。ネットの威力を駆使することで何とかならないか、仕事が一段落したら、実効性のある説得方法を考えてみたいと思っております。
「最後の理由については、最近少し考へ、まとめてみました」と、②「乃木將軍の殉死に對する鴎外・漱石の反應と、志賀直哉・武者小路實篤の反應の違ひ」についてのご論考を是非拝読したいと思います。芥川は国語教師の影響で中学時代から崇拝していましたが、大人になってから小器用さが鼻につくようになりました。谷崎も後者ではないでしょうか。文弱の徒と国に命を捧げた軍人とは所詮比較になりません。図に乗って又生意気なことを云ってしまいました。
勇馬 様
『「北方領土に」ついて』を拝読しました。
十分な歴史的な知識もない者が、偉そうに言う訳ではありませんが、先
に池田様が仰ったように、大変な力作と存じます。読めば読むほど、知らな
かったことばかりが次から次へと並び、自分が如何に無知だったかを思い知
らされたような思いです。
ソ連といえば、映画「氷雪の門」(1974)をWikiで調べますと、同じ年
に公開になった日ソ合作映画「モスクワわが愛」の完成披露パーティーの席
上、モスフィルム所長が文句を言ったことがきっかけで、公開が見送られた、
と書いてあります。
「モスクワわが愛」は、当時の人気女優栗原小巻(1945-)がバレエを披
露したことで話題になったのを覚えています。栗原小巻が「私がどれ位踊れ
るか見て下さい」と、気の強そうな顔でテレビインタビューに答えていたのが
印象的でした。彼女はソ連との繋がりも強かったそうで、中国映画にも出てい
たことも思い出されます。
ついでに言うと「氷雪の門」の主演二木てるみ(1949-)も、中国語が趣
味だそうで、昔のテレビドラマ「遊撃戦」(1966~67)でも、シナ人の娘役で
ゲスト出演していました。
また同じ頃の日ソ合作映画で黒澤明監督の「デルスウザーラ」(1975)は、
反中国の映画だと聞いたので、観てみましたが、どこが反中国なのか、当時
の私では分かりませんでした。強いて言えば、映画の中で、登場人物の一人
のロシア人が「中国人か、フン!」という場面があったので、そこかな、と
思いました。
私が子供の頃は、以上のような感じで、特に芸能界では日ソ、日中友好の
ムードが当然のことのように語られていました。それを考えると、現在の両
国に対する感覚は随分変わったものだと思います。
しかしだからといって、ロシアや中国に対する正確な理解が深まったかと
いえば、全くそうではないと言わざるを得ません。
もし勇馬様が書かれたことが、我々一般人の共通認識になれば、国内の空
気も大きく変わることと存じます。
ところで勇馬様のご論考とは直接関係ないことで申し訳ないのですが、文
中で言及されたTEL QUEL JAPONのBruxellesさんのことをお聞きし
て宜しいでしょうか。
Bruxellesさんのブログが、少し前から西尾先生のこのブログにリンクされ
ていることは存じていましたが、見ると、ぎっしりと詰まった内容にふんだん
に使われた外国語などから、相当の教養と情報収集能力を持たれた方だと分か
りました。
昨年西尾先生が、Bruxellesさんのブログから記事を何度か転載された折、
私もいくつかコメントを書かせて頂きましたが、特に通化事件や中共による
日本兵洗脳の記事は、大変勉強になりました。
ブログの記事をいくつか読むと、文章の所々にどことなく感じられる女性
らしさを除いて、てっきり男性だと思っていたので、勇馬様がBruxelles氏
は女性だと書かれたのを読んだ時は、驚きを禁じ得ませんでした。でも同時
に「やはり」という気もしました。
随分前からご病気だったようで、ブログ記事もご自分の病気に関するもの
も多かったようです。昨年7月31日付けの記事から更新されているか、私
は何度も確認していたのですが、既に亡くなったとはショックでした。
ブログのどこかに、ご自分はいわゆる団塊の世代で、京都在住らしき事、
また以前予備校で教えていたことがあると書かれてありました。
勇馬様が最近のコメントで、Bruxellesさんは大阪船場の豪商の末裔で
飛行機での特攻も覚悟で、アメリカで飛行機の操縦も習ったと書かれました
が、私が知り得るのはそこまでです。
西尾先生が、ブログをリンクされた程の人物ですから、誠に惜しい方を
失ったと思います。
Bruxellesさんが勇馬様のお知り合いだったのでしたら、差し支えない限り
で、どういった方だったのか教えて頂けませんか。知りたいと思っているの
は私だけではないように感じます。
誠に厚かましいことで申し訳ありませんが、お願い致します。
黒ユリ様
お尋ねですので、TEL QUEL JAPONのBruxellesさんにつき知る限り思いつくまま御答えします。彼女の生涯を私などよりもよく知る方が正式にその報われることの少なかった業績と遺志を顕彰し、追悼し、墓碑銘を書く必要があると思っています。
一昔まえに私が米国駐在時代、このブログに注目し、女性とは知らず、一時帰国の時に私信と断り、「お会いしたい」と申し入れたところ、それがそのままブログに公表されましたので、削除してもらったのがお付き合いの始まりでした。その後、彼女に勧められ、自身のブログを開設し、相互にコメントを交わしながら交流を深めましたが、最後にご存じのような些細なトラブルが生じ、ついに一度も直接お目にかかれずに終わった次第です。
トラブルはしかし、それ以前にも2度あり、都度和解しました。大変潔癖な方で、狷介不羈でもあり、逆にそこが私と気が合い、又すれ違った原因でもありましたが、彼女は私の師匠であり、同志であり、貴重な情報源、相談相手でもありました。いま彼女の意見が聞けないのは寂しい限りです。大方の保守論客は居酒屋の宴会として退けましたが、孤立無援のなかで、終始西尾先生だけは尊敬し続けてぶれなかったのは双方に共通する何物かがあったからと推測します。遺産となったTEL QUEL JAPONは謂わば宝の山であり、詩人の鋭い直感で集められた貴重な歴史情報が多くありますが必ずしも整理されておらず無造作に我々の前に投げ出されたままになっています。
発癌のとき、末期癌から生還した私の先輩の食事療法や治療法をお伝えしたあと、極めて熱心にご自分の工夫を重ねた闘病を続けておられ、それを克明に別のブログに綴っています。独身を貫き、お子もなく、刀折れ矢尽きた孤独な最期でした。
フランス語にも堪能で、シャンソンに造詣が深く、石井好子ら著名人との交遊もあったようです。確か昭和23年生まれ、名古屋大学卒業、滞仏後、予備校で英語やスピーチを教えていたとのこと。西尾先生の著作を含め何冊か資料を郵便で頂戴しましたが、最後に、独自の文芸分野である短詩形の詩人仲間の石原明という方の詩集を贈呈されたときに、辞世が書かれていました。
“「本日天気晴朗なれど神応答せず」
どんな風に神に見捨てられて死んで行くのかなあ・・という心境です。“
膨大な往復メールが残りましたが、最近の正月のメールで、“年賀状ありがとう御座いました。楽と喜でまとめた和歌、お正月らしい気分を味わせていただきました。私は年明け早々ドーンと書くと申しましたがなかなか筆が進みません。果物ナイフで戦車隊に向かっていくようなものですから。そういえば昔兄から「お前のは、勇気ではなく、蛮勇だ」と言われたことを思い出しました。
「蛮勇の虫を心と入れ替はば静心なく花の咲くらむ」
今年も無粋なお正月でした。“
彼女の代表作は他にあるはずで、他のブログに掲載されていると思われます。
お父上の思い出を時々書いておられましたが、印象的だったのは、「将来、御堂筋に日章旗がびっしりとはためくのを見たい」と戦後言われたとか。相当程度の軍事マニアで英国の同類とシュミレーションでミッドウエー海戦をやり直し、勝利したとの逸話も紹介していました。よそ乍らこの父娘2代の遺志を少しでも継げればとおもっています。
我やさき人やさきにと思いしに君先立つは辛くもあるかな
勇馬 樣 黒ユリ 樣
Brusellesさんが、船場の豪商の末裔であることも、渡佛のことも、アメリカで飛行機の操縱云々も私には初耳でした。
一昨年4月に初めていただいた封書(分厚い定型外)の中から經歴のやうな部分を幾つか拾つてみます。
①「昔、東京體驗をしようと、・・・ホテル滯在を2年間ほど、數囘くりかへし、・・・『詩と思想』の座談會に出たことあり」
②「今から45年くらい前に書いた『時を現わす助動詞の機能について』という文章があり、・・・お許しをいただけるなら、お送りする」
③「自分の文學の師は小川和佑先生。こちらが早々と筆を折つてしまひ、先生の御期待に應へられなかつたが、その後も、『書きなさい』と勵まし續けられた。43年前に書いた小説を小川先生のアンソロジー『昭和史の證言』の中に輯録してもらつた。學園紛爭の時代が半分、シュールレアリズム論(文學論)が半分の私の唯一の、書店に竝んだ小説。
④「自分のライフワークを『言語哲學』だと思っている」
⑤「 ”保守 ”がどんなに肩身のせまい思いをする言葉かを知らない人が(特に、轉向組に)多く、眞正保守とやらいつて、内部から日本弱體化することに、力を出しているように思う時もあります。『保守を商賣にする人々』とのお説に一番共感しました」
彼女の意見に初めて接したのは、その少し前、この日録のコメント欄でした。
彼女は中西輝政さんの文章について、實例を示した上、修飾節が2行も3行も續く惡文と斷じました。
以前、中西論文を讀みかけて途中で投出した(無理に讀む必要も義理もありませんでした)私は、自分の頭が惡いか、根氣が足りないか、それとも向うが惡文か、どれかが理由だらうと考へてゐました。
そこで、「安心した」旨、コメントを寄せたところ、即座に「丁寧に讀んでくれてありがたう」とのリスポンスがありました。
それが西尾先生のお目にとまつて、「彼女にあなたの著書を送つて文通せよ」との御指示があり、それに從つた結果の、彼女の受領通知の一部が①~⑤です。
②は、彼女が私を國語學の權威と誤認したための申し出だつたのでせう。こちらにまともな反應をする能力がないため、③④と合せて、殆ど發展のないままに終りました。西尾先生の御紹介とあれば、少しは話し相手になるだらうと、期待されたはずですが、彼女にも、先生にも全く申し譯のないことでした。
⑤については、彼女から徹底的に教へ込まれました。とにかく、ニセものが嫌ひでしたね。政治家では、安倍總理大臣のダメさ加減を見拔き切つてゐました。その「地球儀俯瞰外交」とやらのインチキを説く講義は理路整然たるもので、私はひたすら謹聽しました。私の氣持が決定的に反安倍になつたのは、坦々塾での、西尾先生のお言葉によつてですが、それが彼女によつて、concreteなものになりました。その彼女が私に忠告して曰く「自分は安倍批判のために、村八分にされ、きつかつた。あなたは大概にした方がいい」。
勇馬さんの仰せのとほり、「大変潔癖な方で、狷介不羈でもあり」ましたね。私も何度か彼女の逆鱗に觸れ、その都度謝りました。謝りたくないのに、處世上やむなく謝つたといふやうな場合、あとの氣分がすぐれないものですが、彼女に對しては、そんなことはなく、完全にスッキリでした。
最初5~6囘は郵便、そのあとはパソコンによるメール。やがて、促されて彼女のブログに何度か投稿しました。私の能力が低いために、そこに入れられないことも多く、よそのブログへも送れない場合彼女宛にメールで送つて、轉送してもらつたこともあります。
御病氣のことは、初めから知つてをり、彼女も、手紙に、「もう少し生きたいとあがいている末期癌患者」などと書いてきました。
とにかく、端倪すべからざる人物で、私は恐れつつも、彼女を仰いでゐました。勿論、會つたことはなく、文字をとほした、一年數ヵ月のお附合ひでした。
(附記)彼女のブログには、今でも屡々お世話になつてゐます。たとへば、東京裁判で、あの時ブレークニー辯護人がなんと言つたか、正確に記したいといふやうな場合、あそこから、動畫を引つ張り出します。
勇馬様 池田様
こちらの勝手な申し出に、丁寧に応じて頂きありがとうございました。
以前、TEL QUEL JAPON上で繰り広げられた、勇馬様とBruxellesさ
んのブログのパスワードなどを巡っての確執、またそこに池田様も加わって
のやりとりを見た時、部外者の私としては、一体どうなっているのか戸惑う
ばかりでした。
でも今回のお話を拝見して、勇馬様とBruxellesさんとは旧知の間柄であ
ることが分かり、Bruxellesさんも何故あれだけ激しい調子でコメントを書
いたのか少し分かった気がします。それにしても、一度もお会いになったこ
とがないというのには驚きました。
私がTEL QUEL JAPONを見て一番感じるのは、その「生活臭のなさ」
です。
またぎっしりと書かれた本文と、あちこちに貼られたリンクの動画や外国
の文献を見ると、あれだけの作業を本当にお一人でなさっていたのか、と驚
嘆するばかりでした。
シャンソンの事が書かれているのも見た事があるし、フランスに造詣が深
い方であろうことはタイトルからもすぐに分かりましたが、現実の外国滞在
もかなりあった様子から、恐らく時間的にも経済的にも、比較的恵まれた方
だろうと推測しました。
ブログの中で、「TEL QUELは敷居が高い」とよく言われるが、自分は
他人に読ませるために書いているのではないと仰っています。
詩に関するページを見ると、ご自分も詩作なさるだけあって思い入れが大
きいようで、沢山のリンクや参考文献が貼られてあり、私などはあちこちに
引っ張り回されるような疲労を感じました。
また西尾先生にも、さまざまな感想を寄せられていたそうですが、その独
特の緻密で厳しく鋭い言葉遣いは、同じく言葉には非常に厳しい先生の心を
動かしたであろうことは容易に想像できます。
池田様はBruxellesさんと一年以上も交流なさっていたそうですが、それ
は本当に驚きました。
というのも、どちらかと言えば「視覚的な」人間である私としては、とて
もBruxellesさんにはついて行けない感じがするからです。
いずれにしてもBruxellesさんの、言葉というものに対する徹底したこだ
わりと日本人離れした探求心が、西尾先生また勇馬様を惹きつけた所であろ
うし、またお三方の共通点なのでしょう。
現代のような、言葉に対する曖昧でいい加減な時代には、ご自分の病気に
関する事もさらけ出し、また自分が傷つくことも厭わず、どんな意識も書い
て書いて書き尽すBruxellesさんのような精神が必要なのでしょう。
とにかく、私にはとても真似のできない精神を持った方で心から敬服致し
ます。
それにしても勇馬様が仰ったように、宝の山であるTEL QUEL JAPON
の内容を整理して、いつかBruxelles論を書く人が出てくるのでしょうか。
私が気になるのは、徹底した言語の人だったBruxellesさんが、「イザと
なった時に武器を取る代わりに飛行機で突っ込む覚悟」で「飛行機の操縦を
習った」と勇馬様が書かれた所です。そんな事は普通考えても、簡単に出来
るわけがありません。
以前テレビで、マジシャンのプリンセス天功が、月旅行を計画しているた
め、アメリカでジェット機に乗ったりして、訓練している場面が出ていまし
たが、むしろそっちの方が現実的です。
Bruxellesさんは、ベッドに横たわりながら、自分がいつか特攻隊員のよう
に、飛行機に乗って果てる場面を思い浮かべていたのだろうか、とふと思い
ました。
勇馬様、池田様、様々なお話をありがとうございました。
黒ユリ様
蛇足です。このところ池田様からは「名論文」、黒ユリ様からも「お三方の共通点」などと過分を過ぎるお言葉をいただいていますが私は、(西尾先生は言うもおろか、)池田様にもブリュッセル女史にも遥か及ばぬ、教えを乞う一方の無知な草莽に過ぎません。ただ流石のブリュッセル女史も最晩年は極端に体力が衰弱したのでしょう、平常を装いつつも、精神的に心神耗弱に陥ったがためのトラブルであったと思っています。そこを慮って形だけでも折れればよかったのかもしれませんが、それも悔いが残ったこと思います。
その前にご機嫌を損じたときにはお見舞を突っ返されましたが、そのときは又本心に復されて和解しています。最後は和解する機会もなく、永遠の別れになったのは返す返すも残念なことでした。
「北方領土について」を巡る高質なやりとり、興味深く拝読させて頂きました。 そして思わず種々思いが湧いてきて、不勉強者で恐縮ですがコメントをいくつか記したくなりました。ご容赦下さい。
まず、Bruxelles氏に関してですが、私は一回ひどく氏に噛みつかれて降参し、勇真氏の様に何べんも挑戦する気迫と見識が無く、「酒場の宴会かxxの落書き」程度の覚悟しか無い私は一度で退散してしまいました。 記憶を辿ってリンクのTel Quel Japonの2014年7/13の記事と当方の記事を改めて読み直してみると、そんなに言わなくてもなあとの思いが蘇えってきました。
当時はまだ70年談話前で安倍晋三に期待と疑心があって、Bruxelles氏に安倍晋三だめ論の根拠を期待を込めてお尋ねしたのですが、7/13の回答だったので退散したのでした。 その後の70年談話や日韓合意ではBruxelles氏の予言?が正解でした。
たしか、勇真氏が「保守の各人は唯我独尊で、左翼の様な結束が無いのが残念。だれかまとめ役がいれば・・・」と言うようなことをおっしゃられていたことを思い出します。 私もなるべく頭を柔らかくし小異を捨て大同に付くべく心がけてはいますが、「宴会と落書き」程度の覚悟のうえ不勉強では、百家争鳴の中ではなかなか難しいです。
「北方領土について」での、対露交渉では歴史カードを毅然と使うべしとのご主張について、心情は全く一致するのですが、対中戦略を考えた場合大丈夫かなと思いました。
今後の日本の最大の脅威は中国であり、ロシアの脅威はかなり低くむしろロシアを日本側にひきつけ、対中包囲網に組み込むべきではと思うからです。 もちろんロシアが簡単にこっちの策略に乗ってくることは思えませんが、あらゆる手を講じておく必要を感じます。
それに歴史戦で中国に負ければ致命的ですが、対ロシアの歴史戦の重要性はそれほどではないように思います。 私の亡父もシベリア抑留で辛酸をなめており、その体験談を思いだすとソ連を許せないですが、張りぼてではない可能性の高そうな中国の脅威に対するには、政府が対露歴史戦を避けるのは止むを得ないかと思いました。もちろん、言論は政治主義を排してあくまで正しい歴史を追及すべきだと思います。
一方で、勇馬氏が言われるように外交交渉で気迫と胆力があれば、対露歴史カードと経済協力カードの両方を駆使した方が、対中包囲網形成と北方領土返還の両方を実現できるのかもしれません。 私としては、その場合の詳しい戦略戦術を知りたいと思います。多分、切り結ぶような米国も睨んだ激しい交渉になると想像します。
戦勝国史観の折伏の困難についてやりとりありました。 どういう相手をどの程度どういう手順で折伏するかによってその方法は異なるのはもちろんです。 池田俊二氏の俳句搦め手戦法や吉田圭介氏の「根拠の無いことを認めることはどうしてもできない」という普遍的反論などから外堀を埋めてゆく方法もあると思いますし、Bruxelles氏や勇真氏の様に見識と語学力そして気迫と胆力がある方は、あらゆる証拠を突き付け正攻法で正面突破を図るのが本筋とも思います。
そして、勇馬氏は多くの折伏のご経験から、国内での困難の最大の原因は、「現代日本人の多数の心的基盤が根本的に異なり、利に敏いだけの商人の精神になったためではないかと思う」とされています。 事なかれ外務省が目に浮かびます。
一方、私は数少ない折伏失敗経験から、そして理系人間に多い?自分自身の中のグローバリズムの声から、戦勝国史観の折伏の困難の原因は、国家否定のグローバリズムの心性にあるのではないかと感じています。 この心性があると、全く新たな本質的に異なるグローバルな歴史が始まる現代では、過去の暗黒の歴史認識などどーでもよく、それを喚き立てる人間はナチスの亡霊・アナクロニズムにしか見えません。
自由平等博愛の正義は我にあり、人類皆兄弟を否定する国家よさようならです。これでは馬耳東風です。
冒頭に触れたとおり折伏の方法は多様であるべきですが、私はこの本丸のグローバリズムを攻略しないと何も変わらないのではないかと思うのです。 もちろん、事なかれを排し、もののふの心の復興も必須です。
また一方で、私自身の中のグローバリズムの声は、「俺を虚妄だ災厄だと言うが、証拠はあるのか、理論的に証明できるのかと」挑戦してきます。 少しは調べてみましたが、これで折伏できると納得できるものをまだ見たことがありません。 おもえば、「共産党宣言」が170年前に出されたときにそれが理論的かつ実証的に完全に論破されていれば、19世紀20世紀はもっと穏やかな世紀になったと思いますが、それは困難で戦争の世紀の悲惨を経てようやく共産主義の虚妄に人類は気づいたと思います。
同様に、21世紀に興隆著しいグローバリズムを根底から折伏するのは困難で、もっと年月と失敗事例が必要なのかもしれません。 ただ、若干の光明は、EUの軋みやトランプ現象などからグローバリズムの馬脚に多くの人々が気づきだしたことで、ここら辺を糸口にすればよいのかもしれません。
私の最大の心配は、戦勝国史観とグローバリズム心性が払拭されず日本人の覇気がさらに萎えて人口も減少し、そのような中で満身創痍で難民移民をまき散らしながら混乱しつつ膨張してゆく中華世界に飲み込まれてゆくことです。 中国人にとっては自由平等博愛の人類皆兄弟の中華地球の完成です。 その地球のディズニーワルードの日本文化館で、数寄屋造りや茶室などのかつての日本文化を日系世界市民が大勢の中国人に交じって懐かしそうに見学しているのかもしれません。
このような最悪シナリオを 折伏に利用するとよいのかもしれませんが、世界市民心性の方からはそうあるべきと言われて、逆効果かもしれません。 ロシアとの交渉には有効?・・・・
ヘタレの愚考で、また勇真氏や天国のBruxelles氏に一喝されそうで恐々、 長文恐縮です。
グローバリズムの折伏には、「じゃあ、グローバリズムに代わる理念を示せ。」との逆襲に備えなければならないことを言い忘れました。
ちょうど隔月誌『表現者』3月号で「国民主義」との旗印が掲げられていました。 私は、国民国家国際協調主義、あるいは健全なナショナリズム国際協調主義などもどうかと思います。
現実は地政学を持ち出すまでもなく弱肉強食の国際環境ですが、アングロサクソン得意のきれいごと優位戦のお株を奪う必要もあろうかと思います。
楽秋庵様
あまり長くこの場をお借りし出しゃばり過ぎるのも憚られますが、楽秋庵様の「1.国民主義」の問題提起は拙論に関連する重要論点であり、「2.遠交近攻策」は池田様の完全否定されたことへの反論でもありますので、まず私から短くおしゃべりを続けさせて頂きます。以下の議論も所詮すべて専門知識に疎い素人の第六感や常識に基づきますが、多くの普通のサラリーマンの「折伏」にはこの視点こそ有用ではないかと思う次第です。
1.4年前、毎日ブログの世界を探索していた故ブリュッセル女史から突然、この楽秋庵の文章の主は「お前ではないか?」と照会があったときのそのブログも、同じテーマのグローバリズム批判の議論でした。そして今回の議論は当時から一歩進んで、グローバリズムが敵の本丸であり、グローバリズムを攻略しない限り何を議論しても、相手は馬耳東風で、何も変わらない、黒ユリ様がいみじくも言われた「日本の空気」を変える、あるいは「日本人の常識を変える」ことは出来ないのではないか、「戦勝国史観折伏の困難の原因は、国家否定のグローバリズムの心性にあるのではないか」と仰っています。
しかし反論は左程難しくないと思います。思いつくだけでも;
① オリンピックやサッカーWCやノーベル賞は国が単位で競うではないか?これが世界の人々の心性の現実ではないか。国がなくなったら世界中の人々が国際競技に興味がなくなる。
② グローバリズムは地球上の諸国家の価値の多元性と文化の多様性、歴史と伝統のある民族国家の個性(ナショナリティ)を無視するが、無視することは不可能。ISがその好例。
昨日届いた「ヨーロッパの個人主義」のなかで西尾先生は「国家的エゴイズムがせめぎ合う世界の修羅場を正視することが必要」とされ、「正視することによってしか、国家という偏狭な枠を超えて広い世界の場へ出て、国際的な思考に耐えることもできない…国家間の憎悪を除き、緊張を和らげるには・・・現にみられる国家同士の休みない打算と悪意の精確な認識を前提とする」「日本の知識人は・・まっとうな国家意識も身につかぬうちに、国家概念の止揚を理想として求めるという錯綜した混乱の中に無自覚に生きている」と喝破しています。本書で引用された柴田翔や「国家の脱力化と市民社会の強力化」を説いた坂本義和もこの類で、この類がいまだに日本でも幅を利かせています。因みに西尾先生は半世紀前に出版された本書で、EUについて、「近代国家の止揚でも廃止でもなく、必要止むを得ぬ協力体制でしかない。それどころかヨーロッパが強力な統一体として均質化し、画一化しないことがむしろヨーロッパ文化の多様性を支える刺激剤」とされました。最近の動向を踏まえても慧眼と言うほかありません。
③ ビートルズのイマジンが連想されます。②の繰り返しですが、「人類皆兄弟」の寝言や鼻歌で、国境のない世界を理想化するのも結構だが、昔も今も資源争奪は民族や国家単位だったのが現実で、人類は皆兄弟ではなかった。
④ 空想的平和主義が“justice and faith of the peace-loving peoples of the world”という欺瞞と偽善に拠って立つが故に成り立たないように、グローバリズム(地球一体主義)の立脚する「人類は一つの普遍的な文明に向かって進歩し収斂する」という観念も虚構であって、これを前提にするグローバリズムも成り立ちようがない。
⑤ フランシス・フクヤマが「自由な競争市場が世界に拡大した事で世界の歴史が終わった」と云ったのも誤りであり、国際紛争の現実は、民族的対立や領土、資源という国益の衝突が原因だったし、これからも同じ。中国の現在進行の現実の行動(海洋侵略、周辺民族絶滅、資源略奪)、ロシアのクリミヤ侵略が雄弁に物語る。
西尾先生もどこかで、「米国のグローバリズムと共産中国のインターナショナリズムは同じ方向であり既に結託している」と指摘されていたと思います。
要するに、グローバリズムは理想と現実を混同するものに過ぎず、国際金融資本の隠れ蓑にすぎない。これで折伏できるのではないでしょうか。理論的な証明は始めから不可能であり、歴史的失敗事例としては米国にトランプが登場したことを挙げればよく、この事例で折伏することも可能ではないでしょうか。
2. 「対中戦略上、ロシアを日本側にひきつけ対中包囲網に組み込むべきであり、中国の脅威に対するに政府が対露歴史戦を避けるのは止むを得ない。」と仰いますが、①中国はやがて自滅する、崩壊すると言われており、これが実現するのであれば、先ずこの配慮は不要となります。前にコメントしたことですが、遠藤誉女史の実証した共産党政権成立の正統性のウソを日本政府が公式に暴くことで崩壊させることは可能とは思います。
②しかしこの議論は久しく繰りかえされ、期待もしていますが、しぶとい中国は、内部矛盾を孕みつつも、倒れないのが当面の現実です。となれば対中包囲網形成と北方領土返還の両方を実現することを目指すべきで、そのための基本戦略ですが、米欧印豪と連携すれば、ロシアは不要ではないでしょうか。ロシアと妥協することで米欧を喪うリスクの方が大きいと言わざるをえません。
③ 真の日露協商は、日本が憲法を変えて軍事大国化しない限り成立しないのではないかと思います。ロシアは軍事攻撃力なき商人国家と対等に国交を結ぶとは思えません。
④歴史問題で対日負債を請求し続けながらロシアと平和条約を結ぶのが日本にとってベストであり、それにロシアがついてこなければ、日本がロシアを見限ればいいだけではないでしょうか。
北方領土を引っ込めれば中国に尖閣侵略へ向けた悪しきシグナルを送ることにもなります。
池田様のご意見も伺いたいと思います。
勇馬 樣
すみません。折角の御指名ですが、いい歳をして、日曜日・火曜日と
花見にうつつを拔かした結果、風邪を引き、現在グロッギー状態で、
意見らしいものをまとめることができません。斷片的コメントをいくつ
か竝べるだけで、お許しをいただきたく。
基本的には、貴論の「③ 真の日露協商は、日本が憲法を変えて軍
事大国化しない限り成立しないのではないかと思います。ロシアは軍
事攻撃力なき商人国家と対等に国交を結ぶとは思えません」が、す
べての前提でせう。これを踏へない議論は、意味がないだけでなく、
むしろ人を惑はすことになりかねません。
樂秋庵主樣のお説は、私には論旨がつかめないので、なにも申せま
せん。
ただ、「今後の日本の最大の脅威は中国であり、ロシアの脅威はかな
り低くむしろロシアを日本側にひきつけ、対中包囲網に組み込むべき
ではと思うからです。 もちろんロシアが簡単にこっちの策略に乗って
くることは思えませんが、あらゆる手を講じておく必要を感じます」の意
味は分ります。
日本の政策として、對支、對露のバランスは必要でせう。どちらも、日
本には敵なのですから、敵同士の結束は妨げるべく、離間は進めるべ
く・・・。そのためにどういふバランスが適當かは大切なポイントでせうが、
私にはそれを論じる知識も能力もまつたくありません。
興味深いのは、今から38年前の、村松剛ー柴田穗の對談(私が司會
をしたので、Bruxeles樣にお讀みいただきたく、個人的にお送りした
ら、ブログでずゐぶん詳しく論評して下さいました)では、同樣のことが、
樂秋庵主樣とは、反對方向から論じられてゐることです。
二人の論客は、支那に傾きすぎの、當時の政府の行き方を批判してゐ
ます。支那から言はれて「反霸權條項」を入れてしまつた日中平和友好
條約は、「米日中の『防共協定』」などと譬へられ、ソ聯が直ちに對抗措
置をとつたこと、その後、支那は北朝鮮、ユーゴ、ルーマニアなどにも、
この「反霸權」を賣り込んだが、どこも應じなかつた、つまり日本の、今も
全く變らぬ、當時のお人好しぶりが語られました。
私は參加できませんが、露支にたいするバランスの問題は、然るべき
人々による十分な論議が期待されます。對支のためには、北方領土も、
經濟協力もロシアの望むとほりに? 對露のためには尖閣・沖繩も、支
那人移民も北京政府の意のままに? どこに線を引いたらいいのでせ
うか。その線を示さない案はあまり・・・
「祈伏」について、私は多分皆樣同樣に悲觀的で、一氣にやるために
は、ヒトラーのやうなプロパガンダの天才の出現に期待する以外に手
はないのかなどと、やけつぱちなことを考へたりするときもあります。先
日、勇馬樣から、いい材料提供を受けましたが、まあ、自身のpastime
のつもりで、氣樂にやります。
「昨日届いた『ヨーロッパの個人主義』』のなかで西尾先生は『国家的エ
ゴイズムがせめぎ合う世界の修羅場を正視することが必要』とされ、
『正視することによってしか、国家という偏狭な枠を超えて広い世界の場
へ出て、国際的な思考に耐えることもできない…国家間の憎悪を除き、
緊張を和らげるには・・・現にみられる国家同士の休みない打算と悪意
の精確な認識を前提とする』『日本の知識人は・・まっとうな国家意識も
身につかぬうちに、国家概念の止揚を理想として求めるという錯綜した
混乱の中に無自覚に生きている』と喝破しています」とは、なんといふ適
切な御引用!
西尾先生のこのお言葉に、少しでも感じる能力が誰かさんにあれば、「互
いに正義を主張しては問題は解決しない」などと寢言を言ふはずがあり
ませんね。
「昨日屆いた」ばかりなのに!! 再び敬意を表します。同時に嬉しい思
ひもさせていただいたのですから、御禮も申上げます。
自分が同書を推薦しておいて無責任ですが、さういふ風に書かれてゐ
たかなあと、かすかに覺えてゐるやうな氣がします。ただし、細かい字
句については、かく頼りなくても、その基本は、根本精神は身について
ゐると、みづから信じたいものです。
支離滅裂・不得要領のことを書き、申し譯ありません。
(追伸) 露支のバランスなどと氣安く言つても、勇馬樣のおつしやるとほり、
「北方領土を引っ込めれば中国に尖閣侵略へ向けた悪しきシグナルを送ること
にもなり」・・・以下、無數のvariationがありますね。私などの手
に負へる問題ではありません。
(追伸2) すみません。今、ふらふらと、食事に起きてきて、パソコンを開くと、 「対中戦略上、ロシアを日本側にひきつけ対中包囲網に組み込むべきであり、中国の脅威に対するに政府が対露歴史戦を避けるのは止むを得ない」と仰いますがーーといふ、勇馬樣の文章が目に入りました。カッコ内は、樂秋庵主樣の御意見なのですね。とすれば、何をか言はんです。
風邪が直つたあと、誤りに氣づいたら、訂正します。失禮の段、お詫びします。
;
特に感想は無い。
;
しかし、
終戦直後のソ連満州侵攻は、
米帝とソ連の内約、精強な日本軍の兵力を削ぐ目論見。
;
米露は、国の成り立ちからして似ている。
マフィアだ。
追随してはいけない。
*
以上 .
17.04.06 , 13:32 .
子路 .
樂秋庵主 樣 勇 馬 樣
しつこくてすみませんが、簡單に2點申上げます。
①樂秋庵主樣の「対露歴史戦を避ける」との御提案、私には、その議論に
參加する資格はありませんが、その前段階で、一般的ディベート・ルールに
ついて申します。
まづ、頭から、御提案を却けることは誰にも出來ないだらうと思ひます。
ただ、勇馬さんのおつしやる「中國への誤つたシグナル」の他、多くの、自明の、マイナスに繋がるかもしれない要素を含んでゐます。
第一、それで、ロシアが支那との關係で、日本に有利に動くといふ保障は全
くありません(なにか貰つたからとて、その恩を感じるやうなタマではありません)。ほう、領土については何も言はないのか! それでは、北海道に於ける「經濟の共同經營」(北半分はロシアの法律を適用・南半分は日露共同の制度による)を提案してみるか。といふことになるかもしれません。
そして、安倍さんなら「相互の信頼感釀成のため」同意するかもしれません。
・・・その他、無數にある問題のうち、少くとも、五つや六つについては、提案者の考へが豫め示されてゐなくては、ディベートになりません。
普通の場所なら、議題にされないだけ(されるところもあるのでせうか)ですが、Bruxelles塾でなら、提案者は、即刻レッド・カード間違ひなしです。
②私は、勇馬さんのやうに祈伏に力を盡したことはありませんが、たとへば、WGIPの呪縛から、いつまでも逃れられないでゐる同胞に愛想をつかすことが屡々です。罵りたくなることもあります。しかし『ヨーロッパの個人主義』が50年近く(正確には49年?)も賣れてゐます。あのやうな本を、かくも永く買ひつづける日本人や日本といふ國を、私は見限ることができません。その日本において、なぜ、いつもバカバカしことが? その理由と對策は更に考へ、工夫すべく、ヒトラーの再來をなどとヤケをおこしてはいけませんね。
貴台のおかげで、いま初心に返つてゐます。今後も御健鬪を。
;
右手で握手を交わした。
お前の左手は何を為すべきだ?
*
.
子路様
字数と回数の制限がないことの図に乗って蛇足を続けます。仰る通り、池田様も私もそのむかし暗記した憲法前文の教える、“公正と信義に信頼すべき諸外国”は、米露に限らず、みな腹黒いマフィアだと思います。戦後の日本は国連というマフィアに追随し、右手で握手しながら、右足で蹴るという国際マナーや常識を知らないため散々にやられてきましたね。
池田様
暇を見て、この歳で、歴史的仮名遣ひを学ぶべく萩野先生のテキストを読み始めましたが、つい先日北陸へ出張の帰途、地方の図書館で先祖の和歌と漢文を見つけました。
名にしおふわか長月の夜の月をこまもろこしの人に見せはや
兪等不可知其為何人。然其韻致健雅頗有可観。
(この兪生なる者は長崎で交遊のあった清国の詩人のようです。)
先祖に調子を合わせるわけでもありませんが、シナは中国“共産党”が災厄なのであって中国人一般が問題なのではなく、中国からこの共産主義というイデオロギーを除去し、政権を打倒して、親日政権を樹立すれば本当の日中親善友好が実現するのではないかと夢想します。孫文には当時の朝野が期待して裏切られたようですが、汪兆銘は裏切らなかった、柴五郎の回想録でも信頼すべき義に厚い支那人が登場し、大河内文書(東洋文庫)は明治初期の日中文化人の交遊を伝え、向島の観桜などのエピソードも印象的です(大河内輝声の過度な中国崇拝は気になりますが)。
頭山が肩入れしながら同じ仲間の内田が反中の書を著すアンビバレンスをどう評価すべきでしょうか。文化革命を生き伸びて逼塞している教養ある人士に想いが至ります。石平氏の父君もその一人だったのでしょうか。祖国を裏切り日本に帰化することも祖国が祖国でなくなったのであればやむを得ないのではないでしょうか。
シナ(もろこし)だけでなく、韓国(から)にも尊敬すべき人々が多く存在し、嘗て釜山やソウルで、英語で交流した経験があります。現下の騒動やこれまでの異常な反日がどうして抑えられないのか不思議です。
米国やEU、ロシアつまり世界が一番恐れていることが対等な日中結託や日中韓の3国連携ではないでしょうか。米国はそうさせないために中国に共産主義を植え付け、半島では李承晩政権を支援し、アジア三国の永遠の離間を図ったとも考えられます。
釈伏の方法についても付言します。相手によって使い分けるべきです。
① 合理的思惟能力のない者の議論は無視せざるを得ません。
② おのれの歴史知識の不足と無知を知らない者には、事実を示す。良心と理性を持つものはここで説得されますが(一人だけその実例があります)、知識人を自任する頑固者ほどこれには応じず、自分の無知に固執します。放置するしかありません。
③ 矛盾や誤謬を追及されて逃げる者は追い詰める。
④ 無意識にすれ違う議論を仕掛ける者には、議論を整理し、擦り合わせ、噛み合わせる。
⑤ この最後が一番たちの悪い、左翼がよく用いる手段ですが、論点のすり替えです。straw manとか藁人形論法と謂われるもので、鷺を烏と言いくるめ、こちらの意見を歪めて引用してから反論する論法です。これはその意図とプロセスを暴いてやることしか手段はなく、相手は確信犯ですから絶対に説得されません。望みは理性のある観客です。逆上しないで穏やかに粘り強くやれば本人以外は説得されるでしょう。
いまの日本は世界で最も高度に民主化された社会であり、言論における戦前の悪弊は除去されていますが、されすぎて、上記のようなワルたちがのさばっています。国会の議論がまさにそうですが、保守系の議員の知識や能力が低いために情けなくも勝てないでいます。嘗て憲法の芦部教授の説いた民主主義のプロセスが機能し、公明な議論を戦わせる習慣を日本人が身につければ、悪貨が自然淘汰され、理想的な自由民主の国家の展望が開けるのではないでしょうか。故ブリュッセル女史の発病はこのあたりのストレスが原因の一つだったと思われます。
楽秋庵様がご自身のブログで、ある保守人士の面白い説得失敗事例を紹介されています。
「・・・先の戦争遂行において、軍部は野心を以て世界支配をできるかの如く喧伝し、その妄想を抱き、その遂行のために、わが国体の聖化を利用してしまった。・・・・」という彼の無知からくる議論に対して、「先の大戦に至る原因は9割方日本国外にあることを、陛下も理解したうえで苦渋の決断をされたのではないか」と諄々と「真の歴史」を説き、「旧軍部を論うのは全く的外れ」と説得にかかったのですが、返ってきた答えは、「当時は、アメリカにより日本は追い詰められて戦争するしか選択肢がなかったのかも知れません。天皇様おひとりが戦争に反対なされても、国内も戦争へ邁進しようとする世論形成も推進されており、戦争に突き進むしかなかったとも思います。」であったと報告されています。
この相手は①、②、④の複合型でした。説得は可能と思われます。
池田様、コメントありがとうございます。
西尾先生が提供されているこのコメント欄は、先生が以前注意されたように、先生の御著作などへの読者の感想や様々な意見を知りたいとの思いで開設されておられる様ですので、論争ディベートの場と思っておりません。 むしろ、ディベートではなく、先生を慕い日本を想う者同士の意見交換ダイアローグの場であって、極端には、節度を弁えた酒場の宴会なのかなと勝手に解釈しております。
そういう意味で、小学生が「先生、でも中国の方が危険では?」と手を挙げたというのが、私の気持ちに近いです。 同じ日本を想う者同士、和を以て勉強させて頂ければと思う次第です。
山積する日本の問題の中で、対露戦略を考える優先度はやや低いと思いますが、ロシアについては次の6点に着目して考えています。(恐縮ですが、長文になるので前回コメントでは記載を控えさせて頂いた背景を少し記してみます。)
①ロシアは権威主義的統治性向の高い国ではあるがもはや共産主義国家ではなく、中国と異なり一応普通選挙を実施する民主国家であること、
②広大な国土に対してスラブ人の人口減少に苦しんでいる他民族国家であること、
③長大な中国との国境を有しており特にシベリアでの中国人の浸透の重大な脅威を抱えていること、
④S.ハンチントンの言うようにギリシャ正教文明圏の盟主として地域覇権を保証されれば満足しそうなこと、
⑤資源依存経済からの脱却に日本の協力に魅力を感じていそうなこと
⑥そして過去の許しがたい前科を脇に置けば、文化的にはロシア文学など相互近親感もありナショナリズム国家であって、八紘一宇の関係に持ち込めそうな相手であること、
これら6点を考慮すると、ロシアを対中包囲網に参加ないしは妨害させない方向に向ける可能性はあるのではと感じています。もちろん具体的な方策は分かりませんし、容易ではないと思いますが、実現すれば中国の北方からの抑えとなり、尻抜けとならず日米欧豪印だけの場合より効果は絶大かと思います。
勇真氏の言われる通り、対露歴史カードは対中包囲網形成の有力な武器になるかもしれません。相当の覚悟と胆力と準備が必要と思われますが・・・いつ実現するか分からない憲法改正と核武装を待たずに、並行して進めないと時間がないのではと心配しています。
お気づきかと思いますが、これらは元ウクライナ大使の馬淵睦夫氏の受け売りに近いです。 ひょっとすると馬淵氏はロシアの高級エージェントなのかもしれません。ロシアの謀略力は相当ですから。
でも、以上は真実に近いのではと感じています。 共産洗脳教育を拒否したため、中央アジアの収容所で戦後4年間苦労し、観察していた亡父の物語を聞いてもいましたので。
勇馬氏からグローバリズムの折伏のアイデアがいくつか示されていましたが、少し物足らないように思いました。 また次の機会までに考えを整理できましたら、書いてみようと思います。
それから、中国共産党が消滅しても中国人(文化?)の性向を考えると、中国問題は残念ながら消えないように感じています。 中国包囲網は現中国版図の分解・解体(20程度の民主国家に)を目指すべきで、それは日本や台湾やチベットやウイグルなどはもちろん、世界いや中国人のためだと思うのですが・・・・これもそのうち弊ブログで書いてみたいなと思います。
勇馬 樣
場所塞ぎが過ぎないやうに、貴論のうち一點だけについて、愚見を申上げ、その他は別の機會に讓らせて下さい(それでも、かなり長くなりますが)。
「シナは中国“共産党”が災厄なのであって中国人一般が問題なのではなく、中国からこの共産主義というイデオロギーを除去し、政権を打倒して、親日政権を樹立すれば本当の日中親善友好が実現するのではないかと夢想します。孫文には当時の朝野が期待して裏切られたようですが、汪兆銘は裏切らなかった」は、事實も含みますが、基本的には「夢想」で、それは、明治以來の日本の支那政策失敗に通じるものだと思ひます。
そのことは、私の乏しい知識と拙い言葉で説明するよりは、渡邊望著『蒋介石の密使 辻政信』(祥伝社新書)をお讀み下さるやう、伏して願ひ上げます。支那人の本質が、これほど簡潔的確に剔出描寫された書を他に知りません。
著者は、我が子くらゐの若い人ですが、坦々塾では、私よりも先輩で、西尾先生から囑望されつづけてもゐる俊秀です。
著者によれば、共産黨よりも遙かに惡質なのが蒋介石で、「あとがき」に曰く 「蒋介石を何よりも許しがたいのは、この日本人の弱點を知り盡くしていた上で、自分の政治的延命のために、『以徳報怨』の謀略を行ったということにある。戰後70年近くたつというのに、日本人の多くが、蒋介石の『以徳報怨』によって、蒋介石と日本の關係が巧みに不平等化されてしまったということ自體に、まだ氣づいていない」 「中國共産黨政權は『親切』の惡用を日本人に對して行わず、日本人を單に怒らせているだけである。蒋介石より役者が何枚も下である。もしこれからの中國に、蒋介石のような日本人の精神構造を知り盡くした惡智慧の持ち主が現われたとき、その持ち主の『親切』によつて、日本人が中國や漢民族への懷疑を忘れないという保證はどこにもない」。
共産黨の惡は當然として、それ以前から、日本人には想像もできないやうな、支那人の惡といふものがあると考へた方がいいのではないでせうか。そして勿論、孫文、蒋介石とつづいたのは偶然ではないやうです。
私は、Bruxellesさんに支那について教へを乞ふために、上記の書で學んだことなども含めて、次のメールを出しました(殘念ながら、答を下さる前に、彼女は世を去りましたが)。
支那については分らないことだらけです。
頭山滿、犬養毅、内田良平、石原莞爾、松井石根・・・たちは
深い教養と知識、優れた眼力を持つた、きはめつきの立派な日
本人でした。彼等に支那の現實が見えなかつたとは考へられま
せん。彼等が智慧で支那人に劣つたとも思へません。
孫文に代表される支那の指導者は、日本の歴史や思想には全く
の不勉強・無知で、日本人の心が分りませんでした。
にもかかはらず、後者が好きなやうに前者を振囘すことが出來
たのは何故でせうか。
日本人の、古代支那と古典にたいする憧れ、崇拜のゆゑでせう
か。
追々、少しづつでもお教へ頂けれないでせうか。
最近俳句仲間のミーチャンハーチャンに出したメールの一部を、
失禮ながらお笑ひ草までに、轉送させていただきます。氣樂に、
いい加減なことを書き流しましたが、間違ひもありさうです。
御斧鉞を加へていただければさいはひです。
歸りの車中で「中國(朝鮮も?)から多くの文化が這入つて來
たので、日本人はあの國を尊敬すべきだ」とおつしやいました
ね。古風、純情、律儀な日本人のお一人たることに敬意を表し
ます。
仰せのとほりですが、それはほとんどが古典の時代のこ
とで、その後の支那は相次いで異民族に侵入されゴチャ
ゴチャになつてしまひました。人種も文化も、その他一
切 が・・・。そこに現はれたのは、けだものの集團で、
當然一片の道義も羞恥心もありません。なまじ人間らし
い感情を持つと、忽ち食ひ滅ぼされてしまひます。必要
なのは人を陷れる奸智と力だけです。
習近平は「中華民族」と言ひますが、そんなものは存在
しません。そもそも支那においては、「民族」といふも
のをどう捉へればいいのでせうか。
辛亥革命は排滿興漢をスローガンの一つにしましたから、
漢が ”本”民族といふことかもしれませんが、「漢」とい
ふ、單一民族はないといふ説もあります。
王朝でいへば、最初の夏は東狄。次の殷は北狄。次の周
は西戎。(いづれも、支那では野蠻人と呼ばれたのです)
その後數多の夷狄たちが中原に進出して興亡を繰り返す
うちに、そ後の漢族の元ができたといふことのやうです。
しかし、そのごちやごちやの漢族に對して、更に外から
別族が攻め、なだれ込んできました。五胡十國のほとん
ど、五代十國の四つは非漢族の王朝です。要するに、ゴ
チャゴチャの上にゴチャゴチャを積み重ね續けてきたの
です。直近では、清・元が非漢です。
のみならず、易姓革命といつて、新たな王朝ができると、
前代の一切が否定されます。
これでは、遠からずして、全てが原型を止めなくなるの
は當然です。
多くの日本人は、この變化に氣づかず、千數百年にも亙
つて支那にひれ伏しつづけました。
明治以來、色々な形で莫大な援助もしましたが、全ては
裏切られ、ひどい目にあはされました。
にもかかはらず、こちらのイメージにある支那とは全く
違つてゐることに氣づいたのは、福澤諭吉など、ほんの
僅かな人達だけで、大部分の日本人は支那崇拜を止めず、
今日に至りました。
私は戰後教育で、日本人は世界一野蠻にして下等な劣等
人種と教へられました。小學5年の時、先生が言つたこ
とを、今も覺えてゐます。
①日本軍は殘虐だつた。占領地の住民から赤ん坊を取上
げてきて、空に向つて投げる。そして下で銃劍を構へ、
落ちてくる赤ん坊を・・・。(先生の銃劍を上に向ける
身振りは今も目に浮びます)
②第一次大戰の際、日本人は石ころや砂利を詰めた罐詰
をヨーロッパへ輸出した。
今から數年前、支那の資治通鑑といふ帝王教育の教科書
の解説のやうなものを讀んでゐたら①と全く同じ話が出
てきました。赤ん坊を劍でーー支那人はさういふことを
よくやつたらしい。ずつと前から、どうもをかしい、氣
の弱い日本人にそんなことができるだらうかと疑問を感
じてゐましたが、とんだ人違ひでした。
罐詰に石ーーは朝鮮人のよくやる得意手であることを、
勉強會で、朝鮮研究家から教へられました。私も、少く
とも、軍艦一等國と言はれるところまで來てゐた日本が
そんなことをやるか、忽ち信用をなくすぢやないか、と
思つてゐましたが。
①②とも、我等日本の子供の教育の材料に、支那や朝鮮
のやつたことを日本のこととして教へ込んだのです。眞
つ赤なウソで、いかにも戰後日本にありさうなことです。
アメリカのある外交官は戰前を囘顧して「支那(國民政
府)は、こちらがバズーカ砲を突付け、いつでも引き金
を引くぞといふ體勢になつて初めてまともに交渉に應じ
る。さうでない限り・・・」と言ひました。現實に接し
た相手のことですから、正しく觀察してゐます。實際、
支那人(朝鮮人も)は、自分より強い相手としか、本氣
では交渉しません。昨今の時事問題を御覽になれば、今
も全く變つてゐないことがお分りになる筈です。
私は集合住宅の管理組合で監事を務めてゐます。一階
に、2年ばかり前から經營者も從業員も支那人といふ
中華料理店が這入りましたが、彼等は上述の特徴を全
部揃へてゐて、頻繁にトラブルを起してくれます。如何な
る規則も、よほど嚴しい罰則がない限り守りません。
その一つについて理事長が交渉する際に、私は上記ア
メリカ外交官の話を思ひ出してアドヴァイスしました。
理事長はあらゆる手を盡くし、辯護士、警察、保健所、
登記所、町内顏役、大手〇〇組事務所などと下打合せ
をした上、返答次第では直ちに砲撃開始といふ態勢で
望んだところ、あつさりと言ふことをきいたさうです。やは
り支那さんを相手にする場合は、その一手ですね。勞を
惜しんでは、彼等には勝てません。
菅原道眞の建言により、遣唐使が廢止されたのは寛平
6年(西暦894年)で、今から約1100年前のことです。
異民族の侵入により目茶苦茶になつてゐる唐に使をや
つても益なしといふのが主な理由のやうですが、當時も
支那崇拜の風潮が強く、廢止に持込むまでには相當の
抵抗があつたさうです。
我々は戰後版遣唐使を無數に見てきましたが、その叩
頭拜跪ぶりは言語に絶しますね。最近では、小澤とか
二階とかの政治家が、何百人だか何千人だかを引き連
れて海を渡りました。道眞以降、彼の國からさしたる
恩惠は受けてゐない筈ですが、崇拜は愈々強まるやう
です。
勇馬 樣
すみません。渡邊望さんの著書、もう一册を申し忘れました。
『日本を飜弄した中國人 中國に騙された日本人』(ビジネス社)。
こちらの方が本格的です。
樂秋庵主 樣
私が「ディベート」などといふ全く場違ひにしてトンチンカンな語を口走つたために混亂させてしまひました。深くお詫びします。
私に參加資格のないことは、前に申したとほりですが、そのトーシローとしては、貴論①~⑥に迫力を感ぜず、共感を覺えません。識者はどうなのでせうか。
①プーチンの出自を言ふまでもありませんが、「一應」にしても、民主國家
と言へるでせうか。
②人口減がどうして、包圍網形成のプラス要因になるのですか。
③論旨が少々ずれますが、露支國境線がほぼ確定したらしいのは、何度
も武力衝突を繰り返した結果でせう。雙方に、これはなんとかしなければと
いふ氣運が生じた。これに對して、日露間では、露の武力による一方的占
據がつづいてゐるだけです。占據されてゐる日本が占據してゐる(從つて、
平和條約もない)ロシアと、そのままの状態で、支那に對して協力するのですか。ロシアは日本が發狂したと感じないでせうか。そして、それなら、北海道も頂けるかもしれないと思はないでせうか。對露も對支も、勇馬樣の仰
せのやうに、日本が軍事大國になることによつてのみ、マトモな關係が築
けるーーといふ私の考へは搖ぎさうもありません。
④ハンチントンは知りませんが、「滿足しさう」では、困ります。滿足しなかつたのが、彼等の壓倒的歴史的事實でせう。
⑤魅力は感じるでせう。しかし彼等にそれを與へても、見返りがnothingであることは、昨年末に經驗したばかりではないですか。
⑥前科だけではありません。現に我が家の庭に居坐る強盜と(これを追
ひ拂ふこともせず)、なにか、共同作業を! 普通は狂氣の沙汰と呼ばれ
ますが、贊同する識者もゐるかもしれませんね。ロシア文學ですか。これ
に對する我等日本人の親近感は相當なものですね。我が佛たりし福田
恆存でさへ、「私なんか英文學をやつたことになつてゐるけれど、最初は
ロシア小説ですからね。そつちの方がおもしろくて・・・」と言つてゐるほどです。しかし、文物に對する、日本人の親しみといふ點で、支那とロシア
を比べれば・・・議論の餘地はありません。その親疏で決めるのなら、私
はロシアに對する日支同盟を斷乎主張します。
馬淵さんは坦々塾會員でもあるので、講演していただくこともあり、私的
にお話しする機會もあります。私が格別に關心を抱くユダヤ人について、
ウクライナ起源説のレクチャーを受けたこともあります。數年前の講演
では、「これまでの日米韓から、日露北(朝鮮)に、組み合せを變へるべ
きだ」と、説かれ、當時、特に韓國の傍若無人さにムカムカしてゐた自分
は、その場だけですが、共感しました。ずゐぶんユニークな説を聞かせ
て下さる方です。全員討論の場で、馬淵さんは「ロシアのスパイと言はれ
る恐れがあるので、これ以上言ひません」などと、冗談をおつしやつたこ
ともあります。
坦々塾には、いろいろな人材がゐます(私の知らない人も少からず)。
ところで、樂秋庵主様のお説、識者の反應は分りませんが、Bruxellesさんがいらしたら、最大の罵聲を浴びたことでせう。これだけは確信を持つて言へます。
勇馬様 池田様
再び失礼します。
今池田様が、非常に丁寧に書かれた内容を見て、私も非常に勉強になった
と同時に、池田様が勇馬様にお伝えしたかったことに、全面同意致します。
私は以前、ここで書かせてもらったコメントを、何者かに削除されたこ
とがあります。そこで、管理人さんから、もう一度書くようにとの連絡が
あり、一生懸命思い出しながら書き直しました(その頃は、直接コメント
蘭に書いて、自分のファイルに保存していませんでしたので)。
その時のコメントは長文だったのですが、どの部分が問題で削除された
のか、私はすぐに分かりました。
その内容というのは、「文化大革命の時、彼らは親子間の性行為を強要
するという鬼畜同然の拷問をした」というものです。これはあの時代を
実際に体験した人から聞いたものです。
当時どれほど残酷なことが行われたかは、様々な人が報告していますが、
儒教を生んだ国のはずですから、流石にこういうことは隠したかったので
しょう。コメント欄は、記事が更新されるたびに消えてゆくせいか、二度
目に書いた時は、もう削除されませんでしたが。
文革当時を生きてきた年配の人たちは、思い出したくない体験を持って
いても口を噤んでいるはずです。
そして豊かな時代に生まれた現代中国の「箱入り娘、息子」たちは何も
知らず、反日教育をそのまま受け入れ、日本人に対する優越感を産まれな
がらに植え付けられている、と考えてみて下さい。
日中両国の溝は、埋められないだろうと私は思っています。
池田様
舞台は既に移りましたが、お言葉ですので大先輩に向かって盲、蛇に怖じず、遠慮なく斧鉞、否、ささやかな反批判を加えて今少しだけ場所を塞ぎます。御説に賛成でき兼ねる理由は以下のとおりです。
1.故ブリュッセル女史からの回答が永遠に来ないのは悲しいことですが、池田様はもうご自分で答えを用意されているのでしょうか。孔孟の古典への憧れや崇拜、つまり共同幻想のゆゑに頭山滿以下の極めつきの立派な日本人が好きなやうに騙されたとお考えなのでしょう。ただ自信が持てないので女史に確認を求めたのではないかと推測します。であれば、確証により確信がもてるまでは「支那人論」の判断を保留にすべきではないでしょうか。私のいまの立場は、「共産党諸悪根源説」の確証は、女史の集めた情報、たとえば通州事件だけでなく通化事件、尼港事件、黒ユリ様が見聞された文革時代の異常行動、紅衛兵の残虐のみならず、近くは天安門、チベット、ウイグルの虐殺、スターリンやポルポトの悪逆などなど全て共産主義者が糸を引いていることを知って確信が持てますし、従って西尾先生の「現政権転覆が安倍政権の歴史的使命」という考えに賛同するものですが、「支那人性惡説」にまでは到達できません。
2.「自分にとって切実なことのみを語れ」という先生の教えに反しますが、私にこの問題が切実でないのに敢えて論じるのは、衡平さを保つためです。内田良平の支那観や福沢諭吉の脱亜論も聞きかじっていますが、一方で勝海舟、柴五郎、大河内輝声の他にも石光真清の意見を知っています。漠然とした情緒からのように思われますが、ネガティブな個々人の事例だけを採りあげて、民族や人種を一緒くたに否定することには賛同できかねます。観光地で見かける騒がしい行儀の悪い中国人は不快ですが一方で尋常な人々が居ることも知るべきです。
3.明治以降の犬養健以下の極めつきの立派な日本人、江戸の知識人、遣隋使以来の日本人たちが皆騙されてシナに肩入れしたと推測するよりも、シナには信頼すべき魅力ある人士が多く存在し、心服させられた中国人が少なからず居たと推測する方が合理的で自然と思います。
4.所詮、東は東、西は西であり、西洋人とアジア人のどちらをとるかといえば、同じモンゴロイドで、隣国、付き合いの歴史も長く、文字も共有する人々が、そうでない人々よりも信頼できるのが人情です。勿論、これは小沢や二階などの唾棄すべき叩頭外交を認めるものではなく、純情と律儀から「文化のゆえに崇拝する」ものでもありません。私は中華の華は日本という説を支持しています。「親疏で決めるのなら、私はロシアに對する日支同盟を斷乎主張します」のであれば、西欧に対する日支連携を主張することになりませんか。天心が「アジアはひとつ」と言ったのを思い出します。
武士道の淵源の一つが儒教倫理であり、中国の古典文学の日本人に与えた影響は圧倒的です。これを否定することは公正ではありません。一つの例ですが、魏徴の述懐、「慷慨の志は猶お存せり、季布に二諾無く侯嬴は一言を重んぜり」は日本人の心に深く刻み込まれているだけでなく、現代の一部の中国人にも共有されています。ブリュッセル女史はエキセントリックな一面はありましたがこの言葉にふさわしい稀代の国士でした。
5.蒋介石らの邪悪な中国人にのみ焦点を当ててその悪さを誇張すれば、逆を彼らにやられ永遠に袂を分かつことになります。公平に見て日本人も皆好い人間ばかりではありません。中国人庶民も基本的に善良というのが私が90年代に旅行したときの印象で、共産主義を捨てさせ反日教育を洗浄・解毒すれば、提携しうる国になるとかもしれません。確かにそれは現時点では仮定や夢想の類いでしかありませんが、将来の世代にはそのように申し送るべきではないでしょうか。
6.お人好しの大和民族に比べ確かにしたたかな民族であることは間違いありません。しかし、それは国際的にみればそれが標準であって、日本人が特殊なだけです。「こちらがバズーカ砲を突付け、いつでも引き金を引くぞといふ體勢」をとれば領土交渉に耳を貸し始めるであろうロシアだけでなく、国連のヤクザ国家群はみなそうでしょう。舐められぬよう用心し、覚悟を決めて対応すればいいだけです。「自己本位主義(ジャパン・ファースト)」で共産主義国にも米国にも対峙すれば宜しいかと思います。
7.漢民族の出自を分析されていますが、それは習近平に当てつける意義はあっても、いま大陸に現実に住んで中国語を話しシナの古典を共有する人々を相手にこの話をする意味を見いだせないのではないでしょうか。アメリカ人が多民族の坩堝でありながらアメリカ人といえるように、漢族にも異民族が混ざっていても中国人であり、漢民族正統性への疑念は正しいとしても、漢文唐詩宋詞元曲の遺産の価値は変わりません。
渡邊氏の著作は発注しましたが、『以徳報怨』の謀略は存じています。懐かしい言葉です。小学生のときに父親と毎朝冷水摩擦をやりましたが、その時この言葉とともに蒋介石の慣習だったと教わりました。迂闊な引揚者の多くはこの言葉に騙されていたわけです。
黒ユリ様
日中両国の溝は、私も、現政権が崩壊しない限り、埋められないだろうと思います。
福沢諭吉が生きていれば「脱亜論」をこのようにアップデイトしたか、しなかったか。
「シナ人民の精神は我が文明の恩恵を浴したるが故にすでに亜細亜の固陋を脱し我が国とともに西洋の文明に移りたり。速やかに共産主義の陋習を脱却しわが国と共に新しき亜細亜を興すべく我が国と進退を共にすべし。われは心において亜細亜東方の友邦と交誼を深めんとするものなり。」
池田俊二様、再度のコメントありがとうございます。
このコメント欄の趣旨については、前回確認させて頂いた通りで、「私はこう考え、こう思った。」「いやそれは違う。こういう文献やこういう事実もあるよ。」「しかしそれはこうも解釈できるは。」・・・と言ったダイアローグの場であって決着をつける必要はなく、「お前の話は気に入らないから、黙っておれ。」と解されるような文言はこのコメント欄に相応しくないと思われます。 「お前の意見のここは、こういう理由で正しくないと思うよ。」と言ったような対話を期待しています。 国難迫る中で同じ日本を想う者同士でいがみ合う暇はありません。話せば分かるのですから、和を以て勉強させて下さい。
今回の勇真様の「領土について」に、私は対中戦略でのロシアカードについて問いたくてコメントさせて頂きました。もちろん、ロシアの過去の許し難い前科への嫌悪に加え、この複雑な国際環境の中でのロシアカードについて様々な意見があることは承知しています。 迫りくる国難の中で、どうしたら日本が日本らしく生き残って行けるかを考えるうえで、ロシアカードは十分吟味しておくべきかと思います。もっと重要な案件は多いですが・・・・・。
前回の弊コメントで、ロシアカードの可能性の根拠として私が掲げた①~⑥の6項目について、池田様が指摘された疑義についてはある程度予想したものでもあり、別の機会があればさらに書いてみたいと思います。 ただ、一点だけ付け加えさせて頂くならば、S.ハンチントンが1996年の「文明の衝突」の中で提示した次のような予測と欧米のための国際戦略案はある程度信憑性が有り、日本の戦略検討に役立つのではないかと感じています。
西欧文明の住人でそれを保守したいハンチントンは、「西欧文明の普遍化をグローバル化ととらえるとグローバリズムの成功はない。」とした上で、衰退する欧米の反撃?の戦略項目案として、以下のリストを掲げていますが(P.479)、現時点でも通用する点が多いように思います。
・他文明から政策の違いに付け込まれないように、政治経済軍事の統合を拡大調整すること
・EUとNATOに東欧、バルト海沿岸諸国、バルカン諸国などを組み込むこと
・南米を西欧化し、緊密な同盟を結ぶこと
・イスラム諸国と中国文明圏の戦力の発展を抑制すること
・日本が西欧から離れて中国と和解することを遅らせること
・ロシアを正教会の中核国として認めること
・西欧の技術と軍事力の優位を維持すること
・最も重要な点は、西欧が他文明の問題に介入することは、世界の不安定と大衝突を引き起こす最も危険な原因であることを認識すること
つまりハンチントンは、グローバリズムを排して国民主義を是としていて、いずれ世界は西欧文明圏、中華文明圏、ロシア正教会文明圏、イスラム文明圏に収斂すると見ており、それを良しとしているようです。
そこで、日本の戦略目的を、中華圏に飲み込まれないこと、できれば中華版図を20程度の民主国家に分裂させること、だとするならば、またハンチントンの見立てがまさにそのように推移するならば(中華圏の完成を除いて)、日本は欧米、ロシア、イスラムをなんとか糾合して日本のその戦略目的を達成する一つの狭い道があるのではないかと考えた次第です。(実直でハッタリの下手な日本人には荷が重いですが・・・そうも言っていられません、松岡洋右の様な大胆な戦略家外交官がいて、それを邪魔する者を制せればよいのですが・・・どうも先の大戦前の戦略選定岐路と同様な地点に日本はおかれているのかもしれません。)
そういう観点で、トランプ大統領がロシアとの融和を図る姿勢は、ハンチントンの「ロシアを正教会の中核国として認めるべし」との方向にも乗っているのかなと期待していたところ、昨日のシリア空爆で米露融和が遠のいたようで、複雑な気持ちでいます。 所詮、技術屋崩れの浅知恵では国際政治は複雑怪奇、しばらくは黙って見ていようと思います。
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煙草下さいよ~・・とか、謂われたら5本ぐらい呉れてやれ。
酒も奢ってやれ。
下の世代を育てろ。
彼等もいつか気付く。
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勇馬 樣
恐れ入りました。
私は渡邊さんの本で,「『以徳報怨』の謀略」を初めて知り、その後、森元總理大臣が、この語を口にするのを聞いて、著者に報告したところ、「さうでせう」と言はれましたが、「無知はあなただけぢやない」と慰められたやうで、妙な氣がしました。
勇馬さんと私では、知識において、これほどの差があるのですから、話に
ならん!とおつぽり出されてもしかたがないのに、一々お言葉を賜り、感謝に堪へません。お説に反論する能力など勿論なく、またその意志もありませんが、感想を少々。貴文、いつになく難解なので、意味の取り違へなどあるかもしれませんが、惡しからず。
「 お人好しの大和民族に比べ確かにしたたかな民族であることは間違いあ
りません。しかし、それは国際的にみればそれが標準であって、日本人が
特殊なだけです」との仰せには、私も100%同感です。その點での一致が確認できれば、あとは、問題ないのではないでせうか。どこに力點を置く かによつて少しづつ違ひが出、先の結論としては大きな差になるかもしれませんが、これは已むを得ないことででせう。
支那に、我等日本人の想像を絶するやうな惡があることを屡々聞きます
が、私は「支那人性惡説」にまでは至りません。同樣に、共産黨が多くの惡をなしたことを知つてゐますが、それが「諸惡の根源」とまでは「確信」できません。勇馬さんが「確信」されるのは御自由ですが、それ以外による惡も少しはあるかもしれないと考へるのも自由でせう。嘗てのロシアや東歐を見て、共産主義が惡いのは自明だが、それさへなくなれば、全てよくなるといふものでもないななどと、したり顏で申したことがあります。
今の世界がユダヤ(の惡)によつて支配されてゐると考へる人たちがゐて、one world order といふ言葉を使ひます。この人たちに「自分も、もつと勉強が進めば、その説に到るかもしれないが、今のところ、實感をもつて、さう信じることはできない。ユダヤの惡は、舊約その他で多少承知してゐるが、支那にありと聞いてゐる猛烈なる惡が、ユダヤに由來してゐるとはどうしても思へない。ユダヤと關係のない惡もあり得るのではないか。支那には支那特有の惡が」と言ふことにしてゐます。
「立派な日本人が好きなやうに騙されたとお考えなのでしょう。ただ自信が持てないので女史に確認を求めたのではないかと推測します。であれば、確証により確信がもてるまでは『支那人論』の判断を保留にすべきではないでしょうか」とは、勇馬さんのお言葉とも思へません。なにやら、勢ひに驅られて、口走つてゐるやうにも感じられます。もし、靜かにお考へになつても、そのお言葉に變りがないのなら、然るべくお知らせ下さい。
ここではーー「推測」なさるのは御自由ですが、その結果について、こちらは責任を負へませんが、一應お答へします。「分らないことだらけ」なのですから、「自信」など初めから全くなく、ないものの「確認」を求めるべくもなく、女史には講義をお願ひしました。その前提として、私の支那理解はこの程度ですと、恥を忍んで披露したのです。それも、ミーチャンハーチャン相手に語つたことの流用でした。女史からは、私信で終らせるのは勿體ないと襃められましたが。
「確信」がもてるまで「保留」にすべしと言はれたら、私など、死ぬまで一言も發せません。犬養毅が、支那人に騙されたのかも? 私としては、そんなことは斷じて考へたこともなく、口が裂けても申したくないことですが、拙文がさう取られたのなら、不徳・不才のせゐでせう。ただし、そちら樣の讀解力に問題はないか、もう一度だけ、御檢討下さいーーと、役人の議會答辯のやうなことしか申せません。
「黒ユリ様が見聞された文革時代の異常行動、紅衛兵の残虐・・・」については、①共産黨ゆゑの②支那ゆゑの③人間ゆゑの、の三要素が混じつてゐて、①が全てではないと推察します。「確信」ではありません。ただ、日本共産黨の内部抗爭などには、これが日本人のやることかと、身の毛のよだつやうなこともあつたらしく、共産主義特有の殘忍性があることは否定できませんね。レーニンの手段についての教へ以前に、教義そのものと不可分なのでせうか。
「観光地で見かける騒がしい行儀の悪い中国人は不快ですが一方で尋常
な人々が居ることも知るべきです」「明治以降の犬養健以下の極めつきの
立派な日本人、江戸の知識人、遣隋使以来の日本人たちが皆騙されてシ
ナに肩入れしたと推測するよりも、シナには信頼すべき魅力ある人士が多
く存在し、心服させられた中国人が少なからず居たと推測する方が合理的
で自然と思います」にも異論ありません。拙文と矛盾するところがあれば、どう矛盾するのか、お教へ下さい。遣唐使廢止の經緯を調べると、當時の日本人の描いた幻の大きさには驚きますが、騙されたとは思つてゐません。強ひて言ふなら、自分で自分を「騙した」のかもしれませんが。
なほ、2點、質問させて下さい。
①「犬養健」と息子の名を出されたのは、意識されてのことですか。それとも careless mistake? 健も支那に大分入れ込んだやうですね。『揚子江は今も流れている』は發行と同時に買ひました。ところが、殆ど讀まず、一昨年あたりに、讀んでみようかと探したが、見當りませんでした。引つ越しの際になくしたのでせう。父 毅と支那についてなら、少しは聞いてゐますが、健については、almost nothing・・・私の關心・知識はその程度です。
②〇〇訪中團といふものを、無數に見て來ました。文化人、新聞記者、政治家、實業家・・・その他ありとあらゆる職種の人々が出かけ、その歸朝談の秀逸なりしこと!いま思ひ出しても腹の皮がよぢれます。そのうち、あれは向うの掌で踊つたと思はれるものに限りますが、踊らせ方が上手だつたのは、共産黨だから? 支那だから? どちらの要素が強いのでせう。また、左翼時代の勇馬さんは、それをどう見てをられたのですか。「小沢や二階などの」「叩頭外交」はなぜ「唾棄すべき」なのですか。中國共産黨に騙されてゐるからですか。それとも、こちらに國内政治上の、不純な思惑があるからですか。
「『親疏で決めるのなら、私はロシアに對する日支同盟を斷乎主張します』のであれば、西欧に対する日支連携を主張することになりませんか』ーー勿論、必ずさうなります。だから、どうだとおつしやるのでせうか。私は同文同種といつたことに捉はれてはいけないと考へてゐて、さういふ「親疏」で、ことを決めるべきだと考へたことも、言つたこともありませんが?
そこに「天心が『アジアはひとつ』と言ったのを思い出します」がどう繋がるのかも、さつぱり理解できません。ただ、思ひ出されただけで、論旨とは關係ないのですか。でも、折角ですから、この言葉について、論旨と無關係のことを少々。
今から60年近く前でせうか、「現在は、日本は『アジアの孤兒』なのです。さうなる心配ではない、現實にさうなのです」といつた人(誰なのか、勇馬さんならお分りでせう)がゐます。當時、「日本はアジアの孤兒になるな」といふスローガンがあつたのに對する皮肉です。「『アジアはひとつ』といふ考へ方は、『ヨーロッパはひとつ』といふ事實ほど、私にはぴんときません。どこかむりなところがあります。ヨーロッパの場合は歴史にささへられた事實ですが、アジアの場合は強ひられた觀念、あるひは願望にすぎません。アジアがひとつだつた歴史はないのです。すなはち、ヨーロッパがひとつだといふ事實にたいして、その對抗上の觀念としてもちだされたものであり、その發生において、すでにヨーロッパがひとつであることを前提としてゐるのです」とつづき、私には感銘の深い言葉です。最近、EUの搖らぎを見ても、思ひ出します。
「蒋介石らの邪悪な中国人にのみ焦点を当ててその悪さを誇張すれば、逆を彼らにやられ永遠に袂を分かつことになります。公平に見て日本人も皆好い人間ばかりではありません。中国人庶民も基本的に善良というのが私が90年代に旅行したときの印象で、共産主義を捨てさせ反日教育を洗浄・解毒すれば、提携しうる国になるとかもしれません。確かにそれは現時点では仮定や夢想の類いでしかありませんが、将来の世代にはそのように申し送るべきではないでしょうか」ーーこれにも、大きな異論はありません。強ひて言へば、「逆を彼らにやられ」ることを恐れるべきではないと思ひますし、「洗淨・解毒」といつた言葉は、いかにも、御出身の左翼・全體主義の香が強く、私には肌が合ひませんし、申し送りには「不用意に進めて失敗したこともあるので呉々も注意深く」と附言したいところですが。
「『こちらがバズーカ砲を突付け、いつでも引き金を引くぞといふ態勢』をとれば領土交渉に耳を貸し始めるであろうロシアだけでなく、国連のヤクザ国家群はみなそうでしょう。舐められぬよう用心し、覚悟を決めて対応すればいいだけです。『自己本位主義(ジャパン・ファースト)』で共産主義国にも米国にも対峙すれば宜しいかと思います」ーー私は支那に對する態勢を言つたのですが、勿論、それは、米露を含めた「ヤクザ國家群」すべてに適用されませう。貴論に全面的に贊成します。
「漢民族の出自を分析されていますが、それは①習近平に当てつける意義はあっても、②いま大陸に現実に住んで中国語を話しシナの古典を共有する人々を相手にこ
の話をする意味を見いだせないのではないでしょうか。③アメリカ人が多民族の坩堝でありながらアメリカ人といえるように、漢族にも異民族が混ざっていても中国人であり、④漢民族正統性への疑念は正しいとしても、⑤漢文唐詩宋詞元曲の遺産の価値は変わりません」は、私には理解しにくい文章です。
①はどういふ意味でせうか。習さんの言ふ「中華民族」が存在しないといふことの論證とまではいかないが、水をさすくらゐの意義はあるといつた程度のことでせうか。とすると、「當て付ける」といふ言葉はあまり適切でないやうに思はれますが、如何でせう。
②なぜ「意味を見いだせない」のですか。向うの「人々を相手にこの話を」した經驗はありません(附合ひがないので)が、日本人や歐米人相手には恰好の話題になります。
アメリカ人(自らの出自をアングロ・サクソンと稱してゐました)と英語・日本語の教へつこを10年以上續けましたが、一番頻繁に話したテーマはこれでした。屡々出かけた、ロンドンやダブリンのパブでも、この話だけで、ずゐぶん盛上がりました。日本だつて、色々な民族・人種が流れ込んできたが、支那とは度(數)が違ふ。數の違ひは質の違ひに轉じる。いまの民族性の違ひは、そのせゐで生じた。日本國内でも、たとへば青
森辯と鹿兒島辯とは互ひに通じないほど違ふが、仔細に調べれば、基本は同じだ。支那ではさうではないらしい。言語組織そのものが違ふとしか考へられない、五つか六つの言葉が一括りに支那語とされてゐるやうだ。英語・ドイツ語・フランス語の違ひ以上の差があるが、漢字が共通なので、文字で意味が通じ、バラバラにならずに濟んでゐる。日本に這入つてきた漢字音も、もとの地域と時代によつて、大きく違ふ。ーーこの程度のことを、こちらが語れば、あとはまづ話がとぎれることはありません。相手は、自らの出自や周邊のことを、熱意をもつて語ります。私の英會話力には、ずゐぶん役に立ちました。ただし、相手が夢中になり過ぎて、こちらの能力について顧慮してくれず、さつぱり理解できないほど早口になつてしまひ、匙を投げたこともありましたが。その經驗からして、支那人にだけ、この話が通じないとは思はれません。
③④には異論ありませんが、それがどう⑤に繋がるのか、なぜ、⑤の前が「としても、」なのか分りません。
以上が貴文についての「感想」です。
以前、貴台が左翼出身らしく、策に富んでをられることに敬意を表しました。その思ひは今も變りません。ただ、元左翼らしくない、平明な文章を書かれるので、私などにも理解しやすいと親しみを感じてゐましたが、今囘は調子が違つて、意味の取れないことが多くて、難儀だつたことを、率直に申上げておきます。左翼出身者は急に態度を變へることがあるから注意しろと言はれたことも思ひ出しました。
樂秋庵主 樣
「ロシアカードの可能性の根拠として私が掲げた①~⑥の6項目について、池田様が指摘された疑義についてはある程度予想したものでもあり、別の機会があればさらに書いてみたいと思います」 は、御自由ですが、私自身は、二度も書いたとほり、その議論に參加する資格がありませんので、私にはお構ひなく。
「トランプ大統領がロシアとの融和を図る姿勢は、ハンチントンの『ロシアを正教会の中核国として認めるべし』との方向にも乗っているのかなと期待していたところ、昨日のシリア空爆で米露融和が遠のいたようで、複雑な気持ちでいます」ーー私とは正反對ですね。私も「融和を圖る姿勢」を思ひましたが、それは、さうなることを心配したのです。
オバマは、あんなにアサドを非難したのに、口だけで、それに見合ふ手だしをせず、アサド支持のプーチンのほぼ完勝だつた。それが、プーチンと氣が合ふとかされるトランプに引き繼がれてどうなるのだらうと、暗い見通しでゐましたが、空爆でスカッとしました。
ハンチントンがどう言つたかは存じませんが、米露融和と米中融和は、私の最も惡むものです。勇馬さんの「ジャパン・ファースト」に私は贊成で、そのために、なんとか離反をと願ひつづけてゐます。
テレビで、そのニュースをやつてゐる時、『西尾幹二全集』(第20卷)が屆きました。もちろん、偶然ですが。トランプさん、なかなかやるな、やつぱり!と今は喜んでゐます。先がどうなるのかは分りませんが。
返信
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北朝鮮の脅威は、薬物兵器のみ。
混入物、
普段の食事飲食口にする物に留意せよ。
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池田様
浅知恵と無知の馬脚が現れてしまったようです。
前回コメントを投稿した後、言い過ぎたのではないかと思い返しましたが、この文章を拝読して、やはり池田様の胸を借りてよかったと思います。このあたりからはこの場ではなく私信に切り替えるべきかもしれませんが、池田様意見への誤解に基づく決め付けの非礼を犯したことを御詫びし、塾生でもなくどこの馬の骨かわからぬ者の拙文を丹念にお読み頂いた上、種々ご教示を賜り、蒙を啓いて頂いたことへの御礼までは公開したい、問いにも答えねばと思い、暫くこの場をお借りします。
前の拙稿は、中国人の「国民性に関する一般論」と日本の今後執るべき「対支政策論」の二つを軽率にも混同し一緒に論じています。ダブルミスであったと思います。
対支外交政策に関しては、共産党一党独裁軍国主義国家である限り、打倒すべきで、連携すべきでない、しかし言論の自由のある民主主義国に生まれ変われば連携の余地がでてくると考えますが、これとても所詮は素人の議論で、正確な情報は外務省や国防省が握っていて、何十年後かの情報公開で国民に真贋が判明するもののようです。「蒋介石の密使・辻正信」でもCIA調査ファイルが出たことで辻が国民党に雇用された対日諜報部員だったことが暴露されたのが平成17年だったとされています(但しこのCIA情報の信憑性を検証しておらず、裏付けのいくつかも渡辺氏の推測にすぎないようですが)。
楽秋庵様の引用したハンチントンの言葉、「欧米の復権戦略の一つに、日本が西欧から離れて中国と和解することを遅らせること」があることに注目しました。
中国人論に関しても、私如きが議論を展開する資格は始めから無かったのですが、現在の中華人民共和国の遣り口を憎むあまり中国人まで悪であると認定するとしたら間違いだろうという程度です。私の、「日本人たちが皆騙されてシナに肩入れしたと推測するよりも、シナには信頼すべき魅力ある人士が多く存在し、心服させられた中国人が少なからず居たと推測する方が合理的で自然と思います」にもご異論なく、「共産主義を捨てさせ反日教育を洗浄・解毒すれば、提携しうる国になるとかもしれません。確かにそれは現時点では仮定や夢想の類いでしかありませんが、将来の世代にはそのように申し送るべきではないでしょうか」にも、条件付きですが、ご異論はないとお書きになっていますので安堵しました。
赤ん坊を日本兵が銃劍で突き刺したというデマのネタが資治通鑑だったとは知りませんでした。これは私の断片的知識の一つに過ぎませんが、9世紀に書かれた円仁の在唐日記(巡礼行記)にも、「長安の人は人を食う。兵士は人を斬り終わるごとに目をくりぬいて目の肉を食う」とか、皇帝の残虐行為なども記録されています。例えば今これらのことを拾い集めて中国や韓国の国民性を論じる傾向がありますが、そのような議論は不毛だと思っています。天心の『アジアはひとつ』を突然引用したのは、私の気持ちの根底に、韓国、中国の人間に対する親近感を拭えず、理想論として、日中韓の3国連携がアジアの中核となって世界と対峙する考えを捨てきれません。同文同種だとか中国崇拝によるのではなく、又中国の「悪」をよく認識した上で協調することはできるのではないか。「ジャパンファーストの歴史観が言論界の一角に初めて立ち現われ、一定数の有力な知識人の賛同を得て、わが国の歴史を500年遡って世界史の中に位置づけ考察するものの考え方が初めておぼろげながら姿と形を表わした」と西尾先生が述べておられますが、このような歴史認識を日本人が共通できれば、これこそが楽秋庵様の期待するグローバリズム対抗の思想的フレームワークであり、それがアジアに広がり、日本主導の一つのアジア形成も夢ではなくなるのではないでしょうか。
私はやはり共産主義という魔物のイデオロギーが人間を変えると考えます。勿論、実証はできませんが、多くの事例からそう類推することができ、その本質は昭和43年の三島由紀夫の「反革命宣言」にあるごとく、「共産主義者はその国の文化、歴史、伝統を含む一切の社会秩序を転覆し、かけがえのない現在を革命への過程たらしめる」ゆえに必然的に全体主義化して、言論弾圧、強制収容、拷問、虐殺など非人間的行為を平然と行ってきましたし、「洗淨・解毒」は云い過ぎとしても、その桎梏から「解放」すれば堅気の真人間に戻れると思われます。
ご質問ですが、①「犬養健」はcareless mistakeで、毅の誤りでした。お詫びして訂正します。 ②訪中團の問題については曽野綾子さんも思い出を書いていますが、すべて共産党が御膳立てし抱き込んだことが今では知られております。殆どが踊らされていたことを、テルケルの情報その他からこの数年で知った次第です。当時はあまり関心も無く、文革でさえ殆ど実情を知りませんでした。叩頭外交を唾棄すべきと考えるのは、日中友好も共産黨の仕組んだ罠(これもテルケル情報に負っています)に乗せられたもの、彼らの騙される愚かさからでもあり、選挙区へ見せびらかし票にしようとする醜さと、國内の親中勢力に阿るからであり、工作の手先になるという政治上の不純な思惑を嗅ぎ取るからです。
習近平に「当てつける意義はあっても」は不適切でした。偉大な復興などという「中華民族」は存在しないといふ論証にはなるとおもいますし、全ての中国人はこの話を知るべきと思います。ただ、いま大陸に現実に住んで、北京官話を共通語とする人々のまとまりは「中国人」として一括でき、かれらの先祖が漢文唐詩宋詞元曲の文化遺産を漢字を使って残していますので、漢も唐も元も純粋の漢民族でないという出自を持ち出しても、その限りで、余り意味がないと思われます。
なお1年近く前に、左翼出身ではないかとの正面からのお尋ねに、「策と智慧に滿ちてゐる元左翼との推量も半分は御からかい半分は過分の買い被りと受け取りました。国立大学法学部で学べばみな左傾化します。天皇制は民主主義に反するなどと言い始め、そのまま社会人となり世界を知って漸く目覚めた迂闊な一介のサラリーマンに過ぎません」と答えたのが誤解を呼んだようです。左傾というのは語弊で、高校時代に林房雄の「大東亜戦争肯定論」を読み、大学時代には三島事件に共鳴し、周囲から顰蹙を買いました。ノンポリであり左翼系組織に属したことは一度もなく、従って転向でもありません。仕事が立て込んできましたので暫くブログから離れます。
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人種は問わない
義理や人情を保つ人は
貴方の味方。
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勇馬 樣
仰せ、すべて拜承致しました。
貴台の隣國に對する思ひについての sensitiveness を、
當方が缺いたことを反省しました。お詫び申上げます。
いい勉強になりました。御禮申上げます。
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人は旅をする
誰が何処を目指しても
不思議ではない。
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世界情勢だとかどうでもいい
金や米が絶たれれば揺らぐ足元だからよ
*
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朝鮮半島の
南北の融和路線は、
諸国から外貨を巻き上げる為の策謀だな!!
そもそも、南は北に資金を融通していたな?
*
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日本軍が好んだ闘い方は、
夜襲で相手を削ったのだろう。
良く分かる、シンプルで嵌る。
*
。
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愛子さまが、産んだ男子を
世継ぎに立てれば筋が通るだろ?
*
。
いえ、通らないとおもいますよ。