歴史が痛い

―坦々塾秋季研修会 西尾幹二先生 御講話(文章化 阿由葉 秀峰)―
日時:平成二十九年十月一日(日) 十三時半~

 国会の中で、民族の生存を懸けたような議論が湧き起こらなければおかしい国際状況です。しかし突然、総選挙ということになり、バカバカしい話ですけれども、表に出て来る言論から、にわかに戦争とか軍事とかに関わる言葉がふぅーっと霞の様に消えてゆきました。それはどの党もなるべく触れないようにしている。面白いですね。ほんの一寸でもきなくさいことに触れると投票に影響すると思うのでしょうか。ですから知らん顔をして、憲法のこともだんだんあまり言わなくなる。関係のないことばかり言って、加計、森友がどうだとか、くだらぬことばかり言っている。どっちにしてもそういう状況です。『正論』十一月号の私と高市早苗さんとの対談で、高市さんが面白い発言をされています。

 

若い頃に、国際政治の鉄則は「ネバー・セイ・ネバー」つまり、「何でも起き得る」ということです。ところが、国会議員になって驚いたことは、「起きてほしくないことは起きない」という前提で議論している方々(説明:長老議員)がおられることでした。例えば私が若手議員だった頃、「首相官邸や原子力発電所など重要施設の警護は、自衛隊が担うべきだ」と主張しましたところ、ある重鎮議員から、「国民に銃を向けるのか!」と怒鳴られ、また、二〇〇三年にイラク戦争が勃発する直前、経済産業副大臣だった私は、官邸で行われた副大臣会議の場で「どう考えても数日内にアメリカは爆撃を始めると思うので、各省庁が初動で対応すべきことを情報共有しておきたい」と提案しました。しかしこの時も「平和のための外交努力が行われている最中に、官邸内で戦争が起きる前提で議論がされたことが公になると大変なので、今の発言はなかったことにしよう」ということになってしまいました。
『正論』(二〇一七年十一月号)

 もうとにかく非現実もいいところですが、今も日本はまだそういう状態になったままですよ。それが言いたいわけですね。本当はまさに論じなければならないテーマを皆が逃げちゃって、この長老議員と同じようなムードで選挙戦が行われているのではないでしょうか。そこのところをどのくらい国民が自覚して意識しているかどうかというのが、今日とり上げたいテーマです。折しもそこへまた「タヌキとキツネの騙し合い」みたいな女性が飛び出してきて、妙なことを言い出しているために皆関心がそっちに行っちゃっていると思います。その話は本日のテーマではありませんし、雌ダヌキに騙されたくないのでこれ以上は言いません。

 一番の問題は、ポイントだけ言います。世界の中で、欧州、アメリカその他、いわゆる先進工業国ではどこでも、既成の政権の右側に保守批判の今までの体制を批判するナショナルな主張が沸き起こっていて、中途半端な言論に対して集団的な勢力、声が沸き起こっている。ヨーロッパの場合は特に激しく、フランスのルペンの国民戦線を代表に、ドイツのAfD、イギリスの独立党、オランダとオーストリアの自由党、それからイタリアの北部同盟など、欧州議会の中にいわゆる連合みたいな共同戦線を作っておりまして、それなりにヨーロッパ全体での諸問題に対するアンチ保守政権の勢力が、著しいパワーを発揮しています。

 もちろんもう一つ付け加えておくとトランプ大統領が、一足早く同様の行動を成功させて、共和党の既成の政党路線から一歩も二歩も外れた主張を展開しています。しかも最初の主張を止めない。この「止めない」というのが凄いと思って見ているわけですが、アメリカでは上からの革命が起こっているように見えます。それに対して下からの革命というと変ですが、南北戦争の銅像を引き摺り降ろすような過激なテロリズムの行動があって、それに対して、トランプさんはまた「No!」という怒りの声を上げる。アメリカは荒々しい昔の時代に再び戻っているかのような、そんな印象を持ちます。それはアメリカはまた本源のヨーロッパから別れて、アメリカが出来た頃のあの時代、あの荒々しい時代にまた戻ろうとしているのでしょうか。少なくともそこに戻らないと決着がつかないというような空気を感じます。ですから、トランプのやっていることは一種の上からの革命と思ったらいいのでしょう。そういうことが起こっております。

 話を元に戻すとヨーロッパやアメリカのこうした状態に対して、何度も言っているように日本は寂として声が無い。本当はあるはずなんですよね。あるから雌ダヌキが何か言い出した内容をよく見ていると、「保守」という言葉を頻りに言う。それから、左の民進党の勢力を「排除」すると言っているのは一種のイデオロギー宣言と言っても良いわけで、これは望ましい方向だと思いますが、しかしそれが徹底しないのですね。徹底しないのは、憲法九条に踏み込むのは反対で、第八章の「地方自治」に手を付けるとか何とか、何を言っているのだろう、と思う様な及び腰でもあります。つまり保守と言っておきながら肝心要のことは逸らすという、それでいて時々ギョッとするようなことを言うのですね、あの女の人はね。

 例えば、加藤康男さんの本『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』(平成二十六年刊 WAC BUNKO)、あの大発言を読んでるんだね。ああいうものを。読んでしかも影響を受けているとみていい。素直な心で読んでいる証拠ですね。彼女の口からそれがポロッと出ちゃったのは、色々ご議論があるようですから、という言い方で朝鮮人虐殺の追悼式に対して、今年は都知事としての追悼文は出さないと言い出したのです。そういう素直な心を持っていたら救いがあると思いますけれど、しかし忽(たちま)ち九条には手を付けないなんて言い出すから訳が分からない。とにかく徹底しないんですよ。意図的に保守の外から保守を、右側から批判するというパワーの結集がこれほど諸外国では烈しいのに、日本には無い。無いわけではないんですよ。無いわけではないのは、「新しい歴史教科書をつくる会」から始まって、「チャンネル桜」に到るまで、そういう声が今までにも約二十年間かなり有効に働いてきているし、皆さんの今日のこの活動もその内の一環だろうと思うわけです。しかし、危険だからこれ以上のことは出来ないと思っている。まぁそういうことかもしれません。でも無いわけではない。二十年前には盛り上ったのに、この強い新たな規制の環境はどこから出て来るのか。

 考えてみますと、ドイツの場合はとても滑稽なことが行われているようですね。ドイツはご承知のようにAfD、「ドイツのための選択」という名前ですが、変な名前の政党が出てきて、これは東ヨーロッパ系と考えて良いと思いますが、理由は「反ソ」なんですね。その理由は、ドイツも含めて西ヨーロッパに民主主義の「ソ連化」とでもいうような思想が拡がっていて、これがシステム化した全体主義、ソフトファシズム、つまり我々が呼んでいる左翼リベラリズムの正体ですけれど、それが鮮明な姿を現していて、異常なくらいドイツのメルケル政権を覆っているように思えます。

 現地に住んでいる人の話は面白いもので、このあいだ少し聞いたのですが、非常に滑稽なことが起こっているようです。あぁ、こういうことなのかと思って聞いたことがある。具体的な話の方がずっと面白い。今回十三パーセントをAfDが取りまして、これは連邦議会に八十人から九十人送り込むことになる数字なので、驚くべきことなんですよ。今までは五パーセント条項というものがあって、ナチスを防ぐために四・九パーセントまで取っていた右の政党があっても一人も国会議員にはなれなかったのですが、いっぺんに九十人くらいの右派系の議員が誕生する。議会が恐るべきAfDが出現するということになって、現実の問題になってしまったわけです。どんなバカバカしいことが起こっているかというと、「議会の座席で私は彼らの隣に座るのは嫌だ。」。座席ですよ。AfDの隣に並ぶのが嫌だっていうんですよ。汚らしいということでしょう。これ子供、幼稚園児みたいなことでしょう。こんなバカらしいことがドイツで起こっているんです。それからもう一つは、事柄を決めるのは、議会の中の最長老が最初の司会者になるという、言わば年長者が座長になるという取り決めがあったのですが、そうするとAfDの議員が最長老になる所がいっぱい出てきて、それが嫌だというために急遽会議を開いて、その取り決めを取り消すという、そういう子供っぽいことをやっている。

 それはでも、同じことが日本のメディアにも起こっていますね。具体的には例えば「産経虐め」ですよ。それから保守言論を「正論」「WiLL」「Hanada」の三誌に閉じ込めちゃうというマスメディアの戦略ですね。「チャンネル桜」に出た人は普通のテレビには登用しない。しかし、これでは若い人が遣りにくくなっているだろうと同情していたら、インターネットが出現したためにそんなこと、新聞だテレビだなんて、どうでもよくなってきた。新しい自由の領域が広がったために「保守のための保守の戦い」はずうっと遣り易くなってきている、というのが今の実態で、それがどういうことになるかはまだ決着していない。日本の場合は無自覚で、フワフワ~ッとした状況で誤魔化しているからさらに分りにくい。しかしドイツのような事態が出現したら日本ではどうなるのか。なぜそういうことが日本でははっきりした形をとらないのか。ドイツあるいはフランス、イギリス、オランダ、カナダでも・・・、どこの国でも起こっているグローバリズムに反対する政治勢力が顕在化しないという日本の現実はどこから来たのか、この話を纏めますので、そこから先は皆さんご自分で考えていただきたいのです。

 理由ははっきりしていると思います。第二次世界大戦が終わったあとで、自由民主党がどうして生まれたかというと、占領軍アメリカによって公認された政権として、言わば権力を委託された政党、外国に権力を委託された政党だとして始まったんですよね。それを「宣撫工作」といいます。こういう言葉は普通に使われていたのですが、今は皆さんあまり見ないでしょう。私たちは子供の時からよく見ていました。つまり「宣撫工作」というのは、被占領地域に占領軍が宣伝で宥(なだ)めて、人心を治めて占領政策を潤滑ならしめるというための工作です。もちろんそれはGHQによる沢山の威嚇の上で行われました。それから寧ろおだてて育てる・・・。そのおだてて育てる一つが自由民主党です。それでずーっと来ちゃってるんですよ。一度も自己変革をしないで、疑わないで、アメリカのほうはもうそんなこと忘れてますよ。

 どういうことが基本にあったかとかというと、自由民主党がアメリカから指令されたことは、「反共防波堤」であれ、ということで、反共の砦であればそれでよく、それ以上のものである必要はなく、むしろあってはならない。忠実に我が自由民主党は左翼とは戦ったわけです。例えば六〇年安保、七〇年安保を含めて日米安保条約はアメリカにとっても日本を抑える切り札でしたからね。それから一番の戦いの象徴は社会党が一六〇名を頂点に議席を増やすことが出来なかった。社会党はそれが一番多かったでしょう。つまり社会党はソ連勢力であるためです。国際共産主義勢力に加担している党だ。それを抑えればいいのだから。同時に自由民主党は保守合同を成し遂げて以降、たった一人の脱党者も出してはいけない。数が大事ですから。
 
 だから自民党でバラバラになることはなかったのですね。それは反共防波堤の役目ですから、大人しく役割を忠実に守って、しかし意見の相違はいろいろあったわけですね。それは派閥になったわけですが、ところが派閥がイデオロギーで分けられていなかった。派閥は完全な人間の彩で分けられたものでしたから、多少左っぽい、多少右っぽいなんていうのは我々も知っているんですけれど、派閥はすべからく思想で区別されていなかった。しかもいけないことに、自民党の一党独裁が毀れた時が丁度、雌ダヌキが「日本新党」で味を占めた時であって、彼女にはあの思い出があるんですね。あれとこの間の都議会選挙で「受け皿」となって、自民党をあっという間に圧倒したという二つの記憶があまりにも鮮明であるために、全部それで巧くいくと思って、今でもいるし、だからあの時の小沢一郎を引き込んだり、細川護熙に声をかけたりしていますね。彼女の頭の中は全部あの時代の記憶だという事が分かります。

 一番いけないことはあの時、自民党が社会党と手を切ったときですが、イデオロギーではっきり分かれて分裂すればよかったのに、そうならないで私の記憶では竹下派の人脈で別れたんだよね。竹下派の人脈で党が幾つかに分かれたりしたんですよ。だから松原仁のような人が民主党に入っちゃてるし、西村慎吾も民主党に入ってたじゃないですか。民主党に本来在るべからざる人たちがたくさん入っていたじゃないですか。自民党にも本来左の人がたくさん入っちゃってる・・・。そういう構造のままずーっと来て動きがとれなくなっているというのが、宣撫工作を曖昧にして無自覚に不鮮明にしてきた付けの一つで、この後何度も選挙があるので、改変されるべきなのですがそうならない。イデオロギーには触れない。対立、対決はしない。そういうことでずうっと来た結果に振り回されている。

 それがゆえに今何が起こっているか、つまり保守を正当に政党として政治的に国民の立場から批判するという声が育たない。育たないどころか、そうしない感情を温存させてきていて、国民はそれが政治だと思い込んでいる。そのために欲求不満だけ国民の中に強いので、自民党に対してだんだん失望感が強くなっていて、そんなことを言っているうちにあっという間に、空襲警戒警報が出て、その訓練までさせられて、冗談じゃないよと、何もしっかりした防衛策もとらないし、やれ憲法九条の二項を削除するなんてことすら出来ないで、変なことを総理がやっているような事態で、常識はずれなことを続けていたくせに、いきなり空襲警戒警報で子供たちを机の下に座らせて、年寄りは皆思い出して嗤ってますよ。このバカバカしさというものが日本の不幸と言えば不幸ですが・・・。したがって自民党に対する不安、頼りなさ、ある種の厭わしさ、自民党に対して俺たちの首を絞め続けていくのではないかという、あまりはっきりしないけれど漠然とした嫌悪感。そういうものが漲(みなぎ)り始めていて、本当はチャンスさえあれば・・・、本当に、だからどの人たちも投票に行くのであれば仕方がないや・・・、という気持ちで行くわけで。今度は恐らく投票率が低いと私は思いますが、予言はしませんが雌ダヌキは失敗するでしょうね。そして安倍再選で花田さんが大喜びすると・・・。(笑)バカバカしい事態が訪れるだろうと。

 その先を私は花田さんに言ってるんだけど。そんなことを言ってるんじゃないんだよと。花田さんの雑誌がやっているチンドン屋みたいな表紙、あれは本当に凄い単語を並べて毎回ビックリするような、目を欺くのですが、今月(十一月号)も「腹上死」なんて言葉を表紙に使ってるね。(笑)もう下品の下で、あそこまでくると言論雑誌とは到底言えないと思います。でもそれが売れる。一方でそれが売れるけど、一方で失望している人も沢山いるはずです。失望してる人が即、私の本を買ってくれたり宮本雅史さんの本(『爆買いされる日本の領土』角川新書等)を買ってくれたりすれば良いんだけど、そうは必ずしもいかないというのが世の中の常で。(笑)

 もう一つ一番大事な話があって、なぜ右から烈しい感情が沸き立たないかという事の中で恐るべきことが進行しているわけですよ。それは私が『保守の真贋』(徳間書店)にも書いたように、歴史とニヒリズムということををチラと言いましたが、私たちはどんどん歴史を失ってますよね。どういうことかと具体的にいえば、皆さん世界中どこの国へ行っても同じようになってしまって、例えばファッションなんか、若い男女の着ているものがパリへ行ってもモスクワへ行っても東京と同じなんだよね。世界中皆そうなっていて、それが当たり前だと思っている。国境を越えても何も変わらない。それから今年も来年も同じことが繰り返されるだけで、時間が過ぎても目的が見えない。そのために『応仁の乱』なんて本が流行るのは、目的の見えない闇の中での戦乱が今日に非常に似ているという・・・、無目標の、そして何のために争うのか分からない。分からないからむしろ大変苦痛ですよね。目的さえはっきりすれば良いのですから。それは歴史の喪失なのですが・・・。私が最近得た歴史の喪失は皇室の問題です。言っておきますが私の発言ではありませんからね。これから読み上げます。

   旧皇族、旧華族のなかから眞子さまのご婚約について賛否両論が沸きあがった。旧皇族の一人は、「昨今、晩婚化が進んでしまって、二〇代での結婚は一般の社会でも少なくなっている。そのため少子化が進み、社会の活力が欠けてきている。皇室が率先して若いうちに結婚し幸せな家庭を築くことは、大変望ましいことではないか」と語った。
その一方で、手放しで喜んでいいのかという声が聞こえてくる。
別の旧皇族関係者が語る。
   「小室家は今後、皇室とゆかりのある家柄になる。ましてや秋篠宮家の悠仁親王殿下が天皇陛下に即位される場合は、天皇の義兄となる。その家系で父や祖父の死因がはっきりしないというのは、非常に大きな問題だ。本人が好きだからとはいえ、なぜそのような人との結婚を許すのだろうか、今後を懸念している」(説明:この件はご承知ですね。お父さんも、お爺さんも自殺しているということですよ。メディアがすでに伝えていて、知っている人はみな知っています。)
   これらの懸念は、皇室記者にも当然のことだが、ある。しかし、婚約記者会見の質問には、宮内庁からいくつかの注文がついたという。
   ベテラン記者が語る。
   「小室さんに関しては、親族が自殺したとか、あるいはよからぬ集団との係わりが噂されている。(説明:よく分かりません。ここにそう書かれているので読み上げておきます。)そのため、質問でも小室さんの家族についての質問は出なかった」(説明:封じられたわけです。質問しちゃいけないって。)
   それだけではなかった。宮内庁は事前に皇室記者に聞き取り調査したともいわれる。その結果、NGとなった質問に、こういうものがあった。
   「小室さんの将来の夢」(説明:夢も言ってはいけないらしかった。)
   「理想の家庭像と父親・母親像」(説明:これも聞いちゃいけないと言わ                                  れた言葉らしいですね。)
   「お父さんがいたとすれば、どのようなことをおっしゃったでしょう」
   「天皇陛下に会われたときの印象」(説明:天皇陛下はお爺様ですからね。)
   このほか、宗教に関する質問とか、「父親や祖父を連想させるような質問」などもほとんどNGになった。(中略)
   小室氏がこれらに関連して会見で語ったのは次の2か所くらいだった。
   「いつも自然体で和やかな家庭を築いていきたいと思います」(理想の家庭像を聞かれて)(中略)
   これでは旧皇族や旧華族が心配するのも無理はない。
『THEMIS』(二〇一七年十月号)

「旧皇族や旧華族が心配してる」だけじゃないですよ。我々国民がものすごく心配しますよ、こんなことは・・・。いくら好きな人だとか愛しているとか言っても、事柄が違うじゃないですか。私は心配を通り越して悲しかった。何ともいいようもなく悲しく、かつ苛立たしかった。もうこの国はダメなのかなァ、取り返しつかないほど壊れてしまったのかなァ、と思いました。

 映画『ローマの休日』ですが・・・、いきなりとんでもないことを言い出すとまたびっくりさせるかもしれませんが。(笑)『ローマの休日』でグレゴリー・ペック演じるアメリカ人新聞記者とオードリー・ヘップバーンが扮するヨーロッパ某国の王女様が、お忍びのローマの出会いがあって、そしてお忍びのデートがあって、それが映画の夢物語であります。しかし初めは王女様と知らなかったけれども、グレゴリー・ペックの方がそれを知るわけですね。それで最後は身分の違いを悟って、「サヨナラ」と言って別れる。ヨーロッパですよ・・・。まぁ、何十年も前の話と思われるかもしれませんが、ヨーロッパだって今でもそうだと思いますよ。

 私の留学時代に同じゼミに「プリンツ」つまり、“Herr. Prinz ”と皆が呼ぶ大学院生がいました。ミスター・プリンスということですが、ハプスブルク家のなんとか家のなんとか、ということで、聞いたけどよく憶えていませんが・・・、でも財産はちゃんと継承してるんだね。素敵な人でしたが、同級生がやはり一目置いていて、そういう人の結婚の話も話題に上ったこともあったようですが、私もあまり関心がありませんでしたから詳しくは聞いていませんが、でも結婚のことは大変で、大変というのは「簡単な人とは結婚できないから大変だ」というようなことを、チラッと言っていたことを憶えています。

 もういいですね・・・。歴史が私を苦しめるのです。こんなはずじゃなかった。歴史が堅牢な国では起こりようがない。私たちの国の歴史はどうなっちゃうの。歴史が遠くなるとか、歴史が私達を苦しめるとか、私達に対して絶望感を与えるとかというのは、古い建物が壊れたり、古い樹木が伐られたりするときも痛いですよね。古い言葉が使われなくなるのも辛いです。さっき土地の話が出ましたが、今日は素晴らしいお話(宮本雅史氏の講演)を頂きましたが、「領土」ではなくて「国土」なんですよ。領土観ではなく国土観の概念が領土観の上になければいけないんです。国土の一つが壊れるから辛いのです。私達は美しい国土に恵まれている、しかし狭くて地震も多いのです。そういう国土が毀損されるのは厭なのですよね。同様に緑の樹が伐られたり田畑が荒らされるのは厭なのです。あの緑のふさふさした水田がいつまでも美しい水田であって欲しいのです。瑞穂の国なのですね。そういう美しい自然と風土というものを私達は大事にしてるから、それが破壊されること自体が苦痛なのです。歴史にたいする思いも同じなのですよ。

 今日の秋篠宮家の話は秋篠宮殿下に訴えたいですよね。「どうなさったのですか」と・・・。「ご自分の娘さんのことだけなんですか、お考えになるのは、国民のことはお考えにならないのですか。」陛下にも言いたいですね。「畏れながら、どうなさったのですかと、お孫さんのことだけでおよろしいのですか。ずうっと進歩的と称されていたい天皇なんですか」と・・。そうお尋ね申し上げたいですね。しかしこの思いを実際には具体的にどこへ向けたらいいのでしょう。嗚呼。

 (ここから先はNGにするかもしれませんが)韓国が今、悠然としているそうですよ。どんなことを言ったって日本人はもうダメだ。天皇が韓国に来て謝るんだ、と。そして地べたに頭を付けて謝るんだ、謝らせるんだ、と。そういうことが起こるから日本人は何をやったってもうダメなんだよと・・・。歴史研究をして韓国に反論しようとお前たちは今データを集めているそうだが、そんなことをしたってもうダメなんだよ。そう言ってるそうです。そうなったら全て天地がひっくり返っちゃうんだ、と。しかし治安状態のこんなに酷い、明日有事になる可能性のあるところに外務省が如何に愚かでも陛下を出すとは思えません。それにしても、そのいう噂を韓国人が胸を張って言うそうですから。

 じつはこれは、私が今加わっている産業遺産国民会議の猛烈な鍔迫り合いの最中に日本人幹部の耳に入ったことばです。間もなく、二〇一七年の年末に韓国に約束した文面が決まるのです。文面とは日本側が建物を造ってそこに表札を建てることになっていて、約束させられていた承認事項でしたから、軍艦島を含めて建物につける記録文面をわれわれがあれこれ工夫している最中です。

 しかし日本の歴史について、しかもまったく朝鮮との合併、併合と何の関係もないそれ以前の出来事について、日本が文面を韓国からとやかく言われる筋合いは何もないわけです。日本の歴史は日本の歴史ですから。しかも日韓併合より前の出来事ですからね。近代日本の誕生時の産業遺産は朝鮮半島と日本が相関わる前の時代の話です。本当に何の関係もない。それにもかかわらず、イチャモンを付けてくる。その決着の時が近付いている。それに全敗するかもしれないんですよ。どう決するかは外務省と総理大臣の智恵一つです。

 私は雌ダヌキのほうがこういう時には度胸があると思うんですね。ひょっとすると、分からないですよ、度胸の件は。肝っ玉が無いんだから、あの男(安倍首相)は。肝っ玉が無いというのは一番の問題なんですよ。まぁ、ここから先はもう止めます。

「歴史が痛い」への8件のフィードバック

  1. 先生の作品の根幹というものを、読み手の立場から一度感想文的にしっかり描かなきゃならないと思っていました。

    先生が私に対しての最大の疑問点は、「あきんどさんはどうして『国民の歴史』を読んで、ご自身の開眼に繋がったのか」でした。
    その答えだけは未だにご報告しておりません。

    でもそろそろ自分でそれをはっきり語らなければならないのかなと感じ、初めてここに書きます。

    少し長くなります、ご了承ください。

    元々私は歴史が苦手でした。
    大学入試も日本史を選択しながら、まったく身につかない勉強の連続でした。
    勉強していても面白くないのが歴史でした。
    でもそれは自分の関心度の問題なのかなと感じ、結婚してから毎日トイレに入る時だけ大学受験で使っていた参考書を読むようにしていたんです。
    別に何かをつかもうとする目的ではなく、ただ単にそれが日課になっていただけのことです。

    そんなことを続けていたある日、「国民の歴史」と出会うわけです。
    出会ったときは本当にこの本が輝いていたんです。
    何気なくページをめくると、「この本買いたい」という気持ちが強くなって、結局買いました。

    私が会社を受け継いで二年目の頃でした。
    36歳で社長になり、38歳でこの本と出会い、40歳の時大病になりました。
    私は自分の置かれた運命を、自分が一番あざけわらっていました。
    「なんて馬鹿な人間なんだ、おまえみたいなやつは、こうして苦しむことが一番なんだ」そんな風に自分で自分を追い込んでいました。

    そんなときにもう一度「国民の歴史」を深く読み返しました。
    入院中は看護師さんに何度も叱られながら読んでいました。
    一語一句を完璧に理解しようと、けっこう分厚い辞書を伴って読み明かしました。

    大病で入院したというのに、なんだか歴史の勉強を学ぶためのような時間だった記憶があります。
    私の病名は結局未だに名前がありません。
    非常に稀な病気のようです。
    一番近い病名ですと、多発性硬化症になるそうです。

    それはさておき、今回の選挙です。
    中には稀に、日本の歴史をまじめに学んで投票したいという若者も絶対いるはずです。
    そんな彼らに、この本をお勧めしたい気持ちで一杯です。

  2. 私も「国民の歴史」と「GHQ焚書図書開封」は素晴らしいと思います。国民の過半数が先の大戦は日本の自存自衛の戦いと理解すればこの国は変わると信じています

  3. 坦々塾秋季研修会に参加させていただき、とても勉強になりました。有難うございます。
    私のような、一般的なビジネスマンの方々の参加もありましたが、現在の世界的な混乱や、日本が置かれた厳しい状況に不安を感じる人々が確実に増えてきているのを感じます。
    そんな中で、この度、出版された「保守の真贋」は、とても刺激的な内容で、現代日本がかかえる課題がわかりやすく指摘されており、多くの日本の一般的な方々に読んでもらえることを期待してます。

    研修会の最後の方の参加者からの発言の場で、どなたかが、現在、日本では大きなレジューム変化が起こっていて、今はその移行期間中であり、これから5年や10年でレジュームが変化するというようなことを、おっしゃっていたと記憶してます。よって今起きている、ご皇室に見られる変化、政治に見られる変化、憲法改正に向けた動き、東アジアの情勢への対応など、すべてが、このレジューム変化に起因していると。

    私も、日頃からそのように感じておりました。但し、このレジュームの変化というものを、何か自然の移り変わりのように理解してはならないと考えております。この、レジュームというのは、人間の意志によって構築された人間社会の管理体制です。そこには必ず、人間の意志があります。問題は、その意志は誰のものかという事になります。

    現在、日本を管理するのは、戦後レジュームであり、GHQというのか、国際主義者というのか、日本人以外の意志によって構築された体制です。もし、その事に多くの日本人が気が付かず、ぼんやりとこれから起こる激動の時代を経て受け入れる新たなレジュームは、今以上に日本人にとって過酷で悲惨なものになると思われます。なぜなら、それは日本人以外の、国際主義者たちの意志によって構築されるからです。

    そこで、多くの日本人が、この戦後レジュームを理解し、これから起こる世界的な動乱の中で、日本人の手によって、この戦後レジュームを撃ち破り、新たなレジュームを自らの意志で構築する必要があると考えます。

    さらに言うと、日本人は、戦後レジュームの上を覆い包む、明治維新レジュームの存在にも気が付かなければなりません。日本が先の大戦で大敗したのは、当時の日本が、この明治維新レジュームの中に閉じ込められていたからです。

    これから起こる動乱も、この明治維新レジュームの存在に気付かずに突入すると、日本人は動乱を制することができず、場合によっては先の大戦よりも過酷な状況に追い込まれます。そして、その後にくるレジュームは、おそらく、チャイナレジュームのような、中共のような卑劣な独裁体制に組み込まれてしまうものと思われます。

    よって、これからの動乱に乗じて、多くの日本人がその真実に気が付き、戦後レジュームと、そして、明治維新レジュームを自らの手で撃ち破り、動乱を制して、日本人の意志による日本の国家運営を実現しなければなりません。そうすることが、結果として、世界中の多くの人々の幸せにも通ずると考えてります。

    有識者でもない、ごく一般的な人間の意見を失礼いたします。
    今後も、西尾先生の益々のご活躍を、心より期待申し上げます。

  4. コメントを掲載いただき、有難うございます。
    読み返してみて、書き間違いに気が付きました。
    「レジューム」ではなく、「レジーム」でした。
    大変失礼いたしました。乱筆乱文のほどお許しください。

  5. 以前、Rera Pirkaさんのブログを愛読していたので懐かしく思い出しました。
    Rera Pirkaさんが指摘されているこれまでの日本をスポイルしているレジューム、西尾先生が糾弾されている贋物の保守、確かに少し退潮し変化しそうな予感もしますが、まだまだ頑強です。

    西尾先生が指摘されているように、自民党の右側に真正の保守が最近の欧米のようになぜできないのかと思います。 Rera Pirkaさんは日本人以外の意志・磁場に注意を喚起されています。
    このまま憲法がきちんと改正されず、真正保守政党の成立が無ければ、日本は今世紀中に中国に呑み込まれる・・・こうなれば三島由紀夫が市ヶ谷で希求したクーデターしかないのでしょうか・・・・

    戦前昭和10年頃の昭和の庶民生活のリアルなカラー復元映画を見る機会があり、そこからは後の戦禍は全く想像できず、現在との既視感を感じました。 多くの庶民には国難を想像しにくく、ほとんどの人々は今の生活がず~と続くと思うのだろうと思います。

    とはいえ、少しは希望がないかと、もはや旧聞に属しますが、先月の衆院選の比例区の全国集計結果は、現日本人の思想傾向をある程度示唆していると考えられ(一応、投票率53%)、若干の補整を加えれば、日本の真正保守政党の成否を占える可能性があり、分析検討してみました。
    もし、歴史と国土保全・国防・移民制限・国民経済を重視する実力のある真正保守政治家が現れ政党を組織したら、どの程度の得票率が現状で得られ成立するだろうかと・・・・

    分析方法としては、今回の比例区である政党に投票した人々の何%がそのような真正保守政党があれば、従来の政党から変更して比例区で新党に投票するかを、諸現状から総合判断し、政党毎の乗り換え票を割り出して集計するというものです。 つまり、今回自民党は比例区で約1900万票を得ましたがその自民投票者のうち15%程度は新党に投票、希望の党では比例区で約968万票を得ましたがその投票者のうち20%程度は新党に投票、維新の党では比例区で約339万票を得ましたがその投票者のうち20%程度は新党に投票、幸福実現党では比例区で約30万票を得ましたがその投票者のうち30%程度は新党に投票、といったように全政党について推定して集計します。
    その集計結果は、比例区でのそのような新党の得票率は約10%程度と予想されました。 
    やはり、読売新聞的、現レジュームの情況は相当硬いと見ざるを得ないようです。 とはいえ、10%の支持は共産党や公明党と同等レベルなので、真正保守政党の党首に人を得て、適切に組織が結成されれば、10%を起点に、国難情勢がさらに深刻化した場合には、政権の取得は可能かもしれません。 党首と補佐役の人材次第ということでしょうか。 小選挙区制では困難が多そうです。

    ちなみに、憲法(9条)改正の成否についても、今回の比例区の結果を同様に用いて分析検討してみました。 例えば、今回自民党は比例区で約1900万票を得ましたがその自民投票者は国民投票で、9条2項削除改正案の場合は85%が賛成に、安倍総理提案の2項温存3項加憲の場合は90%が賛成に投票すると推定し、公明党では比例区で約700万票を得ましたが、その投票者は国民投票で、9条2項削除改正案の場合は30%が賛成に、安倍総理提案の2項温存3項加憲の場合は60%が賛成に投票する、といったように全政党について推定して集計します。
     結論としては、9条2項削除改正案の場合の国民投票での賛成が45.7%となり、過半数に達せず否決となる公算が大きく、安倍総理提案の2項温存3項加憲の場合の国民投票の賛成は56%となり、過半数に達して成立する公算がある、との結果となりました。
     なお、改正案には9条以外の改正条項もあり、それらについては賛成の可能性が高いとみられるので、全体として改正賛成に1~2ポイントの増加が見込まれますが、それでも9条2項削除改正案の場合は否決される可能性が高そうです。 
    9条2項削除改正が理想ですが、否決されて改正が絶望的になるよりは、段階を踏んだ方がよいとも思うのですが・・・・この読みは難しい・・・・やはり安全策は安倍総理提案でしょうか・・・・・
    西尾先生には叱られそうですが・・・・  

  6. 今朝(11/16)の産経の「正論」

    西尾先生が久し振りに寄稿され、トランプ大統領は、「偽善的な人道、人権の仮面をかぶったグローバリズム」から「あらゆる国が自己自身のために生きることを臆面もなく主張」するナショナリズムへの価値観の転換を唱道していると肯定的に捉え、一方わが安倍首相は日本の国益を追及するという「(胆力を具えた)意志がない、国際会議での存在感が薄い」と否定的に捉えておられ、賛同しますが、以下、感想です。情報不足、理解不足があればお許しください。

    なお楽秋庵様が最新コメントで本稿にも関係する右派政党実現のための貴重な分析と提言をされていることに気付きましたが、読者の皆様の評価をまず伺いたいと思います。

    1. 今回のトランプ・アジア歴訪でのハイライトは安倍ではなく習との会談でした。「28兆円の交換文書は契約ではなく計画メモに過ぎない」と先生はお書きになっていますが、この大型対中輸出が「東シナ海、南シナ海への侵略、チベット・ウイグルの人権弾圧、対北制裁の実質的強化」を帳消しにしたことが今後の国際政治の動向を予測する上で最も重要だったと思います。

    日本で愛想を振りまき散々言葉を飾りましたが、みなうわべだけで、日本にとって実のある成果は皆無でした。産経はゴルフ外交などよりこのことを指摘すべきでした。逆に防衛装備頻の購入をコミットさせられる有り様です。所詮米国は同盟国日本の国益も安全も2の次であり、北朝鮮に関しても日本への相談なく中国陸軍による北朝鮮占領をトランプが商取引で許容する悪夢に我々は備えなければなりません。「20世紀前半までの日本」であればこんな事態を阻止すべく軍事・外交の総力をあげたでしょうが、今の日本にはその「胆力備えた意志」も戦略も微塵もなく、あるのは対米追従だけです。

    2. トランプは歴訪前の記者会見で、“日本はワリアー・ネイションの国だ。それゆえ中国ロシアが北朝鮮の現状をこのまま許せば、極めて早く、大きな問題が日本に関して生じるだろう”と発言しました。西尾先生の労作によって米国GHQによる日本人の民族改造工作が明らかになりましたが、この工作は成功しており、戦後の日本は武士の国などではなく、精々ドゴールが嘗て馬鹿にしたmerchant nation(町人国家)というよりもpeasant nation(百姓国家・農奴国家)になり果て、一人一人が平和の安逸を貪れれば国益や国の独立などどうでもいい国家となっています。(ここでの武士町人百姓は階級ではなく比喩的な用語として使っています。)

    3. 我々はこのトランプ発言に米国に根強い「瓶の蓋」論の本音をみるべきと思います。中国に対して、日本の軍国主義復活(軍事大国化)を一緒になって押さ込もうとしている発言ではないでしょうか。サムライの国と云わずワリアーの国と呼び、big problem with Japanと云った心裡にはT・ルーズベルトのような敬意は含まれず、自衛隊を傭兵のまま米軍基地を永久に温存するのが米国と中国の共通の国益に適うのです。自民党政権はこれと闘うべきですがその意志すらありません。

    4. 常々不思議に思うことは、私の見聞が狭いせいかもしれませんが、西尾先生も含め、保守論客が日本の核武装を説くことはあっても、軍事大国化を正面から主張しないことです。それ自体が日本では悪と刷り込まれたせいでしょうか。日本が国際社会で「存在感が薄く」発言力が弱いのは事実であり、西尾先生以外に指摘する方を知りませんが、これは日本が真の意味で1等国ではないからで、1等国になるには核や未来兵器だけでなく憲法以下の法制度、歴史教育も含め、自衛隊の国軍化、陸海空軍・宇宙軍の一流の防衛装備の開発・生産体制から輸出に至るまでの抜本的改革の実現が必要です。トランプがナショナリズムを容認し核武装を容認するのであればチャンスです。あからさまではなく国是として着々と、上手に(機密裡に)推進すべきで、これは武士の国であれば当然のことです。

    5. 今朝は又、サンフランシスコでの慰安婦像受入れ決議と大阪市の姉妹都市解消が報じられています。産経の記者が「幼稚な韓国はキチンと叱れ」と云い、古田博司氏は「非韓三原則」を唱えていますが、ともに韓国朝鮮の正体を捉えたものではなく幼稚な議論でしかありません。日本は少しも怖くないから駄々をこねても、日本にだけは理不尽を犯しても、安全と見くびっているに過ぎず、つまり舐められているに過ぎません。慰安婦や反日を黙らせるだけでは足りません。朝鮮半島を日本の安全に叶う土地にすることが必要で、この2つを実現するための方策は一つしかありません。日本が軍事大国となり、半島に影響力を及ぼす実力を養い、半島に勢力を扶植することしか解決法はありません。韓国内の親北分子を排除し必ず居るであろう良識ある親日保守を支援して親日政権を作ることが唯一の解決策と思います。実現性は日本国民の意志にかかっています。

    慰安婦関連の一連の外交敗北は、民間の努力は素晴らしく、支持していますが、所詮政府外務省が予算とマンパワーを本格的に投入していないからです。売春婦の問題を政府自ら人権問題などにすり替えている以上論理でも勝てません。日本人全体に恥を恥と感じる感性がないことも勝てない大きな要因です。慰安婦像を蔓延らせているのは日本人自身なのです。Samurai Nationには凡そ考えられない恥ずべき現象です。

    6. ジャパン・ファーストを実現するには強力な武力を背景にした伝統的な国際外交の正道によるしかありません。

    政府の腰の座らない口先だけの抗議や反論ではまったく効果はありません。そのようないい加減なことは寧ろやらない方がましです。強力な武力を背景にした有効な請求や反論でなければ通りません。日本の軍備拡大は中国の悪夢であり、日本の悲願でなければなりません。同時にこれは米国を中核とする国連秩序への挑戦でもあります。日本を2等国のままに押さえ込む国際体制がUN(国連?)による反日世界秩序であれば、日本の外交はこの秩序を変えさせることが目的でなければならず、そのためには軍備を上手に強化しなければならず、核保有はその第一歩であり、トランプ政権は絶好の機会です。

    国際社会の現実は、怖い国にしか発言力はなく、怖い国の利益が貫かます。図々しい国がのさばり、遠慮する国は置いていかれますが、平和惚け日本の世論、マスコミは遠慮が正義だと勘違いしています。憲法体制によって手足を縛られた自衛隊を恐れる国はありません。辛うじて育てた防衛力も、米国は属軍として重宝しても、いざとなれば戦えない自衛隊でしかなく、攻撃力のない武力など武力ではあり得ません。

    いま自衛隊が日本人と日本のための真の国軍であれば真っ先にやらねばならないことは、拉致被害者を全員奪回することと、日本の領土に核を絶対に落とさせないことを国民に保障すること、つまり北のミサイル発射基地を破壊すること、自ら出来なければ米軍にやらせること、尖閣に常駐して中国の奪取を許さない確固とした意志を顕すことではないでしょうか。

  7. 今日11月18日「宮崎正弘の国際ニュース」に東海子という読者の方がサンフランシスコ市慰安婦像でコメントを寄せられ、一見一つのアイデアのようでもありますので、反論のコメントを試みようとしましたが、受付けないようですので、このメルマガはこの日録関係者も読んでおられますので、ここに投稿させて頂きます。

    東海子は次のように主張します。「大阪市の姉妹都市断絶を喜ぶのは仕掛け人の中韓朝であり解消は敵を喜ばせる逆効果で、日本は国際的に孤立し、大阪市長の行動はピエロになる。この問題はもともと被害者を偽装して反日を煽動するプロパガンダであるからそれを相殺する日本側の歴史的被害を広報することで、それは通州大虐殺もあるが、トランプ大統領が声明を出した拉致被害がより現代的で、そこでSF市に取引として日本人拉致被害者群像あるいは少女像を建設させてもらう。そうすればエセ被害者像の印象は大巾に減殺され敵のプロパガンダ作戦は失敗する。プロパガンダは一方的でないと効果が無いのだ。」

    この提案には以下の理由で賛同出来ません。
    ① まず、拉致被害者像は民間主導では実現しないでしょう。慰安婦像は中韓朝の政府が束になってロビーストに巨額のカネをつぎ込み議員らを買収して実現したものです。

    ② たとえ実現したとしても、それがどうして「エセ被害者像の印象は大巾に減殺され敵のプロパガンダ作戦は失敗する」と言い切れるのでしょうか。相殺されず両方が並び立つだけではないでしょうか。

    ③ かつて橋下徹氏が「欧米も慰安婦を使っていたのに日本だけ非難されるのは片手落ちだ」と云ったこと、一部の保守の方々が南京が世界記憶遺産になるなら日本は通州事件の登録で対抗しよう、という発想と同じです。相手方の捏造なり被害者偽装のプロパガンダを否認せず放置するという根本的過ちを犯しています。慰安婦は売春婦ビジネスであり彼らの主張はフェイクであると証拠を添えて正面から戦うことが可能であり、勝つための捷径なのになぜ回避し迂回しようとするのでしょうか。買収を暴き、フェイクを論証すれば米国人の目を覚まさせることが可能ですが日本政府自身が人道問題にすり替えることで、謝罪を繰り返すことで敗けています。米国人には「フェアーでないこと」や「正義に悖ること」の説得が有効です。これらの発想や奇策は自宅の火事を消さないで隣に放火するようなものです。

    ④ これは産経が特集しているように武器を使わない言論による対日歴史戦争です。言論で戦えばいいのですが民間の経済力とマンパワーでは到底太刀打ち出来ません。政府外務省が総力で受けて立たない限り勝てません。東海子様の意見はこの日本政府の無為無策に絶望してのご提案と見受けますが、楽秋庵様が考えておられるように、公明党を自民からひき剥がし公明にかわる右派政党が自民の尻を叩き無能無気力な外務省職員のクビをすげ替えることが出来ない限り勝てません。

    ⑤ 中国は兎も角、朝韓は根が自大主義ですから、日本が軍事力でも強大になり怖い国に変身できれば怖がって黙るでしょう。日本が名実ともに一流の強国になるまではこの不快な嫌がらせ、陰湿な被害者偽装のプロパガンダは止まないと覚悟すべきで、また中韓朝に通じ、反日で利得している日本人を摘発し排除できない限り止まないと思います。つまり本当の意味で「戦後レジームの超克」が実現し、愧ずべき戦後の残滓をすべて消し去らないかぎり日本人の国際的恥辱はいつまでも雪がれないでしょう。

  8. 楽秋庵主さん

    まず、私が以前まで公開していたブログを読んでいただいたとの事、殆ど読まれることのないブログだったので、とても驚きましたが、誠に光栄です、有難うございます。

    私は、ごく一般的なビジネスマンですが、30代中頃になって、ようやく欺瞞に満ちた現代社会のおかしさに気が付き、自分なりに色々と考えるようになり、自身の考えを整理するために書き始めた文書をせっかくだからとブログに掲載しておりました。

    もちろん、ごく一般の人間が書いている事ですから、殆ど読まれることはなかったのですが、それでも、ある時、某国の工作員が近づいてきたりして気持ち悪かった事もあり、また、本質的な考えは変わってませんが、当時は学び始めたばかりの考えを書き出していたので、未熟なところも多々ありましたので、一旦、ブログは削除致しました。

    しかし、その後も、西尾先生のご著書をはじめ、色々と学ぶ事を続けながら、公開はしておりませんが、自分なりの考えを書きながら整理することは継続しております。

    さて、楽秋庵主さんの真正保守政党を誕生させ、憲法改正を実現するための現実的な手段に関する分析を、大変興味深く拝見させていただきました。
    なるほど、楽秋庵主さんの分析は、的を得ていると思います。

    そこで、素人の妄想のようなものですが、楽秋庵主さんが提議された問題に関して、私なりの考えをコメントさせていただければと思います。

    私は、自民党の右側に真正の保守ができないのは、まさに、戦後レジームと明治維新レジームの共謀があるからだと妄想しております。日本に真の保守体制が誕生すると、それぞれの既得権益者たちが立場を失い、迫害されることを恐れているのだと思います。

    私の言う、戦後レジームと明治維新レジームとは、例えば、楽秋庵主さんが提議された憲法改正を一例に述べると、現代の日本国憲法の改正を実行するのが戦後レジームからの脱却で、よく安倍総理が発言される「法の支配」、すなわち、憲法こそが日本国にとって最も大切なものという考え方を改め、日本人には憲法よりも大切なものがあることを認める事、日本人が日本人らしく平和に過ごせる社会を形成することが、日本国にとって何よりも大切であるとを知らしめることが明治維新レジームからの脱却と考えます。

    形式上は別のやり方になるかも知れませんが、本質的には、これからの日本には、再度、関ヶ原の合戦が必要なんだろうと思います。徳川家康は、関ケ原の合戦を経て、後世に、「西国に変があれば東国に注意をそそぐべしと」と遺訓を残されたといいます。幕末以前の東国の武士団は、西から迫りくる帝国主義の本質を理解し、対峙していたのだと思います。

    しかし、現代の日本で、大規模な内戦を経てレジームチェンジを行うなど、行き過ぎた妄想でしかありません。まっとうな現状分析をベースに考えれば、楽秋庵主さんのご指摘の通りかと思います。

    ただ、私は、現代の日本人は、更にもう一歩発想を推し進めた思考が必要なんだろうと考えます。

    楽秋庵主さんが示された分析の前提は、あくまで、今現在の日本社会の状況を前提とされております。例えば、現状の国際情勢や、現在の日本の政治家、官僚、そしてマスメディアで活躍するエリートたちのまるで植民地の奴隷管理者のようなあり方など。私が述べている、更にもう一歩推し進めた思考とは、近い将来、今現在の日本社会の状況が大きく変わる事を、すなわち、楽秋庵主さんが置かれた前提が変化する事を予測し、変化した前提条件で日本人が日本を取り戻すために何をすべきかを、今のうちから分析しておくことが重要だと考えてます。

    現代社会を覆うレジームを構築した人たちは、これから、現状から更に彼らの意に適ったレジームの再構築を望んでいるのだと思います。そこで、彼らがそれを実行する手段は、大きな混乱(恐慌、革命、内戦、戦争など)を起こし、現状のレジームを一旦破壊した上で、混乱の後のさら地に、新たなレジームを再構築するのだろうと。この、これから起こる混乱と、その背後にある本質的な思想を理解できていないと、人々はただただ混乱に翻弄され、彼らの推し進める計画にまんまとはめられてしまいます。現在の強固なレジームの管理下に置いて、唯一の望みは、これから起こる混乱期にどこまで抵抗できるのかにかかっているのではないでしょうか。

    素人のたわごとを、長々と失礼致しました。私が指摘したかったのは、現状を前提条件とした現実的な分析も大変重要ですが、あわせて、前提条件を変える、もしくは、変わった際の分析も必要なのではないかと、考えました。ただ、私には、まだ、ご紹介できるような、具体的な想定条件の定義や分析がおこなえておりませんので、引き続き、自分なりに色々と考えていきたいと思います。

    乱筆乱文のほどお許しください。

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