謹賀新年 ―知性の暗闇にとり巻かれて戦っていた過去をあらためて発見して―  平成30年(2018年)元旦

 年末に嬉しいメッセージの記された一枚のお葉書をいたゞきました。

 「全集第18巻『国民の歴史』が届きました。単行本・文庫本を読み、今回3度目となります。先生とご面識を得ることができた大切な本でもあります。」(浅野正美氏、坦々塾事務局長)

 他の方からも、全集の新鮮なページをめくってあらためて『国民の歴史』をもう一度最初から読み直してみたい、という希望を告げた葉書と電話を受け取りました。そこで、同じ希望を持つ方に、今度の全集版の刊行によって初めて発見された同書の本当の壁の存在を、以下の2点において、お示しすることが出来ると思いました。

 「壁の存在」と言ったのは「敵の正体」と言い換えてもいいでしょう。

 (1)は『国民の歴史』の3「世界最古の縄文土器文明」の冒頭部分(52~58ページ)です。日本列島に50万年前に「原人」がいたという考古学上の大詐欺事件がありました。高森遺跡の名で知られています。有名な事件だったので覚えている方も多いでしょう。

 当時の歴史学上の著作はみなこれを記した部分を削除して公刊し直しましたが、私は削除しませんでした。事件発覚後も同じ文章で押し通しました。詐欺の発覚後にも私はちゃんと通用する文章を書いていたからです。

 とにかくこの数ページを全集版で読んで下さい。ご自分の目で確かめて下さい。わが国の歴史学者との差は歴然と明るみに出されました。『国民の歴史』の最大の敵は日本歴史学会の関係者の知性のレベルの低さそのものです。

 (2)次は一冊の終りの方、今度新しく書かれた「後記」の終りの方に「歴史学研究会」という聞きなれぬ会の名を見ることが出来るでしょう(763ページ)。これは日本史学者に限らず、すべての歴史研究に携わる日本の学者を統合的に集めたいわゆる強制的に形成された戦後の組織です。

 この会の存在を今度私は初めて知りました。思想の自由を剥奪した恐るべき組織の名です。このページを読んで下さい。戦後歴史に関する日本のすべてのまともな活動が何によって抑止され、圧殺されていたかが分るでしょう。教科書問題はそのほんの一例です。『国民の歴史』はそもそも何にぶつかっていたのでしょうか。

 (1)と(2)はタイプと内容を異にしていますが、同じ溝にはまった知性の衰弱と国家の敗北がいつまでも尾を引く暗愚の根の深さをいかんなく共通して示しています。尚、「歴史学研究会」のことを私に教えてくれたのは坦々塾のメンバーのお一人である、歴史学者の石部勝彦氏です。あらためて御礼申し上げます。

 『国民の歴史』をもう一度読んでみようとやおら腰を上げて下さる人が一人でも増えることを祈念してやみません。

 その際、全集の刊行によって初めて発見された上記2点を忘れないで下さい。私自身、同書を書いているときには、まさかこういうレベルの知性の暗闇に取り巻かれているとは夢にも考えていないことだったのです。

 これでは良くなるはずの歴史教科書も良くならないはずです。尚、全集の『国民の歴史』には巻末に多数の関係論文が付録として併載されていて、同書の新しい魅力となっていると信じます。次の目次でこの点もご注目下さい。

 目 次

 まえがき 歴史とは何か

1…一文明圏としての日本列島
2…時代区分について
3…世界最古の縄文土器文明
4…稲作文化を担ったのは弥生人ではない
5…日本語確立への苦闘
6…神話と歴史
7…魏志倭人伝は歴史資料に値しない
8…王権の根拠――日本の天皇と中国の皇帝
9…漢の時代におこっていた明治維新
10…奈良の都は長安に似ていなかった
11…平安京の落日と中世ヨーロッパ
12…中国から離れるタイミングのよさ――遣唐使廃止
13…縄文火焔土器、運慶、葛飾北斎
14…「世界史」はモンゴル帝国から始まった
15…西欧の野望・地球分割計画
16…秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか
17…GODを「神」と訳した間違い
18…鎖国は本当にあったのか
19…優越していた東アジアとアヘン戦争
20…トルデシリャス条約、万国公法、国際連盟、ニュルンベルク裁判
21…西洋の革命より革命的であった明治維新
22…教育立国の背景
23…朝鮮はなぜ眠りつづけたのか
24…アメリカが先に日本を仮想敵国にした(その一)
25…アメリカが先に日本を仮想敵国にした(その二)
26…日本の戦争の孤独さ
27…終戦の日
28…日本が敗れたのは「戦後の戦争」である
29…大正教養主義と戦後進歩主義
30…冷戦の推移におどらされた自民党政治
31…現代日本における学問の危機
32…私はいま日韓問題をどう考えているか
33…ホロコーストと戦争犯罪
34…人は自由に耐えられるか

 原書あとがき

 参考文献一覧
文庫版付論1 自画像を描けない日本人――「本来的自己」の発見のために――
文庫版付論2 『国民の歴史』という本の歴史
追補一 『国民の歴史』刊行直後に書かれた一読者の感想…柏原竜一
追補二 古代とは何か――西尾幹二著『国民の歴史』に触れながら…小路田泰直
追補三 あれから二十年――『国民の歴史』の先駆性…田中英道
後 記

「謹賀新年 ―知性の暗闇にとり巻かれて戦っていた過去をあらためて発見して―  平成30年(2018年)元旦」への11件のフィードバック

  1. 西尾先生、明けましておめでとうございます。本年もご活躍、期待しています。

  2. 明けましておめでとうございます。
    「歴史学研究会(The Historical Science Society of Japan)」の歴代委員長というのはこういう連中でした。
    1960年~1962年:江口朴郎 ※典型的なマルクス主義歴史学者<歴史学とマルクス主義 (1972年) >
    1963年~1965年:遠山茂樹 ※マルクス主義歴史学者。羽仁五郎の弟子。共産党が評価した。
    1965年~1969年:太田秀通 ※古代ギリシャ専門だが、典型的なマルクス主義歴史学者
    1969年~1970年:藤原彰  ※井上清(マルクス主義者)の弟子。日本軍毒ガス写真報道で捏造
    1970年~1973年:永原慶二 ※典型的なマルクス主義歴史学者
    1973年~1976年:稲垣泰彦 ※日本の戦争責任資料センター共同代表
    1976年~1979年:野沢豊  ※(おそらく)典型的なマルクス主義歴史学者
    1982年~1986年:荒井信一 ※日本の戦争責任資料センター共同代表
    1986年~1989年:中村平治 ※インド専門だが、左翼シンパ 
    1989年~1993年:西川正雄 ※日本と韓国の歴史学の交流。社会主義を美化。
    1993年~1996年:中村政則 ※マルクス主義歴史学者。「最後の講座派」と呼ばれた。
    1996年~1999年:峰岸純夫 ※「九条科学者の会」呼びかけ人
    1999年~2002年:小谷汪之 ※インド専門だが、左翼シンパ。
    2004年~2007年:木畑洋一 ※イギリス専門。戦争捕虜に関心
    2010年~2013年:池享  ※永原慶二(マルクス主義歴史学者)の弟子
    2013年~ :久保亨 ※朝日新聞の「強制連行」捏造報道を擁護
    (以上)
    藤原彰などは朝日新聞によく掲載されていたのを思い出します。「朝鮮戦争は韓国の侵略ではじまった」とウソ八百を長い間、日本に拡散しました。毒ガス記事の捏造もその一例ですが、捏造魔です。

  3. 仁王門 樣

    なるほど、かういふ人々が、かの有名な「歴研」の委員長でしたか。

    無知な私ですが、名前だけにしても、3分の2くらゐは知つてゐました。
    西尾先生が、あれほど「侮蔑」されたのは5代目委員長だつたのですね。

    ところで、次の2點、自分で調べるべきですが、できればその手間を省きたく、お教へいただけないでせうか。よろしく。

    (1)我々が如何に輕蔑しようと、連中にとつて「委員長」とは、一應重々しい存在でせうから、まさか、その後フラフラと、安倍シンパなぞになつた輩はゐないのでのでせうね。
    とんでもない!?「歴研」の極はまるところが安倍流の戦後観であり、その精華が70年談話になつたのだ! ですか。それならそれで、とてもよく分ります。

    (2)6代目稻垣泰彦の「日本の戰爭責任資料センター共同代表」が目につきました。
    今や、安倍さんの有力なブレーンであり、「(拉致被害者を)救ふ會」會長なども務め、憲法9條3項に對しては、「ここまで來たかと、心が踊つた」と、産経の正論欄で宣うて、我々をして、「かくも徹底した見事な幇間!」と感歎せしめた御仁は、嘗て日本の戰爭責任追及とやらを、こととしてゐたと、故Bruxellesさんから知らされました。
    そこで、この男は上記の「日本の戰爭責任資料センター」に關係してゐたのではないかと、臆測した次第です。彼氏の、左も可、右も可ーーといふよりも、戦後民主主義に一貫して額づきつづけてゐる(それしか知らない)姿からも、ありさうなことと考へました。

    何か御存じでしたら、御教示下さい。

    1. 「自由と宿命・西尾幹二との対話 」の池田俊二様でしょうか。もしそうでしたら、(かなり以前ですが)拝読させていただいて大変感銘を受けたのを記憶しております。
      失礼ですが、6代目稻垣泰彦は昭和57年に亡くなっているはずです。どなたかと混同されているということはないでしょうか。
      さて「悪意をもって国益を破壊しようとする左翼」と「悪意はないが(善意でやっているつもりで)無邪気に国益を破壊してしまう<非左翼>」のどちらを敵として攻撃すべきかというと、個人的には、前者の確信犯こそが日本の敵と信ずる者です。なぜそう考えるか?
      これは個人的な体験に基づくもので(すべてに適用できると一概には断定できませんが)、前者の確信犯はいわば全体主義的な手法を使っても言論(異論)を封殺しようとする悪者が群れをなしています。
      この悪者たちが日本の言論の驚くべき閉鎖的体質を形成していること、社会的害悪の著しいことを、それこそ大昔から痛感し続けています。これがまず打倒されないと話になりません。打倒されたら今よりは公正な討議が活発化するはずだと比較的楽観的に考えています。

  4. (仁王門樣)仰せの池田です。名前を覺えてゐて下さり恐縮です。
    「稻垣泰彦は昭和57年に亡くなっている」としても、あるいはいまだ健在であるとしても、それは「あの男」(安倍ブレーンの有力な一人)」と「日本の戰爭責任資料センター」との關係には、なんの關係もありません。「どなたかと混同されている」とは、どういふ意味ですか。

    「歴研」について、林健太郎著『移りゆくものの影』(昭和35年2月發行。主な部分 は『文藝春秋』昭和34年4月~9月に連載)に次の記述があります。

    昭和8年から今日(池田註:昭和34年)まで26年に亙る歴研の歴史の上には、そのままこの期間の日本の若き世代の思想の起伏が刻印されている。

    ・・・私が昭和8年からと書いたのはこの年がこの雜誌(「歴史學研究」)の創刊の年 であるからであるが、この雜誌の母胎である「歴史研究會」は更にその數年前に出來た東大出の若い少數の歴史家のグループが發展したものである。しかし私は昭和10年に大學を卒業してからこの會に入つたので、この會の草創當時のことは何も知らない。

    昭和8年の11月に創刊號が出た時は會員の數は70人くらゐであつたといふ。

    ・・・この雜誌が岩波書店から出るやうになつたのについては・・・私は少からぬ努力 を拂つた人間なのである。もつとも戰後の歴研とは、私は一會員として以外には全く
    關係がなかつた。のみならずしばしば歴研と對立する人物と見なされて、誌上でこつぴどくやつつけられたこともある。それにしても戰前の歴研は歴史家としての私の成長にとつて缺くべからざる存在であり、いはば私の恩人であつた。そして私が戰後間もなく唯物史觀といふものから脱却するやうになつたのも、實はこの歴研と大いに關係があるのである。

    以上は「歴史家たちの爭ひ」といふ一章からの引用ですが、他の章にも歴研のことは頻繁に出てきます。

    60年安保の際、ワッショイワッショイにイライラしながら、同書を繰り返し讀み、樣々な 「爭ひ」と、目の前の騷動を併せ考へ、可笑しかつたことを思ひだしました。

    1. 混同しているのでは、というのは私の誤読でした。大変失礼しました。
      私が過去の著作を漁って読んだのは、江口朴郎、遠山茂樹、藤原彰くらいと、あとこれらの師匠の井上清です。
      最近では倉山満氏などが歴史学会批判で有名と思いますが、ネットで検索すると下記の法政大学の博士論文などもよく書かれていると思います。
      「「戦後歴史学」から見る戦後日本における歴史学の変遷 ‐歴史学研究会を例にして」
      http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/12403/2/15_thesis_nagatani.pdf
      かなり正面から戦後の歴史学界を批判していると思います。昭和21年から歴史学研究会が日教組の教育に深く入り込んでいたことなど調査結果も参考になります。こういう研究者は学界では村八分にされるのは間違いないでしょう。

    2. 私はどちらかというと国内や海外でネットに短いコメントを投稿して、少しでも真実を知ってほしいと気の向くまま活動してきたものです。
      歴史学界について以前に書いた文章を転載いたします。これを抜粋して英訳したりして投稿したりします。
      とにかく海外の人々に日本の実情を知ってもらうことが大切と思っています。
      ちなみに相当に激しく糾弾しています。

      (以下転載)
      日本を連合国が占領した後に、占領チームは日本の体制を内から変えさせるため、
      共産主義者をあちこちで主役に抜擢した。
      そのとき、ソ連の存在やマルクス主義の無謬性によって世界で共産主義が大流行したため、
      日本人の間でも共産主義者に転向する者、特に知識人が続出していた。

      ところが米国は日本の占領政策の途中で、共産主義者とは単なる「進歩主義者(progress)」ではなく、
      ソ連などの全体主義に共鳴するイデオロギーを持った過激な「急進主義者(radicalist)」であることを
      見破ったため、共産主義者を排除する方向(レッドパージ)に方針転換した。
      この方針転換には、ソ連封じ込めなどを立案した国務省のジョージ・ケナンなどが影響を与えている。

      しかし、これら共産主義者や急進主義者は、戦後日本で教育やメディアなどの
      社会中枢に侵入して、社会の動向に大きな影響を与えることになる。
      (中略)

      マルクス主義者は経済学や歴史学などの学界に侵入した。マルクス主義経済学は
      近代経済学にあっけなく敗れた。現在では、さすがに計画経済などを提唱するわけには
      いかないので、資本主義社会の欠陥を哲学的用語で呪うなどして細々と生き残っている。
      (中略)
      ところがマルクス主義者が侵入した歴史学界では非常に居心地がよい思いをしたに違いない。
      それは、経済学のように、目の前で繰り広げられる経済事象の分析において客観的データによる考察
      により能力の優劣が厳しく評価される必要もなかったから。

      それに資本主義国家と共産主義国家のうち、計画経済や統制経済を採用した共産主義国家が
      裕福さにおいても民主主義の達成度においても、なぜあれほど悲惨な状態になったかの理由づけは、
      歴史学よりも経済学がその真剣な役割を担ったからであった。
      (歴史学は中途半端にお茶をにごして、共産主義イデオロギーの悪魔性を糊塗した)

      マルクス主義者が侵入した歴史学界では、日本国内の階級憎悪を煽って労働者をつきあげたり、
      中国・韓国・北朝鮮の東アジアやフィリピンなど東南アジアなどの大衆を煽って日本を攻撃させれば
      学問の体裁となった。
      そして政権にひたすら謝罪と賠償をもとめた。その執拗な宣伝機関となったのは朝日新聞など
      全国紙や日本共産党の機関紙、それに岩波書店などの雑誌や書籍などであった。
      (中略)

      まがりなりにも、日韓基本条約で国交が回復した日本と韓国も、その後30年近くは
      いろいろな摩擦があれど、通常の外交が行われていたが、朝日新聞を筆頭とする反体制勢力が
      「従軍慰安婦の救済」という概念をもちだして、その後、日韓の外交は基本的に破綻または大混乱となった。
      両国の和解どころか、憎悪はそれ以前にも増して、はるかに倍加して両国の国民の間で
      相手を一種の敵国と考える風潮が高まった。

      この混乱を起こした手口は非常に狡猾であった。朝日新聞の報道の異様性は筆舌に尽くし方
      ものであった。
      (中略)
      この騒動のなかで、歴史学界は異様な形で貢献を行った。まず最初に朝日新聞が吉田清治という
      究極の歴史証言者(朝鮮民族の婦女を多数奴隷として連行したという前代未聞の悪質なつくり話)
      に見せかけた詐欺師をかつぎだして日韓両国で大騒ぎになったときに、歴史学者はほとんどが、
      検証して公開しようという姿勢を見せなかった。

      おそらく吉田清治はニセモノと見抜きながら、日本の政権に痛手を与えられると見て野放しにしていたと
      考えられる。
      (この部分は確信できない。逆に日本に都合の悪いことは、ウソでもなんでも本当と信じ込む性癖が
      学者として似合わないが、あったかもしれない。なにせ「マルクス主義者だからこそ歴史家になれた連中」
      を恩師として仰いできた連中だからである)
      この異常な神経は、戦後デビューしたマルクス主義系の歴史家の大部分に当てはまる性向である。

      そのため、日本では民間人が仕事の合間をぬって歴史の研究を行った。
      たとえば住友信託銀行の常務となった方は、長年の歳月をかけて「南京大虐殺」といわれる出来事に
      ついて膨大なデータベースを自費で構築した。これにほとんどの一次史料が保管されていると
      本人は語っている。
      (中略)

      こうした歴史学界の当面の目標は、
      ・小中学校など義務教育用の歴史教科書として自らの嗜好にあったテキストを作成して生徒に配布すること
      ・中国や韓国などと(日本と)の「共同の歴史教科書」をつくること
      などであろう。

      ちなみに、日本の政権をゆるがして、とめどの無い謝罪と賠償をするように刷り込んで、日本の外交を
      転覆させる陰謀は実現される見込みが減っている。
      さすがにお人好しの日本人でも専門バカが歴史学界に群れて、反体制派をそそのかしてきたことを
      悟って警戒しているのである。

      上記のうち、中国や韓国などとの「共同の歴史教科書」などは社会常識のある政治家や日本人であれば
      相手にしないだろう。相手にしようという日本人がいたら、「絶対に相手にしないよう」に強く説得しなければならない。
      *****

  5. 仁王門様

    このような文章を英語圏に発信してくださっていたのですね。
    簡潔にまとめられた、分り易く、本質を突いた良い文章だと思います。

    英語圏の壁を突き破らなければいけないのですが、
    なかなか日本人にはそれができません。

    私が言うのも、変ですが・・・・・ありがとうございます。

  6. 仁王門 様

    國内にゐる私にもいい勉強になりました。

    マルクス主義者は経済学や歴史学などの学界に侵入した。マルクス主義経済学は近代経済学にあっけなく敗れた。現在では、さすがに計画経済などを提唱するわけにはいかないので、資本主義社会の欠陥を哲学的用語で呪うなどして細々と生き残っている。
    (中略)
    ところがマルクス主義者が侵入した歴史学界では非常に居心地がよい思いをしたに違いない。それは、経済学のように、目の前で繰り広げられる経済事象の分析において客観的データによる考察により能力の優劣が厳しく評価される必要もなかったから。

    經濟學と歴史學の違ひは、すぐに、目の前に、結果・證據が現れると否とですね。
    多くの事象が、この二つのパターンに分けられさうです。
    なかなかバレないので、何十年も同じ説を墨守し、同じムードに寄りかかりつづけて安穩に世を渡る人、バレる度に、惡びれもせず、あつさりと説を取り替へて大勢に順応する人・・・永年、樣々な人々の面白い生態を見せてもらひました。

    少々性質は違ふかもしれませんが、この数年来のいはゆる安倍シンパの人たちの動きを連想しました。安倍さんがコケてムードが変つたら・・・毎度おなじみの光景が繰り返されることでせう。そこには、歪んだマルクシズムの影のやうなものさへ窺へますが、長くなるので、打ち切ります。

    御健闘を祈ります。

  7. 管理人様、池田様。コメントをいただき恐縮です。
    安倍首相については複眼的に見ております。鳩山由紀夫などとくらべれば雲泥の差で良い首相と考えております。
    西尾先生の安倍首相の歴史認識発言への比較的容赦ないクレームについては、やはり誰かがやるべき事でなかったかと認識しております。安倍首相には左から熾烈な批判がなされてきましたが、右からも必要です。
    ただし残念ですが、それがもっと多くの人に理解されるためにはもっと年月が必要かもしれません。後世の日本人には理解されるのではないでしょうか。

  8. 仁王門様の御意見、「マルクス主義者は経済学や歴史学などの学界に侵入した。マルクス主義経済学は近代経済学にあっけなく敗れた。(中略)ところがマルクス主義者が侵入した歴史学界では非常に居心地がよい思いをしたに違いない。それは、経済学のように、目の前で繰り広げられる経済事象の分析において客観的データによる考察により能力の優劣が厳しく評価される必要もなかったから。」に私も得心がいきましたが、昨日の歌会始を観ていて、日本の歌道会にもマルキシズムが侵入し、識者が批判しないその居心地のよさから、蟠踞しているように思われます。歌の素人ではありますが、素人目にも、撰者や入選者の作品だけでなく、偏ったもの、愚劣なもの、ふさわしくないもので、綾小路流の披講(吟詠)に耐えないものが殆どです。筆頭撰者の篠弘氏はネットでも酷評され、他の撰者の一人はしんぶん赤旗の撰者とか。和歌は日本文化の中枢、歌会始は国家的に極めて重要な儀式ですので、これは歴史学會以上に由々しき問題と思います。

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