政府にクギを刺す

平成30年7月号月刊『正論』に
特集平和のイカサマ

政府にクギを刺す
  トランプに代わって、日本が自由と人権を語れ

が掲載されています。

一ヵ月後にも、日録に掲載する予定は今のところありません。
皆さまの感想をお待ちしています。

「政府にクギを刺す」への17件のフィードバック

  1. (管理人様。前の「世界は現在」に送稿した後、「政府にクギを刺す」   が表れ、内容がそれですので、こちらにもう一度送ります。お手数で   すが、前のものを削除して頂けませんか。すみません)

    西尾先生の「政府にクギを刺す トランプに代わって、日本が自由と人権を
    語れ」(『正論』7月號)を拜讀しました。感想を少々申上げます。自分が驚いたとか、忘れてゐたことに氣づいたとか、實感がもてないとか、ほとんどがパーソナルなことで、恐縮ですが。

    14年前も今も主役は日本

    冒頭に、御自身の舊著『日本人は何に躓いていたのか』(平成16年)から
    「六カ国協議で一番焦点になっているのは、実は北朝鮮ではなくて日本だと
    いうことを日本人は自覚しているでしょうか」以下を引用されてゐます。

    私はこの部分を鮮明に覺えてゐます。そして、先生が縷々説かれたことに
    より、自分はしかと「自覺」した、しかし、うすらバカな政府やマスコミは勿論、ほとんどの國民にも、それは分らないだらうなと思つたことも、記憶に殘つてゐます。

    同書で先生はかう説かれました。
    「これから日本をどう泳がせどう扱うかということが、いまのアメリカ・中国・ロシアの最大の関心事であります。北朝鮮は、これらの国々にとってどうでもいいことなのです。いかにして日本を封じ込めるかということで、中国・ロシア・韓国の利益は一致しているし、いかにして自国の利益を守るかというのがアメリカの関心事であって、核ミサイルの長距離化と輸出さえ押さえ込めばアメリカにとって北朝鮮などどうでもいいのです」ーーと言はれて、アメリカの立場といふものをあれこれ考へてみて、なるほど、そのとほりだらうと納得しました。

    さらに、「いうなれば、日本にとってだけ北朝鮮が最大の重大事であり、緊
    急の事態なのです」も、たとへば南北統一の場合、半島から流出する難民の行き先、絶え間のない、南北を問はぬ反日的言動、その他を想像すれば、容易に首肯されました。

    あれから14年。「日本は表の主役ではないが、実は”隠れた主役”としての存在であり、だからこそ諸国は日本をいかに潰すかに大わらわだ、という意味です。表に出さなくとも内心では最大のテーマは日本であり、この流れは今も続いているのです」の部分に至り、ぎくりとしました。

    そのことを忘れかけてゐたのです。政府やマスコミが忘れたといふのではありません。私自身、そんな風に考へることが殆どなくなつてゐることに氣づきました。14年前には自覺したつもりだつたにもかかはらず。一つには勿論自分の思慮不足のせゐですが、他に、國があらゆる面で、劣化を重ね、それを繰り返し感じることにより、 ”主役 ”たることなどあり得ないとほぼ諦めの心境に至つてゐたやうな氣がします。

    日本に屆いて、アメリカには屆かないミサイル

    先般、先生は櫻チャンネルの水島社長との對談で、水島社長の「安倍總理は世界の首腦としつかり亙り合ひ」といふ發言に對して、「亙りあつてなどゐない。バカにされてゐるだけだ」と反對されました。私はもちろん、先生の觀察が正しいと思ひます。

    ですから、北の問題でも、他の國々、就中アメリカが日本などの立場を顧慮せず、たとへば、アメリカに屆くミサイルは許さないが、日本に屆くミサイルに無關心なのは當然と思つてゐました。 假に安倍さんがトランプに對して、 「中距離ミサイルにも關心を拂へ」と注文をつけても、「バカにされてゐる」のですから、まづ耳を傾けてくれないだらう。安倍さんがトランプに注文をつけ得るかも疑問だが、兩國の利害は一致しないのだから、中距離ミサイルに對しては、日本獨自で當るしかない。安倍さんにそれだけの智略があらうとは思へません。のみならず、安倍さんの他に人はゐないとの説に、一理なくもなく、とすると、愈々絶望的にならざるを得ません。

    先生が今度の御所論の中ほどで觸れてをられる「アメリカは鉄鋼・アルミ輸入制限の猶予対象に欧州連合や韓国を加え、日本を外し」た時、おやおやと思ひました。安倍さんを初め日本政府にさしたる交渉力がないのは分つてゐるが、それを別にしても、アメリカとしては、殆ど氣を遣ふ必要のない國が日本といふことになつてしまつたのだらうか。だらしはなくとも、まださう捨てたものではない底力を色々な面で持つてゐる筈なのに、そこまで見縊られたかと殘念に思ひつつ諦めてしまひ、 それ以上考へませんでした。思考停止です。

    意志喪失の常態化

    14年前、先生はかうもお書きになつてゐます。
    「一番恐れたのは、今のゲームのような政治を見ている若い人が、日本の不在を当たり前だと思ってしまうことです」ーー私がそれに近いですね。當時既に若くなかつたのに然りなのですから、若かつた人がさうなつてしまつたのは當然でせう。

    先生は續けてお書きになります。
    「自分の運命を決める国際会議に自分が出ないのであれば、それに関しては協力しませんよ、 というくらいの気概が根底になければいけない。ところが、他国の決定に黙って従わなければならないということが今当たり前になりつつあって、日本の将来で最も私が恐れているのは、意志喪失の常態化なのです」
    14年前の先生の「恐れ」は現在、ほぼ現實になつてゐますね。私自身、その「常態」に焦躁を覺えることは、さう屡々ではありません。
    勿論たまには、明治期に、列強との不平等條約を改正に持ち込み、日清戰爭を勝利に導いた先人のことなどを思ひ出します。彼我の國力の差は今では想像できないほど大きかつたのに、日本は怯みませんでした。非力は、智謀の限りを盡すことにより補ひ、 列強と亙り合ひました(安倍總理が世界の腦と「亙り合つてゐる」などと宣ふのは、なんのことでせう。握手や乾杯のこと?)。そして、無視する相手には、なんとしても、こちらを向かせました。世界の如何なる惡黨、ごろつきとやり合つても、少くとも、騙されるなんてことはありませんでした。
    あの頃と現在を比べると感慨はあります。でも、それは永くは續きませ
    ん。國も人も全く變つてしまつたのだから、しかたがないといふ思ひに支配され、口惜しさとか嘆きは消え、何も考へなくなります。
     
    「日本の政治はこれを自覺せずにきました」といふ、今の先生のお言葉を疑ふことはできません。 つまり、政府も私も先生の警告に十分には從はなかつたのです。
    のみならず私は、 北をめぐる米・支・露・韓などの動きについて人に「面白い舞臺だね。日本が全然登場しないのも、サッパリしてゐていい」などと言つたことがあります。勿論、負け惜しみも含まれてゐますが、ふて腐れた、素直でない科白で、慙愧に堪へません。
    西尾先生がこれほど眞劍に憂ひ續けて來られたことを思へば、申し譯なく、穴があれば這入りたい思ひです。

    イラクが國を破壞された經緯と日本

    半島の核の問題については、14年前に次のやうにお書きになりました。これが一番肝腎な點で、恐るべき警告なのに、情ないことに、私の頭には殆ど這入つてゐませんでした。
    「一瞬の差で北朝鮮が核を残したまま統一されれば、半島は核保有国になります。それは朝鮮半島の人が祕かに狙っていることです」
    「アメリカも中国もそれを絶対に許容しないはずですが、何らかの形でそれが許容された場合に、核を持ったところが既存的な権力を握り、これから先、日本の核保有は絶対に許されないという形になって現状が固定されてしまうのは一番恐ろしい」

    このことを軍事評論家の兵頭二十八氏は「日本がイラクになって、朝鮮半島がイスラエルになるという構造」と評した由。 つまり、 イスラエルは核保有國で、イラクは核を持たうとしたら、國家を破壞されてしまつた。「朝鮮半島がイスラエル、日本がイラクになれば日本人として絶體絶命の窮地・・・」ーー なんとも恐しい話ですが、 私にはこの認識が殆どありませんでした。

    イラクが「國家を破壞された」のは、平成15(2003)年米國を中心とする聯合軍によつてですが、その4年後、シリアの原子爐がイスラエル軍の空爆によつて徹底的に破壞されたことの方が私には印象が強い。イスラエル單獨で(當然あらゆる方面に事前工作を盡したにせよ)、なんといふ手際のよさ!自らは、公式には認めないだけで、明かに核兵器を保有してゐるのに、敵性國家には絶對にそれを許さず、この斷乎たる、果敢な對應!

    脱線しますが、一發毆られれば十發毆り返す、 あるいは自國に害をなしさうな相手には先手を打つて、當分起ち上がれなくなるほどぶちのめすーー このイスラエルの姿勢は、戰後日本と對照的であり、私には驚嘆・羨望の的でした。ですから、あの原子爐破壞には、人ごとながら、快哉を叫びました(そのイスラエルにやられるイラクに自國がなぞらへられたとも知らずに)。

    それより10年以上前のことですが、イスラエルのテルアビブで、現地の人と話した際、私は冗談半分に、こんな提案をしました。「100年を期限として、領土を交換しないか。100年後に、領土を殖やして返したら、報償金を貰ふ。減らしたら、賠償金を拂ふといふ條件で。日本人は、四方を敵に圍まれたこの地が我が領土となつたら、防衞に眞劍にならざるを得ないだらう。一方、イスラエルの人々も、優しい自然の中に住めば、氣持も穩やかになるのではと思ふが、どうか」。 答は” Exellent!” でしたが、そんな呑氣な冗談を言つてゐる場合ではなく、 自國の「絶體絶命の窮地」を心配すべきでした。

    米朝會談・米の眞の狙ひは日本の核永久放棄?

    閑話休題。現在に戻つて、先生宣はく「6カ国協議が始まって十年後の今、米朝会談が取り沙汰されますが、私が最も恐れるのは、もし朝鮮半島と一緒に日本も核抜き体制を担うと取り決められれば、日本は今後核保有の選択ができなくなることです。核の永久放棄に署名させられる可能性もあり、米朝会談の米国の真の狙いはこれで、6カ国協議が再開され、実は一番不気味な動きが最後に起こるのではないかと私は思います」。

    これは私にとつて何よりも恐ろしいことです。なぜかと言へば、日本の核武裝こそ私の永年の念願で、今の腑拔けな我々にはできなくとも、子孫に、あの日清・日露の頃のやうな雄々しい、智慧に滿ちた連中が現れるかも知れず、 彼等を前以て縛ることは誰にも許されない筈ですし、且つ我々の後世への期待まで今失つてしまふことに堪へられないからです。

    それなら、 普段から「米国の真の狙い」を眞劍に意識すべきですが、これもおろそかにしがちで、先生の指摘により、さうだ!と氣づいたとはお粗末。
    第1次安倍政權時代の平成18(2006)年、 中川昭一政調會長が「核保有の議論はあっていい」と發言すると、ブッシュ大統領は即座に「中國の懸念を知ってゐる」と應じ、急遽來日したライス國務長官が「核の傘」の提供を明言して、日本の核保有を牽制しましたね。あの過剩な、大あわてとも見える反應には、大いに驚きました。アメリカはそんなに氣にしてゐるのか。こちらには、それほどの根性はないのに、買ひ被つてくれてゐるのだ、とも思ひました。

    核停條約と三島由紀夫の自決

    先生によれば、事態は今も同じです。これはバカにされ、無視されるよりは遙かにましです。 ここで踏ん張り、後世のためにも、なんとか乘り切らなくてはなりません。「だから日本政府よ、肚を据え反撃しているか? と私は念を押し釘を刺すのです」との仰せに滿腔の敬意を表します。この際、己がひねくれ根性も抑へます。

    「半世紀前の1970(昭和四十五)年、佐藤栄作内閣は核不拡散条約(NPT)に署名しました。しかし、当時の官僚たちは徹底的にサボタージュして、批准に至ったのは76年です。 日本の中枢には、核を持たない敗北国家になることへの恐怖があり、当時の西ドイツが屈服して署名したのを見研め、 最後に批准したのです」ーー この「恐怖」、批准までの6年間のためらひを、先生が高く評價してをられることは夙に承知してゐます。そこに先生の御心の核心があるやうに感じられ、私もこれに倣ひたいと思ひ續けてきたことはたしかです。

    「三島由紀夫が自決した70年はNPT署名の年です」とすると、批准の6年前だつたのですね。私は「三島は四十五年生き、死後四十八年經つた」と考へ、その檄文に「核停條約」「抗議して腹を切るジェネラル一人、自衞隊からは出なかった」などの語があつたことを思ひ出して、感慨にふけることがあります。

    見てきたやうな嘘を大見出しに

    安倍總理大臣とトランプ大統領の先般の會談についての、想定問答、面白いですね。

    対話A  安倍「・・・自動車会社に日本でも売れる車を作らせるのは大統領、あなたの仕事じゃないですか」
    トランプ「なるほど、言われてみればそうだな・・・」
    Aなら安倍さん、合格ですね。

    対話B トランプ「シンゾー、いつの世もアメリカがナンバーワンだということを・・・片時も忘れちゃいけないよ」
    安倍「・・・言われなくてもわかってるさ」
    Bなら落第。

    対話C トランプ「シンゾー、中間選挙があるのを知ってるだろう」
    安倍「・・・私も国民に上手に言うから、中間選挙が終わったらドナルドが対日輸入制限を解除して、TPPにも加盟するのを規定方針にしておくよ」
    Cなら大合格、御見事! さて、實際はどうだつたのでせう。
    「このような機転を一国の代表として持っているのか、機微に触れるやり取りを本当にしているのか。これも政府に念を押して釘を刺しておきい」、 ごもつともです。 政府が腐つた糠でないことを祈らざるを得ません。

    「政府は対話内容をもつと明らかにすべきです」にも同感です。更にメディアももつと努力すべきです。安倍さんべつたりでも、それなりに中身を聞き出して知らせることはできる筈です。
    産經のやうに、 一面の大見出しとして 「ゴルフまでタフでは困るぞ」(トランプ)などと架空の科白をでつち上げるとは、末期現象でせう。
    嘗て、支那の文革の内幕をあれほど生々しく報じたのと同じ新聞かと疑ひたくなります。 柴田穗さんのやうな記者は二度と現れず、 今後も與太新聞に墮ちたまま行くつもりでせうか。とにかく、取材能力の低下は目を覆ふばかりです。

    「日本は自由・人權の旗手に戻れ」

    だらだらと長くなりました。この調子では、どこまで行つても、まともな感想になりませんので、先生の基本的な御提案を紹介して終りにします。
    「日本の政府に強く訴えたいのは、私たち日本人は欧米に自由や民主主義、人権の大切さを教えられたのではなく、自らの歴史の中でそれがいかに大事であるかを認識してきたことです。むしろ日本が彼らに対して自由や人権の旗を振って教えなければいけない。メルケルさんにも安倍さんは堂々と胸を張って『貴女は何をやっているのか』と叱責しなければいけない時です」
    「日本はいち早く全体主義を警戒し反共の旗を真っ先に掲げました。大東亜戦争期の治安維持法もファシズムのためではなく、ソ連による共産化から自国を守るためでした。共産勢力との冷戦の旗を振り始めたのは米国ではなく日本だったのです」
    「第一次大戦後、史上初めて世界に人種差別撤廃提案を行ったのも日本でした。今こそそこに戻って自由や人権の旗を掲げ、中国や北朝鮮にイデオロギー的な戦いを挑み、ヨーロッパにも貴方がたは今何をやっているのだと、アジアで起きている凄まじい侵略をしかと認識せよと言うべきなのです」
    「南シナ海の現実はヒトラーの戦略と酷似します。パラセル諸島はラインラント進駐、次に台湾や香港がオーストリー併合と同じ道をたどるのです」

    堂々たる見識ですね。ただ私なら、假に同じ見識を持ち合せても、安倍首相率ゐる政府にこのやうに率直なもの言ひをする氣にはならなかつたでせう。なにしろ、ここまで駄目になつた日本人の見本が安倍さんや自民黨だと考へ、 この人たちに今さら・・・といふ思ひだつたのですから。

    深い絶望の淵にあつても

    いや、その點先生は私以上でせう。先述の水島社長との對談で先生は安倍さんを 「戰後最惡の總理大臣」 「膿を出し切ると言つた。しかし、膿は自分自身ぢやないか。 自分が出てゆくしかない」とまでこき下ろされました。 週刊誌のインタヴィウにも「改憲のチャンスは半永久的に失われてしまいます。こんな事態を招いた安倍首相は万死に値する」 「叱咤激励するつもり
    はないですよ。単純に安倍首相の人間性に呆れ、失望しただけです」と、完全に見限つた答をされてゐます。

    今囘の御所論にも、「その後の十五年で日本人全体がうすらボケの度を強め、格段に非現実的になっています」「とりわけ保守派の自己認識が、 かつてより一層思考停止に近づいていると痛感します」「保守政治の堕落は、ことにこの十五年で著しくなっています」「自民党がこの十五年何もしなかったからで、 自ら日本を追い込んだのです」「日本は永遠に隷属国家
    でいいと決めている」「多くの人は自民党はどうしようもない集団だと思っているでしょう。他に代わる政党がないから投票しているだけです」等々、嚴しい言葉が續きます。

    先生の絶望感は、恐らくたとへやうもないくらゐ深い筈です。にもかかはらず、 先生は「念を押しクギを刺」さざるを得ないのでせう。このお氣持は尊い。それがどこかで然るべく通じる可能性は絶無ではないでせう。

    ヴァイツゼッカー演説・外國人勞働者・歴史教科書・・・

    これまで、先生のどのやうなお言葉が現實を動かし、世論を變へたか思ひ返してみました。先生の啓蒙的言論のみを意識して追ひかけてきたたわけではないので、さうたくさんは擧げられません。

    一番に思ひ出したのは、平成5(1993)年に書かれ、後に文春文庫『異なる悲劇 日本とドイツ』に收められた「ヴァイツゼッカー前ドイツ大統領謝罪演説の欺瞞」です。 當時ヴァ氏の「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」といつた科白が、日本では格調高いなどともて囃されて、 「日本の指導者も同樣の名演説をすべし」 と主張する者まで出る始末。これに對して先生は、 日本とドイツが嘗てしたことは全く別次元のことであること、ドイツも 一般の戰爭犯罪については一切補償してゐないこと、 さらにヴァ演説もよく讀めば決して「謝罪」などしてゐないことを、 明快に分析、立論されました。
    あれで、世間の風向きもかなり變つたと感じました。ヴァ演説を擔いでゐた、たとへば猪瀬直樹などは、以後あれに觸れなくなつたのではないでせうか。

    二番目が外國人勞働者の問題(最近の政府は西尾提言を忘れたかのやうにも見えますが)。

    三番目は歴史教科書の問題(近く刊行される「西尾幹二全集・第17卷」がこのテーマで、 事前に目次だけを見せていただきましたが、多岐・厖大な内容で、私にはとても全容をつかむことはできませんでした)。

    その他にも無數にありさうですが、 これ以上の探索はしません。

    今囘の結びのお言葉はどう國を動かすか。至誠天に通ずることを切に祈ります。

  2.  論文全体に言及するのは私の手に余りますので、半島情勢に関しては、ここ10日ほどの交渉と駆け引きの推移をおとなしく見守りたいと思います。ただ、南北首脳会談を境に、両首脳のことを、まるで平和の使徒であるかのように持ち上げたわが国の世論にはあきれてしまいました。そして、弱小国でありながらも、したたかに自国の立場を主張する北朝鮮の姿勢にも感心しました。これこそが、わが国の政治家に今一番必要なことなのではないかと思いつつ。

     先生が、限られた誌面であるにも関わらず、敢えて過去の書物から多くの引用を載せたのは、その時の発言がまるで今日の事態を予言するかのような内容であったにも関わらず、ほとんどの日本人が、この間ここに書かれていたことを意識してこなかったことで、改めて目を覚ませと喚起しているのだと思います。私たちは今、先生の全集を読むことで、その警告がいかに将来の危機を予言していたのかということを知り、恐れ驚くとともに、その間の無為無策にも悲しんでいます。わが国がイラクの道を辿るということは悪夢であるにも関わらず、これを奇論とかたづけて、都合の悪いものは見ないことにするといういつものその場凌ぎを続ければ、将来に大きな禍根を残すのではないでしょうか。

     今回は論文の最後に書かれていることについて感想を述べたいと思います。それは、ヨーロッパのソ連化という問題です。ソ連が消滅して30年近い年月が流れました。笑い話ではなくて、ソ連を知らない若者もいる世の中です。このことが、今回の論文の副題にもなった「日本が自由と人権を語れ」にまっすぐにつながっているように思います。
     実はこの、「ヨーロッパのソ連化」という見出しの意味が理解できなくて、先生に電話をして教えを乞いました。なぜ、ロシアでもなく中国でもなく、ロシアなのですかと。読者の皆様には自明のことかもしれませんが、私がご教授いただいた内容をここにかいつまんで書きたいと思います。
     東独出身のメルケルには、未だ東独イデオロギーから抜け切れていない。いないどころか、まだどっぷりと浸かっている。東独で養われた愛国心が彼女の全身には染みついており、経済では西に負けたかもしれないが、道徳では西には負けていないと信じている。グローバリズムも共同体精神も、共産主義が終わった後の共産主義である。
     それで彼女の難民に対する度を超した「優しさ」にも合点がいきました。そして安倍さんにクギを刺します。「安倍さんは堂々と胸を張って、『貴方は何をやっているのか』」と叱責しなければならないのだと。なぜそれが日本人の安倍さんにできるのか、いやそれ以上に、なぜその資格があるのかということを、近代史を振り返って説いています。

     今から30年前に東ヨーロッパからは全体主義(共産主義)が消滅したことになっていますが、そのイデオロギーは今もしぶとく生き残っていて、いつか世界をその魔手で覆い尽くそうと、虎視眈々と狙っている。そればかりか、アジアの中にはまだ「反革命」の動きも見えていません。先生が「全体主義の呪い」を書いた時から長い時間が過ぎましたが、それは過去の歴史ではなく、今現在の危機であるという警告を、現在に生きる私たちも真摯に耳を傾けるべきだと思います。美辞麗句に装われて、世の中は日ごとに息苦しくなってきました。今こそ日本は、過去の歴史で示した正しい認識に立ち返り、世界に向かって自由と人権の価値を語るべきだとの提言は、まさしくその通りであると思います。

  3. 「正論」誌が今日届きましたので、ざっと目を通しました。
    西尾先生の論文を一瞥しての感想ですが、

     一言で言って、賢明な西尾先生らしくない、ということです。
     「トランプに代り、日本が自由と人権を語る」には力の裏付
     けが欠かせません。
     現在の日本は実質的にアメリカの保護国なのです。自国の
     拉致被害者の救出もトランプ大統領に縋るしかありません。

     つまり、現実論としては安倍首相が努力なさっているように
     自立・自助の「普通の国」になることが必要です。憲法改正は
     その第一歩でしょう。
     でも、西尾先生は安倍首相を全く評価されません。その是非は
     皆さんの判断にお任せしますが、現実の問題としては、
     「トランプに代り」というよりも、「トランプと協力して自由と人権を
     語る」、しかないと愚考致します。
     世界に対する安倍首相の存在感も、トランプ氏との良好な関係
     があるからこそだと思います。

    1. 尾形 樣

      「西尾先生は安倍首相を全く評価されません。その是非は
      皆さんの判断にお任せします」は當然として 「『トランプと協
      力して自由と人権を語る』、しかないと愚考致します。 世界
      に対する安倍首相の存在感も、トランプ氏との良好な関係
      があるからこそだと思います」について論據をお示しいただ
      ければさいはひです。

      1,「世界に対する安倍首相の存在感」といつたものが、本
      當にあるのでせうか。なるほど、安倍さんは外遊がよほどお
      好きらしく、ヒマがあれば(なくても?)お出かけになります。
      そして、要人たちと握手や乾杯をする安倍さんは、大層御機
      嫌麗しいやうに見受けられます。
      けれども、 「世界に對する」「存在感」を、私は感じたことがあ
      りません。世界の要人の中で、たとへば、安倍の言ふことなら、
      一應聞いてみようといふやうな氣持を抱いてゐる人がゐるな
      ら、お教へいただけないでせうか。
      私の耳に這入るのは逆に、トルコのエルドアン首相(大統領
      になる前です)に對して、プーチン大統領との仲をとりもたう
      と、安倍さんが申し出て、鄭重に斷られたといつた、日本人と
      して赤面するやうな話ばかりです。

      2,「トランプ氏との良好な関係がある」のですか。電話會談
      とか、2囘のゴルフとか、その程度しか知りません(大統領選
      中、安倍さんが會つたのは敵のヒラリー・クリントンだけでし
      た。かういふことの重みは相當なものではないでせうか)。
      あるとしたら、どのやうなものか、それに基く具體的成果など
      を、なるべく具體的にお教へいただければさいはひです。

      以上よろしく御高配のほど願ひ上げます。

  4. 西尾先生の「政府に今、クギを刺す  トランプに代わって、日本が自由と人権を語れ」を読んで。

    石部勝彦

     大いに共鳴いたしました。特に最後の<日本は自由・人権の旗手に戻れ>の、<この世界の現実の中で、日本の政府に強く訴えたいのは、私たち日本人は欧米に自由や民主主義、人権の大切さを教えられたのではなく、自らの歴史の中でそれがいかに大事であるかを認識してきたことです。むしろ日本が彼らに対して自由や人権の旗を振って教えなければいけない。(中略)安倍首相が言う公海の「法秩序」も大切ですが、自由や人権からの共産主義否定を、あまり言わなくなったアメリカに代わって、安倍首相ばかりか自民党が声を大にして発言していくべきでしょう。>の部分です。
     敢えて申し上げますが、私ならこれに続けて次のように言いたい。<「八紘一宇」の精神を語れ>と。「八紘一宇」とは、「世界の国々は家族のようになろう」という考え方です。「家族」の構成員は決して対等ではありません。強い者もいれば弱い者もいる。そしてそれぞれの立場や役割を尊重しあっている。そして強い者は弱い者の面倒を見て、その成長を促す。戦前の日本の外交政策は「アジア主義」と呼ばれましたが、その精神が「八紘一宇」だったのです。この精神はとりわけWASPと呼ばれるアメリカ人に恐れられました。放っておけば、日本が有色民族の盟主になってしまって巨大な存在になる。私は、アメリカが日本を叩き潰そうとした理由はこれだと思っています。私はあの日米戦争について、「マニフェスト・ディスティニー」と「八紘一宇」の衝突であったという視点から描きたいと思っています。
     それはともかく、これは日下公人氏が言われていることだと思いますが、「グローバリズム」が崩れつつある今、それにとって代わり得る唯一の考え方が「八紘一宇」ではないかと思うのです。

  5. 私は、日本がどれくらい純粋でいられるかと同時に、どれくらい図太くいられるかを、世界の例を見ない状態で日本らしく存在できる。そういった理想を内面に秘めながらその理想が個々に無理もなくごく自然で、勿論他国にも融和で、そうした基本的な人間骨子がありながらも、問われる人間的ユーモアにも柔軟な人間でありたい・・・これが大まかな自分です。ですから当然迷いも多く、なかなか決断も難しいわけですが、西尾先生はそういう私みたいなタイプにこう釘を刺してくれました。

    「人間は答えをはっきりさせろ」と。
    どちらにするべきか迷う態度こそ一番評価が低いものになると知りました。
    ある意味現代人に一番重い責任を先生はおっしゃったということです。
    でも、そういうことがどんな時代になっても不可欠なことだとおっしゃりたいのだと思うんです。個人レベルでも国家レベルでもそれは最大限重要なもので、それを踏まえた人間の「幅」が現実的に試されているということを、先生の言葉の中の行間から学ぶ思いでした。

    果たして自分は普段それを意識しながら生活しているのだろうか。
    けっこうこれが重い課題になり、悩むまでには至らずも、意識する中での自分の課題として今も継続している事というわけです。

    そして先生はそれをいつも実行されています。
    安倍さんの代わりになる人間がいないと思うこと自体が日本の終わりの始まりになることを憂いでいる。

    「簡単なことが難しくなる事への毛嫌いが先生には元々ある」・・・と私は感じている。つまり、自分がやろうと思えば済むことを、すべて他人任せに考えている人間への苦言だと感じる。

    「行動」こそが最も大切なんだと先生は2002年ころおっしゃっていた。
    「若者よ、ネットのようなお互いを舐めあうような緩い場所で安堵するな」と言う意味の苦言を、のっけからさしていた。

    その言葉は先生の行動が証明している。

    トランプ氏が最新の情報によると、「金銭面では北朝鮮の隣国が支払うことになるだろう」とマスコミに公表した。
    それを聞いて、やっぱり私が思った通りの流れになりそうだ感じた。
    アメリカは日本には金銭面での役割を担うことを義務付けていると感じていた。それを実行できるのは日本以外にできないことのトップ会談での約束を確認していたに違いないと思っていた。
    やっぱりそうなんだと今朝のニュースで確認できた。
    それが日本の役割なんだとと言うことの再確認ができた。

    これが現状ですよ・・・と言いたい。
    残念ですが。

  6.  昨日、またコメント投稿に失敗しました。しかし、今朝、5件のコメントが掲載されているのを見て、気を取り直し、もう一度投稿を試みてみます。

     ご文章の冒頭から「… 一番焦点になっているのは、実は北朝鮮ではなくて日本だということを日本人は自覚しているでしょうか」と鋭く洞察され「… 日本の将来で最も私が恐れているのは、意志喪失の常態化なのです」と先生の慷慨と深い悲嘆が切々と伝わってまいります。そして「一瞬の差で北朝鮮が核を残したまま統一されれば、半島は核保有国家になります。それは朝鮮半島の人が密かに狙っていることです」以下のご指摘にも、深く共鳴し、私も憂悶を深めております。

     確かに、現実の国際社会において「核武装する」と云うことは「主権国家であること」を堅持する上で不可欠な要素で、昭和45年の晩秋に市ヶ谷台で壮絶な諫死を遂げられた三島由紀夫烈士も、その檄文の中で「NPT(核停)条約」に言及しておられました。それに先立つ同年の2月に日本は同条約に署名させられてしまいましたが、吾が国はその後6年余りにわたりそれを批准せず、当時の政治家の一部や防衛サイドの制服組等には「核武装を封じられたら、吾が国を真の主権国家として護ることはできなくなる。その間永久に米国に隷属させられたままになる」と云う真面(まとも)な危機感があったものと回想します。(当時、私はまだ防衛庁の現役のヒヨコでしたが、陸幕長から統幕議長に転じられた来栖陸将は、防衛庁長官であった坂田道太先生に「NPT(核停)条約を批准したならない」と直接進言され、坂田長官はそれを真摯に受け留めておられたようです。
     しかし、愛国心皆無のバルカン政治家 三木武夫がタナボタで首相の座に就くや、卒然と同条約を批准してしまいました。そして、それから間もなく来栖統幕議長は「超法規的行動」発言により「超俗物政治家」であった金丸防衛庁長官により首を斬られてしまいました。

     先生も仰せのとおり、自民党の出自も所詮は米国に使嗾されるポツダム政党であり、その軛を脱することは至難なものでありましょう。(その米国そのものも、長い間 国際金融資本や〇〇〇に使嗾される存在であったでありましょうが)、それまでも、それからも、吾が国は、その堅固な軛に繋がれて、大多数の国民同胞は、上から下までGHQに注入されたWGIPの猛毒に長年の間に骨の髄まで蝕まれほぼ完ぺきに洗脳されて、こと「国防」に関しても、意志喪失の常態化を深める一方で、防衛省・自衛隊を退官して十年余りになる私も、もう数年前からは「日本も具体的な国難に遭遇して一度甚大な大被害を被らなければ、国民が覚醒し、国家を蘇生させることは不可能ではないか」と半ば諦めかけておりました。そして最近では、国内外の反日勢力のメディア工作等が見事なほどに奏功し、非国民化した大衆は、国難が間近に迫ってきても、最早為す術をしらないのではないか、反日工作が常態化した指導層は倒錯し、崩壊する祖国を眺めてむしろほくそ笑んでいるのではないかと、それに激しく反撥するとともに、深く深く悲観しておりました。

     その上、この「国防」上の大問題を更に超える次元の最大問題も咫尺の間に現前してまいりました。言うまでもなく「萬世一系の正統な皇統の断絶の危機」と云う史上空前の大問題です。GHQを使嗾した勢力によってもたらされた「皇室」に対する立ち枯れ工作と「国民」に対する自虐歪曲史観 刷り込み工作の成果が結実して浮上してまいりました。日本人の皮を被った非日本人(いや、反日本人か)がここまで増殖してしまったのでは、最早 天佑を祈念悃祷するほかはないかと、天を仰ぎ長嘆息するばかりのこの頃でもありました。

     しかし、私よりもひとまわりも上の先生が、チャンネル桜の水島氏と激論して叱咤され、優柔な安倍総理を繰り返し(今回も)叱咤激励されているご熱性を拝すると、私自身も叱咤激励されていることに思いをいたし、心の奥底から感応するものが湧き上がってくるのを感じております。
     今を生きる日本人の一人として、悠久の御先祖達に顔向けできるためにも、無限に続いてもらいたい子孫達のためにも、もう一働き頑張りたい、一汗も二汗も、幾汗もかき続けていかなければならない、と決意を新たにする想いです。

  7.  ようやく今朝、コメントの投稿に成功し(実は、十回近く、エラー表示を受け、送信を繰り返した末のことですが)、ご掲載いただいた拙文をもう一度自分で読みかえしましたところ、大事なところで漢字変換を見落としていることに気付きました。
     末尾の締め括りにおいて「ご熱誠を拝し」と書くべきところを「ご熱性を拝し」と誤記してしまっておりました。お詫び申し上げるとともに、あらためて訂正申し上げます。

  8. 西尾先生が今回の論文で採り上げた平成16年の作品『日本人は何に躓いていたのか』、副題は「勝つ国家に変わる7つの提言」でしたが、当時7つの提言として論じられた日本人の躓きはずっと続いていて、今回の論文はその「今日版」のように思えます。

    外交、防衛、歴史、教育、社会、政治、経済と7つの日本のあり方への提言を、今の私たちがどれほど克服できたか、克服などできないにしても、少なくとも保守を自任する日本人がどれほど認識、咀嚼出来ているかといえばそれも怪しいものです。「これを読んだ半数の人が、当時は意味がよく理解できなかったようで、奇論とさえ言われました。」とのことですが、では当時の提言が今日見ても「奇論」であるかといえばそうではなく、提言、問題点はより明らかに、状況は日々悪くなり溝が大きく広がっていることに焦りを感じます。世界情勢は14年で大きく変わり、何よりも中国と朝鮮半島情勢は事次第ではあっという間に直接火の粉を浴びることになります。だから口調を強くして「提言」から「政府にクギを刺す」とされたと思います。

    日本人にとっての自由や民主主義人権の大切さは欧米から教えてもらったものではなく、「自らの歴史の中でそれがいかに大切であるかを認識してきた」ものなのだから、今こそ外に向って、特に中国に経済侵略されているヨーロッパに日本は堂々と語るべき立場であるということ。それは「日本は正しい歴史を歩んできた」ということを前提としますから、戦後の歴史観では全くいけません。安倍首相や自民党の肚は据わっているのでしょうか。

      私たちも日本の歴史の一部です。わずかな一部ですが。連なってきている中でその連鎖を切ってはいけない、そういう思いを強くします。
     よく参拝の日にちを外せという意見もありますが、(中略)思いが集約されていますから、その日に行くことが非常に大切なんです。(「Voice」2003年12月号)

    小泉首相時代の安倍晋三氏の力強い「気合の入った」言葉ですが、その後総理としての行動や談話については私が申すまでもありませんが、それでも私たちは国への希望を政治に託すしかありません。

  9. 阿由葉 樣

    「よく参拝の日にちを外せという意見もありますが、(中略)思いが集約されていますから、その日に行くことが非常に大切なんです」などと安倍さんは「気合の入った」ことを言つたのですか。 知りませんでした。
    平成15(2003)年の ” Voice ”12月號に載つてゐるのですね。同年9月に
    、小泉内閣官房副長官から自民黨幹事長に大拔擢され、サプライズ人事と言はれた直後の言葉でせうか。

    それより2年前(平成13年)、小泉總理は「如何なる批判があつても、必ず8月15日に」と大言した靖國參拜を13日に繰上げ、我々を激怒させました。のみならず、ポケットから取りだした小錢(?)を賽錢箱に投げ入れましたね。西尾先生が「こんな男に詣ってもらひたくない」とおつしやつたのを覺えてゐます。

    安倍さんは小泉總理のあの參拜を意識してゐたのでせうか。「思いが集約されてい」るとは言ひも言つたりです。しびれますね。日本の今後は全て安倍さんにお任せしたいと多くの人が念じたのも無理はありません。

    「その後総理としての行動や談話については」阿由葉さん同樣、私も申すまでもありません。

    15年前の私は、西尾先生が「叱咤激励するつもりはないですよ。単純に安倍首相の人間性に呆れ、失望しただけです」とまでおつしやる今日の事態は全く想像できませんでした。嗚呼!

  10. 池田様

    「Voice」12月号からの引用、実は西尾先生の『日本人は何に躓いていたのか』293~4頁からの孫引きです。申し訳ありません。

    その頃の言葉にいまだに痺れて安倍首相無謬を仰いでいるのが保守のマジョリティであることは今の日本にとってとても拙いことです。
    私にはモリカケ問題で盛り上がる野党やマスコミも安倍氏の応援団にみえます。それによって安倍氏擁護の応援団、いわゆる保守言論が燃え上がるからです。もともと「保守である」ことが目的で、手段としての安倍氏であったのに、いつの間にか安倍氏擁護が目的という倒錯に陥っているように見えます。そんな様子を左側は見透していないでしょうか。
    日本人の安全、生活、生命にかかわる幾多の本質的問題、安全保障はもちろん、移民や外国(中国)資本の企業、土地買収など、草莽の議員や言論人が訴え続けていますが、では安倍氏の近くにいるいわゆる保守言論人、および政府にそれらの緊迫性はどれほど伝わっているのでしょうか。薄気味の悪いところです。

    とくに「人手不足」という決めつけに基づく、賃金や雇用体制の見直しに対する援助ではない、安直な外国人の受け入れの拡大。平成の世に入った頃から、西尾先生が警告されたころよりヨーロッパは傍迷惑な綺麗事を振りかざすドイツを軸に更に悪化しているようですが、なぜ政府には西尾先生の長年にわたる論理的かつ渾身の警告が耳に入らないのか。実際には西尾先生を知らない世代も危機感を持っている人は多いはずです。歴史的に奴隷の使役に慣れた欧米のように、職種によって人種や民族が別れる時代に大きく近づきます。異民族や外国に対してナイーヴな日本人がこれからどう変わってゆくのでしょうか。
    http://www.thutmosev.com/archives/76377959.html
    すくなくとも保守を自任する言論人であれば、モリカケの安倍首相擁護よりも日本人の晒されている諸問題こそ多く論じなければバランスを欠くどころか、近い未来言論人として大きな痂疲と目されることになるでしょう。言論人の面子などどうでもよく、問題は私たち子々孫々の日本人としての矜持と生命です。

    安倍首相とは対照的に、以下のような言葉は無学の私には気の利いた解釈がおよびませんが、決死の行動一つによってどうでもよくなってしまいます。

     戦争中からずっと、戦争に便乗するインテリというツァイトゲノッセ(同時代者)、戦後は戦後派というツァイトゲノッセがきらいで、それでニーチェがその後も好きになったわけですね。(中略)戦争中、僕たちはこんな時代にたいしてとてもアンパッスンク(適応性)がないと感じていたわけですね。それはある意味では劣等感です。それをニーチェが非常に朗かにウンツァイトゲメース(反時代的)と言ってくれたんです。自分はそれじゃ適応性がないだけじゃなくて、もっと積極的に反時代なんだと思えば安心する。(「世界の名著 第46巻 ニーチェ」付録『ニーチェと現代』昭和41年1月10日 三島由紀夫と手塚富雄との対談)

    三島由紀夫氏はそれからおよそ4年後、決然と諌死を遂げられました。

  11. 阿由葉 樣

    孫引きでしたか。まったく頭に這入つてゐなかつたとはお粗末!

    早速、先生の御本を開いてみました。
    「國民の永年のストレスーー首相の人間的力量不足」と題する文章ですね。小泉總理が參拜を13日に繰上げたことなどを、「彼の歴史への畏敬の気持ちを疑わせるに十分」と難じられたあとに、それとの對比で、安倍さんのあの言が引かれたのですね。しかもずゐぶんと長い引用で、安倍さん、いろいろと氣の利いたことを言ひ、シビレさせてくれます。
    しかも、「氣合の入つた」と評されたのも貴兄かと思つてゐたら西尾先生でした。なんたる誤讀!
    西尾先生、安倍さんについて、「今きちんとこれだけ弁舌を尽くしていえる政治家は少ないのです」と、ほぼ絶讚されてゐますね。

    あの頃、我々が熱狂的に安倍支持に傾いたのも無理はない。同時に現在、西尾先生とともに、深い失望感にさいなまれ、「ストレス」が溜るのも、已むを得ないところですね。

    また教へて下さい。

  12.  6/12に迫った米朝首脳会談にはいやな予感がしています。 
    日本にとって大した成果もなく経済援助の請求書だけが日本に回ってくるのではないか。 そして後ろで糸引く中国の覇道の着実な動き。 その覇道推進の秒針の響きにいらつく日々です。

     そんな中、正論7月号で西尾先生の『政府に今釘を刺す』を読みました。最も共感した点は、論文の趣旨に当たる以下の様な言葉です。
     「・・・今こそ自由や人権の旗を掲げ、中国や北朝鮮にイデオロギー的な戦いを挑み、ヨーロッパにも貴方がたは今何をやっているのだと、アジアで起きている凄まじい侵略をしかと認識せよと言うべきなのです。 ・・・・自由や人権からの共産主義否定をあまり言わなくなったアメリカに変わって、安倍首相ばかりか自民党が声を大にして発言してゆくべきです。 ・・・手の打ちようがないと諦めていてはいけない。そうだとしても、あがいてもがいて、こういうやり方があるんだと国民に訴えたり教宣したり、その叫びがにじみ出ているかが問題なのです。・・・・」

     まさに、安倍総理の「公海の法秩序」で責めるのも大事ですが、もっと本質的に「自由や人権」で攻めるべきだと思います。 
    アジアの冷戦(対共産主義)は終わっておらず、むしろまさにこれから大きく再燃させなければならないと思います。 願わくは、1990年にソ連を崩壊させたように、中共などを封じ込め打倒屈服できればと思います。

     ただ、中西輝政氏や小川栄太郎氏などの論客から、価値観外交や冷戦的封じ込めに対しては以下の様な見解が出されていますし、もはや冷戦思考は通用しないとの言葉も聞きます。
     「ソ連と日本帝国の失敗を研究した中国はソフトパワーを駆使し、一帯一路やAIIBの新グローバリズムヴィジョンを世界に主張し、中国封じ込めを不能にすることに成功しつつある。」
     「ロシアは米国をアジアから排除することで中国と結託しており、排除完了までは結束を崩さない。」
     「中露独の結束も進みつつあり、EUや英国も中国に対抗しようとはせず、利用しようとしている。」
     「日本人の多くが戦後レジュームの中の漸進主義/日和見主義から抜け出せておらず、価値観外交だけでは孤立し自滅する。」

     また、仮に中共封じ込めが成就奏功して中共を瓦解させ民主化させたとしても、中華復興の夢は中国人から消えず、再びアジアに問題を起こす可能性は高いとも思うのです。

     ですが、今日本が、西尾先生のおっしゃるように中共や北朝鮮の悪事を厳に道徳的に指摘し、乾坤一擲、中共封じ込めを主張し世界を巻き込まなければ、2050年以降の日本は中国の属国か一つの省になり下がるのは、確実だと思います。 大東亜戦争の対米開戦前夜の追い込まれた状況に近い、との連想も浮かんできます。 この危機意識を多くの日本人が共有できれば、事態は変わるのにと思うのですが・・・。

     同論文の中の西尾先生の嘆き、 「・・・アメリカに庇護された自民党はのんきに構え続け、どこまでも落ち込んでしまいました。それを中国はとうに見抜き、北朝鮮にも見抜かれて、日本は本当に危ない状況です。」 にも深く共感し嘆息せざるを得ません。

  13. 幹二先生&諸兄!!こんにちは!! !

    皆さんは自負する特技とか或りますか?

    勿論、意見や考えを記せる事も素晴らしいと想います。

    日本の文化は、職人さんを始め 技能の彩りが豊かなので、その点が特亜が気に喰わない要因の一つ。

    世界で一番 お金を持っている国は、USAや油田保有国ですよね?

    しかし、売れる物が無くなったり、油田が枯れれば、日本の様に” 工夫して暮らすしかない、

    遠く長く先を観ようとすると、俺には何となく 何故 日本の足を引っ張るのかが解る。

    戦争無しで、日本を衰退させようとするなら金を吸い上げれば良い_と言う単純な発想も、USAのプログラムの一環なのでしょうか?

    俺は、北北と煩いですが、別に核弾頭もブラフだと思っているし、自衛隊も優秀なので、

    日本が、もし本格的に国防費に予算を廻すならば、本気で殺しに行く 特殊部隊の創設を応援します!

    俺達は核を持てないからです。(技術があっても。)

    少ない人数でCoverするのが基本、竹中半兵衛だって13人(?)少数で稲葉山城を奪取したじゃないですか?

    WEB等に触れていると、内政の事、易々と死んでいく人が多くて心が痛みませんか?

    もう、軍事の時代では無い!!_と、俺は思っています。

    日本に住む我々を理解してくれる国や人と付き合えば良い。

    気が合うなら、特亜だろうと国や人種は関係無い。

    どう人に” 自分を説明しますか?そう言う意味での ” 貴方が自負する特技は何ですか??_です。

    ;

    ロシアや中国、低賃金労働の移民問題 等は、又 機会があったら話しましょう。

    以上。

    *

    My Page , https://twitter.com/Dellcano

    18.06.07 , 15:56 .

    子路。

  14.  西尾先生が雑誌「正論」7月号に書かれた「政府にクギを刺す トランプに代わって、日本が自由と人権を語れ」を拝読いたしました。なるべく新刊は近所の小さな書店(アマゾンは最小限に)でと思い注文したのがようやく届いて感想を書くことができました。
     論考の内容に関しては池田さんが詳しく紹介されているので、私は感じたことをいくつか書きたいと思います。
     表題にあるとおり、中国にたいし「トランプに代わって、日本が自由と人権を語れ」というのは、誰も反対できない正論かと思いました。今度坦々塾で講師をされる福島香織さんも、習近平政権はオバマやヒラリーのような、「人権」を立てに中国を批判するようなリベラルの方がむしろ苦手で、「力の論理」むき出しのトランプの方が御しやすいと指摘されています。いうまでもなく、日本こそ欧米に教えられるまでもなく「自由」と「人権」を守ってきた国ですから、それを語る資格は十分あります。しかし問題なのは政治家の覚悟の有無ではないでしょうか。これは先生がされる安倍首相批判の最たるものの1つかと愚考しますが、本論の骨子もつきつめれば、政治家の「覚悟」の問題を問うているのではないかと思いました。
     「たとえ手の打ちようがなくても、あがいてもがいて、こういうやり方があるんだと国民に訴えたり教宣したり、その叫びがにじみ出ているかどうかが問題なのです」(p82)
    朝鮮半島がイスラエルになり、日本がイラクのような国家破壊にならないように「そうはさせないという愛国の熱情、ここで踏みとどまらなくてはいけないという自覚と認識、それを実践する努力がほの見えるかどうかが政治には一番重要」(同前)なのにその覚悟が見られない。原発を自衛隊でなく警備会社が守っているのも当事者意識、危機への自覚の欠如です。
     それは何も安倍政権に限らず歴代自民党の問題でした。NPT(核不拡散条約)に批准した佐藤栄作の「裏切り」と自決した三島由紀夫の「純潔なる決断」のコントラストはかくも鮮明です。
     先生が政治家の覚悟を問われるのは、それが国民にも感染するからです。
     「一番恐れたのは、今のゲームのような政治を見ている若い人が、日本の不在を当たり前だと思ってしまうことです。自分の運命を決める国際会議に自分がでないのであれば、それに関しては必ずしも協力しませんよ、というくらいの気概が根底になければいけない。ところが、他国の決定に黙って従わなければならないということが今当たり前になりつつあって、日本の将来で最も恐れているのは、意気喪失の常態化なのです」(p79)
     先生が最も恐れる「意気喪失の常態化」が十四年も積もっていたかと思うと、ぞっとします。自分ひとりだけがそれから免れていたはずはなく、結局は目に見える形で自身の問題となり跳ね返ってきたときに、なすすべがなく途方に暮れるしかない自分の姿が見えるようです。いや、本当のことをいえば、すでに途方に暮れており、ものすごい閉塞感を日々感じております。私だけでなく「明るい話題は大谷しかない」というのはもはや日本国民の共通認識と言えるのではないでしょうか。
     久しぶりに西尾先生の論考が読めてよかったです。やはりぜんぜん違います。月刊誌でも先生にはもっと書いていただきたいですが、あんまり欲張ってはいけませんね。全集と新刊を楽しみにしております。どうぞくれぐれもご自愛ください。
     

  15. 偶々ニュースで、不登校の小学生を登校するよう説得する専門家の密着取材を視たことがある。中年の女性が部屋に閉じ籠っている小学生のもとを訪れ、かなり激しい口調でお説教をして登校するよう促すという内容だったが、突然知らないオバサンに叱りつけられた小学生は狼狽し泣き叫びこんな言葉を口にした。「あなたはそんなに偉いんですか!」。それに続けて彼はこう言った。「北朝鮮の首領様より偉いんですか!」。思わぬ言葉にその専門家の女性も吹き出してしまい、TVを視ていた私も思わず笑ってしまったが、見終わって暫くすると何とも言えない薄ら寒さを感じたものだ。その日本の小学生は、ニュースやワイドショーで北朝鮮の軍事パレードや「首領様」の映像を断片的にであれ見せられている内に、子供ながらに「北朝鮮の首領様はものすごく偉い人だ」というイメージを持つようになってしまっているのである。このやりきれない不快感を、西尾先生は「必要以上に流して恐怖を煽る日本のテレビのうすらバカさ」と、いつもながら簡潔かつ明快に表現してくださっている。

    西尾先生が「終末が近づいている」と喝破された六か国協議を、80年前のミュンヘン会談になぞらえる論調はよく見かける。瀬戸際外交で得手勝手な要求を通そうとするヒトラーは金正恩、その賛同者であるムソリーニが文在寅、チェンバレンであるところのトランプ氏がヒトラー=金正恩に騙されるのか正気を保つのか今が正念場、と言ったところだが、ではわが日本は何処に居るのだろう?国内の政情不安が続き、何ら能動的役割の果たせなかったフランスのダラディエがそれに近いと思っていた。だが、軍事力という最も基本的な国家意志の発動手段を根底から(発想そのものとして)失っている日本は、ひょっとしたら会談には招かれていたが独伊英仏の結論を隣室で待つしかなかったチェコ代表、或いは会談によってほぼ政治的に見捨てられたポーランドのような立場に置かれているのかも知れない。

    チェコやポーランドに侵略の魔手を伸ばしていた頃、ドイツの軍事力はまだまだ脆弱なものだったと言われる。ラインラントに強行進駐した際、もしフランスが制裁を加えてきたら尻尾を巻いて退却するしかない、と、ヒトラーは24時間眠れなかったと言う。ではなぜヨーロッパ諸国はヒトラーを抑えられなかったのか?その一因は間違いなくナチスドイツの恫喝的プロパガンダの効果であり、西尾先生の仰る「“力”に対する信仰」を振りかざす国家への恐怖であろう。そして80年後の我々日本人の目の前で再び同じことが起こっている。決して小学生だけではない。我々大人だって、日々のニュースやワイドショーが何の配慮も無く垂れ流す北朝鮮のプロパガンダ映像を視ている内に「北朝鮮は怖ろしい」「逆らわない方が良い」と、思考や判断に制限を加えられているのではないだろうか。「中国には敵わないのだから逆らうな」と公言する知識人は既に居る。遠からず「北朝鮮の言うことは聞いた方が良い」と公言する者が現れても何らおかしくはあるまい。

    何故、我々はかくも追い込まれてしまったのだろう?それは、西尾先生が叫び続けていらっしゃるように、またコメント欄で皆様が主張していらっしゃるように、政治家をはじめ日本人全体に「覚悟」が無かったためだろう。このコメントを書いているのは6月11日深夜(いや0時を過ぎたので12日未明)であり、今日シンガポールで行われる米朝会談でどういう結果が出るのかは判らないが、皆様が御心配されている通り、日本に対する朝鮮半島からの安全保障上の脅威・不当な経済的要求・歴史や文化に関する不条理な非難が、日本人にとって満足する形で解決することなど有り得ないのは明白である。我々にはそれを断ち切る「覚悟」が無かった。彼らにそれを許したのは我々自身なのである。極論すれば我々は、従軍慰安婦問題を放置したツケを核ミサイルの恐怖で払わされているのかも知れない。無論、それはあくまで「戦後処理を放置したツケ」ではなく「戦後処理が終わったことをきちんとアピールしてこなかったツケ」という意味だが。

    読み返してみて、日本の立場がポーランドに近いというのはちょっと言い過ぎかとも思う。その点、西尾先生が引用されている兵頭二十八氏の、朝鮮半島=イスラエル、日本=イラク、という例えは非常に判りやすい。歴史のちょっとしたタイミングで途方もない不利を被ることもある、という西尾先生の憂慮も十分に現実味を持って迫ってくる。兵頭氏は大学のサークルで何度も講師にお招きした事があり大ファンなのだが、やはり卓抜した着眼だと強く感じた。西尾先生も今回の論考の中で原発の危機について触れていらっしゃるが、兵頭氏はかつて原発について、原子炉自体が如何に分厚い鋼鉄製であろうと燃料棒冷却プールがただのコンクリート製で建屋の高い位置に在るのでは安全でも何でもない、と、東日本大震災よりずっと以前に指摘していらっしゃった記憶がある。その後燃料棒プールが国家を揺るがす大問題になったことは御存知の通りである。日々メディアが垂れ流す洪水のような情報のほとんどは無意味・無価値なものばかりだが、真に注意深く目を凝らし耳を澄ませば、こういう真理を語っている人は必ず居る。怠惰で偏狭な私が、西尾先生や兵頭先生の言葉だけは逃さず聴くようにしているのはそのためなのだ。

  16.  『正論』七月号所載の玉稿拝読後、感想を書こうと思いつつも多忙のためなかなかできませんでした。心ばかりが逸る内に件のシンガポール会談も終わりましたが、その後の情勢を見るとますます先生が心配されておられる方向に向かっているようです。
     今度の玉稿も、政府当局のみならず日本人全般に対して覚悟(覚醒)を促す蹶起文として心強く感じました。ただ、疑問に思われる点がいくつかあります。
     佐藤総理の「非核三原則」なるものがその後の国策に多大な害をもたらしたことは言うまでもありませんが、ノーベル平和賞受賞の理由はそれだけではなく、それと相表裏する関係にあった沖縄返還のためでもあるのではないでしょうか。それを考慮に入れても――毅然とした反共主義者だった筈の佐藤さんの本心は、先生がお書きになられている通りなのでしょうが――なおかつ問題なのは、その後この「非核三原則」が成立の経緯を離れイデオロギー化してしまったことなのです。
     「イデオロギー化」といえば、もう一つ、末尾の「自由・人権の旗を掲げよ」というところなのですが、これこそまさしく最大の陥穽ではないかと恐れているのです。確かに、「自由」「人権」自体はもはや誰しもが認める普遍価値であること、かの国の某有名歌曲にも「自由朝鮮」「民主新朝鮮」などという語句があり、また中共に至っては、天下取りの過程でその「人権」をさんざん利用してきた過去もあり、現在でも「社会主義核心価値観」と称して「民主」「平和」「自由」「平等」等々の言葉が街中にあふれている位です――たとえそれがスローガン以上の意味を持たないものとしても。
     こうしたものが事実上「自由・人権の旗」を空虚なものにしていることはすぐに看て取れる訳ですが、我々(西側)がこれまで、少なくとも三十年以上に亘って「人権」を盾にとって全体主義(別に共産主義のみにとどまりませんが)批判をしても殆ど効果がなかったことを重く受け止めねばなりません。単に相手の実情も考えずに旗を振り回すだけでは結局、彼等と同じではないでしょうか。イデオロギーの押し付けは逆効果であり、もしそれでも云々しようとするなら、その国々にあって「人権」を追究してきた先人の記憶を呼び覚ましつつ、彼等自身に思惟を促すしか手はないでしょう。もし、外部から働きかけようとするなら米国がこの間行ったように「武」と「利」とを相伴わなければ通用しないのではないか、ということを考えています。
     「ヨーロッパに人権を突き付けよ」とも先生は仰っています。まさしくその通りなのですがが、小生は先生とは少し違った意味で同じことを、ヨーロッパに対してのみならずアメリカにも叫びたいのです。曰く、「あなたたちのいう人権とは何なのですか。都合の良い時にだけ振れば何でも願いの叶う、打出の小槌なのですか」と。もはや「人権」などという言葉に惑わされず、日本の価値観をその行動で示す秋ではないのでしょうか。

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