平井康弘
暑中お見舞い申し上げます
西尾先生には益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。8月1日はスイスの建国記念日で、バーゼルでも建国を祝うお祭りが行われました。なかでも前夜にはライン川で大きな打ち上げ花火やイベントがあり、ふだんの静かな市民生活とはうってかわり、大いに賑わっていました。バーゼル市の人口が20万人で、この花火などのイベントに10万人程度が動員されたことを考えると、街をあげての行事であったことがわかります。私も家族を連れてライン川に顔を出し、熱気に包まれた川の歩道を歩いてきました。この日はバーゼル以外にもスイスの各地で花火やパレードなどの似たような催しがあったようです。
日本でこのような建国記念を祝う行事をあまり経験してこなかった私にとっては少なからず驚きを与えました。その後、フランス人やオーストラリア人の同僚と話をして、建国に関してどのようなことをしているか聞いたところ、フランスでは7月14日の革命記念日に公式行事で国家創設を祝う式典が大きく行われ、国を挙げてこの日を祝っているという想像通りの答えが返ってきました。オーストラリアでは1月26日のオーストラリア入植を祝った建国記念日があるが、実際の建国記念としては1月1日の連邦政府誕生がオーストラリア市民にとっては建国記念のようなもので、その他にも州によってばらばらの記念日があると、これもまたオーストラリアらしい返答が返ってきました。アメリカでも7月4日の独立記念日がありますが、各国特徴はあるものの、共通して国家の起源というものを考えることが市民生活には根付いているようです。省みて、2月11日の日本の建国記念日にそのような契機を促すものがあったかと首をひねっていました。
また先週、イギリスやオーストラリアの同僚と話をしていて、今回のイギリスでのテロの話をうけて、イギリスの特殊部隊SASがどのように動いているかという話になりましたが、その中で気がついたのは、彼らの議論の前提として世界情勢のなかで軍隊は自国を守るために必要最低限の機能であり、何よりそのことを意識すらせず、疑問をまったく覚えることがない様子に、日本との相違を思い知らされました。これが日本であれば、軍隊を持つと危険だとか、軍国主義になるといったステロタイプの議論になるのでしょうが、イギリスやオーストラリアなど殆んどの国々は軍があってあたり前の世界で、この世界観の違いはなんだろうかと思いました。彼らは戦争の前と後の歴史が連続しているから、軍が国家という体の組織の一部であることに違和感を覚えることなく、今なお、世界情勢を語ることができるのだろうかと肌身をもって感じた次第です。
日本も、これらの国々と同じようにどこにでもある普通の国であったのが、敗戦によって変わってしまい、背骨を折られ、汚名を着せられ、将来を語ることができなくなってしまいました。北朝鮮によって自国民をさらわれても強く出られない臆病。中国がアジアの盟主たらんと各方面で攻勢をしかけている現況。課題は見えているのに手の施しようがない。それを克服する鍵は、西尾先生がおっしゃる歴史を複眼で見ることであり、正しい歴史教育にあると信じます。
この夏の採択の成功を祈念申し上げます。
私もこちらで益々の努力を重ねて参る所存です。今後ともご指導の程、よろしくお願い申し上げます。
暑さ厳しき折り、お身体お大切になさってください。
不一
平井康弘拝
>平井さま
遠くバーゼルからの暑中お見舞い有難うございます。
(西尾先生あてですが・・・・・)
外国の色々な方との交流や、バーゼル市での花火大会のご様子、興味深く読みました。川のほとりをご家族で歩いておられる様子がなんとなく想像できるようでした。
日本での教科書採択戦は思いのほか厳しく、がっちりと今までの教科書会社が既得権益を握り締めているような気がしています。扶桑社のような新参者にはあまりに厳しい教育界です。いったい誰がどうやって決めているのやら、一般の評価の通らない世界のようです。
でも世の中の書店では、確実に自虐史観に反対する書籍のコーナーなどが出来たりして、一般での洗脳は徐々に解けつつあるのかもしれません。
平井様
国境や国家が主体的意思に基づき、そのことを意識している。
国境を国民の血と汗で守ってきた。
国がなくなることの悲惨さを知っている。
こういう人々と、なんとなく自然にあると思っている日本人との違いと思います。
だからこそ、「宇宙からみたら国境線などは見えません」などとのんきなことを言う毛利衛さんのような人が
出るわけです。