「チャンネル桜「御代替わり特番」」への6件のフィードバック

  1. 秋篠宮様の次女の方の、お姉樣の結婚についての發言には、
    これで果して、きちんとした教育を受けてをられるのかと
    疑はされますね。

    そして、それは父上たる秋篠宮樣御自身がきちんとした教
    育を受けられたのかといふ疑問につながります。更に、今
    上陛下は? 先帝陛下は? と進むのが當然の順序ではない
    でせうか。

    この點を有識者とか、重い役割を擔ふ方々が吟味解明して、
    誤りありしと認められた場合は、責任を追及し、改善策を
    見出して下さることが期待されます。重要なことでせう。
    それによつて、皇室の興廢が決するかもしれません。

    ただし、我々下々は、さういふ苛々するやうな、憂鬱なこ
    とには、できれば關はりたくありません。私自身はヒマ人
    ですが、愉しくないことに煩はされて、日常の心の平安が
    亂されることを好みません。不良國民なのでせうか。

    さういふことは思つても、口にすべきではないのでせうね。

  2. 私も動画を拝見して、先生のご体調が回復されたようで安心しました。

     ところで『正論』6月号の先生の論文を読んで、思い出したことがある。
    北京オリンピック(2008)の柔道100キロ超級で金メダルを取った石井慧
    選手が、その年の秋の園遊会に招待された時のことである。今の上皇陛下が
    石井氏と会話された時、石井氏は「陛下のために戦いました」と言って笑い
    を誘ったのである。TVでそのシーンが放映された時、陛下がいかにも愉快だ
    と言わんばかりの満面の笑みをたたえていらっしゃったのを見た。まさか現
    代の若者からそんな言葉を聞くとは、思っていらっしゃらなかったのだろう。
     石井氏は冗談であんな事を言ったのか、或は意識せずに、口をついて出て
    しまったのかは分からない。
     しかし上皇陛下がしきりに「象徴として」という言葉を発せられた時の表
    情を、園遊会の時の子供のような笑い方と比べると、陛下の苦悩が伺えるよう
    な気がした。先生が『正論』で「われわれ民間人と皇族との間には、歴史が
    築いてきた目に見えない高い塀がある。」(P210)と書かれたように、皇族方
    のご心中というものは、我々庶民が考えるほど、単純なものではないのかも
    しれない。

     それでも「皇太子ご夫妻、すなわち新天皇陛下ならび新皇后陛下の運命は
    国家としての日本の運命と一体である。」(P215)というのは、皇族方の問
    題は、そのまま我々一人一人の問題でもあるということである。
     私個人に言わせれば、天皇陛下や皇室は、いじめっ子が来た時の楯のよう
    なものである。つまり小学生が、近所の恐い上級生にからまれた時、うちに
    はお前より年上で力の強い兄ちゃんがいて、後から仕返しに来てやるぞ、と
    相手をひるませることができる存在である。
     
     かつて「つくる会」のシンポジウムで、先生は、「明治の日本が天皇中心
    の中央集権国家を造ったのは、西洋列強の国家の在り方を参考にして、宗教
    を利用したのは間違いない」、というようなことを仰ったと思う。

     そして現代、国内でも外国人と接する機会がぐんと増え、また外国勢力
    によるあらゆる方面での侵略が進んだからこそ、改めて天皇や皇室の存在
    が大きく取り上げられるようになってきたのだろう。
     自分だけでも本物の日本人であることを確認したい、自らの一族だけが
    大事で、金儲けのために日本列島と日本人を利用しても、いざとなったらこ
    の列島を犠牲にして、自分たちだけ外国に逃げるような連中とは一緒にされ
    たくない・・・こう考えると、明治期の日本人の思いも理解できるのでは
    ないだろうか。
     ところがその皇室にも、「開かれた皇室」などという甘言を弄して、皇族
    方を内部から瓦解させるような外からの力が絶えず働いている。まさに「新
    天皇陛下の輝かしいご即位の日はわが国の未来がはっきり見えなくなった
    危機の日でもあるのだ。」(P213)と先生が書かれた通りである。

     そんな中、天皇陛下には、日本国と我々国民がぶれないための「心棒」で
    あって頂きたい、そんな絞り出すような願いをどこの何者より強く持ちつつ
    も、今日に至るまで雑草のように揺れ動いてきたのが、他ならぬ自衛隊では
    ないだろうか?

    私の実家には、父が貰った叙勲の賞状が飾ってある。そこには「日本国天皇
    は勲七等○○○○を勲六等に叙し瑞寶章を授与する 昭和二十一年一月三十日
    宮城において璽をおさせる」と書いてある。軍隊時代の功績によるものだろう。
    これを見た時、あの戦争の良し悪しは別にして、我が国は身を賭して国のため
    に働いた兵隊には、ちゃんと報いるのだな、と子供心に思った。ただ少々奇異に
    感じたのも、はっきり覚えている。
     何せ昭和30年代から40年代にかけて小中高校時代を過ごし、戦後民主主
    義教育にどっぷりと浸かった自分である。このブログの一つ前の記事において、
    池田様と勇馬様が、左翼や右翼・転向について議論されていたが、私などは
    教育やら何やら、いわゆる左翼の環境しかなかったのだから、バリバリの元
    左翼としか言いようがない。ただ革マルのメンバーのように、警察の事を
    「権力」、大学でも何でも「当局」と呼び、一つの考えを固辞して思い込んだ
    ら一直線、自分だけが正しいと思い込んいる連中についていかなかったのは、
    戦中派の父がいたからだ。

     さてその自衛隊であるが、現政権が憲法第九条にその存在を明記するとい
    う方針を立てているが、そもそもの成り立ちから現在の状況に至るまで、そ
    の在り方そのものが、現天皇陛下と同じくらいの困難を抱えているのでは
    ないかと私は思っている。つまり一言でいえば、「自衛隊は軍隊か否か」と
    いう問題である。
     もちろん災害時の活躍ぶりや、少ない人員で必死の任務をこなしていると
    いわれる隊員の方々には頭が下がるし、隊員たちに対する尊敬はあっても、
    その存在自体に文句を言う人はほとんどいないだろう。それでもまるで黒子
    のように、何と言ってよいか分からない今の在り方に、私は納得できない。
    私のような素人が、偉そうにそんな事を言う資格はないのかもしれないが、
    例え他の一般人に聞いてみたところで、自衛隊は日本国の国防を担う立派
    な軍隊であると言える人は、そうそういないのではなかろうか。

     ところでこの自衛隊について、その創設当初を知る人々が、どう考えてい
    たかが分かる貴重な記事を見つけた。雑誌『丸』昭和34年7月号の「自衛
    隊に物申す」という記事だ。昭和34年は、上皇上皇后両陛下が御結婚され
    た年である。
     執筆者は元軍人や作家の方々9人だ。それを読むと、当然ながら各氏とも
    微妙な考え方の差はあれ、共通しているのは、隊員が明るくて規律正しく、
    みな真面目であるのに精神的な何かが欠けている事、規模も装備も他国の
    軍隊に比較して小規模で中途半端なことを問題視している点だ。特に元軍人
    の方々は、主に政治の側の軍事知識が不足していて、末梢的な問題にばかり
    拘泥して、日本国防の大綱がないことを批判している。殊に冷戦期における
    共産圏側からの間接侵略に対する日本自衛の計画がまるでないことを強く
    懸念している。また各隊員に対しても、如何に世間の目が冷たかろうが、
    国防を担う軍人としての誇りを持って主張すべきを主張すれば、上を説得
    する位のことはできる、そうでなければ、一つの政党に利用されたり、
    却って文権力優位どころか、旧軍と同じ道をたどりかねないと言う。作家
    の角田喜久雄氏は、もし自衛隊に確固とした方針がなく、「何、しばらく
    の辛抱だ。何を言われようとじっと我慢しながら押し強く既成事実を作っ
    ておけば、そのうち何とかなるさ」など、高を括るなどもっての外だと
    主張する。
     こうした欠点の元は、やはり新憲法なのであろうが、荒木貞夫氏(元陸
    軍大将・陸軍大臣)だけは第九条にも言及して、以下のように書いている。

    「終戦後進駐してきたマッカーサーの、日本に対する占領政策は、わが国
    の根本理念を破壊して、古くからの伝統や歴史を否定してしまうことにあ
    った、そして、それに代わるものとして、人権と平等とか自由とかいう言葉
    の魔術を弄して、とうじややもすれば虚脱におち入ろうとした日本人たちの
    精神を動揺させ、日本の建国精神とは似てもつかぬ社会をつくり出すのに
    一応成功した。
     その根本をなす憲法は、とうじニューヨークに創設された占領政策指示
    の機関であった極東理事会が、日本共和国制の指令を出すという情報があ
    ったので、そうなれば日本の国民感情からテロが横行し、自己の占領政策
    が失敗に終ると悟ったマ元帥は、急いで一週間で作成して憲法をおしつけ
    たものであったが、その第九条で戦力の保持は出来ないことになったので、
    マ元帥は一応安心した。ところが皮肉にも朝鮮動乱が起こったので、日本
    の戦力の必要を感じたが、憲法が許さないため、やむを得ずマ元帥の指示
    要望を満足さすために七万五千人の警察予備隊をつくった。・・・」

    こうしてみると、警察予備隊は、国内の治安維持のために造られたとは
    いえ、もとは当時の占領体制を守るという意味合いがあった訳だ。もしそ
    の伝統が現在まで続いているとするなら、今自衛隊が邪魔で仕方がない
    過激派や外国勢力も、その根本は反日なのであるから、現代の自衛隊vs.反
    日勢力という図式というものは、双方ともが本来の日本国の国体とは関係
    のない土俵に立った上での闘争である、と考えざるを得ないのではないの
    ではないだろうか?
     上記のようなことを書くと自衛隊員の方々には大変申し訳ないが、我々
    一般人が自衛隊に対し、災害で活躍される以外は、何となく「我が国の軍
    隊」という感じがしないのはそのためのような気がする。

     先生の今回の対談には、この自衛隊の創設期に関わった後藤田正晴氏の
    ことが出て来る。後藤田氏は「カミソリのように切れる」と言われた人物
    だが、「つくる会」を否定して、先生からコテンパンに批判されている。

     私は、朝雲新聞社の『波乱の半世紀 陸上自衛隊の50年』(2000年)
    という本を持っているが、そこに後藤田氏の談話が載っている。それを
    読むと色々な苦労話が披露されている。例えばGHQとの折衝は、細かい
    ことまでお伺いが必要で煩わしかったとか、アメリカ軍は自衛隊を朝鮮
    戦争に引っ張りだそうとしていたのを断った、などだ。また吉田茂総理は、
    旧軍エリートを排除する形で警察予備隊を組織したが、将来的には軍隊
    になるだろうと予想していたと言う。さらに何度も繰り返し口にするの
    は、自衛隊はその生まれ方がよくなかったという点だ。ただ、当時は
    「屈辱の思い」だったとはいえ、総じてアメリカの将校は優秀な人物も
    少なくなく「相手がアメリカでよかったと思う」と結んでいる。
     談話全体からの印象は、昭和34年の『丸』の9人の方々と比較して
    アメリカに好意的に見えることだ。もちろん書かれた時期も違うし、実
    際にアメリカ軍と直接に関わって仕事をしたか否かの違いもあるだろう。
     しかし『丸』の論考において何人かの方々が、「間接侵略」の脅威につ
    いてしきりに強調していたのを見ると、「つくる会」を否定した後藤田氏
    は、現代中国の危険性については見識がなかったと言わざるを得ない。

     今回、自衛隊が出来てから9年後に書かれた論考と、50年後の後藤田
    氏の談話を読んで、前者の方々が発した警告は、結局現在に至るまで生か
    されて来なかったのではないかと思った。
     西尾先生は、たびたび冷戦期の日本の政治は自社の慣れ合いで、ベルリ
    の壁が崩壊した後も、戦後の総括をせずにやり過ごした結果、現代日本の
    悲惨な状況が出現したと主張されてきた。私が読んだ雑誌記事その他は、
    先生の考え方の正しさを、改めて確認させるものだと思う。

    動画の最後の方で先生が、日本国の成り立ちは天孫降臨の神話から始ま
    る、それをどうやって人々に分からせるか・・・としみじみと仰ったのが
    印象的だった。
     柔道の石井氏が、思わず「陛下のために」と口走ったのは、「国のため」
    と同義だ。そんな、理屈ではない我が国の神話を素直に信じる心だけが、
    日本の真の国防を担えるのではないだろうか。
     そうした意味で、先生が『正論』で新しい天皇陛下に、これらの事を
    お伝えしたように、自衛隊もまた、真の日本国の軍隊に変らねばならない
    のではないだろうか。
                                (完)

     雑誌『丸』の記事と、後藤田氏の談話を以下に転記しますので、ご興味
    のある方は読んでみて下さい。毎度長くなって申し訳ありません。

    雑誌『丸』昭和34年(1959)7月号より
         自衛隊に物申す
    1. 正しい主張を通せ
    服部卓四郎
    はっとりたくしろう1901~1960
    (軍事評論家・元陸軍大佐)

     私ののべることは、自衛隊に物申すというよりは政府、国会等の政治面に物申
    すのが大部分である。
     戦前の軍の政治関与に対する批判が猛烈なことは当然だが、戦後の政治こそ
    政治家が軍事を真剣に研究し、文権優位のもとに適切に軍権を掌握すべきなの
    に現実は政治家が怠慢で、軍事政策はあまりにも幼稚である。
     こんなことでは、いく年かののちにふたたび軍隊の横暴が出現するであろう。
    これが歴史的因果というものである。
     このような意味で自衛隊をみてみよう。
     私どもが防衛力に対する批評をすると軍隊を理解しない人々は、また昔の軍
    隊にかえすのかと反撥する。だから私は昔の日本軍を基準としないで、世界中の
    軍隊をながめ、その共通点に立って観察することにする。
     軍隊は人、物、施設、指導精神を要素としている。この四つがバランスをとっ
    て発育すれば立派な軍隊になるが、自衛隊は果してどうだろうか。
    一、 人の問題
     ポイントは幹部である。戦闘行動になるとすぐにわかることだが、優秀な幹部
    のひきいる軍隊は極小の損害をもって偉大な戦果をあげるが、反対の場合は兵
    を沢山ころしても目的を達成し得ないことになる。
     優秀な幹部をつくるためにものすごい努力をはらい、劣悪な幹部はどんどん
    退職させることは各国共通であるのに、自衛隊では素人を上級幹部に採用し、誰
    でも停年まで勤めている。まさに世界の七不思議の一つである。ただちに矯正す
    ることが不可能というならば、あらためて上級幹部以下軍事能力の厳正な試験
    を行い、合格しないものは退職させたらよいだろう。ゼネラルすなわち将官とい
    う言葉は、軍政、統帥の軍事百般に通暁する軍事博士のことである。ゼネラルに
    人を得なければ、軍隊という団体の生命が危いことになる。
    二、 物の問題
     兵器、資材を他国からもらって補充する方式をとっていると、その国も参戦す
    る場合は中断するのを歴史的に通常とする。だから自ら国力、戦力の補充源をも
    たない軍隊は現代の防衛力ということができない。わが自衛隊はこの意味にお
    いて、未開発国の軍隊と大差がない。
    三、 文権優位
     専門軍事は専門家にやらせ、それが最高政治の方針を逸脱する際に断然矯正
    するのが、文権優位である。軍事能力のない文官が専門分野までのさばっている
    ような状況は、遠からざる将来、文権優位が滅びることを意味する。
    四、 指導精神
     これが合理的に強く打ち出され、そして行動に明らかに出てこなければ弱く
    なったり、クーデターを起こしたり、個々の政党に利用されたりする。「反共」
    というように反の字のついた内容は、主体性を持たないから従属的に使うのは
    よいが、指導精神の根幹にはならない。
     自衛隊は創設いらい九年もたつが、いまからでもおそくない。つくりなおすの
    に近いていどの大改革をするがよい。いままでつみ重ねた予算、人、物、施設の
    一物も無駄にしないで見違えるほど優良なものにする方法がある。自衛隊に職
    をもつ人々は政府や上司からなんと思われようと、合法的に正しい主張を通す
    勇気が必要であろう。

     2. 萎縮せず確固たる信念を
    角田喜久雄
    つのだきくお1906~1994
     (作家)
     
     昨秋、文化人の一行にまじって、習志野の自衛隊見学の機会を得た。
    会った隊員の人たちは個人的には誰も彼もが善意にみちた良い人たちであった
    し、ことに青年諸氏は現代日本青年層のなかでも最も真面目な好意のもてる人
    たちであったように見受けられた。
     隊内の整然たる規律も、放逸になりすぎている感じのある今の世相から見る
    とむしろ、快く感じた人もあったようだ。
     もし、自分に男の子があったら是非一度は自衛隊の生活をさせたいといった
    人のあったのもそういう印象からであったろうし、また当然のことながら、旧軍
    隊にくらべて見違えるような明るさにみちている点にも多くの共鳴者があった。
     しかしながら、それにもかかわらず、一番深く私の心に残ったのは、隊員の間
    に何か萎縮したものが重苦しくとりついている暗い印象であった。
     たまたま、自衛隊の本質とか、そのあり方のいうようなことに質問がふれると
    誰もが当惑したように黙ってしまう。答える用意が全然ないらしい。世間一般が
    あまりにも自衛隊を白眼視しすぎる、もっと温かい目で見てくれなくては困る
    という人もあった。
     隊員になって一番良かったのは、自動車等機械類の操縦を習得出来たことで
    す、将来その技術を生活に役立てたいと思うといった人もあった。なによりも先
    ず、金をためますとはっきり答えた人もあった。事実、隊員の貯金熱は相当なも
    のらしい。
     そのこと自体は悪い事ではないが、しかし、自動車の運転を教えるなら、もっ
    と安い費用で手軽に、しかももっと徹底した技術を習得させる手段はいくらも
    ある。すくなからぬ国費をつかって自衛隊を作った目的が、自動車の運転を教え
    るためだけだったり、金の稼ぎ場所を与えただけだというのでは、それこそ、税
    金の乱費だといわれても仕方なくなるだろう。
     世間の目が冷たいから萎縮するというのは、自分自身に弱点があるからだと
    いわれても仕方があるまい。確固たる主張があるなら、世間の目をはねかえし、
    それを説得すればよい。自衛隊存在の可否そのものは、政治のきめることであり
    隊員のあずかり知らぬことであろうが、それにはいって隊員となった以上は、
    はっきりした自覚と主張をもってもらう責任がある。
     世間の目が冷たければ冷たいで、それが何故かということを考え、国民の疑惑
    を一掃し、自らも安心立命できる確固たる主張と、信念を作ってもらわないと困
    る。隊員である以上、その善悪にかかわらず主長の命令には複縦しなければなら
    ぬといった人があったが、これはその通りであろう。しかし、隊員の考え方が一
    つの与論になった時には、少数の主長者だとてそれに反対することは出来ない
    はずだ。これが現代の、そして新しい自衛隊のあり方だと思うし、そうでなけれ
    ば、国民の心配通りに旧軍隊そのままの将来をたどる怖れがある。
     しかし、このことは、一層自衛隊の幹部、殊に最高幹部の人に考えて貰わない
    と困る。古くさい観念的な忠君愛国だけで号令したのではすむ世の中ではない。
    現に、隊員諸氏が萎縮しているのも、そういう観念だけでは納得していない証拠
    だ。隊員諸氏を含めてあらかたの国民を納得させるはっきりした方針、考え方を
    是非打ち出してもらいたい。
     何、しばらくの辛抱だ。何を言われようとじっと我慢しながら押し強く既成事
    実を作っておけば、そのうち何とかなるさ—などという、不愉快な政治的腹芸と
    やらで胡坐をかいておられては何をかいわんやである。
     それでは、若い隊員たちがあまりにも気の毒だし、国民もいよいよ承服しなく
    なるだろう。

    3. 軍隊としての信念と誇をもて
     荒木貞夫
    あらきさだお1877~1966
    (元陸軍大将・陸軍大臣)

     終戦後進駐してきたマッカーサーの、日本に対する占領政策は、わが国の根本
    理念を破壊して、古くからの伝統や歴史を否定してしまうことにあった。そして、
    それに代るものとして、人権と平等とか自由とかいう言葉の魔術を弄して、とう
    じややもすれば虚脱におち入ろうとした日本人たちの精神を動揺させ、日本の
    建国精神とは似てもつかぬ社会をつくり出すのに、一応成功した。
     その根本をなす憲法は、とうじニューヨークに創設された占領政策指示の機
    関であった極東理事会が、日本共和国制の指令を出すという情報があったので、
    そうなれば日本の国民感情からテロが横行し、自己の占領政策が失敗に終ると
    悟ったマ元帥は、急いで一週間で作成して憲法をおしつけたものであったが、そ
    の第九条で戦力の保持は出来ないことになったので、マ元帥は一応安心した。と
    ころが、皮肉にも朝鮮動乱が起ったので、日本の戦力の必要を感じたが、憲法が
    許さないため、やむを得ずマ元帥の指示要望を満足さすために七万五千人の警
    察予備隊をつくった。
     これが、自衛隊の前身である保安隊となり、さらに今日の自衛隊となったので
    あるが、残念ながらいまなお戦力なき軍隊とかあるいは軍隊でないとして「戦」
    とか「軍」とかいう名称を遠慮(たとえば戦車を特車、陸海軍を陸上とか海上)
    している現状だ。しかし、これがどことなく自衛隊に暗いカゲを投げている。し
    たがって、これが自衛隊に対する世間の見方にも反映しているばかりか、自衛隊
    自身にもなにか意気のあがらないものがあり、制服をつけて昂然として自認す
    る姿に、いちまつの淋しい感を与えているようだ。その原因は、なんといっても
    現憲法よりする禍であるが、しかしその処置はしばらく政府に任せるとしても
    隊自身は昂然として意気を旺んにしてほしいものである。
     どのような議論があろうとも、自衛隊は、武器をたずさえている堂々たる軍隊
    だ。平和風に吹きまくられながらも、世界危機という嵐のなかで世の白眼視に抗
    して祖国防衛に任じている軍隊なのである。したがって、ただ世間の信頼にこた
    えるというだけで満足すべきでないし、ましてや職業的一種のサラリーマンと
    考えてはなるまい。
     古い話にさかのぼるが、かのスターリンが昭和の初めに日本に派遣したベセ
    ドフスキー代理大使に向って、対日政策は中国赤化に対して日本が拱手傍観す
    るようにすることだといった。そしてそのためには、漁業問題、石油問題という
    アメを与えて眠らせておけばよい。またそのために万一日本がウラジオまたは
    イルクーツクをくれといったら、それをゆずってもよい、とに角日本を眠らせ
    ておけ、そのうちブレストリトフスク条約の手をなんどもくり返して日本を叩
    きつけるからと教えている。
     このブレストリトフスクというのは、レーニンが天下をとって共産国家をつ
    くるとき、とうじロシアはドイツと戦っていたから、とりあえずドイツと講和
    を結び、ドイツの要求を全部入れて講和した小都市の名前であるが、レーニンは、
    講和するや直ちにその背後からドイツ社会党に呼びかけて反戦運動を起こさし
    めた。それがドイツ海軍の反乱となり、ドイツはたちまちにして敗北してしまっ
    た。
     その後この手で、ポーランド、チェコ、ハンガリー、バルチック沿岸のエスト
    ニア他二国、さらにバルカン半島のブルガリア、ルーマニアまた南方コーカサス
    の一帯を赤化衛星国としたのであって、「ブレストリトフスクをくり返す」とは、
    この間接侵略がソ連の主戦略であることを示したものだ。
     大東亜戦の末期、わが国と不可侵条約を結んでおきながら、そしてわが国が戦
    争をやめるということを探知すると同時に、無法にもわが国に宣戦を布告し乱
    暴を働いた。そして同時に太平洋戦争時代の友邦をうら切って、東西両陣営対立
    という今日の形勢をつくり出したのである。こういう間接侵略こそ、ソ連の今日
    の主戦略であって、われわれは熱戦を考える前に、この間接侵略すなわち冷戦に
    対する心構えを強くしなければならない。
     自衛隊が、バズーカ砲とかジェット機などの訓練をするのも必要だが、この間
    接侵略の手は今日わが国に滲透し、労働者をはじめ教育言論諸機関を通じて、た
    くみに日本の赤化を進行しつつあることを知らなければならない。万一、この手
    による動乱がわが国に起ったら自衛隊はいかにすべきか、共産圏諸国の熱戦は
    第二義であって冷戦が第一義的主作戦であることを認識した現在、自衛隊はこ
    れに対処する訓練をどうすべきか、が大きな課題とわるわけである。
     思想、経済、外交等、広い視野に立って彼らをして手を出させぬようにし、万
    一ことが起ればこれを克服し得る訓練こそ、今日の急務であると私はいいたい。
    詳論はいまさけるが、今日、時局の急迫を見るにつけ、この点についての自衛隊
    の留意を要望してやまないのである。国民に愛されるぐらいのことだけでは、未
    だしという他はない。自衛隊が今日、世論を気にせず忠実に熱心に本務に従事し
    ているのを見て、心から敬意を表するだけに、とくに率直にこの一文を呈したい
    のである。なお、軍隊としては、かつての西洋流、また今日の米国流であっては
    ならぬ。
     真の日本軍はいかにあるべきかの重要な問題は、他日の機にゆずることにし
    よう。

     4. ムダな税金使いとなるな
     高橋三吉
    たかはしさんきち1882~1966
    (元連合艦隊司令長官・海軍大将)

     いつだったか自衛隊でエリコンを日本に陸揚げするとき、一部の労働者が荷
    揚げに反対したため、防衛庁当局が大いに困惑した、という事件があった。その
    直後、海上幕僚監部を訪れたとき、私は、このような反対運動などにへきえきせ
    ず海上自衛隊の自力での陸揚げを断行し、あとは陸上輸送して所要の地点へ収
    納すべきことを献策したことがある。老婆心とは思ったが、世論の一部には事
    ごとに自衛隊にケチをつけようとしているものもある。自衛隊が、今日、国防の
    任務を負う以上、一部の暴論にまどわされず毅然とした態度で処置することが
    当然だと考えたからである。無責任な愚論に気兼ねすることは、百害あって一
    利なしと知るべきであろう。
     次期戦闘機の機種問題が、相変わらずごたごたとつづいているようだが、航空
    自衛隊の機種を決定するのは、実際に搭乗して訓練にあたる者の意見にもとづ
    いて主脳者が決定すべきものであって、飛ぶことも出来ないような人たちが何
    人集って相談したところで、決まるものではない。それが政治的な理由とか、後
    暗い関係にとらわれて機種の決定を見るようになったとしたら、これは大変な
    ことになる。あくまでも航空幕僚監部当局の厳正な自重の下に機種決定をして
    欲しい。“世論にまどわず、政治にかかわらず”ということは今日の自衛隊にと
    っても、忘れてはならない教訓であると思っている。
     旧聞にぞくすることだが、かつて陸上自衛隊の訓練の際、若干の殉職者が出た
    ことがあった。とうじ新聞紙上でも“死の行軍”などとずい分叩かれたものだっ
    たが・・・。
     話は大分さかのぼるが、私が艦隊勤務中、昭和二年に猛訓練のため美保カ関事
    件を起し、暗夜駆逐隊と巡洋艦戦隊が衝突して駆逐艦一隻沈没、一隻大破、殉職
    者百二十余名を出したことがあった。とうじ、私は加藤寛治連合艦隊司令長官
    の下に参謀長をつとめていたのだが、ワシントン軍縮条約のために日本は英米
    に圧迫されて、そのため軍縮の削減を補う猛訓練による一つの犠牲がこれだっ
    た。その時の世論は、殉職者に同情するとともに艦隊の猛訓練に敬意を表して
    くれたものだった。とうじと今日を比較することは当を得ていないが、自衛隊の
    訓練が戦闘の演習である以上、若干の事故は覚悟の上でなければならぬ。勿論
    指揮官として部下の人名を尊び、事故防止につとめるのは当然だが、いたずらに
    世論をおそれるあまり、いい加減な訓練しかしていないようであったら、それこ
    そ自衛隊などという存在はムダな税金使いとなってしまう。訓練を励行しわが
    国防衛の任務を完全に果たす努力こそ大切なのである。

    5. 自衛隊魂をつくれ
     菅原通済
    すがはらつうさい1894~1981
     (随筆家)

     過去のことはサテおき、現今でさえ自衛隊は、国民から継子扱いされ、若い
    隊員も、年長の隊員さんも、肩身のせまい思いをしていることと思う。
     いずれにしても、中途半端な政府のヘッピリ腰が禍しているとはいいながら、
    国家予算の大部分を投入しているくせに国民それ自体が自衛隊のありかたに対
    し、確固たる信念なしなんだから、なさけない次第だ。
     だからこそ、隊員さんが、月給取りだ腰かけ仕事だ、といわれるのも無理から
    んし、隊長さんが、金もうけに眼がないの利権あさりのお先棒だのと云われるの
    ももっともだ。しかしどうやらたしかにどうやら今日の自衛隊をここ迄つくり
    あげた労苦は、多とせねばなるまい。
     が、これからだって、まだまだ、アメさんという姑や、代議士という小姑がの
    さばっている以上、茨の道なのは覚悟していただかねばならん。
     軍隊に切り変えてしまえ—という意見にも相当の理窟がある。
     戦をしない以上、自衛隊は不要だ。その費用を平和事業に振りむけろ—とい
    うのにも、うなずける論拠が多々ある。
     然し、ここで考えたいことは、両方とも、実際には断行し難い、幾多の難点が
    ある。
     どのみちやれんことならば、何も固苦しく、ここで十を二で割って五と五にす
    るのは、愚の骨頂である。
     十を二ツに割るのにも、七と三にすることも出来るし、六と四にすることもあ
    り得るのだ。或は三ツに割って、五と三と二にしてもよい。
     潔癖の日本人らしくきちんと真二つに割るからこそ、議論が沸騰するので、な
    にもそうそうシチ面倒臭く考えることはない。
     流通無碍(りゅうつうむげ)が兵家の常で、意地や外聞にこだわって、逆艪を
    漕ぐ必要はない。なんていったって、敗戦国民なんだ。当分は眼をつむっている
    こった。
     但し、敗戦国民だといって、さらさら卑屈になるにも当るまい。フランス、ド
    イツや支那さんのように勝ったり負けたり、ころんだり立ち直ったりの経験者
    を見習って、大らかな気持ちで、時を待つことだ。
     ただ、科学兵器なんて奴は、十年二十年遅れても、銭さえあれば三年五年で取
    りかえしがつくが、隊員の士気という奴は、一朝一夕では出来上がらない。
     こいつだけは、大和魂という奴がいけないとなると、そこに何とか工夫がいる
    んではないか。
     出稼国民のアメリカ人ですら、建国僅か百七、八十年で、あのヤンキー魂を
    生みだしたんだ。
     日本人に、それ位のことが出来んわけがない。
     先日、自衛隊の若い者に性病が少いので、その理由を尋ねたら、まず運動を
    よくして、あの方の気をそらす。
     つぎが自家製でまにあわす、それでも我まん出来んときは、パン助を買った
    と思って、千円貯金すると答えられて、ビックリした。
     私の職掌がら、有難い答えではあったがさてひるがえって考えてみると、これ
    じゃァたしかに、お雇兵以上弱虫なのは止むを得まいと、暗い気持ちにもなった。
     そこだ。何とか工夫がいるのは。
     継子扱いにしないで、国民こぞって自衛隊魂を盛りあげる工夫をせねばなら
    ぬ時代がせまったのではないか。

     6. 自衛隊への三つの苦言
     畑 俊六
    はたしゅんろく1879~1962
     (元元帥・陸軍大将)

     一九五一年、朝鮮戦争がぼっ発したとき、自由陣営側はいちじ危機におちいっ
    たことがあった。しかし、それが動機となって陣営の集団防衛という構想ができ、
    日本もアメリカの勧告によって、今日の自衛隊の前身である警察予備隊がその
    ときできたことは、いまなお記憶に新しい。
     それから足かけすでに十年、自衛隊は平和憲法にていしょくするとかしない
    とか創立当初より論議され、今日なお議論のタネとなっているのだが、それにも
    かかわらず、年一年と自衛隊はちくじ拡張強化されて、いまでは立派な自衛力と
    いうか、一種の国防力となったことは事実であって、四面楚歌の世論のなかにあ
    って、今日の自衛隊を築きあげてきた自衛隊諸士の努力と勇気に、大いなる敬意
    をまず表したいと思う。
     さて、自衛隊になにか物申せという注文であるが、私も昔のよしみで率直に一
    つ二つ苦言を呈したい。
     第一に、一部の自衛隊攻撃の言論を気兼ねして、少し低姿勢をとりすぎていな
    いか、という点だ。
     胸になにか一物あって故意に自衛隊を攻撃する一派は、自衛隊がどんなに強
    化育成しようが自粛しようが、中傷のホコ先をおさめるものでもなかろう。こう
    いった手合いに遠慮せず、堂々と所信に向って前進せよ、と申上げよう。
     天災に諸士が払われた努力は、すでに天下周知の事実である。国民大半の信頼
    が、自衛隊に寄せられていることを知らなければならない。
     第二は、自衛隊精神教育のあり方だ。旧軍には勅諭五カ条という不動のバック
    ボーンがあったが、敗戦後日本人は精神的支柱を失ってしまった。今日の自衛隊
    も、その点にいちばん苦悩していることと思う。
     筆者は、いまここでそれについて確言することは避けるが、要は直接間接の
    侵略に対して、祖国を防衛する重大な責任のあることを自覚して、自衛隊諸士の
    熟考をのぞんでやまない。
     第三の問題は、訓練の精到ということである。
     世間では、自衛隊はアメリカの中古兵器しか持っていないとけなす者がいる
    が、これはいたし方がない点だ。
     新兵器を持ちたいのは山々であっても、目下の国情が許さない。
     しかし兵器を動かすものは、所詮人であってみれば、訓練の精到をもってその
    中古精度を補うより手はないわけで、それと並行して常に新兵器に対する研究
    を怠らず、いつでも十分に使いこなせる準備が必要である。
     もう一つ附言しておきたいことは、自衛隊が核兵器をもつことに対する賛否
    両論の意見についてである。
     私の考えでは、何も進んで目下のところ持つ必要はないかも知れないが、いか
    に自衛隊の任務が純粋なる防衛戦争であるとはいえ、敵が核兵器をもつのに、こ
    ちらだけ持つ必要はないというのは不思議なことである。
     ましてや集団保障の一環をなす日本として核兵器の研究準備は十分なされる
    べきだと思う。
     今日の日本は、往時のように仮想敵国はないが、すでに間接侵略の脅威は始ま
    っているといわれている。
     したがって、国力の許す限り、防衛の力を強化して集団防衛の一員として国力
    相当の義務を果たすことは、やむを得ざることである。
     願わくば速かに憲法を改正して、自衛隊を国防軍とし、防衛庁は国防省として
    堂々と自衛の重任を果すことを念願してやまない。

     7. 日本国防の大綱を築け
     富岡定俊
    とみおかていしゅん1897~1970
    (元軍令部作戦部長・海軍少将)

     昨年来、自衛隊に対する国民の評価が改められてきた、ということをまず申上
    げたい。私ごとで恐縮だが、地方を講演旅行してみて、こういうふんいきは各所
    で感じられた。
     災害時における臨機応変の出動、規律の正しさ等、いずれも地方に好印象をあ
    たえているようだ。とくに、災害出動の点では風害、雪害ともに地元民たちが
    平常から寄せている信頼感、安心感は大変なものだった。
     たとえば、大雪崩があって救出作業等が行われる場合、命をまとに出動してく
    れるのは自衛隊だけだからという。
     一時、地元の土建業の生活を侵害するものだといって非難されたこともあっ
    たらしいが、困難な土木作業、救援作業にはとうてい業者たちに献身的にはなっ
    てもらえない。だから、一朝ことがあったも、いざというときには、自衛隊がや
    ってくれるという安心感が、平素から国民の気持ちのなかにあるわけで、この依
    頼心は大変なものだということを、如実に知ったのである。
     こういう地元民の気持ちは、自衛隊父兄会の結成、連隊、学校等の見学に大き
    ょしておしかけるというところにまで発展して、昭和三十二年度には陸上自衛
    隊の見学者数年間七十一万九千二百二十名、三十三年度には九十六万六千五百
    三十七名と、うなぎ上りに増えていく現状となった。
     一部ジャーナリズムの不当な評価を受けて、いわば日かげ者のような存在に
    追いやられていた隊員たちは、時勢の移りとともに正当な評価と尊敬を受ける
    ようになってきたわけである。だからもっとふんぞり返れとは決していわない
    が、各隊員が大いに自信を持ってもらいたい、とあえていいたい。
     さて、つぎに苦言を呈したい重大な問題がある。それは、抜本的な防衛計画
    が一体できているのか、どうかという点である。
     議会においては、防衛庁の増強計画を中心にしてはげしい質問戦が展開され
    ていながら、ただ兵力を十八万にするのはいいとか悪いとか、グラマンをどうす
    るロッキードがどうだとかいう問題にだけ終始してしまっている。一体、日本の
    防衛になぜ一万の増員が必要なのか、次期戦闘機は、どういう防禦のためにどう
    いう機種が必要なのか、という説明も十分でなければ、これを追求する質問すら
    でていない。
     国会で論議される問題は、いずれも抹消的な整備計画の範ちゅうにしか過ぎ
    ないのに、その整備計画が立案されるのに必要な根本の防衛計画についてちっ
    とも明白な発言がないのは、どういうわけであろうか。今日、世界戦略の目標は
    戦争を抑制する手段のためにえい智がかたむけられているわけだが、核兵器の
    ような自殺兵器の登場によって直接侵略の危機は全く減少した。
     しかし、ここで大事な事は、これにかわる間接侵略という脅威が、われわれの
    まえに立ちはだかっているという事実である。現に、共産圏からの思想攻勢、心
    理戦、経済戦は活潑に展開されて、日本国内に大きな動揺を起こさせようとして
    いる。こういう侵略に対する日本自衛の根本計画は、いったいどうなっているの
    か、という点なのである。
     日本の一部勢力にむすびついて、国内革命という形をとりながら、間接侵略
    のほこ先を向けてくる情勢の分析を、もっと的確におこなわなければならぬそ
    のことから、真の防衛計画を立案し、国民の前に納得のいくまで説明する誠意が
    大切と思う。
     単なる観念論に終らないで、困難な問題ではあるが、具体的な分析と研究の
    うえに、日本国防の大綱をきずく必要がある。兵力を増員するとか、グラマンと
    かロッキードなどという問題は、そのつぎの問題なのである。このような努力の
    なかにこそ、自衛隊に真のバックボーンが生れ出るものと私は考えている。
                               (文責記者)

     8. 自衛隊への疑問
     大林 清
    おおばやしきよし1908~1999
         (作家)

     自衛隊が将来どんな目的に使用されるかは予測を許さないが、戦闘がその本
    来の任務であることにまちがいはない。とすると、所詮は生死を賭けての仕事
    と云うわけである。
     戦闘とはどんな美辞麗句で表現してみても、結局人間の殺し合いなのだ。死を
    怖れていたのでは戦闘は出来ない。
     一死の鴻毛の軽きに比してと云うような言葉で、過去の私たちは旧軍隊の戦
    闘精神を吹き込まれた。誰だって命は惜しい。
     しかしその命を捨ててかからなければいくさは出来ないのだから、勝にして
    も負けるにしても、戦闘の場面では人命尊重など説いてはいられない。
     私たちは曾て大君のために死ぬと云われた。そして多くの人たちが実際に死
    んで行った。大君のためと云う言葉にこだわる必要はない、国のためとか民族の
    ためとか云う言葉に置き替えればいいし、天皇陛下万歳は国家万歳の別な表現
    だったのである。
     しかし、現在の自衛隊では死ねと云うことは云わないのではないだろうか。必
    勝と云う言葉すら、選挙やスポーツの慣用語になってしまって、自衛隊では使わ
    ないのではないだろうか。
     自衛隊の行使目的が飽くまでも自衛にあることはよくわかるが、精神的バッ
    クボーンの有無に私はやはり疑問を抱く。
     過日私は落下傘部隊の訓練を見学し、訓練も気魄も決して旧軍隊のそれに劣
    らないのを知ったが、いざ実戦となった時そのもう一つ底に流れる一番大事な
    ものが欠けている弱点を暴露するのではないかと危ぶんだ。
     「これからの戦闘は機械と機械の戦闘で兵隊は技術者だ」
     そんな意味のことを、自衛隊の幹部の人はその時云った。
     私はなるほどと思った。
     たしかにその通りである。精神力が機械力の前にあえなく粉砕されるのは、私
    たちも過去の戦争でまのあたりに見て来ている。
     刀槍が鉄砲に粉砕されたのと同じことである。
     だからと云って、兵隊即技術者と云う割り切り方で、そこに何も精神的なもの
    が加わらずに、満足な戦争が出来るだろうか。
     もっとも戦争など二度と真っ平なのは云うまでもない。自衛隊に戦争をさせ
    たくないのも同様なのだから、独立国家のアクセサリーの意味で自衛隊が存在
    する分には、別に何も云うことはないわけである。

     9. 自衛隊で見た夢
      陣出達朗
    じんでたつろう1907~1986
       (作家)

     昨秋、わたくし達は「一日入隊」ということで、習志野の自衛隊空てい部隊を
    おとずれた。わたくしが、新旧を通じて日本の軍隊というものを覗いたのは、こ
    れがはじめてであった。
     だからいまの自衛隊の戦力が、むかしの日本軍隊のそれに比してどれだけの
    違いがあるのか、軍隊は変ったのかどうか、もわたくしにはわからなかった。
     しかし、想像できるところによれば、規模の点では、いまの自衛隊なるもの
    は、むかしの軍隊からみれば、相当小規模なものであるらしいことはわかった。
     「しかし、火器の威力は、旧軍隊の総計をはるかに超えるものを蔵している」
     空てい部隊の中佐級のひとが、わたくしにそう説明してくれた。兵器が進歩
    しているのだから、あるいはそうであろうと、わたくしはうなずいた。
     しかし、だからといって、いまの自衛隊は、そのむかしの日本軍隊が、世界を
    相手にして大戦争をした、あれだけの力があるのだとはおもえなかった。世界も
    また、進歩した兵器をもっているのだから—。
     入隊の夜、ある文化人が、少尉、中尉級の若い幹部連に、今日の見学の感想
    として、
    「こんなものは、軍隊ではないよ、君イ」と、大きくみえを切った。少尉、中尉
    たちは、だまってそれに答えなかった。みえを切ったほうがおかしいのであって、
    いまの日本の自衛隊を「軍隊」だとおもっているほうが、どうかしているのであ
    る。
     まさにそのとおりで、いまの自衛隊のすべての「量」は、世界的にみて「軍隊」
    ではあるまい。
     わたくしは空てい部隊の演習をみて、「これはいったい、どこで実地使用する
    ための演習なのだろうか」とおもった。
     自衛隊だから外敵襲来にそなえて、みずからを護る戦いをすることもあるの
    だろう。
     その時敵の背後へ降下して、ハサミ撃ちするのだろうか?しかし、戦況がそこ
    にいたってしまえば、日本の防衛もおしまいであろう。そんな作戦はなんにもな
    らないだろう。
     それでは、国内に「なにか」が起きたときには、それを鎮圧するための存在
    かなとも考えてみたが、それにしては仕掛けがすこし大袈裟すぎる。
     なんとなく、いまの自衛隊というもののありかたは、中途半端なものであるよ
    うに受けとられた。
     そういえば、このほうの長官が、長距離砲をそなえるが、その頭には、あの恐
    るべき爆弾はつけない、という意味のことをいったが、これもおかしな話しで、
    中途半端だ。あの恐るべきばくだんをつけない長距離砲なら、そんなものはそな
    えないほうがよいのである。
     だから、結論として、高い税金をつかう自衛隊はやめて、アメリカから何万人
    ソ連から何万人—同数同量の兵力を日本へ駐とんさせて、長距離砲も同数に置
    くことにし、アメリカのは西へ向けてそなえ、ソ連のは東にむけてそなえて貰う、
    そして必要があれば同時に、ボタンをおして貰う。
     これで日本はうまいぐあいに「ばくだん」の谷間となるから、理想的自衛がで
    きるのである。もちろん前記駐とん費は二大強国の自費である。それでわれわれ
    の税金も、うんと安くなろうというものだ。
     —そんなことを、一日入隊の仲間と論じあっている夢をみているうちに、わ
    たくしは、ベッドの毛布をとおして、風邪をひいてしまった。
     あくる日は肌をさすような朝寒で、富士が、くっきりと美しく遠望できた。
    「水爆でも、富士山は破壊できないだろうな」わたくしは、ふッとそんなたわい
    のないことを思った。
            以上
             
    ※ 9人の方の生没年は私が勝手に付け加えました

    『波乱の半世紀 陸上自衛隊の50年』より
    (2000年9月15日第1版 朝雲新聞社)
      
        草創期を語る

        米軍から渡されたのは野戦軍並みの編成表だった
                          後藤田正晴氏

     警察予備隊のことを多少系統だってお話しますと、要するに朝鮮戦争が起き
    て、日本を占領しておった米軍の第8軍というのが朝鮮半島に出動する。それ
    で日本が留守になっちゃう。アメリカ側にすると、果たして日本の治安を維持
    できるのか、抵抗運動でも始まるかもわからん。世の中だんだん落ち着いてきた
    とはいってもまだ昭和25年ですからね、アメリカ側はそう考えたんだろうと、
    これは私の推測ですがね。
     その結果、日本政府に対して、警察予備隊というものをつくれと、マッカーサ
    ー司令部から吉田内閣に指令がきた。警察力で治安維持が困難になるような事
    態には、この警察予備隊でもって警察力を補完するんだ、と。
     しかし、警察予備隊をどうつくるかという時にですね、マッカーサー司令部の
    中に二つの流れがあった。一つは旧日本軍を中心にしてつくるべしという考え
    方と、いや、それは将来的に危険だ、旧軍、特にエリート層は排除してつくるべ
    きだという考え方です。まだまだ、当時は日本全体の弱体化政策が基本でしたか
    ら。
     日本政府はどうかといいますと、やはり二つの流れはあったと私は思います。
    旧軍の再編なのか、それとも、軍隊ではないけれどもしかし純粋な警察力かとい
    えばそうとも言えないといった考え方。当時の総理大臣は吉田茂さんで、吉田さ
    んはやはり、旧軍の再建ということについては、先行きを心配しておられたと思
    います。そして結果的に、旧軍エリートは排除された形で警察予備隊が発足した。
     今から考えますとね、ややその、軍隊なのかそうではないのか、灰色の面が残
    って、国家の防衛という観点に立つなら、率直に言って生まれ方がよくなかった
    のかなあという感じもしますが、しかし、日本国憲法が基本であり、あの時に旧
    軍の復活を果たして国民が支持したかということになりますとね、それはそう
    簡単なことではなかっただろうと。
     ただ、警察予備隊ができて間もなく、25年の何月ごろでしたか、吉田総理が
    越中島にお見えになりまして、私服、制服の幹部を講堂に集めて訓示をされた。
    私も立って聞いていましたが、吉田さんは、はっきりした言葉ではありませんで
    したが、これは将来の軍隊の萌芽である、という意味のことをいわれましたな。
    明確にはそう言ったわけではありませんでしたが、聞いていたらわかります。
     私は警察予備隊発足で警備局の警備課長兼調査課長を2年やり、あとを海原
    君(海原治氏、元防衛庁官房長)に引き継いだんだが、まあ、記憶に残ることは
    いろいろある。警備課長はいわゆる3Gで、部隊の編成から作戦、業務計画など、
    調査課長はG2で情報ですが、今のような情報はまだありませんから、もっぱら
    警察予備隊への左右両勢力からの潜り込みを警戒しました。
     部隊の編成にしろ何にしろ、すべてGHQの指示を仰ぎながらやるわけです
    が、私が米軍からもらった編成表を見たところ、これが文字通りアメリカの歩兵
    師団の編成表なんだな。違っていたのは戦車連隊ぐらい。アメリカだと完璧な戦
    車連隊が歩兵師団の中にあるんですが、これはさすがに1個大隊に縮小してあ
    った。それ以外はオーバーシーの軍隊なんですな、州兵師団なんかじゃない。ア
    メリカは一体、何を考えているんだという気持ちになりましたね、この編成表を
    見た時に。
     しかも、今でもはっきり覚えているのは、フローズン・カンパニーというのが
    書いてある。フローズン、凍るというやつ。直訳すると冷凍中隊だ。要するに、
    戦死者を収容して内臓を取り出し遺体を氷詰めにして本国に送るわけですよ、
    彼らは火葬にしませんからね。
     そこで私は、海原と違って英語がダメなもんだから、ハワイ生まれで英語の達
    者な警視庁の警察官を連れて、GHQの顧問団(注・警察予備隊に関する諸問題
    について日本政府を指導監督した総司令部民事局の「顧問・管理グループ」で、
    越中島に置かれていた)のトーマス中佐という作戦課長に会い、あんた方は警察
    予備隊をオーバーシーの野戦軍にするつもりか、しかも戦時編成の冷凍中隊と
    はいかがなものか、こんなものはいらないと言ったんですよ。
     これは結局、向こうから引っ込めました。余り抵抗はしなかった。恐らく、総
    理が突っぱねたんだろうと思います。吉田さんの非情な見識でした。そうでなけ
    れば、警察予備隊は朝鮮半島に連れて行かれる可能性もあったと思いますね。少
    なくともGHQはそれを考えていたと思う。それでなければ何で私に、野戦軍の
    編成表なんか渡しますかね。私が警察に戻る前にも、警察予備隊を増強して
    325,000人にする話が出ましたが、吉田さんはウンといわなかった。内閣が徹底
    して抵抗して、結局、陸上部隊はその後も18万人という定員以上にはならなか
    った。
     海上保安庁の方にできた海上警備隊(注・海上自衛隊の前身)は朝鮮戦争で
    機雷の掃海に駆り出され、触雷して死傷者が出ている。そのことからも、マッカ
    ーサー司令部には、陸上部隊を朝鮮に連れて行きたいという考えがあったと思
    う。しかし、吉田さんは頑固でしたね。いつまでも軍隊にはしないと考えていた
    かというと、そうではなさそうなのは訓示の話でもわかるが、少なくとも、うっ
    かりしていると朝鮮戦争に引っ張り出される、それは何としても避けようとい
    う気持ちは堅かったと、私は思う。吉田さんの選択は賢明だった。その代りに、
    純粋に軍事・防衛の観点からいえば、警察予備隊のこういうあいまいな、軍隊か
    警察か性格のはっきりしない生まれ方はよくなかったと思う。50年たって、自
    衛隊はよくここまで育ったなとは思います。
     2年間の警察予備隊時代は確かに忙しかった。まず隊員を募集しなけりゃなら
    ん。3カ月で75,000人を採用するわけですから。ただし、募集自体には苦労は
    なかった。何しろ敗戦からまだ5年、日本の産業はまだ復活せず、巷には幾らで
    も優秀な人材がおったからね。私も試験官をやりましたが、若い優秀な人材に事
    欠かなかったですね。
     部隊の配置にしても、ああいう左の連中がうるさい時代にもかかわらず、ぜひ
    うちの方に来てくれという地方の首長さんは結構たくさんいた。話を聞くと、や
    はり戦後の疲弊が激しくて町村の経営が成り立たない、ぜひ警察予備隊に来て
    ほしいというんだね。ところが、そういう部隊誘致に熱心な人は、左翼がワァワ
    ァ騒ぐものだから大体、次の選挙で落選した。可哀想でした。
     まあ、当時のことを考えると、確かにいろいろ苦労はあったが、一番の苦労と
    いえばやはりGHQとの折衝でしょう。当時、越中島にいた米軍の顧問団のトッ
    プはシェファードという少将でした。なかなか立派な将軍でしたな。その下がコ
    ワルスキーという大佐、G1兼G2の部長がブラウン大佐、G3がさきほどのト
    ーマス中佐で、ウエストポイント出身、G4は名前を忘れましたが、職務権限に
    かかわる不祥事で途中で本国に召喚された。もう一つ、日本の軍隊にはない組織
    としてコントローラー、統制官というのか管理官というのか、ファイアライゼン
    というドイツ系の極めて優秀な大佐がおった。この人はその後、NATOの最高
    幹部になりました。
     そういう全権を持った顧問団が同じ越中島におって、我々は何かにつけて彼
    らにお伺いを立てなければならない。越中島といったってそんなに大きな建物
    じゃない。そこに両方おるんだから。部屋は別々でしたが、一日中、なんだかん
    だと言ってくる。うるさくてしようがない。我々はシビルだからまだいいが、同
    じ駐屯地に米軍の顧問団がいた部隊の人たちは苦労したと思うねえ。あの時代
    をひとことで言えといわれれば、屈辱の思い、だな。
     しかし、アメリカ人というのは日本人よりも幅が広い。がたがた言いながらも
    こっちのスジが通っているとゴリ押しはしなかった。ことにシェファード、コワ
    ルスキーという人がそうだった。いずれにしても、警察予備隊が朝鮮戦争で使わ
    れなくて本当によかったと思う。連れて行かれたら大変なことになっていた。ま
    あ、いろんな思いはしたけれども、相手がアメリカ軍でよかったのだと、今では
    思いますね。
     あれから50年ですか、自衛隊も恵まれない中でよくやってきたと思う。私な
    らとっくに逃げ出している。しかし、これから先の国家運営を考えると、確かに
    防衛は大事だが、いったん戦をやれば全部が敗者だ。勝者なんていない。日本人
    はとかく、ヤリの穂先ばかり磨いて柄を大事にしないが、これからはより広い
    意味での防衛政策、安全保障が大事だということをしっかりわきまえて、進んで
    いってほしいと思っています。(談)

     昭和14年、東京帝大法学部卒、内務省入省。富山県警察部労政課などを経て
    陸軍に徴用、台湾軍歩兵第2連隊(2等兵)、同第1連隊(軍曹)、台湾軍司令部
    (主計少尉)。21年4月復員、内務省に復帰し神奈川県経済部商政課長、本省地
    方局職員課、警視庁保安部経済第2課長、同警務課長。警察予備隊発足に伴い
    25年8月30日付で同本部(現在の内局)の筆頭課長である警備課長兼調査課
    長となり、隊員募集や部隊編成など創設期の中心的な業務を担当。27年8月、
    国警本部警備部警邏交通課長として警察に戻り、以後警察庁の要職を歴任。44
    年警察庁長官。
     51年12月、徳島全県区から衆院選に出馬し当選、自治相、総務庁長官、北海
    道開発庁長官、官房長官、法相、副総理を歴任、平成8年に政界を退いた。
    大正3年8月9日生まれ、徳島県出身。
                                以上
     

  3. ” 幹二 先生! !こんにちは!

    先生は、耳の調子はどうですか??良く聴こえる方ですか?

    OTTAVA , と言う、ネットRadio で 24時間 Classic が聴けますよ!! !

    !!以上!!

    *

    r01.19.05/12.

    16:25,

    子路

  4. 紅き風
    真の健気
    好好爺
    放つ言銀
    意中鐵

    上鏡
    映す合わせの
    民鏡
    個の殻云ふは
    現人皆

    神記し
    観るは御法度
    己重ね
    刻の随に
    憂い産む迄

    ちはみっつ
    血つむぎ地つむぎ
    知つむぎて
    たてひとすぢの
    代と世ひのもと

  5. 本日の坦々塾、幹事さんお世話になりました。

    御講話「認識者の自由」、あるいは、先生の本旨を十分に掴み
    得なかつたかもしれません。

    しかしながら、荻生徂徠の、「後漢以前に還る!」、太安萬侶の
    「自分は漢文は書けるが、書かない。ここで、日本語を書きあら
    はす方法を、なんとしても確立するのだ!」といふ斷乎たる決意
    は、嘗て『江戸のダイナミズム』で、お教へいただいて以來、固
    く心に持してゐますので、久しぶりに先人の健鬪を憶ひ、感謝の
    念を新たにしました。

    ただ、その前段で、「(日本には)西から情報が次々と流れ込み
    蓄積したが、その先、日本から出て行つたことはなかつた」との
    仰せのあと、「日本人には自我がない」とおつしやつたやうに聞
    えました。とすると、それと徂徠、安萬侶の雄々しき決斷との評
    価は矛盾するのでは?とすこし引つ掛かり、質問させていただき
    ました。

    その點を先生御自身から、懇親會の最後に明快に御説明いただき
    完全に納得しました。

    かくて、氣持よく酩酊して歸宅しところ、關野通夫さんから、最近
    著『一神教が戰爭を起こす理由』ーー世界史で讀み解く日米開戰ーー
    (ハート出版)が屆いてゐました。「はじめに」と「おわりに」だ
    け讀んで、あとは明日以降に。

    もう、先生も御歸宅になつてゐることでせう。先生、體調もよささ
    うだし、聲に張りがあり、御同慶の至り。

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