たまにはいい事もある 2019.4.28

 たまにいい事もある、と今朝は嬉しかった。加藤康男さんから下記のようなメールが届いた。ゲラで一度読んでもらっていて、雑誌が届いてもう一度読んでくれたようだ。

「正論」6月号の「回転する独楽の動かぬ心棒」を改めて拝読。正に正鵠を射ていて、他の凡百論文とは比べものになりませんでした。五項目にテーマを分けて立論されたのも功を奏していたと思います。なかんずく四、五の後半が迫力満点で、他の誰も書けない部分でした。お疲れさまでした。全集の「あとがき」等々と共にこの論文も後世に残るお仕事です。少し体を休めて下さい。加藤

 当事者以外には感興を喚び起こさないメールの内容かもしれないが、ここまで書いてもらえると当事者は嬉しいだけではない。次の仕事へのメドも定まり、意欲も湧いてくる。

 たしかに自分でもあの論文はうまく書けたと思っている。産経出版の瀬尾編集長からも読んだと電話があり、「一語一語の選び方が迚も的確だと思った。これ以外にはあり得ない、と思われるほど考え抜かれた各々の言葉が選ばれている」との評語を有り難く受け取った。人は褒められると伸びるというが、学生生徒でも老人でもこれは同じである。まだ自分にも伸びしろがあると信じているのが人間である証拠である。

 今私は次の三つの仕事を目前に控えている。

 全集第19巻「日本の根本問題」は校了直前にまで来ている。連休で妨げられているが、私のつとめはほゞ終わった。

 産経新聞コラム正論が1986年以来100篇書き貯った。これが一冊の本になる。全正論を単著でまとめて一冊にして出した例は、これまでにはないだろう。(本の題未定)

 次に文芸評論とも、哲学論とも、歴史書とも言いかねるような大部の一巻が進行中である。(本の題未定)すでに約700枚の原稿は出そろっている。6月末までに、巻頭の100枚を書く予定で、編集者との打ち合わせも終わっている。あとは実行あるのみであるが、筆力よりも体力を心配している。

 これでもまだ私は人生最後の一冊になるとは言っていないし、そのつもりもない。

P.S. 当日録コメント欄の4月28日午後4時54分の土屋六郎氏のコメントは、本日のこの文を書いた後に拝読した。厚く御礼申し上げます。

「たまにはいい事もある 2019.4.28」への23件のフィードバック

  1. 鐘なき代
    黒衣示しる
    音の縁
    緑と青と
    神道標

    悠久の
    螺旋似る塔
    亀甲羅
    伝え則ち
    考削ぎし

    おはれ也
    歴紡ぎ書
    解す儘の
    自づ懐
    神被り言

    つきあかり
    かきなづやうに
    かみゆれる
    つらなりそろへ
    令和の御代よ

  2. 西尾先生の豹変
    全文は読んでいませんが、重要なくだりは土屋六郎様が抽出しているので、論旨は明快です。これまでの西尾先生への絶対的信頼が揺らいできました。先生までもが現実に妥協し筋を曲げ始めたのではないかと。「奏上することができない人間は陛下に一切ものを言うなということでしょうか。そうは思いません。私は私の信じるままに行動します」と、皇太子妃殿下の行状を批判し皇室の将来を憂慮されてきた日頃の御立場が変わったのでしょうか。一般庶民と同じご家族への配慮、ご家族との平穏な生活と天皇としての重責は両立しないというのが基本的御立場だったのではないでしょうか。皇室を敬愛する国民の一人として疑問と思われるお振舞に忠告、諫言してきたのが、今回急に献言になってしまいました。

    人生の途上で、たまにはいい事もある、と小生ごときも思うことがあります。西尾先生が昨年末にこの日録で日本の現状に悲嘆と深い絶望を表明されたのは、御皇室の現状も含まれていたはずです。今回の論文で「いいことがあった」「自分でもあの論文はうまく書けたと思っている」のであれば結構なことで喜ばしいのですが私は手放しには喜べません。

    これまで屡々皇室論のタブーに怯まず、明後日践祚する皇太子殿下へ勇気ある忠言を書き、皇太子妃雅子様について、「健康であり、公務を欠席しているのは仮病である」と断じ、御皇室の日本的伝統に欧米的価値観が入ることを憂慮された言動は真正保守の面目躍如でした。無条件にタブーに従う者は単なる右翼であって真に国を思う輩ではありません。いままで御皇室制度は、126代男系継承が続くという歴史的事実と大多数の国民の尊崇の念の二つが、天皇制廃止論を押さえて、安泰でした。しかし皇室の永続性は決して自明ではなく、国民の自発的支持が必要ですので、民主主義のもとで皇室への批判や議論は欠かせません。皇室への言挙げを不敬とする者は皇室の「今そこにある危機」に気付いていないといえます。

    「奥様の方ばかりに顔を御向けにならないで欲しい、国民への配慮の念をなおざりにしないで欲しい」と忠告された先生が、「多くの日本国民の心を搏つのはひょっとしたら逆にむしろこの点ではなかろうか」と変化した理由を忖度すれば、離婚せずこのまま両陛下が即位する現状をみてこれ以上波風を立てない配慮としか考えられません。先生は私たちに忖度などさせずに明確に変更理由を表明すべきと思います。この段階で野暮は云うまいなら、これまでの言論が野暮だったことになってしまいます。秋篠宮殿下が頼りにならず皇太子殿下が間違いなく践祚するから、厳しい批判を緩めようとする配慮があったとすれば、また豹変された裏に、皇太子妃殿下への絶望や諦観があったとすれば言論人の責任放棄ではないでしょうか。

    「病気の家族を思う一念に生きたひたむきさや家族思いの生真面目さは国民各層の心に適うのではないか」は仮病と推定した過去に矛盾しますし、国民各層の心に適うことよりも、伝統が失われ、ひいては皇統が絶え、日本国の中心棒が消え、日本国が危うくなることを懸念してきた姿勢に反しませんか。「無理に他になにかをなさろうとしないでもよく、むしろその方がかえって自然体のままでいて黙って独楽の中心棒の役割を果すことになるのではなかろうか」とも言われますが、その中心棒を最も身近で支える奥方が変わらなければ皇室そのものが変わり、独楽が回り続けられなくなりませんか。

    「皇室は国民が分裂や混乱を起こさない中核の役割を果たすことだけを志していただきたい。」しかし中核の役割の中核である宮中祭祀や歌会始に妃殿下は屡々ご欠席になったにも拘わらず、殿下には皇室行事への不参加を容認し、皇族の「基本的人権」を前提とする「人格否定云々」など皇室の伝統や価値観を否定しかねない御発言が過去にありました。屡々口にされる「新しい皇室」は週刊誌天皇制の流れに掉さすものでしかありません。「両者の間を分かつ目に見えない塀を低くしたり、取り除くことが善であり進歩の階梯を登っていくこととは、ゆめお考えにならないよう」とありますが、今上陛下も為されなかった庶民とのジョッギングや自撮りなどを実践され、既に現両陛下よりも塀を低くすることが皇室の将来像であると言明されています。すでにご尊厳の自滅への道を歩み始めておられます。
    (ただ、さらに忖度すると、これまでの忠言諫言を取り消さず、御代替わりの現時点で、塀を低くすることを牽制し、独楽の中心棒の役割を期待するという2点に絞ってハードルをさげた献言をして、これだけは新帝にお願いしたいという悲痛な訴えをされたと取れないこともありません。)

    土屋氏の、「これがよくテレビに出てくるような評論家が言ったことなら私は一笑に付して通り過ぎるだろうが、皇室に直言を重ねてきた西尾氏、さまざまな論点において先駆けて慧眼を示してきた西尾氏の発言だけに、端倪すべからざるものとして心に畳んでおきたいと思う。」という評価は論拠がただ西尾先生の仰ることだから正しいというだけで、合理的ではありません。「勤労者の相当数が引きこもりの状態にある等、心の空洞が覆っている時代認識」がそれらしき根拠と匂わせていらっしゃいますが、妃殿下が鬱かどうかよりもその根本思想が問題なのです。

    「日本国憲法は文化の原理である天皇の役割を冒頭に掲げ、上位概念として政治の原理を支配する文化の原理の優位を明白にしている。ならば文化の原理としての天皇の優位は何を根拠にしているのか、神話である。天孫降臨神話である。三種の神器の継承権である。」も後半はいいのですが、前半の根拠は何でしょうか?単に条文の位置が現行憲法の冒頭の第1条にあることで政治の上位に文化があるなどと深読みすることはできないはずで、何よりも、あたかも現行憲法を肯定するかのごとき論調が気がかりになります。「この地位は主権の存する日本国民の総意に基く」の規定はOKなのでしょうか。

    御皇室の現在の危機を思うと、秋篠宮家への帝王教育予算よりも皇后陛下の皇后教育予算への配分が先と思われます。

  3. 平成13年に、西尾先生、洋泉社編輯部長、私の3人でイッパイやつた時の
    ことです。

    今上天皇が即位後の朝見の儀で「日本國憲法を遵守し・・・」と仰せられた、
    その聲色を私が使つて、先生からひどく叱られました。そして、
    「暗愚の君が現れることもあるといふのが當然の前提なのだ」
    「天皇は血統によつてのみ尊い」
    「天皇に徳を求めてはいけない」
    と諭され、戒められました。

    以後、努めてそれに從ひ、餘計なことを言はないやうにしてきました。時に、
    失言したこともありますが。
    「君 君たらずとも臣は臣たり」ーー大切なことですね。それをどの程度實踐
    するかで、臣下としての眞價が決まるのでせう。私はもちろん落第です。
    (平成31年4月30日)

  4. 今日(5月1日)の産經1面には、櫻井よしこ「令和に寄せて 麗しき大和の国柄を守れ」が載つてゐる。
    2面には”WiLL”6月號の廣告。「奉祝 令和特大号」とある。一瞥してみた。
    「朝日よ、令和のどこが悪い!」(高山正之ー阿比留瑠比)。「上皇におなりになったら是非靖国に御親拝を」(加地伸行)。「令和日本の精神」(平川祐弘)。「天皇は一貫して日本人の誇りを守った」(ケント・ギルバート)。「中国、朝鮮は元号を喪失、今や見る影もなし」(石平)。「保守のあるべき姿について」(倉山満)。etc

    題と名前を見ただけでうんざり。食指は全く動かないのみならず、食べもしないのに胸燒けがする。といつて、この人たちを熟知してゐるわけではない。なんとなく保守派といふことを洩れ聞いてゐる程度だ。そして、自分とこの人たちは氣質が全く違ふ。自分は決して保守派にはなれないと、ずゐぶん前から感じてゐたことを、毎度のことながら、確認した。

    60年くらゐ前、『世界』といふ雜誌の新聞廣告により、そこに進歩的文化人が蝟集する樣を見たのと、全く同じだ。この雜誌を買つたことは一度もないが、登場する人々のことは、やはり洩れ聞いてゐた。自分は決して進歩派にはなれないと感じたことも同じ。そして、あの頃は『文藝春秋』『新潮』『中央公論』などの廣告に、たまに福田恆存「常識に還れ」「論爭のすすめ」「現代の惡魔」などを發見すると、急いで本屋に走つたものだ。

    そんなことを思ひ出しながら、あの時の進歩的文化人と、今の保守派の氣質、生態などが酷似してゐると感じた。そして、”WiLL ” ”HANADA”『正論』などに登場する人たちの多くは、60年前なら進歩的文化人になつてゐただらうと思つた。これも毎度の感想である。

    3面には『別册正論』34號の廣告。「令和への傳言 平成正論傑作選」と銘打つてある。これには、西尾先生の他にも、嘗て私が親しんだ數名の名が出てゐる。あとで書店へ買ひに行かう。

    明日は ”HANADA” の全面廣告が載るのだらうか。保守業の殷賑、いま極まれり、いつまで續くのだらうかと考へた。まさか亡國までずつとではあるまい。また風向きが變ることもあるのではないか。その程度の答しか出なかつた。

  5. 池田様

    私などが餘計なことを言うべきではなく、無知と浅慮を厭わず不遜な言葉をここに綴るべきでもありませんが、図に乗っての質問です。「”WiLL ” ”HANADA”『正論』などに登場する人たちの多くは、60年前なら進歩的文化人になつてゐただらう」と判断される根拠は何でしょう。違う気質とは何でしょう。時流に乗るのが巧い人々とか、信念がないだろうと推測するだけでは足りず、列挙された人々の意見には傾聴すべきものも私などにはありましたので斯様に斬って捨てるのは気の毒に思われ敢えてお尋ねしたくなりましたが、止めて本論に帰ります。

    反天皇制論者、廃止論者の中では、進歩的文化人らやその亜流は無視できますが、君、君たらざれば、臣、臣たらずと考える日本人を一番恐れます。君、君たらずとも臣は臣たりが正しいと私も考え、真正保守政党を構想しましたが、臣が臣たるには、英邁ならざる君でも兎に角「君」が存在しなければならず、存在を継続し、御皇室制度を無事承継して戴くためには、憲法に「地位は主権の存する国民の総意に基づく」などと書いてあり、総意は言葉の厳密な意味からは全会一致の賛成を意味しますが、現実には多数と解釈され、日本国民の多数が、今日の各政党の声明を聞く限り、新天皇が憲法を遵守する限り、尊崇の念があるかどうかは別として、制度として認めています。しかし、日本を無力化し骨抜きにしようとしたGHQは、端的な皇室廃絶の急進策に代わる漸進策として、日本の強さの根源だった日本の伝統のその中核にある皇室を破壊しようとした高等戦術が「皇室の民主化」であり、皇室財産を取り上げ、藩屏としての皇族を減らし皇室を孤立させ、世俗的人間として神聖性を剥奪することがその手段でした。

    ルース・ベネディクトが、「天皇は敵国日本の全機構の大黒柱であり、その神聖性の根底を崩して、引き抜けば日本は瓦解する」と結論付けましたが、当時の敵国アメリカが日本を亡ぼす主敵とした天皇こそが、「これがなくなったら日本が日本でなくなるもの」で、日本人が命に代えても守るべきものであり、西尾先生が数年前に雅子妃殿下問題で「ご聖断」を求める挙に出られたと思われます。いまは祝賀ムードのなかで封印されていますが遠からずこの新皇后陛下の問題が日本国内の時限爆弾となりますので導火線を絶っておかなければなりません。

    1.皇室と国民の間を分かつ「目に見えない塀」を低くしたり、取り除くことが進歩の階梯を登っていくこととは、ゆめお考えにならないようにと進言された真意は、新帝陛下のご尊厳の自滅への道が皇室廃絶に直結するからでしょう。国家神道と切り離されても伝統的皇室祭祀の主としての神秘性、神聖性が天皇の尊厳を支えていることを陛下に念押しするものと思います。神聖を伴わない尊厳はあり得ず、尊厳が損なわれれば国民の支持は失われます。

    2.一方で国民多数の支持を獲得し続けるには、国民に「寄り添い」、国民の「身近な」存在となることが、端的に云えば人気取りでしょうが、「今の時代にふさわしい」と仰り、「伝統を引き継ぐ」と同時に「新しい風」に沿うとも言明されました。国民に寄り添い過ぎれば尊厳が失われて国民の支持がなくなり、反対に国民から遠ざかり過ぎれば人気を失うというジレンマは中庸を保つことで解決するしかないでしょう。

    3.大切なものを守るためには変えるreform to conserveが保守の大道ですから、変える内容が適切であれば結構なのですが、変えるべきでないものを変えることで大切なものそれ自体を滅ぼすことになっては元も子もありません。明治憲法の統治権総攬、統帥権、祭政一致をやめ、象徴に変え、祭を天皇の権能とし、世俗の政治権力から切り離した変更はこれに叶うものでした。被災地見舞いの振舞も私などは「立ったまま」で十分と思いますが、報道されるように、一般庶民が「膝まづく心遣い」によって寄り添って頂いていると感じそれが一般国民の尊崇の念につながるのであれば、この変更が皇室の安泰につながり、宜しいのではないかと思います。

    4.戦前なら不敬罪で捕まるような言説がこうして大っぴらにでき、オープンな議論ができることが却って令和以降の御皇室の安泰につながるのであって、「陛下に奏上できない人間は陛下に一切ものを言うな」という禁忌は、反対者の殲滅に向かいかねず、反天皇勢力の反発を招き却って現代の御皇室を危うくするものと思います。

    5.明治大正昭和の祭政一致天皇は日本が国際社会で生き延びるため止むを得なかった選択だったかもしれません。しかし昔も今も、天皇は日本国を形成する機関の一つに過ぎず、日本のための天皇であって、天皇のための日本ではありません。平成の象徴天皇を権威=元首として戴く立憲君主制が世界で最も優れた制度であることを今回の改元で、元号の価値とともに、国民は再認識したことが最近のメディアの報道で伺われ令和元年5月1日の今日時点では一応安泰といえそうです。「爵位制度の貴族」や「士族」といった階級身分は法の下の平等原則から許されず、独り皇室のみ門地によって生まれながらの天皇という社会的地位を得、終身その特権を享受することが出来るのは皇室が身分ではなく祈りと祭りを職掌とする公的存在(機関)であるからと思います。

    6.しかしこれからの数十年先をみれば決して安泰ではありません。明治憲法下の天皇制は天皇の真姿ではなく、現行憲法下の天皇制も行き過ぎであり、憲法によって速やかに天皇の真姿を体現する制度に作り変える必要がありますが、自公政権が続くかぎり(野党に政権交代すればなおさらですが)、外務省の天下りとなった宮内庁主導で皇室の民主化が深化するだけで、制度変更は出来ずに皇室は漂流することが予測されます。これは皇室廃絶への道であり、これを監視し是正する真正保守の政党が、スペインのVOX、イタリアの「同盟」のように、自民党の右に位置することが日本に絶対必要です。本質的に高度大衆社会の今の日本では、いつ風向きが変わり、元号不要論のような天皇不要論が世論を風靡するかわかりません。そうならない為にも真正保守政党の存在が必要となります。真正保守政党の綱領の第1は、天皇を「日本国の象徴」ではなく、政治の権能をもたない「日本国の元首」と明記します。「最高権威ではあるが権力(統治権)はもたない」のが本来の天皇の姿ですが、民主主義原理と平等原則の例外としての天皇を、象徴ではなく元首としておけば天皇を民主化し廃絶しようとする動きを封殺し易くなると思われます。

  6. ここ数日、テレビでは先帝陛下の功績をたたえる番組を流し続けています。
    個人的には(テレビで編集された番組には)興味がないので積極的に観ては
    いないのですが、家の中にテレビがあるとつい見てしまいます。
    思ったことがあります。先帝陛下は小生が思っていたよりもはるかに
    政治に振り回されていたのだと。
    イギリス、オランダに行かれた時は、晩さん会で先方の元首から先の大戦で
    受けた迷惑(編集では捕虜の問題とされていた)について文句を言われて
    いるのを黙って聞いておられる陛下の姿を見て、国民の一人として非常に
    申し訳ない気持ちになりました。
    また、テレビでは絶対に流しませんが中国や韓国との外交に政治利用された
    ことが何度もあったと記憶しています。
    陛下ご自身のお考え如何に関わらず、政治色の強い30年だったのでは
    ないでしょうか。

    正論6月号の西尾先生論文「回転する独楽の動かぬ心棒に」を読みました。
    読む前に、この日録に書き込んでおられた土屋様、勇馬様のの感想を先に
    読んだのですが、本文を読んでも難しくて、とてもお二人の感想のレベルに
    までたどり着けません。なので、何度も読み返しました。

    読み返しているうちに天皇陛下が代替わりしてしまった。

    P.214に西尾先生はこう書いておられます。
      こういう時代に王室外交はあり
     得るだろうか。十九世紀の宮廷舞
     踏会のようなものに端を発した長
     閑な王族同士の交流を基礎にした
     華やかな外交は、もはやあり得ま
     い。それでも新天皇陛下は今度装
     いも新たに外交の舞台に立たされ
     る場合も起こり得るだろうが、外
     交ではなくどこまでも社交であろ
     う。皇族は主役では決してないこ
     とを弁えておいていたゞきたい。
     日本の皇族が外交の場にたとえ間
     接的にでも立たれることは諸般の
     事情からみて危うい。

    既に先帝陛下がある程度の実績を作っておられるので、政治家の思惑や
    国民の期待は西尾先生のご心配に反し今上陛下への政治への関わりを
    求めるようになりはしないか、非常に心配です。ましてや、

    http://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2019-04-29&ch=31&eid=22276&f=758

    放送日の翌々日には皇后陛下のお父さんになるという人がテレビでこういう
    論説をしているという事実があります。

    一方で
    同じくP.214に西尾先生はこう書いておられます。
      そう考えたときに新天皇陛下に
     与えられた内外の条件は余りにも
     不利であって、私はお気の毒でた
     まらず、かつ不安でならない。今
     上陛下は災害地と戦跡めぐりで国
     民の心をしかとつかんだ。平成年
     間はそれが可能だった。しかしこ
     の国の国民の心は今はもっと白け
     切って、自ら自動的に与えられて
     きた平和と富裕に慣れ、今上陛下
     と同じようなことをなさっても同
     じ効果は期待できない。国家を思
     う抽象的な熱情のために国民を燃
     え上がらせることは覚束ない。

    事実、「天皇の地位は日本国民の総意に基づくのだから俺たちが気に入ら
    なければ辞めさえられるんだ。」と考えている人は多いようです。
    現在ますます過激になっている秋篠宮御一家への執拗なバッシングには
    こういった考えが背景にあるからこそ過激になっているのだと小生は
    考えています。
    では、これからの時代、どうやって国民の指示を得るために何をしたら
    良いのかと騎乗陛下が考えたとき、どうしても政治色の強い事柄に自ら
    動いて行かれるような気がしてならないのです。例えば、ある日突然
    拉致問題について言及されるとか、、、、、、、

  7. 勇馬様に「判断される根拠」を問はれては往生します。
    「判斷」とまではゆきません。 せいぜい「推定」です。「根據」は、私の目に映る兩方の姿や生態がそつくりなことです。そして、多數派を占めるのは、いつの時代にも大抵似たやうな人々といふのが一般的眞理であらうと考へました。
    「時流に乗るのが巧い人々とか、信念がないだろうと推測するだけでは足りず」との仰せ、ごもつともです。自分でも十分とは思つてゐません。怠け癖から大抵のことは、不十分のままですましてきました。それで失敗したこともありますが、 それほどのこともなく済んだ場合もあります。

    昔の進歩的文化人に對する評價は、その後者の例だつたと自分では思つてゐま
    す。たとへば、進歩的文化人 中野好夫の論文なぞ、多分直接讀んだことは殆どなかつたでせうが、彼がどこで、どんな大口をたたいて、福田恆存からどこで、どんな風に叩きのめされたか、同じく進歩的文化人 中島健藏が福田の平和論批判に口出しをして、吉田健一からどう揶揄・嘲笑されたかーーなどの肝腎なツボは心得てゐたつもりです。

    また、中野・中島・清水幾太郎・戒能通孝・宗像誠也etcの代表的文化人については、そのプロファイルが頭に這入つてゐました。えっ、本人たちの文を讀まないでゐて、よく言ふよ、ですつて? すみません。あんな穢はしいものは、誰かによる引用を讀むだけですまさうと考へてゐました。ほぼワンパタなので、苦勞せずにすみました。もちろん間違ひはいろいろとあつたことでせう。

    今の保守論壇については、昔の進歩派論壇ほどには知りませんが、基本的に
    は同じだらうと思つてゐます。

    「敢えてお尋ねしたくなりましたが、止めて本論に帰」つて下さりさいはひです。私には一切答へられないでせう。そして勇馬樣の「本論」は、臣下落第の私にはキャッチアップできず、なにも言へないので、無關係な、たまたま前に書き洩らしたことを若干記します。

    現在、論壇に保守派がこれほど多數を占め(猖獗を極めるとさへ言ひたくなります)ても、憲法一つ變へられません。その點、昔、進歩派が壓倒的多數を占めても、安保一つ動かせなかつたのと同じです。

    「占めても」とは、事態を表はすには適切な表現ではなく、「變へられず」「動かせない」からこそ、そして、そのことが暗默に認められてゐればこそ、多數を占められるのかもしれません。實質的な力を持たないことが、繁昌のモトなのでせうか。

    昔と今で決定的に違ふことがあります。
    嘗ての進歩派には、少くとも、表面的には、政權と通じてゐる樣子はあまり見えませんでした。わいわい騷いでも、現實の力になり得ず、傍から氣樂に見物してゐることも可能でした。

    これに反して、のちの(現在の)保守派には、政權と通じてゐるに違ひないと思はれる節があまりにも多い。それを隱さうともせず、たとへば政權中樞の誰と會食したなどと自ら吹聽する論客もゐます。△△さんは○○のブレーンと言はれる(もしくはさう自稱するする)場合、多少の誇張はあつても、大抵事實でせう。100%政府の下請けと思はれるライターも少くありません。

    政權は改憲を主張すると言つてゐます。9條3項(私からすれば、それを言ひ
    出すことのできる雰圍氣に、亡國の兆を感じます)も、その一環ださうです。そして論壇も、大勢はこれを支持してゐます。しかし、どこにもその熱意は感じられず、こんなものさへ、進む氣配がありません。兩者グルで、どちらもやる氣がないのではないか。何も進展せず、今のままでゐることが、政權維持にも、論壇でぬくぬくとしてゐるためにも好都合なのではないか。

    西尾先生が先々月「ずるずると後退あるのみである」とおつしやつたのは、そ
    のことかもしれない。ひょつとすると、國民もグルで、擧つて亡國に突き進んでゐるのではないかーーそんな風にも思はれます。まあ妄想でせうが。

    西尾先生が絶望された眞の理由は存じませんが、私はそんなことで、日本の
    將來が明るいとは思つてゐません。あまり考へないので、深刻にもなつてゐま
    せんが。

    (追記)皆さんが眞劍に天皇・皇室を論じてをられるのに、如何に無知でも、自分だけ何も言はないのは卑怯のやうでもありますので、個人的體驗を一つだ
    け。

    私は小泉信三の著書に、實に多くのことを教へられました。今でも、何か言は
    うとして、これは小泉の説だと氣づくことが屡々あります。三島由紀夫が小泉
    を「逆徒」と呼んだーー「皇室からdignityを奪つた」といふ廉ですーーのにはショ ツクを受けました。「小泉は最後まで、そのことに氣づかなかつた」とも三島は言ひました。心中、これに反論することはできませんでした。そして、”ミッチーブーム”とやらから目を反らしたことを思ひ出し、あのあたりに、自分の心がお上を離れるキッカケがあつたやうな氣がしました。とにかく、臣下落第です。
    これ以上、落第の内情をさらしたくないので、退散します。

  8. 始めに私自身の勝手な結論めいたことを。結局、どうすればいいのかが問題です。

    いきなり大上段に振りかざしますが、究極の目的は、将来の国際社会の中で、日本の子や孫たちが幸福に生きられ、楽しく安らけく豊かに誇りを持って暮らせ、生きられるように今私が出来ることは何か。それは日本の現在を秩序と調和のある社会に一歩でも近づけることであり、戦後左に捻じれた国を真ん中に戻す、そのための重要な要素の一つがご皇室の正しい護持であることは理性的に考えても明らかです。今我々に出来ることはその為のアプローチを考え抜き、考えるだけでなく、口先で喋るだけでなく、考えた結果、何か動けることがあれば実際に行動することではないでしょうか。「臣たる」ことは、国民として自分の能力の範囲内で精一杯の努力をすることと心得ます。https://sshsp1.wixsite.com/mysite

    チンピラの一人に過ぎませんが高齢者の部類ですので時間がありません。

    考え方としては、新帝陛下の言明された、「伝統を引き継ぐと同時に新しい風に沿う」が保守主義の大道からも正しく、伝統と革新の両者のバランスと中庸をさえ確保できればご皇室は今後も安泰でしょう。問題は以下の3点に集約できると思います。

    1.伝統を引き継ぐには、①陛下ご自身が皇室と日本の伝統を深く学ばれ身に付けること(これは既に完了していると拝察します)、②有能な参与や政府などの君側の臣が陛下が伝統を引き継げるように政治的、経済的又は社会的関係において最大の努力をすること。そして国民がこれを支えること。

    2.これを妨げる君側の奸を徹底排除すること。これが私のコメントの当初からの懸念です。岡田様ご指摘のNHK番組「視点・論点」は私も注目し録画し再生しましたが、案の定、日本ハンディキャップ論者の小和田恒氏が「21世紀の国際秩序の行方」と題してグローバリズムを吹聴していました。rule-based societyとかglobal communityとか 誰も反論できないような慎重な言葉使いでしたが、“世界全体としての国際協調秩序への積極的関与を日本が果たさなければならない”というのがその主張で、この思想が皇后陛下を通じて新帝陛下の今後の“皇室外交”などに侵入して来ないように国民が厳重に監視する必要があります。グローバリズムの虚妄と害悪はここでは控えます。

    3.令和の皇室は、建前として国民に「寄り添い」、国民の「身近な」存在となることが「今の時代にふさわしい」と言わざるをえないでしょう。西尾先生も「災害地と戦跡めぐりで国民の心をしかとつかんだ」と平成天皇を肯定評価されています。新しい風はどこからか吹いてくるもので皇室も風にそよぐ蘆たるを免れませんが、周囲の単なる無知、不注意、怠慢から、必要も便宜もないのに、皇室が廃れるのを見るに忍びません。一番警戒すべき風はアメリカからの東風で、早速NYTが即位儀礼に皇后の不在を女性軽視と難癖をつけてきたようです。黒船以後米国は日本に余計なお世話を焼き続けて最後は核兵器まで使ってきましたが、日本の伝統や文化に無知な彼らの正義を振りかざす善意は日本弱体化の悪意と表裏一体ですので最も要注意です。女系容認論を現在最も警戒すべきでありこの逆風には身を挺して逆らわなければなりません。

    小泉信三の指導で皇室が民主化され戦後の週刊誌天皇制路線になったことを指して三島由紀夫が「皇室から尊厳を奪つた逆徒」と呼んだことは理解できますが、「小泉は最後まで、そのことに氣づかなかつた」のではなく、小泉は意図的に尊厳の値を相対的に低下させ時流に合わせることで皇室の存続を図ったのであり、それは正解だったと思います。もしも三島由紀夫が宮内庁参与となって三島の理想とする昭和天皇になっていたら、戦後の国民多数からそっぽを向かれたでしょうし、三島自身それに気付いていたと思います。

    新帝陛下が認識されているように、皇室も勿論変遷を免れません。たとえ間違っていても、時流やその時代の風潮、一般国民の嗜好が赴く方向に逆らって人気、支持を失へば皇祖皇宗に顔向けできなくなるでしょう。戦後に日本語をダメにした金田一のような人物が皇室をダメにすることが十分あり得ます。

    池田様がミッチーブームから目を反らし、皇室から心が離れたのは、世代の問題と推察します。テレビのない時代の皇室像に慣れた者はテレビ時代のそれには馴染めないでしょうし、ネットのない時代の皇室像に親しんだ者はネット時代のそれには付いていけないでしょう。皇室はその時代時代を生き延びなければなりませんから、老兵は軽んじ現役兵を重んじざるを得ず、その範囲で変わらなければならないでしょう。私もネットのない時代に育った人間ですので平成時代から心が離れかかっていましたが、ここでは社会制度としての議論です。

    池田様のような辛辣な真正保守知識人が私ごとき若造にかくも優渥なるご回答を寄せられ恐縮し感謝しています。「あまり考へない」「臣下落第」はお得意の韜晦ですが、私などよりも遥か先を考えていらっしゃることが分かります。

    遅まきながら、論壇の保守派多數に対する洞察に接し共感します。
    ① 口先だけの徒。憲法改正さへ実現する実質的な力を持たないことが暗黙に認められていればこそ、多数を占められる。
    ② 政権のコバンザメ。安倍さんが明らかにおかしいのにおかしいと云わず、保身のため権力にへつらう卑しさと醜さ。政府の下請ライターは、亡国の70年首相談話も9条3項も反対できません。
    御著書『日本語を知らない俳人たち(2005年)』にあった新仮名遣いを巡る福田恆存の金田一京助批判、故中村燦氏から頂いた大東亜戦争観を巡る林健太郎批判などは知っていましたが、福田恆存の中野好夫批判、吉田健一の中島健藏は知りませんでした。面白そうなので時間を見付けて読んでみます。

    “近代は殊に日本にとって大変な時代で、あらゆるものが変えられ、我々の伝統は散々に傷つけられました。伝統を否定するのは結構、しかし否定するにしろ肯定するにしろ、本格的にそれをやるには先ずしっかりと伝統に向き合いその本質を身に知らしめねばなりません。(略)近代は我々日本人を浮草にしてきた時代といえましょう(日本語を知らない俳人たち)”

    私はこの池田様の口調を借用して新帝陛下に次のように申し上げたいと思います。

    “近代は殊に日本の皇室にとって大変な時代で、明治、昭和と2回に亘りあらゆるものが変えさせられ、皇室の伝統は散々に傷つけられました。令和の時代に陛下が皇室の伝統を部分否定するのは結構ですが、しかし否定するには本格的にそれをやらねばならず、本格的に否定するには先ずしっかりと伝統を学ばれその本質を身に知らしめねばなりません。これは肯定する場合も同様です。理想は理想として掲げながら現実は現実として妥協しなければなりません。天皇の本質と理想は尊厳であり、親和は現実的処方に過ぎず、国民に寄り添いすぎれば尊厳を失うことに留意しなければなりません。それをしないと皇室は浮草のように漂流し日本国が中心軸を失い国民が亡国の民になりかねません。”

  9. 勇馬樣のおつしやる「日本の現在を秩序と調和のある社会に一歩でも近づけること」は大切ですが、そのために「何か動けること」を見つけ「行動する」ことは、當然 難しいでせう。「戦後左に捻じれた国を・・・」などは、我々が意識して努力しても不 可能に近いと思ひますが、キッカケがあれば、誰もなんの努力もしなくても・・・

    再び進歩的文化人の話に戻りますが、私がもの心ついた時の彼等は、全員平和
    教の傳導師を兼ねてゐましたが、一人の例外もなく、嘗ては大東亞戰爭の理論的指導者でした。

    勇馬樣は左も右も好ましくなく、その「真ん中に」とお考へかもしれません。世間には左(平和教の傳導)は感心だが、右(戰爭指導)は怪しからんとする向きも、その逆の向きもありませう。でも上記のやうに、どこからも咎められずに、自動的に横滑りできるのですから、本質的には、右も左全く同じと考へるべきではないでせうか。違ふものなら、そんなに簡單に進むはずがありません。現に、彼等が民衆に説く際の表情も口調も、敗戰前と後で一切變化ありませんでした。左とか右とかは關係ないのです。

    戰前から、同じ大學教師として、彼等を見てゐた本田顯彰は腹を立てて、『指導者』で、「あちらの岸からこちらの岸へ、ひらりと飛び移つて、なんの申し開きもなし」と咎めましたが、 彼等は、意識的な行動ではないので、申し開きの必要など感じなかつたのです。自然に振舞つてゐたら、たまたまこつちにゐただけで、それが右だらうが、左だらうが、知つたことではなく、とやかく言はれるのは心外だつたせう。

    かういふ奇觀は近代日本に特有の現象でせう(戰後のドイツでも、頭としつぽを切り落しただけで、ナチ黨の胴體部分はそのまま社會に這入り込んだと、西尾先生が指摘され、そのとほりでせうが、日本ほどアッケラカンではなく、基本的には、日獨では別構造情だつたのではないでせうか)。

    大きく言へば、明治以來、天才的な日本人たちが必死に取り組んでも克服でき
    ずに來たことの一つで、私などはとても・・・

    勇馬樣から質された「根據」で思ひ出しましたが、平和教の傳道師どころか教
    祖は、御承知でせうが、昭和55年には核武裝を唱へました。これを福田恆存
    が批判しましたが、私はどちらも讀みませんでした。既に、進歩派→保守派の
    移動が目立つてゐましたので、教祖樣に今更附合ふ氣はなく、またその成り
    行きについて、敢て福田大先生に教へて貰ふまでもないと思つたからです。
    「近代日本知識人の典型〇〇〇〇〇を論ず」といふ福田論文は全集にも載
    つてゐますが、この題を覺えてゐるだけで、本文は一度も讀んでゐません。

    今の保守派の中に、進歩的文化人出身で、なほ健在な人がゐるのか存じませ
    ん。ずゐぶん時が經ちましたね。

    以前、日本の戰爭責任追及をこととしながら、今では拉致被害者の問題で働い
    たり、總理大臣のブレーンを務めたりしてゐる人がゐますが、この人はたまたま仲間にはぐれでもして、向うの岸からこちらに移るのが遲れたので、年齡からして、進歩的文化人たりし過去はないのでは?それにして順風滿帆ですね。
    ブレーン枠に這入りきらず、追ひ出されたり飛びだした人もゐるのに。

    大部分の保守派に進歩派の前歴はなささうですが、彼等の氣質(とは何かとま
    た訊かれさうですね)・生態は進歩的文化人のそれによく似てゐます。言ひ換
    へれば、口調・表情がそつくりです。そして、勿論その前の戰爭指導者のそれ
    にも似てゐます。「多數派を占めるのは、いつの時代にも大抵似たやうな人々
    ・・・」と申した際、そんなことも腦裡にありました。「表情なんて、そんなものでは『足りず』」とまた言はれるかもしれません。

    實は、私は戰前・戰時中の雜誌などを直接讀んだことはさう多くありませんが、『學者先生戰前戰後言質集』『進歩的文化人』といつた、あまり品のよくない本を3册持つてゐます。題名の示すとほり、戰後論壇の寵兒たちの、敗戰前の言動を曝露したものです。それらのアンチョコにより、彼等の文體、話の進め方に一切變化のないことを確信しました。勇馬さまには、なほ「足りず」と叱られるかもしれませんが、私はかなり自信を持つてゐます。

    進歩的文化人には興味があつて、その他にも研究しました(小林秀雄のごと
    く「愛情の持てない對象には、すぐに關心がなくなる」ことはなく、蔑む對象に、好奇の目を向けるのですから、根性が曲つてゐるのです)。

    勇馬樣の天皇・皇室論、私に理解できる限りでは、おほむね妥當と思はれま
    す。しかし、論評を加へるのに必要な知識と見識がないので、また、他のこと
    について個人的な感想を若干記します。

    私は獅子文六といふ作家が好きで、その天皇についての文も愛讀しました。
    就中明治天皇についてーー
         ☆     ☆     ☆
    ・・・天皇發病の新聞號外が、配達されたのである。
    「まア、大變だね・・・」
    母が、聲を曇らせた。まるで、近親の重病の知らせを、受けたのと變ら
    ない、眞情がこもつてゐた。私の母だけが、忠義だつたのではない。今
    の世の中では想像もつかぬことだが、すべての日本人が、天皇ーー明
    治天皇といふ人に對して、忠誠と愛情を、ささげてゐたのである。無論、
    明治政府は、天皇をアイドルとして、祭り上げてきたが、その感化ばか
    りでなく、明治天皇を”好き”といふ感情も、國民の中にあつた。天皇だ
    から有難いといふよりも、明治天皇その人に、すつかり推服してたので
    ある。やはり、明治といふ苦難の時代を、共に生き、共に成功したとい
    ふ意識が、私の母あたりの年齡の日本人には、特に強かつたのだらう。

    ・・・世俗の因襲に、反撥しようとする考へがあり、明治天皇はそれほど
    嫌ひではないが、忠義とか、愛國とかいふ道徳を、わざと、輕視しよう
    とする傾きもあつた。
    それで、天皇發病の號外を見ても、母の心痛を嗤ふやうな、態度を示
    した。

    ・・・何か東京ぢゆうが、昂奮状態になつてきた、感じだつた。
    「お前も行つてお出でよ」
    母が、まるで、國民の義務であるかのやうに、私を促したが、俗衆
    のマネはできない、といふ氣持で、それに從はなかつた。

    ・・・二十日から三十日まで、誰も、自分たちの生活を忘れ、天皇の病
    氣のことを、考へてゐたやうなものだつた。昂奮が加速度を増し、大森
    の奧に住んでる私まで、波動を傳へてきたにちがひない。
    私も宮城前に行きたくなつた。
    (いや、祈願に行くんぢやない。群衆を、觀察に行くんだ)
    そんな口實をつけて、私は、家を出た。

    ・・・最初、私は、異樣な周圍の中に孤立してたが、人々と同じやう
    に、兩手をついて、跪坐の姿勢をとつてると、だんだん、感情が動い
    てきた。何か、悲愴なやうな、感激的な、抵抗できない氣持に搖られ、
    「陛下よ、どうか、癒つて下さい」
    といふ言葉が胸の中に、湧いてきた。
    ・・・
    ☆ ☆ ☆
    君臣の麗しいありやうで、私も文六のやうな經驗をしてみたいと思ひまし
    た。
    しかし、私が感動したのが嘘でなくても、好きだの、嫌ひだので、天皇を
    論じても始まらないでせう。

    畏友伊藤悠可さんの最近著における、「(齋藤)瀏がもしも天皇個人(本
    來、そのやうな日本語はないのだが)の人格の差異をもつて、尊崇の度
    合ひが變化するのであれば、・・・松陰の手紙に感動したことが嘘になつ
    てしまふ。『只今の時勢に頓着するは神敕疑の罪輕からざる也』といふ
    松陰が發した箴言が薄つぺらになつてしまひ、瀏がわざわざノートに書
    き込むこともなかつた。さうでなく齋藤瀏は實は、『必無の事』を書いた
    松陰、天皇の退位を迫つた藤原基經を猛批判した本居宣長に近いのである。
    思ふに素朴な忠魂義膽の人なのである」といふ記述に共感しました。
    好き嫌ひは勿論、人格さへ・・・。嚴しく、辛いが、それがほんたうの君
    臣のありかたであるやうな氣がします。

    「今上天皇っていつでも今上天皇なんです。つまり、次の天皇のお子様がど
    うだって問題じゃなくて、代譲位と同時に、あの、まあ天照大神と直結しち
    ゃうんです。そういう非個人的性格ってものをね、天皇から失わせたってこ
    とがね、その、戦後の天皇制の作り方において最大の誤謬だったと僕は
    思っております」といふ三島由紀夫の説は難しくて、よく分らないながら、
    「非個人的」といふことは大事だなと感じます。これも嚴しく、淋しいが、そ
    れに堪へるのが臣下の責務かとも思ひます。

    これらの點について、勇馬さんはどうお考へですか。他にも、私には理解できないことがあまりにも多い。お教へいただければさいはいです。

    明日(4日)の御即位一般參賀に、小3の孫を連れて伺ふことにしました。彼が最近改元にいたく關心を持ち、あれこれ質問して來るからです。もちろん自分の考へを押しつけないやうに注意して答へました。前に書きましたが、我が子たちを、昭和63年まで、毎年1月2日の一般參賀に連れて行つたのは、押しつけでしたが、孫にはそれは愼んでゐます。昨日、孫の喜びさうなことだと思つて提案したら、「行きたい」とのことでした。あくまで孫のためでした。

    ところが今日になつて、私の氣持に少し變化が生じました。あの場で、自分の
    心を覗いてみたいと思ひ始めたのです。32年前までは「天皇陛下萬歳!」を
    唱へながら、一方では、自分に戰後教育を施した連中に對して、お前たちの
    言ふことなんてきかないよ、「ザマー見ろ」とも言つてゐたのです。

    明日はどうか。孫には一切指示をしませんが、たぶん彼は「天皇陛下萬歳」に唱和するでせう(子供には附和雷同の卑しむべきことを教へましたが、孫には何も言つてゐません)。そして私も同樣にするでせう。

    それに自ら怯むだらうか。昔のやうに大きな聲を出せるだらうかーーそんなことに興味が出てきたのです。
    大學生の孫は新年に、平成最後の參賀に行つたさうですが、私の心事を多少知つてゐるせゐか、なんの報告もありませんでした。ーー人樣にはどうでもいいことを書きつらねて、申し譯ありません。

  10. 昨日、今日午前と雑用でパソコンに向かえませんでした。今夜コメントします。

  11. 勇馬 樣

    私は今日遠方に連れて行くべき孫が微熱を出して、家でごろごろしてゐるので、幸か不幸か、終日フリーになりました。

    先に「かういふ奇觀は近代日本に特有の現象」と書きましたが、これは例のカール・レーヴィットの一階・ニ階論によつたものです。日本人がその全ての美質を失つてしまつたとは思ひません。一階にゐる間は今もそれを發揮します。
    ところが、「戰爭」「平和」「進歩・保守」といつた、二階の世界に上ると、何も見えず、考へられなくなり、ただ風向きのままに、右往左往するだけーーとは、以前申上げ、御理解いただいたのでしたか。

    「戰爭」と「平和」は、普通正反對の概念で、昨日まで前者の指導者だつた人が、なんの挨拶もなく、今日は後者の指導者になるなんていふことは、一階では許される筈がありません。それが自由自在にできるのが、近代日本の「二階」なのです。

    指導者ーー論壇の先生だけではありません。彼等を支へる一般の進歩派は嘗て、保守派は現在、身邊にうじやうじやゐますが、風上から漂つてくるものにのみ反應し、風下には無感覺です。
    靖國、尖閣、慰安婦、元號etc、説く方が千篇一律なら、これを聞く方の喜び方も一樣で、著しくオートマティックです。そして、仲間と、「世界に 誇るべき 日本の元號」を語り合つたりして、嬉しさうですが、どうも、自身が心の底からさう感じてゐるとは見えません。一種のイデオロギーに過ぎず、「戰爭」→「平和」、「進歩」→「保守」も、その逆も融通無礙であるやうに、私には見えます。

    ところで、昨日、參賀で私は「テンノウヘイ・・・バンザ・・・」「・・・バンザ・・・」と力ない聲を發しただけでした。周圍が何も叫ばないのです。遠くに聲がしましたが、「天皇陛下萬歳!」とは聞えませんでした。
    さういふ中で自分一人が威勢よくなんて、とてもできません。手も肩ほどの高さまで擧げかけて、すぐに下しました。「自分の心の中を覗く」どころではありません。目立つことが恥かしくて怖がる、だらしのない性格を確認しただけでした。そんなことは百も承知してゐました。孫も無言でした。二人にとつて、どういふ意味があつたのか、分りません。

    32年前の參賀とは、大違ひです。どこに行つてしまつたのでせうか。あの、どよめくやうな、鬨の聲のやうな、地響きのやうな聲は・・・

  12. いつぞやのように池田様との対話になってきましたが、ある程度は新帝や皇室を巡るホットな一般性があり、ここに立ち寄る皆さまともつながると思われますので続けてお邪魔します。ここまで本音を吐露して頂けるとは有難いことで、いつもながら啓発されます。前回もそうでしたが今回も何か引き出せそうな予感がして生意気にも挑発じみたことを書いてみましたが案の定、有益なヒントがいくつか返ってきました。

    獅子文六は古き良きパリと江戸東京のもっていたエスプリが芯にあった作家です。横浜で「月雪花を同時に見た」とエッセイに書いていたのを自分がそれをどこかで見て喜んだのを覚えています。今日出海、御手洗辰雄、高橋信吉、細川忠雄を連想します。

    文六と同じく、俗衆のマネはできないといふ氣持で、行列に並ぶこと、まして一般参賀の群衆に混じることなど思いもよらない者ですので、辛辣で狷介不羈の池田様が昭和時代まで群衆に交じって参賀に加わり「天皇陛下万歳!」を唱えたと知り驚きました。小学生のお孫さんとお爺様と昨日の御即位一般參賀に加わった姿を想像すると微笑ましくもなります。しかし一斉に万歳を唱和しないとは意外です。これが時代の変化なのでしょう。故中村燦氏は僧侶と弁護士に成長した子らの幼時に戦前のテキスト「修身」で教えた逸話を思い出しました。たとえ一時御心が離れたとはいえ正真正銘の臣が参賀に加わることは考えてみれば自然な行為で、私も行かなければと思い始めましたがすでに締め切られていました。文六が、屈折した気持ちを経て、「陛下よ、どうか、癒つて下さい」と願った心情は池田様が昭和帝の最期に念じた気持ちと同じだったのではないかと推察します。

    “進歩的文化人の話に戻りますが、私がもの心ついた時の彼等は、全員平和教の傳導師を兼ねてゐましたが、一人の例外もなく、嘗ては大東亞戰爭の理論的指導者でした。”―これを知らなかったのは私だけでしょうか。これは重大な指摘です。殆どの方が知らないのでは。『學者先生戰前戰後言質集』はいつか読んでみます。

    “どこからも咎められずに、自動的に横滑りできるのですから、本質的には、右も左も全く同じと考へるべきではないでせうか。違ふものなら、そんなに簡單に進むはずがありません。自然に振舞つてゐたら、たまたまこつちにゐただけで、それが右だらうが、左だらうが、知つたことではなく、とやかく言はれるのは心外だつたせう。”というご指摘、証言は貴重です。「右の保守」は以前に定義されたB群とC群でしょうが、「左の革新」と所詮同じであれば、猶更、真正保守の価値が高いということになります。ただ「右の保守」は「左の革新」の変わり身に過ぎないにしても、問題はその中身であって、転向して辿りついた保守思想が本物であれば尊重しなければならないと思います。

    昭和55年7月の「諸君」で、「60年安保から20年、思索の末に到達した結論は核の選択だ。日本よ国家たれ」の清水幾太郎が、当時迂闊にも、嘗ては平和教の伝道師・教祖だったとは知らず、精読して関心した覚えがあります。私が本格的な保守の論文に接した初めでした。曰く、占領下制定の憲法は無効、日本こそ真っ先に核兵器を製造所有する特権を有する。経済力に見合った軍事力を持てば国際社会で政治力が生まれフリーハンドを得る、大国たりうる素質を持ちながら日本は世界の中で身体障碍者のように振舞っている、云々。この意見はいまも立派に通用する真正保守ではありませんか。福田恆存がこれに賛同せず、その時どのように批判したのか興味があります。
    今日ようやく正論を入手し西尾論文「回転する独楽の動かぬ心棒に」の全文を繰り返し読むことができました。池田様のコメントもヒントになって、加藤氏のいうとおり「凡百の記事の群を抜いて、なかんずく四、五の後半が迫力満点」に私も同意したうえで、「西尾先生の豹変(4/29)」を多少修正しなければならなくなりました。引用だけに基づく批判は粗忽でしたし、私の新帝陛下への言葉(5/3)は先生の2番煎じになっていました。ということはこの部分は間違いではなかったことにはなりますが。

    小堀氏の論文は厳かで回りくどく分かりにくいのですが要するに、先帝の事績を深く学ばれよ、と云いつつ、継承すべき面としない方がいい面とを弁別せよが結語で、この抽象論にはその弁別基準がなく、新帝は却って戸惑うのではないでしょうか。石原氏も他の方々も同様で、結局お役に立つ進言、献言、アドバイスはこの雑誌では西尾論文一つでした。

    「拡張的歴史解釈」という「時間上の対日侵略」を主として米露中が行い(韓が走狗になっている)という認識は保守層のなかでは一般的かと思いますが、これを「日本の皇室の容易ならざる未来」に結びつけて捉えたのは西尾先生だけではないでしょうか。先生は嘗て「ヨーロッパの個人主義」の著作や、ヨーロッパを舞台の(ドイツ語?)講演で日本の歴史の独自性(特殊性ではなく)を主張し言論戦を戦った金字塔の実績があります。私も昔北米でビジネス上のささやかな戦をやった経験がありますので、この欧米人を相手に戦うことの困難さ、まして文化や歴史をテーマに戦うことの厳しさは想像出来る気がします。そして今度の代替わりに当たり、先生ら臣が泥をかぶって西欧と戦うその後ろで、陛下は決して皇室外交などで全面に立ってはならないのですが、臣らが国に帰せられた真実ではない汚名と「戦う」ことの厳しさと大切さを知ってほしいと、そのお覚悟を促しているのではないでしょうか。

    いつまでも吹き止まない日本すなわち天皇の戦争責任追及の風が「日本の皇室の容易ならざる未来」をもたらすという根本認識から出発する現実的なご提案が、令和の時代の新しい天皇の御姿を模索した結果、「ご家族思いの天皇像」だったことを知りましたので、西尾先生の豹変ではなく転進に過ぎなかったと私見を修正します。

    上皇陛下は平成の時代、被災者へ膝まづいて語りかけることで国民の共感を呼び支持を獲得できたが、令和の時代に同じことを新帝がなさっても同じ結果にはならないだろうという洞察がまずあって、では今後に考えられる皇室の新機軸は何かと、具体的現実的方策を模索すれば、平成時代に皇太子殿下が妃殿下に全身全霊で献身的に奉仕した誠実さと一途さは、奥方がそうであれば子や孫、父や母の家族に対してもそうであろうと思われ、しかもそれが心からの自然な本物の振舞であったことを踏まえて、これこそ将来にも平和と富裕に慣れた一般大衆、令和世代の国民にも共感を呼び、ひいては御皇室の安泰につながる、但し内心の葛藤や悩みも表に正直に出されて、と先生は着想された。新皇后陛下の御病気は完治されたかは存じませんが、昨今の皇室報道を見る限り普通なので、これを一旦横に置き、むしろこれを逆手に取ったともいえる逆転の発想と理解できました。誤解があるかもしれません。

    「皇室の容易ならざる未来」を見通し、これへの対策を真剣に考察する忠魂義胆の保守は先生だけではないか。継承し踏襲すべきこととすべきでないこととは何かが現在の新帝の喫緊の問題であって、それが全身全霊の家族愛だ、国民に媚びず、迎合せず、自然に自由に国民のまえで振舞うこと、それが令和の時代の君徳に他ならず、令和の人心収攬の要諦なのだ、但し羽目を外すことなくという条件を付ける。これで初めて本当のアドバイスとなります。

    ここで運動と晩酌の時間となりましたので続きを明日書きます。

  13. 池田様

    1.令和の時代に皇室との関連で保守の存在と役割が重要になっており正論6月号は時宜に適った記念特集を組んだわけですが、この文脈で池田様が持論の転向論を分かりやすく再言してくださいました。昨日の「転向して辿りついた保守思想が本物であれば尊重しなければならない」を補足します。

    私の頭にあったのは、「俺が日本だ、日本が俺だ、文句あるか」の田中清玄(キヨハル)でした。生前に一度だけ言葉を交わしたことがあり、小柄で背筋の伸びた会津出身らしい古武士の風格の方でしたが、あとで自伝を読み経歴を知って驚きました。学生時代からのバリバリの共産主義者で戦前非合法時代の日本共産党中央委員長、投獄服役、転向後、龍沢寺山本玄峰老師の導きで大悟、戦後、陰で昭和を動かした人物。思想的には西洋的合理主義、一元論的世界観の超克、今西錦司の「棲み分け理論」と多神教的アジア的自然理論の融合、政治的には米ソ結託による世界支配からのアジア解放を目指し、インドネシアとシンガポール主導で日本と中国の参加する汎アジア連合を構想し、核兵器無条件即時廃棄をレーガンとアンドロポフに働きかけたそうです。ただどういうわけか東京裁判史観から免れなかったのは不思議ですが、この人はオポチュニストからは遠く、左とか右を超越しており、チャーチルの’If you’re not a liberal when you’re young, you have no heart. If you’re not a conservative when you’re old, you have no brain.’の基準に照らすと、むしろ転向した保守こそが真正保守で、少なくも左翼の出自で転向保守を差別してはならないことになりますが、私もこの部類ではありませんので、別にこれにこだわる必要はなく話題提供です。転向保守にも真贋があるという当たり前のことでしょうか。

    2.お尋ねの三島見解ですが、私には対等に議論できるほどの知見はありません。ただ三島の「反革命宣言」を単純に次のように理解しました。戦後の知識人のなかで最も無遠慮に天皇に論及し糾弾することもありましたが心底には皇室への敬愛があったのではないかと思います。福田恆存が、「天皇は右も左も日本人に取って試金石だからみんなが考えなくてはならない」と云ったその三島の考えた回答でした。天皇を考えると、どうしても日本を考えることになります。

    1. 天皇は日本文化の全体性と連続性を映し出す鏡であり象徴であり、文化的非政治的な存在である。(勇馬注:「伊勢神宮の御神鏡に日本人すべてが自己を見出す。日本人すべてを写せる鏡は天皇しかなく、そこに天皇が無私、無姓の人間である本質的理由がある」とどこかで言っています)
    2. この天皇の御存在を否定する共産主義革命勢力を粉砕しなければならない。(勇馬注:現代ではこれにグローバリズム勢力を追加。左派勢力が天皇を反戦平和の象徴にすり替えようとしています。)
    3. 革命大衆の醜虜となる世論を当てにしてはならず、先見と少数者の原理で天皇を護持する。

    「今上天皇はいつでも今上天皇なんです。譲位と同時に天照大神と直結しちゃうんです。そういう非個人的性格ってものを天皇から失わせたってことが戦後の天皇制の作り方において最大の誤謬だった」という「非個人的性格を天皇から奪った戦後の天皇制」は、御皇室の私的な生活を公開し庶民から親しみをもたれる週刊誌天皇制を指すと思いますが、三島は、上記1.の文化の連続性だけでなく日本の歴史の連続性を天皇が担うので、代譲位と同時に天照大神と直結する天皇には人間的なプライベートな要素は排除されるべきという考えかと思います。池田様が、そこを捉えて「嚴しく、辛く、淋しいが、それに堪へるのが臣下の責務」と仰ったのでしょうか。

    明治時代、すべての日本人が明治帝に忠誠と愛情を捧げ、心服し、“好き”だったのは明治といふ苦難の時代を共に生き共に成功したといふ共通意識があったから。昭和時代、多くの日本人が戦前は昭和帝に忠誠と生命を捧げ、共に敗戦を経験し、戦後の巡幸とぎこちない肉声を有難く思い、復興の苦難の時代を共に生き共に成功したといふ共通意識があった。平成時代、同様に被災地見舞と戦跡慰霊で一般庶民の心をつかんだ。では次の令和時代での天皇の役割は何で、どうすれば一般国民を人心を収攬できるかを西尾論文が論じたのだと思います。
    私見を別の言葉で繰り返しますと;
    1. 20世紀は戦争と革命の世紀で、ハプスブルグ、ホーエンツォルレン、ロマノフ、愛新覚羅などが全て消滅し今は地球上に痕跡さえ留めないのに、日本だけアジアで唯一奇跡的に皇室がいまのところ安泰である。現在も将来も、日本において天皇の存在意義と価値は高く尊く、日本国と日本国民のために、廃絶させてはならない。
    2. 御皇室を存続させ生き残らせるために、国(政府)は、①祭政分離、立憲君主制をそのままに、天皇を明確に元首と位置付け、②教育によって、国民が、皇室神話と日本史の知識を共有し、皇室支持の前提となる皇室への価値認識という防波堤を築き、内外の反天皇の動きへの免疫力を高める。天皇制を前世紀の遺物として潰そうとお節介を焼く者が特に欧米・中国から出てきても、余計なお世話として跳ね返せる日本人のコンセンサスが必要。三島の上記3.の「少数者での護持」は不可能。
    3. 皇室側は、現在82%の国民が親しみを感じ皇室を支持する現状を後退させないため、①国と民の幸せを祈る祭祀をこれまで以上に重視する。これが天皇陛下のアイデンティティーであり、国民の尊崇の念を高める所以。三島は「自己犠牲の見本」たることを求めたが、これは無理。明治憲法下では、現人神が顕教、天皇機関説が密教だったが、戦後はこれが逆転しており、現人神的神秘性が密教として依然残っている。国民の心を支える存在となるにはこの祭祀が不可欠。
    ②国民への阿諛追従ではない人気を得る新しい道をさぐる。先帝の工夫をそのまま継ぐのではなく、令和にふさわしい工夫が追及されねばならず、西尾先生の進言が参考になる。

  14. 勇馬 樣

    昭和55年の清水幾太郎「核の選擇」は、私は讀んでゐませんが、仰せのとほり「本格的な保守の」論文だつたに違ひありません。
    昭和35年の同「いまこそ国会へ」が、安保反對の民衆のエネルギー結集を説く「本格的な平和希求の」論文であり、更に、昭和14年の同「現代の精神」が、「戰爭は新しい文化の生ずべき地盤を用意することがあり、文化の發展に對して一つの積極的な意味を有する」といふくだりの示すごとく、「本格的な聖戰推進の」論文であつたのと同樣に。
    清水の論文は常に「本格的」だつたのではないでせうか。いづれも堂々たるもので、反論の余地はなささうです。

    「朝日新聞」昭和55年6月18日夕刊に、次のインタヴィウ記事が載つたさうです。
    記者「あなたの『核の選択』、スポットライトを絶えず浴びたい、との評もありますが」
    清水「・・・そうじゃなくて、ぼくの立っているところに日が当たってくるんだ。日なたを求めて、日蔭に生きてきたわけじゃない。これは大事だと思って、そこに行けば、日があたってくる」
    愉快ですね。清水幾太郎に面識はありませんでしたが、ずゐぶんユーモアを解
    する人だつたと推察されます。

    今から10數年前、現代文化會議の講演・討論會で、「近代日本知識人の典型
    清水幾太郎を論ず」といふ福田論文についての評價を訊かれた西尾先生は、
    「讀んでゐない」の一言で片付けられました。私と同じだと、可笑しくなりました。理由は知らず、ただの讀み洩らしかもしれませんが。
    同會議に多い福田の直弟子や若い崇拜者の多數は、この論文にかなりの重き
    をおいてゐたやうで、先生のこの答に拍子拔けした樣子でした。私も別の機會
    に、主宰の佐藤松男さんと、その話になり、自分がわざと讀まない理由を申しましたが、納得してくださつたか否か分りません。

    福田恆存が「いまは、左翼的な『進歩的文化人』の言論の方が村八分にされか
    ねない世の中になつた。そして私は二十數年前と同樣、厭な世の中だなと憮然
    としてゐる」(昭和55年「言論の空しさ」)と言つたのは、教祖まで、信者を見捨てて宗旨替へをしたこと(と言ふよりも、逃げ出す信者があまりにも多く、教祖もたまらず、後を追つたのでせう)にも關聯するのでせうか。保守反動の元兇とされた人がそこまで見てゐたのでせうか。

    「祕すれば花」といふ世阿彌の教へは、出自が神話にある皇室については特に
    有效で、大切だと考へます。然るに、世では、「開かれた皇室」が正しいやうに言はれ、その方向へずんずんと進んで來たのは遺憾千萬です。何を誰が勘違ひしたのか・・・憤慨に堪へず、大抵目を反らしてきました。

    しかし、それ以上に皇室の在り方といつたことについては、關心も意見もありません。私などが考へても意味はない・・・。一つ一つの現象に特に目を向けたこともありません。
    從つて、西尾先生の「皇太子樣への御忠言」も拜讀してゐません。坦々塾で、先生の講義のあと、雅子妃殿下について質問したことがあり、「オフレコでいいのならば」といふ條件でお答をいただきましたが、あまり印象が強くありません。多分他に質問が出ないので、穴埋めのつもりで、手を上げたのだつたと思ひます。今度の「回転する独楽の動かぬ心棒に」も拜讀してゐません。從つて、勇馬樣や土屋樣のコメントの當否は判斷できません。

    そこで、また個人的感想を少々。
    三島由紀夫のいふ「非個人的性格を天皇から失わせた」ことの影響を自分はか
    なり受けてゐるやうな氣がします。多くの人々の語る昭和天皇についての思ひ出、エピソードのやうなものから、私の天皇像はなつてゐたと思ひます。たとへば安倍能成。漱石門といふことから、親しみをおぼえ、その飾らない、ブッキラボー・傍若無人のもの言ひが好きで、彼の「陛下を英邁とは言へないが、純情無雜で、およそ虚僞がお出來にならない・・・」といつた評價が腦裡にあつたことは間違ひありません。

    それが必ずしも惡かつたとは思ひませんが、「個人的性格」ばかりに捉はれてゐると、以前西尾先生に叱られた「徳を求める」ことに終始しさうです。
    三島は「いま天皇制の危機があるとすればね、天皇個人に対する民衆の個人的
    人気ですよね。やっぱり御立派だったんだ。あのおかげで戦争がすんだという考え、それに乗っかってるでしょ。そしてあのーやはり人格者でいらっしゃる。それは、僕は天皇制と何の関係もないと思っている」とも言つてゐて、もつとものやうに思はれます。では、どうすべきか(三島は多くを語つてゐますが)、私にはよく分りません。勇馬樣、その點、お教へいただけませんか。

    先に觸れた小泉信三(三島が「逆徒」と呼んだとは私の記憶違ひで、「大逆臣」でした)と、安倍能成を竝べて、三島は書いてゐます。
    「このごろよく考へることであるが、日本、特に近代日本では、藝術的完成と綜合的教養とが、どうして一致しないのであらうか。最近、安倍能成氏とか小泉信三氏のやうな人々が故人となり、大正的教養人の時代が終つたことが痛感されるにつけ、この人たちの綜合的教養が、全く藝術的完成とは縁がなく、單なるディレッタンティズムにとどまつたことは、本人たちが藝術家たらんと志さなかつたのだから當然でもあるが、一方、谷崎潤一郎氏のやうな藝術的完成を全うした天才が、一つの綜合的教養人の相貌を帶びなかつたことも、これと關はりがあると思はれ、さらに、藝術的完成を全うしなかつた大教養人正宗白鳥などとの對比も、興味深く浮んでくるのである」。
    直截的な非難ではありませんが、安倍・小泉には「天才」「大」の字がついてゐず、「單なる・・・」といふ評價からも、三島は輕んじてゐるやにも見えます。

    32年前までは、參賀を了へると少し氣が輕くなつたのには、「天皇陛下萬歳」の際の、あの鬨の聲のやうな、地鳴のやうなとよもしに、「我等日本人は腑拔けになつてしまつたやうに言はれるが、必ずしも然らず。いづれ、本氣になれば何かやれるかも」と勝手にエンカレッジされたからでせう。一昨日のそれは・・・

    またお教へを。

  15. 勇馬 様

    おつと、貴論(6日7時:24分 pm)を拝読せずして投稿してしまひました。あとは明日でお許し下さい。申し訳ありません。

  16. 勇馬 樣

    「東京裁判史観から免れず」「オポチュニストからは遠く、左とか右を超越しており」ですか。かなり複雜ですね。この人には、自傳のやうなものがありましたね。一度圖書館でパラパラとめくつてみましたが、馴染めさうもなく、讀みませんでした。全學連への資金提供とか、三島由紀夫と自衞隊の仲介、「俺が楯の會のスポンサー」と吹聽したことを耳にした三島が激怒したーーなどの世に流布した噂を知つてゐるくらゐです。
    同じ轉向でも、愛讀した林房雄や、文章は知らないものの、ラヂオでの政治評
    論(?)が齒切れよく面白かつた鍋山貞親などとは違つて、私には遠い存在で
    した。

    眞正保守といふものがあるのでせうか。あるのなら、その前の進歩派にも、更
    に、その前の理論的戰爭指導者にも、眞正といふ冠のつく人はゐたのでせう
    ね。眞贋の區別はつけにくいでせう。さしづめ、清水幾太郎などは、三度とも
    眞正だつたのでせう。

    天皇・皇室についての貴論、申し譯ありませんが、その殆どについて、なんと
    か字面の意味を捉へるのがやつとで、實感を以て受け止め、反應することは
    できません。私にはやり天皇・皇室の問題は難し過ぎます。こちらからお願ひ
    しておいて、失禮千萬で、謹んでお詫び申上げます。すべて、當方の能力の
    然らしむるところです。
    「天皇を考えると、どうしても日本を考えることになります」といふお言葉には、當り前のことながら、首肯し身に沁みました。

    私が嬉しくありがたかつたのは、その前に、「―これを知らなかったのは私だ
    けでしょうか。これは重大な指摘です。殆どの方が知らないのでは」と正直に
    おつしやつて下さつたことです。
    これにはハッとしました。當然御存じだらうが、話を進めるには省略するわけ
    にはゆかないーーそんなつもりでした。私が知つてゐて人が知らないこともあ
    れば、人が知つてゐて私の知らないこともある、そんな當り前のことをずつと
    忘れてゐました。それで議論してきたのですから、時々話が通じなくなつたの
    も無理ありません。
    たまたま私は全盛時の進歩的文化人に興味をおぼえて彼等の生態を眺めた。あんなものに無關心だつた人も勿論ゐたはずです。然るに清水幾太郎といふ個人名はともかく、「これは大事だと思って、そこに行けば、日があたってくる」といふやうな、論壇に限らず、人目につく場で活動する多くの人々の習性は、誰にも分つてゐると、一人決めしてゐました。

    勇馬樣は私よりお若いが、大した差ではないと思つてゐます。子供のやうに
    若い保守派の人々と話が全く通じないことは珍しくありませんが、その一因
    は上記のやうなことにあるのかもしれません。今からでは遲過ぎますが、反
    省して、獨善に陷らぬやう心がけるつもりです。ありがたうございました。

  17. 池田様へ

    幕下を相手にしてくださった大関の相撲もそろそろ終わりにするおつもりのようですが、私には議論はかなり噛み合い手ごたえを感じ勉強になりましたので、すれ違いがあるとすれば、「皇太子樣への御忠言」も「回転する独楽の動かぬ心棒」も読んでおられないためかとも思われ、読んでおられないけども実は内容を掴んでおられる、またはその後お読みなったという前提でしつこく最後にもう1点だけ食い下がります。種々のご指摘ご教示で私の独善と無知がかなり啓発され有難かったための欲張りです。またこの往復は私自身面白く、且つ新党設立準備https://sshsp1.wixsite.com/mysiteにも有益なので、勝手ながらもうしばらくお付き合いのほどをお願いいたします。

    美術品の審美眼と同様、人物鑑定の目利きがあるとすれば池田様のそれは右にも左にも、私も含め、世間のそれが余りにも甘いなかで、貴重でした。

    私の前回の三島解釈を「実感を以て受け止められない」と仰ったのは恐らく私の解釈論が地に足のつかない、近代日本の頽落現象を見事に説明できるとされるレビットの1階2階論でいえば、2階をうろついていただけのものだったからかもしれません。知性の秩序が崩壊した現在の日本ではレビットの2分法の説明はもう成り立たないというのが西尾説ですが、私は1階の人間のくせに2階にあがったつもりになっていたのかもしれません。

    ただ、これまでの15回の往復コメントを振り返って総括じみたことをすれば、保守論客のなかで最も皇室を敬愛し憂えていたのが福田恆存、三島由紀夫であり、西尾先生であり、だからこそ三島も先生も敢えて苦言や諫言を厭わなかったと思います。

    1.三島由紀夫は非個人的性格重視派で、皇室は尊崇の対象であって親和の対象ではないと考えた。天皇個人に対する民衆の個人的人気は天皇が人格者であることを前提するのでむしろ天皇制の危機である。御皇室は少数者の原理で護持するもので世論の多数の支持を当てにしてはならない。西尾先生も始めは「天皇は血統によってのみ尊く人徳を求めてはならない」と考えていた。

    2.これに対立する考えが個人的性格重視派の小泉信三はこれは理想論であって現実論ではない、戦後、現行憲法の現実は世論に支えられるもので、戦後の皇室は敬われる尊崇の対象であるよりも親しまれる親和の対象とならなければ国民の支持を失う危機を迎えると考えた。その路線に平成もあり、庶民目線のひざ詰め天皇が象徴天皇の勤めであると前帝陛下は考え実践した。

    西尾先生は、始めは三島と同じ方向だったが、現状肯定にあらざる現実的処方箋として、今回の「回転する独楽の動かぬ心棒に」で舵を切り、新天皇のための新機軸を考案され、正論誌上で発表した。皇室のターニングポイントでのこの論考は歴史的意義のある重要論文となったと思われます。しかし池田様は西尾先生よりも三島に近く、出自が神話にある皇室には「祕すれば花」が特に有效で、世を挙げて「開かれた皇室」の小泉路線の方向へ進んで來たのは遺憾千萬と言われました。心中に遺憾の念を抱きつつも新帝即位の一般参賀に皇居前に駆け付けざるを得なかった。

    私が一番伺いたかったのは、西尾先生のこの最新意見をどう思っていらっしゃるかです。開かれた皇室を前提に、庶民とひざ詰め象徴天皇の勤めによって国民のこころを掴んだ前帝陛下の実践を是とし、その上で、新帝陛下はこれに倣っても効果は薄く、新たな国民親和の対象となる新機軸を出さなければ令和の御皇室は危ない。平成時代に皇太子殿下が妃殿下に全身全霊で献身的に奉仕した誠実さと一途さは、家族愛の極致で、しかもそれが心からの自然な本物の振舞であれば令和世代の国民にも共感を呼び、ひいては御皇室の安泰につながる、という御提言と解しました。私には他に考えが浮かばず、他の有識者の意見も見当たりませんので、考え得るベストの忠言ではないかと思います。

    これに加えて、新皇后陛下が完治され、日本と皇室の伝統を重んじ、皇后の勤めを立派に果たされ宮中祭祀と行事にも積極的に関わるようになり、新帝陛下が配慮したり弁明する必要のない伴侶となられ、マイホームママを脱皮されれば、この西尾先生の提言が“完成する”、今やまさにこの方向に皇室が動き出しているとも見受けられます。土屋様の最初のコメントはここまで見通された上であったのではないかと今は思われます。

  18. 勇馬 樣

    大層買ひ被つていただき、恐縮、穴があつたら這入りたい思ひです。
    私の方から特に申上げたいことはあまりなくなり、更に、我が質問に對する丁寧なお答 に、こちらが反應できないとあつては、「そろそろ終わり」かなとは考へましたが、勇馬樣とのやりとりは一向に厭でなく、且つ得るところも少くないので、これからもいくらでも・・・。

    「西尾先生のこの最新意見をどう思」ふかーーどうしても言はせるおつもりですね。「逃げ るな!」ですか。

    なにしろ、拜讀してゐないのですから、たしかなことは申せませんが、勇馬樣の「総括」は かなり當つてゐるやうな氣がします。本欄に「記念特集『新天皇陛下にお伝えしたいこと』」の掲示が載つた時、題を見て、さういふことではないかといふ豫感がしました。そして、もし豫感が當つてゐたなら、私の氣分にそぐはないが、敢てそれを確認することもないと思ひました。自分は「新天皇陛下」のことをあまり眞劍に考へたことがないのだから・・・。

    「新天皇陛下ならびに新皇后陛下の運命は国家としての日本の運命と一体である」とは 大切なポイントに間違ひなく、にもかかはらず、それをしかと實感できない自分の勉強不足と認識不足には忸怩たらざるを得ません。

    西尾先生が「奥様の方ばかりに顔を御向けにならないで欲しい、国民への配慮の念をな おざりにしないで欲しいと、遠慮なく書」かれたことは、その御本を手にせずとも存じてゐました。そして、それはごもつともだが、私には切實なことではありませんでした。更に今、「病気の家族を思う一念に生きたひたむきさは国民各層の心に適う」としても、私はそれを見たいとも、感じたいとも思ひません。「独楽の中心棒の役割を果すことになる」としても、それが好ましい姿とは思へません。

    繰り返しますが、皇室についてほとんど意見がなくとも、「祕すれば花」が基本だとの考へは動きません。天皇が「日本國憲法」についてどうお考へなのか知りたくありません。先帝陛下が、私の大嫌ひなものをbetterと仰せになつたから不愉快なのではありません。假りに私同樣、大嫌ひであられても、それは「祕す」のが本當ではないでせうか。

    先生の御意見と私の氣分はピッタリではないかもしれません。しかし私はそれをさして苦にしてはゐません。身分上、異議申立てが不可とは考へません。
    嘗て『諸君』に「江戸のダイナミズム」を連載された際、私はその假名遣ひ論に心平らかならず、しつこく異議申立てをしました。この問題は、私も一通り勉強し、意見も持つてゐるつもりだつたので必死でしたし、先生もすべて誠實に答へて下さり、いい勉強になりました。最後の、右か左かといふ點で一致しなかつたのは遺憾ですが、快い思ひ出です。
    假名遣ひが私にとつて、ゆるがせにできない切實な問題だつたからこその異議であり、思 ひ出だと思つてゐます(拙著をお讀み下さつた勇馬樣は御承知のことですが)。

    今度の件も本來切實なのに、それを感じえないのはお恥かしいことながら、先生に直訴したいほどの意見はありません。

    岡田敦夫さんのコメントよかつたですね。分らないことは分らないとし、御自身で感じて考へたことだけを、眞率に書いてをられる。貴重な存在ですね。さきほど、テレビ番組で、コメンテーターたちの虚しい、實感皆無の聲を聞いてゐて、その逆の岡田さんを思ひ出しました。皆が岡田さんのやうだつたら、世の中ずゐぶん落ち着くことでせう。

    この程度でお許しいただけるでせうか。

    どう見ても、私が皇室を論ずるなんて不向きで、清水幾太郎を分析するくらゐがふさはしいところだらうと、今までのやりとりを思ひ出して、可笑しくなりました。その可笑しさ序でに、うかがひますが、勇馬樣の同級生御廚貴名譽教授は清水の生態を知つてゐるでせうか。考 へる力はなくとも、商賣柄、さういふ知識は持つてゐさうな氣がしますが、如何でせう。

  19. 池田様

    御厨氏とは同期ですが口を利いたこともなく興味もありませんが同じ同期の八幡氏とはFBで間接的につながり正論6月号の論考は有益で光っていたと思います。お二人ともあまり垢抜けしていないようですが。

    今度の正論での西尾先生の提言が“完成する”ように皇室が動き出しているのではないかと感じられるのは、希望的観測かも知れませんが、菊のカーテン越しに、限られた報道映像や写真から皇后陛下が治癒されたらしい御様子が見受けられるからですが、もしそうであれば、両陛下の運命は国家としての日本の運命と一体ですので日本の国にとってもたいへん喜ばしいことで、両陛下がともにファッションや形だけでなく心から宮中の祭りや祈りに取り組み、皇室の神話と伝統に溶け込んでいかれればこの数十年の皇室は安泰と思われます。

    それによって、皇太子時代に雅子妃を信じて全身全霊で献身的に誠実に一途に奉仕した結果、妃が奇跡的に回復し、皇后位につかれてからは、先の皇后陛下同様、容姿と才能に恵まれ、新帝陛下と一体になって日本国の中心軸となられたという世界に冠たる夫婦愛の美談が伝説となり平成の新たな神話を形成することになり世界に通じるハッピーエンドとなります。

    今日の対談で先生が強調した漢書に倭として登場する以前の1万年間の記紀や神代紀に書かれた万世一系に直結する皇室神話の超越的世界観、浅はかな合理主義や科学主義ではない日本独自の神話を御皇室の構成員みなが共有することで少なくも向こう百年御皇室は安泰と思われます。外務、宮内、官邸、御厨氏、保坂氏ら有象無象、大小の取り巻きさえ悪さしなければ。

    そうなれば、途中に識者の一部から不安や懸念の声があがったこともあったがそれは杞憂であったと、西尾先生は喜んで悪役を引受けられ、そしてそれはご本望ではないかと思っています。

    もっと多く池田様の胸を借り本音をお聞きしたかったのですがこれまででも十分多くの啓示、教示をいただき有益でした。あまり長くこの場所にお邪魔するのも皆さまのご迷惑ですのでこの辺で。幸い余暇があったため一臣民として新帝陛下への願いを令和の始めにネット世界の片隅で表明させて頂きました。ありがとうございました。

  20. 勇馬 様

    こちらこそありがたうございました。勉強になりました。
    考へることを怠つて、「實感が伴はない」ですまさうとしても、なにかしら
    身に著いたこともあるやうな氣がします。

    私は皇室の中のことにはなるべく目を向けず、遙かに仰いで、その彌
    榮を祈念し、國家の隆昌を念ずることにしたいものです。

  21. やり取りしてるところ失礼します。

    小室圭さんが小学生時代に同級生に陰湿ないじめをしていた。

    【動画公開】小室圭さん同級生インタビュー「彼のいじめでカウンセリングに通いました」「週刊文春」編集部2019/05/11

    文春オンライン
    https://bunshun.jp/articles/-/11901?page=1

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