お知らせ

月刊正論6月号に、
記念特集「新天皇陛下にお伝えしたいこと」
に、西尾先生の論文が載っています。

「お知らせ」への2件のフィードバック

  1. 真正保守政党準備会・勇馬の弁明と補足

    田母神俊雄氏と西村眞悟氏の賛同を得て、2月27日に本会を立ち上げ一般に加入を呼びかけて以来、「西尾先生の意見がこれほど取入れられた政党綱領は空前絶後」という好意的評価から、「迫力がなく、是非とも驥尾に附したいとまでは感奮しない」というお叱りまで様々なご意見が寄せられましたが、ご批判は無視よりも有難いものです。2か月近く経っても目標の会員100名には程遠い現状ですが、以下ご批判に弁明するとともに、この日録にアクセスする皆さまに現時点で改めて参加を呼びかけます。

    1. 戦後、左翼が幅を利かせるなかで長く保守の孤塁を守り戦ってきた方々は我々のようなぽっと出が臆面もなく「真正」保守を平然と名乗り出ることに不快感や少なくも距離感を持たれることは理解できます。ただ発起人の勇馬は、高校時代に林房雄「大東亜戦争肯定論」を齧ったあとはブランクがありましたが、2007年の米下院で従軍慰安婦の対日謝罪要求のラントス決議を現地で知って以来、西尾先生の著作その他内外の多くの情報を集め始め、故中村燦氏、平沼赳夫氏、西鋭夫氏に会って意見交換し、坦ケ真理子女史に勧められ2012年からはブログを立ち上げて私見の発信を始めました。発起人の中川氏も、2013年に自身のブログを始め、正論8~9月号の『日本民族の偉大なる復興』に8月6日付で西尾日録へコメントしています。曰く、「講和条約などで清算が済んだ過去の戦争・紛争について、繰り返される執拗な中韓政府の歴史認識の外交問題化は、もはや戦争の継続というよりは明らかに新たな宣戦布告と理解すべきと思います。もはやここで反撃しないと苛め抜かれることになり、世界に汚名が定着し子孫に禍根を残し、場合によっては亡国の事態になると思います。もはや政府が主体的に取り組み国論の分裂を収拾努力し、効果的な反撃を戦略的に用意周到に行うべきと思います。」黒田発起人もその前から同じ意見です。発起人3名の意見は以来ぶれていません。「居ても立っても居られない心情から、一歩行動に踏み出されました」と管理人の長谷川様に評価を頂いたように、この3人が最早ことばでは日本は変わらないと思いつめて本会を設立しました。

    2. 保守は今でも決して全盛とは思えませんが、書店やネットで盛んな保守が真正か疑似かの今日での判断基準は、一言でいえば、カネにならない日本の自主独立を重視するかどうか、対米従属を潔しと出来ないかかどうか、その試金石としては、「70年談話」を評価するかしないか、9条2項削除か温存かだと思います。もちろん70年談話を評価せず、9条2項温存を認めない者が真正保守です。日本の現状を変えたい、いつまでも負け犬の振舞ひしか出来ない腐った腑拔けの國を当たり前の國にしたいという志をもつ者が現時点での真正保守です。本会の掲げた11か条の基本政策は真正保守を体現するものと信じます。

    3. テルケルの故坦ケ氏が非難した居酒屋の宴会や井戸端会議を仲間内でネット社会の片隅でやるだけでは、ほぼ間違いのない日本沈没は食い止められません。西尾先生の絶望を知りましたし、古くは「我國に於いて言論は所詮虚しい」と福田恆存・松原正兩先生も嘆息しています。我々も、言論は所詮虚しく、何らかの行動を起こさなければならないと思い立ち上がりました。日本を変えるには、最早議論ではなく行動が必要になっていますがここにアクセスされる方々はどうお考えでしょう。このまま祖国が沈滞、衰亡、沈没するのを黙認し見て見ないふりをするのでしょうか?ネット社会の片隅で一部の保守の方々しか見ない日録でお喋りするだけで何も具体的な行動を起こさなくていいのでしょうか?

    4. これは大袈裟にいえば日本憲政史上初めての試みです。確かに従来の伝統的な本物の政治運動は激しい弾圧を跳ね返し迫害を潜り抜けたものでしょう。しかし今はネットというツールを我々は手に入れました。無用の個人情報リスクを避けるためハンドルネームを使っていますので迫力は欠けると思いますが、たとえハンドルネームでも真正保守政策の中身さえしっかり伝えられればネット世界での拡散によって大きな政治的勢力になることが可能になっています。街宣もやらず一見横着にもみえますが我々はここに活路を見出そうとしました。「ネット言論による有権者啓蒙」が可能であり有効な時代になっています。ネット投票が実現すればEU各国で起きていることが日本でも間違いない起きるでしょう。この日録やえんだんじのブログ、つらつらセレブ奥様など今やあちこちに上質のブログが立ちあがりフェイスブック、ツイッターなどのSNSで連帯することが可能な時代ですので、これらが広く拡散すれば思わぬ展開で夢のような展望も開けます。舛添の都知事選で田母神氏は60万票を獲得し小池現都知事の当選もネットが後押ししました。本格的な啓蒙は民間では出来ませんが、情報や知識をネット社会が即座に共有することが出来る環境が整った今、例えば、フーバーの対ルーズベルト批判(太平洋戦争は米国が仕組んだ)やマッカーサーの議会証言(Their purpose in going to war was largely dictated by security.)だけでも広く日本国民に知れ渡れば、外務省の負け犬自虐外交の非が明確になり政府の対米、対中政策も変わらざるを得なくなります。フェースブックを見る限り、一般庶民の中には尖閣に何故日本政府が公務員を派遣し灯台や船溜まりを作らないのか、領海侵犯船を拿捕しないのか、という批判が増えていますが、多数はこれほど明確な中国の侵略実態、北朝鮮核弾頭ミサイルの深刻な脅威を、国内のスパイ暗躍による報道規制のためでしょうか、いまだに知りません。彼らが「知り」さえすれば世論が変わります。識字率の高い日本人大衆が無知から解放されれば、世論が変わり、民主主義の国柄では政策も「腑抜け」ではいられなくなります。真珠湾攻撃隊総指揮官だった淵田美津雄は戦後、「無知が無理解と憎悪を生み戦争を引き起こした」と述べました。国民の知識と理解が進めば政府の「負け犬」の振舞が許されなくなると思います。

    5. 正直に申し上げて発起人は所詮政治の素人です。掲げた基本政策11か条はとことん考へ拔いたものではありません。しかし3人が素人なりにこの10年近く必死に研究した成果を基本的方針として集約しました。詳細はこれから深堀りしていきますが固定的なものではなく、本会に同志が集まってくれば研究会を開いて研鑽を深める予定です。高齢者には完璧を期す時間がありません。これまでの蓄積を武器に戦わざるをえません。

    保守には政治思想(理論)と政治運動(実践)の二つの役割があり、理論家は当然理論の「筋道を立てて考へる能力」に長けた方々ですのでその一貫性や精緻さを追及しますから狭量が寧ろ正しいのですが、実践家は当然現実、現場の有効性を重んじ、理論の整合には臨機に妥協し清濁併せ呑まなければ力を得られません。我々は本来いずれの資格もありませんが、及ばずながら実践に踏み込みました。西尾先生達のように理論で國に尽くす能力がありませんので。

    6. 宮崎正弘氏は時折クーデターを口にされますが我々も現状を変えるには非常手段しか残されていないのではないかと思うことがあります。しかし民主主義のもと一応公正な選挙制度がある以上、ネットで世論を変えて多数党を獲得することをめざすのが現実的です。そして運動を始めたからには「有効性」を問題にします。幕末期にアーネスト・サトウが木戸孝允に、「天下にやると公表してやらずに放置することを英国ではold wives tale(老婆の理屈?)と呼んで軽蔑される」と云って、薩長に暴力革命をけしかけたそうです。old wives taleは「やろうやろうと言って、なかなかやらないで平気でいること」を意味するという説もありますが、我々はやり始めたこの運動をold wives taleに終わらせず8月までの勢力拡大に努力するつもりですので、どうか皆さまのお知恵とお力をお貸しください。

  2. 雑誌「正論」6月号に掲載された「回転する独楽(こま)の動かぬ心棒に」は、来たるべき新しい御代への西尾氏の祈りの文章である。氏の眼差しの先にまず見えるのは、被災地で膝をつかれてお言葉をおかけになる今上天皇陛下の国民へのお気遣いに表れた、天皇と国民、皇族と民間人との関係性の急速な変化に、新天皇陛下がどう対応し、どう乗り越えて行かれるかという一点である。両者の間を分かつ目に見えない塀を低くしたり、取り除くことが善であり進歩の階梯を登っていくこととは、ゆめお考えにならないよう献言がなされる。ご尊厳の自滅への道に他ならないからである。
    「五月一日に即位される新天皇陛下の置かれた諸情勢は思うに茨の道で、私は深い同情の念と何とか難局を乗り越えて行っていただきたいとの熱い祈願の思いをここに表明する」。「新天皇が即位される『令和』の時代は、外交的にだけでなく、経済的にも、軍事的にも、日本が一九四五年以降で最も険しい、予想もつかぬことが多発する局面を迎える可能性が高い」。「皇室は国民が分裂や混乱を起こさない中核の役割を果たすことだけを志していただきたい」。
    そして「皇太子さまへの御忠言」の著者は意外な献言をする。
    「私はあるときふと気がついた。奥様の方ばかりに顔を御向けにならないで欲しい、国民への配慮の念をなおざりにしないで欲しいと、遠慮なく書いたこともあるのだが、多くの日本国民の心を搏(う)つのはひょっとしたら逆にむしろこの点ではなかろうか、と。つまり病気の家族を思う一念に生きたひたむきさは国民各層の心に適うのではないか、と」。「新天皇陛下の家族思いの生真面目さが国民的協賛を得て、無理に他になにかをなさろうとしないでもよく、むしろその方がかえって自然体のままでいて黙って独楽の中心棒の役割を果すことになるのではなかろうか」。
    果してそうであろうか。これがよくテレビに出てくるような評論家が言ったことなら私は一笑に付して通り過ぎるだろうが、皇室に直言を重ねてきた西尾氏、さまざまな論点において先駆けて慧眼を示してきた西尾氏の発言だけに、端倪すべからざるものとして心に畳んでおきたいと思う。なおこの指摘には、若者から能動性が消え、勤労者の相当数が引きこもりの状態にある等、心の空洞が覆っている時代認識が前提にあることは付言しておくべきであろう。そしてずしりと重みのある言葉が続く。
    「新天皇陛下ならび新皇后陛下の運命は国家としての日本の運命と一体である。このことの持つ宿命的重大さを皇族方はもとより、国民大衆一般も肝に銘じて考量明察しなければならない秋(とき)を迎えているのである」。
    「日本国憲法は文化の原理である天皇の役割を冒頭に掲げ、上位概念として政治の原理を支配する文化の原理の優位を明白にしている。ならば文化の原理としての天皇の優位は何を根拠にしているのか、神話である。天孫降臨神話である。三種の神器の継承権である」。
    これは直截にして一撃のもとに真理を証した文章である。前回言及した江崎道朗「天皇家百五十年の戦い」にある宮澤憲法学や内閣法制局の論じる政教分離など、日本国憲法が内包する論理上成立しないのである。法匪とはこのことである。
    「今こそ認識の大転換が求められている理由は、ここを欠いたら天皇の誕生と皇室の歴史を背に持つ日本史の始原の物語りが成立しないからである」。

    西尾氏は、最後に、旧宮家の皇籍復帰ないしは空席への旧宮家養子縁組とともに、悠仁親王殿下への帝王教育を、現在のあらゆる思想上の迷いや誘惑からお守りする特段の措置を、新天皇、皇后両陛下に冀(こいねが)うのである。すなわちひとり秋篠宮家にとどまらず皇室としての取り組みをということである。江崎氏によれば、秋篠宮家にはとても帝王教育を可能にするような予算は配分されていないとのことでもあり、西尾氏の新両陛下への献言は至当というべきであろう。

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