「チャンネル桜「御代替わり特番」」への24件のフィードバック

  1. 秋篠宮様の次女の方の、お姉樣の結婚についての發言には、
    これで果して、きちんとした教育を受けてをられるのかと
    疑はされますね。

    そして、それは父上たる秋篠宮樣御自身がきちんとした教
    育を受けられたのかといふ疑問につながります。更に、今
    上陛下は? 先帝陛下は? と進むのが當然の順序ではない
    でせうか。

    この點を有識者とか、重い役割を擔ふ方々が吟味解明して、
    誤りありしと認められた場合は、責任を追及し、改善策を
    見出して下さることが期待されます。重要なことでせう。
    それによつて、皇室の興廢が決するかもしれません。

    ただし、我々下々は、さういふ苛々するやうな、憂鬱なこ
    とには、できれば關はりたくありません。私自身はヒマ人
    ですが、愉しくないことに煩はされて、日常の心の平安が
    亂されることを好みません。不良國民なのでせうか。

    さういふことは思つても、口にすべきではないのでせうね。

  2. 私も動画を拝見して、先生のご体調が回復されたようで安心しました。

     ところで『正論』6月号の先生の論文を読んで、思い出したことがある。
    北京オリンピック(2008)の柔道100キロ超級で金メダルを取った石井慧
    選手が、その年の秋の園遊会に招待された時のことである。今の上皇陛下が
    石井氏と会話された時、石井氏は「陛下のために戦いました」と言って笑い
    を誘ったのである。TVでそのシーンが放映された時、陛下がいかにも愉快だ
    と言わんばかりの満面の笑みをたたえていらっしゃったのを見た。まさか現
    代の若者からそんな言葉を聞くとは、思っていらっしゃらなかったのだろう。
     石井氏は冗談であんな事を言ったのか、或は意識せずに、口をついて出て
    しまったのかは分からない。
     しかし上皇陛下がしきりに「象徴として」という言葉を発せられた時の表
    情を、園遊会の時の子供のような笑い方と比べると、陛下の苦悩が伺えるよう
    な気がした。先生が『正論』で「われわれ民間人と皇族との間には、歴史が
    築いてきた目に見えない高い塀がある。」(P210)と書かれたように、皇族方
    のご心中というものは、我々庶民が考えるほど、単純なものではないのかも
    しれない。

     それでも「皇太子ご夫妻、すなわち新天皇陛下ならび新皇后陛下の運命は
    国家としての日本の運命と一体である。」(P215)というのは、皇族方の問
    題は、そのまま我々一人一人の問題でもあるということである。
     私個人に言わせれば、天皇陛下や皇室は、いじめっ子が来た時の楯のよう
    なものである。つまり小学生が、近所の恐い上級生にからまれた時、うちに
    はお前より年上で力の強い兄ちゃんがいて、後から仕返しに来てやるぞ、と
    相手をひるませることができる存在である。
     
     かつて「つくる会」のシンポジウムで、先生は、「明治の日本が天皇中心
    の中央集権国家を造ったのは、西洋列強の国家の在り方を参考にして、宗教
    を利用したのは間違いない」、というようなことを仰ったと思う。

     そして現代、国内でも外国人と接する機会がぐんと増え、また外国勢力
    によるあらゆる方面での侵略が進んだからこそ、改めて天皇や皇室の存在
    が大きく取り上げられるようになってきたのだろう。
     自分だけでも本物の日本人であることを確認したい、自らの一族だけが
    大事で、金儲けのために日本列島と日本人を利用しても、いざとなったらこ
    の列島を犠牲にして、自分たちだけ外国に逃げるような連中とは一緒にされ
    たくない・・・こう考えると、明治期の日本人の思いも理解できるのでは
    ないだろうか。
     ところがその皇室にも、「開かれた皇室」などという甘言を弄して、皇族
    方を内部から瓦解させるような外からの力が絶えず働いている。まさに「新
    天皇陛下の輝かしいご即位の日はわが国の未来がはっきり見えなくなった
    危機の日でもあるのだ。」(P213)と先生が書かれた通りである。

     そんな中、天皇陛下には、日本国と我々国民がぶれないための「心棒」で
    あって頂きたい、そんな絞り出すような願いをどこの何者より強く持ちつつ
    も、今日に至るまで雑草のように揺れ動いてきたのが、他ならぬ自衛隊では
    ないだろうか?

    私の実家には、父が貰った叙勲の賞状が飾ってある。そこには「日本国天皇
    は勲七等○○○○を勲六等に叙し瑞寶章を授与する 昭和二十一年一月三十日
    宮城において璽をおさせる」と書いてある。軍隊時代の功績によるものだろう。
    これを見た時、あの戦争の良し悪しは別にして、我が国は身を賭して国のため
    に働いた兵隊には、ちゃんと報いるのだな、と子供心に思った。ただ少々奇異に
    感じたのも、はっきり覚えている。
     何せ昭和30年代から40年代にかけて小中高校時代を過ごし、戦後民主主
    義教育にどっぷりと浸かった自分である。このブログの一つ前の記事において、
    池田様と勇馬様が、左翼や右翼・転向について議論されていたが、私などは
    教育やら何やら、いわゆる左翼の環境しかなかったのだから、バリバリの元
    左翼としか言いようがない。ただ革マルのメンバーのように、警察の事を
    「権力」、大学でも何でも「当局」と呼び、一つの考えを固辞して思い込んだ
    ら一直線、自分だけが正しいと思い込んいる連中についていかなかったのは、
    戦中派の父がいたからだ。

     さてその自衛隊であるが、現政権が憲法第九条にその存在を明記するとい
    う方針を立てているが、そもそもの成り立ちから現在の状況に至るまで、そ
    の在り方そのものが、現天皇陛下と同じくらいの困難を抱えているのでは
    ないかと私は思っている。つまり一言でいえば、「自衛隊は軍隊か否か」と
    いう問題である。
     もちろん災害時の活躍ぶりや、少ない人員で必死の任務をこなしていると
    いわれる隊員の方々には頭が下がるし、隊員たちに対する尊敬はあっても、
    その存在自体に文句を言う人はほとんどいないだろう。それでもまるで黒子
    のように、何と言ってよいか分からない今の在り方に、私は納得できない。
    私のような素人が、偉そうにそんな事を言う資格はないのかもしれないが、
    例え他の一般人に聞いてみたところで、自衛隊は日本国の国防を担う立派
    な軍隊であると言える人は、そうそういないのではなかろうか。

     ところでこの自衛隊について、その創設当初を知る人々が、どう考えてい
    たかが分かる貴重な記事を見つけた。雑誌『丸』昭和34年7月号の「自衛
    隊に物申す」という記事だ。昭和34年は、上皇上皇后両陛下が御結婚され
    た年である。
     執筆者は元軍人や作家の方々9人だ。それを読むと、当然ながら各氏とも
    微妙な考え方の差はあれ、共通しているのは、隊員が明るくて規律正しく、
    みな真面目であるのに精神的な何かが欠けている事、規模も装備も他国の
    軍隊に比較して小規模で中途半端なことを問題視している点だ。特に元軍人
    の方々は、主に政治の側の軍事知識が不足していて、末梢的な問題にばかり
    拘泥して、日本国防の大綱がないことを批判している。殊に冷戦期における
    共産圏側からの間接侵略に対する日本自衛の計画がまるでないことを強く
    懸念している。また各隊員に対しても、如何に世間の目が冷たかろうが、
    国防を担う軍人としての誇りを持って主張すべきを主張すれば、上を説得
    する位のことはできる、そうでなければ、一つの政党に利用されたり、
    却って文権力優位どころか、旧軍と同じ道をたどりかねないと言う。作家
    の角田喜久雄氏は、もし自衛隊に確固とした方針がなく、「何、しばらく
    の辛抱だ。何を言われようとじっと我慢しながら押し強く既成事実を作っ
    ておけば、そのうち何とかなるさ」など、高を括るなどもっての外だと
    主張する。
     こうした欠点の元は、やはり新憲法なのであろうが、荒木貞夫氏(元陸
    軍大将・陸軍大臣)だけは第九条にも言及して、以下のように書いている。

    「終戦後進駐してきたマッカーサーの、日本に対する占領政策は、わが国
    の根本理念を破壊して、古くからの伝統や歴史を否定してしまうことにあ
    った、そして、それに代わるものとして、人権と平等とか自由とかいう言葉
    の魔術を弄して、とうじややもすれば虚脱におち入ろうとした日本人たちの
    精神を動揺させ、日本の建国精神とは似てもつかぬ社会をつくり出すのに
    一応成功した。
     その根本をなす憲法は、とうじニューヨークに創設された占領政策指示
    の機関であった極東理事会が、日本共和国制の指令を出すという情報があ
    ったので、そうなれば日本の国民感情からテロが横行し、自己の占領政策
    が失敗に終ると悟ったマ元帥は、急いで一週間で作成して憲法をおしつけ
    たものであったが、その第九条で戦力の保持は出来ないことになったので、
    マ元帥は一応安心した。ところが皮肉にも朝鮮動乱が起こったので、日本
    の戦力の必要を感じたが、憲法が許さないため、やむを得ずマ元帥の指示
    要望を満足さすために七万五千人の警察予備隊をつくった。・・・」

    こうしてみると、警察予備隊は、国内の治安維持のために造られたとは
    いえ、もとは当時の占領体制を守るという意味合いがあった訳だ。もしそ
    の伝統が現在まで続いているとするなら、今自衛隊が邪魔で仕方がない
    過激派や外国勢力も、その根本は反日なのであるから、現代の自衛隊vs.反
    日勢力という図式というものは、双方ともが本来の日本国の国体とは関係
    のない土俵に立った上での闘争である、と考えざるを得ないのではないの
    ではないだろうか?
     上記のようなことを書くと自衛隊員の方々には大変申し訳ないが、我々
    一般人が自衛隊に対し、災害で活躍される以外は、何となく「我が国の軍
    隊」という感じがしないのはそのためのような気がする。

     先生の今回の対談には、この自衛隊の創設期に関わった後藤田正晴氏の
    ことが出て来る。後藤田氏は「カミソリのように切れる」と言われた人物
    だが、「つくる会」を否定して、先生からコテンパンに批判されている。

     私は、朝雲新聞社の『波乱の半世紀 陸上自衛隊の50年』(2000年)
    という本を持っているが、そこに後藤田氏の談話が載っている。それを
    読むと色々な苦労話が披露されている。例えばGHQとの折衝は、細かい
    ことまでお伺いが必要で煩わしかったとか、アメリカ軍は自衛隊を朝鮮
    戦争に引っ張りだそうとしていたのを断った、などだ。また吉田茂総理は、
    旧軍エリートを排除する形で警察予備隊を組織したが、将来的には軍隊
    になるだろうと予想していたと言う。さらに何度も繰り返し口にするの
    は、自衛隊はその生まれ方がよくなかったという点だ。ただ、当時は
    「屈辱の思い」だったとはいえ、総じてアメリカの将校は優秀な人物も
    少なくなく「相手がアメリカでよかったと思う」と結んでいる。
     談話全体からの印象は、昭和34年の『丸』の9人の方々と比較して
    アメリカに好意的に見えることだ。もちろん書かれた時期も違うし、実
    際にアメリカ軍と直接に関わって仕事をしたか否かの違いもあるだろう。
     しかし『丸』の論考において何人かの方々が、「間接侵略」の脅威につ
    いてしきりに強調していたのを見ると、「つくる会」を否定した後藤田氏
    は、現代中国の危険性については見識がなかったと言わざるを得ない。

     今回、自衛隊が出来てから9年後に書かれた論考と、50年後の後藤田
    氏の談話を読んで、前者の方々が発した警告は、結局現在に至るまで生か
    されて来なかったのではないかと思った。
     西尾先生は、たびたび冷戦期の日本の政治は自社の慣れ合いで、ベルリ
    の壁が崩壊した後も、戦後の総括をせずにやり過ごした結果、現代日本の
    悲惨な状況が出現したと主張されてきた。私が読んだ雑誌記事その他は、
    先生の考え方の正しさを、改めて確認させるものだと思う。

    動画の最後の方で先生が、日本国の成り立ちは天孫降臨の神話から始ま
    る、それをどうやって人々に分からせるか・・・としみじみと仰ったのが
    印象的だった。
     柔道の石井氏が、思わず「陛下のために」と口走ったのは、「国のため」
    と同義だ。そんな、理屈ではない我が国の神話を素直に信じる心だけが、
    日本の真の国防を担えるのではないだろうか。
     そうした意味で、先生が『正論』で新しい天皇陛下に、これらの事を
    お伝えしたように、自衛隊もまた、真の日本国の軍隊に変らねばならない
    のではないだろうか。
                                (完)

     雑誌『丸』の記事と、後藤田氏の談話を以下に転記しますので、ご興味
    のある方は読んでみて下さい。毎度長くなって申し訳ありません。

    雑誌『丸』昭和34年(1959)7月号より
         自衛隊に物申す
    1. 正しい主張を通せ
    服部卓四郎
    はっとりたくしろう1901~1960
    (軍事評論家・元陸軍大佐)

     私ののべることは、自衛隊に物申すというよりは政府、国会等の政治面に物申
    すのが大部分である。
     戦前の軍の政治関与に対する批判が猛烈なことは当然だが、戦後の政治こそ
    政治家が軍事を真剣に研究し、文権優位のもとに適切に軍権を掌握すべきなの
    に現実は政治家が怠慢で、軍事政策はあまりにも幼稚である。
     こんなことでは、いく年かののちにふたたび軍隊の横暴が出現するであろう。
    これが歴史的因果というものである。
     このような意味で自衛隊をみてみよう。
     私どもが防衛力に対する批評をすると軍隊を理解しない人々は、また昔の軍
    隊にかえすのかと反撥する。だから私は昔の日本軍を基準としないで、世界中の
    軍隊をながめ、その共通点に立って観察することにする。
     軍隊は人、物、施設、指導精神を要素としている。この四つがバランスをとっ
    て発育すれば立派な軍隊になるが、自衛隊は果してどうだろうか。
    一、 人の問題
     ポイントは幹部である。戦闘行動になるとすぐにわかることだが、優秀な幹部
    のひきいる軍隊は極小の損害をもって偉大な戦果をあげるが、反対の場合は兵
    を沢山ころしても目的を達成し得ないことになる。
     優秀な幹部をつくるためにものすごい努力をはらい、劣悪な幹部はどんどん
    退職させることは各国共通であるのに、自衛隊では素人を上級幹部に採用し、誰
    でも停年まで勤めている。まさに世界の七不思議の一つである。ただちに矯正す
    ることが不可能というならば、あらためて上級幹部以下軍事能力の厳正な試験
    を行い、合格しないものは退職させたらよいだろう。ゼネラルすなわち将官とい
    う言葉は、軍政、統帥の軍事百般に通暁する軍事博士のことである。ゼネラルに
    人を得なければ、軍隊という団体の生命が危いことになる。
    二、 物の問題
     兵器、資材を他国からもらって補充する方式をとっていると、その国も参戦す
    る場合は中断するのを歴史的に通常とする。だから自ら国力、戦力の補充源をも
    たない軍隊は現代の防衛力ということができない。わが自衛隊はこの意味にお
    いて、未開発国の軍隊と大差がない。
    三、 文権優位
     専門軍事は専門家にやらせ、それが最高政治の方針を逸脱する際に断然矯正
    するのが、文権優位である。軍事能力のない文官が専門分野までのさばっている
    ような状況は、遠からざる将来、文権優位が滅びることを意味する。
    四、 指導精神
     これが合理的に強く打ち出され、そして行動に明らかに出てこなければ弱く
    なったり、クーデターを起こしたり、個々の政党に利用されたりする。「反共」
    というように反の字のついた内容は、主体性を持たないから従属的に使うのは
    よいが、指導精神の根幹にはならない。
     自衛隊は創設いらい九年もたつが、いまからでもおそくない。つくりなおすの
    に近いていどの大改革をするがよい。いままでつみ重ねた予算、人、物、施設の
    一物も無駄にしないで見違えるほど優良なものにする方法がある。自衛隊に職
    をもつ人々は政府や上司からなんと思われようと、合法的に正しい主張を通す
    勇気が必要であろう。

     2. 萎縮せず確固たる信念を
    角田喜久雄
    つのだきくお1906~1994
     (作家)
     
     昨秋、文化人の一行にまじって、習志野の自衛隊見学の機会を得た。
    会った隊員の人たちは個人的には誰も彼もが善意にみちた良い人たちであった
    し、ことに青年諸氏は現代日本青年層のなかでも最も真面目な好意のもてる人
    たちであったように見受けられた。
     隊内の整然たる規律も、放逸になりすぎている感じのある今の世相から見る
    とむしろ、快く感じた人もあったようだ。
     もし、自分に男の子があったら是非一度は自衛隊の生活をさせたいといった
    人のあったのもそういう印象からであったろうし、また当然のことながら、旧軍
    隊にくらべて見違えるような明るさにみちている点にも多くの共鳴者があった。
     しかしながら、それにもかかわらず、一番深く私の心に残ったのは、隊員の間
    に何か萎縮したものが重苦しくとりついている暗い印象であった。
     たまたま、自衛隊の本質とか、そのあり方のいうようなことに質問がふれると
    誰もが当惑したように黙ってしまう。答える用意が全然ないらしい。世間一般が
    あまりにも自衛隊を白眼視しすぎる、もっと温かい目で見てくれなくては困る
    という人もあった。
     隊員になって一番良かったのは、自動車等機械類の操縦を習得出来たことで
    す、将来その技術を生活に役立てたいと思うといった人もあった。なによりも先
    ず、金をためますとはっきり答えた人もあった。事実、隊員の貯金熱は相当なも
    のらしい。
     そのこと自体は悪い事ではないが、しかし、自動車の運転を教えるなら、もっ
    と安い費用で手軽に、しかももっと徹底した技術を習得させる手段はいくらも
    ある。すくなからぬ国費をつかって自衛隊を作った目的が、自動車の運転を教え
    るためだけだったり、金の稼ぎ場所を与えただけだというのでは、それこそ、税
    金の乱費だといわれても仕方なくなるだろう。
     世間の目が冷たいから萎縮するというのは、自分自身に弱点があるからだと
    いわれても仕方があるまい。確固たる主張があるなら、世間の目をはねかえし、
    それを説得すればよい。自衛隊存在の可否そのものは、政治のきめることであり
    隊員のあずかり知らぬことであろうが、それにはいって隊員となった以上は、
    はっきりした自覚と主張をもってもらう責任がある。
     世間の目が冷たければ冷たいで、それが何故かということを考え、国民の疑惑
    を一掃し、自らも安心立命できる確固たる主張と、信念を作ってもらわないと困
    る。隊員である以上、その善悪にかかわらず主長の命令には複縦しなければなら
    ぬといった人があったが、これはその通りであろう。しかし、隊員の考え方が一
    つの与論になった時には、少数の主長者だとてそれに反対することは出来ない
    はずだ。これが現代の、そして新しい自衛隊のあり方だと思うし、そうでなけれ
    ば、国民の心配通りに旧軍隊そのままの将来をたどる怖れがある。
     しかし、このことは、一層自衛隊の幹部、殊に最高幹部の人に考えて貰わない
    と困る。古くさい観念的な忠君愛国だけで号令したのではすむ世の中ではない。
    現に、隊員諸氏が萎縮しているのも、そういう観念だけでは納得していない証拠
    だ。隊員諸氏を含めてあらかたの国民を納得させるはっきりした方針、考え方を
    是非打ち出してもらいたい。
     何、しばらくの辛抱だ。何を言われようとじっと我慢しながら押し強く既成事
    実を作っておけば、そのうち何とかなるさ—などという、不愉快な政治的腹芸と
    やらで胡坐をかいておられては何をかいわんやである。
     それでは、若い隊員たちがあまりにも気の毒だし、国民もいよいよ承服しなく
    なるだろう。

    3. 軍隊としての信念と誇をもて
     荒木貞夫
    あらきさだお1877~1966
    (元陸軍大将・陸軍大臣)

     終戦後進駐してきたマッカーサーの、日本に対する占領政策は、わが国の根本
    理念を破壊して、古くからの伝統や歴史を否定してしまうことにあった。そして、
    それに代るものとして、人権と平等とか自由とかいう言葉の魔術を弄して、とう
    じややもすれば虚脱におち入ろうとした日本人たちの精神を動揺させ、日本の
    建国精神とは似てもつかぬ社会をつくり出すのに、一応成功した。
     その根本をなす憲法は、とうじニューヨークに創設された占領政策指示の機
    関であった極東理事会が、日本共和国制の指令を出すという情報があったので、
    そうなれば日本の国民感情からテロが横行し、自己の占領政策が失敗に終ると
    悟ったマ元帥は、急いで一週間で作成して憲法をおしつけたものであったが、そ
    の第九条で戦力の保持は出来ないことになったので、マ元帥は一応安心した。と
    ころが、皮肉にも朝鮮動乱が起ったので、日本の戦力の必要を感じたが、憲法が
    許さないため、やむを得ずマ元帥の指示要望を満足さすために七万五千人の警
    察予備隊をつくった。
     これが、自衛隊の前身である保安隊となり、さらに今日の自衛隊となったので
    あるが、残念ながらいまなお戦力なき軍隊とかあるいは軍隊でないとして「戦」
    とか「軍」とかいう名称を遠慮(たとえば戦車を特車、陸海軍を陸上とか海上)
    している現状だ。しかし、これがどことなく自衛隊に暗いカゲを投げている。し
    たがって、これが自衛隊に対する世間の見方にも反映しているばかりか、自衛隊
    自身にもなにか意気のあがらないものがあり、制服をつけて昂然として自認す
    る姿に、いちまつの淋しい感を与えているようだ。その原因は、なんといっても
    現憲法よりする禍であるが、しかしその処置はしばらく政府に任せるとしても
    隊自身は昂然として意気を旺んにしてほしいものである。
     どのような議論があろうとも、自衛隊は、武器をたずさえている堂々たる軍隊
    だ。平和風に吹きまくられながらも、世界危機という嵐のなかで世の白眼視に抗
    して祖国防衛に任じている軍隊なのである。したがって、ただ世間の信頼にこた
    えるというだけで満足すべきでないし、ましてや職業的一種のサラリーマンと
    考えてはなるまい。
     古い話にさかのぼるが、かのスターリンが昭和の初めに日本に派遣したベセ
    ドフスキー代理大使に向って、対日政策は中国赤化に対して日本が拱手傍観す
    るようにすることだといった。そしてそのためには、漁業問題、石油問題という
    アメを与えて眠らせておけばよい。またそのために万一日本がウラジオまたは
    イルクーツクをくれといったら、それをゆずってもよい、とに角日本を眠らせ
    ておけ、そのうちブレストリトフスク条約の手をなんどもくり返して日本を叩
    きつけるからと教えている。
     このブレストリトフスクというのは、レーニンが天下をとって共産国家をつ
    くるとき、とうじロシアはドイツと戦っていたから、とりあえずドイツと講和
    を結び、ドイツの要求を全部入れて講和した小都市の名前であるが、レーニンは、
    講和するや直ちにその背後からドイツ社会党に呼びかけて反戦運動を起こさし
    めた。それがドイツ海軍の反乱となり、ドイツはたちまちにして敗北してしまっ
    た。
     その後この手で、ポーランド、チェコ、ハンガリー、バルチック沿岸のエスト
    ニア他二国、さらにバルカン半島のブルガリア、ルーマニアまた南方コーカサス
    の一帯を赤化衛星国としたのであって、「ブレストリトフスクをくり返す」とは、
    この間接侵略がソ連の主戦略であることを示したものだ。
     大東亜戦の末期、わが国と不可侵条約を結んでおきながら、そしてわが国が戦
    争をやめるということを探知すると同時に、無法にもわが国に宣戦を布告し乱
    暴を働いた。そして同時に太平洋戦争時代の友邦をうら切って、東西両陣営対立
    という今日の形勢をつくり出したのである。こういう間接侵略こそ、ソ連の今日
    の主戦略であって、われわれは熱戦を考える前に、この間接侵略すなわち冷戦に
    対する心構えを強くしなければならない。
     自衛隊が、バズーカ砲とかジェット機などの訓練をするのも必要だが、この間
    接侵略の手は今日わが国に滲透し、労働者をはじめ教育言論諸機関を通じて、た
    くみに日本の赤化を進行しつつあることを知らなければならない。万一、この手
    による動乱がわが国に起ったら自衛隊はいかにすべきか、共産圏諸国の熱戦は
    第二義であって冷戦が第一義的主作戦であることを認識した現在、自衛隊はこ
    れに対処する訓練をどうすべきか、が大きな課題とわるわけである。
     思想、経済、外交等、広い視野に立って彼らをして手を出させぬようにし、万
    一ことが起ればこれを克服し得る訓練こそ、今日の急務であると私はいいたい。
    詳論はいまさけるが、今日、時局の急迫を見るにつけ、この点についての自衛隊
    の留意を要望してやまないのである。国民に愛されるぐらいのことだけでは、未
    だしという他はない。自衛隊が今日、世論を気にせず忠実に熱心に本務に従事し
    ているのを見て、心から敬意を表するだけに、とくに率直にこの一文を呈したい
    のである。なお、軍隊としては、かつての西洋流、また今日の米国流であっては
    ならぬ。
     真の日本軍はいかにあるべきかの重要な問題は、他日の機にゆずることにし
    よう。

     4. ムダな税金使いとなるな
     高橋三吉
    たかはしさんきち1882~1966
    (元連合艦隊司令長官・海軍大将)

     いつだったか自衛隊でエリコンを日本に陸揚げするとき、一部の労働者が荷
    揚げに反対したため、防衛庁当局が大いに困惑した、という事件があった。その
    直後、海上幕僚監部を訪れたとき、私は、このような反対運動などにへきえきせ
    ず海上自衛隊の自力での陸揚げを断行し、あとは陸上輸送して所要の地点へ収
    納すべきことを献策したことがある。老婆心とは思ったが、世論の一部には事
    ごとに自衛隊にケチをつけようとしているものもある。自衛隊が、今日、国防の
    任務を負う以上、一部の暴論にまどわされず毅然とした態度で処置することが
    当然だと考えたからである。無責任な愚論に気兼ねすることは、百害あって一
    利なしと知るべきであろう。
     次期戦闘機の機種問題が、相変わらずごたごたとつづいているようだが、航空
    自衛隊の機種を決定するのは、実際に搭乗して訓練にあたる者の意見にもとづ
    いて主脳者が決定すべきものであって、飛ぶことも出来ないような人たちが何
    人集って相談したところで、決まるものではない。それが政治的な理由とか、後
    暗い関係にとらわれて機種の決定を見るようになったとしたら、これは大変な
    ことになる。あくまでも航空幕僚監部当局の厳正な自重の下に機種決定をして
    欲しい。“世論にまどわず、政治にかかわらず”ということは今日の自衛隊にと
    っても、忘れてはならない教訓であると思っている。
     旧聞にぞくすることだが、かつて陸上自衛隊の訓練の際、若干の殉職者が出た
    ことがあった。とうじ新聞紙上でも“死の行軍”などとずい分叩かれたものだっ
    たが・・・。
     話は大分さかのぼるが、私が艦隊勤務中、昭和二年に猛訓練のため美保カ関事
    件を起し、暗夜駆逐隊と巡洋艦戦隊が衝突して駆逐艦一隻沈没、一隻大破、殉職
    者百二十余名を出したことがあった。とうじ、私は加藤寛治連合艦隊司令長官
    の下に参謀長をつとめていたのだが、ワシントン軍縮条約のために日本は英米
    に圧迫されて、そのため軍縮の削減を補う猛訓練による一つの犠牲がこれだっ
    た。その時の世論は、殉職者に同情するとともに艦隊の猛訓練に敬意を表して
    くれたものだった。とうじと今日を比較することは当を得ていないが、自衛隊の
    訓練が戦闘の演習である以上、若干の事故は覚悟の上でなければならぬ。勿論
    指揮官として部下の人名を尊び、事故防止につとめるのは当然だが、いたずらに
    世論をおそれるあまり、いい加減な訓練しかしていないようであったら、それこ
    そ自衛隊などという存在はムダな税金使いとなってしまう。訓練を励行しわが
    国防衛の任務を完全に果たす努力こそ大切なのである。

    5. 自衛隊魂をつくれ
     菅原通済
    すがはらつうさい1894~1981
     (随筆家)

     過去のことはサテおき、現今でさえ自衛隊は、国民から継子扱いされ、若い
    隊員も、年長の隊員さんも、肩身のせまい思いをしていることと思う。
     いずれにしても、中途半端な政府のヘッピリ腰が禍しているとはいいながら、
    国家予算の大部分を投入しているくせに国民それ自体が自衛隊のありかたに対
    し、確固たる信念なしなんだから、なさけない次第だ。
     だからこそ、隊員さんが、月給取りだ腰かけ仕事だ、といわれるのも無理から
    んし、隊長さんが、金もうけに眼がないの利権あさりのお先棒だのと云われるの
    ももっともだ。しかしどうやらたしかにどうやら今日の自衛隊をここ迄つくり
    あげた労苦は、多とせねばなるまい。
     が、これからだって、まだまだ、アメさんという姑や、代議士という小姑がの
    さばっている以上、茨の道なのは覚悟していただかねばならん。
     軍隊に切り変えてしまえ—という意見にも相当の理窟がある。
     戦をしない以上、自衛隊は不要だ。その費用を平和事業に振りむけろ—とい
    うのにも、うなずける論拠が多々ある。
     然し、ここで考えたいことは、両方とも、実際には断行し難い、幾多の難点が
    ある。
     どのみちやれんことならば、何も固苦しく、ここで十を二で割って五と五にす
    るのは、愚の骨頂である。
     十を二ツに割るのにも、七と三にすることも出来るし、六と四にすることもあ
    り得るのだ。或は三ツに割って、五と三と二にしてもよい。
     潔癖の日本人らしくきちんと真二つに割るからこそ、議論が沸騰するので、な
    にもそうそうシチ面倒臭く考えることはない。
     流通無碍(りゅうつうむげ)が兵家の常で、意地や外聞にこだわって、逆艪を
    漕ぐ必要はない。なんていったって、敗戦国民なんだ。当分は眼をつむっている
    こった。
     但し、敗戦国民だといって、さらさら卑屈になるにも当るまい。フランス、ド
    イツや支那さんのように勝ったり負けたり、ころんだり立ち直ったりの経験者
    を見習って、大らかな気持ちで、時を待つことだ。
     ただ、科学兵器なんて奴は、十年二十年遅れても、銭さえあれば三年五年で取
    りかえしがつくが、隊員の士気という奴は、一朝一夕では出来上がらない。
     こいつだけは、大和魂という奴がいけないとなると、そこに何とか工夫がいる
    んではないか。
     出稼国民のアメリカ人ですら、建国僅か百七、八十年で、あのヤンキー魂を
    生みだしたんだ。
     日本人に、それ位のことが出来んわけがない。
     先日、自衛隊の若い者に性病が少いので、その理由を尋ねたら、まず運動を
    よくして、あの方の気をそらす。
     つぎが自家製でまにあわす、それでも我まん出来んときは、パン助を買った
    と思って、千円貯金すると答えられて、ビックリした。
     私の職掌がら、有難い答えではあったがさてひるがえって考えてみると、これ
    じゃァたしかに、お雇兵以上弱虫なのは止むを得まいと、暗い気持ちにもなった。
     そこだ。何とか工夫がいるのは。
     継子扱いにしないで、国民こぞって自衛隊魂を盛りあげる工夫をせねばなら
    ぬ時代がせまったのではないか。

     6. 自衛隊への三つの苦言
     畑 俊六
    はたしゅんろく1879~1962
     (元元帥・陸軍大将)

     一九五一年、朝鮮戦争がぼっ発したとき、自由陣営側はいちじ危機におちいっ
    たことがあった。しかし、それが動機となって陣営の集団防衛という構想ができ、
    日本もアメリカの勧告によって、今日の自衛隊の前身である警察予備隊がその
    ときできたことは、いまなお記憶に新しい。
     それから足かけすでに十年、自衛隊は平和憲法にていしょくするとかしない
    とか創立当初より論議され、今日なお議論のタネとなっているのだが、それにも
    かかわらず、年一年と自衛隊はちくじ拡張強化されて、いまでは立派な自衛力と
    いうか、一種の国防力となったことは事実であって、四面楚歌の世論のなかにあ
    って、今日の自衛隊を築きあげてきた自衛隊諸士の努力と勇気に、大いなる敬意
    をまず表したいと思う。
     さて、自衛隊になにか物申せという注文であるが、私も昔のよしみで率直に一
    つ二つ苦言を呈したい。
     第一に、一部の自衛隊攻撃の言論を気兼ねして、少し低姿勢をとりすぎていな
    いか、という点だ。
     胸になにか一物あって故意に自衛隊を攻撃する一派は、自衛隊がどんなに強
    化育成しようが自粛しようが、中傷のホコ先をおさめるものでもなかろう。こう
    いった手合いに遠慮せず、堂々と所信に向って前進せよ、と申上げよう。
     天災に諸士が払われた努力は、すでに天下周知の事実である。国民大半の信頼
    が、自衛隊に寄せられていることを知らなければならない。
     第二は、自衛隊精神教育のあり方だ。旧軍には勅諭五カ条という不動のバック
    ボーンがあったが、敗戦後日本人は精神的支柱を失ってしまった。今日の自衛隊
    も、その点にいちばん苦悩していることと思う。
     筆者は、いまここでそれについて確言することは避けるが、要は直接間接の
    侵略に対して、祖国を防衛する重大な責任のあることを自覚して、自衛隊諸士の
    熟考をのぞんでやまない。
     第三の問題は、訓練の精到ということである。
     世間では、自衛隊はアメリカの中古兵器しか持っていないとけなす者がいる
    が、これはいたし方がない点だ。
     新兵器を持ちたいのは山々であっても、目下の国情が許さない。
     しかし兵器を動かすものは、所詮人であってみれば、訓練の精到をもってその
    中古精度を補うより手はないわけで、それと並行して常に新兵器に対する研究
    を怠らず、いつでも十分に使いこなせる準備が必要である。
     もう一つ附言しておきたいことは、自衛隊が核兵器をもつことに対する賛否
    両論の意見についてである。
     私の考えでは、何も進んで目下のところ持つ必要はないかも知れないが、いか
    に自衛隊の任務が純粋なる防衛戦争であるとはいえ、敵が核兵器をもつのに、こ
    ちらだけ持つ必要はないというのは不思議なことである。
     ましてや集団保障の一環をなす日本として核兵器の研究準備は十分なされる
    べきだと思う。
     今日の日本は、往時のように仮想敵国はないが、すでに間接侵略の脅威は始ま
    っているといわれている。
     したがって、国力の許す限り、防衛の力を強化して集団防衛の一員として国力
    相当の義務を果たすことは、やむを得ざることである。
     願わくば速かに憲法を改正して、自衛隊を国防軍とし、防衛庁は国防省として
    堂々と自衛の重任を果すことを念願してやまない。

     7. 日本国防の大綱を築け
     富岡定俊
    とみおかていしゅん1897~1970
    (元軍令部作戦部長・海軍少将)

     昨年来、自衛隊に対する国民の評価が改められてきた、ということをまず申上
    げたい。私ごとで恐縮だが、地方を講演旅行してみて、こういうふんいきは各所
    で感じられた。
     災害時における臨機応変の出動、規律の正しさ等、いずれも地方に好印象をあ
    たえているようだ。とくに、災害出動の点では風害、雪害ともに地元民たちが
    平常から寄せている信頼感、安心感は大変なものだった。
     たとえば、大雪崩があって救出作業等が行われる場合、命をまとに出動してく
    れるのは自衛隊だけだからという。
     一時、地元の土建業の生活を侵害するものだといって非難されたこともあっ
    たらしいが、困難な土木作業、救援作業にはとうてい業者たちに献身的にはなっ
    てもらえない。だから、一朝ことがあったも、いざというときには、自衛隊がや
    ってくれるという安心感が、平素から国民の気持ちのなかにあるわけで、この依
    頼心は大変なものだということを、如実に知ったのである。
     こういう地元民の気持ちは、自衛隊父兄会の結成、連隊、学校等の見学に大き
    ょしておしかけるというところにまで発展して、昭和三十二年度には陸上自衛
    隊の見学者数年間七十一万九千二百二十名、三十三年度には九十六万六千五百
    三十七名と、うなぎ上りに増えていく現状となった。
     一部ジャーナリズムの不当な評価を受けて、いわば日かげ者のような存在に
    追いやられていた隊員たちは、時勢の移りとともに正当な評価と尊敬を受ける
    ようになってきたわけである。だからもっとふんぞり返れとは決していわない
    が、各隊員が大いに自信を持ってもらいたい、とあえていいたい。
     さて、つぎに苦言を呈したい重大な問題がある。それは、抜本的な防衛計画
    が一体できているのか、どうかという点である。
     議会においては、防衛庁の増強計画を中心にしてはげしい質問戦が展開され
    ていながら、ただ兵力を十八万にするのはいいとか悪いとか、グラマンをどうす
    るロッキードがどうだとかいう問題にだけ終始してしまっている。一体、日本の
    防衛になぜ一万の増員が必要なのか、次期戦闘機は、どういう防禦のためにどう
    いう機種が必要なのか、という説明も十分でなければ、これを追求する質問すら
    でていない。
     国会で論議される問題は、いずれも抹消的な整備計画の範ちゅうにしか過ぎ
    ないのに、その整備計画が立案されるのに必要な根本の防衛計画についてちっ
    とも明白な発言がないのは、どういうわけであろうか。今日、世界戦略の目標は
    戦争を抑制する手段のためにえい智がかたむけられているわけだが、核兵器の
    ような自殺兵器の登場によって直接侵略の危機は全く減少した。
     しかし、ここで大事な事は、これにかわる間接侵略という脅威が、われわれの
    まえに立ちはだかっているという事実である。現に、共産圏からの思想攻勢、心
    理戦、経済戦は活潑に展開されて、日本国内に大きな動揺を起こさせようとして
    いる。こういう侵略に対する日本自衛の根本計画は、いったいどうなっているの
    か、という点なのである。
     日本の一部勢力にむすびついて、国内革命という形をとりながら、間接侵略
    のほこ先を向けてくる情勢の分析を、もっと的確におこなわなければならぬそ
    のことから、真の防衛計画を立案し、国民の前に納得のいくまで説明する誠意が
    大切と思う。
     単なる観念論に終らないで、困難な問題ではあるが、具体的な分析と研究の
    うえに、日本国防の大綱をきずく必要がある。兵力を増員するとか、グラマンと
    かロッキードなどという問題は、そのつぎの問題なのである。このような努力の
    なかにこそ、自衛隊に真のバックボーンが生れ出るものと私は考えている。
                               (文責記者)

     8. 自衛隊への疑問
     大林 清
    おおばやしきよし1908~1999
         (作家)

     自衛隊が将来どんな目的に使用されるかは予測を許さないが、戦闘がその本
    来の任務であることにまちがいはない。とすると、所詮は生死を賭けての仕事
    と云うわけである。
     戦闘とはどんな美辞麗句で表現してみても、結局人間の殺し合いなのだ。死を
    怖れていたのでは戦闘は出来ない。
     一死の鴻毛の軽きに比してと云うような言葉で、過去の私たちは旧軍隊の戦
    闘精神を吹き込まれた。誰だって命は惜しい。
     しかしその命を捨ててかからなければいくさは出来ないのだから、勝にして
    も負けるにしても、戦闘の場面では人命尊重など説いてはいられない。
     私たちは曾て大君のために死ぬと云われた。そして多くの人たちが実際に死
    んで行った。大君のためと云う言葉にこだわる必要はない、国のためとか民族の
    ためとか云う言葉に置き替えればいいし、天皇陛下万歳は国家万歳の別な表現
    だったのである。
     しかし、現在の自衛隊では死ねと云うことは云わないのではないだろうか。必
    勝と云う言葉すら、選挙やスポーツの慣用語になってしまって、自衛隊では使わ
    ないのではないだろうか。
     自衛隊の行使目的が飽くまでも自衛にあることはよくわかるが、精神的バッ
    クボーンの有無に私はやはり疑問を抱く。
     過日私は落下傘部隊の訓練を見学し、訓練も気魄も決して旧軍隊のそれに劣
    らないのを知ったが、いざ実戦となった時そのもう一つ底に流れる一番大事な
    ものが欠けている弱点を暴露するのではないかと危ぶんだ。
     「これからの戦闘は機械と機械の戦闘で兵隊は技術者だ」
     そんな意味のことを、自衛隊の幹部の人はその時云った。
     私はなるほどと思った。
     たしかにその通りである。精神力が機械力の前にあえなく粉砕されるのは、私
    たちも過去の戦争でまのあたりに見て来ている。
     刀槍が鉄砲に粉砕されたのと同じことである。
     だからと云って、兵隊即技術者と云う割り切り方で、そこに何も精神的なもの
    が加わらずに、満足な戦争が出来るだろうか。
     もっとも戦争など二度と真っ平なのは云うまでもない。自衛隊に戦争をさせ
    たくないのも同様なのだから、独立国家のアクセサリーの意味で自衛隊が存在
    する分には、別に何も云うことはないわけである。

     9. 自衛隊で見た夢
      陣出達朗
    じんでたつろう1907~1986
       (作家)

     昨秋、わたくし達は「一日入隊」ということで、習志野の自衛隊空てい部隊を
    おとずれた。わたくしが、新旧を通じて日本の軍隊というものを覗いたのは、こ
    れがはじめてであった。
     だからいまの自衛隊の戦力が、むかしの日本軍隊のそれに比してどれだけの
    違いがあるのか、軍隊は変ったのかどうか、もわたくしにはわからなかった。
     しかし、想像できるところによれば、規模の点では、いまの自衛隊なるもの
    は、むかしの軍隊からみれば、相当小規模なものであるらしいことはわかった。
     「しかし、火器の威力は、旧軍隊の総計をはるかに超えるものを蔵している」
     空てい部隊の中佐級のひとが、わたくしにそう説明してくれた。兵器が進歩
    しているのだから、あるいはそうであろうと、わたくしはうなずいた。
     しかし、だからといって、いまの自衛隊は、そのむかしの日本軍隊が、世界を
    相手にして大戦争をした、あれだけの力があるのだとはおもえなかった。世界も
    また、進歩した兵器をもっているのだから—。
     入隊の夜、ある文化人が、少尉、中尉級の若い幹部連に、今日の見学の感想
    として、
    「こんなものは、軍隊ではないよ、君イ」と、大きくみえを切った。少尉、中尉
    たちは、だまってそれに答えなかった。みえを切ったほうがおかしいのであって、
    いまの日本の自衛隊を「軍隊」だとおもっているほうが、どうかしているのであ
    る。
     まさにそのとおりで、いまの自衛隊のすべての「量」は、世界的にみて「軍隊」
    ではあるまい。
     わたくしは空てい部隊の演習をみて、「これはいったい、どこで実地使用する
    ための演習なのだろうか」とおもった。
     自衛隊だから外敵襲来にそなえて、みずからを護る戦いをすることもあるの
    だろう。
     その時敵の背後へ降下して、ハサミ撃ちするのだろうか?しかし、戦況がそこ
    にいたってしまえば、日本の防衛もおしまいであろう。そんな作戦はなんにもな
    らないだろう。
     それでは、国内に「なにか」が起きたときには、それを鎮圧するための存在
    かなとも考えてみたが、それにしては仕掛けがすこし大袈裟すぎる。
     なんとなく、いまの自衛隊というもののありかたは、中途半端なものであるよ
    うに受けとられた。
     そういえば、このほうの長官が、長距離砲をそなえるが、その頭には、あの恐
    るべき爆弾はつけない、という意味のことをいったが、これもおかしな話しで、
    中途半端だ。あの恐るべきばくだんをつけない長距離砲なら、そんなものはそな
    えないほうがよいのである。
     だから、結論として、高い税金をつかう自衛隊はやめて、アメリカから何万人
    ソ連から何万人—同数同量の兵力を日本へ駐とんさせて、長距離砲も同数に置
    くことにし、アメリカのは西へ向けてそなえ、ソ連のは東にむけてそなえて貰う、
    そして必要があれば同時に、ボタンをおして貰う。
     これで日本はうまいぐあいに「ばくだん」の谷間となるから、理想的自衛がで
    きるのである。もちろん前記駐とん費は二大強国の自費である。それでわれわれ
    の税金も、うんと安くなろうというものだ。
     —そんなことを、一日入隊の仲間と論じあっている夢をみているうちに、わ
    たくしは、ベッドの毛布をとおして、風邪をひいてしまった。
     あくる日は肌をさすような朝寒で、富士が、くっきりと美しく遠望できた。
    「水爆でも、富士山は破壊できないだろうな」わたくしは、ふッとそんなたわい
    のないことを思った。
            以上
             
    ※ 9人の方の生没年は私が勝手に付け加えました

    『波乱の半世紀 陸上自衛隊の50年』より
    (2000年9月15日第1版 朝雲新聞社)
      
        草創期を語る

        米軍から渡されたのは野戦軍並みの編成表だった
                          後藤田正晴氏

     警察予備隊のことを多少系統だってお話しますと、要するに朝鮮戦争が起き
    て、日本を占領しておった米軍の第8軍というのが朝鮮半島に出動する。それ
    で日本が留守になっちゃう。アメリカ側にすると、果たして日本の治安を維持
    できるのか、抵抗運動でも始まるかもわからん。世の中だんだん落ち着いてきた
    とはいってもまだ昭和25年ですからね、アメリカ側はそう考えたんだろうと、
    これは私の推測ですがね。
     その結果、日本政府に対して、警察予備隊というものをつくれと、マッカーサ
    ー司令部から吉田内閣に指令がきた。警察力で治安維持が困難になるような事
    態には、この警察予備隊でもって警察力を補完するんだ、と。
     しかし、警察予備隊をどうつくるかという時にですね、マッカーサー司令部の
    中に二つの流れがあった。一つは旧日本軍を中心にしてつくるべしという考え
    方と、いや、それは将来的に危険だ、旧軍、特にエリート層は排除してつくるべ
    きだという考え方です。まだまだ、当時は日本全体の弱体化政策が基本でしたか
    ら。
     日本政府はどうかといいますと、やはり二つの流れはあったと私は思います。
    旧軍の再編なのか、それとも、軍隊ではないけれどもしかし純粋な警察力かとい
    えばそうとも言えないといった考え方。当時の総理大臣は吉田茂さんで、吉田さ
    んはやはり、旧軍の再建ということについては、先行きを心配しておられたと思
    います。そして結果的に、旧軍エリートは排除された形で警察予備隊が発足した。
     今から考えますとね、ややその、軍隊なのかそうではないのか、灰色の面が残
    って、国家の防衛という観点に立つなら、率直に言って生まれ方がよくなかった
    のかなあという感じもしますが、しかし、日本国憲法が基本であり、あの時に旧
    軍の復活を果たして国民が支持したかということになりますとね、それはそう
    簡単なことではなかっただろうと。
     ただ、警察予備隊ができて間もなく、25年の何月ごろでしたか、吉田総理が
    越中島にお見えになりまして、私服、制服の幹部を講堂に集めて訓示をされた。
    私も立って聞いていましたが、吉田さんは、はっきりした言葉ではありませんで
    したが、これは将来の軍隊の萌芽である、という意味のことをいわれましたな。
    明確にはそう言ったわけではありませんでしたが、聞いていたらわかります。
     私は警察予備隊発足で警備局の警備課長兼調査課長を2年やり、あとを海原
    君(海原治氏、元防衛庁官房長)に引き継いだんだが、まあ、記憶に残ることは
    いろいろある。警備課長はいわゆる3Gで、部隊の編成から作戦、業務計画など、
    調査課長はG2で情報ですが、今のような情報はまだありませんから、もっぱら
    警察予備隊への左右両勢力からの潜り込みを警戒しました。
     部隊の編成にしろ何にしろ、すべてGHQの指示を仰ぎながらやるわけです
    が、私が米軍からもらった編成表を見たところ、これが文字通りアメリカの歩兵
    師団の編成表なんだな。違っていたのは戦車連隊ぐらい。アメリカだと完璧な戦
    車連隊が歩兵師団の中にあるんですが、これはさすがに1個大隊に縮小してあ
    った。それ以外はオーバーシーの軍隊なんですな、州兵師団なんかじゃない。ア
    メリカは一体、何を考えているんだという気持ちになりましたね、この編成表を
    見た時に。
     しかも、今でもはっきり覚えているのは、フローズン・カンパニーというのが
    書いてある。フローズン、凍るというやつ。直訳すると冷凍中隊だ。要するに、
    戦死者を収容して内臓を取り出し遺体を氷詰めにして本国に送るわけですよ、
    彼らは火葬にしませんからね。
     そこで私は、海原と違って英語がダメなもんだから、ハワイ生まれで英語の達
    者な警視庁の警察官を連れて、GHQの顧問団(注・警察予備隊に関する諸問題
    について日本政府を指導監督した総司令部民事局の「顧問・管理グループ」で、
    越中島に置かれていた)のトーマス中佐という作戦課長に会い、あんた方は警察
    予備隊をオーバーシーの野戦軍にするつもりか、しかも戦時編成の冷凍中隊と
    はいかがなものか、こんなものはいらないと言ったんですよ。
     これは結局、向こうから引っ込めました。余り抵抗はしなかった。恐らく、総
    理が突っぱねたんだろうと思います。吉田さんの非情な見識でした。そうでなけ
    れば、警察予備隊は朝鮮半島に連れて行かれる可能性もあったと思いますね。少
    なくともGHQはそれを考えていたと思う。それでなければ何で私に、野戦軍の
    編成表なんか渡しますかね。私が警察に戻る前にも、警察予備隊を増強して
    325,000人にする話が出ましたが、吉田さんはウンといわなかった。内閣が徹底
    して抵抗して、結局、陸上部隊はその後も18万人という定員以上にはならなか
    った。
     海上保安庁の方にできた海上警備隊(注・海上自衛隊の前身)は朝鮮戦争で
    機雷の掃海に駆り出され、触雷して死傷者が出ている。そのことからも、マッカ
    ーサー司令部には、陸上部隊を朝鮮に連れて行きたいという考えがあったと思
    う。しかし、吉田さんは頑固でしたね。いつまでも軍隊にはしないと考えていた
    かというと、そうではなさそうなのは訓示の話でもわかるが、少なくとも、うっ
    かりしていると朝鮮戦争に引っ張り出される、それは何としても避けようとい
    う気持ちは堅かったと、私は思う。吉田さんの選択は賢明だった。その代りに、
    純粋に軍事・防衛の観点からいえば、警察予備隊のこういうあいまいな、軍隊か
    警察か性格のはっきりしない生まれ方はよくなかったと思う。50年たって、自
    衛隊はよくここまで育ったなとは思います。
     2年間の警察予備隊時代は確かに忙しかった。まず隊員を募集しなけりゃなら
    ん。3カ月で75,000人を採用するわけですから。ただし、募集自体には苦労は
    なかった。何しろ敗戦からまだ5年、日本の産業はまだ復活せず、巷には幾らで
    も優秀な人材がおったからね。私も試験官をやりましたが、若い優秀な人材に事
    欠かなかったですね。
     部隊の配置にしても、ああいう左の連中がうるさい時代にもかかわらず、ぜひ
    うちの方に来てくれという地方の首長さんは結構たくさんいた。話を聞くと、や
    はり戦後の疲弊が激しくて町村の経営が成り立たない、ぜひ警察予備隊に来て
    ほしいというんだね。ところが、そういう部隊誘致に熱心な人は、左翼がワァワ
    ァ騒ぐものだから大体、次の選挙で落選した。可哀想でした。
     まあ、当時のことを考えると、確かにいろいろ苦労はあったが、一番の苦労と
    いえばやはりGHQとの折衝でしょう。当時、越中島にいた米軍の顧問団のトッ
    プはシェファードという少将でした。なかなか立派な将軍でしたな。その下がコ
    ワルスキーという大佐、G1兼G2の部長がブラウン大佐、G3がさきほどのト
    ーマス中佐で、ウエストポイント出身、G4は名前を忘れましたが、職務権限に
    かかわる不祥事で途中で本国に召喚された。もう一つ、日本の軍隊にはない組織
    としてコントローラー、統制官というのか管理官というのか、ファイアライゼン
    というドイツ系の極めて優秀な大佐がおった。この人はその後、NATOの最高
    幹部になりました。
     そういう全権を持った顧問団が同じ越中島におって、我々は何かにつけて彼
    らにお伺いを立てなければならない。越中島といったってそんなに大きな建物
    じゃない。そこに両方おるんだから。部屋は別々でしたが、一日中、なんだかん
    だと言ってくる。うるさくてしようがない。我々はシビルだからまだいいが、同
    じ駐屯地に米軍の顧問団がいた部隊の人たちは苦労したと思うねえ。あの時代
    をひとことで言えといわれれば、屈辱の思い、だな。
     しかし、アメリカ人というのは日本人よりも幅が広い。がたがた言いながらも
    こっちのスジが通っているとゴリ押しはしなかった。ことにシェファード、コワ
    ルスキーという人がそうだった。いずれにしても、警察予備隊が朝鮮戦争で使わ
    れなくて本当によかったと思う。連れて行かれたら大変なことになっていた。ま
    あ、いろんな思いはしたけれども、相手がアメリカ軍でよかったのだと、今では
    思いますね。
     あれから50年ですか、自衛隊も恵まれない中でよくやってきたと思う。私な
    らとっくに逃げ出している。しかし、これから先の国家運営を考えると、確かに
    防衛は大事だが、いったん戦をやれば全部が敗者だ。勝者なんていない。日本人
    はとかく、ヤリの穂先ばかり磨いて柄を大事にしないが、これからはより広い
    意味での防衛政策、安全保障が大事だということをしっかりわきまえて、進んで
    いってほしいと思っています。(談)

     昭和14年、東京帝大法学部卒、内務省入省。富山県警察部労政課などを経て
    陸軍に徴用、台湾軍歩兵第2連隊(2等兵)、同第1連隊(軍曹)、台湾軍司令部
    (主計少尉)。21年4月復員、内務省に復帰し神奈川県経済部商政課長、本省地
    方局職員課、警視庁保安部経済第2課長、同警務課長。警察予備隊発足に伴い
    25年8月30日付で同本部(現在の内局)の筆頭課長である警備課長兼調査課
    長となり、隊員募集や部隊編成など創設期の中心的な業務を担当。27年8月、
    国警本部警備部警邏交通課長として警察に戻り、以後警察庁の要職を歴任。44
    年警察庁長官。
     51年12月、徳島全県区から衆院選に出馬し当選、自治相、総務庁長官、北海
    道開発庁長官、官房長官、法相、副総理を歴任、平成8年に政界を退いた。
    大正3年8月9日生まれ、徳島県出身。
                                以上
     

  3. ” 幹二 先生! !こんにちは!

    先生は、耳の調子はどうですか??良く聴こえる方ですか?

    OTTAVA , と言う、ネットRadio で 24時間 Classic が聴けますよ!! !

    !!以上!!

    *

    r01.19.05/12.

    16:25,

    子路

  4. 紅き風
    真の健気
    好好爺
    放つ言銀
    意中鐵

    上鏡
    映す合わせの
    民鏡
    個の殻云ふは
    現人皆

    神記し
    観るは御法度
    己重ね
    刻の随に
    憂い産む迄

    ちはみっつ
    血つむぎ地つむぎ
    知つむぎて
    たてひとすぢの
    代と世ひのもと

  5. 本日の坦々塾、幹事さんお世話になりました。

    御講話「認識者の自由」、あるいは、先生の本旨を十分に掴み
    得なかつたかもしれません。

    しかしながら、荻生徂徠の、「後漢以前に還る!」、太安萬侶の
    「自分は漢文は書けるが、書かない。ここで、日本語を書きあら
    はす方法を、なんとしても確立するのだ!」といふ斷乎たる決意
    は、嘗て『江戸のダイナミズム』で、お教へいただいて以來、固
    く心に持してゐますので、久しぶりに先人の健鬪を憶ひ、感謝の
    念を新たにしました。

    ただ、その前段で、「(日本には)西から情報が次々と流れ込み
    蓄積したが、その先、日本から出て行つたことはなかつた」との
    仰せのあと、「日本人には自我がない」とおつしやつたやうに聞
    えました。とすると、それと徂徠、安萬侶の雄々しき決斷との評
    価は矛盾するのでは?とすこし引つ掛かり、質問させていただき
    ました。

    その點を先生御自身から、懇親會の最後に明快に御説明いただき
    完全に納得しました。

    かくて、氣持よく酩酊して歸宅しところ、關野通夫さんから、最近
    著『一神教が戰爭を起こす理由』ーー世界史で讀み解く日米開戰ーー
    (ハート出版)が屆いてゐました。「はじめに」と「おわりに」だ
    け讀んで、あとは明日以降に。

    もう、先生も御歸宅になつてゐることでせう。先生、體調もよささ
    うだし、聲に張りがあり、御同慶の至り。

  6. 爪彈き

    管理人の長谷川さん御自身のブログ「セレブな奧樣は今日もつらつら考える」
    に、奧樣が「中国とアメリカは似ていると西尾先生もおっしゃっていましたが、全世界で、やはり日本だけ独特なのかもしれませんね」とお書きになつたのに合せて、以下の一部を投稿したところ、奧樣から「地獄のような日本に孫が落ちてもいいのですか?」と眞顏で訊かれました。
    純眞無垢な奧樣に心配をかけてしまつて申し譯ないことです。同時に、こちらも話の接ぎ穗がなくなつてしまひました。已んぬる哉!失禮ながら續きを書き足して、こちらに。

    たしかに、「中国とアメリカは似てい」ますね。
    明治以来、日本は歐(米)の基準を我が基準とすべく、涙ぐましい努力をしてきました。一方、支那は、そんなものには目もくれず、全て己が基準どほりに振舞ひました。昔も今も夜郎自大です。

    日本とすれば、相手の基準に合はせてゐるのだから、相手から當然喜ばれるだ
    らうと思つてゐたら、實は逆で、合はせない支那の方が可愛がられ、こちらはいぢめられ續けました。日本はさぞ口惜しかつたことでせう。隱忍限度あり! その結果が大東亞戰爭→慘敗だつたのせう。

    今も事態は變りません。己が基準以外に基準を認めない「中国とアメリカ」はお互ひによく話が通じる。他人の基準を己が基準とする日本人は、奇異の目で見られ孤立するーー海外駐在の長かつた人々の多くに共通する體驗談です。
    先人達が悩み苦しんだポイントもそこにありませう。

    国際社会の価値を第一とし、日本人の価値を主張しない安倍総理を日本国民
    が支持してゐるのですから、事態は變りさうもありませんね。

    今、「中国とアメリカは」、珍しくかなり對立してゐます。これはそれぞれの、本來相容れる筈のない基準がぶつかるべくしてぶつかつたせゐでせう。

    本來さうあるべきで、己が基準を掲げない日本は埒外において、兩國だけでず
    つとやり合つて貰ひたいものです。しかし恐らく、それは長續きせず、もともと似た者同士の兩者なのですから、何かのきつかけで、又べつたりの關係に戻る可能性が大です。

    そのとき日本はどうなる? 以前以上に奇異の目で見られ、氣味惡がられ、爪彈
    きされるのではないでせうか。

    「中国とアメリカ」が全く別の基準を、それぞれ絶對として振りかざしながら、その「振りかざす」といふ一點を共通・親和力として、グルになつ向つてくるのですから、日本にとつては厄介千萬なことです。
    「我々にとつての共通點が、日本にはない」
    「著しく異質だ。甚しきは、歴史觀まで、我々に合せて ”70年談話”なるものを作 成した。ゾッとするやうな藝當だ。我々の方の大統領や主席が、假りに他國の歴史觀に基いて自國を語つたら、たちまち國民から八つ裂きにされるに違ひない。どうしてあんなことが可能なのか、不思議だ」
    「ちよつと脅かすとすぐに謝つたりして、遊ぶのに面白いこともあるが、基本的に何を考へてゐるのか、さつぱり分らない。ずゐぶん邪惡な性質も持つてゐさうだ。それを隱すために普段ペコペコ・ニコニコしてゐるのかもしれない」
    「嘗て大東亞戰爭などと稱して、我々に刃向かつて來たではないか。再びああいふことにならないうちに、早めに潰しておかう」
    と意見一致しても不思議はありません。「歴史は繰り返す」のださうですから。

    先日、國技館における安倍・トランプ兩氏の表情をテレビでちらと見て、さういふ感想を坦々塾の仲間に言つたら「もうすでに手遅れ。酒がまづくなり健康にも惡いので、そんな話は止めよ。 我々は西尾先生から地獄行きの切符を貰ってゐるのだから」と叱られました。

    明治以來1世紀半餘、幾多の先人たちの奮鬪も虚しく、つひに・・・
    近代日本が出發時から抱へてゐた矛盾を結局どうすることもできなかつたの
    です。まあ後半は、矛盾であることさへ意識されなくなつてゐたのですから、當然の破綻ですが。

    明治19年、ドイツ留學中の森鴎外は、講演會や新聞紙上で、ナウウマン博士
    と激しく論爭しました。テーマは「日本の近代」です。鴎外自身、「これはただ全く私の祖國のために、そして私の同胞のために」と記しましたが、凄まじい氣迫です。

    その時の鴎外の立場を、西尾先生は
    「そこには気魄に満ちた愛国的義憤があり、同時にいじらしさがある」
    「ヨーロッパ文化に必死に抵抗しながらその圧倒的に優越した尺度で日本を測
    定しなければならなかった当時の日本人の苦衷を読み取ることが出来よう」
    「それでいて鴎外は、帰国すれば、今度は西洋の尺度で日本を切り、医学界と
    文学界の『近代化』を積極的に推進する啓蒙家として活動した人である。と同時に、後年の歴史小説群が示すように、儒教や武士道のもつ旧い形式が内包し
    ている意義を終生見失うことのない反西欧的な役割をも演じた。つねにこのように二重の姿勢をとらざるをを得なかった明治人の宿命は、早くもこのナウマン論争の矛盾のうちにもはっきりと看取できよう」(『ヨーロッパ像の転換』)
    と説明してをられます。先生は鴎外の奮鬪を多とされてゐる、少くとも同情・共感を寄せてをられると感じました。

    近代日本といふ國家全體の抱へる矛盾であり宿命ですね。西尾先生御自身も
    ドイツ留學中ずつと鴎外・荷風を意識してをられたさうですから、この矛盾についても考へ拔かれたに違ひありません(西尾先生のあとに、同樣の經驗をした人がゐるのでせうか)。

    その西尾先生から「こんな國は地獄に墮ちるだらう」との御託宣があつたのですから、我々は覺悟を決めるべきです。

    本當は我々の先人も夜郎自大を演じたかつたのかもしれません。ところが、彼
    等には世界が見え過ぎてゐました。そして今、強大な西洋に對抗する爲の自己
    強化に當つて、自らの基準・原理に則つてゐたのでは間に合はない、それをし
    てゐるうちに呑込まれてしまふだらう、その事態を免れるには、しばらく西洋の尺度を借用する以外にないと讀み取つたのです。夜郎自大を愼まざるをえなかつたのです。

    その邊の日支の違ひについて、西尾先生は『国民の歴史』のアヘン戦争の項で、「幕藩体制は中国や朝鮮のような官僚社会ではなく、どこまでも武家社会でありつづけていた。だから、ヨーロッパの軍事力の手ごわさにいち早く気がつく敏感さを持っていた。中国とは別系統であったがゆえに、中国からは自由であり、立ちすくむ中国を置き去りにして、ヨーロッパから素直に学ぶという幕末の方向転換が可能になった」と分析してをられます。

    アヘン戰爭で英國にあれほど痛めつけられた清の高官が「武官たちが勝手に
    負けたので、政府が負けたわけではない」とうそぶいた旨、西尾先生がどこか
    にお書きになつてゐたのではないでせうか。間違つてゐたらお詫びしますが、
    文官たちがそれほどノー天氣で、相變らず夜郎自大を續けてゐたとしても不思
    議はありません。廣い大陸の、北京から遠く離れた廣東が主戰場であり、中華
    が夷狄に敗れるなど少しも珍しいことではなく、しかも清といふ國自體が夷狄の滿洲族の支配する帝國なのですから、深刻に受け止めなくて當然なのかもしれません(絶えず異民族がなだれこんで、動亂が常態の彼の國のことは、私の想像の外です)。

    對照的に日本は敏感に危機を察知し、次々と果敢に手を打つたために西歐に
    蹂躙されることを免れました。先人たちの叡智、勇氣、決斷に脱帽すべきです。
    ただ上述のとほり、急ぐあまり西洋の尺度を借用した(これがベストの判斷であり、それ以外に亡國を逃れる道はありませんでしたが)、その矛盾が結局命取りになつてしまつたのではないでせうか。

    矛盾點を解きほぐして正常に戻すことは、近代に突入した第一世代から次世
    代、次々世代以降へ申し送つた課題でせうが、これは容易なことではありませ
    ん。尺度は、あちらのものからこちらのものへと、簡單に取り替へられるやうな代物ではありません。

    丁度、文化・文明について西尾先生が「ヨーロッパの技術文明は、自分の意志
    で着たり脱いだりすることのできる衣裳ではない。いったん着用におよべば、着た人の身体ばかりではなく、その魂までをも変形させる不気味な力をもったものなのである」(『ヨーロッパの個人主義』)とおつしやつてゐるのと同じやうに、尺度も不氣味な力を持つたものです。その調整には拔群の見識と強靱な意志・實行力が不可缺です。

    この嚴しい宿命を背負ふべき第3~4世代あたりに現れたのが、不幸なことに、先生のお嫌ひな大正教養主義で育つた人々です。不幸の意味は次の先生の
    お言葉が十分示唆してゐるのではないでせうか。
    「教養という語にはどこか甘美な、感傷的なニュアンスが宿っていて、修養とか、修業とかいう語ほどに、日本語らしさがない。教養講座、教養番組、教養文庫、教養学部の例に見られる、美しい言葉でたんにおめかししている装飾語のような響きがある。努力しないで、座ったままで手に入る文化のイメージであって、日本古来の武道とか芸道を究める場合に、修養や修業の語が使われるのとはずいぶん違う」(『国民の歴史』)

    そんなところで育つた人々に、この宿命が背負へるわけがありません。
    乃木大將の殉死に對する森鴎外・夏目漱石と志賀直哉・武者小路實篤の反應
    の違ひを見ると、これが同じ日本人かと疑ひたくなります。急激に變質したのですね。

    あの弔砲は明治大帝や明治といふ時代への弔砲であつただけでなく、日本と
    いふ國への弔砲でもあつたのではないかーー『ヨーロッパの個人主義』を讀ん
    だ50年前から現在まで、そんな考へが頭の中にあります。

    同時に、先生の次のお言葉を思ひ出して、危ない、自分も「利口な人間」にな
    りさうだつた!と身のすくむ思ひをしたり・・・
    「・・・利口な人間は後を絶たない。歴史を二つに分けて、日清・日露までは正しく、昭和になって間違えた、というような便利な考えをもてあそぶのは、利口ぶった人間のしがちなことなのである」
    「いったい日清・日露までの日本はなぜ自分の羅針盤ひとつを頼りにして、なんとか国を亡ぼさずに大過なく生き延びることに成功したのだろうか。自分の過去を否定したり反省したりする利口な人間がいなかったからだ。自分の過去を善悪二つに分けて生きるような閑人がいなかったからだ」(『国民の歴史の歴史』)

    1. 1. 地獄

      英語と中国語にはテニオハ、助詞助動詞のないSVOが基本ですのでその精神構造も似て共感し合う素地があり、「何かのきつかけで、又べつたりの關係に戻る」のでしょう。
      昨日のNHK番組「天安門事件30年」は中国が、“共産主義と中華思想を中核にする一党独裁独善・軍国主義人権弾圧国家”であり(西村真悟氏の言葉)、「社会の安定をもたらし経済が発展したのだからあの弾圧と虐殺は完全に正しかった」と公式に嘯く国は、ブラック企業同様、間違いなく国際社会で存在を許されない“ブラック国家”であることを分かり易く証明してくれましたが、事件後に西側から出された非難のコミュニケを骨抜きにしたのがブッシュの米国と宇野の日本だったことを暴露しました。その後、米と示しあわせたのか制裁解除の抜け駆けをやったのが海部の日本でしたね。世界の災厄であるブラック国を潰す絶好の機会だったのを、ブッシュの鄧小平への国書で、I can tell you in total confidence that US and Japanese removed some rather inflammatory language from the G7 Communique. と媚びを売っていたことが表に出てしまい、今となっては愚かな選択でしたが、英仏独もその後に続いたのですら、世界中が似たり寄ったりのゼニの亡者なのでしょう。それにしてもこの国書が公表されたことで友邦を裏切る米国、それに無批判に隷従するだけの日本という国際的評価が世界に定着することを恐れます。

      当時のアメリカの中国大使ウインストン・ロードが、「天安門虐殺の責任を問わず不問に付し経済発展を促す方が中産階級が生まれdemocracyやpolitical freedomを求めるようになると考えた」と発言していますが、本音はゼニに目がくらんで市場として重視したことを隠し、体裁のいい民主化に結び付けて誤魔化してきたことの反省から今のトランプやペンスが共産党政権との共存を断念し、これを遅まきながら切ろうとしているなら、西尾先生の言われるように、米側に味方する覚悟を決めるべきときですが、日本の政財界は口をそろえて“米中とも冷静さを取り戻し早く事を収めてほしい”などと能天気ですから、またぞろ宇野や海部の轍を踏むのでしょう。地獄に堕ちるだけだ、と悲観したくもなります。

      奥様の「地獄のような日本に孫が堕ちてもいいのですか?」の叫びは本物です。お面を1本取られたように見受けます。率直に申し上げて、その後の池田様のこの興味深い御意見は迂遠と思います。本物と迂遠は反対語ではありませんが、対比語にはなるかと。池田様の文章からは相変わらず多くを学び考えさせられますが、日本をよくするには役立たないということを奥様は言いたいのではないでしょうか?認識や分析がいかに深く鋭かろうと、子や孫に役に立たなければ無価値と思うのは、僭越、いや思い過ごしでしょうか。尤もここは分析や認識を披露する場で当方が場違いのことを言っているのでしょう。

      ただ、「もうすでに手遅れ。酒がまづくなり健康にも惡いので、そんな話は止めよ。我々は西尾先生から地獄行きの切符を貰っておるのだから」と仰る方も酒が美味く呑めれば地獄に堕ちてもいいのでしょうか。私は晩酌の夜毎に、酒の不味くなる番組ばかりを録画して、忸怩たる思いでほとんど毎晩晩酌の友にしています。私など取るに足りない駆け出しですので西尾先生はじめ皆様の考へ拔かれた末、都知事選の田母神支援などの末の深い絶望を十分理解していないかもしれませんが、「明治以來1世紀半餘、幾多の先人たちの奮鬪も虚しく、つひに破綻」とか、「西洋の尺度を借用した矛盾が命取りになつてしまつた」とか、「日本といふ國への弔砲」とか言ってしまっては身も蓋もなく、それこそ「地獄に墮ちる」他なくなります。西尾先生からの「こんな國は地獄に墮ちるだらう」との御託宣は、この写真のお顔からみて、それほど深刻ではなく、単なる警告で、あまり本気ではなく、殆ど冗談のようにも見受けられます。

      池田様は、「我々は覺悟を決める」と仰いますが覚悟を決めてどうするのでしょう。自分だけでなく、子や孫にも地獄に堕ちる覚悟をしようということでしょうか。天安門事件の学生リーダーの一人で共産党から指名手配されていた浦志強という人権派弁護士が「暗黒の時代にも光はある。その灯火をともし続けたい」といって中国国内で当局と戦う姿は雄々しく、このシーンには救いがありました。支援激励したい気持ちです。

      2.丸

      黒ユリ様の紹介された戦前皇道派だった荒木貞夫の昭和34年の言葉が少しも古くなっておらず令和の今日でも完全に妥当するということに驚きました。この60年間日本は軍事に関して少しも進化しなかったことに気付かされます。しかし荒木も日本が戦後の戦争に再び敗れようとしているのに気づきながら、無為に過ごしていたのでしょう。

       “終戦後進駐してきたマッカーサーの、日本に対する占領政策は、わが国の根本理念を破壊して、古くからの伝統や歴史を否定してしまうことにあった。そして、それに代るものとして、人権と平等とか自由とかいう言葉の魔術を弄して、当時ややもすれば虚脱におち入ろうとした日本人たちの精神を動揺させ、日本の建国精神とは似てもつかぬ社会をつくり出すのに、一応成功した。”“残念ながらいまなお戦力なき軍隊とかあるいは軍隊でないとして「戦」とか「軍」とかいう名称を遠慮(たとえば戦車を特車、陸海軍を陸上とか海上)している現状だ。しかし、これがどことなく自衛隊に暗いカゲを投げている。したがって、これが自衛隊に対する世間の見方にも反映しているばかりか、自衛隊自身にもなにか意気のあがらないものがあり、制服をつけて昂然として自認する姿に一抹の淋しい感を与えているようだ。その原因は、なんといっても現憲法よりする禍であるが、しかしその処置はしばらく政府に任せるとしても隊自身は昂然として意気を旺んにしてほしいものである。”

      1. 勇馬 樣

        勇馬樣と奧樣は、かねて拜察してゐたとほり、實によく似てをられます。
        純眞無垢・純情無雜といふ點で。

        ☆「地獄のような日本に孫が堕ちてもいいのですか」

        ☆、「『酒がまづくなり健康にも惡いので、そんな話は止めよ。我々は西
        尾先生から地獄行きの切符を貰っておるのだから』と仰る方も酒が美味く呑めれば地獄に堕ちてもいいのでしょうか」

        ☆「覚悟を決めてどうするのでしょう」

        いづれも本當に眞劍な反應・詰問ですね。

        私も坦々塾の不逞の仲間も決して、「墮ちてもいい」とは思つてゐませ
        ん。「どうする」とも考へてゐません。
        ただ、どうせ地獄に墮ちるのだつたら、その前に、なるべく旨い酒を飮
        んでおかうと思ふだけです。「”その前に”? 今の日本は既に地獄では
        ないか」との仰せならば、一言もありません。そのとほりでせうね。まだ
        なんとか安酒を口にすることができるので、錯覺してゐました。

        「どうする」といふprimitiveな面は、地獄に墮ちる前についても、後についても全く考へてゐませんでした。「墮ちた」後のことは、地獄の方で決めるので、當方の知つたことではないと思つてゐましたが、お言葉から「地獄の沙汰も金次第」いふやうな諺を思ひ出しました。彼地
        での心得がありましたら、御傳授下さい。

        以上は、西尾先生の御託宣に基いた上でのことですが、御託宣必ずしも
        everythingではないでせう。勇馬樣も奧樣も、なほ、地獄墮ちの悲運に陷らぬやうbestを盡さうとお考へなのでせう。それが最も尊く、bestに決まつてゐます。 Hang in there,and
        Good luck!

        1. 勇馬 樣

          以前、プラトンの「知つてゐて吐く嘘の方が知らないで言ふ嘘よりはましだ」といふ言葉を勇馬樣にお示ししたところ、「哲學的にはさうかもしれないが、法學的には故意の方が罪は重い」との仰せ、文字どほり仰天したことを思ひ出しました。

          上等の冗談を言つた。かなりの出來だと自負してゐるのに、それが相手に通ぜず、冗談であることと、そのどこが面白いのかとを結局、自身で解説しなければならない羽目になつた時の、あのせつない氣分! あれに似た氣分を味はひました。冷や汗が出ました。

          同時に、世の中にはこれほど眞面目な人がゐるのだと感歎しました。相手がマジメであるとの思ひは、決して不愉快ではありません。

          「墮ちていいのか」「決めてどうするのか」との御質問も、同樣の徹底的マジメさゆゑに發せられたのでせう。いいの惡いのも、どうするかも、考へないし、考へてもしかたがないと考へる小生のやうにフマジメな者の存在は、勇馬樣には想像の外のことなのでせう。

          御自身のマジメさを標準にすればさうなるのは當然です。そして、すべては、國の爲になる、日本を守らねばーーの觀點からお考へになる。御立派です。

          御健鬪を祈ります。私との間に話が通じにくいことなど問題ではありません。

  7.   私は最近、インターネットを通じて「三国志 Three Kingdoms」という中国の三国志演義の現代ドラマ(全95話)を観たのですよ。私は中国に欧米や日本のような面白い現代ドラマはとうていできないだろう、と低くみていたのですが、その認識がちょっと甘かったことにこのドラマを見え終えたあと気づきました。これは実に面白かった。中国人も本気を出すとこういうドラマがつくれるんですね。

    このドラマの何が面白いかというと、一言でいうなら、誰一人として善人が出てこないこと、もう一言付け加えていうなら、中国人が自分たちの人間悪を救いようがないほど描きつくしていくことで、その悪自体がある種の美意識にまで昇華しているということです。まるでシェイクスピアの悲劇をみるようなエゴイズム、裏切り、死の連続です。たとえば長年連れそった愛妻が実は数十年前に敵対陣営から送られてきたスパイであった。もちろんそれも恐ろしい話なのですが、もっと恐ろしいのはそのことを主人はとうに気づいており、折をみて夫人の病のときに医師を買収して殺害する。ただし自分がおこなったこともわかりにくくするために、自分が夫人の死にショックを受けて(治る程度の)脳卒中になる毒薬を飲んで仮病を装う。こんな話が当たり前のように次々に出てきます。日本人ならばこんな世界には一日として耐えられないでしょう。他人を疑うことを日本人ほど嫌う民族・国民は他にいない。あるいは韓国ならばこの三国志ドラマのような自己批評は絶対に描けない。なぜなら韓国の現代ドラマはかならず「韓国人が世界でよくみられたい」という低級な政治的意識が働いて自画像を描くことを拒否するからです。

    シェイクスピアといい、この三国志ドラマといい、「誰も信用できない世界」のあまりの恐ろしさがそこにあります。個人主義の究極はこんな出口のない「地獄」なのです。自分以外のすべてを疑わなければならない。中国には儒教による血縁共同体があるのではないか、という人もいるかもしれませんがそれは間違っており、中国ではこの後漢三国時代までに儒教は後退形骸化し、あくまで社会的枠組みの考えとして儒教が残ったに過ぎず、迷信宗教である道教が儒教にとってかわっています。たとえばドラマ内で曹操の息子たちは兄弟同士で血みどろの争いを展開しようやく長男に後継が決まるというありさまです。血族内部にも冷酷な個人主義原理が支配している。また「類似」ということに関して非常に面白いなと思ったのは、登場人物たちの思想が、「外在的」に存在しているということをよく描いているということです。

    それはどういうことかといいますと、たとえば善玉として描かれることが多い劉備や諸葛亮たち蜀漢の面々の「民を思う心」というものが、純粋な善意から発したのではなく、「民の心は利用に値する」というプラグマティックな面、あるいは曹操たち悪玉の専制主義に対抗しうる思想だと考えている面、そういうプロセスを経て「選ばれている」というふうによく描かれているのです。端的にいうと、劉備や諸葛亮は、「善人」でなく「善を利用選択している偽善者」にみえてきてしまう。真底、民衆が好きなわけではまったくない。これは私たち日本人だから劉備たちの振る舞いが「偽善」とみえるのであって、日本人にとって、善人であることと善思想を選んで生きることは非常に近い。けれど欧米や中国の「善人」というのは、善思想との間に距離をおいているしたたかな人間を言うのではないかと思います。

    よい欧米側の例がウィストン・チャーチルでしょう。チャーチルはヒトラー、スターリンに比して善=民主主義的正義の指導者というイメージが一般的に濃厚でしょうが、それはとんでもない間違いというべきです。イギリスの植民地経営の残酷さの継続だけでなく、枢軸国とくにドイツへの一般民衆への無差別空爆(とりわけ戦局の結着がついた1945年に入ってから激化させた空爆)は「ドイツ人を一人でも多く殺せ」というジェノサイドの最大の責任者であったのはほかならぬチャーチルです。しかしチャーチルは残忍であると同時に、善思想とりわけ民主主義の力を侮らなかった。早々に議会主義や多数政党制という「善」を放棄してしまったヒトラーとそこが違うところです。「民主主義は少なくとも最悪の制度ではない」といったチャーチルは単なる悪の実行者でなく、民主主義という善を利用した偽善者であることによって、「民衆」「国民」といった面々をも味方につけてしまったことになるのではないでしょうか。こんなチャーチルのような何枚岩の人物を日本史でさがしだせといっても無理で(そのような政治家を目指せというのはさらに無理)、しかし中国の世界ならばどの時代にもあふれるようにいるのではないかと私は思います。思想や観念が絶えず「外在的」に存在し流通し利用されることにおいてもなるほど、中国と欧米はよく似ているのかもしれません。裏返せば日本人にとって思想とは、美意識もありますが、非常に内在的なものだと思います。だから「思想転向」というようなことが起きると、日本ではそのことへの非常な人格批判や自己反省が生じることになるわけです。

    ただ私がよくわからないのは、おそらくこのドラマの制作者が欧米受けするべく主人公たちに多用させている「天」という概念です。「人間の生死は天のみが決める」「自分の今回の幸せを天に感謝する」「天の御心のままに」など、原作の三国志演義にはまったくないほど、「天」なる言葉がたくさん使われる。私はこれは、ドラマ制作者が、この「天」をキリスト教・ユダヤ教の「神」と同一視させるように欧米の視聴者への受けを狙いたくさん台詞配置したのではないかと睨んでいます。やはりこのドラマもそうした政治的意図から完全に自由というわけではない。ではそうした制作者の意図からいったん離れたところでみて、この「天」という概念は、いったい何なのでしょうか。もしこの「天」が、一神教的なものと本質的に同じものであれば、欧米・中国の同一論はますます強いものになると思います。それについてもいろいろ考えたいのですが、紙幅もかなりなりましたので、ここでいったん筆をおきたいと思います。

    1. 渡邊 樣

      貴論、愚生には少々高尚過ぎの感じですが、懸命にキャッチアップを
      試みました。

      「もしこの『天』が、一神教的なものと本質的に同じものであれば、欧
      米・中国の同一論はますます強いものになると思います」以下を是非
      お續けいただけないでせうか。

      それによつて、私などには到底手の屆かない次元のテーマとして諦め
      るか、努力次第で手が屆くかもしれないかーーを判斷したいと存じます。

      「チャーチルのような何枚岩の人物を日本史でさがしだせといっても
      無理」とのお説は私なりに理解できるやうな氣がして、その先を考へ
      てみたくなります。

      また、「歐米中同一論」とは別に、彼等がそれぞれ異つてゐるにして
      も、それらの總まとめと日本との間の埋めがたい溝(が存するといふ
      のが私の持論ですが)について、いま少しお教へいただいて、「人類
      皆同胞」では決してないことを確認した上で、切符の指定する場所に
      墮ちたいとも考へます。どうぞよろしく。

  8. 渡辺望 さん、初めまして! !

    笑。

    >> 長年連れそった愛妻が実は数十年前に敵対陣営から送られてきたスパイであった。

    司馬懿 一族と、魏の帝との関係ですね、解ります!

    同じドラマを観てくれている人が居て嬉しいです!(^-^

    *

    r01.19.06/12 , 20:44 .

    子路

  9. 私もよくわからないので偉そうなことはいえないのですが、それなりに整理すると、こういうことがいえるのではないかと思います。

    宗教社会学的にいうと、宗教と社会のかかわりには、「共同宗教(共同体の宗教)」と「個人宗教(個人救済の宗教」というものがあって、両者が一つの社会で並存することは全然矛盾しない。一番よい例が他ならぬ日本で、共同宗教は神社神道で、個人宗教は仏教やキリスト教などの外来宗教です。たとえば我が国では熱烈な天皇・皇室論者の数多くが仏教徒やクリスチャンだったりしますが、共同宗教と個人宗教の使い分けが日本ではよくなされているからです。国民の大半がクリスチャンという韓国では儒教・朱子学が共同宗教ということになるのでしょうか。共同宗教は歴史の連続性を維持するために不可欠ですが、共同宗教だけではなかなか文化論が花開かない。個人宗教の世界で、禁忌・倫理・超越といったものが試みられることによって文化史の根幹に色気が出てくる。もし神道しか日本人の宗教がなければ日本人の文化はずいぶんさびしいものになったに違いなく、日本人に最大の影響を与えてきたのは、インド発の仏教という個人宗教ということになります。

    こうした区分でいえば、キリスト教というのは何といっても個人宗教の性格をもちます。個人が神や厳しい戒律に直面し、禁忌違反の緊張感にさらされている。もっとも欧米社会ではキリスト教は共同体宗教の役割も担わされているのでしょうが、いずれにしても欧米の冷厳な個人主義が華やかな文化を伴うことができたのは、キリスト教の非常に強い個人宗教の性格がゆえでしょう。では中国の「天」はどうかといえば、たしかに全能で創造神的な天帝への信仰はなんとなくキリスト教に似ているようにみえますが、その実、個人と「天」をつなぐようなものがほとんど見当たらない。たとえばキリスト教の原罪思想というからくりは、個人と神を常につなぐもので、その負い目から個人は常に神(天)に監視されるということになります。中国の「天」というのはそうしたものでは全然なくて、端的にいえば、共同宗教の神であって、中国人個人の倫理道徳にはほとんど関係がないものではないでしょうか。では中国の「個人」の側に何があるのかといえば、これは前回の原稿でいいましたように、儒教は後漢の時代にはすでに実質的に消え去っており、迷信宗教にして徹底して現世利益主義の道教が巣食って今日に至っていることになると思います。

    たいへんに面白いのは、これは周知のこととも思いますが、儒教も道教も「天」思想を借用しており、たとえば「天皇」は道教の概念で、日本では道教に熱心だった(仏教にも熱心であった)天武天皇が日本の「大王」を「天皇」に変更したものですね。しかし道教の影響はそれほど日本で強くなることはなかったといえます。道教の迷信性や現世利益性がいかに中国の「個人」において強いかは、たとえば歴代の中国皇帝の大半が水銀中毒で亡くなっていることでわかります。これは道教の迷信の一つに水銀が不老不死をもたらすというものがあって、それが清朝末期まで信じられていたからです。比べて日本の天皇は、いくら名前が道教に由来するからといってこんな馬鹿げたことはしないし、だいたい不老不死なんていう現世利益の徹底とはまったく無縁です。キリスト教の世界の「個人」も、相当に冷酷悲惨な個人主義が存在するとはいえ、道教と正反対の性格を有したキリスト教という個人宗教がそれに歯止めをかけつづけています。ゆえに私はやはり欧米の個人主義と中国の個人主義は似ているようでまったく似ていない、と思うのですがいかがなものでしょうか。

    それといまひとつ、「日本的自我」の話が出ていますが、私は丸山真男みたいに、日本的自我が欧米に比べて未完成とは思いません。そのことを考えたのは、最近、日本の冤罪事件というのに何となく関心があって、冤罪が決定した事件には相当数あやしい(やはりやっている)と思われるものもありますが、掛け値なしに本当の冤罪といえる事件もあって、たとえば帝銀事件や足利事件はそれにあたります。特に後者の足利事件はひどい話で、容疑者が無期懲役が確定してから冤罪がきまり(しかも間違いない本当の容疑者が存在するにもかかわらず)一人の人間の人生を台無しにしてしまった事件です。容疑者の菅谷さんは、検察官の激しい取調べに対して、やっていないのにやったと「自白」してしまったのですが、これはいったいどういうことなのだろう、と私は考えました。

    欧米などでは容疑者が正直に自白するということはほとんどありません。端的にいえば自己防衛のために嘘をうくということで、これは個人主義が徹底しているわかりやすい例です。けれど日本では大概の容疑者は自白する。それはいいのですが、冤罪事件などでは、犯罪をやっていないのに自白する、ということまでおこなわれてしまいます。あるいは刑事事件ではなくても、スパルタ的な体育会系組織や戦前の軍隊内務班などで、「やっていないのにやったといえば集団を救える」論理で「自白」させる、「自白」するという「善意の嘘」がまかり通ったことはよく知られています。これは「自我が未完成」からなのでしょうか。私はその逆で、「自我が完成されすぎている」から生じることなのではないかと思います。

    菅谷さんの気持ちをあえて推測すれば、圧倒的な物証(これがすべていかがわしいことであることが20年のちに判明します)と弁護側でさえ親身になってくれない状況で、自分が容疑者になる=個人を放棄すればこの事件は丸くおさまる=社会の平穏は確保される、という究極の自己放棄に至ってしまったのではないか。私はそうした自己放棄がよいとはまったく思いませんし、これはあくまで単なる憶測です。しかしもし菅谷さんの「自白」という「過剰な嘘」の背後にこのような自己放棄があったのだとしたら、このような「自己」は、「未完成」なものではなく、「完成されすぎた」ものだからこそ可能なのではないか、ということを私は考えたいのです。この日本人の「自己」は、しっかりと根をおろした共同宗教と、海外から入り(日本化されつつ)多彩な影響を与えてきた個人宗教によって培われたものであり、少なくとも日本においては欧米や中国のレベルの個人主義は党の昔に克服されてしまっているのではないかと思いますがいかがなものでしょうか。

  10. 渡邊 樣

    上質の、懇切な御講話忝い限りです。
    十分に吸收できたと言ひきる自信はありませんが、どの程度實感を以て受け
    止めたか(といふよりも、觸發されてどう聯想を擴げたか、になりさうですが)を若干申上げます。
    なほ、さなきだにお忙しい著述の妨碍になつては申し譯なく、こちらも不本意ですので、忙中の氣分轉換になりさうな時にでも、引續きお教へいただければさいはひです。

    前囘に觸れられた「三国志 Three Kingdoms」、そんなに面白かつたとは少々意外です。たしかにあの國は、普段ちゃんちゃらをかしいことをたつぷりと見せてくれますが、時にぎょつとするやうな、スゴイこともやらかします。舐めきつては間違ふかもしれませんね。

    「日本人ならばこんな世界には一日として耐えられない」ほどの猛烈さには、
    私もかねて感じ入つてゐます。
    世にユダヤ陰謀論なるものがあり、それを信じる人達のグループの講演會やらシンポやらに時折參加しますが、そこではユダヤ人が目指してきたといふ「ワン・ワールド・オーダー」が、無數の史實と、その綿密な分析に基いて語られます。

    私はその結論には釋然としませんが、反駁する知識が全くないので、「ユダヤ
    の惡は十分に認める。舊約を讀むだけでそれは明かだ。しかし、それが世界を統べてゐるとまでは言へないのでは。たとへば支那に存する猛烈な惡。あれは支那オリジナルのもので、ユダヤ由來ではないのではないか」と申します。勿論、どちらとも論證できる性質のテーマではないので、まともな答はありません。

    彼等はシオンの議定書は本物だと言ひますが、その論據は示しません。議定
    書の眞贋論爭ーーネットで、その項を開くだけで頭が痛くなるほど、いろいろとあるので、今さら論據など擧げる氣にならないのでせうし、擧げられても、どうといふことにならないでせう。

    話が逸れかけましたが、我等日本人には「耐えられない」どころか、想像さへ
    できないところが、支那にはたしかにありますね。

    「中国ではこの後漢三国時代までに儒教は後退形骸化し、あくまで社会的枠
    組みの考えとして儒教が残ったに過ぎず、迷信宗教である道教が儒教にとっ
    てかわっています」ーーさうですか。後漢といへば2世紀以降ですね。そんな
    に早くから儒教は・・・。これは私の支那史についての知識不足を示すだけで
    すが、宮脇女史が近著で、「唐(7世紀~)の帝室は儒教的規範から完全に
    逸脱している」と記してゐると聞いて、さうだつたのかと思ひましたが、いつから? とは考へもしませんでした。

    女史によれば「楊貴妃は17歳で寿王の妃となるが、王の父、玄宗皇帝に見
    そめられ、寿王と別れていったん出家し、玄宗皇帝の後宮に入る。玄宗皇帝
    は、即天武后の孫である。武后も太宗の後宮から一度は尼になり、そして高
    宗の後宮に入った」「儒教では輩行(祖先から数えて何代目の世代か)が大
    変重要なので、父の世代と子の世代は厳然と区別するのである。継母と結
    婚するとか、息子の配偶者を娶るなどは畜生同然だと忌避する。しかし隋も
    唐も、帝室と貴族たちは、もともと大興安嶺にいた『鮮卑』と呼ばれた遊牧民
    出身だから、実母以外の父の妻を娶ることはレヴィレート婚と呼ぶ習俗だし、
    息子の妻を娶ることも気にしない」と解説してゐる由。

    要するに、絶えず異民族(野蠻人)がなだれ込んできて王朝まで立てる易姓
    革命の國では、何がいつどうならうと、なんの不思議もないといふことなので
    せうね。この點も、彌生人が後から渡來したらしいといふ程度の我々日本の
    民には想像を絶することです。
    渡邊さんは、今のところ、民族性の因つて來たるところには言及されてゐま
    せんが、その點も追々お教へを。

    「共同宗教」と「個人宗教」。
    「共同宗教だけではなかなか文化論が花開かない」。
    「もし神道しか日本人の宗教がなければ日本人の文化はずいぶんさびしい
    ものになったに違いなく、日本人に最大の影響を与えてきたのは、インド発
    の仏教という個人宗教ということになります」
    「キリスト教というのは何といっても個人宗教の性格をもちます。個人が神や
    厳しい戒律に直面し、禁忌違反の緊張感にさらされている。もっとも欧米社会
    ではキリスト教は共同体宗教の役割も担わされているのでしょうが、いずれに
    しても欧米の冷厳な個人主義が華やかな文化を伴うことができたのは、キリ
    スト教の非常に強い個人宗教の性格がゆえでしょう」
    ーーいづれも、十分呑込めたと思ひます。

    キリスト教が個人宗教であることは間違ひありません。しかし、個人の集團の
    力を借りた宗教は屡々國家をも脅かしますね。政教分離といへば、日本では
    新興・外來などの弱い宗教を國家が彈壓しないための原則と考へられがちで
    すが、西洋では強い宗教が國家を壓迫することを防ぐためのものでせう。

    西尾先生に、「先生は以前、『竹山(道雄)氏はキリスト教のマイナス面を強調し過ぎた』」とお書きになりましたね」と申上げたら、「さう。だけど、今は竹山さんと同じ考へだ」とおつしやいました。かういふ點もいづれよろしく。

    「中国の『天』はどうかといえば、たしかに全能で創造神的な天帝への信仰は
    なんとなくキリスト教に似ているようにみえますが、その実、個人と『天』をつなぐようなものがほとんど見当たらない。たとえばキリスト教の原罪思想というからくりは、個人と神を常につなぐもので、その負い目から個人は常に神(天)に監視されるということになります。中国の『天』というのはそうしたものでは全然なくて・・・」ーーこれは重要なポイントですね。私も、かねてどこか違ふ、支那人について敬虔といふ形容はあり得ないと感じてゐましたが、このやうに捉へることはできませんでした。その視點に導いていただいただけでも、大變な得をしたことになり、感謝に堪へません。

    キリスト教徒も、支那人に劣らぬ殘忍・兇惡な振舞ひをします。でも、どこか支那の、何者をも恐れぬ、心底からのふてぶてしさとは少し違ふやうな氣がします。「監視」してゐる神の目を盜んでの惡事と、そんなものは全くなく、フリーに働く惡事との違ひでせうか。

    序でですが、「監視」に關聯して、カトリックには告解といふものがありますね。映畫などによく出てきて、私も教會で、カーテンに仕切られた、そのための場に何度か這入つてみたことがあります。あの告解を、西尾先生は嘗て「馬鹿げた(言葉は少し違つたかもしれません)こと」とおつしやり、私は同感でした。なにやら”からくり”のやうな、芝居がかつたやうな印象を受けたからですが、渡邊さんはどうお考へですか。

    キリスト教徒が南北アメリカ大陸や豪州を征服した際の、原住民虐殺などに
    は、人間に非ざる異教徒は改宗させるか殺すのが正しいとかなんとか、別の
    理屈があるのでせう。

    ユダヤ贔屓の私(理由は省略します)も、「イエルサレムの地を汝に與へむ。
    彼の地のエブス人を討て」といふヤハヴェのお告げには驚き、なんと勝手な
    !と、エブス人に同情を禁じ得ませんが、お告げには理屈があります。

    その點、理屈も何もない支那ーーおつと道教がありましたか。もつとも、その
    迷信性や現世利益性は、なにもないからこそ生じるものでせうーーが一番強
    いですね。誰憚ることなくといつた感じがします。

    と見てくると、支那人の惡はヤダヤ由來ではなく、ユダヤ人も顫へ上がるほど
    のものと言へるのではないでせうか。ヤハヴェのお告げなど待たずに、自分
    の好きな時に、好きなやうに殺していいのです。私が陰謀論の人々に言つたことはあながち間違ひではなかつたのではとも思はれます。

    「歴代の中国皇帝の大半が水銀中毒で亡くなっている」ことは、以前、蓬莱傳
    説の關聯でお教へいただきましたね。「水銀が不老不死をもたらす」とは、道
    教の迷信であつても、それが信じられた背景は、四方八方から來た夷狄が混
    じり合つて殺戮を繰り返してゐた現世があまりにもひどかつたからでせうか。

    ただ一點疑問なのは、それほどひどい現世に絶望した結果として、來世だの
    彼岸だのといふ考へが起きることはなかつたのでせうか。ほとんどの宗教は、
    現世に對する絶望から始まるのでせう。この世で救はれる見込みはない。な
    れば、あの世で・・・。イエルサレムの下層階級の怨念に火をつけることによ
    つてキリスト教は勢ひを得ました。支那の皇帝は別で、ひどい世の中でも、う
    まくやれば結構樂しい。永久に現世にゐたいと考へたのでせうか。下々には
    來世といふ思想が生じた(外來の佛教などは別として)こともあつたのでせう
    か。

    秦の始皇帝は徐福に水銀を盛られてゐたといふ説がありますね。徐福は不
    老不死の藥を探しに二度めの東方への旅に出てつひに歸らず、どこかの國
    の王になつたとか、始皇帝を瞞して、3000の人員と金員を得て亡命したの
    だといふ説もあるさうですが、あの國に、どんなことがあつても、我々は驚き
    ませんね。

    ネットで文革や天安門事件の動畫を屡々見ますが、思ひ出を語る支那人のほとんどは、アメリカに住んでゐます。亡命など、日常茶飯のことなのでせう。
    以前、石平さんの出版記念だかで、西尾先生が、彼が祖國を捨てたことを批判したと人づてに聞いたことがありますが、彼等には祖國といふ觀念がないか、あつても我々のそれとはかなり違ふのではないでせうか。今の中共の高官のほとんどが逃げる先を準備してゐるのも當り前と思はれます。

    支那には、徐福が神武天皇だといふ言ひ傳へもあるさうですね。

    「欧米の個人主義と中国の個人主義は似ているようでまったく似ていない」
    ーー完全に同感です。

    足利事件についての貴説、十分魅力的です。「スパルタ的な体育会系組織
    や戦前の軍隊内務班などで、・・・『善意の嘘』がまかり通つた」理由はそこ
    にありませう。「丸山真男みたいに、日本的自我が欧米に比べて未完成とは思いません」にも、100%同意します。

    「自分が容疑者になる=個人を放棄すればこの事件は丸くおさまる=社会の平穏は確保される、という究極の自己放棄に至ってしまったのではなか。・・・もし菅谷さんの『自白」という「過剰な嘘」の背後にこのような自己放棄あったのだとしたら、このような『自己』は、『未完成』なものではなく、『完成されすぎた』ものだからこそ可能なのではないか」(「もし」といふ前提がついてゐますね)にも、贊成です。

    ただ、大東亞戰爭で日本帝國の兵士が捕虜になつた場合、多くが敵に對してなんでもかでもぺらぺらとしやべつたとされることについては、ずつと考へあぐねてきました。なにしろ自分たちの組織の中を丸く收めるといふ話ではなく、敵に對して、味方が祕密にしておきたいことをもらすのですから。自我が「完成されすぎた」ためとは言ひにくい。

    愛國者鈴木敏明さんは、シベリアのラーゲリで示されたドイツ人捕虜と日本人捕虜の違ひなどを例に、日本人は「權威、權力に弱い」と手嚴しく批判されます。そして日本社會は「裏切り者や變節者に大變寛大」と評されます。私としてはあまりいい氣持ではありませんが、この日本男兒には反論もできずにきました。

    この點は自我の完成、未完成とは別の問題になるのではないでせうか。
    そして日本人といへども、必ずしも美點だけではないのではとも感じ、イ
    ヤーな氣になりますが、如何でせう。

    「日本人の『自己』は、しっかりと根をおろした共同宗教と、海外から入り
    (日本化されつつ)多彩な影響を与えてきた個人宗教によって培われたも
    のであり、少なくとも日本においては欧米や中国のレベルの個人主義は
    疾うの昔に克服されてしまっているのではないか」との御説には、謹んで
    同意します。

    西尾先生が地獄に墮ちるだらうと仰せになる現在の國情は、別次元のこ
    とでせう。できれば、その點もお教へを。

    近來稀な、いい勉強になりました。今囘の續きの御講話をまた賜ります
    やう、切にお願ひ申し上げます。

  11. 池田 様 渡辺 様

     「米中同一論」或は「欧米中同一論」に関するお二人のやりとり、大変興
    味深く拝読しました。「欧米中と我が国は全く違う」なら一体どう違うのか。

    そこにはやはり宗教が関係しているということで、渡辺様が、中国の現代
    ドラマ「三国志 Three Kingdoms」を例に出し論を展開、ドラマ内で多用さ
    れる「天」という概念に注目し、さらには「共同宗教」と「個人宗教」に言及
    されたのを読んで、「なるほどな~」と膝を打ちました。

     この「三国志」というドラマ、私は観たことがないので詳しくは論じられ
    ませんが、確かに最近の中国は、映画やドラマには、相当金を使い趣向を凝
    らしているようです。渡辺様が書かれたように「欧米受けするべく」制作さ
    れたというのも正解でしょう。
     というのも近年有料テレビなどで放映されている人気の欧州ドラマにも、
    同じ様な作品が見られるからです。例えば仏独制作の「ボルジア-欲望の系譜」
    (2011)は、15世紀のイタリアを舞台に、教皇の座を狙うロドリーゴ・ボル
    ジアを中心とした登場人物たちの、不倫や近親相姦、暗殺等何でもありのドラ
    マです。一部だけ観たのですが、ローマ教皇になる男が本当にこんなことまで
    したのか、と思いました。でもロドリーゴの娘で、有名なチェーザレの妹ルク
    レツィア役の女優はポーランド出身とかで、いわゆるハリウッド的な美人で
    はない所がリアルで、却って生々しさを醸し出していました。
     その他トルコ制作の「オスマン帝国外伝」(2011~2014)というドラマ
    もあり、youtubeの宣伝を見る限り、俳優や舞台装置・衣装も欧米の作品と
    大差なく、いわばトルコ版大奥の女の戦いドラマといった作品のようでした。

     ただこの「三国志」の話を伺う限り、そのスケールや描き方を想像するに、
    私などは、どうしてもソ連が健在な頃の映画「ヨーロッパの解放」(1970)や
    「戦争と平和」(1967)を思い出してしまいます。前者は、さっぱり記憶には
    ありませんが、ソ連軍の全面協力を得た7時間を超える超大作です。後者は
    ナターシャ役リュドミラ・サヴェーリェワが、14歳から実際に成人するまで
    待って撮影したという気の長い大作です。
     当時は、米ソ二大超大国の冷戦時代ですから、同じテーマを扱っても両国
    はそれをどんな風に描くのかと、観客はよく比較したものです。実際「戦争と
    平和」はハリウッド製もありますから、「オードリー・ヘップバーンのナター
    シャは合わないよね」とか「ソ連製は、知らない俳優ばっかりだけど原作に忠
    実だね」などの映画評がありました。とにかくソ連製は「大きいことはいい
    ことだ」を前面に出した作品が多く、観客もそれを素直に認めていたのです。

     一方現代は、当時のソ連と同様、自らを米国と並ぶ超大国と自認する中国
    ですから、エンターテインメントの世界でもそれなりの宣伝効果を狙うのは
    当然です。しかも米国は映画が一大輸出産業、そこを真似しない手はないわ
    けで、つい最近までハリウッドを丸ごと飲み込もうとしていた勢いは、彼等
    の意図が手に取るように分かる現象でもありました。

     しかし問題は、渡辺様が書かれた「欧米受け」という部分です。つまり
    まずは欧米を籠絡するのが先決であって、そこに我が日本は含まれていない
    わけです。
    この「三国志」は渡辺様をも魅了したくらいですから、その面白さは、私
    でさえ想像に難くありません。「中国人も本気を出すとこういうドラマがつく
    れるんですね」とお書きですが、西側諸国の映像作品を研究し真似するくらい
    はお手の物でしょう。私も以前中国製の時代劇のDVDを一部観たことがあり
    ますが、宮廷の女性が日本髪そのままのスタイルで出て来た時には、流石に開
    いた口がふさがりませんでした。でも中国はそのうち、江戸時代の女性の結
    い髪も中国から伝わったと言うようになるのではないでしょうか。

     話を戻して、中国人の立場で考えるなら、「欧米受け」狙いをすれば、後で
    「日本もついてくる」と考えるのは自然です。なぜなら欧米の作品を中国人よ
    りもずっと多く、しかも長く堪能して来たのは日本人の方であって、そこには
    「欧米でヒットすれば日本でも受ける」との読みがあるからです。もう一つ
    「自分たちの方が日本人より欧米に近い」との自負とも願望ともいえる心情が
    あるに違いないからです。

     最近私の友人も中国の時代劇ドラマ「孤高の花」にハマっているというの
    で調べたら、韓流ドラマのような美男美女が出て来ました。「三国志」のよう
    な激しさはないかもしれないけど、少なくとも女性を惹きつける魅力がある
    のはすぐに分かりました。主演はアンジェラ・ベイビーなる女優で、「アジア
    一の美女」という触れ込みで、ネット検索するとご多分に漏れず「整形疑惑」
    の記事が山ほど出て来ました。昔の写真から判断するに、やはり整形美女の
    ようですが、このほど中国の医療機関から正式に「整形の跡はない」との証
    明書が出されたとかで、大事な映画スターには顔の作りにまで「国のお墨付き」
    を与える程、「国家的事業」には力を入れているんだな、と感心しました。
     いずれにせよ私などからすると、中国の映画やドラマはどこかしら偽物
    臭さが漂って、本物と見紛う豪奢な舞台装置も、裏を見るとベニヤ板だった
    りして、がっかりするのと同じ感覚なのですが、そんな作品を観て中国ファ
    ンになる人もいるので油断はできません。

     それに肝心の自国の映画やドラマはどうなんだ、と言われれば、得意の
    アニメ部門以外は、特に発展途上国では「おしん」が人気を博したと聞いた
    ことがあるくらいです。その他映画祭で賞を取った作品はいくつかあっても
    「三国志」や「ボルジア」のような作品を我が国が作れるとも思えません。
    なぜなら、どんなに迫力ある戦闘シーンがあっても、最後にはそうした場面
    の効果をすべて水の泡にしかねない「平和」という言葉を入れずには済まな
    い現代日本のドラマ作りの決まりがあるからです。当の我々日本人が、そう
    した作品に感情移入できずにいるのに、まして外国人がそんな作品に歓喜
    するわけがありません。

     というわけで、渡辺様もよくある中国シンパのように、二言目には「だか
    ら日本はダメなんだ」式の言い草に流れるのではないか、と勝手にハラハラ
    していましたところ、流石に渡辺様はそこまで軽薄ではありませんでした。

     中国の「天」は一見キリスト教の神に似ているが、欧米ではキリスト教が
    共同宗教でもあるのに対し、中国では個人と「天」をつなぐものが見当たら
    ない。こうした事情が、欧米では冷酷悲惨な個人主義があっても、多彩な
    心理描写や華やかな芸術表現に結実しているのに対し、中国では現世利益的
    な面が圧倒的だ・・・このように書かれたと思います。
     なるほど、現代中国の様々な面を見て、我々日本人がどことなく違和感を
    感じるのは、そうした宗教的な背景があるのか、と納得しました。

     さらに「日本的自我」に話が及ぶと、伝統的な「日本人は自我が確立して
    いない」論どころか、「日本においては欧米や中国のレベルの個人主義はとう
    の昔に克服されてしまっている」とのご指摘、読んでいて思わず笑みがこぼ
    れました。それだったら何も「欧米中」に劣等感を持つ必要はないじゃないか、
    と思うからです。
     
     さて「共同宗教」と「個人宗教」のことは、田中英道さんの動画でも論じ
    られていたのを思い出しました。田中先生の「天孫降臨とは何であったのか」
    「日本の起源は日高見国にあった」「高天原は関東にあった」などを読むと、
    古代、東北関東を中心に栄えた縄文文明の母系制社会である日高見国の神々
    が、不穏になってきた西日本を含め列島全体を統一する必要性により、鹿島
    から鹿児島に天孫降臨してから後も、関東より多くの兵士が九州に送られた。
    遠く故郷や家族から離れた防人たちの精神的なよりどころとなったのが仏教
    であり、これが日本における個人宗教である。こうして我が国においては、
    共同宗教である神道と個人宗教である仏教が仲良く共存してきた、という
    のが田中先生の話でした。
     また相手を絶滅させるという仕業は選ばない伝統があるからこそ、我々
    日本人は「三国志」や「ボルジア」のような激しいドラマは作れないので
    しょう。

    しかし渡辺様が書かれたように「日本人にとって思想とは内在的なもの
    である」からこそ、穏やかなはずの日本人が、時に信じられないくらい強い
    行動をすることがあるのではないでしょうか。
    渡辺様が例に出されたのが、足利事件の菅家さんの(恐らくそれで丸く収
    まるであろうと考えた)嘘の自白です。
     私が思い浮かべるのは、この前の戦争の特攻隊員や、ビルマなどにおいて
    日本兵が軽装で刀を片手に、英軍戦車に肉迫せんとする凄まじい勇気です。

     ただもし「思想が内在的なものである」としたら、我々はその思想を映画
    やドラマにするのは非常に難しいのではないでしょうか。本当は家族や祖国
    のためであるという優しい心であるのに、表面の行動は非情で激しいもので
    あれば、そうした行動の意味を外国人が理解するとは限らないからです。

     こうして考えてみると、最近の日本のテレビドラマや映画が面白くない
    のも頷けます。共同宗教であるはずの神道もちゃんと教育の場で位置づけ
    られず、初詣その他の年中行事を何となく執り行うだけでは、子供たちも
    神道の意味を理解するはずもなく、強いては皇室の存在意義も理解できる
    わけがないからです。また個人宗教たる仏教も今や下火、キリスト教や各
    種新興宗もが乱立している今、国民がまとまるような共通の感情など持て
    るわけもありません。こんな所に、列島全体がハッとするようなドラマや
    映画が成立する方が不思議です。
     そんな中、隣の大陸や半島のように「嘘でも国策映画」を作る国家意思
    がない以上は、当分我々も、外国から買ったドラマや映画をその場しのぎ
    で観る他はないのでしょう。

     映画やドラマの話になると、ついつい本来の話題とは関係のない駄弁を
    弄するくせが出てしまい、大変失礼しました。
     

  12. 黒ユリ 樣

    映畫、ドラマについての大熱辯、興味深く拜讀。驚いたり、感心したり(大變
    な蘊蓄ですね)、しかし一部チンプンカンプンだつたり・・・。まあ、これはしかたのないことです。なにしろ、映畫といへば自分はーー
    パソコン・テレビで、huluやYouTubeの映畫が見られるやうな仕掛けに、優しき甥がしてくれましたが、見るのはほとんどが小津映畫の繰り返し。小津作品にも、社會的テーマや問題意識の露はな、感じの惡いもの(「風の中の牝鷄」など、小津自身も後に嫌つたさうですね)があるので、それを避けると、ほんたうに數は限られます。洋畫も懷しの名畫ばかり。新着のものに
    手を伸ばしたことはありません。そんな私ですから、御高話に蹤いて行けなくて當り前です。
    歌舞伎、新劇、新派などは・・・特にお話するほどのことはありません。最低のリスナーですね。すみません。ただ一番樂しむのは松竹新喜劇(吉本新喜劇にあらず)であることだけは申上げておきたいと存じます。

    渡邊 樣

    「日本人といへども、必ずしも美點だけではないのでは」と書き、これは當り前のことですが、捕虜になつた日本軍兵士のことについては未だ結論を得てゐません。
    拙論の本旨は、日本人は近代になり大變質し、多くの美質を失つたといふことですが、彼等がペラペラ喋つたのは、その結果の一環か、もしくは美質は殘つてゐても、近代の仕組みではそれが活きないのか、將た又、古今東西に共通する人間のサガで、日本人には特にそれが甚しいのか・・・。
    どれが正解でせうか。

  13. 変な個人的思い出ですが、自分は大学受験で東京のホテルに何日か連泊したとき、すでに嘴の黄色い文学青年でしたから(その割には受験校は法学部ばかりだった)夜緊張して寝られなかったときに備えて、それまで読んでいなかった純文学の小説を二冊もっていったんですよ。大江健三郎の「万延元年のフットボール」と遠藤周作の「沈黙」の二冊です。

    宿泊初日、予想通り寝られなかった私はまず大江の「万延元年のフットボール」を読みました。大江がノーベル賞を受賞する三年前のことです。この作品の読後感といったら、私の生涯でもワースト5に入るくらいの最低の小説という感じで、なんともいえない不快感、不満足感の連続、早々に読み終えるとさっさと寝てしまいました。そして翌日の晩、前日よく寝られたせいかその日の出来がよかったせいかますます目が冴えてしまい手に取ったのが「沈黙」でした。前日とまったく正反対、読み始めたらとまらなくなってしまい、読み終えての深い感銘がゆえにまた再読したりで、とうとう夜明かしして受験にいく羽目になったことを今でも昨日のことのようにおぼえています。

    これは三島由紀夫が武田泰淳(武田泰淳は仏教僧でもある)との対談でいっていることですが、「宗教小説」というものは、「信仰の崩壊」を描かなければならない原則があります。「信仰の成就」を描いても小説にはなりません。そしてそれを信仰者が執筆する場合は、信仰者が「信仰の崩壊」を描くという背理がないといけない。この「沈黙」は見事にその原則と背理を徹底している大傑作といっていいと思います。

    圧巻はなんといっても小説最後半での(棄教して行方不明になっていた)フェレイラ元神父と、棄教を迫られるロドリゴ神父の長い討論ですが、フェレイラの次の言葉は今でも私の中に鮮明に記憶されています「知ったことはただこの国にはお前や私たちの宗教は所詮、根をおろさぬということだけだ・・・(中略)この国は沼地だ。やがてお前にもわかるだろうがな。この国は考えていたより、もっと怖ろしい沼地だった。どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐り始める。葉が黄ばみ枯れていく。我々はこの沼地に基督教という苗を植えてしまっただけだったのだ」いうまでもなくこのフェレイラの言葉は、いかなる外国宗教や外国道徳もこの国に流入して定着したその瞬間から、「日本教」あるいは「天皇・皇室教」といってよい日本化を施されて原型をとどめなくしてしまう、という文化論を意味しているのですが、私はこれは池田様の質問のお答えにもつながるものだと思うのですよ。

    捕虜になった日本兵がどんどん自白してしまった、あるいは天皇崇拝を捨ててしまったという「豹変」についてですが、まず比較論からいえば、ドイツの戦犯や民衆にしてみても、丸山真男はゲーリングという特殊例をあげて「ドイツは堂々としている自我がある」なんていいますが、実際はドイツは本土決戦において、各地の市長がはやくに降伏したいのでアメリカ軍司令部を探しまわってるありさま(沖縄の民間人の抵抗となんという違いでしょうか)、また高級戦犯もゲーリングのみは例外で、ほとんどの面々はヒトラーやすでに死んだボルマンやハイドリヒたち高級幹部に押し付けているというのが実情、一般ドイツ兵士たちも我先にと「自白」や「なすりつけ」をしています。加えて比較論以外の面についてですが、確かに日本兵たちもドイツ兵と同様の豹変をしましたが、これは個々の例をみると異様なレベルのものが多い。つまり単に自分が助かりたいための個人主義的意味での豹変ではなく、「日本」「天皇・皇室」に代替する「命がけの対象・信仰」ものを、アメリカ軍やソ連軍に見出すという「豹変」なのではないでしょうか。

    これは兵隊だけでなく民衆もそうですが、当時、シベリア抑留者に「スターリンに捧げる歌」とか「スターリンに捧げる詩」なんていう気恥ずかしいものがたくさんあった。日本の一般民衆のマッカーサー崇拝の異常さも同じようなものです。野間宏なんていう作家は「我が愛するスターリン」なんていう詩を書いている。ソ連軍やアメリカ軍は日本人に、共産主義やアメリカニズムを植えつけることが容易に出来たと歓喜したに違いありません。けれど彼らの歓喜におそらくフェレイラは冷笑するに違いありません。日本人たちが豹変したのはあくまでこの「沼地」の中での小さな嵐のような出来事、日本人の中の相当数の勘違いしやすい面々が、「日本教」「天皇・皇室」を、「スターリン」「マッカーサー」へと気の迷いで(しかし信仰エネルギー自体が強いがゆえに)信仰転換したに過ぎないというべきです。結果、兵士や民衆の豹変によってこの国にもたらされた「アメリカ」や「ソ連」はどうなったのか。アメリカニズムが日本に定着したとはいえず、共産主義のご本家の日本共産党にいたっては象徴天皇制を掲げる日本国憲法を死守しろなどという日本化(フェレイラの言葉をかりれば泥沼化)を遂げてしまっています。

    日本人は確かに戦国時代、数多くのカトリック信者が現れました。しかし信者のほとんどは、それまで日本に強固に存在していた浄土宗・浄土真宗系の仏教の「浄土」とカトリックを混同しただけで、その混同が意識されると次第にカトリック信仰からは離れてしまいます。信者の中にはローマ法皇が妾に子供を産ませどこそこの王にその子供を任官したりしていることを知り棄教したり、また「告白」の制度がまったく理解できなかったりした人間もいたといいます。同じことを捕虜の勘違いの日本兵にあてはめれば、天皇・皇室がもつ父権的な面をスターリンやマッカーサーに空想的に感じただけで(「見えにくい天皇」が「見えにくいスターリン」「見えにくいマッカーサー」に転じた)、そんなものは長続きするはずもなく、その後の日本のどこにもスターリンやマッカーサーの神社も崇拝施設もつくられることはなかった。皆さん、気の迷いに気づいて「日本」「天皇・皇室」という、(広大かつ深遠な)「沼地」に戻っていったのではないかと思いますが、いかがなものでしょうか。

  14. 池田 様

    「日本人捕虜」については、Bruxellesさんも書かれてましたね。ソ連
    ではなく中国のですが。確か、毎日毎日同じ文章を「学習」させられて、
    日本人捕虜の中には、「もう聞きたくない、気が狂いそうだ」と言って自分
    の耳を削いでしまったり、自殺したりした人がいたと書かれていたと思い
    ます。でもそんな中、「適応して」生き残って帰国し、その後「中共の犬」
    となり活動した人たちがいました。

     鈴木敏明さんが、シベリアのラーゲリにおけるドイツ人捕虜と日本人捕虜
    を比較して、日本人は「権威・権力に弱く」、日本社会も「裏切者や変節者
    に大変寛大」と評された、と書かれました。
     そんな話を聞くと、私も嫌な気分になるし、やっぱりその通りかもしれな
    い、とも思います。
    ドイツ人のことはよく分かりませんが、外国では外の階級が軍隊にもそ
    のまま反映するそうですから、捕虜になったドイツ人がどの階級に属して
    いたか、に関係があるのではないかと思いました。

     でも私は思うんです。日本以外の国の人たちは、自国の裏切者や変節者
    を、社会から抹殺するほど非寛容なんだろうか?って。
    もし、こんな連中がいること自体が祖国の恥なのだから、そんな状態は耐え
    られない、とするなら、彼等を全部殺してしまえばいい訳です。或は、実質
    的に社会から抹殺して、「いないことにする」手もあります。
    このような社会だったら、裏切者や変節者はもう祖国にはいられないと
    観念するだろうから、自殺するか、外国に行くしかないでしょう。
     でも今書いていて気付いたのですが、そんな厳しい社会とは、ひょっと
    して隣の大陸みたいなところかもしれないと思いました。

     話は変わりますが、以前TVのニュース番組だったか、中国人が日本人を
    買収して企業秘密を盗んだ事件(だったと思いますが)で、騙し役の中国人
    女性が「日本人はお金に弱いね~」と、声だけのインタビューに答えていた
    のを見た事があります。
     私はこれを見て吹き出しました。なぜなら「金に弱いのはお前だろ」と
    思ったからです。
     こんな女の話を真に受けるから騙されるのだろうし、ましてそんな女の
    言うことを聞いて、だから「日本人は金に弱い」などと「反省」したら、
    ますます舐められるだけでしょう。

     現代の日本は、拉致実行犯やその協力者ですら日本国籍を取ってのうのう
    と暮らしているそうですから、「寛大」なのは自国の裏切者や変節者に対し
    てだけではありません。
     何せ戦後の日本は、何よりも「生命第一」ですから、人殺しであろうが
    幼児虐待者や変態であろうが、とにかく命だけは容赦してくれるのだから
    「厳しい国」から来た人たちにとっては天国でしょう。

     だんだん話が逸れていってしまって申し訳ありません。とにかく何を言い
    たいのかというと、ソ連であろうが中共であろうが、そんな「人を食って
    (文字通り人を食べて生きていると言っても過言ではない)」生きている
    連中に「洗脳」されて、「変節してしまった」日本人がそんなに非難される
    べきか、と言いたい訳です。
    正直に言うと、私がもしその立場にいても、洗脳されないという自信はあ
    りません。それもこれも「死にたくない」からだし、もしもっと冷静になれ
    たとしても、「洗脳されたふりをして、早く帰国させてもらおう」などと思う
    かもしれない。まあ最初に書いたように、ノイローゼみたいになって気が狂っ
    てしまうかもしれませんが。

     いずれにせよ、現代だから言えることかもしれませんが、「洗脳している
    連中」だって、生き残るために、どんなに汚い手や変節を繰返してきたか
    分からない訳ですから、少なくともそんな連中から「日本人は・・・」と
    言われる筋合いは全くありません。

     今、世界中の富と権力は、ほんの一握りの連中が握っているということらし
    いので、もしそうだとすれば、そんな連中は、自らの汚くて醜い点は全部隠
    して、「自分たちは優秀で、素晴らしい理想をもち、卑怯な手は一切使わず、
    これまでも世界に貢献してきたし、今後も人類を救う存在である」と、いく
    らでも宣伝できる訳です。しかしそんな言い草を信じるのは、よほど初心な
    人であって、それを疑ってかかるのが現代人の良心というものです。
     「欧米の文明は素晴らしい」、「中国人の大人(ダーレン)は日本人と違い
    スケールが違う」等々、どれも我々が思い込まされてきた嘘っぱちなのでは
    ないでしょうか。内外の知識人によって広められてきたこうした考え方に
    よって、庶民は縮こまってきました。でも現実はそうでもないことが、だん
    だん分かってきた・・・

     卑近な例を申すと、「人を食う」人間とは、普通の人間関係でもよく見ら
    れるのではないでしょうか。自分の経験から言っても、彼等の自分勝手さと
    いったら、自分のことは棚に上げて人を操作する術に長けていて、権力に
    なびき、如何に得をするかを常に考えているのだから、そんな人間を上に
    持つことほど不運なことはありません。少なくともそんな連中に「騙され」
    たからといって、卑下するよりは、今後はそういう連中にどう対処するか
    を考えた方がいいのではないかと思います。

     それより、日本社会が昔から寛容だったのは、どこの家系にも一人や二人、
    精神異常者や障害者がいたりしますが、一家で保護して暮らしてきたという
    習慣の名残りではないかと思います。
     人間は弱いし完璧ではないことを知っていたのが日本人ですから、共産圏
    に洗脳された人間に対しても、「あの人も大変だったし、ああなっても仕方
    ないよね」などと許してしまってもおかしくありません。
     
     ただし自分たちの命に係わる問題、例えば拉致問題、オウム真理教に代表
    されるテロは、一般の日本人にも、それらに関わった存在を許すかどうかに
    ついて真剣に考えさせた・・・、現にこれらの問題に関わって活動し続けて
    いる人々がいます。そんな現代危急の問題が解決しないのは、政治の問題で
    あって、日本人が本来持っている「寛大さ」とは別だと、私は思うのです。

     近年の、国内の様々な問題が放置されて、多くの人がイライラしている
    ことでしょう。先日の香港の大規模なデモを見ると、本国の静けさが恨め
    しく、苦々しく感じる人も多いでしょう。でも、ここでまた「やっぱり、
    日本人はだめだ~」と言ってしまったら負けではないでしょうか。

     長々と書いてしまいましたが、ソ連や中国の収容所で洗脳された日本人
    は本当に悲劇だと思います。生きるか死ぬかの瀬戸際で、ギリギリの選択を
    突きつけられる訳ですから、それに対してどんな反応をするかは、本人で
    すら分からなかったに違いありません。こんな目に遭わなかった人間は、
    自分は幸運だったと思うべきだと思います。

     また呼ばれてもいないのに、横から口出しして失礼しました。

  15. 渡邊 樣

    御多忙のところを、早々の續講。ありがたく存じます。

    段々と難しく、しかし核心に一歩近づいたやうな氣がします。一讀、さうだつたかとハッとしたり、うーん、その點は大昔から考へてきて、未だにどうとも言へずにゐる等々ーー御講話に接して思ひは樣々です。
    貴文を再讀しつつ、それらを申上げさせていただきます。その作業が實に樂
    しく、しかも、途中でふと氣づくことがあつたり、ここで自分の考へが發展したと感じることがあつたり、有益です。至福の時であり、こんな機會は滅多に得られるものではないと、感謝に堪へません。御迷惑をも顧みず更なるお教へ
    を請ふゆゑんです。

    受驗のための宿に本を持參された、就中、一册は大江健三郎の小説とは!
    私にとつては、想像を絶する椿事といふか快擧といふか、感想がまとまりさう
    もありません。

    私が最初に接した大江の小説は、開高健の「裸の王樣」に敗れて芥川賞を逃
    した「死者の奢り」です。1ページ半くらゐ讀みました。なんといふ氣障・いやみ! 先に進む氣には到底なれませんでした。選者の佐藤春夫も同樣のことを言つてゐたと思ひます。たしか「死者の奢り」といふ題からして、いやらしいとも評したと覺えてゐます。でも、佐藤春夫も、大江の素質は認めてゐたやうな氣がしますが、どんな素質か、私にはさつぱり分りませんでした。

    次囘の芥川賞を取つた「飼育」も、1ページくらゐで、放り出しました。誇張ではなく、作者のポーズの不潔、穢はしさに堪へられなかつたからです。佐藤春夫も、今度の授賞は認めたのでせうか。なんと評したか覺えてゐません。

    以後、彼の文章を讀んだことはありませんが、その言動はテレビなどを通じて
    傳はり、一々がほんたうにイヤらしく感じられて、仲間には、大江のことを蟲けらと呼んでゐました。政治的發言も傳はつてきました。

    昭和45年に、私は自分の編輯する雜誌で、對談相手に、大江の「日本國憲法
    の戰爭放棄や主權在民は自分の日常生活における基本的モラル」といふ發言
    を、氣違ひの寢言と評しましたが、それは西尾先生からの請け賣りでした(先生は、「そんなことを言ふ大江はデマゴーグを勇氣づけるだらう」といふやうなおつしやり方をされたのですが)。

    序でに言へば、ずつと後に、西尾先生とお話してゐて、やはり大江を罵りましたが、後で、しまつた、あれは先生がおつしやつたことだと氣づき、2年くらゐ經つてから、「御本尊に向つて請け賣りをしてしまひました」とお詫びしたところ、「まあ、いいさ」と笑つて許して下さいました。

    しかく、大江の俗衆におもねる才能は拔群ですね。それに、あのポーズ!60
    年近く前、ある婦人雜誌で水谷良重(今の八重子)との対談で、「僕、本當は慶應に行きたかつたのです。だつて慶應ボーイつてカッコいいぢやないですか。東大に行ったのは親孝行のつもりです」と言ひました。なんといふ嘘!東大が得意でしかたないことは、顏に書いてあります。ああいふ嘘をどうして、世間は見抜かないのか。あれに瞞されるほどチョロイのが世間なのでせうか。

    當時、英語と日本語の教へつこをしてゐたAmericanに、大江について、”He always gives himself airs.”(いつも、氣取つてゐやがる)と講義したことがあります。進歩的な彼は不滿さうでした。ノーベル賞を受けた時は、なるほどノーベル賞らしいと納得しました。

    「万延元年のフットボール」、有名な小説のやうですが、題を聞いただけで寒けがします。佐藤春夫がゐたら、なんと言つたことか。

    渡邊さんが「不快感、不満足感の連続」だつたのは當然ですが、よくぞ「読み
    終え」られましたね。私には驚異ですが、よほど心がお寛いのか、私が狹量に過ぎるのか・・・

    遠藤周作「沈默」は、私も感銘深く讀みました。

    「宗教小説」というものは、「信仰の崩壊」を描かなければならない原則があります。「信仰の成就」を描いても小説にはなりません。ーーと、たしか以前、奧樣のブログでお教へいただきましたね。あれは三島の説ですか。

    三島の似たやうな説で、強い印象を受けたものがあります。正確な言葉は覺
    えてゐませんが、「大問題は小説のテーマたり得ない」といふのです。「にもかかはらず、堀田善衞の小説では、常に大問題が扱はれる」と三島は笑ひまし
    た。

    堀田を西尾先生が大層嫌はれ、從つて、私も嫌つてゐましたので、餘計、この評を受け容れ、深く首肯したのでせう(因みに、昭和37年に私が初めて讀んだ、先生の「雙面神脱退の記」といふ文章は堀田のアホらしさを完膚なきまで叩いてゐます)。
    この三島説も、武田泰淳との對談で言はれたのかもしれません。

    さて「沈默」に感銘を受けつつ、一方で考へたのは、この苛烈・深刻なドラマが本當に日本で展開するのだらうかといふことでした。信仰→彈壓・棄教の勸め→峻拒・神の榮光に滿ちた殉教への期待→そのために、既に棄教を誓つた民
    までが拷問を受けて發する呻きを聞いた驚き→踏繪の中のイエス曰く「踏むが
    いい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知つてゐる。踏むがいい。私はお前
    たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛みを分つため十字架を背負ったのだ」ーーこんなドラマティックな進行が日本で可能だらうか(フェレイラやロドリゴが日本人でないにしても)。あの徹底した彈壓・拷問を日本人がやるだらうか・・・
    まあ、よくも惡しくも、日本人は徹底しないといふ先入觀があつたのでせう。

    「沼地」についても、考へましたが、どうといふ結論は得られなかつたと思ひます。今、「いかなる外国宗教や外国道徳もこの国に流入して定着したその瞬
    間から、『日本教』あるいは『天皇・皇室教』といってよい日本化を施されて原型をとどめなくしてしまう、という文化論」との仰せはよく分ります。そして、その前の段階で、「定着」させまいと決意した場合は、徹底的に彈壓したのですね。

    絶對に許さないか、日本化することを絶對條件とした上で許すか、どちらかと
    いふことでせうか。さうかもしれませんね。迂闊にも、日本人にそれほどの絶
    對性・徹底性・合理性ありとは思ひ設けませんでした。これからも、感覺的に
    しばらくは馴染めさうにありません。

    西尾先生は近代日本が信教の自由を認めたにもかかはらず、日本人が事實上キリスト教を峻拒したことを多とされてゐますね。また古代以來、佛教を日本に合ふやうな形で取入れてきたことについても、概ねプラス評價されてゐるやう
    で、私はいづれも納得したつもりでした。

    しかし先生がヨーロッパの技術文明について、(先に引用したとほり)「自分の意志で着たり脱いだりすることのできる衣裳ではない。いったん着用におよべば、着た人の身体ばかりではなく、その魂までをも変形させる不気味な力をもったものなのである」とおつしやつたことは、そつくりそのままといふよりも、それ以上に宗教・信仰について、あてはまりませう。

    ○○教の教義の一部をつまみ食ひ的に輸入したり、飽きたから××教に取り替へるといつたことは不可能でせうし、敢てそれをやれば、どんな祟りがあるかしれません。それらについて、自分でも少し考へてみるつもりですが、上記の「・・・という文 化論」とのお説も含めて、何かヒントをいただくか、綜合的な御講義をーー圖々し過ぎますね。

    「『日本』『天皇・皇室』に代替する『命がけの対象・信仰』ものを、アメリカ軍やソ連軍に見出すという『豹変』」ですか、なるほど。

    「皆さん、気の迷いに気づいて『日本』『天皇・皇室』という、(広大かつ深遠な)『沼 地』に戻っていった」のですか。さうかもしれませんね。そして、そのなれの果てが現状だとすると、心細くなつてきました。

    『保守の怒り』(渡邊さんは『保守への怒り』が正しいとおつしやいましたね。私も同 感です)の中で、

    平田 見ていると、多くの後進国にいる上流階級、おセレブの姿にしか見えないですよ。長い歴史を持つ神話からつながっている皇室というのではなくて・・・・。
    西尾 後進国の上流階級のセレブみたいなものになっちゃっていると、私も東宮家を見ているとそう思うんですよ。

    と言はれてゐた以上には思へません。その上で、今は「皆さん、気の迷い」はないといふ現状に不貞腐れたり、目を逸すのもよろしくない? おつと、臨床醫ならざる渡邊さんにお訊きすることではないですね。

    西尾先生は 「いったい日清・日露までの日本はなぜ自分の羅針盤ひとつを頼りにして、なんとか国を亡ぼさずに大過なく生き延びることに成功したのだろうか」と、あらゆる近代的裝備を備へながら、亡國(大敗戰)に至つたその後の日本とを比較なさりながら、「自分の過去を否定したり反省したりする利口な人間がいなかったからだ。自分の過去を善悪二つに分けて生きるような閑人がいなかったからだ」として、歴史に線を引くことをお許しになりません。

    そのお考へに共感する者で、特に過去の否定や反省はイヤですが、時に、線を
    引きたくなることもあります。繰り返しになりますが、森鴎外・夏目漱石と志賀直哉・武者小路實篤との間には、引かなくとも、はつきりとした線が存在するのではないでせうか。線といつて惡ければ斷絶が・・・。私が後者に対して
    (彼らの個人的資質は別にして)、侮蔑の念を禁じ得ないことは申すまでもありません。

    ただし、それを強調し過ぎると、先生のお嫌ひな(もちろん私も嫌ひです)司馬史觀に似てきて、先生に叱られる恐れがあります。私は叱られるのには慣れてゐるつもりですが、叱られない方がいいので、時々配慮します。

    『自由と宿命ーー西尾幹二との對話』で、「マッカーサーが日露戰爭のときの日本の軍人と大東亞戰爭のときのそれを比較して『とても同じ國の軍人とは思へない。前者は、たとへ教育のない者でも、肝心な點はきちんと判斷するだけの常識があつた。それが後者にはまるでない』と言つたのは有名で、明治以降の日本の歩みを象徴するやうな話だと思ひます」と言つたのはよかつたのですが、そのあとに、「先生がお嫌ひな司馬史觀はつまるところ、このマッカーサーの請賣りだつたのでせう」と付け加へたのは過剩配慮で、前後のつながりがよく分らないことになつてしまひました。

    先生に叱られない程度にもう少々。

    三島由紀夫は鴎外の「文つかひ」を評して、次のやうに言つてゐます。

    「をりをりの人の肩のすきまに見ゆる、けふの晴衣の水色のみぞ名殘なり
    ける」
    といふ、餘韻に充ちた結句は、私の心に鮮明に燒きついてゐる。
    これは明治前半の日本が、西歐のロマンティシズムの現場にやうやく間
    に合つて驅けつけて參加したところの最後の證言のやうなもので・・・鴎外 以後の日本の文學者は、二度とこのやうな、身みづから西歐の物語的世界に
    身を置く幸運にめぐり合はず・・・

    「文つかひ」も美しいが、これを偲んで日本の宿命に寄せる三島の思ひも、哀しく美しい。明治前期への三島の憧憬は甘美にしてせつない。

    三島が(決まり切つたことと考へたせゐか)敢て言はなかつた「あれが『最後』」になつた理由は、通俗的にまとめれば、
    ①鴎外は辛うじて、西洋の正統に觸れたが、以後の日本人が接したのは頽廢
    した西洋、異端の西洋であつた。荷風があれほど心醉したフランスでさへ、必
    ずしも本物ではなかつた。
    ②封建時代に育つた日本人にのみ、西洋の神髓を感じ取つたり學んだりする
    ことが可能で、その次の世代はその能力を缺いてゐた。
    といふことになりませう。

    西尾先生に、この「鴎外が最後」といふ三島説をぶつけてみたところ、
    「鴎外だつて、滯在したのは、既にニーチェが告發してゐた時代のドイツだ。文明の衰弱と同時に尊大なる頽廢が激しく叩かれてゐたにもかかはらず、さういふドイツは鴎外には見えなかつた。だから、どこかの町でニーチェと鴎外はすれ違つてゐたかもしれないけれども、さういふことは目に這入つてゐなかつた」と一蹴されてしまひました。

    しかし、西洋と近代日本とのことは、我々をして無限にものを思はしめます。

    御好意に重ねて御禮申し上げ、次なるお教へを期してお待ちします。

    黒ユリ 樣

    Bruxelles さんがそんなことを書かれましたか。私は讀みませんでした。
    捕虜の問題には微妙なことの絡み合つてゐる場合が多く、迂闊には論じられ
    ませんね。

    Bruxelles さんは、紹介される前に病名を教へられてゐたので、お亡くなりになつた際、さしてショックはありませんでしたが、今となつては、もつと、あれこれお教へいただいておくべきだつたと後悔してゐます。
    「自分は安倍批判で友人をほとんど失つた。あなたはほどほどに」などと忠告して下さりながら、ガンガン反安倍を吹込んでくるので、すつかり洗腦された結果、あちこちで爪彈きにされ、ひどい目にあひました。
    でも、安倍亡國神輿を擔ぐ(もしくは、擔ぐのを止められない)人々の生態や心理がよく見えるやうになつたことはプラスで、感謝してゐます。
    「左翼など問題ではない。安倍さん萬歳!日本を守るぞと氣勢を上げてゐる勢
    力こそ、日本を滅ぼす」といふ女史の教へは、愈々眞實味を増してゐます。

  16. 渡邊 樣

    「・・・『知ったことはただこの国にはお前や私たちの宗教は所詮、根をおろさぬということだけだ・・・(中略)この国は沼地だ。やがてお前にもわかるだろうがな。この国は考えていたより、もっと怖ろしい沼地だった。どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐り始める。葉が黄ばみ枯れていく。我々はこの沼地に基督教という苗を植えてしまっただけだったのだ』いうまでもなくこのフェレイラの言葉は、いかなる外国宗教や外国道徳もこの国に流入して定着したその瞬間から、『日本教』あるいは『天皇・皇室教』といってよい日本化を施されて原型をとどめなくしてしまう、という文化論」

    との仰せに多少關聯するかもしれないことを少々思ひつきました。
    (一)誰だつたか(西尾先生のお嫌ひな、あの人だつたかもしれません)が、日本の蜜柑の苗をカリフォルニアに持つて行つて植ゑると、何代か後には、オレンジに似てくる、と言つたやうな氣がします。

    (二)日本といふ沼地の強烈な特殊性は別として、一般論では、外國のものが這入つて來る際、日本側には三通りの意志がありえませう。
    (A)一切變質させず、元のまま入れる。
    (B)あらかじめ取捨選擇し、その上さらに、日本に合ふやうに變へて入れる。
    (C)絶對に入れない。

    その結果は、意志どほりに進むか、あるいは、意志に反して
    (Aー2)變質して這入る(もしくは、這入つてから変質する)。
    (B-2)全く變らず、元のまま這入る。
    (C-2)反對を押しきつて這入る。
    の四通りでせうか。

    這入つて來た結果、日本が幸福を得ることも不幸になることもありませうが、それには日本人の資質が大きな力になりませう。
    今、鴎外「青年」の次の一節を思ひ出しました。
    明かに漱石がモデルと思はれる拊石についての記述です。

    話題になつてゐるのは、今夜演説に來る拊石である。老成らし    い一人が云ふ。あれは兔に角藝術家として成功してゐる。成功と    言つても、一 時世間を動かしたと言ふ側でいふのではない。文藝    史上の意義でいふのである。それに學殖がある。短篇集なんぞの    中には、西洋の事を書いて、西洋人が書いたとしきや思はれない    やうなのがあると云ふ。・・・

    最後の2行にポイントがありさうです。鴎外自身が西洋人であるとしきや思はれないやうに書き、喋つたことも、廣く知られてゐます。

    反西洋的色彩が濃く、最後まで封建道徳への執着を捨てなかつた二人が實は、最も西洋に通じてゐたといふ逆説こそ、近代日本の宿命について、眞實を示してゐるのではないでせうか。つまり、眞の日本主義も、西洋文化・文明を自家藥籠中のものにして初めて成立するのです。

    古代においても、多分同樣だつたのではないでせうか。”交用音訓”により「日本語を書く方法をなんとしても確立したい」との決意を實行して、西尾先生から讚へられた太安萬侶も、支那人以上に見事な漢文を書き、標準的支那語を流暢にをしやべつたのではないでせうか。隋や唐への留學生のことを斷片的に讀んだことがありますが、その邊のことをもう少し教へていただけないでせうか。

    キリシタンはどうだつたのでせう。遠藤周作の「沈默」や、同じく遠藤の、雲で演じられた戲曲「黄金の國」には感銘を受けましたが、耶蘇教の神髓を窮めたがゆゑにこれを峻拒した日本人が登場したか否か記憶がありません。

    まあ、小説や芝居はどうでもいいのですが、日本キリスト教史には如何に記されてゐるのでせうか。

    勝手な質問を竝べ立てて申し譯ありません。即答はもちろん期待しません。お手すきの際にぽつぽつとでも・・・。失禮の段、重ねてお詫びします。

  17. 漢字文化のことはあまり詳しくないのですが、ここ三年ほど、薬学と食文化の歴史のことに関心がありまして、薬学史論のことは以前少し雑誌に記しいずれ書籍にしようと思い出版を募集中、食文化史のことは原稿は完成し出版元は内定しているのですが諸般の事情で出版が遅れてしまっているのですが、この二つ、「薬」と「薬学(医学)」の日本での歴史を追うと、池田さまの質問への答えが自ずからできてくると思うのですよ。紙幅に限りがありますので、ここでは食の話だけにとどめておこうと考えます。

    まず食文化のことですが、「始まり」に関して、無文字文明ですが非常な蓄積を見せた縄文時代の日本は縄文海進にみられるように非常に温暖期にあたり、実に1500種類以上の野菜(現在は250種類まで減じている)が食され、魚・肉なども盛んに食されていました。驚くべきはこの時期にすでに養殖や栽培が多数おこなわれていたことで、現代的な意味での漁業や農業はすでに始まっていたといっていいでしょう。縄文後期に米作が流入してもすぐに全面化しなかったのは、日本列島があまりにも食に事欠かなかったために、わざわざ手のかかる米作農業を食生産の中心におかなったことがあると思います。ここにまず日本人は自分達の食文化に非常に自身をもつ精神的土壌ができたといえるでしょう(三分の一の縄文人が65歳以上を迎えることができたという学説も近年存在します)

    やがて紀元前500年くらいに日本列島は急激に寒冷化を迎え、日本列島人は住まいを東・北日本から西・南日本に移動させ、少なくなった食糧採集を補うために農耕を大規模化させます。弥生時代の到来です。このとき、すでに縄文時代に伝来していた米作が日本列島で非常に大きなウエイトを占めるようになります。米は綺麗な大量の水と、ある程度の冷涼な気候(そのことで米の糖質が増大する)を必要とするので日本列島はほとんど最大にその条件に合致したわけです。また米は1粒の種から弥生時代で400粒、現代では2000粒以上の実を育てることができます。これは小麦が現代でも1粒から180~200粒しかできないことを比べると驚くべき収穫率で、弥生人はこのスーパーフードを農耕の中心にするだけでなく、またたくまに文化文明の中央に位置させていったわけです。神社神道、天皇皇室は疑いようもなく「米の宗教」ですが、これはこの時期にはっきりとした形になったといえます。

    宮中儀式などもほとんどが米の収穫に関するもので、天皇陛下は米の収穫を神々に感謝することを元日からおこなうわけですよね。この元日に天皇が神をお招きして感謝の食事を共にするという最重要の儀式があるのですが、これを真似たものが日本列島各地に今なお残る最古の食風習である「神人共食」です。神人共食は年末に村人が集まり飲食する形もありますが、もっと身近なものとして、正月にお雑煮を食べる風習がまさにそれにあたります。この神人共食、すなわち神話の神様をお招きしてもてなすのが日本の食文化の原初にして土台で、だから日本人には欧米人や中国人にたまにある気味の悪い食文化のマナーなんていうのはまずありえない。神様が年に何回か我が家にご飯を食べにいらっしゃるのですから(笑)

    この神人共食、もっと比喩的にいえば「神々の食卓」ということが、やがてやってきた古墳時代さらにそれ以降の「中華料理の拒絶」につながります。邪馬台国や奴国の中国への遣いから遣隋使遣唐使の留学生たちまで、数多くの日本人が豪華極まりない中華料理をさんざん口にしたはずです。しかし「おいしいな」とは思っても、それを日本列島の食に取り入れようとした人間は絶無でした。強いていえば平安時代の公家の大膳料理が中華料理の影響を受けているといえなくもないですが、これはまったく形だけのもので、料理の中身の影響はまったくありません。くらべて朝鮮半島やベトナムなどの料理文化は完全に中華料理の二番煎じです。なぜ日本だけが中華料理の流入に無関心だったかといえば、これは弥生時代の後半には我が国の隅々にいたるまで、「神々の食卓」さらに縄文時代の豊饒さということへの自信があったからといえると思うのですよ。

    これは池田様がおっしゃっている入り口からの他文化の拒絶という典型例だと考えられます。興味深いのはこの日本の食文化の流れが、中華料理全体を拒絶しながら、大陸仏教文化による肉食の忌避、さらに鎌倉時代の禅仏教伝来による精進料理の影響を巧みに消化して発展していくことです。前者の肉食の忌避は熱烈な仏教徒の天武天皇の詔にはじまりましたが、これにより縄文以来の日本の肉食は弱まり、魚食が盛んになっていきます。後者の精進料理の流入はさらに面白い形をとり、道元、隠元、沢庵などの禅僧は料理史にとっても偉大な功績を残している人物です。たとえば中国人一般には広まらなかった精進料理が、肉食を好まなかった日本人一般には大いに広まった。うどん、タケノコ、コンニャク、豆腐、舞茸などは精進料理由来のもので、しかも溜まり醤油やタクワンや糸引き納豆などはこうした流入の中で日本人が独自に開発した食品・調味料ですね。つまり日本人の食文化は確立期においては中華料理を拒絶する孤高を保ち、しかし確立期以降は今度は部分的に取り入れ日本化していくという巧みな技巧を演じていることになるわけです。これらの諸要素を兼ね備えた日本料理が完全に確立したのは室町時代後半期くらいではないかと私は考えています。ちなみに茶の風習もこの時期に日本独自の形で定着します。

    この室町時代後期というのはまさにキリスト教が日本に伝来した時期です。キリスト教側にとっては運が悪いというか日本にとっては運がいいいというか、日本の文明風習が様々な形で完成形態になった時期にきてしまったのです。せめて弥生時代くらいにくればまだ日本でキリスト教が広まる可能性はあったのでしょうが肝心のキリスト教本体がまだ生まれていない(笑)食文化に関していえば、中華料理でさえ千年も前に拒絶している日本人がキリスト教化されて肉食に転じるはずもなく、日本人はたとえクリスチャンになった人も、ほとんどヨーロッパの食事に関心をもちませんでした。それどころか、喫茶の風習が日本からヨーロッパに逆輸入されたことからわかるように(最初、ヨーロッパ人が飲み始めた茶は緑茶でしたが、砂糖やミルクにあわないために、中国の発酵茶に変えていきます)むしろヨーロッパ人はある種の「後進性」に直面したのではないかと思います。

    宣教師たちは、肉食をすすめる理由について、「神様がそういったからです」としか説明しなかったそうですが、そんなレベルの「理由」で、縄文時代以来の強い歩みをもつ日本人の食がくつがえるはずもありません。ザビエルやフロイスの食文化に関しての日本記録を読むと、「肉食が少ないから日本では空腹になる」「日本では葡萄がとれないから米の酒をつくっている」などと自分達の後進性をひた隠しにする言い訳がましい記録があちこちにあって面白いです。「肉食」がなければ米や魚を食すればいいのであって、この時期に日本では下級の武士でも一日五合もの玄米を毎日食べているし、また別に葡萄がとれないから日本酒を飲んでいたわけでももちろんありません。ヨーロッパ人は日本人の奇妙さに関心はあってもその由来を調べて知るということはしなかったがゆえに、結局、日本側が拒絶した入口のところで奇妙さをながめているにとどまっているといえると思います。これがもし、ヨーロッパ宣教師たちが日本の中国拒絶の所以を知り、「神人共食」にみられるような天皇皇室の根源と日本人の日常の結びつきをつきとめ、その上でキリスト教布教計画を練ればもっとマシな「侵略」ができたのではないか(笑)ザビエルやフロイスたちは肉食をすすめるよりも、お雑煮を食べてその味をかみしめるべきだったのではないでしょうか(笑)

  18. 渡邊 樣

    いやはや、勿體ないやうな、有益で面白いお話をうかがひました。自分が何を
    質問したか忘れるほどです。

    このところ暫く、御著書が出ないやうな氣がしてゐたら、さういふ事情があつたのですね。

    薬学史論の一部は雜誌で拜讀、漢方が私のイメージとは全く異り、認識を一
    新させられました。

    「食文化史のことは原稿は完成し」てゐても、今ここに書かれたことも、十分
    another one の基になりますね。貴重な内容をお示し頂き恐縮至極 です。

    「1500種類以上の野菜が食され」「三分の一の縄文人が65歳以上を迎えることができた」には驚きました。

    江戸時代の平均壽命は50歳といふ説もあるが、30~40歳説が有力なやう
    ですね。12代將軍徳川家慶の27人の子供の中で、20歳まで生きられたの
    は家定一人のみ、家慶の父親である11代将軍家齊の50人の子供は半數が
    20才歳までに亡くなつたとか。

    「神社神道、天皇皇室は疑いようもなく『米の宗教』」で、「宮中儀式などもほとんどが米の収穫に関するもので」あるのは當然ですね。明治の先人が國の祝祭日を定める際、それに基いたのは流石ですね。まともな感覺を失つてゐなかつた。戰後は新嘗祭→勤労感謝の日になり、その一事を以てしても、日本人が白癡のやうになつてしまつたことが、十分窺へます。

    戰前の祝祭日が皇室行事偏重であつたといふ批判に對して、福田恆存が、その皇室行事は農耕の行事に據つてゐて、國もまた、それに據るのが正しく、結果として重なるのが當然とたしなめたことを覺えてゐます。

    勤勞感謝の日ーー誰が何を誰に向つて感謝するのでせう。文化の日、秋分の
    日、海の日、子供の日、etc。何が基準なのでせう。白癡であると同時に精神分裂症でもあります(國旗など出す氣にならなくて當り前です)。上から下まで、何も彼も、全く體をなしてゐないのが、今の日本ですね。

    「強いていえば平安時代の公家の大膳料理が中華料理の影響を受けているといえなくもないですが、これはまったく形だけのもので、料理の中身の影響はまったくありません。くらべて朝鮮半島やベトナムなどの料理文化は完全に中華料理の二番煎じです。なぜ日本だけが中華料理の流入に無関心だったかといえば、これは弥生時代の後半には我が国の隅々にいたるまで、『神々の食卓』さらに縄文時代の豊饒さということへの自信があったから」。
    なるほど。「神々の食卓」と、その魁けとなつた繩文時代の豐饒さですか。日
    本、朝鮮、ヴィエトナムは同じ漢字文化圈の3兄弟とされながら、日本だけが
    支那文化圈を脱し、朝鮮、ヴィエトナムはいまだにこれに縛られてゐるのと、
    食物も同じなのですね。

    西尾先生が太安萬侶を讚へたあと、
    朝鮮について、
    「漢字文化で満ち足りて、それに100パーセント吸収されてしまうか、逆に、ハングルのように、いっさいの歴史から切り離された人工言語につっ走るか、いずれかの道しか考えられないのがあの民族です」
    「あの国の人は何を勘違いしているのでしょう。過去のいっさいの否定は、現
    在の再生につながらないどころか、否定した対象に知らぬ間に縛られ、翻弄される結果を招き兼ねないからです」と、
    ヴィエトナムについて、
    「ローマ字表記になったからといって、漢語がベトナム語の語彙の重要な資源
    でありつづけることを止めることはできません。表向き漢字を廃止することに
    成功したとしても、中国文化がベトナム文化の中にどっしりと居坐っていますので、漢字の否定がかえってベトナム文化の中国からの独立を難しくしているといわれます」と
    評價されたのを思ひ出しました。(昔、ヴィエトナムへ旅した人が路上の看板に”~CHUUI”と書いてあるのを、「あれは何か」と現地駐在の日本人に訊ねたところ、「注意だ」「さうか。日本語がそこまで普及したのか」「いや、注意(CHUUI)」は中國語だよ」といふ問答になつたとか)

    我等日本人はしあはせだと、つくづく思ひますが、それは先祖が偉かつたから
    で、今の我々はそれをぶち壞すべく狂奔してゐるやうな氣がします。食物もず
    ゐぶん怪しいことになつてゐるやうですね。

    「中華料理全体を拒絶しながら、大陸仏教文化による肉食の忌避、さらに鎌倉
    時代の禅仏教伝来による精進料理の影響を巧みに消化して発展してい」き、
    「縄文以来の日本の肉食は弱まり、魚食が盛んになっていき」、「後者の精進
    料理の流入はさらに面白い形をとり、道元、隠元、沢庵などの禅僧は料理史に
    とっても偉大な功績を残している」。「中国人一般には広まらなかった精進料理が、肉食を好まなかった日本人一般には大いに広まった。うどん、タケノコ、コンニャク、豆腐、舞茸などは精進料理由来のもので、しかも溜まり醤油やタクワンや糸引き納豆などはこうした流入の中で日本人が独自に開発した食品・調味料」「つまり日本人の食文化は確立期においては中華料理を拒絶する孤高を保ち、しかし確立期以降は今度は部分的に取り入れ日本化していくという巧みな技巧を演じている」「日本料理が完全に確立したのは室町時代後半期くらい」。
    うーん、面白いのなんの!(因みに、我が家では、精進とのかかはりなんて考
    へたこともないながら、毎年、大根の澤庵漬けをやります。年により、出來不出來があつて、喜んだりガックリしたり・・・)

    「この室町時代後期というのはまさにキリスト教が日本に伝来した時期」「せめて弥生時代くらいにくればまだ日本でキリスト教が広まる可能性はあった」「中華料理でさえ千年も前に拒絶している日本人がキリスト教化されて肉食に転じるはずもなく」「ヨーロッパ宣教師たちが日本の中国拒絶の所以を知り、『神人共食』にみられるような天皇皇室の根源と日本人の日常の結びつきをつきとめ、その上でキリスト教布教計画を練ればもっとマシな『侵略』ができたのではないか(笑)ザビエルやフロイスたちは肉食をすすめるよりも、お雑煮を食べてその味をかみしめるべきだったのではないでしょうか(笑)」。
    御尤も。ただし私は精進料理に興味があるものの、魚とともに、肉も好きなの
    で、繩文人が肉を食つてゐたことに安心しました。殺生を忌む佛教が肉食を禁じたのは當然ですが、日本人が肉を避けるやうになつたのは、その佛教への歸依の他に、「神々の食卓」が豐かだつたために、肉にまで手を伸ばす必要がなかつたせゐでせうね。

    ただそれが禁忌になつた場合はかなり無理があつたやうですね。兔が鳥扱ひ
    されたり、”藥喰”や明治における牛肉への熱狂ぶりはそれを示すものでせう。

    天武天皇による肉食禁止令の1200年後に、明治天皇が「肉食再開宣言」を
    され、自ら牛肉を口にされた。西洋諸國と肩を竝べられるやうに體格向上のた
    めに肉食が推奨されたと、昔教へられたやうな氣がします。肉食を禁じた徳川
    幕府が佛法殺生戒にきまじめであつたわけではなく、肉食によつて強い體力
    を持つにいたることを恐れたためといふ説もありますね。

    けものの血や肉は既に死骸である以上、神道でいふ穢れであるともされた。
    そのくせ魚鳥が許されてゐたのは、その程度の肉食は生存にとって最低限の要求であるため、しかたなかつたーーといふのは、また、あの人の説でしたか。

    實際、江戸時代には鎌倉時代に比べて、日本人の身長はかなり縮んださうですね。權力者の意向なのか、それとも、日本列島で暮らすには、毛唐ほどの圖體は必要ないための自然の成り行きなのでせうか。

    肉を食ふのと食はないのと、どちらがいいのか分りませんが、私は食ひたい。
    だから、宣教師たちにも、肉食を勸めたといふ點だけでは反感も恨みもあり
    ません。

    「私の家は造り酒屋だつたので、酒藏が穢れると云つて、子供の時は牛肉を
    食はして貰へなかつた。四脚の食べ物は、一切家に入れなかつたのである」
    に始まる、内田百閒の”藥喰ひ”經驗談など、讀むとぞくぞくし、食慾をそそら
    れます。やはり、その意味で禁忌は大事ですね。

    自分では殆ど經驗がないにもかかはらず、”ジビエ”にも興味があります。
    「まづトリタテの猪の子の毛を引き、腹を割き、臟物を取去り、別にゴボー、山ウド、茸類なぞを細かに刻み、それを醤油の搾り粕に混ぜ込みます。醤油粕
    なんてものは、都會人は知らないが、味噌のオカラのやうなもので、醤油釀造
    元へ行けば、いくらでも頒けてくれる。山の奧では自家製なれば、各戸にあり、鹽の節約のため、各種の料理に用ゐらる。ツメモノができたらば、これを猪の子の腹の中に詰め、絲にて腹を縫ひ合せ、爐邊の熱灰の中に埋め、上にて
    ドンドン火を焚きます。やがて、いい匂ひがして、灰の中から湯氣が立つから、鐵火箸にて肉を突き刺し、容易に貫通するやうなら、燒けた證據である、直ちに取り出して、灰を拂ひ四肢を掴んで力強く引き割くと、四人前の肉がとれる。それを熱いうちに、ソースなしで頂きます。醤油粕の鹽分が肉に浸みて、頃合ひの味の上に、ツメモノの山野菜の香氣がなんともいはれません」といふ獅子文六の能書きなどに接するとたまりません。何度か田舍の人間に、猪の子の丸燒の話を持出し、謎をかけてみましたが、未だ經驗できずにゐます。

    文六はパリ留學の經驗に基いて、ストーヴで燒いた家兔(ラパン)を小道具に
    使つた面白い小説を書いてゐます。彼も明治の牛肉熱狂少年だつたのでせう。

    今東光は坊主のくせに、ビフテキ好きで、こんなことを言つてゐます。
    「僕は屡々、知人から忠告される。日本人は五十歳を過ぎたら須く菜食しなけ
    ればならない。年をとつて肉食をすると長壽を保つことが出來ないと言はれる。歐米人のやうな狩獵民族は必然的に肉食人種になるが、日本人のやうな農耕民族は祖先傳來の菜食をするのが自然だといふ御説だ。如何にも尤もらしい
    學説に聞えるが日本民族も最初は狩獵を旨とし、稻を知つてから農耕民族になつて土着したもので、僕は歐米人と變りないと思つてゐるのだ。肉食を主とする歐米人も必ずしも、短命ではなく、一世紀を延々と生きる長壽家もゐるの
    だ。七十歳の僕が血のしたたるビフテキを食ふことが長壽をさまたげるとは僕
    には思へないのだ」
    「あのナポレオン皇帝も尊敬してゐたパリーのデュ・ペロワ大司教は、百歳の
    長壽を保つたと傳へられるが、この大司教は食事のたびに美味な料理が皿で運ばれてくると、眼は生々と輝き、まるで壯者をしのぐ有樣で食欲を充したといふことだ。この例を見てもわかるやうに、老年だから肉食を廢するといふのはどういふものであらうか」
    「僕の父は明治時代の有名なヴェジタリアン(菜食主義)で、主に胡桃を常食
    とさへして白米を退けるほど嚴格な菜食を攝り、僕の肉食を輕蔑してゐたが七十歳になることが出來ずに死んで仕舞つた」

    東光は破戒坊主なのでせうか。私は彼ほど大つぴらに肉食を肯定する氣にはなりません。我が家の近くに最近開店したイタリアレストランの看板に大きな「肉食」といふ字が踊つてゐるのは、あまり氣持よくありません。やはりどこ
    かに、愼むべきだとの思ひがあるのでせう(ただし、今東光は大好きです)。

    私は、戰前に大物官僚たりし人に私淑し、その人が亡くなるまで師事しました。この師匠は論語を高く評價し、論語を通してみれば、世の中のことは大抵分ると言つてゐました。師匠に、一時期、一部ですが、論語を講義してもらつたこともあります。

    師匠に、「君はいま何歳か?」と訊かれ、「33歳です」と答へたら、「なら、まだいいが、35歳になつたら、肉は食はない方がいいな」と言はれました。その考へはかねて承知してゐたので、「はい」とだけ返事はしましたが、心中それはむつかしいと感じてゐました。

    肉食がよくないとは、論語の説くところ(師匠が持出すのだから)といつた風にしばらく思つてゐましたが、孔子はそんなことを言つてゐません。肉に言及してゐるところを3箇所見つけました。

    「沽酒と市脯は食はず」
    市販の酒や乾肉はのどを通さない。自家製のものを用ゐる。市販のものは、まともに造られた酒なのか、どんな動物の肉が這入つた肉なのか分らないので、信用しないといふ氣持ーーと解説されてゐます。

    これは孔先生を待つまでもなく、當時から支那人の常識だつたのではないでせうか。支那の鷄肉にはマクドナルドのやうな商賣人まで瞞されたり、冷凍餃子に殺虫剤成分が這入つてゐることもあるのですから、あの國では、自家製以外信用できないのは當然です。

    「公に祭れば肉を宿(とど)めず」
    君に召されて祭りに奉仕して頂いた肉は、宵越しにしないで人に分け與へる
    ーー感心な心がけですね。あるいは、孔子も、世間の評判を氣にしたのかも
    しれません。

    「祭りの肉は三日を出さず。三日を出づれば之を食はず」
    家の祭りの肉は、三日以内に食べ、それを過ぎれば口にしない。衞生上の
    配慮でせうか。

    とにかく、孔子は肉を食ふなとは言つてゐません。
    そこで思ひ出したのは師匠が好んで口にする「隨所に主となる」が禪家(臨濟禪師)の言葉であることでした。鎌倉の圓覺寺で坐禪を組んだこともあるさうで、師匠の食物についての思想も、そちらの精進から來てゐるのだらうと思ひましたが、生前それを御本人に確認せぬままになつてしまひました。

    師匠の日常を見ると、いかにも隨所作主といつた感じがしました。滿洲國交
    通部次長で敗戰、シベリアに抑留され、歸國後、抑留記を書きましたが、ソ
    聯といふ國や共産主義に對しては嚴しく批判しても、のんびりとした俳句も
    あり、狹い收容所を語るのに、すし詰め以上といふ意味で、刺身寐といふ
    ユーモラスな言葉を使つたりして、恨み骨髓といふ感じはしません。深刻に
    ならず、どこかあつけらかんとしてゐるのです。

    後に、師匠の家で、謠曲の稽古をつけてもらつたあと、茶菓が出て、收容
    所の話になりました。その際、壁に掛かつてゐる泣き増(ぞう)を指さして、
    「人間の手や足も、あんな風に取り外して掛けておければ樂だと思つた」と言つて、からからと笑はれました。この時も、ああ、これが隨所作主といふものであらうと、世にも好ましく感じたことでした。

    長々と失禮しました。渡邊講話に引込まれ、そこから擴がる聯想を、つい書き竝べてしまひました。
    畏れ多くも、渡邊さんにお附合ひいただき、有益であるだけでなく、愉快に過すことができました。またお教へ頂く機會の近いことを願ひ、當面、御著書二册に接する日を待ちます。ありがたうございました。

  19. 坦々塾の同期生から、次のやうなメールをもらひました。

    善人が登場せず悪人ばかりを描いて楽しむ「三国志」の現代ドラマ版が実に面白かった旨の、渡邊さんのお話を興味深く拜讀。

    インターネットの「三国志」現代ドラマ版は、「京劇」の「三国志」等が下敷きにあると邪推します。「京劇」は、まさに悪人オンパレード、悪の美意識を昇華したドラマの宝庫ですから、中国人理解に最適です。習近平と江沢民派の謀略姦計
    合戦による覇権争いなどの新作京劇もつぎつぎと発表されています。

    私はかねてから日本の政官財学メディアのエリート諸氏は、善人ばかりで平和
    と人権押し売りのNHKの大河ドラマや朝ドラを見るよりも人間の悪を描いた「京
    劇」や「シェークスピア劇」を観て研究し、支那・欧米の悪に対処すべしと小さな
    声ながら訴えているのですが・・・。

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