チャンネル桜「討論」

表現者クライテリオン・スペシャル
:安倍総理「器」論とは真実か?

「チャンネル桜「討論」」への12件のフィードバック

  1. 久々に先生のお顔を映像で拝見しました。
    大変お元気そうで安心しました。しかし同時に、このお歳になられても評論界の最先端にて、発言しなければならない現実に、いい加減甘えていられない心理が真っ先に生まれました。久々の討論会にご参加された先生の論は、やっぱり重みのある言葉ばかりでした。
    時系列に先生の安部氏への違和感を語られ、いかにその間の先生ご自身のお気持ちが強かったかを、いろんな方が気づかれたことでしょう。

    個人的に言わせてもらいますと、安部氏のある種「うらぎり」は、新しい歴史教科書の時から関わっているのではないかと思います。
    しかし、その件に関しては今回先生はほとんど触れずに割愛しました。それを持ち出すと、個人的な違和感しか注目されないとご判断されたのかも・・・と思いましたが、結果的にそんなレベルのご判断ではなく、先生の個人的な関りを訴えるまでもなく、これまでに至って安倍総理がどれだけ国民を裏切ってきたかを、実に誠実にしかも正しく公言できる材料がそろい過ぎていたことが、教科書問題での安部氏の裏切りを一々晒さなくても、十分国民に理解してもらえるとご判断されたからだと私は思いました。

    今回若手の論客がなかなか良い発言をされていたことに、先生はご関心があったようで、彼らの論を聞いていた私は、おそらく先生はかなり聞き耳が立ってお聞きになられているんじゃないかと思ったところ、やっぱりその通りに先生はすぐに反応され、あとでじっくりお二人のご意見を伺いたいとおっしゃっていましたね。
    先生がどのような感想をお持ちになったかを、いずれの時期でかまいませんので何かご感想を伺いたと思った次第です。わがまま言ってすみません。

    討論会というのは本来は「意見の違いをぶつけ合う激論会」であることが、本当は理想的なんだと思います。しかし、どうしても意見が似通ったもの同士が集まってしまうチャンネル桜。そういう点でのおざなりが、段々ここにきて飽きられ始めているかなというのが私の率直な感想です。
    しかしそんな中で先生が最初に「小堀けいいちさん、何してんですか」というコメントが、なにせ私には痛快でした。こういう率直な意見・怒りが今の日本の討論会には少なすぎます。
    過去に左翼と激論を交わした御経験が豊富な先生だからこそ、そういう警鐘を自ら発せるのであって、若者たちの意見もたしかにズバッと言っている処はあるんですが、はたして激論になったとき保身に走らず語る事ができるだろうかという点は、まだ未知数です。

    私が先生のご研究の中で色々感じた多くの点の中から、ここで一つだけ申し上げたいことは、「民族の怒りと弱さ」です。この点は先生の作品の中に多く点在する共通の隠されたテーマだと認識しています。誰でも怒りは存在しますが、なかなかそれを表立って言えない個人の弱さがある。しかし、一つの束になればそれが言える時もある。ところがそれがどの民族の時にも許されることではなく、場合によっては民族の絶滅さえありうるのが、この世の現実だと私は先生の本を読んで持論を持つことができました。

    しかし、それでも人間は戦う意識を失ってはいけない。
    なんのために戦うかではなく自分のために戦うかでもなく、人間らしく生きるために戦うんだという事を、38歳の時から読み始めた西尾哲学から今に至って学んだのが私の哲学ということになるんでしょうね。

    『人生の深淵にて』の中に、人間の感情の様々を語っておられます。
    その中に「怒り」のテーマがあり、怒りは生きる上での最大の意味を成す・・・みたいなことを書かれていますよね。私はこれを知って、人間らしく生きることの価値観を学びました。
    怒りは自分だけに留まらず、他人にも影響を及ぼすものと認識しています。
    実際会社でも私はズバリ言うことを心がけています。
    誰も言えないことを自分が責任もって言うように心がけています。
    結果、他人は私のその行動を強く認識します。
    言動が一致すれば、他人はそれを深く覚えてくれます。
    私は常にそういう生き方を選びたいと思っています。

    先生お身体にご配慮され、無理のない生活をと、心から望みます。

  2. 池田俊二さま

    ここのところ バタバタとしておりました。ご連絡できず申し訳ありませんでした。 『安部総理の「器」論とは真実か?』チャンネル桜に西尾先生のお名前が!!すぐに視聴しました。3時間50分、非常に濃厚な討論でした。 塾生は先生の著書を、あるいは、坦々塾の勉強会をとおして「安部の空虚」を承知しておりましたが、さすがに国内外の現状にて、安倍政権、自民党に任せればという御仁はいないでしょう?水島社長と同じステップで(よくやっていますよ、からの 開眼(苦笑))なのではと勝手に判断しています。2017年「保守の真贋」発刊から2年、安部政権は更に危機的状況を完成させたと言うこともできますね。この討論で明確になりました。

    この番組の「器」論きっかけとなった若手論壇の浜崎洋介氏(文芸評論家)川端祐一郎氏(京都大学助教授)に注目しました。

    浜崎氏 2019年「文藝春秋9月号」で安部首相への「失望」を表明して話題となりました。
    「第二次安倍政権ができたとき、私はうれしかったんですよ。彼ほど明確に改憲を謳う政治家は他にいなかったし、このまま憲法改正に向かって突き進んでほしいとも期待しました。しかし、靖国神社には13年に1回行ったきりだし、もやもやする疑いの念が次第に出てきた。決定的になったのは、あの加憲案です。
    戦後レジームから脱却を謳った安倍首相なのに、あれは戦後レジームを永久に固定化するものです。『憲法を変えた首相』として安倍首相の名誉欲に基づいた行動でしかないことに気づいてしまった。」

    さて、57分頃の浜崎氏の発言は非常に印象深いものでした。(続く) 

  3. 小池 樣

    お忙しいのでせうね。無理をなさらないで下さい。

    坦々塾の會員も、水島社長竝みに(〈安倍さん〉よくやっていますよ)からの開眼ですか。

    つくる會の八木騷動の際、畏友伊藤悠可さんは「保守がそんなにゐるわけ
    がない」「水増し」と一刀兩斷にされました。

    今も事態は少しも變つてゐないでせう。
    西尾先生が評論家として出發された時は、世の中では、保守=惡だつたの
    で、先生は逆風を眞つ向から受けて。ずゐぶん苦しかつたはずですが、そ
    れは覺悟の上のことだつたでせう。 やがて風向きが保守=善になると、そこに多くの人々がなだれ込んで來ました。つくる會や坦々塾も、その流れの中にあつたことは否定できません。

    保守業界は、今日に至るまで殷賑を極めてゐます。先生の周りはことごとく味方のやうに見えます。先生は樂でいいなあーーといふことには、しかし決してならないことは、先生御自身が屡々語られるとほりです。つまり、當然のこととして「水増し」分は、勢ひをつけたりする場合以外、大抵マイナスに作用します。

    前囘書いた「皆が他人ごとのやうに生き、時が經てば、その過去を他人ごとのやうに語るーーそれだけのことです。何もかも、かけがへのない我が事とはしてゐないのです。そして、昨日は昨日の神輿を、今日は今日の神輿を擔げばよろしいのです。氣樂なものです」と、( 擔がれる方も、外に出ると )「ふざけやがつて! といふマトモな感情が發動しない」 理由は、レーヴィットの1階・2階の説で説明できるのはないでせうか。

    これは、前にもここに書きましたし、西尾先生との對談本の中でも觸れました。つまり、普段1階(個人としての日常生活)にゐる時の感覺が2階(社會・公的な場)に上ると、痲痺してしまひ、夢遊病者のやうになつて、1階ではあり得ない常識外の振舞ひに及んだりする。どこの國民にもあることだが、特に、最も急激な近代化を遂げた日本において、2階が1階の自然な延長になつてゐないことが多いので、この現象は激しいーーと、レーヴィット(大東亞戰爭の直前まで東北帝大で教鞭をとりました)は診斷してゐます。

    大東亞戰爭の指導者が、敗戰と同時に平和教の教祖になつたり、その上
    で、さらに風向きが變ると核武裝論者になつたり、そんなことが出來るのも、自身も周圍も、皆が夢遊病者だからこそでせう。もしも、正氣の人がゐて、昨日までと違ふではないかと言はれたら、曲藝は中止せざるをないでせう。昨日のことを皆が忘れてゐるからこそ、自由自在なのでせう。

    もの心ついてから、同じやうな現象を何度見も見ました。上も下も揃つて夢の世界に遊びます。

    今から3ヵ月ほど前、私はこんなことを申しました。「相變らず、人々は安倍神輿を擔ぎ、提燈を提げ・・・」。多分、昨年まで、私の安倍批判に白い目を向けてゐた御仁曰く「私の周りもみんな提灯もっています。しょうがないなぁ~~~」。御自分が持つたことは覺えてゐないのです。夢の中だから、しかたありませんね。そして、相變らず、日本を守る!などと、嬉しさうに叫んでゐます。亡國に加擔する人は必ず、さう言ひますね。

    かくて、右へ左へ、左へ右へ。これが、大袈裟に言へば、近代日本です。特別なところに出向かずとも、どこででも、この世界史的意義を有する珍風景が見られることはしあはせとすべきでせうね。

    「若手論壇の浜崎洋介氏(文芸評論家)川端祐一郎氏(京都大学助教授)
    に注目しました」には同感です(川端さんは「助教授」ではなくて、「助教」でせう。岩田温さんが坦々塾に出てゐた頃、名刺を貰ひ、「助教? 代用教員みたいだね」と言つたところ、彼氏苦笑してゐました)。

    今さら何を言つても、既に手遲れではないかといふ氣がしますが・・・。
    安倍政權は何年つづいてゐるのですか。その間に破壞したもの、恐ろしく
    て思ひ出すことも憚られます。假に、萬一墮地獄は免れたにしても、破壞
    されたものを再建するには、何倍もの歳月を要するでせう。どうせ私の目
    の黒いうちには間に合はぬことなので、マジメに考へる氣にはなりません。

    それよりも前に「若手論壇の」二人についての貴見を承らせて下さい。そ
    んなところに光明!とencourage されるかもしれません。毎度の御配慮に感謝します。お元氣で。

  4. 池田俊二さま

    お粗末ながら愚見を投稿するつもりでしたが、このところ、身辺にごたごたが
    つづき、そのヒマもとれそうにありません。そこで代わりに、雑誌「クライテリオン」(池田さんは購読されていないそうですね)から、少しだけコピペしたものを送り込みます。

    クライテリオン11月号が届きました。注文から2週間、待ったかいがありました。浜崎氏の発言をここから引用します。

    移民政策が排外主義でないのは当然だが「保守」であるはずもない。 それどころか消費増税と新自由主義によって徹底的に日本を疲弊さ せ、北方領土問題を後退させ、安易な慰安婦問題を拗らせ、あげくの 果てに「加憲」などという「思い付き」を語りだした安倍政権をいまだに 「保守政権」であるなどと思い込めるのは、病的な妄想を生きる「ネト ウヨ」か、干されるのが怖い「保守論壇人」くらいなものだろう。(P60)
    ~中略~
    安倍晋三とはとはその「反サヨク」という反動性によって塗り固められ た自らの器に「サヨク」以外の全て~対米追従への情熱、根拠なき改 革主義、日本人のナルシシズム、保守的な気分など~注ぎ込みなが ら、なお、それらが齎す矛盾と危機について徹底的に鈍感でいるこ とのできる「慢心しきったおぼっちゃん」(オルテガ)が、「空虚な器」な のである。

    ~~~~~以下 略

    チャンネル桜の57分以降の 浜崎氏の次の発言もなかなか鋭いと思いました。
    安倍晋三問題の他に,90年代以降の東西冷戦以降、日本が主体性を 回復しなければならない時に、その答えが「米国(従属)」でしかなかっ た。当時起こったのは55年体制批判、馴れ合いの排除、小選挙区制度、橋本行革等々、橋本行革では意思決定のスピード早めるため(内閣と総理権限強化 内閣人事局一元化) 従来のボトムアップからトップダウン(政治主導) を目指した。~略~ 仮に、この40年間の「空虚」を埋めるため、トップに内容があったら(聡明な君主がいたら) という仮 説を立ててみると今現在起きていることの全ての反対が当て嵌まると。いやはや、ご尤もです!これは構造的問題でもあり日本人全体の問題ですね。歯切れがいい。(番組はこのあとも、極めて重要な討論が続きます。(続く)

  5. 小池 樣

    お忙しいところを恐縮です。

    「(聡明な君主がいたら) という仮説を立ててみると今現在起きていることの全て反対」ーーこれがすべてですね。

    そして、我々は安倍さんを、これぞ 「聡明な君主」!と勝手に決めて色めきたつたのでしたね。この當り前のことを思ひ出すと、可笑しくなり、しばらく笑ひが止まりませんでした。

    安倍さんの場合、「反左翼」のポーズが決定的要因でしたね。西尾先生で
    さへ、最初「魅力を感じた」のですから、我々がコロッと參つたのも無理はありません。そして、先生のやうに「失望感も早かつた」とは、我々がゆかなかつたのは已むをえないと許して貰へるのではないでせうか。

    でも、相手は總理大臣です。毎日テレビに現れます。それをチラと、1週間に1囘でも見てゐながら、「この人には中身がない。カラッポだ」と氣づかないまま、3年も4年も過ぎるとは、不思議なことです。

    その心理を訊いてみるわけにはゆきません。だつて、安倍神輿から離れた人たちを若干知つてゐますが、彼等はつい最近まで、それを擔いでゐたことを忘れてゐるのですから。前囘書いたとほり、その人たちに、それとなく水を向けてみると、「自分の周りもみんなさう。しょうがないなぁ~~
    ~」と、完全に他人ごとで、相も變らず、嬉しさうに活動してゐます。

    もの心ついてから、不思議なことの連續でしたから、今や、それが當り前
    になつて、私も驚きはしませんが。

    前囘の坦々塾の懇親會の場で、足立誠之さんと伊藤悠可さんに、「坦々塾
    にも安倍シンパは多いみたいですね」と持ちかけてみました。足立さんは笑ひながら、「しかし、前よりは減つたらう」と答へました。悠可さんは、笑つただけでした。

    明日は先生の「二つの病理 韓国の反日と日本の平和主義」を拜聽して、
    さて懇親會はどうなりますやら。

  6. 9日の坦々塾については、幹事のお一人吉田さんが、ここにレポートを書いて
    下さることになつた。
    吉田さんには、去年6月の坦々塾番外篇で、體調萬全ならずと言はれて以來
    の再會。今後もお世話になれさうで、まづはめでたく、ありがたい。

    今囘は、懇親會が一堂に會して(ロの字型に竝んだ席で)行はれたせゐもあ
    つてか、殊の外樂しかつた。やはり、先生にでも、講師にでも、あるいは、急
    にカラミたくなつた相手にでも、いつでも自由に話しかけられると思ふと、嬉し
    く、氣が輕くなる。かかる場を確保するためには、幹事さんがたの苦勞は大
    變だつたらう。

    會費を考へれば、もちろん一切注文をつけることはできない。平素の、あちら
    に10人、こちらに8人、そちらに12人・・・と散らばるのが當り前だ。

    ただ今囘、他のシマへ歩いて(カラミに)行く手間が省けて、非常にありがたかつたことを報告し、幹事さんがたに深く感謝します。

  7. このブログの読者の方々が、小池樣や吉田樣のコメントを待っていらっ
    しゃるであろう中、割り込んで失礼します。

    私は動画を拝見しただけで、まだ『クライテリオン』を拝読していないので、
    あまり勝手なことは書けませんが、先生が「若い論客」と言われた浜崎氏と
    川端氏は確かに印象的でした。自分の世代にはない胆力や新鮮な感覚をお持
    ちだと思いました。それはよく言われるように、私のように、子供の頃に高
    度経済成長期を経験し、また成長してからはバブル期も体験して、それなり
    に豊さを実感した者と、それがなかった者の違いなのかもしれません。
     何せ以前同級生と話した時、その人が安倍政権に反対だと言うので、なぜ
    か聞いたら、旧態依然とした「保守対革新」の枠内でしかものを考えていま
    せんでした(その人はピースボートに乗るような人なので仕方ありませんが)。
     それに比べると、あの若い二人の論客は、今の政治を、もっと突き放して
    厳しく見る目を持っていると思いました。

     ところでもう一つ印象的だったのは、先生が日本会議の伊藤哲夫氏の事を
    「大嫌い」と仰った所です。先生によれば、安倍首相に「加憲」をアドバイス
    したのも、左翼勢力も取り込むという今の自民党の方針も、伊藤氏の考え方に
    よるものだということでした。私はなるほど、と思いました。そんな事情なら
    安倍首相が「空っぽの器」だと見られても当然です。

    多くの人がそうであるように、私も安倍首相について考える時、安倍氏の幾
    つもの「顔」が浮かんできます。中でも真っ先に浮かぶのが、「小泉元首相が
    政治家としての師」であると言ったことです。郵政民営化の時、城内実氏を一
    生懸命説得していた場面も思い出します。安倍首相は自民党が多人数になれば、
    憲法改正にまで持っていけると思ったのでしょうか?

     ところが自民党が今のように大所帯になってから、事あるごとに、党内には
    「自民党員らしくない議員」も沢山いることが明らかとなりました。
    普通の人は私と同じで、政治評論家のような詳しい知識はないと思います。
    私たちが現政権に対し望むのは、拉致や教育、経済、大陸半島、或は皇室の
    問題等のいずれかの解決であり、少しでも「今」を変えることです。ところが、
    その中のたった一つでも、思い通りになるどころか、まるで正反対の方向に
    行くばかりで、その結果、多くの人は、人間の力ではどうしようもない海流に
    流されているような不安感に苛まされています。

     安倍首相の心中は無論分かりません。ただ「左翼勢力も取り込む」というの
    は、つまり「数(或はそれとは別の何か)の力で押し切ればよい」と考えてい
    るように、私には見えます。それは、昔の左翼学生のやり方に似ています。
    つまり「オルグ」して仲間を増やして、何でもかんでも「政治」だと言い、
    様々なテーマにおいて「意思統一」して、「年中行事のように」繰り返す、
    あのやり方です。彼等は、春になれば「春闘」、夏になれば「原水爆禁止」の
    立て看板を立てて、マイクで声を張り上げていました。
     こうした左翼集団にいる限り、こうしたイベントに反対することはできな
    いのが普通です。なぜなら年中行事の一つに参加するのを拒んだら、リーダー
    たちが説得しにやって来るからです。
     今の自民党、いや今の政治家全体がこうした左翼集団だとしたらどうなる
    でしょうか?ただ注意すべきは、野党が言う程、安倍首相が、左翼のリーダー
    のように強権的に見えないことです。

     そこで思い出すのが、池田様が以前書かれた内容です。
    2018年2月25日「阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム四十一」
    の中の池田様のコメントを、僭越ながら引用させて下さい。
    これは、池田様が初めて西尾先生の名前を知ったという、若き日の先生の
    記念すべき論考について書かれたものです。
    (以下引用)

    題は「雙面神脱退の記」。掲載誌は『新潮(昭和37年4月號)』。筆者は西尾幹二・26歳。(全集第3卷所收)
    私はスキーの歸りに、田口といふ國鐵の驛(今の妙高高原驛?)の近くの書
    店で、列車の中で讀まうと『新潮』を買ひましたが、偶々この見開き2ページの短文に惹きつけられて昂奮、家に歸つても寐ずに、一晩相對しました。勿論、筆者の名前は初めてでした。爾來56年、あの記憶は消えません。
    「この雜誌に私は二年間參加した。 今年の一月に脱退した。 脱退にいたる經
    緯ならびに文學上の所信をここに書くように言われて、 私がまず思い出したことは、『われらと戰後派というこの試みを行うことが決定した當時の記憶である。同人の一人が、 この中では戰後派をたとえ批判しても本質においては否定せず、批判したあとでも『大きく救う』ことを忘れないようにしようと提言し・・・」
    「私は戰後全體に對してなにも特別なふくみを持っているわけではない。ただ、そのなかには好きな作家もいれば嫌いな作家もいるという、讀者としてのしごく 當り前な常識が私に抵抗感を感じさせたのであり、外から一樣に規定されては書きたいものも書けなくなるし、 ことに嫌いな作家を論じるときに、『大きく救う』などというばかげたことが出來るものか、と單純に不滿だつた。單純な常識というものが失われかけた場には、必ずといっていいほど、不健全な考えがはびこるものである」
    「各人各樣の意見が出てくるのは避けがたいのであるから、戰後派の一人を
    根本的に否定する批評がかりに出てきても不思議はないはずである」
    「要するに、『雙面神』が文學の雜誌であつて政黨のパンフレットでないのなら、このような常識は當然通用するはずである」
    「黨派心旺盛な狂信家が二、三名いるため、タブーが生れ、それが次第に支
    配的になり、同人の口を縛り始め・・・戰後派を否定しては絶對にいけない、というように豫め文壇を黒白に二分する地圖を作っておくような態度が露骨に現れてきて、それを文學への誠實ととりちがえている點が、日本の傳統的な左翼の流儀を、ーー政策論をつねに文學論にすりかえるあの因襲的な遣口を私に思い出させた」
    「私はつねづね堀田善衞氏の文明觀・歴史觀に疑問を持っていた。私自身の
    立場、文化や歴史に對する私の考え方を成り立たせるためには、堀田氏の思
    想を根本から退けなくてはならない。逆に堀田氏が自己の信念を讓らないなら、私の立場をおそらく斷じて認めるようなことはないだろう。それでいいはずである」
    「かの狂信の徒の一人から電話がかかってきて・・・實は他の雜誌に依頼して活字にだけはしてもらうつもりだから、『雙面神』からはおりてもらえないか、と頼んできた。私は斷った。理由は活字にすることが目的ではなく、こうしたことが問題になること自體が私には不愉快だという單純な事情による。彼の言い分によると、堀田氏を否定すると野間氏や武田氏をも怒らせることになり、同人全體がそれだけ文壇に出にくくなってみんなに『迷惑がかかる』というのである。これはどうみても文學的信念ではなくて取引の原理であり、作家の生き方ではなくて處世術であり、世渡りの方法に過ぎない。私はおかしくて仕方がなかった」
    「一帶いつ頃から文學者の心のなかで、このような處世術が神の役割を果し
    だしたかというテーマの方に私はいま興味を覺えている」
    以上

    「党派心旺盛な狂信家が二、三名いるため、タブーが生れ、それが次第
    に支配的になり、同人の口を縛り始め・・・」という所は、我々一般人
    も生活のあらゆる場で、身に覚えのあることではないでしょうか?
     やりきれないのは、個人的な「保身」のため或はその場の空気を悪くしな
    いために口をつぐんだことのある自分自身の情けない姿と同じようなものを、
    政治の世界でも見せられることです。

     「これはどう見ても政治的信念ではなく取引の原理であり、政治家の生き
    方ではなく処世術であり、世渡りの方法に過ぎない」と、引用部分を読み替
    えてみます。それが現代の我が国の政治だとしたら、我々国民はどうすべき
    なのでしょうか?
     私はもう、安倍首相が何者かの傀儡であるとか、彼の個人的な資質がどうの、
    とは言っていられない気持ちになりました。

     先生は動画の最後の方で、今の安倍政権の韓国に対する態度の変化と、
    二、三人の大臣に任命された政治家たちに期待すると仰いました。もう
    総理を辞めたがっているような安倍氏に対する、先生の最後の最低限度の
    期待なのかもしれません。終始安倍氏に厳しかった先生のこの意外な言葉
    は、もうちょっとやそっとでは動きそうもない日本の政治を冷たく突き放す
    言葉でもあるように、私は感じました。

     ただ私としては、自分が今ようやく、父の世代の気持ちが理解できたよう
    な気がしています。当時の少年たちは、母国が置かれた危機的な状況を敏感に
    感じ取り、何とかしたいと思ったのではないでしょうか。それが「国の爲」と
    いう言葉になったに違いありません。しかし我々との違いがあるとすれば、
    父の世代には自らの身を投ずる手段を、明確に持っていた点でしょう。

     最後に話は変わりますが、今読んでいる本に、今の時代には示唆的な興味
    深い文章があったので、引用させて下さい。『与力・同心・目明しの生活』
    横倉辰次 著 雄山閣(初版は昭和41年)という本です。

    「こうして見ると八丁堀役人が肩で風を切り威張っていたのは、江戸の一割の
    町家町だけだったのだが、その狭い町方にしても僅かな廻り方の巡回では
    心細い話だった、そこで何日の時代でも庶民は自衛の為に自衛手段を講じる
    本能があったので適当な手段を講じたのだ。(民衆の自発的自衛手段でない
    のは、今日の自衛隊ぐらいのものである。戦力なき軍隊などという欺瞞的
    答弁で創立されてしまったが)
     庶民はまず町に町木戸、長屋木戸を作り、非常の際はこれを閉じて交通を
    斜段した。
     次に町々に自身番小屋を建てた。大名、武家(旗本)屋敷では辻番小屋を
    建てて、共に町を防衛した。・・・」(P131)
    以上
     
     つまり、TVや映画で見る「捕り物帳」は、大部分が木戸の中の人情物語で
    あって、その木戸がどのように使われたかは、ほとんど描かれていないのです。
    だから、本当の江戸時代とはむしろ、百姓たちが自衛のために、浪人たちを
    雇って野武士と戦った事件を描いた、黒澤明の「七人の侍」に近かったのか
    もしれません。
     私は、自分がこれまで、政治にまともな関心も持たなくても、こうして生きて
    こられたのは、現代という特殊な時代に生まれたからで、それはまるで、玄関
    の鍵を掛けずに、平気で寝ていたのと同じなのだと思うと、ゾッとしました。

  8. 今日の横綱白鵬の相撲はひときわ非道いものだった。最初に左から張り手、次に右腕でかち上げ、さらに右左から張り手の連続。対する遠藤はたまらず前に倒れ、鼻血を出した。これは相撲ではない。様式も何もあったものではない。端的な暴力行使である。解説の舞の海は、かつての横綱はこういう相撲はとったことはないと言った。これが、日本相撲協会やスポーツジャーナリズムが黙認し、役割を放棄して来た「国技」のただいまの姿である。
    われわれの現実逃避の惰弱な自我が、随所で日本を護ることなく、今や北海道の三分の一を中国に買われるに至った惨状を招いたのである。

  9. 訂正します。
    前投稿、北海道の三分の一ではなくて、一割が実情に近いようです。
    昨夜のチャンネル桜の番組「中国の日本属国家シミュレーション」での同社社長、水島総氏の発言に基づいています。

  10. 今日も国会は花見の話で盛り上がったようです。

    頭の中がもやもやしていて整理できていないのですが、、、、、、
    追及する野党の人たち、それを報道するマスコミの人たち、
    いずれもこの話題に拘ることが多くの国民の支持を得られていない
    ことを解っているのではないでしょうか?

    山尾志桜里議員のfacebookです。(普段は見る気がしないけど)
    https://www.facebook.com/yamaoshiori/posts/1179924975533934/
    ここのコメント欄を見ていて、そう思いました。

  11. 失礼しました。
    すでに同じ指摘をしているジャーナリストの方もいらっしゃるようですね。
    辛坊治郎氏とか。

  12. 「ペシャワール會代表の中村哲醫師が銃撃されて死亡」といふ新聞記事を
    讀んで、昨年だつたか、福岡縣若松出身の友人が同郷の作家火野葦平を語つた際、火野の甥とかに、憲法9條を信奉して、アフガンで活動してゐる
    醫者がゐると言つたことを思ひ出した。

    9條をあがめる人は珍しくなく、友人が何故そんな話をしたのか分らないが、暇にあかせて、然るべきブログを開いてみた。正に、この中村醫師だ。伯父ーー甥の關係は間違ひないらしい。中村さんの、以前の談話(インタヴィウ記事?)も出てゐる。以下はそのコピペ。

    「アフガニスタンでNGOとか国際機関なんかが襲撃されることは何回もあります。でも、我々が襲われたことは一度もありません!日本の憲法、ことに憲法9条というものの存在も大きい!政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです」
    「具体的に、リアルに、何よりも物理的に、僕らを守ってくれているものを、なんで手放す必要があるんでしょうか。危険だと言われる地域で活動していると、その9条のありがたさをつくづく感じるんです」
    「武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。それが具体的な形と
    して存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、現地
    の人たちも分かってくれているんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです。9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ」

    やれやれ、「絶対に」「守ってくれている」と信じてゐた9條が守つてくれなかつた。これでは中村醫師は浮ばれない!

    讀み進むと、事件の状況が簡單に書かれてゐる。

    「同乗していた運転手や警備員など5人も死亡したということです」
    「中村哲医師は実際には警備員を同乗させていたが、警備員の人数や武
    器が不十分だったために運転手や警備員など5人も巻き添えにして死なせ
    てしまった!」
    「最初から多くの警備員や強力な武器を多数備えておけば、誰も死なずに
    済んでいた!」

    なんだ、警備員がゐたのか。中村さんは嘘をついてゐたのだ。それなら問
    題はない。

    「知つてゐてつく嘘の方が知らないで言ふ嘘よりはマシだ」(プラトン)
    「他人の目を瞞すことは、時には生産的でさへありますが、自分で自分を
    瞞すことには救ひはありません」(西尾幹二)

    中村さんは自分の言葉を信じてゐなかつたのだ。それなら救ひがある。
    多分成佛することだらう。

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