坦々塾研修会・懇親会 ご報告②

ゲストエッセイ
吉田圭介

坦々塾研修会は続いて西尾先生のご講話「二つの病理・韓国の反日と日本の平和主義」に移りました。 冒頭、先生は会場到着が遅れたことを詫びられ、体調に何が起こるか分からず予定が立てにくい現状を述べられましたが、但し健康状態は至って堅調であり、ご友人のお医者様からも「100人に1人の強運」と評されたエピソードを語られました。

 数年前の大病を乗り越えられたご自身について先生は、「なぜ上手くいったのかは分からない。ただ、病気についてあれこれ情報を漁ったりせず自分でも驚くほど無関心でジタバタせずに居たことが、逆に良かったのではないか」と振り返られ、「それは腹が据わっていたというわけではなく、目の前の課題・執筆・思索に追い立てられているうちに時間が経過していっただけだが、神経の奥深くに不安があって、思いもよらぬ場面でコントロールが効かないこともあった」と、ご自身の心理を分析されて、この体験は整理して文字にしないとなかなか理解できないので闘病について本を執筆したい、タイトルは『運命と自由』としたい!と、話を纏められ、会場からは大きな笑いと拍手が起きました。

 坦々塾に参ずる者として、先生のこういうご近況を伺うことは何より嬉しいことであり、また、改めて先生の使命感・精神力そして自己を冷徹に分析・理解しようとする深淵な知性に感銘を新たに致しました。

 つづく本題に入るに当たって先生は、ご自身の韓国に対する印象について、竹島の日が制定された際、すでに実効支配を確立しているはずの韓国が朝野を挙げて大騒ぎをし、大統領令まで発して竹島に大型対空砲を設置したのを見て「おかしな国だなぁ」と感じたことを挙げ、日本人としてはまるで講談社の絵本に描かれていた大地に張り付けられたガリバーがちょっと腕を一振りしただけで小人が大騒ぎしている場面を見るような感覚だったと、先生らしいユーモア溢れる例えで表現されました。

 そしてそれは韓国人が竹島の領有権は本当は日本にあるということを知っているからではないか、その事実を伝えるTV番組やインターネット情報は世界中に溢れており韓国人が知らないはずがない、松木氏の紹介した『反日種族主義』が韓国内で何十万部も売れるのもそのためだろう、と分析され、韓国人が問題にしているのは事実そのものではないのではないかと考察を進められました。

 すなわち、領有権についての客観的事実ではなく、領有権問題について日本人が沈黙し忍耐している姿こそが韓国人にとって最も腹立たしいことなのであり、韓国人は日本人が興奮して韓国国旗を焼き日本の小学生が熱狂して竹島の歌を歌う有様が見たいのであり、要するに日本人に韓国人のコピーをさせたいのに、日本人が静かに白けて大人が子供の相手をするかのような態度を取っていることが「韓国人を深く深く傷つけているのですよ...」と、先生がしみじみとした調子で仰ると、会場からはまた大きな笑いと拍手が起きました。
日本人の、自信を持った無視の態度が韓国人を怒らせているのであって、「竹島は日韓両国の『友情の島』にしよう」と言った朝日新聞論説主幹や、竹島の日の設定を非難した東大総長のような、「譲って与えてやる」という意識に基づく姿勢を韓国人は最も侮辱に感じているに違いない、という先生の分析は、真に公平で普遍的・人類的な視点に立つ西尾先生ならではのご発言と感じました。

 さらに先生は、朴正熙大統領狙撃事件の際、犯人の北朝鮮工作員が逮捕されたにもかかわらず当時の木村敏夫外相が「北朝鮮の軍事的脅威は無い」と発言したことに対し、韓国市民が日の丸を燃やし指を切断し大統領が国交断絶まで検討した事例を挙げ、全く無関係な原因も状況も異なる事象に対してでも、日本が関わるという一点だけで感情の激発が起こる韓国人の心理は病的心理としか言いようがない、と首を傾げられました。
これは世界でも例外的な特殊な事例で、フランスとアルジェリア、オランダとインドネシア、あるいはイギリスと旧植民地との間にも見られぬものであり、そもそも日本の行ったことは植民地化でも保護国化でもなく併合であって、比較するのであればハワイやチェコスロバキア等であるべきなのに、韓国が支配・被支配、抑圧と残虐のドラマを勝手に作り上げていった結果、説明不可能な、お互いにどうしたら良いか分からないような状況になってしまったことは、日本にとって不幸なことだ、と先生は韓国の反日の現状について纏められました。

 ここで先生は演題である『二つの病理』を改めて提起し、日本と韓国の病理は方向性こそ正反対だが世界から見れば同じようなもの、それどころか日本の平和主義は韓国の反日病理以上におかしいのではないか!と、二つ目の主題に話を向けられました。
韓国問題でも発現した日本の沈黙と言葉の無さ、主張や反撃の意志の無さが問題を悪化させているのであり、大使の召還などではとても間に合わないこと。慰安婦問題を例にとれば、日本国民が切望する本質的な一点は韓国人を説得することでも経済活動を威圧することでもなく、20万人の無垢な少女が日本軍によって拉致・監禁され性奴隷にされたと国際社会に喧伝されてきたことを打ち消すことにあり、20万という数も軍関与という嘘も日本人は絶対に許すことができないのだということ、先生ご自身が半世紀前フランクフルター・アルゲマイネ紙に掲載された記事を見て憤激して以来、そのことをずっと指摘し発言し続けてきたが、事態は改善されず虚報は各国の教科書に載りユネスコに登録され、それに対して日本の外務省が本気で戦った姿を見たことは一度もないこと...を挙げられ、「私はもう疲れてしまった。何も反響が無いのだから」と、ご自身の率直な心情を吐露されました。「外交官が命を賭して戦うべきは事実ではない国際的汚辱を雪ぐことであって相手国と上手く交流することなどではありません!」という先生の怒りの叫びは、心からの憂いと無念さに満ちたものに感じられました。

 続いて先生は、2015年にユネスコにおける明治日本の産業革命遺産の登録にあたって孤軍奮闘した加藤康子氏とのエピソードを紹介されました。加藤六月元農水相のお嬢さんである加藤康子氏は、内閣官房参与として遺産登録の中心的役割を果たした方で、西尾先生は「驚くべき精神的パワーを持ち、たった一人でユネスコに政治の嵐を巻き起こした女性」と絶賛し、加藤氏が登録推進にあたって立ち上げた委員会に参画された際の体験を踏まえて、話を進められました。

 すなわち、そもそも明治の産業遺産は韓国併合よりも前の時代のものであって非難は筋違いであること、遺産登録の委員会がドイツで開催され、大挙して押しかけた韓国人のプロパガンダをドイツが応援する状況下であったこと、中国とドイツは反日国家群と認識すべきであること、委員会に臨んだ日本の外務省は登録だけを全てに優先させ、日本国の国益と名誉を守るという観点はおろそかであったこと、その結果「強制」という言質を取られてしまい、「端島(軍艦島)はアウシュビッツ同様の強制収容所」という韓国側のプロパガンダイメージを認めさせられてしまったこと等々...。さらに、謝罪と「軍の関与」という国益と名誉に係わる点をあっさり譲歩し、慰安婦像の撤去という譲れない点については文書化すらしなかった岸田外相による慰安婦合意の失敗を挙げ、ひたすらトラブルの回避を優先し交渉の妥結だけを目的とする姿勢こそが、日本外務省の交渉態度引いては日本人の対外折衝一般における構造的欠陥だ、と喝破されました。

 先生は「韓国は交渉のゴールポストをよく動かす」という加藤氏の言葉を引用し、日本側が一定の譲歩をすると次の課題を繰り出してくる強請や集りのような韓国のやり方に日本側がいつもむざむざと乗せられてしまう一番の原因は、日本人が交渉において最初から自分の意志を明確にせず、常に双方の歩み寄りを前提にし彼我の主張の真ん中を設定したがるからなのだと解明されました。慰安婦問題のように、真実は動かすことができず絶対に譲れない妥協できないケースも有るのであり、そんな交渉で真ん中を設定することなど不可能で、それをやればおかしなことになるに決まっている、バカじゃないだろうか?問題の根本的解決ではなく相手との妥協点ばかり索めようとする日本外務省こそがゴールポストを動かしているのだ!と先生は断じられました。

 慰安婦合意がアメリカの関与・承認を得て行われたことで「国際合意を踏みにじる韓国」という形勢を確立できたことが現在の日本政府の韓国に対する強い態度を齎しているのであり「無駄ではなかった」と、一定の評価をしつつも、「ありもしない犯罪を外国からのちょっとした圧力ですぐに認め、謝罪し、賠償まですることは、国民の未来を裏切る行為です」と、沈痛に述べられる先生の姿が強く心に残りました。

つづく

「坦々塾研修会・懇親会 ご報告②」への17件のフィードバック

  1. 西尾先生の多くの著作に目を通し、そのご意見に心服し、心から尊敬申し上げていますが、誠に失礼ながら率直にいって、ここでのご発言は、100%賛同しつつ、故ブリュッセル氏の云う居酒屋の宴会やごまめの歯ぎしりに聞こえます。先生の数々の本の公刊、ご発言にも拘わらず、作る会の歴史教科書に中国を「共産党政権」と書くと検定を通さない、中国の出入りを許し中国ウイルスの蔓延を国内に促す日本は最早反日国家です。加藤靖子氏のような快挙は稀で、事態は悪化の一途を辿っています。処方箋は真正保守政党を立ち上げて拡大することに尽きます。これ以上の先生はじめ保守思想家の御発言、行動に結びつかない言論は無力で無益です。昨日、「維新の源流、水戸学」を拝読しました。藤田幽谷は後期水戸学の思想家ですが3度死を決する行動家でもあったことを知りました。

    1. 矢口様
      毎日ここに来ているわけではないのでご質問に気付きませんでしたが、答えは、「参加はできないが共闘の用意はある」です。いきなりのご質問ですが、質問の趣旨、矢口様の御立場を披歴することがマナーでしょう。たしか西尾先生のお考えも「自民党の右に政党を建てる」ことが現状打破、救国の唯一の手段です。救国統一戦線は人のえり好みを言っていては出来ません。西村氏や田母神氏は何をしているのでしょう?山田氏や青山氏の国会質問には迫力がなく、とても日本の尊厳を守る勢力にはなれません。自民党は、壊すか、従わせなければ戦後体制は変わりません。水島氏であろうが誰であろうが少なくも日本の尊厳と国益を第一に考える真正保守の旗を立て、保守勢力を糾合して、国会に議席を拡大する政党が生まれない限り日本は地獄に堕ちます。昨日、以前拙ブログで叩いた読売のナベツネ一代記のテレビ番組を見ましたが図らずも彼が中曽根と並んで戦後日本をダメにした元凶の一人であることと戦後自民党政治の実態が暴露されました。90代ですのでやがて居なくなりますが御厨など後釜がゴマンと生まれて居て、このままではナベツネの日本が続くでしょう。西尾先生の目の黒いうちに真正保守の新政党を作らなければ日本に未来はありません。これが今現在の「国家の行方」であり、これを阻止するのに、知識人や国民の真贋を試している暇はありません。昔から国民の殆どは武漢ウイルスやちり紙を心配することはあっても、食い物の美味い不味いに感心はあっても、歴史を知らず国の命運に無関心です。

  2. 「国家の行方」を読む

     平成元年(1989年)五月から現在まで、百一篇に及んだ産経新聞コラム「正論」論文をテーマ別に七章に分けて編年体に編み、力の籠った序文「問われているのは日本人の意志」が書き下ろされた。
     読み進むうちに、自ずと湧き上がるのは三十年前からの所説が現在でもそのまま当てはまるという驚きである。そしてこれは恐らくは現代最高の政治的叡智の書であるという実感である。何よりもアメリカ政府を始めとする各国の意図を、また、意志を発動することのない日本政府と国民の心根を常に正確に見抜いている。国際秩序の構造を透視し、その流動化が日本にもたらす条件の変化と脅威の様相を恐ろしいほどに見通している。
     また、各篇を追っていて痛感するのは、米国政府の無節操な一貫性のなさである。北朝鮮との一切の話し合いに応じないと言っていたブッシュジュニアは、一ヶ月すると話し合いはするが交渉はしないに変わり、さらに翌月平成十五年一月には、北が核開発をやめたら食糧やエネルギー援助を与えると宣言した上に、軍事侵攻はしないという約束を文書化するとまで変節する。それでいながら、北に拒否される。北を丸裸にするハルノートとも言うべき侮辱的な要求を突きつけたにもかかわらず、それは米国の強さから出たものでなく自らの手詰まり状態を暴露するものとだという弱みを握られるはめになる。これが北を「悪の枢軸」と言った大統領の体たらくである。
     しかし既に西尾氏は、米国の出鱈目は国際政治の常態だと言っている。
     「イラクのフセイン元大統領は処刑され、彼と同程度の国際テロを繰り返した北朝鮮の金正日総書記は、処刑されるどころか、テロ国家の汚名をそそいでもらい、金品を授与されるという。米大統領はその政策を『良い最初の一歩』と自画自賛した。目茶苦茶なもの言いである。ここまで来るともう大義も道徳もなにもない。
     私は米国を政治的に非難しているのではなく、もともと目茶苦茶が横行するのが国際政治である。米国に道理を期待し、米国の力に一定の理性があると今まで信じていた日本人の依頼心を早く捨てなさい、さもないと日本は本当に危ういことになりますよ、と訴えているのである」(p240-241)。

     緊迫する東アジアの情勢下、問題は「日本に打つ手がないことだ。昔の時代はなにひとつ参考にならないのに、状況は(日清戦争勃発の)百年前に少しづつ似ている」(p117)。
    「北は核を捨てても、生物化学兵器と特殊テロ工作員潜入で日本を威嚇し続けることができる。そういう国に日本が巨額経済援助をすることが米中露の合意意志とならないともかぎらない。戦争さえなければ何でもありが許される『奴隷の平和』に慣れてしまったこの国の国民の、シーンと静まりかえった無意志、無関心、無気力状態は、外から忍び寄る変化の影にも気がつかない。
     その結果は予想もつかない地球上におけるこの国の位置の変動を引き起こすだろう。一口でいえば『日本の香港化』という帰結を。
     核だけ抜いて北朝鮮を維持し、日本を平和中立国家のままに北と対立させておくのは中露韓の利益に適(かな)い、日本自らがそれでよいなら、アメリカも『どうぞお好きに』となるだろう。日本列島は返還前の香港のような華やかな消費基地でしばらくあり続け、政治大国と錯覚している間に大陸に吸収される。アメリカは『サヨナラ』というだけだろう。今が転換点である。自ら軍事意志を示せない国は、生きる意志を示せない国である」(p210)。

     西尾氏は、米国大統領選挙の後、核を決して手放さない北朝鮮と放棄を迫るアメリカが正面から向き合う機会が到来する可能性を示唆する。その時に起こるのは日本の権力中枢の漂流である。
     「北朝鮮のテポドンが列島を越えて三陸沖に落ちたとき、あれは人工衛星の打ち上げ失敗だという北の公式発表があり、日本の国民は誰ひとり信じなかったが政府は違った。(中略)北朝鮮の人工衛星説に取りすがったのである」(p19)。また、東日本大震災と福島第一原発の事故が勃発し、国民が半ば浮き足立って右往左往する局面で、日本は国家意志を失い司令塔のない無政府状態に近づいた。
     この次、「このままでいくと、かりにミサイルが日本国内のどこかに着弾し、死傷者が出たとしても、(中略)日本は『戦争ではない』ということにするためのありとあらゆる法的詭弁を繰り広げるはずである」(p19)。さらに「戦争を仕掛けられていると常識的に認めざるを得ないほどに立ち至った場合を考えてみよう。当然、日米安保条約が発動する。(中略)運命の岐(わか)れ目はそのときである。国際社会のルールに従って戦争に踏み切れば、この国は生き延びられる。万が一、時の首相がアメリカに一寸(ちょっと)待ってくれとためらいをみせたら、それが『日本がアメリカから見捨てられる日』となるであろう」(p19-20)。
    その結果「万が一半島に核が残れば、日本だけが永遠の無力国家となる。(中略)いったん決まれば国際社会の見方は固定化し、民族国家としての日本はどんなに努力しても消滅と衰亡への道をひた走ることになるであろう」(p24)。
     この後、鮮烈で残酷な真実を開示する名文三行で序文は締めくくられる。直接当たっていただくために引用は控えるべきだろう。

     珠玉の一篇、原題「文学部をこそ重視せよ」は「自らの歴史の中に活路はある 言語を磨く文学部を重視せよ」と改題されて収録された。今回、改めて啓発されるところがあった。
     「学者の概説を通じて間接的に自国の歴史を知ってはいるが、国民の多くがもっと原典に容易に近づける教育がなされていたなら、現在のような『国難』に歴史は黙って的確な答えを与えてくれる。  
     聖徳太子の十七条憲法と明治における大日本帝国憲法を持つわが国が三番目の憲法を作ることがどうしてもできない。もたもたして簡単にいかないのは何も政治的な理由だけによるのではない
     古代と近代に日本列島は二つの巨大文明に襲われた。二つの憲法はその二つの文明、古代中国文明と近代西洋文明を鑑(かがみ)とし、それに寄り添わせたのではなく、それを契機にわが国が独自性を発揮したのである。しかしいずれにせよ大文明の鑑がなければ生まれなかった。今の日本の困難は自分の外にいかなる鑑も見いだせないことにある。米国は臨時に鑑の役を果たしたが、その期限は尽きた。
     はっきりみつめておきたいが、今のわが国は鑑を自らの歴史の中に、機軸を自らの過去の中に置く以外に、新しい憲法をつくるどんな精神上の動機をも見いだすことはできない。もはや外の文明は活路を開く頼りにはならない。
     そう思ったとき、自国の言語と歴史への研鑽(けんさん)、とりわけ教育の現場でのその錬磨が何にもまして民族の生存にかかわる重大事であることは、否応(いやおう)なく認識されるはずである」(p283-4)。
     これは誰も言わなかった深い叡智の言葉であり、新憲法前文草案を公表した西尾氏の言であることに注意すべきである。
     新憲法は自国語と自国の歴史に深く測鉛を下ろした言葉で書かれなければならない。明治憲法を起草した井上毅は、フランス法・ドイツ法を学んだだけでなく、「古事記」、「日本書紀」以下の六国史、「令義解」、「古語拾遺」、「万葉集」、「類聚国史」、「延喜式」、「職原鈔」、「大日本史」、「新論」等に通じていたとされる。日本の歴史をわがものとしない者に新たな創造などあろうはずはないとは小林秀雄の言である。

     「わが国では政治危機に当たって先導的役割を果たしてきたのは文学者だった」(p285)として、竹山道雄、村松剛、小林秀雄、田中美知太郎、福田恆存、江藤淳を挙げ、「国家の運命を動かす重大な言葉を残した危機の思想家が、みな文学者だったということは偶然だろうか」(同)と問い掛ける。「右顧左眄(うこさべん)せず、時局を論じても人間存在そのものの内部から声を発している」文学者が西尾氏を以て最後と思えることが私の深い懸念である。本書は「危機の思想家」としての西尾氏の姿を鮮やかに示している。本書は、読み返す毎に文章が浮き出て光を発し、異なる部分が新たな意味を開示するであろう。
     国家の真贋、為政者の真贋、知識人の真贋、国民の真贋が試される時が、恐らく刻一刻と近づいている。われわれは、氏の認識と所説の厳しさにたじろぎながらも、同時代の賢者の驥尾に付して歩く喜びをわがものとし得るのである。

  3. 勇馬様
    大変失礼いたしました。私はチャンネル桜二千人委員会、頑張れ日本全国行動委員会、国守衆のメンバーです。確か昨年の今頃、勇馬様が新保守政党を立ち上げるべくブログに宣言書をお書きになっているのを拝読しご苦労なさっていると拝察し、不躾な質問となりました。お許しください

    1. 矢口様

      不躾などと飛んでもありません。ご質問の背景を了解しました。2千人委員会への参加も、同じ保守の端くれとして理解します。水島新党が大きくなれば共闘する用意でした。一部意見の相違がありますが、小異を捨て大同につかねば何時までも戦後75年の日本の現状を変革できません。真正も疑似も日本ファーストの保守に変わりはなく、連帯すべきと思います。ただ水島氏は保守合同の核になる器ではなく氏もそれは承知しているでしょう。今の中共ウイルスの猖獗は、中国こそが世界の災厄であることを明瞭に天下に示しました。WHO以下、日本の与野党などチャイナマネーへの拝金主義者を除き、世界中の人々が覚知した筈です。中国から共産党を追い出す絶好の機会ですが、日本に真正保守政党が存在しないために手も足もでません。日本が主導して自由諸国を糾合し共産党打倒に立ち上がるまたとない好機なのですが歯がゆいかぎりです。

  4. 武漢ウイルスよりも中共ウイルス

    いまは地球上の全世界の国民が一致協力して武漢ウイルス撲滅に取り組まなければならないことは論を待たないが、中国だけには、他人ごとの如く、それを言って欲しくない。SARSに続き、再び自国の衛生管理の不備からウイルスを発生させたのは過失責任としても、その事実を少なくも2か月は隠蔽し続け全世界へ感染を拡大させたのは故意責任、少なくも未必の故意責任があり、この責任は中国政府すなわち一党独裁中国共産党が負わなければならない。責任があれば当然賠償の義務がある。因果関係の立証は容易である。この声がなぜ日本でも起きないか?「日中友好」以来の共産党宣伝工作が政官財マスメディアに行き渡り成功しているからである。

     中国共産党宣伝部は今頻りに米国が大統領以下、「チャイナ・ウイルス」と呼称することを人種差別と非難し、一部のマスコミがその尻馬に乗っており、日本での報道も「非難合戦」などと伝えているが、これは中国共産党の思う壺であろう。中国共産党は自らの罪を深く自覚し責任追及の予防線を張るための、必死の、そして得意な、自衛宣伝プロパガンダ・ディスインフォーメイションである。今までも、今でも、これからも、彼らの公表する数字はウソ捏造デタラメであり一切信用してはならない。信用できない政府が地球上に存在すること自体が誤りであり、中国人民にも迷惑であり、ウイルスそのものである。

    いま米国でこの「中共ウイルス」の蔓延により頭に来た白人の愚か者たちがアジア人への暴力事件を頻発させている。在米韓国人や日本人こそいい迷惑である。中国政府いな中国共産党への嫌悪を、罪の無い無辜の中国人や、外貌の似た韓国人や日本人にすり替える愚はもとより間違いであり非難されるべきであるが、この暴力現象に対する非難は、これらの愚か者どもよりも、寧ろ原因を作った習近平以下の共産党首脳に帰せられるべきである。世界中の人々に「大変ご迷惑をおかけしお詫びの言葉もありません。罪を償うため、軍事予算から100兆ドルを中共ウイルス対策費として基金を作り拠出しますのでご勘弁ください」と一言だけでも言えば、中国は面子を取り戻し、中国人への迫害は無くなるだろう。いまのような居丈高な開き直りを続ければ馬鹿者の中国人迫害はウイルスの如く猖獗を極めるだろう。心ある中国人民の反乱も避けられないはずだ。

    本来なら被害を受けた全ての国家が連合して中国共産党政府に国家賠償を正式に請求するべきである。そのぐらいのお灸を据えなければ2度あることは3度で、また繰り返すだろう。賠償請求には透明性ある再発防止策の厳しい実効性のある要求が伴わなければならない。

    以上、昨日の弊ブログですが、2月にアップしていた対中損害賠償請求の私見が保守言論人のなかから、知る限り、ようやく今朝(3/26)の産経新聞広告に初めて登場しました(堤・久保問答)。本文は読んでいませんが、損害発生と因果関係が証明されれば不法行為の損害賠償責任が発生するのが当たり前です。このことを主張する言論がかくも遅いということは保守層にも共産党の工作が浸透しているのでしょう。今後、米国の弁護士の動向に注意することになります。

  5. 「中国は反転攻勢から鎖国へ向かう」
    ーー (西尾先生・『正論』6月号)ーーを讀んで

    「新型ウィルスが世界中に猛威を振るっている最近、我れに利あらずといま事態の推移をじっと見守っているであろう中国の中枢に座す指導者ないし権力者たちが密かに立てている計画は、毛沢東時代がそうであったような『鎖国』時代への準備である」
    「諸外国を下位に置く序列構造の画策がついに失敗したらどうするか、といま気づき出しているとすれば、彼らにやれることは今のうちに守りを固め、冬籠りの体制に入ることである」
    「ひょっとすると米国もそれを望んでいるのかもしれない」

    これは、私には意外だつた。「中華」の名にふさはしく、常に地球上の話題の中心にゐる、支那の將來について、少しは考へたことがあつたが、「鎖國」には思ひ至らなかつた。期待をこめてーー四分五裂、適正規模の國々にならないかな。そもそも秦の始皇帝が、七つの國を無理に統一し、以後、それが基準にされがちなのが、間違ひのもとだ。そこには合理性はなく、共通のアイデンティティも、カオスとい ふこと以外にない。日本にとつ て一番、迷惑の少いのは「五胡十六國」くらゐかなーーなどと勝手なことを考へた。

    さういへば、毛澤東時代には、チベットなど、ごく近くは侵掠したが、日本が直接攻められさうな恐怖を感じるほどのことはなかつた。尖閣はもちろん、沖繩に對する野心さへ隱さずに、連日のやうに我が領海を侵犯し、日本國内の土地を買ひあさる等々の、 諸々の傍若無人の振舞ひに、「もしも、あの國の屬國になつたら・・・」 などと、怯えて想像せずにはゐられない昨今とは大變な違ひだ。

    あの頃は、中共が原爆を持つてゐることは怖かつたが、なんといつても、經濟状態が問題外のお粗末さで、從つて、こちらに向ける兵力ありとは思はれなかつた。大躍進とやらで、鐵器時代初期かと見紛ふやうなたたらを、見渡す限りの大地に竝べて、製鋼に勵んだり、田んぼには、稻がたははに稔つて、その「稻の上を子供たちが走り廻つた」(と、日本の新聞は傳へた)りしてゐるうちに、何千萬人もの餓死者が出て、毛澤東は責任を取らざるを得ず、國家主席の地位は劉少奇が襲つた。そんな状態では、外國を攻めたり交はつたりする餘裕はなかつたらう。

    その後、毛澤東が奪權のために文革を發動すると、國中が發狂状態に陷り、否
    應なく鎖國強化といふことになつた。「發狂」にもいろいろあり、場合によつては、外へエネルギーが向ふこともあるが、あの場合はさうではなく、日本としては、ほぼ、高みの見物を決め込むことができた。私などは、こと支那に關する限り、毛澤東時代には、心の平安がかなり保たれてゐた。末期にも、「非林非孔」などを、他人事として、氣樂に話題にすることができた。「世界で最も多くの人間を殺した獨裁者」と言はれる毛澤東にも、日本軍のおかげで天下がとれたといふ思ひがあつたせゐか、日本に對しては、あまり猛々しくなかつたやうな氣がする。

    さうだ。先生に言はれて氣づいたが、昨今の「画策がついに失敗」したら、あの鎖國に戻ることもあり得る。「米国もそれを望んでいるのかもしれない」し、日本にとつては、勿論それがベストだらう。さうなるためには、米國とは、舊怨は一時、棚に上げ、現下の兩國の諸問題については、支那の件が一段落つくまでといふ期限つきで、早めに、足して2で割つて妥協した上で、能ふ限り協力し合ふべきではないか。

    この欄で昨年、どなたかが紹介された、中西輝政さんの「中露の結束が強まりつつある時に、日本があまり米國との提携を強めると危險なので、要注意、ここは愼重に」といふ説が、 假りに全くの讀み間違ひではないにしても、 當時の「二股はいけない。 ここは、はつきり米國と」といふ西尾説の方が正しく、その正しさが今、誰の目にも明かになつたといふことだらう。

    「しかしそうなる前に一波乱も二波乱もあることはこちらも覚悟しておかなくてはならない」ーーごもつとも。居眠りをしてゐるうちに、そんなにありがたい事態になると 思ふのは、ムシがよ過ぎる。

    まづ、今をどういふ時期と認識すべきか。

    「この十年の世界政治は明けても暮れても”中国問題”に占領されてきた。そしてその流れに終止符を打ったか、あるいは切り替えを迫られた、といってもいい出来事こそが、この疫病の現実である。『新型コロナウィルス』とかいう中性的名称が世界保健機関(WHO)によって与えられ、”中国問題”であることから眼を逸らそうと目論まれてきた背景もここにある。今まさに本論で問おうとしている当の問題に他ならない」

    なるほど、あの事務局長を見れば、國聯や、その下部機構の姿がはつきりとし、ウィルスを初期に抑へ込めずに、ここまで騷ぎを大きくしてしまつた一因も、多分そこにありさうだと想像がつく。

    國聯とは、第2次大戰に於ける「聯合國」の意圖的誤譯で、日本などの敗戰國に對する「舊敵國條項」を持つ。そんな機關に、日本が哀願して入れてもらつたのも妙だが、その後また別の、妙な性格を帶びるに至つたことは周知のとほり。

    日本で、「中性的名称」を匡すべく、”武漢ウィルス(肺炎)” と呼んだところ、早速、立憲 の蓮舫議員が「差別表現だ」と因縁をつけて、「それなら、スペイン風邪、香港風邪、ソ聯風邪はどうか。 そちらはいいのか。抗議したのか」と、逆にやり込められたのは御愛嬌。もつとも、「地名はNG」といふ ”ルール” がどこやらにある らしく、新聞などは忠實にそれを守つてゐるやうだ。

    脱線するが、最近は至る所で、知らぬ間に、「NGルール」ができてゐて戸惑ふと書かうとして、 50年近く前のことを思ひ出した。私の編輯する雜誌が發禁處分になつたのも、それに似た「ルール」に反したといふ廉でだつた。「ルール」を知らなかつたとは、日本國民としてのみならず、人間として許されないとのことだつた。その宣告に反撥したわけではないが、身に沁みもしなかつたのだらう、不注意により、都合10囘も、同じ處分を食らふことになつた。

    次々と、神聖不可侵のルールが出現し、一般人の異議申立ては許されず、かく
    て自己規制が進行する。それよりずつと前、20代半ばの西尾先生が參加して
    をられた同人雜誌にも、愉快な自己規制があつた(西尾幹二全集第3卷・『雙面神』脱退の記」參照)ーーあの頃と同じだ。世の中は變らないとも、つくづく思ふ。

    「鄧小平の先富論より以降、修正を加へられたはずの中國共産党の実態が結
    局は何であり、世界は今後それと付き合って行けるのか否かを、いよいよ誤魔
    化さずに問い質さなければならない秋(とき)が来たのだ。その真相を具体的に身に沁みて肝に銘じるよう強いられたのが、たまたま今度、疫病という形をまとって現われたまでである」

    それならばーーここで、「身に沁みて肝に銘じる」ことができるならば、かへつてチャンスになるのではないか。取り敢へず、日本國内の受け止め方はどうか。

    「技術開発が地球上の自然破壊の限界に達し、未知のウィルスを誘い出した
    ことが人類史上の最大の問題点だという論点を出して(例えば四月四日夜放
    送、NHK Eテレ『 ETV特集 緊急対談』)、 中国の政治体制と現代中国人の拡張的脅威」の問題を蔽い隠してしまおうとしている、日本のメディアの特徴でもあり、意図して行われる問題のすり替えである」

    いかにもNHKらしい組み立てだ。インターネットテレビなどではいろいろな扱ひをしてゐるやうだが、これが代表的な日本のテレビ放送の特徴であることは間違ひない。確信犯なのか、ただ世間の風に流されてゐるのか。毎度お馴染
    みではあるが、先生、よくぞ、こんな番組に目を止められ、記録されたもの。

    「日本の経済界要人の中国に関するあまりにも平板な通念にとらわれている
    認識の甘さがある。経団連会長の中西宏明氏は『米國って、時々、『上り調子
    の経済圏をたたく 』ということをしますよね』(2020年3月16日、 日経ビジネ ス)と、ま るで握手したりしなかったりの競争者同士のたわむれのごとくに米中関係をとらえ、『日本にとっては、人口が日本の十倍以上あるお隣の中国は膨大なマーケットであり、無視するなんてのは「論外」です』と最初からから揉み手をしている。中国のリーダーたちは『自由で開かれた国際貿易を支持し』その一帯一路には『覇権的な意図はないと再三表明』されている通りだ」(2019年5月7日の定例記者会見)と向こうの言い分に全面屈服している」

    先生のゲンナリとされた表情が目に泛ぶ。よく我慢され、日經ビジネスなどの
    記事を寫された。私は、それについて云々する氣力が出ない。普段、新聞、
    テレビ、ネットなどで、政治家の言動に接することはあり、大抵腹を立るが、經濟の人のことは殆ど知らない。今、先生から中西會長の言を示されて、政治
    家の言とピッタリ照合することに驚き、なるほど、この經濟人ありて、あの政治家ありだと十分納得した。商賣人が情勢判斷を誤つて、大損を出したら、身の破滅。經濟合理性に徹すれば、そして利に眞に敏ければ、政治家よりも、シヴィアな、確かな目を持つ筈などと買ひ被つてゐた。これほど氣樂な商賣人がゐるとは知らなかつた。

    では政治の方はどうか。

    「二〇二〇年一月から二月へかけての春節の折の中国人大群衆(約九十万人)
    を迎え入れてしまった初期のミスや、刑法上の罰則規定をも含む新しい都市封
    鎖への法令の整備を急がない政府の不決断が、今回は辛うじて大破局なしで
    済ませるかもしれなが、幸運の繰り返しを保証するものではない。安倍総理が
    国会で『日本は今のところ何とか持ちこたえている』とくりかえし発言した背景は・・・日本社会の特質、 伝統的な衛生観念にあることは許される見方ではあるが、しかし、政治はつねに未知のものへの畏れ、最悪の事態の準備を要求している」

    私の見落しでなければ、安倍さんの名前が出るのはここだけ。現政權のトップなのになぜ? 私の勝手な想像だが、安倍さんをとつくに見限つてをられるせゐではないか。先生は久しく安倍政治を批判したり、アドヴァイスを與へたりされたが、安倍さんには何を言つても無意味と諦められたことは間違ひない。

    『週刊ポスト』(平成29年9月8日號)に、先生の次の談話が載つてゐる。

    「保守系のメディアはまったく安倍批判を載せようとしない。干されるのを恐れているのか、評論家たちもおかしいと分かっていながら批判してこなかった。 しかし、 本来なら保守の立場こそ、偽りの保守を名乗る安倍政権を批判しなければいけないのです。私の論文はもう保守系雑誌には載りませんが、何も恐れてなどいない。 覚悟を決めて声を上げるべきなんです」
    「叱咤激勵するつもりはないですよ。單純に安倍首相の人間性に呆れ、失望しただけです」

    私も安倍さんには望みを持つてゐない。戰後民主主義の申し子であり、WGIPの注射に心身を完全にコントロールされ續けてゐる彼にとつて一番大事なのは、國際社會の價値であり、それから獨立した、日本人を基準とした價値などがあらうとは想像もできないのだ (その安倍さんの、 WGIP效果の裏返しとも言ふべき「戰後レジームからの脱却」に飛びついた自分の愚かしさは、この際、棚に上げておく)。 「人類普遍の原理」とかいふ、憲法の言葉をも、謹んで拜してゐるに違ひない。そして、周りのムードががガラッと變らない限り、一度刷り込まれたことを墨守することしかできない。

    これを先生は5~6年前、「教養がない」といふ上品な言葉で評された。基本はそこで、眼力や判斷力も、思ひやりや優しさや氣品や勇氣も、眞のものは、教養から湧いてくるのだらう。教養は、學校で勉強したり偉い人の話を聞いたり貧民窟を訪問して住人と言葉を交したり、繪を見たり音樂を聞いたりすることとは直接の關係はない。教養は、どこで何をしてゐても、こちらの心構へ・姿勢次第で自然に育まれる。何に接しても、何を注がれても一切身につかないといふことがある。さういふ人もゐる。生來の資質だらう。

    嘗て安倍總理は、プーチン大統領との會談のあとの共同記者會見の席で、プー
    チンに呼びかけ、「ウラジーミル、君は・・・」と言つた。まともな日本人なら、かういふ科白に、ぞつとする(鳥肌の立つ)感覺を備へてゐなければならない。安倍さんにそれが缺けてゐるのは、生れつきだらう。さういふ感覺が教養から生ずることもあるのか、私は知らない。マニュアルとして教へ込まれれば覺えるだらうが、それは教養とは言はないだらう。

    平成28年のサミット會場を伊勢にしたことについて、畏友伊藤悠可さんは本欄で、次のやうに批判した。

    「(安倍總理は)伊勢の神気というものを念頭において、純粋に目の当たりに神明造りの社を見せたいという気持ちがあったのだろう。そのとおりなら、私はその純粋な動機が子供じみていて深慮に欠けているとも感じられ、少しいやなのである。自分は伝統を最も重んじる政治家だ、伝統の最上といえば伊勢だ、神宮のすばらしさをトップリーダーの眼にやきつけてもらう。言い換えれば図式化された感動づくりなのだ。安倍晋三にはそういうところがある。日本イデオロギーというべきか」

    私は悠可さんの洞察に舌を卷いた。安倍さんに気の毒になるくらゐ、その安つぽさが見抜かれてゐる。「日本イデオロギー」とは言葉を換へれば、「教養の缺如」のことであらう。

    さういふ安倍さんを、やはりWGIPの毒の愈々利いてきた「輿論」が支へつづけることへの西尾先生の絶望感が、一昨年の歳末、本欄に、
    「何を言っても、何を仕掛けても、この国の国民はもう反応する動きを見せない。私は今年も幾つもの石を投げ入れてみたが、国民の心は小波ひとつ立たない泥沼のように静まり返っている」
    「この国の国民はもう過去のことも未来のことも気に掛けなくなった。いま現在が幸せであれば、すなわち平穏無事であればそれで良いのである」
    とお書きになつたり、坦々塾で、「こんな國は地獄に墮ちるだらう」とおつしやつたりーーさせたのではないだらうか。

    先生のおつしやる「初期のミス」のあと、3月までなんとか低く抑へてゐた感染者數が、入國制限を嚴しくした4月3日以降、急に跳ね上つた。これは中國人を、「 特段の事情」と稱してどんどん入れたためである。これがインチキであることは、「特段の事情」についての註がころころ變り、互ひに矛盾することから明かだーーといふ説がある。

    入管が何をしたのかはともかく、諸國民を日本國民より上位に置く安倍政權を忖度する可能性は十分にある。日本國民の生命は大事だが、諸國民の中でも有力な支那人に便宜を計ることは總理の意に叶ふと考へるのが自然だ。

    先生は、 安倍さんの名を出しても、一般論的に「未知のものへの畏れ」などと戒められただけで、強く非難はされてはゐない。 やはり、今さら安倍さんについて、それをする氣にはなられなかつたのではないか。更に、ウィルス對策についての安倍批判は、他に無數にある。敢て先生に待つ必要はない。

    私も屡々批判に接した。曰く、決斷力がない。すべてが後手後手にまはり、折角のチャンスを逸してゐる。戰力の逐時投入により、對策を打つはなから、それを無效にしてゐる。緊急事態宣言までの、諸外國とは比ものにならないほどの救ひがたいもたつき! マスク2枚とは、そこまでヤキが廻つたか! 等々。

    どれも、そのとほりだらう。たしかに判斷を誤つたり、遲れもしただらう。でも、今まで經驗したことのない、むづかしい對處だつたのに、そこまで安倍内閣を罵倒しては、ちと酷ではないか、そんな氣持にもなつた。就中、今まで安倍一邊倒だつた人々が、慌てて逃げ出したり、昨日までの御主人樣に對して、「限界を露呈した」などと惡態をつくのを見て、” ビジネス保守 ”の本性がよく表はれてゐると思ひ、少しだけ安倍さんに同情した。

    安倍さんが、お茶を飮んだり、犬を抱いて寛ぐ例の動畫は私も見て、表情が硬
    いし、演技も巧くないと思つた。performer としては、中曾根さんや小泉(純一郎)さんよりも、數段劣るが、その下手なところに、かへつて好感を持つたりもした。「あれでパフォーマンスになつてゐると思ふところが、完全に狂つてゐる。最早救ひやうがない」などと、ついこの間まで、安倍さんの忠犬として、シッポを振り續けてゐた、チャンネル櫻の常連たちが、口汚く罵るのには、流石と思つた。社長が西尾先生の安倍批判を「左翼」みたいと評したことを、我々は覺えてゐるが、御本人はさつぱりと忘れてゐるのだらう。さうでなくては・・・。

    脱線序でに言ふと、安倍内閣の存亡に關して、私の頭にあつたのは、4月上旬
    に豫定されてゐた習近平の國賓來日だつた。ウィルスが擴まり始めても、この
    件は引つ込められなかつた。安倍さんに、如何なる反對も押切つて、斷乎強行
    するほどの膽力はある筈がないが、他方、平素の優柔不斷ぶりから推して、支
    那(國内では、財界、公明、自民の親中勢力etc)の不興を買ふことが怖くて言ひ出せないままに、ずるずるとーー といふことになる可能性はある。

    さうなつたら、政權がふつ飛ぶかもしれない。安倍さんと呼吸のよく合つてきた「輿論」も、最近は支那・韓國を嫌惡してゐるから、安倍さんを許さないのではないか。龜裂が生じるかもしれないーーそれが、 御承知のとほり、その後のウィルスの豫想を越えた猛威により、自然、國賓は延期になつた。ウィルスは安倍さんにとつて神風でもあつたのではないか。それに、經濟その他、あらゆる不調も、ウィルス禍のせゐと、大目に見られることが期待されるし、彼には幸運がついて廻るのではないか。

    閑話休題。現在、「中華人民共和國」と稱する支那の特質は何か。

    「『古代専制国家』の構造をそのまま引き摺っていることである。人間を統治
    する者とされる者との二つに分類し、統治される者には人権も認めないのは
    この國の政治文化である。今でも農村戸籍の者には永久に奴隷労働が許さ
    れるのみで、彼らは都市住民にはなれない。共産党官僚は彼らの不運には
    何の関心もない」
    「中国の歴史はどの時代をとっても金太郎飴のように似ている、中国史には
    古代と現代しかない」
    「古代と現代の間には近世や近代といった『平等』への足踏みを試みる中間
    の時代を経過する余裕がなく、すべての中間項を飛ばして、・・・『現代共産工業独裁体制』を唱導した。古代国家の特質を備えたまま人民支配の制度的
    装置を作り上げたわけだ」
    「欧米がリードし日本が後発した『近代化』は必ずしも絶対的基準ではないけ
    れども、さりとて、あるていどの自由と平等のバランス、衆愚政治を前提とし
    た上での多数決の原則は今の世界秩序の原則であり、他にこれに取って替
    わる名案もなく、世界はその非効率に耐えて辛うじて成り立っている。それな
    のにひとり中国共産党のみが堂々とこの原則を無視して、能率の良さのみを
    誇って今日に至っている」

    實に多くのことが語られてゐて、考へさせられる。 先生のどの言にも納得し
    たが、こちらの知識不足のせゐで、すべてが腑の底まで落ちたとは言へな
    いかもしれない。自分で勉強して、考へてみなければならない。

    「古代と現代しかない」のは、現在の我々には實に不都合に思はれるが、そ
    の間に「中間項」を有することが「人類普遍の原理」なのだらうか。

    「自由と平等のバランス」の價値は、散々議論も實驗も經た上で、原則とされ
    てゐるのだから、 異議をさしはさむことはできないが、二つとも無視してゐる
    支那には、バランスもへちまもない。そして、工業の能率のみーー古代國家
    の特徴を備へた現代國家とは、異形ではあるが、それは人民や周邊に必ず
    災厄をもたらすものとして、排すべきなのか。 假りに、全てが古代のままの
    國家があるとしたら、現代に存立を許されるのか否か。混亂した自分の頭
    は、すぐには收拾がつきさうにもない。

    古代の文化・文明をそつくり殘しながら、「現代國家」たることは可能なのか。三島由紀夫の『豊饒の海』では、主人公がインドのガンジス川を訪れて、その悠久の變らぬ生活風景と沐浴の姿に感動するといふシーンがあるさうで、これは明かに、日本の近代化の進展に虚しさしか感じ得なくなつてゐた三島の
    心情の投影ーーと解説されてゐる。彼の地では、「悠久の變らぬ生活」は、不
    十分ながらも「現代國家」の中で營まれてゐるのか。身分の違ひを絶對とする
    ヒンズー教が、「現代國家」による統治に服するのか・・・。この程度のことは、自分で調べて答が得られさうだ。

    「日本が後発した『近代化』」では、大切な、固有のものを犧牲にし過ぎたといふ批判が強い。固有のものを頑として變へない支那とどつちがどうなのか。
    何を「大切」とするかで、答は樣々だらうが、私は日本に生れてよかつたと思
    つてゐる。そして、命懸けで西洋と相對した先人の苦鬪を忘れたくない。たと
    へ、そこにどんな手違ひがあつたとしても。

    先述の「今こそ、はつきりと米國との提携を」には、強く贊同したいが、その裏には一抹の不安もある。 「己が基準以外に基準を認めない中国人とアメリカ
    人はお互ひによく話が通じる。他人の基準を己が基準とする日本人は、奇異
    の目で見られ、孤立することが多い」とは、海外滯在の長かつた人々の多く
    に共通する體驗談だ。

    明治以來、日本はこれに苦しんだ。 大雜把に言へば、大東亞戰爭に至つた
    一因もそこにあるのではないか。 歐米に合せようと必死に努力する日本に對
    して、歐米は辛く當り、他方 全く合せる意志がなく、自分の流儀を押し通す支
    那の肩を持つ。何故だ。日本は、歐米の制定した國際法を忠實に守つてきた。
    支那はそんなものは眼中になく、平然と蹂躙するのが常態なのに!ーーと、先
    人たちは口惜しかつたに違ひない。

    今後、米國と「提携」してゐるつもりでゐたら、元の米中關係に戻つて、こちらの梯子がなくなつてゐた、といつた心配はないのであらうか。

    パプアニューギニアの情勢について、 昨年、 坦々塾の仲間から教はつた。
    曰く「 實效支配しようとして爭ふ米英豪側と中國側共通の戰法は、資金援助
    と軍事力をベースに彼らの定石といへる世論戰、心理戰、法律戰」。うーん。
    ここでも、彼らは共通のものを持つてゐる。 我が國は共通もなにも、戰法など
    皆無。嗚呼。しかし、だからとて、ためらつてゐる場合ではないのだらう。

    駄辯が過ぎて長くなつた。以下、それをなるべく控へて引用を續ける。

    「鄧小平の『先富』論は、『平等』の達成を待っていたら中国はいつまで経っても先進国に追いつけない。さし当りうまくやれる人、すでに強い立場を得ている者の『自由』を認め、国家全体の底上げをしよう、という現実的な判断に基くのが先富論だと言われていた。国際社会もこれを理解し、自らもそこから利益が得られると踏んで容認したかに見えたが、じつはそもそもこれが大いなる誤解であった。鄧小平が行おうとしていたのは『平等』の永遠の封じ込め、運の良い者の『独り占め』の容認だった」

    昭和53年10月に來日した鄧小平は、新幹線に乘つたり、記者會見をして、
    「日本の弟として、教へを請ふために來た」と言ひ、愛嬌を振り撒いて人氣者
    になつた。これ以降、日本は政官財を擧げて、對中支援に狂奔した。

    松下幸之助などは特に熱心だつたのではないか。この人の「これから求めら
    れるのは政治の生産性だ」といふ發言を聞いて、政治と二股ソケットを同じに
    考へてゐるやうな氣がして、あまり尊敬を感じなかつたが、鄧の要請に熱心
    に應じてゐることについて、「相手が困つてゐる時に助けておくと、あとで、ええことありますのや。施しをしてるんと違ひまつせ」とか、新聞記者に語つたと聞いた時は、なんて甘いとは思はなかつた。別に卓見でもないが、それが普通の人情だらうくらゐに感じた。支那人にはそんなものが無縁であることをよく知らなかつたのである。

    いま調べると鄧の來日は、同年8月に締結した「日中平和友好條約」の批准
    書交換セレモニーに出席するためのものだつた。その翌年1月に催した、私
    の編輯する雜誌の座談會では、支那の意向によつて、この條約に「反霸權
    條項」を入れたことが批判され、「日中條約をやつたが故に米中の反ソ包圍
    網の一翼を擔はざるをえなくなつた」「そこからは一寸身動きできない」「しかもさういふ情勢についての認識も十分でない」と日本外交が嚴しく責められ
    てゐる。今と状況は違ふが、日本が支那に弱く、言はれたとほりにするとい
    ふ點は同じ。

    鄧小平の「白い猫でも黒い猫でも、鼠を獲る猫がいい猫だ」といふ言葉が
    出て來るから、鄧の「四つの現代化」とかは、既にかなり成果を擧げてゐ
    たのだらうが、 出席者はあまり眞劍に採上げてゐない。 「二つの中國」に
    ついて、「臺灣のGDPが國民一人當り千二百ドル、大陸はどんなに高く見
    積つても二百ドルになつてゐないーーこれを一緒になれと言つたつて、な
    るわけはない」と、てんで問題にしてゐない。

    先に、反霸權條項をまんまと呑まされたことを念頭において、「日本はドル
    が餘つてゐるのだから、 ドルを拂つて鄧小平を借りてきて、 外務大臣を
    やらせるといい」「鄧が日本の外務大臣だつたら、日中條約はやらなかつ
    たでせう」などと、 冗談が交されてゐる。今では、 そんなことは言へない
    だらう。 41年經つと、金錢事情はずゐぶん變るものだ。その 10年後に
    起きる天安門事件については當然、誰も豫想してゐなかつた。

    何が起らうが、「國の改革開放の總設計者である鄧小平氏は、その壯大
    な青寫眞を心に描き、中國をいかに發展させていくかを考へてゐた。19
    78年は、中國の國家戰略に大きな轉換が起つた年だ。日中兩國は同
    年8月、『日中平和友好條約』を締結した」といふクロニクルの記述は動
    かせない。鄧の、青寫眞とそれを現實のものにした手際の見事さは勿論、
    それに國を擧げて健氣に協力した日本の功績も忘れられてはならない。
    最大限に感謝されるべきだ。 ああ、それなのに、それなのに。

    「思えばすべては中国の経済上の詭弁、勘定間違いから始まった。それを敢
    えて糊塗した米国や日本やドイツの買い被りにも責任がある」
    「日米中の間に三角貿易が成り立った時代がある。中国は日本から部品や
    資本財を輸入し、日本と米国の進出企業がこれを製品に組み立て、かたわら
    学習した中国企業も組み立てに参加し、米国や欧州に輸出して三方が共存共
    栄する全体の仕組みが出来上った。中国は『世界の工場』と讃えられた。やが
    て製造現場の中国に富が貯まり、外貨準備はあっという間に日本の三倍以上
    に膨れ上った」
    「米国や日本やドイツは中国でいくら製造しても中国のGDPの伸張に寄与するだけで、自らの国富は少しづつ中国に奪われて行くというかたちになることに永い間気がつかなかった」
    「そうこうする間に中国は巧妙で政治的な手を相次いで打つようになった。外
    国企業が中国でかせいだカネは中国の外に持ち出せないこととする(資本の
    移動の自由を禁止し、中国国内への再投資を条件とするという意味だ)」
    「中国にのみ有利で一方的な取り決めが、『巨大市場』の未来に目が眩んだ
    世界各国の経営者たちの忍耐とへつらいの中で押し進められた」

    いくら「目が眩んだ」にせよ、あんまりだ。あれ、そちらばかり儲けて、こちらは、トホホホといふ場面はあつただらう。雀の涙ほどしか這入つてこないけ
    れど、ゼロでないからまあいいと思つたのか。それとも、マイナスだが、巨
    大市場の未來に賭けて、今は我慢しようと考へ、「へつらい」を續けたのか。
    中西經團連会長は痛い、口惜しい思ひをしたことがないのか。懲りた經驗
    はないのか。今も、そのをかしなことに氣づかないのか。商賣人はもつとガ
    メ ツイものではないのか。

    「この二十年で中国に奪われてきた日本のGDPを取り戻す必要があるのでは
    ないか。日本国内の製造業を回復させることが緊急の課題である」
    「中国経済が急拡大した背景はもっぱら輸出にドライブがかかる条件が出揃っ
    ていたことにあると思う。先進国は自国の利益を念頭に置きながら中国のこの
    輸出優先政策を庇護した。数年経ずしてとんでもない怪獣を育ててしまったこ
    とに気づいた」
    「われわれの努力の結晶であった工業技術は計画的にあっという間に横取り
    された」

    これとは、ことの性質が少し違ふかもしれないが、小泉政權の郵政民營化に
    西尾先生は激しく反對された。その主たる論據は、民營になれば、郵貯・簡保
    資金がアメリカに吸ひ上げられ、それはやがて支那大陸に消えるだらうといふ
    ことだつたやうに思ふ。思ひ出してみれば、あの頃の日米中の關係からして、
    見事な卓見であるが、當時の私は、自分のテリトリーとも言ふべき郵政のこと
    について、このやうな認識を持ち得ず、ただただ、國家の任務たる郵便を素
    町人の手に任すなんてバカなことがあつていいのかの一點張りであつた。お
    恥づかしく、今も身の縮む思ひだ。

    「何の悪びれる風もなく白昼堂々とわざとらしい謀略を自己主張に仕立てるこ
    の臆面のなさこそが中国文化である」
    「天安門事件を無かったことにしてしまった今の鉄面皮は戦前にもあった。黄
    河大決壊も、第二次上海事件も、そして南京大虐殺もそうだ」
    「客観的真実というものは中国人に何の関係もないらしい。論証は彼らを屈
    服させない。彼らは包囲されることに慣れている。包囲を切り崩す知恵はあ
    っても、黙っていて輪の外に届く声は持っていない」

    絶えまなく異民族がなだれ込み、殺し合つて、辛うじて生きてゐる者の多くは
    外に逃げ、一部だけ殘る。そこへまた見ず知らずの蠻族がやつて來る。殺さ
    ないと殺されるので、先に相手を殺した者の勝ち。そんなことを繰り返してゐ
    れば、自らの出自も分らず、アイデンティティなど知つたことかであらう。菅原道眞はそれを見て、 遣唐使廢止を具申したのではなかつたか。 そんな國の、今の人々を先生は實に的確に捉へ、 描いてをられる。 「 臆面のなさ」、「鐵面皮」。「論證」?それがどうした?ーー彼らの、活き活きとした姿が目に泛ぶ。

    それは、大東亞戰爭を通じて、支那人と接した多くの日本人が痛感したはず
    だ。そのことが戰後に殆ど傳はらず、甘いイメージを抱いて附合ひ、裏切られ
    續けても、目が醒めないのは不思議(私自身も、孫文や蒋介石などのひどい
    ーーといふ形容詞は、 支那の政治家として「標準的な」といふ意味だがーー惡黨ぶりを、 坦々塾の渡邊望さんの著書で教へられるまで知らなかつた。 お粗末!)。

    もつとも、米國も同じかもしれない。大戰前に、アメリカの外交官が支那人に
    ついて、「彼らはバズーカ砲を突きつけられ、相手が引き金に指をかけると初
    めて、本氣で交渉に應じる」と書いてゐるのを、讀んだことがあるが、この正
    確な觀察は、オバマは勿論、歴代大統領の知るところではないのでは。

    私は文化大革命や天安門事件の樣を、ネットの動畫で屡々見るが、そこで、
    思ひ出を語る支那人のほとんどは、今アメリカにゐて、立派な家に住んでゐ
    る。表情も明るい。支那大陸では大變な災厄にあつたが、あの地はもともと、
    單なる通過點だつたのではないか。状況次第で、さつと逃げ出すーーそれが
    前提だつたのだらう。支那人に祖國といふ觀念がないと言はれるのは當つて
    ゐるのだらう。現在の共産黨幹部たちが、財産を外國に移して、いつでも飛び
    出せる準備を整へてゐるのも、むべなるかな。

    日本人はずゐぶん違ふ。繩文についてだつたと記憶してゐるが、西尾先生は
    「日本も多樣な人種があちこちから這入つてくることは同じ(頻度は大陸とは
    ずゐぶん違ふが)。しかし、彼らは中で戰爭はしない。そして、這入つて來るだけで、出てゆかない。與へられた地勢・風土に身を任せていけば、それが一
    番のしあはせーー今にも通じる、呑氣に暮らさうといふといふ、困つた面をも
    含めて、良きにつけ惡しきにつけ、日本人の性格が形成された。出て行かな
    いのが大きな特徴だ」 といつた趣旨(記憶で書いてゐるので、 正確ではない
    が)のことをおつしやつた。

    これは見事に本質を言ひ當ててゐる。私など、その「出て行かない」日本人の典型かもしれない。どんなに自分の國の惡口を言つても、出てゆく氣も甲斐性もない、最後までしがみつくつもりだ。 その點、支那人の、 さつさと出てゆく拘はりのなさは、立派だと思ふことも。

    「『コロナウィルスの克服は中国人の勝利だ!』の叫びが国際社会の誰からも
    受け入れられない場合にはどうするかが、すでに中国人の主張の中に秘めら
    れている。自分の主張が計画的で謀略的であることを百も承知しているので、
    失敗した場合には毛沢東が文化大革命で採ったところの、あの世界に背を向
    ける『鎖国』を選ぶほかないであろう。それは国内に新しい『敵』を作り、派手な武闘を演じて見せること以外にない」

    さういふ順序か。武闘とは、人民はひどい目にあふことになる。また、吊るし上げられたり、三角帽を被せられて、引きずり廻されたりするのか。氣の毒だ。でも、自分の國の中のことなのだから、我慢してもらふしかない。こちらに向つて來ることのない「鎖國」は歡迎だ。

    前囘の文革の際は、産經で、柴田穗記者のレポート、就中壁新聞の克明な解
    説を、息を呑むやうに讀み、彼の國について、多くのことを教へられた。柴田
    記者が北京を追放されて歸國するとすぐに、私は産經ビル2階の外信部に同
    記者を訪ね、自分の編輯する雜誌に連載をお願ひして快諾していただいた。
    あの頃の、編輯局の雜然たる風景・雰圍氣が懷しい。柴田さんから「自分は酒
    を飲む時は大聲で歌をうたふ。だから、二日醉ひなど、一度もしたことがない」と言はれて、驚いたこともある。今の産經は安倍總理の廣報紙みたいで、アヒルだかカモだかといふ名の、總理の御機嫌伺ひ專門の記者を抱へたりしてゐて、 好意が持てないが、昔、柴田さん以外の人々にもずゐぶんお世話になつ
    た。その御恩を忘れてはいけない。

    「アジアではなぜベルリンの壁の崩壊のような論理的にけじめとなる出来事が
    起こらないのか、私は欧米人からこの二十年間さんざん疑問を突き付けられ
    てきた。今にしてはっきり分かったのは古代専制国家的共産主義的金融資本
    主義的帝国主義という矛盾の塊のような 現代中国の現存そのものがまさに
    ベルリンの壁のアジア版であったことだ。それが今まさに崩壊しかかっている
    のである。鄧小平の先富論などにだまされてはいけない」
    「怪獣は倒さなければならない。これは必ずしも米国の使命なのではない。日
    本の使命なのである」

    なるほど。こちらの「ベルリンの壁の崩壊」は今からか。大變な見ものだらう。怪獸を倒す使命が我が國にもあるとは、嬉しいことだ。もちろん、自身にはなんの力もないが、せいぜい、邪魔にならぬやう努めるので、その任にあたる方々の御健鬪を切にお願ひする。思ふだに身震ひしさうになる。倒しそこなふ場合もあるかもしれないが、その時のことについては覺悟を決める。

    以前、先生のお言葉に從つて、「地獄墮ちの覺悟をした」と、ここに書いたと
    ころ、「覺悟してどうする?」と勇馬さんから冷かされた。今度も笑はれるかもしれないが、それは構はない。その前に、大きな望みがあるのだから、漫罵
    は甘んじて受ける。今まで生きてゐてよかつた。

    (追記・1)大事な部分を引用しそこなつたかもしれないが、『正論』でモトに當つていただきたい。

    (追記・2)本論そのものではないが、冒頭の、浴槽をトイレと鄰合はせに置
    くといふ西洋の「惡習をわが国のホテル業界が文明の型として踏襲している
    のは、あらためて考えてみるとグロテスクである」といふ指摘が感銘深かつ
    た。そして、20年近く前に、やはり西尾先生から、
    「留学してみてびっくりしたのは、日本の夜の街は電気が煌々とついて明るい
    のに、向こうの夜の街は真っ暗で、家庭を訪ねても、廊下は暗く、食卓も蝋燭
    で照らされ、それを楽しんでいる。かつて、日本人は陰翳を愛したという、谷崎潤一郎の議論は、今では、全く逆になっている」
    「日本のホテルにいらっしゃったときに分るはずです。ホテルって暗いでしょう。明るくしていないでしょう。あれは、西洋の美学の真似をしているのです。日本の家庭は明るくしているのに、だったら、ホテルの部屋だって明るくして欲しいと思うんですよ」
    と、教へられたことを思ひ出した。近代における西洋文明の輸入は目覺しい成
    果を擧げたが、あまりにも急いだことによる瑕疵は、今も至るところに見受けられ、それは大袈裟に言へば、時に、文化・文明の本質にさへつながる。支那の古代と現代などといふことを考へさせられたあとだけに、餘計に印象が強かつた。

    (追記・3)有名な支那問題の專門家は、何十年にも亙つて、中共崩壞説を言
    ひつづけてきたが、一度も當つたことがない。「あの人の言ふとほりなら、中共は毎年潰れなければいけない」と 評した人がゐるが、西尾先生の今囘の論文
    はそれとはまるで趣が違ふ。先生はこれまでも、不用意な豫測をされたことは
    一度もない。今も、一つの可能性を示され、それに基いて、日本人の覺悟を促
    されたのである。「怪獸」征伐の成否は、日本の力が大きく關はつて決するの
    だ。豈に感奮せずにゐられようか。

  6. 池田様
    冷やかしや満罵の無礼を働いたつもりはありませんでしたが、名誉なことに勇馬などの名が最後にありましたので短くコメントさせて頂きます。

    いつもながら教えられます。先生の論文紹介をありがとうございました。論文の骨子は、私と同じ年齢の古代専制国家的共産主義的金融資本主義的帝国主義国家・中共が武漢肺炎、中共ウイルスをまき散らし、これだけ地球の疫病神であること、すなわち「現代に存立を許されない国であること」を絵に書いたように分かり易く世界に教えた以上、「中共は世界に背を向け鎖国する。この機会に中共政権を潰すのが日本の使命だ」のようです。

    後半は全面的に賛同しますが、誠に失礼ながら、前半には懐疑的にならざるをえません。これまで何度も保守論客らから聞かされた希望的観測のように思えます。日本に自民党に代わる真正保守が生まれるか、自民の右に立ち上がらないかぎり、米欧がたとえ本気になったとしても、日本が愚かにも同調しなければ天安門のときのように、中共は安泰で、古代専制国家的共産主義的金融資本主義的帝国主義を続けるでしょう。欧米が本気になるとも思えません。それほど中共の工作が広く深く行き渡っています。

    勇馬の2月、3月のブログ「そよ吹く風」で中共への損害賠償請求を主張しましたが、4月に入って漸く米国議会や英国のシンクタンクからこの主張が出始め、ミズーリ州の提訴も聞こえてきました。日本政府や自治体、私人もこれに加わるべきですが、「この政治家」「かの経済人」が跋扈する現政権下の日本からその声は挙がらないでしょう。

    ただこの国際的集団訴訟に100か国が参加すれば、たとえ日本が同調しなくとも、様相が変化するのではないか。そのとき日本は再び恥をかくことになるのをおそれます。

    中共が鎖国すること、世界が怪獣征伐することを期待するのは他力本願です。まず日本国内に中共が鎖国に向うか否かに拘わらず、どうなろうと、対峙できる体制を作らねばならず、それは真正保守新党の立ち上げしかあり得ません。鎖国になれば日本は安全というのも楽観的すぎます。昔の毛時代と違い侮れない軍事力をもたせてしまったので安心できません。内紛のとばっちりが日本に向けられる危険は寧ろ増えるでしょう。お気持ちは痛いほど分かりますが「感奮」や「今まで生きていてよかった」は早計と思います。

  7. 西尾先生はどうされているだろうか、というのが時折浮かぶ思いであったが、それを吹き飛ばしてくれる明晰にして強靱な論理の展開を味わうことでのできる喜びを得た。月刊「正論」6月号巻頭論文「中国は反転攻勢から鎖国に向かう」のことである。「中国は・・・鎖国に向かう」という題名からして読者を引き込むに足る非凡な着想であろう。
     最初にお断りしておくが、この読書ノートは西尾氏の本文をよく読むために、出来の悪い生徒が何とか梗概をまとめようとする作業に似て、新作映画のあらすじをその結末を含めて明かしてしまうようなことになる。著者にお詫び申し上げなくてはならないであろう。
     まず、「日本政府が採用してきたような生ぬるい措置」では、「今回は辛うじて大破局なしで済ませるかもしれないが、幸運の繰り返しを保証するものではない」と釘が刺される。「政治はつねに未知のものへの畏れ、最悪の事態の準備を要求している」。しかるに、春節のさなかに訪日を呼びかける総理の「春節祝賀ビデオメッセージ」が政府インターネットテレビに掲載され(いまだにそのまま見られる)、同じ人が片や「国民の命と健康を」第一に取り組むと力説する(一月三十日参議院予算委員会)というグロテスクな姿を見せていた。訪日観光客の目標四千万人などというたわごとの「成長戦略」に自ら絡め取られた結果であろう。移民法の成立、カジノ誘致など、政府はほとんど亡国に向かうパラノイアの様相を呈していた。
     西尾氏はつとに指摘している。「世界地図の中の自国の状態や条件を見て常に最悪の事態を考える能力は、深く軍事的知能と結びついている。今の日本人は、それを失っていることは人間失格だということさえもまったく分からないほどに何かがまるきり見えなくなっている」(「国家の行方」前書き「問われているのは日本人の意志」)。
     そして、「この十年の世界政治は明けても暮れても“中国問題”に占領されてきた」が、今回のコロナウイルス禍で、「中国共産党の実体が結局は何であり、世界はそれと付き合って行けるのか否かを、いよいよ誤魔化さずに問い質さなければならない秋(とき)が来た」。
    本論の中核を成すのが、中国を「四つの蛇頭を具えた大型怪獣である」とする洞察である。第一が「古代専制国家体制」の蛇頭であり、「人間を統治する者とされる者との二つに分類し、統治される者には人権も富も認めない」。物質的「自由」は与えても「平等」には一顧だに与えぬ統治上の能率の高さを誇り、すでにしてウイルス禍への対処において西洋的デモクラシーに対する中国的独裁体制の優位を主張するに至っている。鄧小平の「先富論」は「『平等』の永遠の封じ込め、運の良い者の『独り占め』の容認だった」という卓抜な指摘がなされる。第二の蛇頭「現代共産主義独裁体制」は、第一のそれに直結する嫡子とも言うべき存在であり、依然として土地の私有を認めない前近代社会を固守している。三つ目の蛇頭は「金融資本主義的市場経済体制」であり、国防費と外交費に惜しげもなく金を使って「国際社会に自己主張をし始め」ることとなり、習近平が主席に就くや四つ目の蛇頭「全体主義的ファシズム国家」として傍若無人の振舞いに及ぶこととなった。この全体主義ファシズム国家が「第二の蛇頭『現代共産主義独裁体制』と第三の蛇頭『金融資本主義的市場経済体制』の両立を無理に維持しようとしている矛盾撞着が今限界にさしかかり、破裂しかかっているのではないか」というのが西尾氏の観察である。「今にしてはっきり分かったのは、古代専制国家的共産主義的金融資本主義的ファシズム的帝国主義国家という矛盾の塊のような現代中国の現存そのものがまさにベルリンの壁のアジア版であったことだ。それが今まさに崩壊しかかっている」という喝破がなされる。アジアにおけるベルリンの壁撤去はなぜ起きないのか、は著者のかねて抱いてきた疑問であった。
     「新型ウイルスの襲来より以前に現代中国は疑問符の俎上に載せられていた」のであり、米中貿易摩擦はその原因ではなく、疑問符の結果であり、現われの一つにすぎない」のであって、「ウイルスが収まったら次に世界中で論争の渦を巻き起こすのは中国への懲罰と現代文明の『脱中国』への意志の表明である」とする。「ヒットラーやスターリンで苦しんだ世界がなぜ四つの蛇頭を具えた怪獣の暴走と蹂躙に黙って手を拱いているのであろうか、とやっと問われ出したのである」。読者の想像力を刺激する表現に、そうだ、そのとおりだと思う人は少なくないだろう。
     「『コロナウィルスの克服は中国人の勝利だ!』」の叫びが国際社会から受け入れられなかった場合、中国は世界に背を向けて国内に新しい『敵』を作り、派手な武闘を演じる『鎖国』の道を選ぶほか」なかろう、と西尾氏は説く。「米国と太平洋を二分して統治しようと言ってみたり、近い将来に経済力で米国を凌駕するとあえて豪語したり」する中国は、将来的には米欧日をも「下位に置く冊封体制を目標にしているのである」。「この深層心理が物語るものは、裏返せば『鎖国』衝動である」。ここがこの論文のキーである。他者を他者として認識し、自国を相対的な位置に置くことが、この盲目の四頭の大蛇にはどうしてもできないということであろう。「しかしそうなる前に一波乱も二波乱もある」はずであり、「なにか途轍もなく恐ろしいことが中国人の運命に刻々と迫っているような気がしてならない」。
     日本および日本人は、この怪獣の断末魔を対岸から見物していれば済むというわけでは決してない。「米中貿易戦争は両国の覇権争いだという言い方がよくなされる」が、「二国間の関係が問われているというより、むしろ、中国という“半古代国家”に対し他の世界がどう関与し、どうリードしていくかという(中略)課題が問われていると考えなければならない」。「自由主義陣営が経済的利益のおこぼれに与ろうとして結束を乱し、スキを見せることが何よりも下策の下である」。「米国を日本やEUやその他の自由主義諸国が取り囲むようにして意思統一を図ることが重要だということはあらためて言うまでもない」。西尾氏の読者は、ここに次の一節の反響を聞くであろう。「二大強国の谷間にある国は徹底して一方の強国を支持し、二股をかけてはいけない」(「国家の行方」の一篇「ペンス演説は悲痛な叫び 日本の対中接近は政治的な誤り」)。
    しかしこれが日本の各界において腹に落ちた共通認識かと言えば決してそうではない。西尾氏は、経団連会長に向かって、「貴方は目の前の小さな利に振り回され、相手の罠にはまる前に、目を豁然(かつぜん)と見開いて、現実を見つめ、わが祖国に誤りなき道を拓かれんことを冀(こいねが)う」と強調せざるを得ない。
    日経新聞が長年、鉦や太鼓で中国に送り出してきた日本企業の設備や駐在員は、巨大な人質になりかねない性質のものである。安倍政権は、生産拠点の中国から日本への回帰や東南アジア等第三国への移転を支援するために、総額2435億円を2020年度補正予算案に盛り込んだ。国内回帰する際には、中小企業には費用2/3、大企業には1/2を補助するという。これは確かに前進であるが、お金の手当以上の何が計画されているのだろうか。この政策を推進するのは一体誰だろうか。
    工場の規模をある程度縮小したり、中国内で移転したりするのは、さほど困難ではないかもしれない。しかし、企業全面撤退か、大工場の撤退となると容易なことではなくなるはずである。私は、数年前に、大した規模ではないが、以前の経営陣が開設した営業・生産・サービス機能を持った現地法人の完全撤退をした。当局への事前報告と了解の取り付けを行い、法律事務所・会計事務所・監査法人との協議や指導で撤退実務を進めるとともに、人材紹介企業を起用して従業員の再就職斡旋に注力した。かの国には独特な決まりがあり、信頼できる専門家のコンサルティングやコンプライアンスチェック、タックスヘルスチェックの診断が欠かせない。社内の限定メンバーで隠密裡に検討を始めて登記抹消、口座閉鎖するまで3年強、当局に打診してからも2年の時間を要した。注意を払ったのは、従業員を始めとするいわゆる全ステークホルダーからの訴訟提起を回避することである。民事訴訟を受けた人間は出国停止になり得ることを民事訴訟法が規定しているからである(中国民事訴訟法第231条。現在も有効か否かは未確認)。
    だから、西尾氏が「さし当り障害となっている不公平で不公正な取り決めを廃止し、中国の不健全なしばりから自由になる必要がある」と言われているのは至当なのである。日本政府の任務は重い。もとより氏の念頭にあるのは、知的財産権や技術供与、剰余金の海外送金の問題であるだろうが、日本回帰を実現する上で本件も経営者への強力な心理的障壁として作用することは間違いない。私が当時思っていたことは、もし出国停止措置が発動されたら米国政府なら黙っておらず断乎力ずくで解放させるだろうが、日本政府や外務省は頼りにはできないだろうということである。また、撤退説明に行った日本企業現地法人の代表者から「中国から撤退なんてできるのか」と言われたが、始めから事を構えようとしない心理は蔓延しているのである。しかしわれわれは実行し、彼らの多くに、置いていかれる、という焦りのさざ波を立てたかもしれない。日本政府の断乎たる後ろ盾抜きに、今後の日本回帰が実効を挙げることは難しいと思われる。思えば、日本企業の中国進出は、「中国」となると集団的狂気を発し、距離感を失って拡大を続ける点において、戦前の大陸進出と瓜二つなのであろう。それを煽り続けた日本経済新聞の罪は重い。
    「中国にのみ有利で一方的な取り決めが『巨大市場』の未来に目が眩んだ世界各国の経営者たちの忍耐とへつらいの中で推し進められた」ものであり、「米中貿易交渉は(中略)日本の国益に適うことであって、日本の財界は米国に感謝あるのみで、反対する理由など何もないはずなのだ」。経団連会長にそれがわかるだろうか。彼らに日本回帰の意志的リーダーシップなど期待するのが無理と思えるが、それでも西尾氏は発言したのである。その意志の発動なしでは、戦前のような無残な展開を免れ得ないと予想されるからであろう。
    「怪獣は倒さなければならない。これは必ずしも米国の使命なのではない。日本の使命なのである」。日本政府は意志の発動を具体的に外交政策として示さなければいけない。また経営者は、方針の決断と緻密で慎重かつ勇敢な作戦展開が要求されている。
    「国家の運命」前書きの文章が谺(こだま)するのが聞こえるであろう。
    「問われているのは常に日本人の『意志』なのである。敗戦以来七十余年間ずっとそうだった。これから起こることはいったい何か。『意志』を発動できないがゆえに日本人が志に反して自ら不利な底深い墓穴に嵌(は)まり込む可能性が近づいている」。
    「憲法九条にこだわったたった一つの日本人の認識上の誤ち、国際社会を感傷的に美化することを道徳の一種と見なした余りにも愚かで閉ざされた日本型平和主義の行き着くところは、生きんとする意志を捨てた単純な自殺行為にすぎなかったことをついに証拠立てている」。

     なお、月刊「WiLL」6月号の坂元一哉氏「世界で始まる中国ばなれ」も西尾氏の論文と響き合う優れたものであることを付記しておきたい。

  8.  池田さんの感想につられて「正論」6月号の西尾論文を拝読いたしました。提灯持ちの意味はまったくなく、パンデミック下の数ある世のポスト武漢ウイルス論の中で、最良のものと思える論考です。ポスト武漢ウイルス論の本質は絶対的に中国論なのであり、そのことをしっかり土台にして状況論、日本論が論じられています。この後者の世間のポスト武漢ウイルス論ではこの土台をはっきりしていない混乱した楽観論と悲観論が横行している。「中国の説明不可能な問題行動」を理解すれば今回の事態ののちも自然にみえてくる。中国に対して怒るのはいい。しかし「中国人は説明不可能」という点をしっかりおさえておかないと、「この激しい中国批判を理解し中国人は態度をあらためるだろう」という「愛情」になってしまうのです。西尾先生の論文には、この類の「愛情」はいっさい存在しません。

    「鎖国」という言葉に池田さんが少しこだわっておられるようですが、西尾先生の「中国はポストウイルス時代に鎖国に向かう用意をすでに有している」という正確な結論を私なりに少し補足しますと、古代史のある地点、後漢が滅亡して以降の中国周辺の状況が一つのよい例示になると思います。この頃、日本は国家としての黎明期でしたが、中国国内は後漢滅亡から隋の統一まで300年以上に渡り大混乱時期で、統一王朝はほとんどできなかった。大和朝廷が緩やかに建国をすすめたのは、大陸からの圧迫の空気がなかったからです。ところが隋の統一(聖徳太子以降)、唐の建国さらに白村江の敗戦により、日本側の緊張度はマックスになり、律令制度や国史編纂などの中国型国家の形式の整備が大急ぎでなされます。

    ところがまもなく、唐の著しい衰退期になると、日本は東アジアでいちはやくそれを見抜き、遣唐使の廃止その他、朝貢体制から離脱、「中国から学ぶ」=「東アジアのグローバル時代」から、平安時代の国民文化の独自路線をする段階に入ります。おそらくこのパターンは近代になっても繰り返されており、中国が統一王朝=拡散状態になると日本は見えにくい圧力に苦しむ、反面、混乱状態で自閉すると日本側は気を楽にして政治・文化の独自化にいそしむことができる、と思います。西尾先生のいう「鎖国」というのは、この「自閉」と同義語ではないかと思います。中国は歴史全体からみれば「自閉」=「鎖国」の時間の方が圧倒的に長い。1990年代くらいから今までの共産中国の大国路線の拡散はむしろ例外の時代だった、といえるでしょう。

    西尾論文は用意周到に展開されており、この「自閉」=「鎖国」の時代を「チャンス」などという楽観論には簡単に結び付けません。パンデミックは依然として続いていて世界情勢は根源的に不安定であり、また日本では相変わらずの中国依存論(中国経済なしではやっていけない)が根強いなどのマイナス要素が多数存在するからです。しかしウイルス性のパンデミックはかならず山なりの感染グラフを示し短期で終わり、第二波がもしあるとしても第三波はありません。また日本もここ20~30年でずいぶん「統一中国」に痛い目にあってきた経験も蓄積しています。やはり「GDPを中国から取り戻すべき」という論文内の論理に示されているように、中国の「自閉」=「鎖国」はポスト武漢ウイルスの時期、日本に相当な積極性を与えることになるでしょう。悲観か楽観かの二者択一となれば、楽観がポスト武漢ウイルスの時代において妥当であり、本論文も全体としてはそのような楽観主義に基づいているように思われます。

    論文内容としてやや付随的なものかもしれませんが、概して陰謀論説的な話を嫌う西尾先生が、今回の事態はすべて習近平の仕組んだシナリオではなかったのか?と論文の疑心暗鬼に陥られているところについて。これはちょっとした「ユーモア」なロジックに一見すると感じられますが、しかしユーモアと受け止めているとだんだん「ブラックユーモア」に思えてきて、「もしかしたら習近平のような小物だからこそ」こんなとんでもないことをやったのかもしれない、という疑心暗鬼を読者に感じさせる仕掛けになっているようです。

    たとえばこのパンデミックがすべて中国のやったことだとしたら、この陰謀のレベルは世界史的にいえば、三流くらいでしょう。優れた陰謀というものは仕掛けが見えにくく、首謀者の正体がわからないようになされるものです。武漢ウイルスの流出が陰謀なら、これは明らかにもろい計画のもとにおこなわれていて、結果的に中国が世界から自滅するようになるのは目に見えている。ところが、中国人にはこうした世界史一般の常識が通用せず、逆論理になる。「三流の計画ならばおこなわない」が「三流の計画だからおこなう」になり、「習近平のような小物だからおこなえない」ではなく「習近平のような小物だからこそおこなう」になってしまう。結局、「中国人はわからない」ということになるる。それは論考内で先生がいわれていた「客観性・論証が不在」という中国人の永遠に不可解な本性によるものなのでしょう。

    ポストパンデミックの日本の舵取りと世界への展望は、武漢ウイルス以上に「わからない」この中国人の本性の「わからなさ」を、身の染みて認識することから次第にわかってくる。「わからないことをわかる」ということはなかなか難儀に感じられますが、私は、日本人は、欧米人よりは中国人を案外感覚的に理解できてしまう力を潜在的にかなりもっているとも思っています。この潜在的な理解力が今後のポスト武漢ウイルス時代の頼みの綱になってくるのではないでしょうか。

  9. 渡邊さんのコメントについて

    いやはや、恐れ入つた。
    渡邊さんの、ことの本質を見拔いて、それを平易に、穩やかに、シャープに敍
    する能力は、かねて承知してゐるつもりだつたが、この短いコメントを讀む間だけで、何度 讚嘆の聲をあげたことか。

    渡邊さんの近著『知つておきたい 和食の祕密』を讀む際にも、著者は、これま
    での私の想像を遙かに越えた天才だと感じつづけたが、今、この短文でも、同
    じことを繰り返した。讀者をして、その都度、その感を起さしめるのが彼の文と言へるのかもしれない。

    「『中国の説明不可能な問題行動』を理解すれば今回の事態ののちも自然に
    みえてくる。中国に対して怒るのはいい。しかし『中国人は説明不可能』という点をしっかりおさえておかないと、『この激しい中国批判を理解し中国人は態度をあらためるだろう』という『愛情』になってしまうのです。西尾先生の論文には、この類の『愛情』はいっさい存在しません」

    この、冒頭の一節だけでも、その邊に轉がつてゐる凡百の中國論を何册讀ん
    でも絶對に得られない示唆・發見がいくつもある。

    肝腎なことを、「しっかりおさえておかない」ために、つい「愛情」をーー私の最初のコメントでも、至るところに見られる。恥かしいので、自らそれを列擧することは、控へるが、安易になるな、甘つたるさを排除せよと、心がけてゐるつもりなのに、つい・・・。

    西尾先生、流石に的確に捉へてをられると感じたが、彼の國の人々に對する「愛情」如何までは意識しなかつた。渡邊さんの指摘により、思ひ出してみ
    ると、そんなものは明かに「いっさい存在し」ない。これは大事なポイントだ。かういふころにも、先生・渡邊さんと私との差が表はれてゐる。

    以下、私が渡邊コメントの解説をしても意味はないが、どう讀んだかを、自身
    のために、一二反芻して、早々に退場する。

    「西尾先生のいう『鎖国』というのは、この『自閉』と同義語ではないか」

    この大切な點に、私は思ひ至らなかつたために、先生の論旨を正確には捉
    へ切れず、「鎖國」にこだはつて、「全体からみれば『自閉』=『鎖国』の時間の方が圧倒的に長い」彼の國の歴史の中に、現在をどう位置づけるべきか、
    過去に類似の時代を求めるとすれば、どの時代かーーなどの見取圖が描けなかつたのだらう。支那における國々の興亡が、しかと頭に刻まれてゐないせゐもあつて、閃かなかつたのだ。

    上記は、渡邊さんの、

    「後漢滅亡から隋の統一まで300年以上に渡り大混乱時期で、統一王朝はほとんどできなかった」
    「大和朝廷が緩やかに建国をすすめたのは、大陸からの圧迫の空気がなかったからです」
    「ところが隋の統一(聖徳太子以降)、唐の建国さらに白村江の敗戦により、
    日本側の緊張度はマックスになり、律令制度や国史編纂などの中国型国家の形式の整備が大急ぎでなされます」
    「ところがまもなく、唐の著しい衰退期になると、日本は東アジアでいちはやくそれを見抜き、遣唐使の廃止その他、朝貢体制から離脱、『中国から学ぶ』
    =『東アジアのグローバル時代』から、平安時代の国民文化の独自路線をす
    る段階に入ります」
    「このパターンは近代になっても繰り返されており、中国が統一王朝=拡散
    状態になると日本は見えにくい圧力に苦しむ、反面、混乱状態で自閉すると
    日本側は気を楽にして政治・文化の独自化にいそしむことができる」

    といふ「補足」で、すべて解決する。一目瞭然になる。

    かういふ自分のための作業をここで續けると叱られさうだが、あと一つだけ。

    先生が終り近くで、中西經團連會長のアッケラカンぶりを紹介される前に書
    かれた一節ーー

    「天をも恐れぬ所行を習近平ていどの人間が計画するはずはない、と勿論私の理性はこの考えを押しとどめる。けれどもどうだろう?いろんな噂は飛び交うに違いない」

    には私もずゐぶんこだはつて、何度も讀み返してみたのである。けれども、つひに、渡邊さんの次のやうな讀み方には至らなかつた。

    「これはちょっとした『ユーモア』なロジックに一見すると感じられますが、しかしユーモアと受け止めているとだんだん『ブラックユーモア』に思えてきて、『もしかしたら習近平のような小物だからこそ』こんなとんでもないことをやったのかもしれない、という疑心暗鬼を読者に感じさせる仕掛けになっているようです」
    「すべて中国のやったことだとしたら、この陰謀のレベルは世界史的にいえ
    ば、三流くらいでしょう。優れた陰謀というものは仕掛けが見えにくく、首謀者の正体がわからないようになされるもの」
    「武漢ウイルスの流出が陰謀なら、これは明らかにもろい計画のもとにおこな
    われていて、結果的に中国が世界から自滅するようになるのは目に見えてい
    る」
    「ところが、中国人にはこうした世界史一般の常識が通用せず、逆論理にな
    る。『三流の計画ならばおこなわない』が『三流の計画だからおこなう』になり、『習近平のような小物だからおこなえない』ではなく『習近平のような小物だからこそおこなう』になってしまう」
    「結局、『中国人はわからない』ということになる」

    うーん。先生が必ず、さういふ仕掛けをされたと言ひきることはできないかも
    しれない。しかし、その可能性なしとは、更に、言ひにくい。うーん。ここで私が疑心暗鬼に陷つた。

    先生の論文の讀み方を渡邊さんに教はつてゐるやうなものだ、彼はそんな目的で書いたのではないだらう。でも、筆者の豫期しなかつた恩惠を、私が受けてゐることは間違ひない。でも、そこまで人樣に頼るとは情けない。でも、相手が天才なのだから、いいか。實にありがたいことだ。

    お粗末。退散します。

    勇馬 樣

    「お気持ちは痛いほど分かります」とのお言葉をいただけば十分です。氣持
    以上のことを言つたつもりはなく、また言へるはずもありません。

  10. 小生が住む街には駅前に大型書店が2店あるのですが、この度の騒動のため
    閉店となっています。そのため本や雑誌を買うためには周辺にある小規模の
    書店に行かざるを得なくなり、その結果多くの雑誌が発売と同時に即完売。
    正論6月号を買いそびれてしまいました。
    見かねた家内がコンビニのネットショッピングで雑誌の注文をしてくれました。
    先ほど店舗へ行って受け取り、漸く西尾先生の論文を読んだところです。

    読後、ここのコメント欄にある先輩方のコメントを読み返してみました。
    やっと少しばかり理解が追いついた気がします。(本当に理解できたとは
    言い切れませんが、昨日までは何度読み返してもちんぷんかんぷんでした。)
    何故だろう?ウイルス騒動後の中国についての分析、そこから導かれる
    日本が取るべき対応について、これらのことについて一考もしていなかった
    自分に衝撃を受けました。
    今の小生が日常に考えたり行動していることと言えば、日常生活でウイルスに
    感染しないため/させないために何をしなければいけないのかを考え、行動が
    正しくとれているか振り返り続け、ドラッグストアでマスク、エタノール、
    ウェットティッシュが売っていないか気にし続け、愚息のためにマスクを縫い、
    その材料調達のために手芸用品店へ通い(少し恥ずかしい)、仕事が在宅勤務に
    なったため自宅のOA環境を整え、仕事の効率低下を食い止めるために色々な
    工夫をこらす毎日。一方、所属しているアマチュア合唱団は活動ができない
    状態になっているため、活動休止の期限をどこに定めるべきかあれこれ考え、
    指導者(プロの指揮者)の収入が激減していることを知りながら非情な通知を
    行ったことをくよくよ悩み、彼らに行政の手がどれだけ差しのべられているのか
    マスコミの報道を注視し、などなどです。
    これ、内容に多少の相違はあれど、日本の社会人現役世代の人々は同じような
    ことを考え悩んでいるのではないでしょうか。

    しかも、こういうことを考え続けることには一種の錯覚が含まれています。
    今回のウイルス騒動では色々なことに知識の詰込みや高い思考力が要求され
    ます。例えば除菌消毒に関する化学の知識、マスコミから報道される感染者
    数に関する数値やその内容の考察のしかたについての知識、そこから今後の
    見通しをどう捉えるのかを考えたり。小生も子供のころに勉強した化学の
    知識を自分の頭の中で掘り返したり政府の経済対策についてあれこれ考えたり
    しています。
    これって「あ~、俺っていろいろ頭を使って考えているんだな。」という
    気分になってしまうのです。

    3月末(当時、先進国の多くが都市封鎖を行っている真っ最中でした)に
    放送された朝まで生テレビの中で、三浦瑠麗氏が「どこの国もロックダウン
    (=都市封鎖)をして経済を停滞させているが、このことによって将来
    発展途上国の経済はどうなるんだ。先進国は自分の国のことしか考えて
    いない。」と批判して出席者の失笑を買った場面がありました。小生も「何を
    言ってるんだ?」という思いでテレビを視ていました。彼女の批判に対しては
    賛否色々な意見があろうと思います。ただその時のスタジオにはウイルス騒動
    後の世界について語る空気はありませんでした。小生の頭の中も同様でした。
    西尾先生の論文を読んだ今、自分の目線があまりにも足元に閉じ籠っている
    ことを実感しています。

    ただ、(こういうことを言うと色々な方からお叱りを受けそうですが)現在の
    自分が置かれている状況でウイルス騒動後のことを考えるのはしんどいのです。
    とても大きなエネルギーが必要です。

    今回の西尾先生論文は正論6月号の「大特集 国難を乗り切る」のひとつと
    して掲載されています。この特集の巻頭には「国難は武漢ウイルス禍との闘い
    だけで終わらない。闘いの先にある激動の国際情勢もまた、日本に厳しい現実を
    突きつけるだろう。」という文があります。今の自分には、斯様な命題で
    組まれた特集の各論文を読みこなす力があるのか?これから他の方が書かれた
    論文を読んでいきたいと思います。(個人的には江崎先生に期待!)

    以下、蛇足です。
    今年の1月と2月、米国の或る田舎町に滞在しました。ホテルで宛がわれた
    部屋は室内改装を終えたばかりで奇麗でした。ただしバスタブが撤去され
    ガラス張りのシャワールームが。仕事がら戸外で作業することが多いので
    身体が冷えるのですが我儘を言っても空しいと思い、その部屋に入りました。
    ところが室内の電話線が切れていることが分かりホテル側にクレーム。
    修理には数日かかるとのこと。それでは同行メンバーに迷惑がかかるので部屋の
    変更を申し入れました。するとホテル側は急に難色を示すようになったのです。
    よくよく聞いてみると、改装を終えた部屋は全て塞がっており空いている部屋は
    バスタブ付きの旧い部屋しかないが、この日本人(つまり小生)は到底そんな
    変更は納得しないだろうという悩みだったとの由。
    何を言ってるですか?日本人だからバスタブが好きに決まってるでしょ?すぐに
    旧い部屋に変えてください、と言って双方合意。ホテルスタッフは安堵した様子
    でしたが「へー、そういうものなんだ」という顔をしていました。

  11. 日本のpcr検査機器の事について、マスコミが素通り、隠蔽している事実について昨日、五月六日に見つけたものを先生と皆様にお知らせしたく思い、この場を借りて行わせてください お願いします

    引用

    いつまで 日本は、この自国民に対する馬鹿げた仕打ちに耐えなければならないのでしょうか。
     
      院長の独り言  より
    外国におもねり、日本を危うくする者だけでなく、性根の腐れ切った手合いが国民を、この非常事態には忍耐しての生活が必要、8割に足りない等と指導するとは 全くキチガイじみてます。何とかしたいものです
     失礼しました

  12. 引用

    いつまで 日本は、この自国民に対する馬鹿げた仕打ちに耐えなければならないのでしょうか。
     
      院長の独り言  より

  13. 内容は
     2020年4月18日
     他国の多くで使われている全自動PCR検査は日本の技術です。
    フランスの医療現場で、新型コロナウイルス感染症検査には、フランス本拠のエリテック社ブランドのものが使われています。これは日本メーカーの O E M 製品です。 日本の会社PSSがエリテック社の製品を製造しているのです。
    、日本の技術に対する信頼度の高さがわかります。
    新型コロナウイルス感染症に対し日本の技術が世界を支えていますが、日本では、今だに活躍できていません。

    日本のPCR検査の機器や技術は世界から大きく遅れを取っているとコメントする専門家が多く見受けられ ますが、全くの事実誤認です。

    そして。エリテック社と協力体制を築いた Precision System Science Co. Ltd.(PSS)が装置と一体化した消耗品(プレフィルドカートリッジ抽出試薬、付属プラスチック消耗品)を供給し続ける役割を担った社会貢献に対して、ローラン・ピック駐日フランス大使よりPSSと田島代表取締役社長宛に礼状を受け取りました。
    機械だけではなく、試薬も同時に輸出しています。つまり、日本で試薬が不足しているというのはウソなのです。)

    なぜ、これらのすばらしい機器が使えないのか。厚労省が許認可を抑えて、自分たちの息がかかった製品しか、許可しないからです。ものすごくレベルの低い話で恐縮ですが、たとえば聴診器。同じメーカーの同じ商品でも、国内外で約3倍程度の差があります。それはすべての機器(たとえば循環器のペースメーカー、PTCAのカテーテルなど)に当てはまります。高くて、時代遅れの利幅の多い商品しか国内流通出来ないのです。利権でがんじがらめになっているので、優秀な機器も国内では利用できず、海外で自国の製品が使われてめざましい成果を上げているのを指をくわえてみておくことしかできないのですよ。もはや、厚労省は有害無益の妨害しかしていないと言っても差し支えありません。
     
     そういえば、なぜ自動のPCR検査機器がなぜ日本で使えないのかと専門家が聞かれたときに、日本はこの分野で遅れてしまって無理だというふざけた言い訳をしていましたね。原因ははっきりしています。自分たちの利権を守るために、感染研と厚労省が自分たちの息がかかったやり方(昔ながらの人力システム)を押しつけているから、未だにOECD最低レベルの検査しかできないのです。

    いつまで 日本は、この自国民に対する馬鹿げた仕打ちに耐えなければならないのでしょうか。

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