「正論6月号」への6件のフィードバック

  1. 先日遅ればせながら、本屋に行って「正論6月号」を買おうとしたら、もう売り切れでした。そのため、先生の論文「中国は反転攻勢から鎖国へ向かう」は、直前の記事で、数人の方々が詳しい紹介と解説をして下さった、その内容を参考にさせて頂きました。
    それで今回は、先生の近著『歴史の真贋』の感想を含め、武漢ウイルスの件について思う事を書かせて下さい。

    『歴史の真贋』には、最初からいきなり「神の視座」という難しいテーマが出て来たので、順番に読むとなかなか読了出来ない気がして、とっつきやすいテーマから読む事にした。まずは第Ⅰ部、次に第Ⅲ部、その後第Ⅱ部の「真贋ということ」以降を先に読み、最後にニーチェの部分を読んだ。
    読了後、この著作は、先生が『ヨーロッパの個人主義』など初期の作品で主張された内容を始め、近年特に強調して来られたことを凝縮したものであり、現代日本の国難の真の正体と日本人が背負っている宿命、それに対し如何なる心構えを持つべきかを、強く訴える内容だと思った。どの章を見ても、読者に畳み掛けるようなその調子は、目前に迫った国難を乗り越えるのは、我々一人一人の心と意志に他ならない、と強く私に確信させた。

    折しもこの時期、例のウイルスにより多くの人命が失われ、我々は「人生一寸先は闇」であることを否応なしに自覚するに至った。清潔な生活習慣を身に付けなければ、いつウイルスに感染するか分からないという切迫感で、普段なら何でもない日常生活が、強制的に意識させられた訳だ。そのためどんな人も、今ほど「人生とは自分自身の身体のことである」と痛感した時期はなかったのではないだろうか?そうした意味で、この著作は誠にタイムリーである、と私は思うのである。そこでまずは、先生の『ヨーロッパ像の転換』(単行本)の表紙に書かれた文章を改めて紹介したい。

    『ヨーロッパ像の転換』(新潮選書 昭和44(1969)年6月30日発行、私が買ったのは昭和51年度版)の表表紙には、著者自身が以下のように書いている。

    「本書は私の滞欧経験をもとにして、ヨーロッパの言語、風俗、自然観、文化意識、伝統、歴史、都市美、庭園芸術、演劇、教育、学問、美術などを主題にした経験的文明論といえようが、畢竟、日本を語ることにしかならなかった。外国経験は、外国を外から見ることだけではなく、外国にいる自分を見ることでもある以上、西洋はただ日本人としての『私』の生き方の内部にしかないという命題に繰返し立ち帰るほかなかった。」

    また裏表紙には、手塚富雄氏と三島由紀夫氏の言葉がある。
    「世間の顔色をうかがって物を言うのではなく、自分の言葉で自分の考えるところを語るひとりの若い批評家が現れた。この人には、日本の大多数の知識人のなまぬるい文化主義や無自覚な近代化礼賛に満足できないうつぼつたるものが胸中にある。そして、なぜにそれに満足できないかが、ここに鋭利な感性と思考によって語られた。ただの文明論ではない。日本の文化の宿運を担う一本立ちの個人であることを自他に望んでいるのだ。この著者の思考の生産性はそこから来る。  手塚富雄」

    「西尾幹二氏は、西洋と日本との間に永遠にあこがれを以て漂白する古い型の日本知識人を脱却して、西洋の魂を、その深みから、その泥沼から、その血みどろの闇から、つかみ出すことに毫も躊躇しない、新らしい日本人の代表である。西洋を知る、とはどういふことか、それこそは日本を知る捷径ではないか、・・・それは明治以来の日本知識人の問題意識の類型だったが、今こそ氏は『知る』といふ人間の機能の最深奥に疑惑の錘を垂らすことを怖れない勇気を以て、西洋へ乗り込んだのだった。これは精神の新鮮な冒険の書であり、日本人によってはじめて正当に書かれた『ペルシア人の手紙』なのである。  三島由紀夫」

     注目すべきは、著者が書いた「外国経験は、外国を外から見ることだけではなく、外国にいる自分を見ることでもある以上、西洋はただ日本人としての『私』の生き方の内部にしかないという命題に繰返し立ち帰るほかなかった。」という部分である。
     もし外国が日本人としての『私』の生き方の内部にしかないのだとしたら、今問題になっている「あの国」はどうであろうか?我々にとっては、距離も近く、歴史的にも馴染みの深いはずの「あの国」を、我々はどれだけ、本当に『知って』いるのだろうか?

    今、武漢ウイルス問題に関して、その発生源やウイルスの性質、国内における感染者や患者数、また政府の対応等について、推測も含め様々なことが言われているが、確実な事は何も明らかになっていない。ただはっきりしているのは、多くの人が「何かがおかしい」と感じていること、そして「あの国とは一体何者なのか?」という疑問ではないだろうか。

     卑近な話題になって申し訳ないが、主婦として「おかしい」と感じるのは、まずは「マスク」である。花粉症の私は、「春節」直前、品切れの危険を感じてドラッグストアに走った。棚の日本製マスクは減ってはいたものの、ある程度手に入った。だが1月25日の「春節」突入後は店頭もネットももうダメだった。それから3カ月、マスクは全く手に入らなかった。政府が外国人の入国制限をするまでは、TVやネットのニュースで中国人観光客が、空港で、人気の日本製立体裁断のマスクを箱ごと沢山買うのを見たし、私の近所のドラッグストアでも、スーツケースを持った若い中国人カップルを見かけた。
     マスクがなくなったのは、中国人観光客が大量に買うのが原因らしかった。だが春節が終わってもマスク不足は収まらない。すると今度は、日本のマスクの70%が中国製であり、ウイルスの発祥地中国が、自国の為にマスクの輸出を抑えたから不足したのだと言われ始めた。5月に入り、漸くあちこちで中国製マスクを見かけるようになった。先日もよく行くスーパーで、箱入り中国製マスクが山と積まれているのを見たが、我先にと飛びつく客はもういない。

     しかし私が欲しい日本製のマスクは、未だ店頭にない。確かに日本メーカーは生産が追い付かないのだろう。でも遅すぎないか?これだけ中国製マスクが出回っているのに、どうして日本製がないのか?私の頭によぎるのは、中国人が日本製立体裁断のマスクを大量に買っていたシーンだ。確かなのは、中国人も日本製マスクを欲しがっていることだ。国内にはもう百万単位の中国人がいるという。今後も、欲しかった日本製マスクが手に入るかどうか、もう分からない。現在日本の中小の優良メーカーが様々な工夫をして布マスクを作っているので、私は今後、布マスクを使おうと思っている。

     次に「おかしい」と感じるのは、小麦製品だ。巷でもよく言われていることだが、ホットケーキの粉、小麦粉、パスタの棚には商品が少ないか空っぽのことが多い。あっても「お一人様一点限り」との札が張ってある。「マスク」や「消毒用アルコール」の時と同じだ。最初は緊急事態宣言がなされたことで、子供のいる家庭がよく使うから不足するのだと言われた。しかし子供のいる家庭がそんなに小麦粉を大量に使うだろうか?これまでの夏休み期間だって、こんなことはなかった。ニュースでは、江藤農水大臣が「小麦粉の買い占めはけしからん。国内在庫は沢山あるから、皆さん買い占めしないように」と言っている。でも我々主婦は、必要がなければ買い占めなどしない。「農水大臣は、誰に向ってモノを言っているのか?」と私は腹が立った。

     一方ネット上では、中国が1月の段階で世界中のマスクやアルコール、消毒用の不織布などを買い占めていたという驚くべき情報が流れていた。また最近小麦製品がないのも、日本から大量に中国に輸出されているからだと言われている。
     マスクにしても小麦粉にしても、マスコミも政府も、ひたすら「不足しているのは中国での製造が間に合わないからです」、「とにかく皆さん買い占めはやめて落ち着いて下さい」などと繰り返すばかりだ。実際少し前、ほとんどを国産でまかなっているトイレットペーパーまでも買い占めた人のせいで、品不足となり、国民の方が「叱られた」。

     しかし今主婦の私が遠慮なく好きなだけ使えるのは、その紙製品だけである。掃除やその他で必要な使い捨てビニール手袋も足りない。マスクもアルコールも、小麦粉もだ。もちろん私は買い占めなどしていない。だから気を遣って、節約しながら大事に使っている。これだけの日用品が2、3カ月間不足するだけで、主婦は「何かがこれまでと違う」と思うのである。「今後、これらの製品は配給制になるのではないか」と私は疑っている。

     ところで「あの国」は、この期に及んで、毎日尖閣諸島に例の公船がやって来るそうである。ネット上では、道端や病院の片隅に死体が転がっているという悲惨な状況が映し出されるのに、NHK番組では、「ウイルスを克服した」中国の大都会の街で、街頭取材が行われている。その上日本に「マスクを提供しましょうか?」と申し出ているそうだ。私としては「お宅の国民が大量に購入した日本製マスクを買い戻したい」と言いたい。

     どっちにしても、中国というのは「何もかもがおかしい」のではないか?

     例えば、アメリカの3M社が「中国工場で生産したN95マスク1000万枚を米国に輸出する許可を中国から得た」と言ったことで批判を浴びた、というニュースがあった(新唐人TV 2020/04/05)。3M社はもともとアメリカの会社なのだから、許可を得る必要はないはずだ。このニュースを見て思い出した事がある。フィリピンの駐在員だった人から聞いたが、メイドを雇うと物がなくなるそうだ。例えば花瓶も、最初は棚からテーブルに、最後は玄関に移動し、そのうちなくなるという。メイドが少しずつ位置を変えて、持ち帰るのだ。それと似ていると思った。
     ところで確か江沢民は、アメリカに対し「我々は、かつて協力して日本と戦った仲ではないか」と言った。最近では習近平が「太平洋を半分こしよう」と持ちかけたという。その中国が、今になって、アメリカに宣戦布告するようなことをするのは一体どうしたことか?我々日本人から見れば、まさに『大学が孟子わけなき火を出して論語同断珍事中庸』(宝暦年間18世紀半ば、林大学頭の家から出火した時の狂歌)である。

     私が若い頃は、ラジオをつけると中国の放送が流れて来た。何度も聞いたのが「アメリカ帝国主義は張子の虎である」という台詞だ。少なくとも私の世代は、中国は「眠れる獅子」であり、大人しくても「巨竜」であり、潜在力は「竹のカーテン」に隠されているとされた。文化的にも多くの物が大陸から伝わったので、「かつての日本の先生である」と教えられたのはもちろんだ。
     ところが西尾先生は、現代中国を「巨竜」でも「張子の虎」でもなく、「四つの蛇頭を具えた大型怪獣」だと言う。つまり「古代専制国家体制」「現代共産主義独裁体制」「金融資本主義的市場経済体制」「全体主義的ファシズム国家」の四つの顔を持つ化け物だというのだ。
    なるほど、こんな都合の良い怪獣になれば、どんな国でも「超大国」になれるかもしれない、恥も外聞もなければ・・・。ズルしてたのなら、もう威厳ある「孤高の獅子」とは言えない。

     さて今回の武漢ウイルスの事件を見て、思い出したのが昔観た映画『カサンドラクロス』(1976伊・英・西独・仏・米合作)だ。スイスの国際保健機構にゲリラが入り、銃撃戦となったため、ゲリラたちは米軍が秘かに研究していた細菌に感染するが、ストックホルム行きの大陸横断鉄道に逃げ込んだため、乗客が感染してしまうという話だ。ドラマは事件を隠蔽しようとする米軍と、乗客を救おうとする医師、またその他の乗客の入り組んだ人間関係の確執を中心に描かれる。問題はこの列車が、崩落寸前のカサンドラクロスという橋に向かうことだ。感染した乗客を乗せたまま列車ごと始末してしまおうとする意思と、生き残ろうとする人間の意思がぶつかり合うところが一番の見どころだ。
     これは映画だし、単なる娯楽だからいいが、武漢ウイルスは我々の現実だからそうはいかない。経済的にも大打撃を受けた各国が、下手をすると、列車(国家)ごと地獄への道に突き進むかもしれないからだ。その証拠に、被害の大きい欧米を中心に、事件の元である中国に対し厳しい制裁を準備するという声が後を絶たない。

     ところが我が国では、被害は各国に比較して少なく、武漢ウイルス対策に於いて、少なくとも今は優等生だそうである。本日(5/25)にも緊急事態宣言を解除するそうだし、ウイルスの正体も少しずつ見えてきたという。そんな風だから、まるであの『カサンドラクロス』など、我が国だけは関係なく、映画の観客気分でよい、と言わんばかりの雰囲気である。

     しかし私に言わせれば、我が国だって何も解決していないのである。「マスク、消毒液、ビニール手袋や小麦粉はどうなった?」の答えも聞いてないし、「国内の感染者の半分以上は外国人らしい」という推測があり、何週間も前から国民が「患者の国籍開示」要求しているにも拘らず、国の機関は何一つ答えていないからだ。ただこの様子だと、国側は「どうやっても国籍開示はしない」という強い意思を持っているように、私には見える。
     情報開示しないのは、恐らく国内患者の半数以上と言われる外国人患者の大多数が、噂通り中国人・韓国人だからだろうし、民主党政権時代から引き継ぐ日本政府の「医療観光産業推進」という方針が、明るみに出てしまうからだろう。

     だがもし上記のように、患者の多くが海外からの渡航者だとすれば、我々が息をひそめるように自粛してきた努力は何だったのか、と問われねばならない。突然外国からやって来た患者のために、感染者が増えたとして「クラスター」を生ぜしめないために「三密」を避け、ひたすら「ステイホーム」した結果、経済的困窮者が増えた。これは一般庶民のせいと言うより、そんな外国人を入れた者の責任であって、江戸時代で言えば「抜け荷の死罪」にも該当するのではないだろうか?

     私はふと思ったのだが、今の我が国は、終戦直後に似ているのではないだろうか?なぜなら、武漢ウイルスが蔓延した原因がすり替えられようとしているからだ。
    つまりあの終戦までは、この戦争は敗けるかもしれないと思いつつも、特攻隊員が命を懸けた。傍にいる者も、悔しいけれど、自分と国運は同一のものと思い、ひたすら耐えようと決意した。それがいつの間にか武装解除されてしまう。すると暫くして、「軍部が悪かったから、あなたたちは酷い目に遭ったのです」という声が聞こえてくる。その声は、そもそも国運と自分を同一化しること自体が間違いだと言う。そんなはずはないと思いながらも、生活するのに精一杯だし、何事も深く考える暇もない。そのうち、この前まで酷い目に遭ったのは、あの指導者たちのせいじゃないかと思えて来るのだ・・・

     さて、あの時代と今と違う所は、責任の所在が「軍部」から「国民」に移ったことだろう。つまり「クラスター」を生ぜしめ、「三密」の事をする者が感染を広げているという訳だ。しかも感染者の国籍は開示されないのだから、下手人は「日本国民」だということになる。
    もし武漢ウイルスが将来第二波、第三波が来るにしても、とにかく今抑え込んだとして、今後は「ウイルスの原因究明」より、将来のことだけが話題になって行くだろう。そして日本の被害が少なかったとして、「清潔な生活習慣」が称賛され、例の如く「日本はいい国」だということになり、これまでの国民の犠牲はチャラにされるかもしれない。とにかく抑え込んだんだから、結果オーライという訳である。

    しかしだからといって、我々が支払った犠牲は戻らないし、第一我々が持っているあの「疑問」は解決される訳でもない。そして75年前は、戦争の責任を「軍部」に押し付けることが出来たが、今度はそうはいかない。なぜなら感染が広がるか否かは、我々国民の側にあるのだから、武漢ウイルスの第二波が来たら、再び感染者数が話題となり、国民の側から「国籍開示」が要求されるだろうからだ。こうして同じ事が繰り返され、そのたびに、政府に対する信頼は損なわれていく。それが「国を開いた」日本の宿命である。

    それでも、政府が「医療観光産業」を推し進めるなら、世界中からトップクラスの大金持ちの患者を受け入れるのが筋だろう。ところが怪しいのは、受け入れているのが主に中国人という特定の人々だからだ。しかもその事を隠している。やましいことがないなら、この非常事態でも隠す必要はないはずだ。今の政府が国民から批判されるのは、文字面では外国人の入国制限というポーズだけは取りながら、こっそりと入国させているからである。誠に「言葉というのは人を騙すためにあるようなものだ」(『歴史の真贋』P134)。

    話は変わるが、左翼的体質の人というのは、昔から立派な理念を掲げても、自分は実行せずに他人に押し付けるという共通点がある。例えば「差別はいけない」と言いながら、「差別しないとはどういうことか、或は現実的に可能か」を、真剣に問うたことも考えたこともない人たちである。だから現在政権の中枢にある政治家は、ほぼ全員左翼だと言ってよい。彼等は、自分では人道的に振る舞っていると信じているから、国民から、自分たちが「DV男(女)について行く女(男)」と同レベルに見られている事も理解できない。
    「DV男(女)」というのは家庭内暴力を振るう人間だが、ついて行く方も、相手から離れられず、「あの人には私が必要だ」と自分に言い聞かせる。そうしないと自分が空虚になって恐いからだ。ひどい相手でも、自分の存在理由を、保証してくれる存在なのである。

    では相手が保証してくれる「我が国の存在証明」とは何か?今の日本政府としては、「自由」「平等」「民主主義」「人道主義」「グローバル」等々の理念ということになろう。実は、我々国民だって、これらの理念に反論するほどの能はない。だが幸いというか、我々庶民は、自分の生活で手一杯だから、よそ様にそれを保証してあげるほどの余裕はないのである。しかし一国の顔である我が国政府は、「貴国は、人権を認めないのか!」と言われたが最後、簡単にそんな恫喝の餌食になってしまうという訳だ。

    ではなぜそんな情けないことになってしまったのか?そこは西尾先生の『歴史の真贋』が説明してくれている。
    つまり先生が『江戸のダイナミズム』で詳述されたように、江戸時代の様々な学者が、長らく手本になってきた大陸の学問を、文献学という手法を駆使し、気の遠くなるような努力を以て研究することにより、我々日本人は、真の自己を奪取することに成功したのだ。こうした努力が明治以降の成果となって現れた訳である。その頃、我々のような過程を経なかった大陸も半島も、列強の餌食となったことは言うまでもない。
    ところが西洋の文物に触れるにつれ、しだいにその毒が回るようになり、様々な弊害が出て来た。しかし流石に我が国の先人たちだ。気骨のある研究者たちにより、昭和の御代になって、再び活発な学問が展開され、西洋に飲み込まれない学者が出て来た。先生によれば、特に昭和10年前後には、非常に有益な研究があるという。相手に飲み込まれないということは、自らの奥底から生まれる「意志」があるということである。だからちょっとやそっとではびくともしない。
    しかし残念なことに、戦後その時期に活躍した有能な学者たちは公職追放の憂き目に遭う。こうして戦後の大学その他の方面は、すべていわゆる「左翼」に支配され、現在に至るという訳である。忘れてならない事は、明治初期から約70年というと1938年(昭和13年)だが、日本人が西洋文明に接して、それを真に自分のものとするには、その位の時間がかかったという事実である。

    さて、その情けないい現政権のことだが、私は安倍首相と同世代だからよく分かる。この世代は普通に勉強しただけでは、昭和初期の研究者の様には絶対になれない。なぜならそのためには既存の学問を「疑う」という意思が必要だからだ。例えば「貴国は、人権を認めないのか!」と言われても、「まずは自国民の人権が大事だ」と言い、「人権」にも順番をつけねばならないのだが、私もそんな教育は受けた覚えがないから、安倍首相には無理だろうと思う。
    しかしそうした知恵や思考が、今こそ我々一人一人に要請されていると先生は主張する。
    なぜなら前述したように、現代はちょうど終戦後75年だから、もう我々は戦前の出来事を冷静に検証して、自らの意識につなげることが出来る時期に来ているからである。

     さて問題の中国は、我々日本人が、本来江戸時代に脱却したはずの存在だった。なのになぜこれほどまでに、我が国の政治は、あの国に蹂躙されているのか?
    それは「四つの蛇頭を具えた大型怪獣」が「西洋の仮面」を被っているからである。というより、我々の方が勝手にそう見なしていると言った方がよい。本音は自分勝手な要求であるものを、「自由」「平等」「人権」などの日本人が反論しにくい西洋由来の言葉で包み隠しているから、我々は、彼等を拒否できないのである。つまり我が国は、怪獣そのものよりも、言葉に負けているということだ。

     こうして、我が国は、本当はもうそろそろ「DV男(女)」と手を切るべき時なのだが、この役目は、我々国民にしかできないことは、今回の武漢ウイルスではっきりした。このままいけば、どんなことも国民のせいにされ、我々は本当に奴隷にされてしまうかもしれないからだ。しかも被害は、真っ先に我々国民に降りかかってくるだろうことは、多くの人が既に切実に感じている。
    ただし、この戦いが容易でないことは、先生が一番よく知っている。それは相手が「四つの蛇頭を具えた大型怪獣」だからではなく、自分自身との闘いだからである。

    しかし繰り返すが、現在政権の中枢にいる政治家には期待できない。彼等では、「西洋の仮面を被ってはいても本当は何も学んでいない人たち」に、丸め込まれてしまうだろうからだ。そこで思うのだが、我々庶民としては、あの成熟した江戸時代の数々の知恵を思い出すべきではないだろうか?今の左翼のように、何でもかんでも「他人のせい」にすることのない、あの知恵である。
    あの時代は、「自由」「平等」「人権」などの言葉がなくても、立派に生活できたのだから。「平和」も必要ないし、まして「革命」なんて言葉も、もっての外である。というのも、余計な知恵があると不幸になることは、昔の人の方がよく知っていたのだから。
     誠に『歌よみは下手こそよけれ天地(あめつち)の動き出してはたまるものかは』(宿屋飯盛作 「古今集」の序をもじった狂歌)なのである。

     最後になったが、今回の武漢ウイルスの件は、これまで「このままず~っと今の状態が続くのだろうか」という厭世的な気分に浸っていた我々に、何事にも終焉があることを、鋭く突き付けて来た。個人もそうだが、とりわけ、あの「四つの蛇頭を具えた大型怪獣」も、所詮平凡な人間の集まりにすぎないことを、チラッと垣間見させてくれたのだ。
    そういう意味で、この事件は、先生が『歴史の真贋』の中で、何度も訴えていたように、この世には「言葉を越えた客観的存在がある」ことを、改めて我々に教えてくれたと言えよう。この教訓を生かせるか否かが、今後我々日本人が復活できるかどうかに係る鍵だと、私は思うのである。                            (終)

     今回も、少々まとまりに欠け、しかも長くなり、大変失礼しました。

  2. >黒ユリさま
    大変すばらしい論考、ありがとうございました。

    歴史の真贋・・・・まだ読めていません。
    読めたとしても、黒ユリさまのような深い感想は書けません。
    でも、ここを読むことで理解が深まりました。

    あの国を「DV男(女)」と表現されていて、スカッとしました。
    でも、日本の大学はあの国からのスパイになる子供たちを、学校の経営に利すると大歓迎しているのですね。まったく・・・・・
    次の「正論」は買いそびれないようにお願いします。
    西尾先生の文章を先に読む機会があり、それはまた素晴らしい文章なのです。・・・・・文学的な天才とも思いました。

  3. 学校九月入学制を2010年に東大総長が言い出した時には、世界ランキング落下による自己喪失がもたらしたものに過ぎず実現するはずがないと思っていたら、その後案の定鳴りを潜めた。今回またどこからか怪しげな風が吹き寄せ、全国知事会が「緊急提言」を発し、政府は検討に入るという。新たな黒雲が日本をどこかへさらって行きかねないと思っていたら、「時期尚早」とのことで一旦沙汰止みとなりそうだが、小池知事、吉村知事があろうことか「グローバルスタンダード」などという馬鹿げたな用語を持ち出したのには呆(あき)れた。コロナウイルス対策で名を挙げた吉村知事だが、日本維新の会は保守政党ではなく新自由主義だったなと思い返した。さらに自衛隊出身の村井宮城県知事までもがあられもないことを言うのには、日本の政治家の底の浅さを見せつけられた。
    当方の乏しい知見の範囲では、本件について委曲を尽くして論じたのは、施(せ)光恒(みつてる)九州大学教授だけである。保守の精神が生きて動いている。
    (参考:https://38news.jp/politics/15833)
    安倍総理が、「慎重に、という意見もあることは十分に承知をしているが、これくらい大きな変化がある中で、前広(まえびろ)にさまざまな選択肢を検討していきたい」と言った時には、以前西尾氏が北朝鮮の核について、サッカーのゴール前で敵味方の選手が交錯しているうちにゴールが決まってしまうことがある、と言われた譬えを思い出して、コロナウイルス禍でまた一つ悪政が重なることを覚悟した。今回の結論も実施時期の問題にしているとすれば、いつまた自己破壊の明治以来のウイルスが発症するか知れたものではない。

     雑誌「正論」7月号「安倍晋三と国家の運命」を拝読した。安倍晋三、その登場を保守派は心の底から期待し待ち望んだ政治家、そしてここで西尾氏が叙述されたとおりの経緯をたどって疑念と失望をもたらした為政者。少なからぬ失政、悪手、不作為の一方、組織や機構の新設・改編では、積年の課題を解決する手筋のよい玄人好みの政策を実行した。西尾氏のお叱りを受けるだろうが、後継者と目される政治家の最近の言動を見ると、安部総理に及ばないことをいかんともしがたい。それが長期政権となった何よりの理由であろう。「国民は二〇〇六年より以後、好むと好まざるとに拘わらずこの人に運命を託してきたのである」。「まことにわが国家と国民はこのような彼といわば運命を共にしているのである」。「このような彼」とは、憲法九条二項削除が恐くてどうしてもできない彼、の意である。

    「今の日本人は、国全体がどこの方向に向かうにせよ、ともかく大きく動きだすそのことを心の底で恐れていて、必至になって全員でそれを押さえつけているような所がある」。「この国にはある種の狂気が支配している。狂気は静かな顔をしている。決して闘争的ではない。沈黙の隣に座っていて、神経症と握手している」。「この病気は『軍事』という言葉ないしは事柄をめぐって発生するのを常とする」。もちろん、平和主義という狂気である。NHKを見ていれば感染状態がまるで変わらないのが分かる。
    「日本は何か目に見えないものに怯え、国家全体のどこか主要な部分が麻痺していると思えることが少なくない。それを突破し新地平を拓くことが政治家ことに総理大臣の仕事ではないだろうか」。卓抜な指摘である。トランプはアメリカのためにまさにそれをやった。

    「日本は本当に大丈夫だろうか。日本政府は一体何を考えているのか」。「いま世界はコロナ以後の状況を見据え、中国への懲罰と『脱中国』を目指すサプライチェーンの新しい組み変えに取り組み始めている」。5月29日のトランプ演説は、中国への宣戦布告である。これから、ドルとハイテク技術・部品・人を杜絶させるという恐るべきことが起こるのであろう。日本も企業の国内回帰を促すために二四〇〇億円超の財政支援を発表したことは前進であり、国の意志の表明である。しかし、人質となった駐在員と膨大な設備を帰還させ処理することは、大半の企業は準備をしていないはずであり、また容易なことではなかろう。そのくらい深く食い込んだ関係であり、以前指摘した民事訴訟法の障壁もある。政府か経団連の明確な意志の発動が不可欠と思われる。
    アメリカの新COCOMであるECRA(輸出管理改革法)は2018年8月に成立してつとに法的枠組み作りを終え、制裁対象企業・団体(Entity)リストも最新化(アップデート)されている。その上で新冷戦はまさに昨日始まったのである。
    (参考:https://www.youtube.com/watch?v=cdbns5GWIVY&feature=youtu.be)
    この講演は元米国商務省次官補(産業安全保障担当)という最も信頼性の高い情報源だが、YOUTUBE公開後約2ヶ月で視聴数1355回は少ないように思える。ハイテク製品の米中との輸出入に関わる日本の経営者で準備が済んでないなどということはあってはならない。

    新冷戦が現実化する中で、西尾氏が「正論」先月号で、「中国は鎖国する」としたことの慧眼は時間とともに明らかになるだろう。すでに、「鎖国」と書いた論者を二名見ている。日本は、氏が以前語ったように、相争う二つの超大国があるときに一方に明確に組しなければならないことをあらためて肝に銘じなければならない。

     「国民は国家が動きだすことを決して恐がっていない。国民はしっかり目がさめているのである」と本論文は結ばれる。軍事問題一般にアレルギー、未開人が禁句(タブー)に触れたときに見せるような驚愕と恐怖の表情を見せるわが国民特有の病理を西尾氏は指摘するが、同時に「国民は国家が動きだすことを決して恐がっていない」として国家の決断と行動を促すのである。氏が述べるように、「文系の知識階級」特に「歴史や憲法の研究家」を除き、われわれはもはや軍事に関わらずに国家も国民も生存できないことを知っているのである。

  4. 「安倍晋三と国家の命運」
    ーー (西尾先生・『正論』7月号)ーーを讀んで

    (ここは6月號のためのスペースだが、土屋さん
    の7月號についての感想が出たので、私もそちら
    へ進ませていただく。
    黒ユリ樣のコメント有益でしたが、私の追加すべ
    きことはありません。無視したわけではなく、惡
    しからず。直ちに7月號をお求めの上、遲滯なく、
    ここに御所感を)

    「二〇一七年五月三日の憲法改正に関する新提案である。九条一、二項を維持したまま自衛隊の正式規定を三項として追加するという加憲のアイデアである。二項と三項が内容的に衝突しているので、後世に憂いを残す矛盾した案である。これまた安倍氏らしい、いよいよの所で手抜きをして空っぽにする、腰の引けた、何かにおびえた弥縫策である。戦力不保持の第二項を残すので、軍事的に何もできない無力なままの自衛隊を永遠化するという絶望的断念宣言ともいえる」

    「憲法改正は九条二項を削除するのがポイントである。極端にいえばそれだけでもいい。私はむかし首相になるより前の安倍氏にそれを是非して欲しいと私信に書いたことがある。ところがよりによって二項削除だけは今の彼には恐くてどうしても出来ない、というのがこの加憲案の心の中の真相である。まことにわが国家と国民はこのような彼といわば運命を共にしているのである」

    安倍さんの特質を、「いよいよの所で」「空っぽにする」とは言ひ得て妙。私はそれほ どに見事・的確な表現はできないが、三項案が出るよりも大分前に、別件について、この日録で、「安倍さんは國民の希望や期待を吸ひ上げて、その全てをドブに捨てる」と、腹立ちまぎれに罵つたことがある。まあ、「空っぽにする」最たるものが三項 案であらう。

    ところが、西尾先生はかう續けられる。

    「国家がこのままではやっていけないということを国民は気がついている」

    本當に氣づいてゐるのだらうか。それなら何故、安倍さんを引きずりおろさないのか。 私には合點がゆかない。安倍さんの問題ではないと、國民は思つてゐるのか。

    それよりも前に、先生はかうも言はれる。

    「この国にはある種の狂気が支配している。狂気は静かな顔をしている。決して闘争的ではない。沈黙の隣りの席に坐っていて、神経症と握手している。しかししつこくと ぐろを巻いて人心を締めつけるので、 ある意味でとどろく雷鳴より手に負えない」

    これはほんの少し分るやうな氣もする。 先生が最近、 我々坦々塾會員など内々の者に「こんな國は地獄に墮ちるだらう」などと仰せになるのは、さういふ状況に絶望さ れてのことかもしれない。

    ただし、その病理がよく分らない。如何なる原因で、如何なる經過を辿つて發症するのか、實感を持つて理解することができない。こちらの理解力や感性のせゐだらうが、先生のこの診斷、私の腑の底まで落ちたとは言へないやうな氣がする。先生の診斷には難しい言葉や言ひ囘しはないのに、殘念だ。比喩的表現を解することは、私には無理なのか。

    總理大臣だから、毎日のやうにテレビで見かけるが、その表情・擧措や喋り方を、見てゐれば、 この人の中身はnothing だと分りさうなもの。國民が、これはダメだと何故思はないのか、私には不思議だ。大きな謎だ。私の觀察が間違つてゐるのかもしれないが、どうしてこんなにくひ違ふのだらう。最近、認知症 についての檢査を受け、今のところ、その兆候なしと診斷されたのだが。

    先日、舊友關野通夫さんに、安倍支持者の心理が分るかと訊いたところ、WGIPを發 掘した彼も、「さつぱり分らん」とのこと。彼の「安倍樣命」と稱する人々が 、今でも至るところに溢れてゐるのに、驚くさうだ。曰く 「3月8日に日比谷野外音楽堂で行われた習近平国賓招待反対集会と、それに続く銀座方面のデモに、自分は參加した。大勢の参加者の中に安倍支持者がずいぶんいて、不思議だった」。

    それはさうだらう。安倍さんの進める習近平招聘に安倍支持者が反對デモ! これが狂氣か(招聘は安倍さんの本意ではなく、さうさせてゐる勢力がゐるから反對といふことか)。 これも、先生の仰せの「靜かな顏をし」てゐる狂氣なのか。どうもすつきりとしない。

    そこで思ひついたのは、できれば(できないに決まつてゐるが)、たとへば、櫻井よし こ氏、西岡力氏のやうな賣れつ子評論家に、こつそりと、上記の國民心理を分析・解説してもらふことだ。 御兩所は、九條三項案を「(安倍總理は)流石に老獪」(櫻井)、 「ここまで來たかと心が踊つた」(西岡)と襃め上げた。

    西尾先生の人生論にかかはる箴言に、「他人の目を瞞すことは、ときには生産的でさえあるが、自分で自分を瞞すことには救いはない」といふのがあり、私は折にふれて、これを思ひ出し、その眞なることを身に沁みて感じてゐる。つい最近も、その後者の適例を見た。安倍さんのことなどについて、自分の立場が惡くなりかかつた時、こんな辯解をした人がゐた。

    ☆九条第三項加憲について、
    肯定的に考えたことはないはずです。
    ☆安倍さんについても、
    ○○先生が保守の星が保守をつぶす・・・と言われたことを
    良く覚えています。
    ☆靖国や教育勅語を重んじるひとをすぐに善人?と断じると言われますが、
    そればかりじゃないですよ。

    かなり苦しさうだが、この人は初めから自分を瞞してゐる(といふことは、瞞してゐる と いふ意識がない)のだから、この言ひ譯で他人を瞞さうとしてゐるのでもない。ほ とんど本氣なのだ。だからこそ、度しがたく、「救ひはない」のだ。WGIPの注射で痲痺してゐることに氣づかず、自分では愛國者のつもりなのである。かういふ手合ひには、小林秀雄のいはゆる「過去を正直に思ひ出す」ことなど、勿論、まつたく無縁である。

    一方、櫻井・西岡兩氏は桁外れに能力が高い。人の心理を見拔き、情勢を的確に判斷して、適切に對處する(因みに、金正恩死亡説に近かつた西岡氏だが、肥料工場を訪れた金正恩と稱する寫眞が出た途端に、さつと自己の位置を變へ、死亡・生存兩方の中間に坐した。 これは、つい最近のことである。 死亡にも生存にも至近の場所だ。 とにかく拔け目がないのだ)。 二人とも、間違つても自分を瞞したりしない。瞞す場合は必ず他人を瞞す。

    だから、生産的であり、「救ひ」もあるのだ。二人が三項案を持上げるのは、もちろん 安倍さんへの追從のためである。しかし、それだけでは、拙速に、あんな發言はできないはずだ。安倍さんが喜んでも、國民一般を怒らせては、彼等の商賣はたちまちパーに。あのやうに言つても、國民は絶對に怒らない(もしくは、論壇から彈き出される 恐れがない)と、二人は確信してゐるのだ。

    そして、二人は誤たず、その商賣は殷賑を極めてゐる。彼等の、あの的確な判斷がどのやうになされるのか、一度聞いてみたいものだ。その奧義に觸れてみたい。彼等を人として尊敬することはできない。けれども、ああいふ拔け目のない、「生産的な」人が多ければ、世はずゐぶん分りやすく、住みやすいだらう。私など、さういふ人たちに瞞 さ れ續けるかもしれないが、それはそれで、さつぱりとして、結構だ。

    餘談だが、先日、櫻井よしこさんの新著『言後同斷』の新聞廣告が出てゐた。そのキャッチコピーを見て、私は吹出した。かうである。「国民を欺き、惑わし、国難克服へ の道を阻む敵を斬る!!」。

    國民を欺くのは、(安倍提燈を提げ續ける)自分ではないか。敵の要求をまるごと容れ た九條二項をそのままでいいとする自分が敵ではないか。まづ、斬るべきは自分ではないか。大事なのは國ではなくて、自分の商賣だらう。

    しかし、かくも平然と、拔け拔けと他者を瞞しにかかるとは御立派と感じ入つた。そし て、彼女が代表するやうな ”保守 ”論壇の繁榮は當分つづくと感じた。安倍長期政權はか なりガタがきてゐるやうにも見え、慌てて、見捨てて逃げ出す人々も少くない が、櫻井 さんが未だ安倍提燈を投げ出さないのは、危險なしと判斷してゐることを示す。すぐには潰れないのかもしれない。

    「自分で自分を瞞す」善意の人々が、世をややこしくしてゐる。常に、亡國・賣國の列 に、意識せずして蹤き、自らは「群れない愛國者」を以て任じ、「日本を護る!」などと嬉しさうに叫ぶ。この10數年、” 保守 ”系の會合に出てみると、95%までがその類の人々だ。その人たちが、櫻井さんや西岡さんの商賣を繁昌させてゐる。つまり、いいお客さんなのだ。そして、延いては安倍さんを支へてゐるのではないかーーそんな風にも見える。更に延いては、それが亡國に? その結論は最後に。

    しかし關野さん同樣、安倍シンパのことは、完全に分つたとは言へない。安倍さんに知惠をつけてゐると噂される日本會議も分らない。私の知る限り、賣國團體以外の何ものでもない日本會議が、世間では、保守・右翼扱ひされ、そこの人たちが國士顏をしてゐるのも不思議。何もかも、私の常識とは逆なのだ。

    「陸海空軍その他の戰力は、 これを保持しない。 國の交戰權は、 これを認めない」 (九條二項)は、銃劍を突き付けられて土下座した頭を靴で踏みつけられつつ、「ゴメ ンなさい。 もうしません」と命乞ひをしてゐるやうで、私には到底我慢できない。

    これに平氣な人がまともな日本人とされるなら、私はお仲間に入れて頂かなくて結構だ。二項を捨てずにすまさうとする安倍さんは無自覺なる亡國の徒、それに追從する櫻井・西岡兩氏は確信犯的賣國奴、「九条第三項加憲について、肯定的に考えたことはないはずです」と辯解する人は「自分で自分を瞞す」楽園の住人と分類したい。

    先生は安倍さんと附合ひがあつた。安倍さんに當初、かなり好意を持ち、期待を寄せてもをられた。それが否定的評價の方に比重が移る經緯を、ここで、かなり詳しく語ら れる。それを讀んで可笑しかつたのは、私が先生の後をかなり忠實に追つてきたと感じられたことである。私は安倍さんとは附合ひはないが、自身の印象・安倍觀を一應は 持つてゐるつもりだ。しかし、大筋は、先生の影響を受けた結果であることも否めない (これほど、自分は先生と違ふことを考へてゐたかと、今囘驚 いた箇所もあつたが)。

    第一次安倍政權で、前言を翻して、河野・村山談話を繼承したり、竹島の日を政府主催の行事にするといふ公約をパーにしたり、更に岸信介首相の戰爭責任を認めたりした際は一應、おやおやとは思つたが、「安倍さんはお腹が痛かつたのだから、しやう がな い」と同情した。そして「惡夢の民主黨政權」を經て、安倍さんが返り咲いた時、今 度はと期待した。その一々は先生と必ずしも同じではないかもしれない。

    はつきりとはしないが、第二次安倍政權が發足して、數ヵ月か半年か経つうちに、どうも安倍さんの話には、論理がない、筋道も立つてゐないといふ氣がして、この人は、まともに考へる能力がないのではと感じ始めた。そこへ西尾先生の、安倍さんには「教養がない」との評をお聞きして、これは駄目だと、そこで、すつかり見限つたやうな氣がする。 教養は全ての根源だ(前號の感想で、そのことを書いたので、繰り返さないが)、それを缺いてゐては話にならない・・・。

    九條三項のときには、「また、例のアレだ」と、私はまともに考へる氣にもならなかつた。既に、安倍さんを心底から輕蔑してゐたのだ。記憶だけで書くので、間違つてゐるか もしれないが、與黨が議會で改憲發議をできる數に達したので、慌てて、改憲の意志を捨 てたわけではないことを見せるため、 公明黨などをあまり刺戟しない「案」をでつちあげた(日本會議作成?)のだ。「見せる」だけだーーと感じた。

    三項だらうと四項だらうと、安倍さんがやるものか。「日本國憲法」無效論の關野さんが、あんなものが通つたら困ると心配したのに對して、私は「大丈夫。その心配はない」と 保證した。

    その安倍さんと「國家の命運」!? 先月號で先生は、「怪獸」を倒すべく、我々日本國民に覺悟を促され、私は感奮した。そこでは先生は安倍總理に殆ど觸れられなかつた。 安倍さんがどうあらうと、國民にはなすべきことがある。安倍さんのことを考へずに濟めば、精神衞生にもよろしい。 私は先月號の西尾論文を讀んだあと、氣持がかなり輕か つた。

    けれども、安倍さんが「國家の命運」にかかはりなしなどといふことがあり得ないことは、先生に言はれるまでもなく、當り前だ。先生がそれをお考へになるのであれば、我々も 蹤かなければならない(先月號の感想では、 先生が安倍さんを論じられない理由まで 臆測して、安倍さんがWGIPの注射に心身をコントロールされてゐることなど、あれこれと記したので、今囘はなるべく愼んで、簡單にする)。

    「国民は二〇〇六年より以後、好むと好まざるとに拘わらずこの人に運命を託してきた のである」

    うーん。自分も託してゐたのか。だから、あんなに苛立つたのか。

    「安倍政権下でも次のような困ったことが起っている。いわゆるアイヌ新法、種子法廃止、水道法改正、定住外国人の増加、やらぬでもいいカジノ誘致、地方でのヘイト禁止条例 成立、等々。稿を改めて考察する」

    よくぞ、かくも徹底的に國家を破壞してくれたもの! 最早、取り返しのつかないところにきてゐるのではないか。我々が今、なんとかメシを食ひ、生きてゐられるだけでも僥倖のやうな氣がする。是非、先生に「稿を改めて考察」していただきたい。なほ、「安倍政権下でも」の「も」が私にはよく分らない。「他の内閣で『も』それはあつたが、安倍政權下で加速的に」の方がベターなのでは。

    「彼は靖国参拝、拉致問題、北方領土問題等々の難問を束にして、とりわけ憲法改正の切り札をその束の一番上に張り付けて、何のためらいも恐れる風もなく、全部自分が 独力でやってのけてみせますと言わんばかりに、平然と丁か半かの賭けに打って出た。 ウソをついているつもりはない」

    先生のこの冴えた、的確な描寫を讀んで、私は顏が赤らむのを禁じ得なかつた。私は、 その安倍さんを、救世主現はる! と仰いだのである(これは斷じて、先生の影響では ない)。

    救世主としか思へないやうな言動がいくつも、安倍さんにあつたといふ報道を讀んだせ ゐと一應辯解しておく。一例だけ上げれば、北朝鮮から拉致被害者五人が歸國した際、 福田官房長官は「五人を、約束どほり一度北へ歸す」と言つた。安倍副長官 は「絶對に歸してはならない。自分は體を張つてでも、それを止める」と言ひ放つたとか、まことしやかに報道された。

    私は、福田官房長官はなんたるヤツだと憤慨し、安倍さんを、偉い!御立派! これか らの日本を任せられるのは、この人をおいてはゐないと思つた。加へて、別件での安倍さんにつ いての、似たやうな報道の二つ三つを、私は信じ込んでしまつたのだから、 たまらない。

    その發言が本當にあつたのか、誰に向つて言つたのか、誰が聞いたのかも分らないのに。そして、以來、安倍さ んが「體を張」つたところなど見たことがない。こんな安倍神話を提供したのは、アイツらだらうといふ心當りはあるが、確證はない。

    安倍さんは我々を瞞さうとしたのではなかつた。安倍さんは安倍さんを(つまり自分を) 瞞した。そして私は安倍さんに瞞されたのではない。自分で自分を瞞したのだ。

    イエス以前に、イエサレムに救世主候補が次から次へと現れ、民衆の歡呼に迎へられては、次々と忘れられ、消えて行つた。イエスがその轍を踏むことを最も恐れ、忘れら れないために十字架にかかつたのだといふ説に私はかなり共鳴してゐた。

    にもかかはらず、十字架にかかつてもゐない安倍さんを私は・・・。 恥かしくて、これ以上思ひ出したくないが、とにかく、誰も彼もが、自分を瞞した。皆に「救ひはな」かつたのだ。「ウソをついているつもりはない」が安倍さんの本質だ。それが全てだ。先生の目には即座に見えてしまふのだらう。

    「ニューヨークのトランプタワーで大統領に当選したばかりのあの男、明日どう出るか分らない謎の人物にたちまち意気投合し好感を持たれたという歴史上の事実は、その後の安倍外交の基本を形づくった」

    このとほりなのかもしれないがが、私の目には、さうは映らなかつた。私の先入觀のせ ゐか。とにかく、安倍さんには、論理といふものがない。外交交渉とは、それぞれの理 屈をぶつけ合つて、 時には相手の理屈を忘れたり氣づかない振りをしたり、あるいは力 づくで捩ぢ伏せたりしつつ、如何にして、自らの理屈に相手を引き寄せるかの勝負 だらう。

    基本は自身の論理だ。それを構成する能力のない安倍さんに、その應用たる外交など、まともにできるはずがない。もし、トランプに氣に入られたとすれば、アベにはオリジナリティも理論もない。いいやうに扱へる。これは可愛いと思はれたーーそれ以外に ないと、私には見えた。安倍さんも、それらしく、おどおどしてゐると感じられた。

    安倍さんはモりカケについて、「忖度はなかつた!」と言つた。總理の胸の内を役人が 窺ふのが忖度。それは役人の心の中の作用だ。安倍さんに、どうして他人の心の中が分るのか。イスラム國で、日本人2名(1名は朝鮮人?)が殺された時、安倍さんは昂奮して、「罪を償はせる!」と叫んだ。日本のどこにも、そんな力も策もないことは誰もが知つてゐる。しかく、安倍さんに論理はない。

    大統領選擧中、安倍總理は訪米して、ヒラリー・クリントン候補には會つたが、トランプ候補には會はなかつた。あれは外務省の讀み間違ひで、トランプ陣營 には會見を申入れ なかつたのだとか、いや、申入れたが、陣營からは「會ひたいが、どうしても日程の調整がつかない」といふ返事がきたとか報道された。いづれにしても、あれが安倍さんの全てだと思つた。

    トランプ大統領は安倍さんを對等の相手と認め、「意氣投合」したのか、チヨロイ男だと安心しただけなのか、近くにゐた人が證言してくれるといいのだが、信用すべき證言は 見當らない。

    トランプが前囘の來日で、安倍さんとゴルフをした際、産經は、トランプが「シンゾウよ、ゴルフまでタフでは困るぞ」と言つたと報じた。書いたのは、安倍提燈で有名な阿比留 瑠比記者。安倍さんが恥かしくなるのではないかと思はれるほど、でつちあげの阿諛を 竝べる記者も立派だが、それを平氣で通すデスクの神經も御立派。安倍さんの宣傳ビラみたいだと、私は思つたが、産經は、西岡力氏、櫻井よしこ氏などと同樣に、情勢判 斷が的確で、ああいふ記事を載せておけば、當分部數は安泰と讀んだのだらう。それは正しかつたわけで、産經にも、その讀みのコツを訊いてみたいものだ。

    西尾先生とチャンネル櫻の水島社長の對談ーー
    水島「安倍さんは世界の要人を相手に亙り合つてゐる」
    西尾「亙り合つてなどゐない。馬鹿にされてゐるだけだ」
    水島「あれ、先生、左翼みたい」
    は面白かつたが、あの先生のお言葉は、ずつと當りつづけてゐるやうに、私には思はれる。トランプとの初對面は別だつたのか。

    安倍・プーチン會談が15囘めくらゐの頃、水島社長は「ああいふことが出來るのは、世 界中で、安倍さんだけ」と言つた。今は30囘近いのではないか。水島社長、この記録更新について、最近は何も言はなくなつた。のみならず、聞くに堪へない罵詈雜言を安倍さんに投げつけてゐる。おつと、横道に逸れた。

    「安倍外交は忍耐強く中國を包囲するように周遊した。トルコ、サウジアラビア、モンゴル、インド、中東、オーストラリア、フィリピンその他東南アジア諸国を歴訪した。それはさながら米国に裏切られた同盟国の不満を拾い集める旅のごとくに見えたが、米国がしばらく 出来なかった外交上の欠落をいわば穴埋めした旅でもあり、次の時代の日本の国益にも適う一連の孤独な努力だった。米国でも分る人はいま分っていて賞賛していると聞く。 私は安倍さんよく頑張っているな、と当時その体力に気遣ったものだった」

    當時の私は、先生の、このお氣持に遠かつた。安倍さんが提唱したとされる「地球儀俯 瞰外交」「積極的平和主義」などについて、日録でもお馴染みだつた故Bruxells女史からメールで講義を受けた。驚いたことに、この二つは、外交青書や官邸のホームページにまで麗々しく載せられてゐたが、女史は、それらがただの妄想であり、全く無内容であることを解説し、強調した。私は完全に説得されて、泡(あぶく)みたいなものだと思つたが、あれは今も生きてゐるのだらうか。

    私は、安倍さん、活き活きとしてゐる。よほど外遊が好きなのだらうとは思つた。しかし、何か成果を擧げてゐるなどと考へたことはなかつた。要人と會談して歸國すれば、外交 評論家が「これぞ安倍外交!」と絶讚してくれる。これでは、安倍さん、外遊がやめられないわけだと思つた。會談の中身についての、評論家による、まともな解説を讀んだ記憶がな い。彼等も、握手・ 乾杯・記念撮影しか見てゐないのだらう、私同樣に、などと侮つた。米國の缺落を補つたので、米國にも賞讚する人が今もゐるとは、今まで知らなかつた。 なにしろ、安倍さんを見限つて久しかつた。

    「『戦後七十年談話』には失望した。日米戦争の原因を解明し、正義の判定に一歩でも 踏み込もうというのであるから、危険は覚悟の上のはずである」

    「自分の言葉で語っていたのは最初の何行かだけだった。そこでは欧米植民地帝国主義が世界を動かしていた地図的説明がなされていた。そして日本はそれゆえにこそ起ち 上がったのだ。それと敢えて戦ったのだとは決して言わなかった。軍国主義に傾いた日 本が戦争をひきおこしたのだ、という例の、敗北主義歴史観に依存するありふれた古め かしい物語が繰り返されただけだった」

    「思想家や哲学者が歳月をかけて築いてきた歴史観の変更の努力を、あっという間に後 退させてしまった」

    坦々塾の翌年の新年會は、この「七十年談話」がテーマだつた。途中、發言を許された私が、談話の數節を讀み上げ、ここまで叩頭土下座するのは、必ずしも諸國民に媚びるためではなく、戰後民主主義の申し子たる安倍さんは、本氣なのではないか、と言つたら、西尾先生がすかさず、「本氣ですよ」と聲をかけて下さつたことを、はつきりと覺えてゐる。

    「媚び」ではなく、「本氣」といふことで、先生と私は意見が一致したのである。「媚び」は即ち、他人を瞞すことであり、 「本氣」は自分で自分を瞞すことである。 當然、前者は「生産的」であり、後者には「救ひ」はない。プラトンのことばでは「知つてゐて言ふ嘘の方が知らないでつく嘘よりはましだ」といふことだが、安倍さんは知らないで嘘をついてゐるのだ。

    前に先生が安倍さんについて、「全部自分が独力でやってのけてみせます」→「ウソをついているつもりはない」と評されたのも同じ。安倍さんの嘘は常に無自覺だ。だから始末が惡いのだ。 私は坦々塾の席で、 西尾・プラトンの古今の箴言を思ひ出してゐた。

    「日本国民がトランプにどうしても問い質さねばならない最重要の問いは放置されたままである。すなわち米国は北朝鮮の核の脅威が具体的にレッドラインを越えたときに反撃 すると早くから公言し、大陸間弾道弾が米大陸に届かないことを以て、国内の選挙民を 納得させている。しかし日本列島はとうの昔にレッドラインを越えているのだ。日本は丸裸である。そのことをどうしてくれるのか、安倍氏はトランプに問いつめたことがあるのか、ないのか。そしてその答えが日本の核武装のすすめだったのか否か。そのあたりの論理をはっきりさせて欲しい」

    先生、 つひにおいでになりましたね。 これこそ間違ひなく核心だ。

    トランプが金正恩を「ロケットマン」と呼んでゐた時から、彼はそのロケットが米國に屆くか否かだけに關心があり、日本のことなど考 へてゐないと、私には見えた。自國が一 番大事なのは當り前だが、日本だけを彈道彈が襲つた場合、米國にどれだけの脅威になるのか。決定的であれば米國は動くだらう。 さうでなければ、安保の條文がどうあつても動かないかもしれない。 實際の脅威はどうなのか、トランプはどう捉へるか、見極めておくことが大事だ。

    そこで考へてみたが、もちろん、私などに分りやうがない。ワシントンから見て、米大陸を越え、太平洋をも越えたユーラシア大陸の端・極東(極西?)の朝鮮半島から發射された彈道彈が至近の日本列島を襲つた際、どう感じるか、想像できない。できないが、トランプは、横目でちらと見るくらゐで、何もしないのではないかーーなんとなく、そんな風にも思へる。

    「安倍氏はトランプに問いつめたことがあるのか、ないのか」知らないが、なんとなく、なささうに見える。さういふ點を詰めるといふことに、安倍さんさんはそぐはないやうな氣がする。トランプに好かれる理由も、そんな面倒なことを言はないからではないか。

    その答如何で、日本の核武裝か否かの「論理」をはつきりーーとは、誰にも反對のしやうがない、筋道の通つた要求だが、安倍さんの最も苦手とするところではないか。失禮ながら、安倍さんに、その論理を理解する能力があるのか、私には疑問だ。

    筋を立てて交渉して詰め、その結果によつて決斷する。決斷の遲れが致命傷になる場合 もあるが、早過ぎて不首尾にといふこともあるだらう。安倍さんにお願ひするのなら、何も結論は出さず、決斷もせず、何も考へない、そしてトランプを怒らせないといふ今の行き方がベストではないか。あの人に正しい結論や決斷を期待する方が無理だ。下手に、變な決斷をされて、とんでもないことになるより、無爲の方がマシではないか。もちろん、無爲即ち地獄墮ちの可能性も小さくはないが。

    それ以上を望むのなら、安倍さんに退場してもらはねばならないが、日本國民が永く支持してきた(私も國民のつもりだが、その理由がよくわからない)といふことを考へねばならない。

    そして假に安倍さんが潔く身をひいてくれるにしても、あとを誰がやるのかといふことになる。私自身、何年もの間、安倍さんを罵る度に、ぢや誰に代ればいいのかといふ反問で口をふさがれてきた。西尾先生もテレビで、元自衞隊幹部だつた人から、「安倍さん以外に、どの人がよろしいとお考へですか」と問はれて、「ここは、そんなことを討議する場ではない」と切り返されたことがあつた。

    先生の言はれるとほり、トランプは「国内の選挙民を 納得させている」が、日本の「國内の選擧民」はどうなのか。安倍さんの無爲に納得してゐるのか、それとも、「論理をはっきりさせて欲しい」のか、さつぱり分らないし、安倍さんも他の政治家も、問はうともしない。安倍樣命の人々はどちらがいいのか。ひよつとすると、彼等は何も考へてゐないのではと思ひたくなる。これは、「靜かな顏をし」「沈黙の隣りの席に坐って」「人心を締めつける」「狂氣」
    に關係があるのか否か。

    核心を衝く西尾理論の「どうしてくれるのか」といふ科白から、NPT(核擴散防止條約)といふ不平等條約のことを思ひ出した。同條約では、核兵器の保有を五カ國に限定したのだから、日本などの非保有國の安全を「どうしてくれるのか」が重要なポイントだつた。

    日本が調印したのは、昭和45(1970)年2月。同年11月に自決した三島由紀夫は、これを核停條約と呼んだ。その檄文にはかうある。「國家百年の大計にかかはる核停條約は、あたかもかつての五・五・三の不平等條約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかつた」。

    私も、三島と共に憤つた。そして、こんな條約を結ぶ政府は馬鹿と賣國奴ばかりの集まりだと思つた。しかし、調印はしても、三島が割腹した11月25日にはまだ批准してゐなかつた。批准したのは昭和51(1976)年6月。6年以上先だつたのである。どうして、そんなにかかつたのか。永久に二流國の位置に留まることは、なんとしても避けたいといふ要路の人々 のためらひ、こだはり、必死の思ひがあつたためだとして、西尾先生は、そのこだはりをかなり高く評價されたと、記憶してゐる。

    さういへば、私は忘れてゐたが、調印の際にも、日本政府は「わが國の安全が危ふくなつた場合には條約第十條により脱退し得ることは當然」との聲明を發表してゐた。ただの賣國奴ではなかつたのだ。

    今の安倍・自民黨政權も同樣なのかもしれない。だとすれば、ここまで惡口を竝べたことを謝らなければならない。しかし又、相もかはらず、自分を瞞しつづけ、「群れない愛國者」を自任して、昨日のことなど忘れたかの如く、元氣よく集ふ一群、安倍樣命の ”保守”の人々などの姿が目に浮び、彼等こそ亡國勢力ではないかといふ、かねてからの疑念を抑へき れなくなる。「賣國奴は常に愛國者を名乘る」といふ箴言があつたのではないか。

    關野通夫氏の持論たるWGIPの遲效性も氣にかかる。先日、「いよいよ效いてきたね」と 言つたところ、彼は「遺憾ながら」と答へて、首をすくめた。

    しかし、安倍さんがどうあらうと、保守がどうあらうと、西尾先生に促された覺悟を忘れてはなるまい。國民全員にそれぞれの任務があるのだから。

  5. 池田様の書き込みしかと読ませていただきました。
    次のsy相は誰が良いのか、この答えが出せないことによって、今日本国民は悩み、喘いでいるのでしょう。

    「誰がやったって一緒だ」という声も聞こえる。それも正しい。
    一掃の事野党が政権を取ればいい。共産党だって良いかもしれないぞ。

    こんな時代になっちゃっています。
    不思議なくらいに政治家不足です。
    なんなら私がやりましょうか・・・とか、冗談も本当になるようななさけない時代になりました。

    安倍さんが一番NGなところは、一番話をしやすい人に本音を言えないことです。
    国内での政治姿勢を世界でも露わにしている処。
    例えば従軍慰安婦の件で、安部さんはブッシュに「謝った」んです。
    これが一発目の彼の失敗。そうやって第一歩が間違っているもんだから、戦後70年談話とか、あんな風に場当たり的な事を言っても良いんだ調の言葉が多くなった。
    しかも選挙は連戦連勝。

    結局国民の側に選択肢がないから、どんどんそれをいいようにして党員を縛り付けていったんだと思います。モリカケ問題のときも、ある程度はごまかせるだろうと思ったんでしょう。というか本気で事の問題を把握していなかったとみる向きもできます。

    おそらくですね、安部さんは奥さんに行動範囲を広くするようにアドバイスをしていたんだと思うんですよ。そうでなければ合点できないんです。

    私は次の首相は河野さんでいいと思っています。
    下手に頭の悪い人気者が出てきてほしくない。
    河野さんはお父さんの問題がありますけど、もうこの問題は取り返しがつかなくなっていますよ。ある意味親父さんの言葉を撤回できるのは、実の息子だけなのかもしれませんよ。そうやって国民が言い出せばいいじゃないですか。
    あなたしかあの時の過ちを翻せる人はいないと。

    ただ問題は経済面の能力です。
    実際その件は私も認識がまだなく、彼のお金の使い方のリアルな部分を把握していません。
    最近岸田さんがけっこう財政面で党をまとめていると聞きます。
    しかし、岸田さんは日本の一番最初の顔ではないです。
    あのような面構えの方は、二番手が一番似合っています。

    これをSNSでおおいに発信すれば、安部さんのお尻にも火が付くんじゃないですか。
    事が実際そうなるかどうかが問われているのではなく、国民サイドに次の候補が存在していないことが一番重要な問題なんですよ。
    だったら言うべきじゃないですか。
    私はそう思うんですが。

  6. あきんど 樣

    さうですか。「次の首相は河野さんでいい」ですか。私にはよく分りませんが、
    「親父さんの言葉を撤回できるのは、実の息子だけなのかもしれません」と
    は面白い考へですね。 案外、妙案かもしれませんね。

    河野さん、英語は上手みたいですね。少くとも、 安倍さんや小泉(純一郎)さ
    んの英語よりずつと上等なことは間違ひありません。

    西尾先生は麻生さんとも附合ひがあり、かなり期待を寄せられたが、總理
    大臣としての麻生さんにはガッカリされた由。後のガッカリは、ほとんどの人
    に共通でせう。私は、前の期待も、先生と同じでした、先生の影響は全く受
    けずに。

    小泉内閣の總務大臣として、麻生さんは、私の勤め先の新年賀詞交歡會
    で挨拶しました。要點は次の二つでした。

    ①最近、郵政民營化の話が出てゐるが、民營化は手段であつて目的で
    はない。
    ②總務省の管轄には、郵政と消防といふ、まるで性格の違ふものが竝ん
    でゐる。その(橋本行革の)整合性のなさには改めて驚いた。やりにくい。

    この2點は、當時私の考へてゐたこととピッタリ一致、拍手したい思ひでし
    た。更に麻生さん、背丈は安倍さんより少し低いかもしれないが、スラッと
    して、スマートでした。目の前にゐる麻生さん、カッコいい!

    以來、それまで何も知らなかつた麻生さんのファンになりました。たつたそ
    れだけのことで。政治家は色々なことを喋ります。その「色々」の中には、
    こちらの琴線に觸れるものが二つや三つは必ずありませう。偶然、多くの
    政治家のそれに接し續けてゐたら、全員のファンならねばならなくなりま
    すね。なんとも、お粗末!

    政治についても、渡邊望さんのやうな文學者の感覺が最も有效だと思ひ
    ます。もちろん、文學者にもいろいろあり、その質によりけりですが。

    私は文學者でなく、ただの彌次馬なので、政治より政局を面白がる傾きが
    あります。石橋湛山vs 岸信介、田中角榮 vs福田赳夫の總裁レースなど
    面白かつたですね。今はさつぱり。

    これは、小選擧區制になつて、派閥の意義も力もなくなつたせゐです。自
    民黨の候補はオンリーワンなのですから、時の總裁・幹事長のおぼえをめ
    でたくして、公認をもらつてしまへば、 こちらのもの。 なにも派閥に屬して、
    親分に忠勤を勵む必要などない。一方、總裁になる方も、子分を養ひ派閥
    を經營するなんて面倒なことはしない(その典型が小泉純一郎でせう。彼
    に子分なんてゐたのでせうか)。

    もう一つは政黨交付金。これにより、原則的に資金集めの心配もなし。この
    二つで、政治に活氣がなくなりました。もともと野黨など問題外です。自民黨
    同士が爭ひ、切磋琢磨することにより、活氣も智慧も、よりよい政策も生れ
    てゐたのですから。

    それらが全てパーに。そして勿論、私のやうな觀客を樂しませてくれる活劇
    も皆無。これでは・・・

    政治家は舞臺で芝居をし、國民は、客席からこれを見物ーーなどと考へると
    は言語道斷、國民も舞臺にゐるべきだ、政治は他人事ではない! といふの
    が正論であることは、百も承知してゐますが、他に娯樂が少いので、つい・・・
    お許しを。

    閑話休題。「国民サイドに次の候補が存在していないことが一番重要な問題」、
    なるほどさうかもしれません。「だったら言うべきじゃないですか」ーー何を「言う」のでせうか。

    すみません。私には問題の整理ができません。

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