東京は新型ウィルスに襲われている

 春らしからぬ春が過ぎ、夏らしからぬ夏が近づいています。三月末のある夕べ、近くの公園に入りました。満開の桜の通りを覗き見しました。驚いたことに人の姿がまったくありません。夕方の五時ごろでした。国民が素直に政府の要請通りに自宅に籠っていた証拠です。
 
 六月の中頃、友人と久し振りに、本当に久し振りにレストランに入りました。もともとスペースの広い店なのにさらに隣の机を空席にし、非能率の客対応に耐えていました。私と友人はその上さらにテーブルを三つ並べて両端に離れて坐りました。店内に若い男女がビールの杯を掲げて賑やかに叫び合うシーンは見られませんでした。
 
 人の姿のまったく見えない桜並木は何となく不気味なものでした。賑やかな声の聞こえない会食風景は、不気味ではありませんが、若葉の美しい時節にどことなくふさわしくないものに感じられました。

 このどことなく鬱陶しい、神経症的な雰囲気は、全国同じとは思えません。東京は特殊なのかもしれない。

 新型ウィルスの襲来以来、私はわが身にもとうとう来るものが来たのかな、などといったあらぬ思いが心中からどうしても拭えません。

 一人の喜劇タレントの死が切っ掛けでした。私は病気持ちの84歳で、彼よりずっと条件が悪い。感染したら万に一つ助かる見込みはありません。二、三週間で、片がつくでしょう。その間呼吸のできないどんな苦しみに襲われるのだろうか、と生物としての不安が急に想像力の中に入って来ました。テレビはかの喜劇タレントがひとつの骨壺になって遺族に抱かれて自宅に帰ってくるシーンを映し出しました。彼の兄らしい人物が、「恐ろしい病気です。皆さん、気を付けて下さい。」とだけ言った。病中の枕頭への見舞はもとより、遺体との接見も認められなかった事情を言葉少なに語りました。
 
 死後直ちに焼却炉に入れられたという意味でしょう。屍体の取り違えは起こらないのだろうか、などと私はあらぬ空想に走る自分が恐ろしかったのです。中世末期のやり方と同じだな、とも思いました。その後やはりテレビでブラジルやアメリカやイタリアやスペインの乱暴な遺体処理の現場の遠景を若干覗き見ました。やはり中世と変わらないな、と再び思いました。

 しかし考えてみれば、死は一つであって、自分の死は他の人からどう看取られ、社会的にどう見送られるかのいかんで変わるものではありません。やはり自分の身にも来るべきものがついに来たのだな、とむしろ納得しました。そして夜、秘かに考えました。万が一、高熱が三日つづいて、PCR検査で陽性ときまり、入院せよという指示が出されたとします。私はいよいよ家を出るときに妻にどういう言葉をかけたらいいのだろうか。戸口で永遠の別れになる可能性はきわめて高い。このことだけは考えの中に入れていなかった、と不図気がついて、ゾッと総身に寒気が走ったのです。

 あゝ、そうか、そこまでは考えていなかったなぁ・・・と思うと、さらに想像は次の想像を誘いました。老夫婦二人暮らしのわが家では一方が感染すれば他方もまた必ず感染するに違いありません。ウィルスが家庭中に乱入したら防ぎようがないのです。そして、その揚句、私の住む東京のある住宅地からとつぜん二人の姿が消え、そしてそのあと何事もなかったかのごとく、街はいつもの静けさと明るさに立ち還るだろう。あゝ、そうか、そういうことだったな、とあらためて思い至ったのです。

 そんなこと分かり切っているではないか。お前はこの七月で85歳となることを考えていなかったのか。そう呼びかける声も聞こえて来ました。そうです。考えていなかったのです。あるいは、考えてはいても、考えを継続することを止めていたのです。

 生きるということはそういうことではないでしょうか。迂闊なのですが、迂闊であることは正常の証拠なのです。

 三年前の致命的な大病の結果から脱出しつつある今の私は、日々仕事に明け暮れていた昔日の自分の日常を取り戻そうとしている最中でした。すぐ疲れ、呼吸は乱れがちで、万事をテキパキ手際よく処理して来たかつての能力も今や衰え、あゝこんな筈ではなかったと途中で手を休め溜息をつくことしきりでありますが、毎日何かを果たそうと前方へ向かって生きているのは動かぬ事実です。今は伏せておきますが、私の人生譜の中に出て来なかった新しい主題や研究対象にも少しずつ手を伸ばし始めています。しかし公開する文章はどうしても今までやって来た仕事上のスタイルやテーマに傾き易く、掲載を用意してくれる月刊誌が求めるのも今までの私の常道であった世界と日本の現状分析です。こうして新型ウィルスの出現に揺れる世界と今の私の関係について、二篇の論文を発表しました。周知の通り「中国は反転攻勢から鎖国へ向かう」(『正論』2020年六月号)と、「安倍晋三と国家の命運」(同誌七月号)です。

 この二篇は、自分で言うのも妙ですが、今のところ大変に評判が良く、世界や日本の現実を疑っている人々の心を的確に捉え得ている分析の一例に入るだろう、と秘かに自負を覚えています。しかし「死を思え」と夜半に私を襲った不安の概念と直接には何の関係もありません。私は私を直かに表現していません。自分の生活にも触れていません。自己表現は現代政治論の形態をとっています。だから私の心を揺さぶっている本当のテーマに読者はすぐには気がつかないでしょう。けれども、とつぜん国境を越えた疫病の浸透とその世界史的震撼の図は、日本の一市井人だけでなく、トランプや習近平の胸をもかきむしる根源的不安をも引き起こす「不安の概念」と無関係ではありません。自己の実存のテーマに思いをひそめている人の文章であるか否かは、読者ひとりびとりの判断によって異なるでしょうが、それは読者ひとりびとりの「死を思え」の自覚のいかんに関わってくることだろうと考えています。

 と、そのように私はいま平然と偉そうに語っていますが、万が一感染を疑われ、玄関口を出て入院用の車に乗るあの瞬間に私は妻に何というだろうか、その言葉はまだ用意されていません。それどころか、言葉が見つからず思い悩んだというこの一件を私は彼女にまだ敢えて洩らしていないのです。語らないで済めばそれが一番いい。それが日常生活というものだ、と考えているからでしょう。そして私は日常を失うのをいま何よりも最大に恐れているのです。

(令和二年(2020)六月十八日)

「東京は新型ウィルスに襲われている」への4件のフィードバック

  1. 西尾先生
    久し振りの日録原稿ありがとうございます。

    コロナ不安は東京だけではなく、広島の小さな街にも押し寄せました。
    とにかく、子供たちが学校や幼稚園に行けないという静けさは、普通ではありませんでした。
    全世界がコロナ世代になってしまいました。
    でも、日本はアメリカなどの百分の一の死亡数です。医療も国民皆保険で、貧富の差に関わらず、希望する人はだれでも受けられます。そして医療費の支払いによって破産するということもありません。
    ワクチンや特効薬が開発されるまでは、この不安な状態も続くでしょうが、日本という国の良さが世界中に目視できる状態で知れ渡ったと思います。
    そしてかねがね先生がおっしゃっていた国境を低くすることの危険性も、それぞれの国が実感したことでしょう。
    今後とも、お仕事頑張ってください。

  2. 西尾氏の近年の文業を振り返って
    最近の西尾氏の著作にこの欄で幾つか拙い感想文を投稿してきたが、Amazon書評欄に書いたものを若干修正、加筆して転載することをお許しいただきたい。とてもこの巨大な思想家の「まわし」には手が届かないが、枯れ木も山の賑わいになれば幸いです。

    西尾幹二全集第15巻「少年記」
    第二次大戦前後の時代、格闘し成長する少年

    本書は、著者五歳、開戦直前の昭和十五年から敗戦を経て十六歳、戦後民主主義が熱病のように蔓延した昭和二十六年に至るまでの、苛烈な激変の時代との格闘と成長の物語である。回想記ではなく、当時の日記(筆力がある)と絵(上手なのである)によって一人称で語らせ、著者の言う「ねんねから少年」に向かって、困難を自ら求め成長する存在、大人以上に尊大な生物としての少年の普遍的な特質を定着させた稀有な書物である。
    叙述は重層的な方法によっている。西尾少年の日記、絵、習字、往時の新聞・雑誌・教科書や歌謡によって「過去の側から過去を思い出そうとする」試みを、現在の視点から「過去を再構成しその中に自分を置いてみる」という試みが補完し、論理化する構造になっている。日記もなく記憶も定かでない「薄命の過去」については新聞や書物を現在の視点から選択し再構成することで、歴史の真実を蘇らせるという手法が援用される。西尾氏はこうした遠近法を駆使しながら歴史を叙述するのである。

    開戦後二年間の小学一二年の伸びやかな牧歌的生活、女性教師軍司先生との「二十四の瞳」さながらの睦まじい教師と生徒との交歓、それを全身で感受する素直な西尾少年の姿はこの本の幸福で魅力的な部分である。
    一方、日本全国に蔓延していた疎開者への差別、いじめも生々しく捉えられている。「子供の野生を制するのはより大きい野生の報復の力以外にはない。自然の持つ治癒力を失った現代文明は自然を統御できず、自然が陰湿にはびこるに任せている」。「あの頃のいじめのほうが近頃のそれよりもっとはなばなしく行動的で劇的だったが、いじめで自殺する者はいなかったのである」。断乎いじめに向かい合って押さえ込んだ校長先生と熱血漢矢次先生の対処は以って範とするに足るであろう。

    「何年か後には特攻隊に行くのだと自ら信じて疑わなかった。
     子供は瞞(だま)されやすいというような話だろうか。わたしはそうは思わない。瞞(だま)した者もいなければ、瞞(だま)された者もいない。日本の国家全体がある『確信」のなかに生きていた。わたしは今でもそれを疑わない。過去はわたしの目に曇りなくくっきりと見える。日本人は宿命のなかを確然と生きていた。決してひるんではいなかった。死はわたしたちの目の前にあった。しかし不自由であったというのとは違う。九歳の子供はもちろんまだ歴史を知らない。しかし父や母が、社会が、国が、かたちある歴史のなかに実在していた。だからこそ子供の心になにひとつ迷いはなかったのである」。
    我々は「かたちある歴史」というものを実感したことがあるだろうか。想像力をめぐらさない限り、この文章を理解するのは決して容易ではないように思える。

    西尾少年は戦後二十一年二月に『大東亜戦争の思ひ出』という十三章からなる一冊の文集をまとめる。知覚した事象をリアルに捉えた幾つもの空襲記やそれを補完する吉村昭の文章の引用が改めて示すのは、日本全国を隈なく襲ったアメリカの無差別爆撃という無法の事実である。それも八月十五日朝に至るまで北関東の山奥の村にまで飛来していたのである。
    「わずか二時間余で推定十万人の生命が失われた三月十日の空襲は、後の広島・長崎にも匹敵するほどの大被害であった。東京で最も炎上しやすい地区、しかも人口密集地域をあえて選んだ殺人目的の空襲は、他の六大都市からやがて日本全土の中小都市に及んだその後の空襲を代表するいわば象徴的位置を占めている。それが戦略的目的をもはや持っていない破壊のための破壊、無抵抗の市民を囲い込んで虐殺する純粋な集団大量殺戮であった、という意味においてである。全国で七十万余が数ヶ月で空襲の犠牲になった日本のような事例は、第二次大戦史において他に例をみない」。

    河上徹太郎のエッセイの有名な一節、「八月十五日の御放送の直後の、あのシーンとした国民の心の一瞬」、「国民の心というものが紛れもなくあの一点に凝縮されたという厳然たる事実」は西尾氏の母堂にも典型的に訪れたのであって、皆が「理屈を言い出したのは十六日以降である」(河上)。この本の功績は、戦後社会がおしゃべりを始める以前、あの「一瞬」が去った後、当時西尾少年の心に住み着いた米軍による肉体的虐待の「不安」や「動物的恐怖」が、父や母をも、全国あらゆる階層の民衆をも襲っており、東條英機や戦後最初の宰相東久邇宮さえをも「根底から揺さぶり、攪拌し、混沌たる不安に突き落とした」に違いないという指摘にある。
    全面的な崩壊に直面すると、「心がちぢかんたようになり、泥沼のように澱んで動かないGefuhlsstau(感情のとどこおり)という心理現象が発生」する。戦争直後の日本人は「依然として八月十五日より前の意識でものを見ようとして」おり、「今までの自分を変えまいとする心の抵抗に、むしろ人間の本然の姿が認められさえする。そして一方では、無自覚にすべてが時間の移ろうがままに委ねられている」。「日本の戦後史は『解放』からではなく『感情のとどこおり』からスタートしたのである」。「敗戦という心的外傷(トラウマ)はあらゆる個人に、あらゆる家庭に、あらゆる集団にいまなお刻みつけられている。日本は歴史そのものにその傷を負いながら、歩みつづけている」。「われわれは今なおGefuhlsstauaを心の奥深くに蔵していることを、互いに正直に認め合いながら生きた方がいい。現代日本の行政、財政、外交、教育などあらゆる面での行き詰まりもみなこの原点をいい加減にして来たことに由来するように思えてならない」。
    アメリカに物語を与えられる前の我々自身の世界観を回復せねばならないということである。

    「敗北はあり得ることであったと理性は判断したが、あり得ないはずだったと感情は拒否反応を示していた。頭が納得し、心が抵抗した。この場合戦争はどこまでも自分の戦争であって、戦争一般ではない。人類や世界に対する『戦争責任』を日本国民が背負っているなど誰ひとり考えた者はいなかった」。
    「日本の歴史は西洋と違う。古来、『上』に立つ者の叡智ある統治が西洋の民主主義の方法より劣っているという明瞭な証拠はない。明治時代は劣っていなかったことを示す証拠の一つである。西洋の民主主義の概念には基本に嫉妬の劣情を刺戟する下克上の通俗平等観念がある。東洋には別の統治の政治観念があった。戦争に突入したとき昭和天皇と国民はいわば運命共同体であった。瞞し瞞される西洋式の関係がそこにあったと考える日本人は今でも少ないだろう」。

    著者は今日まで続く戦後「日本の自己喪失」の諸相を繰り返し跡づけていく(p335、347~348、357~358、360~361、368、418~422)。自己を喪失した者たちの姿はニーチェの言葉の例証と言えるものであろう。すなわち、「狂気は個人にあっては稀有なことである。しかし、集団・党派・民族・時代にあっては通例である(「善悪の彼岸」)。

    朝鮮戦争下の昭和二十五年から二十六年の間の吉田政治が掲げた「軍備を持たない経済立国」というイデーこそが「積極概念たり得ない」「負の価値観の上に成り立っていた」のであり、こんにちに至るまでの「日本の自己喪失」をもたらした「戦後日本の原型」であることを歴史の流れに即して論述したことも、この本の功績と思われる。そして、「首相の座にあって憲法改正をついにしなかった吉田と、『世界』平和問題談話会の知識人との間に、今になってみると決定的に大きなへだたりがあるようには思えない。最重要の現実から逃げたという点で、同工異曲である」と戦後座標軸の転換へと至るのである(『世界』は戦後民主主義派が拠点とした岩波書店発行の総合雑誌)。「最重要の現実」に向き合うことが、依然として我々のテーマであり続けていることは言うまでもなかろう。

    この本の魅力のひとつは、アランを引用しながら展開される教育論にある。教育は氏が熱心に取り組んできだテーマの一つであり、この本ではそのエッセンスが語られて有益だが、同時に見逃せない指摘がある。
    受験によって「十五歳と十八歳にぽっかり穴があいていることに気がつく」。「少年期の自然な時間の流れが、十五歳でとつぜん物理的にブロックされ、平板に堰き止められた、というはっきりした苦い記憶がある。自分で自分の好き勝手な課題に没頭する時間の自由がにわかに剥奪された。(中略)…そのために失ったものの大きいことも今この歳になってやっと気がつく。ことに高校に入って大学受験へかけての歳月にそれがむしろ言えるだろう」。
    私立の中高一貫校の人気が高まったことの一因には、十五歳時の受験による時間の堰き止めを回避しようとした親たちの目論見があったと思われる。しかし、その結果として小学五・六年生から塾通いをさせることとなり、自然な流れに穴が開いたのが十五歳から十一歳・十二歳へと下がっただけだと気がついた時には、子供を引き戻すことができなかった。評者の苦い経験である。「十八歳以下の子供をできるだけ競争から解放したい」とする西尾氏の教育論が再び読まれなければならないと思う所以である。

    「なにかというと『差別』と騒ぎ立てる」のは「国全体が豊かであるから」だ。貧しい時代には「飢える』ことさえなければ、「将来のコースをどんな風に選択しても、さしたる大きな違いはない」。「現代よりも、人は肚(はら)がすわって、精神主義的になることに抵抗を覚えない」のである。今の我々は「食えない」ことはないのに経済生活を優先することに血道を上げている。若い人が子供をあまり産まないのも経済的自由を確保することが優先されているからである。人と同じでなければ気が済まない現代日本は、保育所を整備し待機児童をゼロにし、女性の就業を支援すればするほど、「貧乏人の子沢山」の逆説を再び現実のものとする道から遠ざかって行くことだろう。

    「人間はいかに変わらない存在であろう。人間は一生かけて外にあるなにかを体験するのではない。ただ自分自身を再体験するだけなのである」。自らの子供時代の日記を読み始めて以来、「自分では歳を経て自由な創意に基いて新しい発見の書をなしているつもりで、子供のときに誓約していた通りに生きる以外の知恵を持たない存在かもしれない」という発見に至る。
    また、ニーチェに倣って「わたしはわたしの父母の繰り返しにすぎず、亡き父母の人生のいわば継続である」。「わたしは父と母の子であり、どこまでも日本というこの国土に生を享(う)けた人間で」あって、いまだ決して『個人』ではない」と語る、印象的な一節がある。そのとおりだ、と私の内心の声が応じる。保守の思想の生理の露頭である。氏の父母の生きる姿が本書の骨格をなしていることを付言しておきたい。

    <追記>
    読み返してみて、敗戦直後の印象的な叙述に触れていないことに不満を感じた。長くなるが引用しよう。
    八月十五日、そしてその後のことである。
    「日本が降伏したと聞いた直後から、ずっとわたしをとらえた感情は、いまだから正直にいうが、敗者は殺されるか奴隷にされるかのどちらかで、子供は助けられても、親から切り離され、安寿と厨子王のように敵国に連れて行かれて、鎖に繋がれ、兄弟だけで労働を強いられ、殴られたり蹴られたりするのではないかという動物的恐怖にほかならなかった。わたしはのっけからその恐怖に内心で戦(おのの)き、口から出かかってもそれを必死に抑えた。密林の中で人食い人種につかまってもう少しで食べられてしまう南(みなみ)洋一郎(よういちろう)や海野(うんの)十三(じゅうざ)の冒険小説のシーンなどがしつこく頭から離れない。運命の激変はわたしに恐怖の幻想を喚び起こしていた」。
    「母はあの夜少しこわいようなところが感じられた。家の縁側に背を向け、わたしたち兄弟を振り切るようにして、玉蜀黍(とうもろこし)畑のなかへひとりで入っていった。母は自分個人の悲運について思いをひそめていただけなのかもしれない。あるいは母にもこれから起こるであろう生活の激変への不安が襲いかかっていただけかもしれない。しかし月の光を背に受け、子供をきっぱり拒絶するようにして畑の中でひとり立ちつくしている、いつもと違う母の後姿には、ある種のけわしさがあった。わたしに甘えを許さないようななにかがあった。母が縁側で涙を流したのはこの後である」。
     「母が月の光をみても心たのしまず、なにをする気にもなれなかった、という虚脱感は、政府の敗北宣言に対する母なりの不服従の表現といっていい。農民の不服従はさらに予想もつかない突発的行動になって現れた。丹精して育てていた稲を未成熟のままに大急ぎで刈入れる者がいた。当時労働力として各農家でこのうえなく大切にされていた牛や馬を、谷川の上流でつぎつぎに殺戮した。そして村のひとびとに肉を共同に分配するなどの行動が伝染病のように相次いで行われた。下流は紅い血に染って、そこを横切るときのわたしたちの驚きは大きかった」。「紛れもなくここには自己破壊の衝動があった。未来への拒絶があった」。「なにかが起こると誰もが信じた。そしてなにも起こらなかった。緊張の高まりの後には弛緩と昏迷が生じる。その異様な空気のなかで村人たちは明日を信じない行動に走ったのである」。この後に、「東京の公的社会に背中を向け」妻子のいる疎開先に浪々の身を寄せ、那珂川で鮎釣りに興じる父の姿が描かれる。「そうすることで父なりの仕方で敗戦の現実に不服従の意志を表明していたのではないかと思われる」。
     江藤淳は吉田満の「戦艦大和の最期」に向けた文章で、時の経過とともに「戦後文学」は跡形もなく消え失せ、「戦艦大和の最期」だけが残るであろうと書いていたはずである(今、手元になく、正確な引用ができないが)。そして戦後75年にして概ねそのとおりになったように思える。「大和」の乗組員が描いた大日本帝国と帝国海軍の「全的破滅」の叙事詩は、日本と日本語とともに残り続けるであろう。一方、散文として、日本を襲った巨大な運命の中を生きた人間の姿を知るために後世が繙(ひもと)く書物は、何だろうか。少なくともこの「少年記」がその一書であることは間違いないと思われる。

  3. 西尾氏の近年の文業を振り返って(その2)
    最近の西尾氏の著作にこの欄で幾つか拙い感想文を投稿してきたが、Amazon書評欄に書いたものを若干修正、加筆して転載することをお許しいただきたい。とてもこの巨大な思想家の「まわし」には手が届かないが、枯れ木も山の賑わいになれば幸いです。

    「日本の世界史的立場を取り戻す」
    日本の歴史の回復

    西尾幹二・中西輝政両氏には「日本文明の主張」(平成十二年PHP研究所刊)というわが国の歴史、精神史に深く錘鉛を下ろした本書の第一部とも呼ぶべき対談がある。その後17年の時を経て雑誌「正論二月号」の対談「歴史問題はなぜ置き去りにされるのか」で相まみえた後に西尾氏は「肝胆相照らした」という感想を洩らした。得難い知己としての中西氏を再確認した感慨に他なるまい。
    前書きで西尾氏は、「『世界史』も『世界史的立場』も決定された普遍的概念を持つものではなく、いま、われわれが参加し、苦闘し、創造していく概念です」と語っている。本書は、「世界の歴史の大波やうねりの持つ歴史的意味と日本の国内との関係、『世界史』と『日本史』との接点における相互関係」を内と外から照射し、その諸相と意味を明らかにする試みである。貧寒な「昭和史」とは隔絶した視野の広さとスリリングな認識の鋭さに、悪意に満ちた外の世界に向かって日本が今こそ自己主張すべき「世界史的立場」を、読者はしかと自覚することであろう。
    「近代」とは西洋が実現した輝かしいだけの文明を意味するのではない。それはキリスト教プロテスタンティズムとりわけピューリタニズムに収斂するする永続革命的なキリスト教原理主義と金融支配を通じて追求されたグローバリズム、更には帝国主義の結果として、それまで支配的であったイスラム文明を打倒することによって実現されたものである。言うまでもなくそれは、略奪と虐殺と謀略と植民地支配の歴史でもあり、人種差別と独善に満ちたものであった。だからこそ最初に西洋近代を相対化し、自己主張に立ち上がった日本は一九四五年に完膚なきまでに叩きのめされたが、「戦後七十年の世界史は『非西洋』にもう一度、立ちあがれと言って」いるのである。西洋近代がついに終わろうとする今、「大東亜戦争に象徴されるような『西洋近代の超克』という試みは、けっして間違っていなかったのだと」。
    中国文明の学習とそれからの離脱による自己発見、日本独自の古代の存在の再確認を通じたナショナリズムによって、日本は江戸時代に近代へと到達する。中国にしても、今後五〇年後に独自の近代を自覚する可能性がある。今後の世界はイスラムを含めた各文明の対峙と競争の段階へ進むことであろう。その幕は既に開いている。日本は「世界史的立場」を取り戻し、勇を鼓して立たなければならぬというのが本書のモチーフである。

    二十世紀に入ると第一次大戦を決定的な契機として『ヨーロッパ文明』が瓦解してゆく。第一次大戦後、ヨーロッパ人が必死になってフィクションにすがりつこうとして生みだされたのが、国際連盟(そしてその後継としての国際連合)と欧州統合という理念だった」が、「二十一世紀に入って、この両者とも結局、破綻し、国家の再浮上をもたらしている」のである(それは2020年のコロナウイルス禍への対処において、とりわけEUの元締めメルケル首相の言動によって、誰の目にも歴然とした)。
    一方、アメリカが「世界覇権国」という見果てぬ夢から覚めざるを得ないことがいよいよ明白」にな。った。「一九八九年に冷戦が終わったのち、湾岸戦争(一九九一)があったとき、アメリカの世界覇権主義はすでに前向きの目的を失って」おり、「帝政ローマのような『無思想のグローバル帝国主義』か、あるいは・・・『草の根的な孤立主義』のアメリカに戻るか、原理的に二つにひとつしか」なかったのである。「相対的には二十世紀後半と比べ、いまのアメリカの地政学的な国力、世界覇権国としての余力は低落の一途」を示し、「一九二〇年代と同じレベル、つまり『アメリカは百年前の水準にすっかり落ちてきている』」のである。もはやパックスアメリカーナの終焉は避けることのできない歴史的趨勢として決定づけられ、どんな指導者を以てしても覆ることはない。
    これは西尾氏が近著「国家の行方」で述べたことに直結している。すなわち、
    「アメリカ文明はロシアと中国、とりわけ中国から露骨な挑戦を受け、軍事と経済の両面において新しい『冷戦』ともいうべき危機の瀬戸際に立たされている」。「トランプ氏は世界全体を排除しようとしてさえいる。ロシアと中国だけではない。西側先進国も同盟国をも排除している。いやいやながらの同盟関係なのである。それが今のアメリカの叫びだと言っている」。「彼の露悪的な言葉遣いはアメリカが『壁』にぶつかり、今までの物差しでは測れない『自己』を発見したための憤怒と混迷と痛哭(つうこく)の叫びなのだと思う」。さらに「日本自身が『壁』にぶつかり『自己』を発見することが何より大切であることが問われている」としている。
    イスラム原理主義の出現は、同じ宗教原理主義としてパッククスアメリカーナの精神的・政治的背景を成したピューリタニズムに既に祖型があるパラレルな現象である。だとすれば、「強い吸引力と拡散力を持った、今の急進的なイスラムだって、数百年後の世界史の主人公になる可能性を秘めている。そういう世界史的な自己主張として見なければいけない」。「日本はキリスト教圏とイスラム圏の今後の対峙と競合の中で、どこに自らの立ち位置と軸足を置くべきなのか、これはまさに、『日本の世界史的立場』が問われる展望として受け止める必要がある」。イスラムとキリスト教圏の争いに首を突っ込み、欧米と「普遍的価値を共有する」(安倍首相)などと繰り返し表明する愚が指摘される。
    そして例えば南シナ海で既存の国際秩序を踏みにじって覇を唱える中国の現在は、「西洋近代」に真正面から挑戦する姿勢において、国際法秩序を破壊してパックスアメリカーナを打ち立てたアメリカの歴史に類例を持つ帝国主義志向として見なければならない。イスラム原理主義同様、世界史の主人公の座を占める可能性を持つのだ。
    「イスラムと中華という、二つの『反ないし非キリスト教文明圏』が、米欧への対峙勢力として、世界史的に抬頭してきたということを、より大きな文明史的展望において見ることが、日本には鋭く求められている」。「イスラムと中華によるユーラシア規模の枢軸が、たとえばいまの『一帯一路』などの帰趨に(よっては)米欧を圧倒する時がまもなく来るかもしれない」。
    しかし、「中華=イスラム枢軸と米欧キリスト教圏がぶつかることになれば、それは日本の『世界史的立場』の回復にとって、むしろ好条件をもたらすかもしれない」。「とりわけ『西洋近代』の呪縛から逃れるという意味において」。

    江戸から明治にかけて文明史的に完全に自立していた日本を拘束衣で縛ったのはワシントン会議である。米中の対日包囲網が突然不可抗力のように出現した。そして、1971年のキッシンジャー訪中はその再来であり、日本はいずれの時点でも「自立主体としての『世界史的立場』を奪い取られることとなった。高度成長後の日本がいよいよ自立に向かおうとしたとき、アメリカの対中接近に始まる中国の再抬頭に直面した」。つまり、「日本の『近代』を完結させるには、『中国との戦い』と同時に、『アメリカとの戦い』というもう一本の線を引かないと『日本の世界史的立場』は成立し」ないのである。

    アメリカの占領は、悪性憲法を強い、民族の根幹の皇室と神道の弱体化の仕掛けを施し、真珠湾、慰安婦、南京大虐殺等々の歴史の捏造で日本人の誇りを傷つけ、北方領土・竹島・尖閣諸島と近隣との紛争の種を蒔き、今に至るまで肥料を絶やすことはない。さらに、江戸期から明治にかけての「儒学から国学への展開、そして水戸学へと」いう日本の近代思想の自己発見のドラマは焚書という手段で徹底的に隠蔽された。「なぜアメリカが、あれほど水戸学的なるものを否定したか。それは、江戸期の日本が『古代』を取り戻しているということは、そこに日本のひとつのアイデンティティの軸ができている。この軸に沿って明治以来の日本の、アメリカに匹敵しためざましい興隆があり、そして将来、アメリカに対抗する日本が再生するかもしれない。何があっても、これはこの機会に完全につぶさなければ、日本人を金輪際、無害な『アメリッポン(アメリカ+日本)人」に変えることはできない。こういう戦略がアメリカの側に明確にあったからでしょう』。「ですから、この文明的な『アメリカの傘』の下にあるかぎり、中華に対抗しうる日本の『近代』を取り戻すことはできない」。
    「日本も、この多極化する世界で『一極として立つ』、つまり日本としての『世界史的立場』を取り戻すためには、明確に脱アメリカ・脱中国の方向性を意識することが大切」であり、「精神的に両方を超克することが必須不可欠なのだ。これが現在における『近代』の超克、われわれに課せられた使命」である。「日本がアメリカ、中国、あるいはロシア(中略)、とにかくそういった国々と渡りあうときに必要な普遍性を主張しうる精神の拠りどころ、これを発見し直し、明確に自己主張すること、それがいまも日本としての『世界史的立場』を取り戻す営みなの」だ。「大東亜戦争がなぜ起こったか・・・、満州事変、シナ事変、いろいろ個別の紛争があったけれども、一貫していたのは明治以来、日本人の側に『文明の自己主張としての“世界史のゲーム”をやろう』という意識があったから」に他ならないというのは本書の鍵となる重要な指摘である。
    「日本は再度、文明的な立脚点を築きあげないと、アメリカとも中国とも対峙して自己主張できない。・・・それがいま、決定的に明白になってくる時代に入りました。そのとき、われわれがもう一度、踏ん張って、世界史的な精神と文明の自立をめざす国民的勇気を奮い起こせるか。ここが、これからの日本の生存をめぐる最大の問題点ではないかと思います」。
    「日本の歴史を取り戻すことです。日本の歴史というものを、自己本位主義をもって再興することです」。
    かくて、西尾氏の前書きのキーワード「世界史の中の『日本』、日本史のなかの『世界』」をこそわれわれが自ら掘り起こす必要性に立ち至る。そのために、本書には両氏が獲得してきた歴史認識の精髄が語られ、われわれの自覚と行動を促す示唆に満ちているのである。

    なお、この重要な書物に誤植が多くAmazon投稿では気づいた点すべてを指摘しておいたが、ここでは省略する。

  4. 西尾先生。
    かつての盟友、よしりんの対コロナ論に目を通してみてはいかがでしょうか。
    日本では、コロナはインフルエンザ未満、いや比較にならないほど弱毒性のウィルスです。
    実際にグラフを見れば分かりますが、70代以上の罹患者でさえ、
    重症、死者はほんのわずかの割合しかいません。
    メディアでは絶対にそういった事実を表したグラフ等の資料は出しませんが……。
    コロナにビビるのであれば、インフルエンザにはどう対応するのか。

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