参議院議員選挙立候補予定者 高原朗子さんへの激励メッセージ

 第26回参議院議員選挙全国区 に立候補を予定している自民党公認候補の元熊本大学教授の高原朗子(あきこ)氏に対し、6月7日靖国会館で開かれた「高原あきこを励ます会」に西尾幹二が寄せた激励のメッセージです。当日の代読者は坦々塾幹事長の浅野正美氏です。

 「高原さんと私の出会いは、もうかれこれ22年になります。
 私が歴史教科書改善運動を始めていて、高原さんは有力な協力者の一人でした。
 私が長崎で講演をした折、聴衆の一人として前に座っておられたのが最初の出会いでした。

 その時は確か長崎大学の助教授だったと思いますが、国立大学の教官で、しかも政治文化運動の協力者であったのはありがたく、女性であってきっぱりとした意思の持ち主であることもたのもしく、何かと力になっていただき、貴重なご存在でした。

 専門は心理学、特に臨床心理学と聞いています。これは、直接人の為に役立つ学問です。

 弱い立場にある個人への心理学的支援というのが目的の学問でしょう。そういう専門知を目指す人が、いつの間にか国家社会の安全保障を考えるまでに大きく変貌かつ成長されました。それは、必然的な変化でもあったのです。

 どちらも危機救済という点で根は一つだという彼女の思想の深さに私は感動しています。

 自分が関わっている障害者の救済、その背後にある家族、郷土、ひいては国家社会の問題、その存立と安全を考える国防というところまで手を伸ばした開かれた姿勢とパワーに敬意を表します。さらに、日本を守るためには今の憲法を変えていくことが重要ですが、その点も高原さんは深く認識し、すでに精力的に行動を始めています。

 さて、ロシアがウクライナに突如侵攻してから三ヶ月が過ぎました。

 現代日本の今後の運命をどう考えるべきかという課題は、あれ以来ロシアのこの戦争と切り離して論ずることは出来なくなりました。

 端的に言います。日本が大切にし、あの戦争が露骨に奪ったものは、一体何でしょうか。たくさんありますが、最大なものは「自由」と「民主主義」だったと思います。日本は、自由の度合いが行き過ぎたくらいに自由の国であり、議会制民主主義も守られています。もし、ロシアが日本に侵攻したら、日本人は「自由」でなくなり、民主主義も奪われます。空気や水のように、当たり前に思っているわれわれの自由、われわれの民主主義的諸制度が失われることを考えてみて下さい。

 それなら自由と民主主義の産みの親、母体をなすものは何でしょうか。

 国際主義でしょうか。外国から来た理想の言葉でしょうか。国連などの日本の外の組織でしょうか。そう言うものも、無関係ではありませんが、自由と民主主義を生み出し、育てて来た発展の泉をなしてきたもの、それは、外にあるものではなく、国の中にあり、歴史が育んできたものであり、自分自身に発したものです。

 私はあえて次の四つの言葉を強調します。

 すなわち、(一)家族、(二)民族、(三)国民国家、(四)ナショナリズム(この四番目の言葉は、「愛国主義」と言い換えても構いません)

 この四つは戦後久しく自由と民主主義の敵であるかのように言われてきました。それは完全な間違いです。

 四つをもう一度言います。

 家族、民族、国民国家、ナショナリズム、これら四つは自由と民主主義の敵ではなく、むしろ自由と民主主義の側にあり、自由と民主主義を守り育ててきた母胎があったものと敢えて言いたいのです。

 アメリカナイズされた第二次世界大戦後の日本ではなく、明治の開国以来の日本の姿を思い浮かべて下さい。家族制度は健全に守られ、日本人は民族一丸となって誇りを持ち、恐らく幕藩制下に確立されたいち国家の意識も高く、そしてナショナリズムはすべての文化、教育、社会活動の隅々まで行き渡っていました。それが、今のわれわれの自由と民主主義を培ってきたのです。

 日本は、もう一度あのレベルまでよみがえらせなくてはなりません。

 それには、人材が必要です。高原朗子が、今、私の述べたすべてを理解し、体現されている方です。

 今の時代、女性で国家観がある政治家が必要です。その代表格は、高市早苗自民党政調会長でしょうが、高原朗子さんも彼女を支える有力な同志として国政に行くべきであります。こういう理念を体得した高原さんこそが今の日本の政界に特に必要な人材です。

 高原さんは、国立大学の教授だった第一線の知識人であり、3年半前にその地位を投げ打って、今までの知識や技能を国民のために役立てようとしています。

 その人が女性であることは、女性の活力の拡大が期待されている自民党には求めても簡単に得られない人材でありましょう。

 自民党にとってもチャンスなのです。

 保守政界は、こういうチャンスをあだおろそかにしてはいけません。

 政界の知的レベルの向上は日本の政治にとって今や焦眉の急です。時代はまさに人を得たというべきではないでしょうか。

 ご健闘を祈ります。」

                         令和4年6月7日

                     

                             西尾幹二

「参議院議員選挙立候補予定者 高原朗子さんへの激励メッセージ」への36件のフィードバック

  1. *

    幹二 先生!諸兄!!おっす!!

    今、GHQ焚書図書開封の1巻と12巻の2冊を買いました!!

    Kindle 各500円で売っていて飛びつきました! !

    ザっと12巻を読んで、凄い良い!自分は戦国&三国が好きなので、古の武人がどう考えているのか・・とかが興味がある。

    武人は現代の格闘家のモチベーションに繋がる!格闘技だってヘビー級は体格的に厳しくても、日本人は軽・中量級なら最強じゃないっスか!

    幹二先生の言葉の記し方は、密度が濃くて読むの疲れるけど、自分にとって この焚書開封のno12は大切な一冊に成ると思います!

    * 令和4年_梅雨明け間近。

    子路 .

    1. 渡邊 樣

      貴文を、ある人のブログに見つけました。
      曰く「安倍さんの件は、ショックとかロスより、まだ、事件事実そのものに日本人が茫然自失しているというのが正確なのではないでしょうか。事実に言葉や感性が追いついていないというべきです」。
      事の本質を見事に言ひつくされてゐますね。

      ただし、これはブログ主の次の言ひ種に對するものです。

      「安倍元総理が暗殺されてしまいました。
      日本で。
      昨日まで、今日、こんなことが起きるなんて、
      誰も思いもしなかった。
      殺してやろうと思っていたという。
      そういう考えがなぜ
      心の中で正当化されるのだろう。」

      「それにしてもまだ安倍元総理のことが
      気持ちを暗くさせる。
      残念で仕方ない。」

      かういふ紋切型を竝べるブログ主には、貴兄の如何なる名言も忠告も通じないーーといふことを貴兄は百も承知だつたに違ひありません。お相手には「見て・感じて・考へる」能力が皆無なのです。初めから、一般の風向きに從つて、安倍さんの死は、「気持ちを暗くさせる。残念で仕方ない。ーーつまり、ショックでありロスーー」なのであつて、それ以外のものではあり得ません。「(60年)安保は戰爭につながる」や「英靈の坐す靖國は參拜すべし」「人間同士の連帶を希薄にする夫婦別姓は執るべからず」と初めから決まつてゐて、そのことを考へてみようといふ習慣がないのです。これは多分天性の習性でせう。さういふ生態の研究は、貴兄のテーマの一つであり、彼等にその時は何を言つても無駄だといふ結論を疾つくにお出しになつてゐることでせう。貴兄のこれまでの業績を見て、私はさう判斷してゐます。60年安保の際、烏合の衆が自ら雲散霧消するのを待つのみで、如何なる言説も彼等には效かなかつたことを貴兄は熟知してをられる筈です。

      無駄を承知で言葉をかけられる貴兄の優しさは多としますが、それよりも、かういふ手合ひの生態についての解説や、「ニヒリズムですらない『無』という近代日本最大の国難」について、多少疑問や關心を抱いてゐる向きを相手に講義された方が、御見識は世の中のために活きるのではないでせうか。

      渡邊さんの御登場を切望しつつも、大事なお仕事の邪魔になることを恐れ、しばらく聲をかけずにきましたが、「残念で仕方ない」御仁を慰めようといふお優しさを當方にも、といふ圖々しい氣持で、以上申上げました。

  2. 池田さま

    書き込み、わざわざ目を通してくださりありがとうございます。

    思えば、ここ十数年の日本のスタンダードなナショナリストのジャパン・ナンバーワンの主張には、「日本の治安・安全は世界一」ということがよく含まれていました。けれどもいともあっさりと、戦後初となる首相・首相経験者の暗殺事件が組織力を借りないしかも資がない人物の単独犯罪で起きた。日本の治安・安全とはいったい何なのか。しかもその暗殺をされた人物が、まさにこの十数年の日本のスタンダードナショナリストの芯だった安倍さんだったということに、私は何かとてつもないレベルの「終わりの始まり」を感じるところがあります。

    「自分は安倍さんとつながっている」だの「今度安倍さんと食事したときにいっておく」だの、「安倍応援団」を自称して憚らない言論人にたくさん会ってきました。それは多数派だった、とさえみえます。だけどもっと大事なことは、そうした安倍グループ批判をする面々もまた、安倍さんの存在に依拠しすぎていたということです。この構図は少なくとも精神面的には、冷戦崩壊と同時に共産圏批判をしていた面々が、批判対象を失い虚脱にとらわれたこととさして変わりはないといえるのではないでしょうか。しかし安倍さんの死のあとの空白は、精神的な面に限られない遥かに大きなものだと感じます。

    少なくともいえるのは、安倍さんの言動の成否とはまったく別の次元で、この国の十数年は、おそろしいほどに安倍さんの存在感に依存してきたといえます。歴史教科書問題だって、何割かは安倍さんへの賛否両論だったようにみえます。その大きな芯が運命の力の悪戯でまったく不意に消えて、日本人の多くは「そのあと」を考える力も感じる力ももっていない、といっていいと思います。これこそがたいへんなことなのです。正直、私もまたその1人です。

    彼に依存しすぎた日本全体の精神的、社会的構造を「まずいな」と思ってきた人はもちろん、いないわけではなかったはずです。一にも二にも三にも安倍さん、安倍さんで、「じゃあ安倍さんがいなくなったらどうなるのか」と。けど、年齢的そして少なくとも外見体力的には、「まさかそんなことはないだろう」ということで時は流れ、安倍さんが首相の座を降りたあとも、安倍さんへの依存は弱まるどころか、むしれ強まっていったというのがこの日本の紛れもない姿だといえるでしょう。

    安倍さんの暗殺に関して、自分は正直、激しいほどの悲しみはないのです。ただ、これからの日本のことを考えると、鬱の底にあるようなすさまじい不安感を感じる。安倍応援団・安倍グループの空々しさより遥かに悩ましく感じられるのは、少なくとも保守系、自民党内の反安倍・非安倍の面々が、安倍さん批判に拘泥して、安倍さんに代わる芯をつくるということをしてこなかった、ということにあると感じます。批判はいい。しかし批判から芯が生まれることはなく、芯が生まれるような批判はなかったというべきでしょうか。繰り返しになりますが、やはりこの反安倍さんの安倍さん依存が根底の問題なのです。政治の芯はいくつもあった方がよく、ありすぎるということはありません。

    安倍さんの不在が何をもたらすのか。それは私はニヒリズムですらない、と思います。ニヒリズムというのは、無そのものではなく、それを語る最低限の人間の精神の力があるから「イズム」なのでしょう。しかしこれからの日本には、ニヒリズムさえない「無」が待っているように思われます。安倍路線を維持する面々も、安倍路線を転換しようとする面々も、まったく芯をもっていないからです。あと10年は安倍さんが健在だろうと思っていた日本全体、保守派も左派も全部ひっくるめた全体に、巨大な「無」がやってくる。それは安倍さんの死への哀しみや追悼の一騒ぎのあとにくる近代日本最大の国難事ではないでしょうか。それこそが、理想も未来も関係性も人間性も何もかもが虚ろな無にむかってぼんやりすすむ「終わりの始まり」です。

  3. 渡邉 様

    御懇篤なお教へ忝く存じます。自分がどこまでそれを活かせるか疑問ですが。
    私は安倍さんの死をあまり真面目に考へたことはありませんが、仰せの要旨の一部にして、私の耳に痛いのは、次の一節です。

    「安倍応援団・安倍グループの空々しさより遥かに悩ましく感じられるのは、少なくとも保守系、自民党内の反安倍・非安倍の面々が、安倍さん批判に拘泥して、安倍さんに代わる芯をつくるということをしてこなかった、ということにあると感じます。批判はいい。しかし批判から芯が生まれることはなく、芯が生まれるような批判はなかったというべきでしょうか。繰り返しになりますが、やはりこの反安倍さんの安倍さん依存が根底の問題なのです。政治の芯はいくつもあった方がよく、ありすぎるということはありません」

    全てが理解できたといふわけではありませんが、ちよいと、グーの音も出ないといつた気分です。

    私は若い頃の安倍さんに惚れ、その熱は、彼が偉くなるにつれて上り、「日本国憲法を葬つてくれるのは、ひよつとして安倍さんではないか」とまで思ひ詰めました。ところが、彼が総理大臣になると間もなく失望し、「安倍さんは国民のあらゆる希望・願ひを吸ひ上げて、片端からドブに捨てる」と罵り始めました。テレビや新聞で、彼の言葉と行動に触れてゐると、自然さうなりました。この思ひは今も変りません。

    安倍さんの本質は、西尾先生のお言葉を借りると「教養がない」いふことでせう。これは具体的に言へば、頭が悪い→智慧がない→判断(決断)力・勇気がない→実行力がない、といふことになります。丁度、先般の参院選や田中(角栄)内閣時代の選挙スローガン「決断と実行」の反対です。頭が悪いとさうなるのは当然です。

    安倍さんの議会(委員会)答弁を聞けば、その頭の悪さには疑問の余地
    が残りません。支離滅裂で、論理が皆無です。

    安倍さん健在時代、自分が政治などについて考へるのは主に、こんなに頭の悪い人に何故あれほどの応援団がつくかといふことでした。そしてもちろん結論は出ず、「安倍さんに代わる芯をつくるということ」も一切しませんでした。

    今から、その「安倍さん依存」のツケを払ふことになります。

    「ニヒリズムさえない『無』」「近代日本最大の国難事」「終わりの始まり」とは大変なことですね。自身の勉強や努力で、それを凌げるとは思つてゐません。用意してゐる言ひ訳は「自分はもう年だから」といふ
    ことくらゐです。

    ただし渡邊さん、今後もお見限りなく。

  4. 芯とは具体的に何を指すのか。対案か。政策か。それともまたぞろリーダー論を展開すべきというのか。芯がなんであるかをいわず批判はいいなどというレフリーめいた口ぶりも奇妙だ。奇妙というか、いささか夜郎自大の不健康なにおいを感じる。わたしなら真っ当とか国民の連帯、紐帯が芯だとこたえる。安倍は真っ当からかけ離れていたし連帯にも無関心いや分断を図ろうとさえした。その取り巻きも安倍のウソをウソでないとウソで覆い隠した。
    批判する側も安倍に依存しすぎた旨の意味がまたよくわからない。安倍は8年近くも政権の座にあったのだ。しかも彼は結果的に保守でもなんでもなかったし、いまの売国的自民党を象徴する人物であった。安倍を問うことが日本の政治を考え、保守とは何かを考え、安倍を問うことが自分たち日本人を問うことだと思うが、これを依存だというのならではどのような批判の仕方が将来につながる批判だというのだろうか。
    安倍の訃報を機にいま自民党の根太、出自にもかかわってくることが続々と明らかになり、名簿から記録映像から当時の資料、証言まで誰でもみられる形で示されている。追究は安倍に依存するどころかすでに自民のみならず維新、立民、参政党、ものかき、タレント、放送人、故人にまで及んでいる。反安倍のなかにはいまだ安倍を右翼ウルトラ保守とみる頓珍漢もある。しかし芯?に迫ろうとしている反安倍がいないかのような見方もまた頓珍漢ではないのか。
    不健康なにおいを敏感にかぎとっておだやかな反応をよせている情理あるかたがおられるので、得手ではない配慮あることばはこびはその方にお任せして、強い違和感を覚えたので率直に疑問を並べてみた。

  5. (烏合の衆對策)
    渡邊 樣

    渡邊さんのやうな高名な著述家にして、高邁な學識に溢れた大先生に向つて、俗な質問で失禮・恐縮ですが、”烏合の衆”が國に害をなすことをなるべく少くするやうな手立て・工夫はないものか、お尋ね致します。

    彼等にとつて絶對なのは、風向きであり、ある風に乘つて(流されて)ゐる時、傍ら傍らから、これを言葉により説得することは不可能です。「安保は戰爭につながる」風が吹いてゐる時は、それ以外の説は通じません。

    安倍さんの死に正面から向き合つたことがなくても、それは「悲しい」「殘念」なことなのです。それが風向きだから、といふのが理由の全てです。彼等の紋切型の科白を聞くと、さほど悲しんでゐるとも、殘念がつてゐるとも思はれません。でも、流されてゐるうちに、段々と本當に悲しく、殘念なやうな氣がしてくるのです。果ては、涙くらゐ出るかもしれない。

    烏合の衆もバラけてしまへば、無力で、世に大きな害をなすことはありません。でも、”衆”である間は、ずゐぶんなことをやらかします。60年安保の際のワッショイワッショイは樺美智子を踏み殺しただけでなく、國や社會の機能を大幅に痲痺させました。

    福田恆存は彼等の生態を的確に掴んで、「やがて雲散霧消する烏合の衆」と評しましたが、ああなつた彼等には最早言葉が通じないことも見拔いてゐて、何も呼びかけず、對策も示しませんでした。デモ隊の人々の釣り上がつた目は、今の、安倍さんの死が「悲しい」お兄さん・お姐さんの先發組と同じく、段々と本氣になつて、自分では「戰爭だ!」と感じてゐるつもりだつたことを示してゐます。

    福田は「ああなつた」彼等を時間限定で、見限りました。

    今度は「騒ぎのあとにくる近代日本最大の国難事」を乘り切るために、「ああな」る以前に、前以て、言語・非言語を通じて、策を講じることはできないでせうか。

    「見ず・感ぜず・考へず」グループに、言語以外に有效な手段はあるでせうか。お門違ひの質問ですが、できればお教へを。

  6. 池田さま

    これから私のいう見解は極論です。極論ですから、半分くらい真に受けてくださればよろしいです。

    「安倍さんの不在」のあとのことが考えられず感じられないまま、「無」にむかって加速度的にむかっていく日本の舵をなんとか「有」にむかってすすめるのにはどうしたらよいか。これは他力本願といえば他力本願になってしまいますが、おそらく一つだけ、救いの道があると思います。それは、大国が日本に戦争を仕掛けてくること、ですよ。

    繰り返しになりますがこれは極論、おそらく極論中の極論です。可能性のあるのはロシアか中国ですが、これらの国が日本に直接の侵攻攻撃をしかけてくる。その攻撃は、「無」病に瀕していた患者に、劇薬の如き心臓蘇生をもたらし、考え感じることを蘇らせ、日本各地に眠っている才人や才気に活躍の場を与えることになるやもしれない、と思います。

    これも極論になるかもしれませんが、この国には、ユダヤキリスト教世界とはまったく別の意味で「すでに実現された千年王国思想=日本」のようなものがある、と私は感じるときがあります。「何があってもこの国にいて何となく生きていればなんとかなるだろう」主義、といったらいいのでしょうか。だからこの国では殺戮のようなことは生まれない。しかし反面、「安心」と「安全」を取り違えてしまうような精神も生まれる。言わずもがな、戦後平和主義は、その取り違えの好例です。日本人が「安心」しあえれば、平和という「安全」は得られるという取り違え、思い込み。時代以来の長すぎた平和と和の文化がそれをつくってきたのかもしれません。

    安倍さんグループを中心にしたこの十数年来のナショナリズムも、この「千年王国」の「安心」を裏返したものに過ぎなかった。だから、憲法改正も拉致問題も教科書問題も、スローガンや集会がおこなわれるときの「安心」は得られても、本当の進展はまったくなく、安倍信仰を中心にムードがグルグル空転するだけで、安倍さんへの批判言論さえもその空転に取り込まれていったといえます。そして完全に不意に、その空転の軸も消え去った。「千年王国」は「無の千年王国」の段階に向かいつつあることになるわけです。

    けれど日本人が完全に「千年王国」人というわけではありません。長い多様な歴史をもった日本人はどこかに危機対処力を潜在化させている。元寇や安土時代外交や明治維新をなしえた遺伝子がある国民なのですから。それをいまなんとか蘇らせらせる方法は、仕掛けられる侵略大戦しかないと感じます。

    「千年王国」日本に仕掛けられる戦争はもしかしたら核兵器攻撃を含むものかもしれません。多数の死者を生み、政府中枢や皇居皇室も危機に陥るかもしれない。しかしだからこそ、「無」にむかって思考や感情を失い、空回転をささせていた安倍さんという回転軸さえ完全に失った日本人は、虚ろな「安心」の世界から目覚めるかもしれない。本当に守るべきものは何か。短い人生で真に感じるべき危機感とその克服はどうあるべきか。必死の劇薬的状況の中で、「千年王国」はいったん打ち倒されるのではないでしょうか。

    韓非子の言葉に、「愚かなに人間に正論を説くこともまた愚かなことなのだ」というくだりがあったかと思います。日本人が愚かとまでは言わないまでも、韓非子の言葉は現代日本によくあてはまるように思います。安倍さんを中心にしすぎてしまったこの十数年来のぼんやりした日本人の世界=21世紀の千年王国を瓦解させるための劇薬がおそらく唯一の処方薬なのでしょう。しかし劇薬は劇薬にかわりなく、必ずしも私の考える理想像に日本人が目覚めるとは限らず、だいたい戦争も望んで仕掛けられるものではない。劇薬投薬の限りなく可能性は低く、「終わりの始まり」というこれからの日本はほとんど避けられない、というのが私の考えるところでございます。

  7. 渡邊 様

    この年齢にして、かかる名論に接せられようとは! 戦慄的感激です。やはり、無遠慮に図々しく持ち掛けた者の勝ちですね。

    仰せは「極論」かもしれませんが、同時に万古不易の真理でもあることは疑へません。

    うーん、「可能性のあるのはロシアか中国ですが、これらの国が日本に直接の侵攻攻撃をしかけてくる。その攻撃は、『無』病に瀕していた患者に、劇薬の如き心臓蘇生をもたらし、考え感じることを蘇らせ、日本各地に眠っている才人や才気に活躍の場を与えることになるやもしれない」ですか。満腔の敬意をもつて同意します。老い先が短いので、自棄になつてゐるのではありません。この期に及んでは、日本を蘇らせる最も有効にして確実な途はそれだと考へるからです。安倍さんの死が「悲しく、残念な」お方も、その一人芝居を止めて、祖国のために、活き活きと働き始めるかもしれない。

    そして「安倍さんグループを中心にしたこの十数年来のナショナリズムも、この『千年王国』『安心』を裏返したものに過ぎなかった。だから、憲法改正も拉致問題も教科書問題も、スローガンや集会がおこなわれるとき『『安心』は得られても、本当の進展はまったくなく、安倍信仰を中心にムードがグルグル空転するだけで、安倍さんへの批判言論さえもその空転に取り込まれていった」の仰せのとほりで、私自身、「取り込まれていった」ことを認めざるを得ません。

    以前、坦坦塾で、「左翼が安倍さんをあれほど目の敵にするのは、安倍さんが真性保守である証拠」と宣う御仁がゐて、「それは左翼に人を見る目がなく、亡国仲間の安倍さんを敵と勘違ひしてゐるのだ。その事情が見抜けないあなたも・・・」と蔑んだことがあります。しかし、自分もそこに「取り込まれて」ゐることには気づきませんでした。嗚呼。

    「『すでに実現された千年王国思想=日本』のようなもの」はたしかにありますね。私自身は「神の国 日本」といふ考へを、主にクローデルその他の外国人から与えられ、他の日本人も多くは同様だらうと考へますが。

    そして、「日本人が『『安心』しあえれば、平和という『安全』』は得られるという取り違え、思い込み」は、その頽落的延長線上の甘えかもしれませんね。神の国の住人たる私自身にもそれはあるかもしれない。

    核攻撃などにも晒される恐れのある「必死の劇薬的状況の中で、『千年王国』はいったん打ち倒されるのではないでしょうか」ーーさうであつてもしかたがない、一旦は通らねばならない道なのでせうから。その上で、「長い多様な歴史をもった日本人はどこかに危機対処力を潜在化させている。元寇や安土時代外交や明治維新をなしえた遺伝子がある国民」たる自らの力を恃みませう。駄目だつたら、所詮それだけの国民だつたのだと諦めませう。自分に先がないので、いい加減なことを言つてゐるわけではありません。かなり真剣なつもりです。

    韓非子が「愚かなに人間に正論を説くこともまた愚かなことなのだ」と言ひましたか。「悲しく残念」な人に、私自身は嘗て何度か、自分で正論と思ふことを、真面目に説きました。しかし、いづれも馬耳東風、きょとんとされるだけでした。愚者たることを恥ぢ、今では一切申し上げないことにしてゐます。
    やはり法は人を見て説かなければ・・・。

    渡邊さんの教へに無限に学んだばかりでなく、いい年をして、勇気・覚悟のやうなものも沸いてきました。幾重にも御礼申し上げます。今後も何卒よろしく。

  8. (先稿追加)

    渡邊 樣

    先稿で觸れるつもりだつたことを申し忘れましたので、以下ーー

    安倍さんが「暗殺」されたと聞いた時、眞つ先に考へたのは、あの安倍さんを亡きものにして得をするやうな人間がゐるのだらうか、また、安倍さんにそれほどの憎しみや恨みを持つ者がゐるのか、といふことです。そして、そのどちらも思ひ當りませんでした。

    先に書いたとほり、左翼が安倍さんを敵視するのは、勘違ひからです。雙方は亡國仲間で、本來仲良くすべき間柄です。犯人が左翼だとしたら、とんでもないオッチョコチョイと言ふしかありません。

    その安倍さんも、惡意があつて日本を滅ぼさうとしてゐるのではなくて、「教養がない」ために、國家の大事を成し遂げる能力に惠まれず、初めから何もしないか、スローガンだけ掲げて、いざとなると逃げ出すのです。私のやうな右翼(保守反動)にすれば、イライラはしますが、殺意をおぼえることなどあり得ません。

    チャンネル櫻における對談の
    水島社長「安倍さんは世界の要人と渉り合つてゐる」
    西尾先生「渉り合つてなどゐない。馬鹿にされてゐるだけだ」
    水島「あれ、先生左翼みたい」
    といふやりとりは、何度もここに寫しますが、西尾先生の目にも、安倍さんは誰からも、ライヴァル視や敵視はされてゐないと映つてゐるやうです。

    2016年の「1年間をかけた」、北方領土をめぐる日露首腦會談では、年末に山口縣長門市において、5時間遲刻して來たプーチンの主導により、領土問題には一切觸れず、經濟協力だけをさせられることになりました。それでも、安倍さんは席を蹴つて立つたりせず、プーチン
    は大滿悦、「ああ、いい湯だつた」と引き揚げました。安倍・プーチン會談はトータル30囘近くまで達しましたか。安倍さんはプーチンに愛されてゐるに違ひありません。

    西尾先生の御論考(「安倍晉三と國家の命運」ーー『正論』2020年7月號)の一節
    「日本国民がトランプにどうしても問い質さねばならない最重要の問いは放置されたままである。すなわち米国は北朝鮮の核の脅威が具体的にレッドラインを越えたときに反撃 すると早くから公言し、大陸間弾道弾が米大陸に届かないことを以て、国内の選挙民を 納得させている。しかし日本列島はとうの昔にレッドラインを越えているのだ。日本は丸裸である。そのことをどうしてくれるのか、安倍氏はトランプに問いつめたことがあるのか、ないのか。そしてその答えが日本の核武装のすすめだったのか否か。そのあたりの論理をはっきりさせて欲しい」
    に對して、私は次のやうなことを申しました。

    曰く「『安倍氏はトランプに問いつめたことがあるのか、ないのか』知らないが、なんとなく、なささうに見える。さういふ點を詰めるといふことに、安倍さんさんはそぐはないやうな氣がする。トランプに好かれる理由も、そんな面倒なことを言はないからではないか」
    「安倍さんにお願ひするのなら、何も結論は出さず、決斷もせず、何も考へない、そしてトランプを怒らせないといふ今の行き方がベストではないか。あの人に正しい結論や決斷を期待する方が無理だ。下手に、變な決斷をされて、とんでもないことになるより、無爲の方がマシではないか」

    今も、この考へに變りはない。つまり、無爲以上のことを期待しなくなつて久しいのです。そして安倍さんが世界の誰にも憎まれないのは、その故だとずつと考へてきました。

    以上、どこからどう見ても、安倍さんが世界の首腦から好意を持たれてきたことは間違ひありません。また、多くの内外ファンに親しまれてきました。暗殺!? 誰がやつたのか、私が思ひ當らなかつたのは當然でせう。

    犯人の「母親が統一教會に入會。寄付を續けるうちに破産。自分もひどい目に合つた。その仇をとるために、教會幹部を殺さうとしたが、近寄れなかつた。安倍が教會と深い關係と聞いて、代りに殺した。安倍が主敵ではない」とかの自供を聞かされて、さういふ動機ならあり得さうだと、初めて不審が晴れた思ひをしました。

  9. 渡邊 樣

    今囘、冒頭(7月20日)に御紹介した、貴兄とあるブログの主とのやりとりは次のやうでした。

    主 「安倍元総理が暗殺されてしまいました。
    日本で。
    昨日まで、今日、こんなことが起きるなんて、
    誰も思いもしなかった。
    殺してやろうと思っていたという。
    そういう考えがなぜ
    心の中で正当化されるのだろう。」
    「それにしてもまだ安倍元総理のことが
    気持ちを暗くさせる。
    残念で仕方ない。」
    渡邊 「安倍さんの件は、ショックとかロスより、まだ、事件事実そのものに日本人が茫然自失しているというのが正確なのではないでしょうか。事実に言葉や感性が追いついていないというべきです」。

    貴兄のお言葉について、私は
    「事の本質を見事に言ひつくされてゐます」
    「ただし、かういふ紋切型を竝べるブログ主には、貴兄の如何なる名言も忠告も通じないーーといふことを貴兄は百も承知だつたに違ひありません」
    と評しました。

    お言葉に對する主の反應は次のやうでした。
    「本当にそうですね。
    何だろう、大きな怪我をしたとき、最初は痛くない。
    後で痛みを感じる。
    まだ、本当の意味でこの喪失に気がついていないのかも。

    後を継ぐ人が見当たらない、、、」
    案の定でしたね。貴言の本質を感じる能力がまるでない。イマジネーションもゼロ。周りの人と同じことを言ふだけ。常にアサッテを向いてゐます。

    他の人の次のコメント
    「政治を司るなら、あまり大げさなことは言わないほうが賢く勤めることができるということなんでしょうか。二期目の安倍さんから、そうした大きな公約を聞いた覚えがありません。とにかく選挙に強いシステムだけを、自民党に浸透させたという、そのイメージしか私にはありません。
    裏返せば、私は彼に期待していました。彼なら日本を変えてくれる。そんな風に。でも、それは結局期待外れでした。
    安倍さんと一緒に、犠牲を伴っても、日本が変化できるのならそれについていこう、と思った時期もあったのは事実 ・・・」
    は、一部にせよ、貴言の核心にふれ、感想として遙かにマシです。自分で感じたことを語つてゐます。

    前に書いたとほり、この主に對して、「私自身は嘗て何度か、自分で正論と思ふことを、真面目に説きました。しかし、いづれも馬耳東風、きょとんとされるだけでした。愚者たることを恥ぢ、今では一切申し上げないことにしてゐます」。

    それで、スッキリし、精神衞生にもよかつたかと言はれれば、たしかに、さういふ面もあります。けれども、時に思ひ出すと、この程度の人を説得できない自分が情なく、苛立つことがあります。

    もつとも、渡邊さんの言葉が通ぜず、たとへ福田恆存を連れてきても無
    理なのだらうから、その相手が、私ごとき者の手に負へないのは當然と自ら慰めますが。

    西尾先生が、人生論において、一人毅然と生きることの難しさを説かれたことを思ひ出しました。

  10. (WGIPとお二人について)

    渡邊 樣

    私の見るところでは、安倍晉三元總理大臣も、話題のブログ主も、WGIP(War Guilt Information Program)の完璧な申し子と映りますが、如何でせう。

    安倍さんの場合、全てが然りですが、特大の意志表明として、二つだけ上げるとすると、戰後70年談話と憲法9錠3項論でせうか。

    前者が坦々塾のテーマになつた際、貴兄は6人の指定スピーカーの中でただ一人(!)、安倍さんを嚴しく批判され、この談話は結局、GHQ史觀の燒き直に過ぎないと指摘されたやうに覺えてゐます。私は心底から共鳴同意しました。西尾先生主宰の勉強會ですら、談話に違和感をおぼえる人は超少數だつたのです。先生御自身は談話に不滿で、強い怒りを抱かれながらも、討論を進行させるために沈默を守られたーーことを、私は知つてをります。

    9錠の2項はそのままにし、3項で自衞隊について明記する。嗚呼、第2項! 「・・・陸海空軍その他の戰力は、これを保持しない。國の交戰權は、これを認めない」(・・・sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of
    belligerency of the state will not be recognized.)、こんな文言を自國憲法に發見したらま
    ともな日本人なら,屈辱と怒りに顫へるに違ひありません。妥協が目的とはいへ、これを殘さうとした安倍さんは日本人ではありません。WGIPの猛毒に骨の髓まで侵されてゐたことを示します。

    70年談話も2項も、一言でいへば、奴隸の詫び證文です。これを言ふやうに御主人樣から命令され、從へば御主人から可愛がられるーーといふやうな場合なら兔も角、そんなシチューエイションではないのに、自らしやしやり出て声をあげるとは、安倍さんが非・日本人である證據です。

    その點、ブログ主も同じです。色々おつしやつても、御自身の言葉は一つもありません。全ては周りの人の言葉(その出所はGHQ)の借用です。お二人とも、左翼と全く同じ穴の狢なのです。

    ただ安倍さんもブログ主も、時に、それを裏返すやうな素振りを見せるので、誤解されま
    す。安倍さんは「戰後レジームからの脱却」と宣うたり、ブログ主は會合のあとの乾杯で、
    ジャンヌダルクよろしく、「日本を護る!」などと、嬉しさうに叫んだりします。おや!?
    でも、いづれも素振りだけですので、然るべき人の目には馬脚が露はです。

    「左翼があれほど目の敵にするのは、安倍さんが眞正保守である證據」とおつしやる御仁が我が坦々塾にをられるのも皮肉であると同時に、事態が複雜なことを示してゐますね。かうなると、自分の目と耳を頼りに判斷するしかない・・・。でも、本當にそんなに複雜なのでせうか。

  11. 池田さま

    よく知られているように、今の日本国憲法制定時の国会議決で、唯一、全面反対した政党は日本共産党ですね。彼らは独自の改憲草案さえもっている。日本共産党からすれば、日本国憲法は、君主制・自由主義私有財産を認めるブルジョア憲法であると同時に、アメリカ帝国主義への交戦権も否認した9条があるからですよね。最近の共産党は、護憲を偽装してますけど、本質的には、完全な改憲政党です。

    では日本共産党がナショナリスト政党かといえば、もちろんそんなことはない。彼らは世界共産主義の実現のために、軍隊を必要とし憲法改正を必要としていることになります。皇室も自由主義も存在しない日本で軍隊をもってもまったく意味がありません。ただ、日本共産党がこのとき、おそらく戦後もっとも日本国憲法に対峙しようとした存在だったことは明記されるべきことだと思います。

    意外に見落とされていることですが、憲法9条を押し付けたのもGHQですが、冷戦状況において自衛隊(警察予備隊)を作り出したのもGHQだという史実があります。しかもGHQはこの自衛隊創設のときに、旧日本軍の佐官レベルの将校を幹部や教官に起用するという、当時としては反動中の反動の行動を平然とおこなう。このバックにいたのはGHQの第二部長で、「GHQのヒトラー」といわれたウィロビーですよね。日本国憲法制作を主導した民政局ホイットニーとウィロビーのグループが激しい対立関係にあったことはこれもよく知られている史実といえます。

    「憲法9条をつくったのもアメリカ、自衛隊をつくったのもアメリカ」というロジックの範囲にもう少し想像力を広げれば、朝鮮戦争がもう少しアメリカ不利な状況となれば、GHQの右派は講和条約以前に、日本国憲法をあっさり改正して警察予備隊を国防軍に昇格させたことでしょう。ここで次のことがいえることになる。いわゆる保守系の改憲派の面々は、このとき、状況的にできなかったGHQの改憲をやろうとしているに過ぎないのではないか、ということです。

    憲法というのは、自国民が、自国民にふさわしい言葉で時代状況に合致した基本原則を記す、というものです。極端な例をいえば、江戸時代中期の半鎖国状態のときに「憲法」を作成するとなれば、もしかしたら、9条の平和条項みたいなものが生まれたかもしれない。それならそれでよかっただろう、と私は思っています。21世紀のいま、自衛隊を憲法に明記するかしないか、明記することはそんなに国民の反発はないと思います。安倍さんたちもそれを主張した。しかしなぜ憲法改正の話がなかなか実現しないかといえば、改憲派がGHQの考えていただろう「改憲」から逸脱することができずに、本当の意味での日本国の憲法を一字一句記す気概をもっていないから、ではないかと思っています。問題とすべきは、GHQの論理の外に出て憲法全体の言葉を侃々諤々議論すべきなのに、話がいつも自衛権自衛隊の話になるばかりで、威勢のいい改憲決起集会がひらかれてはい終わり、というムードの消費になっていることではないのでしょうか。

    誤解してほしくないのは、私は自衛隊に憲法上の地位を認めることには少しも反対ではない、ということです。でもそれは膨大な日本国憲法の問題点のひとつにしか過ぎないといえます。たとえば「公務員を選定するのは国民固有の権利」という、アメリカの保安官選びのような馬鹿げた条文を指摘する改憲派はほとんど見当たらない。改憲派は9条のことにばかり目がいっているからで、憲法全体を真剣に読もうとなんてしていないからです。全体を真剣に読んでいないのに、全体を改正するなんていうことができますか。結局、ホイットニーとウィロビーの喧嘩を代理で日本の護憲派と改憲派が今でもやっているにすぎないからでしょう。こうしたGHQの代理延長論争の外に出なければ、結局、憲法改正論議自体が進展することはないでしょう。要するに、護憲派とはいまだに「GHQの護憲派」であり、改憲派とは「GHQの改憲派」に過ぎないといえることになる。

    1946年の日本共産党は、あっさりしっかりとこうした「GHQの論理」の外にいて、だから日本国憲法を蹴飛ばすことができたと思います。もちろんそれが共産革命のとんでもない目的によるものだったとしても、いったい今の改憲派に、この頃の日本共産党の気概をこえるだけのメンタリティーがあるのかどうか。ないから、憲法改正が右派のムードの消費行為になって、いつまでも実質を伴わないのではないでしょうか。端的にいえば、日本国憲法に対峙しようとする真剣さが、1946年の日本共産党を極点として、日本の左右両派の大半に失われたままだ、ということです。

    憲法改正より大事なことは、憲法9条も自衛隊も、GHQが国際状況に応じてつくった急ごしらえのものだったということをしっかり認識すること、そしてその「GHQの論理」の外に出てしまうことです。そうでなければ憲法改正は、度重なる改憲派決起集会の数にかかわらず、いつまでもハードルの高いものとして実現困難だ、と私にはみえてきます。

  12. 渡邊 様

    毎度の名論、忝く存じます。

    「唯一、全面反対した政党は日本共産党」、そのとほりで、野坂参三の反対演説は、今でも屡々話題になりますね。「日本共産党がこのとき、おそらく戦後もっとも日本国憲法に対峙しようとした存在だったこと」も、その理由も、仰せのとほりで、はなはだ合理的ですね。

    直近の衆院選挙の際、このことが頭にあつたので、勝鬨交叉点で演説してゐる共産党候補の応援部隊の一人と少しだけ憲法談義を試みました。「あなたは9条2項の、『陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない』といふ文言に平気でゐられるか」といふ私の質問に隊員が「平気だ」と答へ、その裏付けとして、西尾先生のお嫌ひな半藤一利の説を持ち出してきたのには驚きました。しかし野坂も、この隊員も、時の党の方針からすれば、合理的ですね。

    共産党が常に合理的であることに関して、余談を少々。渡邊さんがお生れになつてゐたかどうかといふ、昭和40年代後半に、私は編集者として、部落解放同盟の傘下団体から、”差別”の咎で散々痛めつけられました。あまりに頻繁なので、苦衷を西尾先生に訴へたところ、「あの問題はひどいらしいな。そのことを○○に批判的に書いたので、それでも読んで、憂さ晴らしにせよ」と優しいお手紙をいただきました。ところが翌日、先生から又お便り。曰く「あの文は、大事な部分を削られた」。解放同盟の意に、少しでも反することは誰にも許されなかったのでせう。今でいへば、安倍系保守のごとき存在で、皆がそれを忖度、自己規制したのでせう。

    解放同盟に対して、正論を突きつけられるのは共産党だけと聞きました。冗談ですが、「俺も共産党に入らうかな」と周囲に言つたところ、「ふん、党がお前のことを認めるか」と鼻で笑はれました。

    「ホイットニーとウィロビーのグループが激しい対立関係」については、私も一通りのことは存じてゐます。その前後のことについて、吉田茂の心事を、西尾先生とお話したことがありますが、「朝鮮戦争になるべく深入りしたくない。憲法9条を、そのための盾としたのだらう」といふ一点のみで合意しました。

    後年、吉田は回顧して、「軍備はアメリカ持ち。日本は食ふことに専念」と得意げに言ひ、「しかし、今ほどの経済力がついたら、当然軍備にもつと力を入れるべきだ」と続けました(テレビで視聴しました)。私はこれが不満で、持つたり持たなかつたり、そんなに簡単に変へられることではない。国民全員が吉田ほどの見識を持つのでない限り、兵馬の権は食へなくても、手放すべきではない。今、憲法が動かないのは、吉田の、この安易な考へのせゐではないかーーこの思ひを西尾先生にぶつけましたが、お答は遺憾ながら、覚えてゐません。

    「護憲派とはいまだに『GHQの護憲』であり、改憲派とは『GHQの改憲派』に過ぎない」「日本国憲法に対峙しようとする真剣さが、1946年の日本共産党を極点として、日本の左右両派の大半に失われたまま」とは、ひれ伏したいやうな至言です。

    「なぜ憲法改正の話がなかなか実現しないかといえば、改憲派がGHQの考えていただろう『改憲』から逸脱することができずに、本当の意味での日本国の憲法を一字一句記す気概をもっていないから」も然り。要するに、「GHQの論理の外に出て憲法全体の言葉を侃々諤々議論」してゐないのですね。さうするとしないとでは迫力が違ふのは当たり前です。

    けれども、私には今や暇がない。どこが源であつても、日本国憲法を破り捨てる気概さへあれば、私は支持します。老い先短い自分には、夢で終ることは覚悟してをります。安倍さんのことが「残念な」ブログ主など、最早どうでもよろしい。

  13. 池田様 渡辺様

    本当にご無沙汰しております。割って入って、申し訳ありません。

    また参上したのは、お二人のやりとりに共感したからであり、心を動かされたからであり、お二人の議論に「参加する」ためではありません。
    この場は、言葉に対して大変厳しい西尾先生のブログですから、いい加減なことは書けないことは承知の上、日頃からyoutube やニコニコ動画その他を、フラフラと渡り歩いている主婦の頭に去来する思いを、ただ綴ったものとお考え下さい。

    安倍氏のことは、真相はともかく、私が最初に感じたのは「なぜ今頃、安倍氏を暗殺するのか」という疑問でした。
    「国葬」にするかどうかが問題となっていますが、マスコミが何となく大人しいのは、「死者を鞭打ちたくない」心情からでもありましょう。それでも私は、「一国の首相だった人が、こんな事で命が絶たれるなんて・・・」という思いがしてなりませんでした。

    特に池田様が書かれた犯人の言い分「教会幹部を殺そうとしたが近寄れなかった・・・代わりに殺した」となると、さすがに安倍氏が気の毒になります。事件当日、まるで自身が新人候補であるかのように、取り巻きの少ない状況で、マイクを持つ安倍氏の姿を見ると、これが元首相か、と誰もが思ったのではないでしょうか。

    安倍氏に関しては、水間政憲氏が貴重な動画をアップされています。
    https://www.youtube.com/watch?v=t4w0bZoXKtA&t=7s

    これを見ると、安倍氏が本当に祖国に貢献したとはとても思えない。思えば、消費税も上がり、生活はますます苦しくなった。移民が増え、外国人犯罪も増えたのに、拉致問題も憲法もそのまま・・・安倍政権に国民は、何度も煮え湯を飲まされてきた、そう思っている人は少なくないはずです(例え、それらの政策が前政権から引き継いだものであっても)。
    事実、安倍氏が亡くなった時、隣国のいかにも人相の悪い、あの趙立堅報道官が「安倍氏は日中関係改善に貢献した」と言っていましたね。

    だとすると、池田様が仰るように、「亡国仲間の左翼」が安倍氏を敵視するのは、全くのお門違いだと言わざるを得ません。それにかつては「もりかけ」問題をしつこく報道してきたマスコミが、安倍氏の弔問に、続々と訪れる人々の映像を流し続けるのも奇妙です。要するに、全てが「嘘くさく」て、芝居を見ているようです。

    不謹慎かもしれませんが、あれから時が経ち、話題の中心は「暗殺の衝撃」から、(少なくともネット上では)「既に統一教会に移っている」・・・つまり、安倍氏自身よりも、長い間我が国を動かしていた何らかの背後の力は何か、という最近流行りの問題意識に収斂してきている訳です。先日、藤井厳喜氏のビデオを少しだけ見たのですが、統一教会の教祖文鮮明の教えは、「日本を韓国の植民地にすること」「日本の天皇を自分に跪かせること」だそうです。これを知ったら、ほとんどの日本人は、腹が煮えくり返る思いに駆られるでしょう。

    ここまで、長々と書いたのは、以下のことが言いたかったからです。

    つまり安倍氏を実際以上に大きく見せることで、「本当の事情」を大部分の日本人から隠したいのではないか、ということです(それが誰か、或いは組織かは分かりませんが)。もちろんそこには「死者を鞭打ちたくない」日本的な心情も加わっているでしょう。
    しかしどんなニュースを見ても、「感染者の数」、「遠い世界の出来事」や、「どうでもよい芸能人の話題」をごちゃ混ぜに報道して、何となく迫力がないのは、何かを隠そうとしているためではないか・・・と(抽象的な言い方で申し訳ありません)。

    もっとも真の敵は、「本当の事情」そのものより、我々の中の、「何となく言いたくても言えない」或いは「言ってはいけないような雰囲気」自体なのかもしれません。

    私も、気の毒な亡くなり方をした安倍氏には同情します。
    でも以前西尾先生は、安倍首相は首相としてやるべきことをせず、日本国や国民全体に「現状は何をやっても変わらない」という雰囲気を蔓延させ、意気消沈させた、というようなことを仰ったと思います。
    冷たい言い方かもしれませんが、例え一時的にでも、そんな空気を破ったのが、今回の暗殺事件だったとすれば、誠に皮肉なことだと言わざるを得ません。

  14. 黒ユリ 様

    お久しぶりです。屡々黒ユリさんのことを思つてゐました。どうしてをられるだらう、日録、拙文に目を通して下さつてゐるだらうか。感想をお寄せいただけないだらうか・・・。貴文に接して、私が待ち焦がれたのも当然、諦めずにきてよかつたと嬉しくなりました。

    今後も堂々と「参加」なさって下さい。今までも「いい加減なこと」をお書きになつたことなどないでせう。

    「これ(水間テレビ)を見ると、安倍氏が本当に祖国に貢献したとはとても思えない」ーー仰せの通りですね。いいものを見せていただきました。

    私も、これほどまとめて、安倍さんの売国ぶりを目にしたのは初めてでした。外国人に対して全てまづ謝り、能ふ限り迎合し、お追従を並べて、幕引きを計る。

    北方領土を「固有の領土」とは決して言はない。”慰安婦”についてブッシュに謝る(西尾先生も呆れて、なんでアメリカ大統領に!?と慨嘆してをられましたね)。英語の下手なこと! broken English speakerたる私も流石に、恥かしくて、思はず下を向きました。 

    これでは、外国の首脳や記者が、安倍はゴタゴタ言はずに、素直に謝る、ウイヤツだと好感を持って、評判が上るわけです。その分、「日本国民は被害を受ける」ことになりますが。

    なほ、安倍応援団長として、女王の如く振舞ってきた櫻井よしこというバイタのやうな女が、イザとなると、サッと逃げ出す場面も描かれ、我が意を得ました。

    おおせの全てに共鳴しましたけれど、その一々を引くことは控へます(ゴマをすつてゐると誤解されたくないからですーー下らない心配です)が、「主婦の頭に去来する思ひ」をもとに、ことの本質を見事に抉り出されたと感じました。

    一言に要約すれば、西尾先生の「安倍首相は首相としてやるべきことをせず、日本国や国民全体に『現状は何をやっても変わらない』という雰囲気を蔓延させ、意気消沈させた」といふお言葉とほぼ同趣旨なのではないでせうか。

    私の一言をつけ加へれば、
    我々は屡々過誤を犯す。
    でも、たとへ、誤たうとも、できる限り、
    ものを見る場合は、自分の目を
    ことを感じる場合は、自分の感覚を
    考へる場合は、自分の頭を
    使ひたいものです。それを省いて、美文調を初めて覚えた女子中学生みたいに、「安倍さんはもうゐない。それを思ふと、心が暗くなる」などと詩作しても、なんの足しにもなりませんね。

    黒ユリさんは作詞でなく、心奥から沸いた思ひを記されます。貴重なことです。御健闘を。そして、本欄をよろしく。

  15. ご無沙汰しております。
    渡辺様と池田様のご投稿拝見させていただきました。
    それへの意見質問はあえて避けて意見します。

    日本の武装意識というものを、今の若者たちはどう接しどう考えているのか、そこら辺を少し語ろうと思います。

    悲しいかな今の若者たちは、書籍を買いもしませんし、読むこともしません。ところがマンガは滅茶苦茶読まれています。これが現実です。
    そしてそのマンガが、歴史を舞台にしたものが出ていて、日露戦争を軸に描かれている「ゴールデンカムイ」は、幅広い年齢層で人気の高いマンガです。おそらくそんな現実を、多くの老人層は御存じないでしょう。このマンガは、62歳の私が読んでも、かなり興味がわくマンガです。もう少しで死にそうな年齢の貴重なご意見((;^_^A)も貴重ですけど、今の若者たちがどんな風に日本の歴史を認識しているかをサーチする点でも、このマンガの魅力をご理解いただけると、少し視点が変わるきっかけになるかと思い投稿します。
    どうかユーモアも含めて、御意同願えることを望みます。

    ここに集う方々には、ご認識がない方が多いと思うのですが、私が今勤めている洞爺湖は、実はマンガアニメコスプレの聖地なんです。
    毎年6月にイベントが行われ、こんな田舎に恐ろしいほどの若者が集結します。その理由は何かと言いますと、「銀魂」というマンガがありまして、そこで主人公が持っている木刀が「洞爺湖」という文字が刻まれ、実在する越後屋という店でそれが今も売られています。
    「銀魂」はショートストーリーのマンガで、こち亀と同じようなジョークマンガなんですが、とにかく主人公が持つ木刀が有名になり、実在する越後屋の木刀は、神刀となっています。

    こんなくだらない話題ですけど、我々世代はただそんなことを、興味がわかないという理由でじゃけにしてます。同じように若者も我々世代の興味の中心をじゃけにしています。
    でも彼らは一応マンガを介して、一つの時代を理解しているわけです介
    多分、そんな安っぽい知識で歴史を認識したって、真実には届かないだろう・・・と、我々世代は反応するでしょう。
    でも我々だって、本当に真実を理解しているんでしょうか。

    残念ながら・・・と、申し上げる私ですが、今の時代は、昔の考え方が覆されるじだいとなりました。現役で頑張っているお年寄りの話は聞いてもらえますが、遠くから叫んでも今の若者はほとんど無視です。

    私はそんな彼らから3年後に年金をもらう関係上、ここはじっくり彼らの心情を理解してあげようかと思う次第です。

    今の若者の悩みは、よくわかってはいませんが、たぶん将来の日本がどうあるべきかは意識の中にあると思っています。
    彼らは無知識ではなく過剰知識取得者ばかりで、どれを信用したらいいのか、わからないというのが現状なんです。

    その意味で仕事先で得る年上の感情論は、ものすごく彼らを左右させ、
    少しでも油断した言葉を発すると、食いつく食いつく。

    彼らは真実を追求しています。つまり「本音」です。

    安倍氏を殺害した若者は、それらをどう経験したのか。
    もしかすると次なる殺害者を生む社会でないことを願うわけですが、歳よりは傍観するしかありませんよね。私も含めて・・・・。

  16. あきんど 様

    我々の「意見質問はあえて避け」られた由。こちらも同様に、貴コメントにはノーコメントとさせていただきます。

  17. あきんど 様

    我々の「意見質問はあえて避け」られた由。こちらも同様に、ノーコメントとさせていただきます。

  18.  この問題は政治で変えられるのでしょうか、政治が悪くしておりますが。
     外国人労働者の問題です。
     西尾先生が半生をかけて警告してきました。
     しかし、今朝の朝日新聞1面によれば、IT部門と外食部門に限って、高い技術を持った外国人を移民として認めると、政府が決めたそうです。
     驚くことに外食の例で登場したのはマクドナルドの店員でした。
     ジャンクフードが外食で、移民になれるのが信じられません。
     移民として呼ぶなら、一流ホテルの一流ホテルで働くくらいでないと。
    ITにしてもインド人を呼ぶとかあるがそれは例外で、ほとんどは普通のSEかプログラマーではないか。
    たまたま人手が足りないというだけで。
    気になるのが良い思いをしている外国人だけではないとあったこと。
    上手く行かない外国人も出ますよね。
    治安が心配です。
    まさに、西尾先生の予想した通りに事態は向かっています。

  19. あきんど様

    ご無沙汰しています。先生のブログでお会いするのも久しぶりですね。
    あきんどさんらしいコメントも拝見しました。今回はちょっと、いつものあきんどさんらしくない、とは思いましたが。

    世代間の意識の差を問題にしていらっしゃるようですが、そんなことは昔から分かっていることじゃないでしょうか。
    漫画の話ですが、確かにここに来られる方々は、若い人が読むような漫画は見ないでしょう。
    でも少なくとも私は、高校までは雑誌の漫画をよく読んでいたし、漫画家になりたいと思ったこともあります。
    ヒットした漫画作品というのは、大体ストーリーや台詞も優れているのですよね。漫画を読んでいる若者を見ると、子供らしいなぁ、と思いがちですが、実際は彼らは、絵の上手さはもちろんですが、話の展開に引き込まれている訳です。そこはあきんどさんも納得されている通りです。

    漫画家の水木しげるは、絵の上手さでは突出した実力の持ち主でしたが、「自分は話を作るのも上手かったから漫画家一本でやって来られた、面白いストーリーが作れなくては漫画家にはなれない」と言っています。

    私の場合は、年齢がいくにつれ興味も変化し、20歳過ぎる頃は、漫画自体が読めなくなりました。好きな漫画家や作品がなくなった事もありますが、コマを追ってみること自体が煩わしくて、活字だけの小説を読む方が、想像力を働かせることができると感じるようになったのです。でもそれは人それぞれなのでしょう。漫画も読むし、本も読む、という人も多いと思います。

    どんな時代であれ、何事も、分かる人には分かるし、分からない人は分からないんじゃないでしょうか。
    歴史を学ぶにしても、我々の世代が4、50年前の若い頃といえば、「ああ、あれね」とすぐにイメージ出来る事が、今の若い人にとっては、我々にとっての明治大正時代の事を言われているのと同じ位、遠い世界のように感じるでしょう。
    それでも、本当のことを知りたい、と思う人は、その過去を追体験する覚悟を持って、過去の書物・その他に立ち向かう以外にない。今の若者でも、それをやろうと試みる人、そして実際にそれが出来る人もいるのではないかと思います。

    山上容疑者のことはよく知りませんが、彼が、かなり以前から、はっきりとした「目的」を持って行動していたことは確かのようですね。先日ネット上で見たのですが、旧統一教会にはまった親を持つ二世の中には、山上容疑者に共感を覚える人が少なからずいる、とありました。
    また海上自衛隊にいた時、自殺未遂事件を起こしたのは、自分が死ねば、保険金で兄弟姉妹を救うことができるだろう、と考えたからだそうです。

    こうした情報が事実だったとして、まるでかつての時代劇を見ているような展開は、現代日本人に、過去長い間、我々が忘れてきた何かを、思い出させたのではないか、と私は感じます。

    もちろん殺人事件自体は、最近よく聞きます。昔に比べると、ぞっとするような親殺しや子殺し、理由なき殺人も増えている気がします。その他ヤクザ同士、外国人同士の殺人事件など、我々から見ると、誠にはた迷惑で「手前の陣地でやってくれ」と言いたくなる事件も出てきました。

    しかし今回の暗殺事件は、標的が旧統一教会であり、安倍元首相といういわば「権力」の象徴だった点で特異性があると思うのです。この、どんな形であれ「(国家)権力に対峙する」という姿勢は、昔なら「左派」の血が騒ぐ出来事であったはずです。
    ところが野党も何となく大人しい。「旧統一教会をつぶしてやる」と言っているのが、「実業家でyoutuberのひろゆき氏」だけ、というのは、どう考えてもおかしいのではないでしょうか?

    つまりそれだけ現代の政治、権力の中枢に「左派」が食い込んでいる、池田様の表現を借りると政治家の「亡国仲間」同士が、内輪もめしている状況であろうことが、影絵のように浮かび上がってくるのです。
    今回自民党のみならず野党も党として、この問題を徹底調査する気がなさそうな様子だし、何となく時間の経過を待って、うやむやにしようとしているのは見え見えです。この点に関しては、オウム事件で活躍した紀藤弁護士が正論を述べています。
    https://www.youtube.com/watch?v=edHyad_p7Fw

    あきんどさんが仰る、年寄りと若者の差があるとすれば、今の若者が(恐らく)「左派」とか「右派」或いは「保守」と呼ばれているものの区別も実態も、全く分かっていない所でしょう(もちろん年齢が高くても分からない人もいるでしょうが)。昔の学生運動みたいなものを、見たことも体験したこともないのだから当然でしょう、私もギリギリの世代です。
    それだから、「消費税反対」などと唱えると、それが共産党であろうが他党であろうが飛びついてしまうのも仕方がないのかもしれません。共産主義というものが「暴力革命」を容認するから許されない、などとは、他人から教えられなければ、夢にも思わないでしょう。
    例えば、次の動画で行進している大学生たちの顔を見てください。まるでオウム真理教の若い信者そっくりですよ。
    https://www.bitchute.com/video/8TJdHL3j2dG8/
    こうした「思い込んだら一直線」タイプはいつの時代でもいるし、他方、自分自身の家庭における特殊な体験から、「真実に目覚めた」山上容疑者のような若者もいる。こう書くと、山上容疑者を擁護することにも繋がり、現段階では「タブー」として打ち消されるのでしょう。しかし、どんなことでも自分自身が肌身で体験し、納得したことでなければ「本物」でないことを考えれば、実に厳しい現実と言わざるを得ませんね。

    最後にもう一つ、あの暗殺事件の後、参院選の応援演説をやめると言った政治家が何人かいましたが、もともと政治家というのは、暗殺される危険があるものだということすら忘れたのでしょうか?

    30年近く前、「オウム真理教による地下鉄サリン事件」がありました。
    ところが日常生活に戻ると、日本は街もきれいだし、人も親切、サービスもよくて外国人にも優しい、と内外から思われて(思わせて、でしょうが)いるようです。しかし蓋を開けると、「意外な事件」が起こりうることは、外国と変わらない。
    日本はよい所だから、外国人よ、どうぞ来てください(どんどん日本へ行け)と宣伝することにより、一般の日本人は相当なストレスを背負わされています。
    安倍元首相も、日本人は穏やかで親切だと信じ、信頼していたのでしょう。しかし庶民の生活は楽ではなく、長い時間を経て地下にくすぶるマグマが噴火しそうであったことは理解できなかったようです。
    日本の一般庶民も、人間である。そんな単純なことが分からないようでは、到底政治家には向かないのではないでしょうか?

  20. 黒ユリ 樣

    あきんどさんとの間に割つて這入つてすみません。また參加するつもりも資格も能力もありません。
    ただ、「次の動画で行進している大学生たちの顔を見てください。まるでオウム真理教の若い信者そっくりですよ。https://www.bitchute.com/video/8TJdHL3j2dG8/」とおつしやる、その動畫について一言。

    これは、統一教會の學生たちの改憲デモですね。とすると、かなり特殊なデモなのでせうか。オウム眞理教の信者ーー私には記憶がありませんがーーもこのやうだつたのですね。ずゐぶん穩かなので、驚きました。

    私の覺えてゐる60年安保の際のデモは、こんなものではありませんでした。全員殺氣だち、目は釣り上つてゐました。彼等に逆へば毆り殺されさうな氣がしたので、近寄らないやうにしてゐましたが、一度だけ觀念しかけたことがあります。

    デモから20~30メートルの裏通りを歩いてゐた時、顏見知りの鬪士に出くはしたのです。彼は何かの用で一時行進を離れ、また戻らうとしてゐたやうです。「一緒に行かう」と誘はれ(決して威嚇的ではありませんでしたが)、私には ”No”といふ勇氣がありませんでした。屠所にひかれる羊です。隊列の近くまで、二人は腕を組んだやうな氣がしますが、そこに這入り加はるる直前に、彼は別の仲間(列外のテントの中にゐたやうな氣がします)と話を始めました。重要な打合せででもあつたのでせうか。

    「今だ!」、さう感じた私は、彼に向つて、腰を90度に折るお辭儀を二度して、「すみません。用事を思ひ出しました。失禮します」と叫んで、早足で逃げ出しました。彼はチラッとこちらを見たやうな見ないやうな・・・。
    確認する餘裕はなく、10メートルばかり離れてから、全力疾走に切り替へました。そして、都バスに飛び乘りましたが、どこだつたか、どこで降りたか、一切覺えてゐません。

    あれから62年。彼とは同級會で何度も會ひ、あのデモを話題にしたことも二三度ありますが、私の「逃亡」のことには觸れずじまひです。二年後に、私の顏見知りでもある、あのデモ參加者たち20數名は、何事もなかつたやうに、社會に出、役人になり、事務次官といふ最高位に達した者も二人ゐます。

    彼等は60年安保でワッショイワッショイをやつたことを隱しません。でも、さして大事な思ひ出でもないらしく、たまに話題になつても、あまり盛上りません。前に觸れた、あるブログ主の松本樓燒打ちと同じやうなものなのでせう。

    最後に私事を一つ。私はこの年(昭和35年・1960年)、新假名を捨て、歴史的假名遣ひに切り替へました。100%福田恆存の考へに從つたのです。ワッショイに不參加も同じで、福田恆存の説によるものでした。我が一生に於ける重大事はどちらも福田に決めてもらつたのです。

    數年後、西尾先生の存在を知つた時の電撃的衝撃! そこまではともかく、坂口安吾が「小林秀雄の後嗣ぎは福田恆存だ」と言つたのと同じ意味で、のちに「福田恆存の後嗣ぎは西尾幹二だ」と、當の西尾先生に申上げた際に、先生から頂戴した大目玉! 今も思ひ出すと冷や汗。脇道に逸れました。退散します。

  21. 池田様

    前回のコメントに、わざわざご返信をありがとうございました。
    (以下ちょっと長くなりますが失礼します)

    池田様は、昭和35年の昔から歴史的仮名遣いをされているそうですが、凄いですね。私は、自分が、そんな風にできるかどうか分かりません。
    私の父が霞ケ浦航空隊に入った時の、第四十三期操縦練習生採用試験問題(昭和13年3月)を見たことがあるのですが、私なんか問題文を理解するだけで時間を食いそうです。例えば
    「某艦両港間ヲ航海スルニソノ前半ノ距離ハ速力20ノット、後半ノ距離ハ速力12ノットニテ、合計計36時間ヲ費ヤセリ。両港間ノ距離ヲ問ウ。」(解答 540浬〈カイリ〉)

    こんなのをスラスラ読んだり書いたりするには、古文の素養がないといけないし、自分の思いの丈を古典文で書けるかと聞かれれば、私にはとても自信がありません。
    だから戦後、国語を現代仮名遣いに変えたのは、古典が苦手な人たち、そして外国人が日本語を学びやすいように、との配慮からであろう(過去、どなたかが書いておられたように思いますが)と、私は邪推しています。
    話が逸れました。

    池田様が、先に引用された「反日カルトが憲法改正を叫ぶ!」
    https://www.bitchute.com/video/8TJdHL3j2dG8/
    をアップした「豚ゴリラ」さんは、教祖が“日本を韓国の植民地にして、天皇を自分に跪かせる”と言っている新興宗教団体が、仮にも自民党と並んで『改憲』を叫ぶのは、何か魂胆があるに違いない、と言っているのですが、私はなるほどと思いました。

    伝統仏教の一派が政治的なデモをする光景を思い浮かべたら、大変な違和感を覚えるのと同じで、彼らは、むしろ政治団体だと考える方が妥当です。
    思うに、この団体が戦後「反共産主義」を唱え、当時のいわゆる「右翼」と結びついたのは、その方が日本の政権中枢に近づきやすかったからでしょう。これは戦後、半島人が日本の暴力団に食い込んでいったのと似ています。逆に言うと、そんな連中に引っかかるほど、昔の日本人は、共産主義というものの脅威を知っていたのか、と私は驚きました。

    先日、この動画に出てくる大学生たちが「オウム真理教」の若い信者に似ていると書いたのは、アップで映った男性の表情が、特に印象的だったからです。
    麻原彰晃が選挙に打って出た時、彼の周りで「ショーコー、ショーコー、ショコ、ショコー」と合唱していた白い服の若い女の子たちは、何の疑問もないかのごとく、楽しそうに踊り歌っていました。その彼女らの表情に似ていると思ったのです。

    「何の疑問もなく」と書きましたが、そもそも「疑問を持つ」人は、そんなデモ行進には参加しないと思います。
    60年安保の頃の事は存じませんが、「何事もなかったかのような」様子の池田様の同級生たちは、優秀な方々でしょうから、みすみす出世のチャンスを棒に振るようなバカな真似だけは避けたのでしょうね。その方々が、当時の事を本当に「総括」せずに来たのか、内心忸怩たる思いがあったのかは、分かりませんが・・・

    私自身は70年安保闘争の経験もないし、団塊の世代の残党とちょっと関わったことがある程度です。でも少々彼らと付き合ってみて、彼らの特徴的な性格はよく分かりました。簡単に言うと、彼らには全く「謙虚さというものがない」ということです。
    半人前のくせに、T・K生の本を持ってきて勉強会を開いたり(自分たちが講師)、先生のことを対等に「さん」づけで呼んだりして、「一体何様か」と思いました。

    こうした特徴は「革マル」であろうが「民青(民主青年同盟『相談相手は日本共産党』だそうです)」であろうが、他に「民学同」というのもありましたが、同じでした。
    つまり皆、自分だけは「真理」を知っていて、「行動を起こし、社会を変えることが出来る」と思っている訳です。
    だから話をすると「君は分かっているなら、どうして行動しないのか!」と迫るのです。(後から気づいたのですが)このように、他人に罪悪感を抱かせるような態度は、全くの「悪徳」であって、「押し売り」と同じだから許されません。

    昔、会田雄次氏が、「若者のエネルギーを吸い上げることに関して、共産党のやり方の上手さには舌を巻く。それに対し自民党の無策にはあきれる」というようなことを書いているのを読みましたが、全くその通りだと思います。
    旧統一教会は若者の信者を増やすために、大学生(特に新入生)に近づくそうですが、そのやり口は、昔の学生運動家がオルグするやり方そのままです。

    その日本共産党は、「旧統一教会と自民党との関係を徹底追及する」そうですが、私としては、自分たちも旧統一教会と似たようなことをやってきただろ、と言いたいです。
    とにかく彼らは戦後、日教組などの組織を基盤に、「公的機関を利用」できるという、何にも勝る利点を持っていたのですから。
    公明党はもちろん、今回の問題に関しては、どの政党も政治家も、「無罪」だと言い切ることはできないだろう、と私は思います。

    若い頃、勤めていた職場の知人で、創価学会の人と結婚した人がいるのですが、聖教新聞を一年だけとってくれ(お金は自分が出すから)とか、選挙のたびに電話がかかってきて、可哀想になるくらいノルマが課せられているようでした。その人の家にも行ったことがありますが、狭い部屋から張り出しそうな大きな仏壇があり、ご主人は、自宅に帰るたびに、開いて手を合わせるのだそうです。選挙の電話の時、嫌気がさした私は、「悪いけど、支持政党じゃないから」と断ると、「はっきり言ってくれた方がいい」と言い、それっきり関係は切れてしまいました。

    ところで、山口県に「長周新聞」というのがあります。『いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関』と名乗っているので、言葉遣いからして、共産主義者の新聞だということはすぐにわかると思います。この新聞は、2年前の「大阪都構想の住民投票」の時、非常に分かりやすく、かつ鋭い分析の記事を書いていたので、注目しました。
    https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/18753
    「橋下徹の登場から10年の維新の行政改革は、コストカットを名目にした公共サービスや施設の統合・民営化の徹底」だと言い、住民の声をいくつか紹介しながら、「(維新は)二重行政に大ナタを振るうと言いながら、実際は一部の企業に金が流れる仕組みになっている」と批判しています。
    以下は住民の声です。

    ・「橋下市長が最初にやったことは商店街への補助金カットだ。自助努力をしろ、役所は公的業務に専念するべきだ、と言う」

    ・「淀川区では氾濫する河川がいくつもあり、江戸時代に町人たちが幕府に直訴して堤防をつくることを要望したが断られ、当時の庄屋さんたちが浄財を募って居住区民みんなで川をつくり、最後に責任を取って切腹したという歴史もある。市民みんなが力と財を出し合ってつくりあげてきた街だ。その大阪市をすべて”暗黒の歴史“として潰すべきではない」

    ・「市の職員を削減する一方で窓口業務を外注化し、そのすべてをパソナが受注している。派遣スタッフは電話や窓口業務に応えられず、トラブルも増えている」

    ・「5年前に終わったはずの計画をまた出してくる」

    ・「これまで自民党がぬくぬくと安泰していたところに橋下徹が現れ、大阪自民党の幹部だった松井一郎をはじめ、目先の利く自民党員が次々に維新に鞍替えして大阪維新ができた。メディアもそれをバックアップして宗教的な維新ブームが席巻したが、これまで自分たちが好き放題にやってきた二重行政のツケを、すべて行政のしくみのせいにして市民生活に大ナタを振るっているだけと思う。背後には竹中平蔵などの米国帰りのブレーンが付いており、民営化でも、カジノでも外資の利権のために税金を垂れ流している。だから夢物語で、都構想の実現やカジノの成功を優先し、いつまでたっても市民の生活は後回しだ。この周辺でも武田薬品をはじめ大手企業が外資企業に変わって撤退し、松下も工場を減らしたり、土地を切り売りして大阪の衰退に拍車がかかった。ものづくり産業が衰退して苦しんでいる大阪市民にうまいこと吹き込んで、大阪をカジノビジネスの実験場にしようとしている。うまい話には必ず裏があるものだ。古くから大阪を見てきた私たちにはわかる」

    ・「大阪城公園にある三つの劇場は、民放5社や電通、吉本興業などの民営13社と官民ファンドでつくる『クールジャパンパーク大阪』が運営し、急増する外国人向けの興行で収益アップを狙ったものだが、事実上は吉本興業の専用施設となっている。・・・伝統芸能やクラシック音楽団体などへの補助金は減るが、大手広告代理店が絡んだテレビ向けのイベント事業には手厚い待遇をする。だからメディアも維新とは、べったりの関係になっている」

    以上は、記事の一部ですが、住民の立場に立ち、実に分かりやすい内容だと思いました。れだけ読むと、私はこの新聞のファンになりかけました。

    一方、安倍元首相暗殺と旧統一教会問題に関して何と言っているかというと、以下の通りです。
    https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/24218
    「韓国で統一といえば、一般的には南北統一を思い浮かべるが、北朝鮮より先に日本の自民党がすっかり統一されているではないか・・・安倍晋三自身・・・キャッチフレーズの『美しい国』も日本統一教会の初代会長久保木修己の教えなのだから・・・『日本を取り戻す』といいながら、売り飛ばしていないか?」
    こうした書きぶりも、なるほどという感じです。

    また記者対談も組まれていて、今度の事件について、各記者が、自民党・旧統一教会ひっくるめて、ボロクソに書いています。
    https://chosyu-journal.jp/seijikeizai/24185

    でも読んでいるうち、「ああやっぱり」という感じで、結局はこの新聞には「共感」できないと思いました。
    というのも、この新聞のあれこれの批判は、簡単に言うと以下の筋書きとなるからです。
    つまり、米国の対日政策が根本にあり、それと結びついた日本の右派が、戦時中は日本の占領統治に協力した朝鮮の面々と協力して、独占資本の大企業の利益に奉仕し、統一教会信者はもちろん、一般庶民を搾取している・・・という話です。

    こうした論調は、過去どこかで聞いたような話であって、彼らにとっては、結局どんな事件も、こうしたストーリに置換できるようです。
    私は、先の「大阪都構想」の記事を読んだ後、コメント欄に「あなた方は、パソナの竹中平蔵や外資が関わるカジノを批判するが、なぜ現在国内で日本の土地を買いあさっている中国やその他の外国勢力を、侵略者として批判しないのか」と質問しましたが、結局返答はありませんでした。

    いくつかの記事やコラムを読んでみましたが、中国やソ連、ロシアを批判するような論調は見られない。そして何より、自分たちは虐げられる人民一人一人の味方だ、権力者の独善で起こされる戦争には絶対に反対で、そんな勢力の一員となって血を流してはいけない、憲法九条を守らねばならない・・・といった感じでしょうか。

    私は彼らの姿勢は、まるで最近流行りのAIのようだと思いました。つまり頭脳だけあって、身体がなく、そのため移り変わる時の流れという感覚もない。寿命ある人間なら、あり得ない在り方です。彼らにとっては、納得できる「理論」や「筋」さえあれば、何十年でも同じ考え方を持ち続け、後生大事にして、生きていけるのでしょう。私が若い時に、学生運動家に感じた違和感もそれでした。

    共産主義は宗教だと言われますが、うまいこと言ったものだと思います。信者とて、その「教義が実現される」なんて内心思っていない(はずです)。自分の時代に実現されなくても責められることもない、次世代にその教義を受け渡していけばいいんだから、ということで「免罪される」。
    自分は永遠に「善人」の立場に立ち、仮に自分が為政者になったら、社会はどうなっているか、の想像力は一切ない・・・日本共産党が旧統一教会を批判するなどは、茶番でしかありません。

    ともあれ、あの長周新聞が応援するのが「れいわ新選組」だそうです。消費税に反対しているかの政党の背景は、なるほどこういう所にあるのかと、納得ですね。

    今回の暗殺事件と旧統一教会の問題に対する追求は、結局、中途半端に終わるのではないでしょうか・・・意気込んでいる日本共産党も、いつも通り「自民党を叩く」やり口に終始し、政界の裏側を暴くなんてことはできないでしょう。自分たちの足元も覆すことになるだろうからです。

    さて、日本は色んな面で「ガラパゴス」と言われます。そういう意味からしても、戦前からの「共産主義との闘い」は、現代も続いていると私は思います。
    また現代日本はあらゆる勢力に蹂躙され、富も財産もむしり取られていると言われます。

    そんな中、日本国民を「権力に虐げられた存在」と位置づけ、「それ以上の存在にはさせない」ために、人々の足を引っ張ってくれている共産主義者のような勢力がいれば、これほど都合のよいことはないでしょう。
    「虐げられた存在」は、当然「権力を持つ側」に立ってはいけないし、したがって外国人も排斥すべきではなく、人々は国境を越えて連帯しなければならないと、あらゆる方法を使って、「小学校から社会人講座まで」、日本国民を「教育」しているのですから。

    調子に乗って長くなり、大変失礼しました。

  22. 筋違ひの忖度など・・・

    「宮崎正弘の国際情勢解題」 (メルマガ)・令和四年(2022)8月8日(月曜日)・通巻第7425号

    上記に、關野通夫さんの、次の意見が載りました。關野さんは私の同級生です。

    (読者の声4)実はヨーロッパではベルギーが、朝鮮・韓国に倣って事大主義と言われており、フランス人など、それを軽蔑しています。
    企業グループの会議に出た時、フランス人がそっとささやいたものです。「見てろ、やつらは、優勢なほうの意見に、意見を変えるから」と。
    地政学的な類似性(強国に挟まれている)からくるものだと思います。ベルギー人を馬鹿にするフランス小話も多いです。
    (関野通夫)

    そこで私は、關野説に對して、コメントを投稿しました。以前、日録で、宇井山さんといふ人が「宮崎さん、こすい」と言はれ、宮崎先生が安倍さんの髭の塵を拂ふことに專念し、少しも正当な安倍批判をしないことを、繰り返し指摘されました。私も何度か意見を寄せました。

    そんなことがあつたので、後ろの2行は餘計かな、皮肉ととられるかもかもしれないなと思ひつつーー

    (読者の声1)貴誌(第7425号 )掲載の關野通夫氏の見解は、御本人から數年前に直接お聞きし、目から鱗の思ひでした。
    曰く「ベルギーは朝鮮に似て事大主義である。どちらも大陸に於て強國に接し、また海を挾んだすぐ向うに、別のbig powerが控へてゐる。どうしても、あちらの顏を見、こちらの鼻息を窺つて強い方に蹤く・・・」。これは、ある程度已むを得ないでことでせう。

     個人にしろ國家にしろ、最後の決斷はともかく、そこに至るまで、生き殘るためには無視し得ない大切な要素に違ひないからです。
     ところで、安倍さんが總理として、ブッシュに慰安婦の件で詫びたのはどうでせう。西尾幹二先生は「なんで、アメリカ大統領に!?」と驚いてゐました。共同記者會見でブッシュは「安倍の言を受け容れる」と言ひましたが、呆氣にとられた表情でしたね。ブッシュの覺えをめでたくするも否も、慰安婦は全く無關係でせう。安倍さんは何か勘違ひしたのでせう。筋違ひです。
     國内の言論では、なにもそこまで安倍さんの御機嫌を取り結ばなくても! と思はれやうな説が横行しましたね。安倍さんの御意に反したら干される!といつた感じでした。これも勘違ひで、安倍さんにそんな力がある筈がない。
     そんな中で、宮崎先生が、是是非非、時により、安倍さんを嚴しく批判されたことに深甚なる敬意を表します。
    (池田俊二)

    ところが拙稿は次號(翌日)に早々と掲載されました。しかも、宮崎先生のコメントまでつけて!いやはや。

    (宮崎正弘のコメント)安部元首相の非業の死を小生はヤマトタケルに喩えましたが、中世でいえば藤原種継暗殺と状況が酷似します。種継は当時の事実上の宰相、遷都造営の責任者でしたが、桓武天皇の留守中に工事現場で後ろから弓で打たれた暗殺でした。犯人とされた大伴、佐伯一族はおそらくスケープゴートでしょう。とてつもない謀略が皇統後継をめぐって展開されていましたから。

  23. 池田さま

    私は宮崎さんのメールマガジンの読者ではないし、中世史に通じていないので、藤原種継暗殺の件はよくわかりません。ただ、宮崎さんが、安倍さんの死をヤマトタケルの死に喩ているというくだりには驚きました。これはいったいどういう意味で説かれた比喩なのでしょうか。

    言うまでもなく、ヤマトタケルは父親の景行天皇に疎んじられ、弟の成務天皇に皇位継承を奪われた不遇な人物ですよね。国土統一の英雄の反面、命じられた戦いは、どさ回りの気配がどことなく漂い、最後は大和に帰る途中で息絶えてしまう。しかし彼の遺児は成務天皇の皇太子となった仲哀天皇で、その妃は半島征伐を行った神功皇后ですから、ヤマトタケルの遺志は何かの形で、大和朝廷の海外進出に結び付いたともいえる。この古代史の史実が、いったい21世紀の安倍さんの遭難死とどうやって結び付くというのでしょうか。

    あえて強引に解釈するなら、ヤマトタケルが国土統一に苦闘したように、安倍さんがさまざまな形での日本ナショナリズムの復権に苦闘し、志半ばで倒れた、ということにあるのでしょうか。しかしヤマトタケルは九州や関東の軍事平定という現実的功績をきちんとあげました。比べて安倍さんは、憲法改正から北朝鮮拉致問題まで、ムードと掛け声だけは日本に充満させましたが、実際の問題の進展は皆無に等しい、という違いがあります。ヤマトタケルの後継の神功皇后が三韓征伐したような政治的遺志や政治的後継者も安倍さんには見当たらない。私の把握は間違っているのでしょうか。

    前の文章で日本人は、「安心」と「安全」を取り違える傾向があるのではないか、と私はいいました。安倍さんの存在は「安心」を与えてはくれました。それはムードであり掛け声ですよね。しかしヤマトタケルが日本統一の戦いで苦心して得た客観的な「安全」とは真逆ではないでしょうか。シェイクスピアだったかの言葉に、「身近にいるもっとも危険な敵、それは安心というものだ」というくだりもあります。もっとも、「安心」さえも失ってしまったという意味で、安倍さんの暗殺は、日本人のメンタリティーのこれからに、大打撃と喪失感をもたらすのだ、という言い方もできるのでしょうが。

    国家の事大主義については、私は完全に二種類あると思います。ベルギーの件は不案内ですが、朝鮮半島あるいは東ヨーロッパのように、追随日和見で大国に靡く、という自己保身としての事大主義がまず一つです。

    今一つの事大主義は、小国の知恵者ともいうべき巧妙な事大主義です。たとえばフィンランドがこれにあたりますよね。冬戦争と第二次大戦でソ連に連敗したにもかかわらず、強気と低姿勢を巧みに使い分けて停戦降伏交渉をおこない、西側陣営に残りつつソ連の友好国として戦後ありつづけることができた。停戦降伏交渉の裏で、撤退するドイツにも、いずれはドイツが再台頭することを読んで、うまく恩を売っている。単にソ連に飲み込まれていって共産衛星国と化していった東欧の枢軸国となんという違いというべきでしょうか。

    アジアだとこのような小国の知恵者というべき存在に、たとえばタイがありますね。タイは、インド・中国・日本・はたまた欧米に、巧みな知恵の展開をして、ずっと独立国として生き残り今日にいたっています。こうした知恵は、追随小国の朝鮮半島には決してできないのはいうまでもありません。

    では日本はどうなのか。日本は、「追随」「知恵者」以前に、「小国」ではない、ということがいえます。国土を根元的に蹂躙され改変破壊される怖さを知らない。中華文化に対しても、畏敬をいだくメンタリティーはあっても、朝鮮半島が抱くような恐怖心は特にもっていません。変ないいかたになるかもですが、日本は古代から現代にいたるまで、知恵や追随と無縁な「大国」なんでしょう。「大国」は、他国に頭をじべたこすりつけるようにさげる、したたかさも卑屈さももちあわせていません。

    これはアメリカに対しても然りで、日本はアメリカが自国防衛を担ってくれるだろうという他力本願の媚を有してはいますが、決して心底、アメリカに追随しているというわけではない。追随というのは、朝鮮半島がかつて中国にしたような、ひどく嫌らしいもので、日本はアメリカにそんな感情はもってはいません。たた、他力本願の媚というのは、戦後歴代内閣の大半が強く有してきたもので、もちろん、安倍さんもその例外ではまったくなかった。その媚の一例が、慰安婦問題での珍妙な謝罪なのではないでしょうか。私はそう思います。

  24. 渡邊 様

    有益なお教へ、毎度のことながら、感謝に堪へません。

    フィンランドの事大主義について、私は兼ねて、その偉大さを評価してをりましたので、お考へに接し、かなりの自信になりました。

    「ヤマトタケルは九州や関東の軍事平定という現実的功績をきちんとあげました。比べて安倍さんは、憲法改正から北朝鮮拉致問題まで、ムードと掛け声だけは日本に充満させましたが、実際の問題の進展は皆無に等しい、という違いがあります。ヤマトタケルの後継の神功皇后が三韓征伐したような政治的遺志や政治的後継者も安倍さんには見当たらない」
    「ヤマトタケルは父親の景行天皇に疎んじられ、弟の成務天皇に皇位継承を奪われた不遇な人物ですよね。国土統一の英雄の反面、命じられた戦いは、どさ回りの気配がどことなく漂い、最後は大和に帰る途中で息絶えてしまう。しかし彼の遺児は成務天皇の皇太子となった仲哀天皇で、その妃は半島征伐を行った神功皇后ですから、ヤマトタケルの遺志は何かの形で、大和朝廷の海外進出に結び付いたともいえる。この古代史の史実が、いったい21世紀の安倍さんの遭難死とどうやって結び付くというのでしょうか」
    「安倍さんの存在は『『安心』を与えてはくれました。それはムードであり掛け声ですよね。しかしヤマトタケルが日本統一の戦いで苦心して得た客観的な『安全』とは真逆ではないでしょうか。シェイクスピアだったかの言葉に、『身近にいるもっとも危険な敵、それは安心というものだ』というくだりもあります(池田:そんな科白がありましたか)」。

    以上に大いに感銘を受け、私も渡邊さんと共に、宮崎先生が、安倍さんの死をヤマトタケルの死に喩ているというくだりには驚かざるを得ません。「これはいったいどういう意味」なのか、その方に暗い私には見当がつきません。

    ここは、お恐れながらと、宮崎先生に直接おうかがひを立ててみます。お答を頂けるか否か全く分りませんが。

    今後も相変らず御指導のほど、よろしくお願ひ申し上げます。

  25. 渡邊説の引用を主にした、昨日の拙コメントの一部を宮崎メルマガに投稿したところ、即座に掲載されました。またもや、宮崎先生のコメントつき。そこで今、それを追ひかけ
    て再々度、下記を送りました。議論になりません。これが「日本の終りの始まり」でせうか。 いやはや。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    貴誌(第7427号)における拙論に宮崎先生から、再度次のコメトトを賜り忝く存じます。
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    (宮崎正弘のコメント)「非業の死をもって英雄として祀られ、神話になる」という文脈で比喩しました。安倍さんの政治業績を並列しているわけではありません。
    ところでヤマトタケルに関しては、小生は新説を書いております。拙著『歪められた日本史』(宝島社新書)で、伊吹山に登頂したのですが、麓に伊福枝神社があって、古事記、日本書紀にはない地元の豪族。かれらとの闘いで敗れたのでしょう。
    なお小誌前号で、「安部元首相の非業の死を小生はヤマトタケルに喩えましたが、中世でいえば藤原種継暗殺と状況が酷似します。種継は当時の事実上の宰相、遷都造営の責任者でしたが、桓武天皇の留守中に工事現場で後ろから弓で打たれた暗殺でした。犯人とされた大伴、佐伯一族はおそらくスケープゴートでしょう。とてつもない謀略が皇統後継をめぐっ
    て展開されていましたから」と追記しております。
    なお拙論ヤマトタケルと安倍首相の比喩は或る雑誌に書きましたので(趣旨は同じです)、その発売二日後あたりにこの欄に再録します。
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    ただし、遺憾ながら、私には先生の仰せが殆ど理解できません。これは、私の側に問題がありませう。一つには史實に暗いせゐですが、それよりも、論理を構成したり讀み取つたりする能力が決定的に缺けてゐるーーさう自己分析してゐます。
    從つて、この件は、ここで御放念下さい。お騒がせして申し譯ありません。(池田俊二)
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  26. (お斷り)下記を8月9日に本欄に投稿したところ、「あなたのコメントは承認待ちです」との御託宣。
    以來、3日以上經過した今日も、そのまま。どういふ事情か分りません。
    そこで、今から同じものをもう一度送り直します。
    今度は受け付けられるか、またもや、” 承認待ち ”に留め置かれるか、あるいは、兩方とも載るか豫想がつきません。
    萬一、前後がダブつた場合、事情御賢察の上、御寛恕のほど願ひ上げます。
         ★     ★     ★
    渡邊説の引用を主にした、昨日の拙コメントの一部を宮崎メルマガに投稿したところ、即座に掲載されました。またもや、宮崎先生のコメントつき。そこで今、それを追ひかけ
    て再々度、下記を送りました。議論になりません。これが「日本の終りの始まり」でせうか。 いやはや。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    貴誌(第7427号)における拙論に宮崎先生から、再度次のコメトトを賜り忝く存じます。
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    (宮崎正弘のコメント)「非業の死をもって英雄として祀られ、神話になる」という文脈で比喩しました。安倍さんの政治業績を並列しているわけではありません。
    ところでヤマトタケルに関しては、小生は新説を書いております。拙著『歪められた日本史』(宝島社新書)で、伊吹山に登頂したのですが、麓に伊福枝神社があって、古事記、日本書紀にはない地元の豪族。かれらとの闘いで敗れたのでしょう。
    なお小誌前号で、「安部元首相の非業の死を小生はヤマトタケルに喩えましたが、中世でいえば藤原種継暗殺と状況が酷似します。種継は当時の事実上の宰相、遷都造営の責任者でしたが、桓武天皇の留守中に工事現場で後ろから弓で打たれた暗殺でした。犯人とされた大伴、佐伯一族はおそらくスケープゴートでしょう。とてつもない謀略が皇統後継をめぐっ
    て展開されていましたから」と追記しております。
    なお拙論ヤマトタケルと安倍首相の比喩は或る雑誌に書きましたので(趣旨は同じです)、その発売二日後あたりにこの欄に再録します。
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    ただし、遺憾ながら、私には先生の仰せが殆ど理解できません。これは、私の側に問題がありませう。一つには史疎い疎いせゐですが、それよりも、論理を構成したり讀み取つたりする能力が決定的に缺けてゐるーーさう自己分析してゐます。
    從つて、この件は、ここで御放念下さい。お騒がせして申し譯ありません。(池田俊二)

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  27. その後、何度何を投稿しても、「あなたのコメントは承認待ち」になります。小生の不良コメントは、永久にejectされることになつたのでせうね。

  28. (お斷り)下記を8月9日に本欄に投稿したところ、「あなたのコメントは承認待ちです」との御託宣。
    以來、3日以上經過した12日も、そのままなので、同じものをもう一度送り直しました。
    13日15時30分に至つても、事態は変らないので、今から3度目を送ります。
    今度は受け付けられるか、またもや、” 承認待ち ”に留め置かれるか、あるいは、三つとも載るか豫想がつきません。
    萬一、前後がダブつた(トリプつた)場合、事情御賢察の上、御寛恕のほど願ひ上げます。
    なほ、管理人さんに4度メールしても応答なし。これまでは、すぐに返信を下さったのですが。
         ★     ★     ★
    渡邊説の引用を主にした、昨日の拙コメントの一部を宮崎メルマガに投稿したところ、即座に掲載されました。またもや、宮崎先生のコメントつき。そこで今、それを追ひかけ
    て再々度、下記を送りました。議論になりません。これが「日本の終りの始まり」でせうか。 いやはや。
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    貴誌(第7427号)における拙論に宮崎先生から、再度次のコメトトを賜り忝く存じます。
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    (宮崎正弘のコメント)「非業の死をもって英雄として祀られ、神話になる」という文脈で比喩しました。安倍さんの政治業績を並列しているわけではありません。
    ところでヤマトタケルに関しては、小生は新説を書いております。拙著『歪められた日本史』(宝島社新書)で、伊吹山に登頂したのですが、麓に伊福枝神社があって、古事記、日本書紀にはない地元の豪族。かれらとの闘いで敗れたのでしょう。
    なお小誌前号で、「安部元首相の非業の死を小生はヤマトタケルに喩えましたが、中世でいえば藤原種継暗殺と状況が酷似します。種継は当時の事実上の宰相、遷都造営の責任者でしたが、桓武天皇の留守中に工事現場で後ろから弓で打たれた暗殺でした。犯人とされた大伴、佐伯一族はおそらくスケープゴートでしょう。とてつもない謀略が皇統後継をめぐっ
    て展開されていましたから」と追記しております。
    なお拙論ヤマトタケルと安倍首相の比喩は或る雑誌に書きましたので(趣旨は同じです)、その発売二日後あたりにこの欄に再録します。
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    ただし、遺憾ながら、私には先生の仰せが殆ど理解できません。これは、私の側に問題がありませう。一つには史疎い疎いせゐですが、それよりも、論理を構成したり讀み取つたりする能力が決定的に缺けてゐるーーさう自己分析してゐます。
    從つて、この件は、ここで御放念下さい。お騒がせして申し譯ありません。(池田俊二)

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  29. 池田さま

    Mさんのメールマガジンに文章が掲載されなかったとご連絡いただきました。 きつい言い方になりますが、有名編集者のHさんもそうですが、Mさんも「保守マーケット」の領域内を固守して食ってる人ですよね。

    ただでさえ昨今のコロナ禍で、このマーケットは大幅縮小してしまったのでしょうが、たとえばこの2人などは、安倍さんの死に、「しまった」と思ってるはずです。 主義の内容は別にして、安倍さんべったりなことを書けば、全国の安倍さんファンに向けて何とか最低限は雑誌や本は売れる。これが、商売人の頭の内実でしょう。その安倍さんが何の前触れもなくいなくなってしまったわけですから。
    こうした商売人たちは、八木さんや小川榮太郎さんたち、正真正銘の安倍さんシンパよりもっとタチが悪いと思います。一個人としての安倍さんの御霊に、畏敬と愛情さえないかもしれないのですから。 さらに「商売人」の今後の頭の中は簡単に予想できます。安倍さんという売り手看板がなくなった以上、今度は「安倍さんオマージュ」で売れるかもしれない、と算段を踏んでるんでしょう。こうして、言葉の水準はさらにさらに低下していきます。

    だけど、オマージュなんて長続きはしないでしょう。そのあとの保守マーケットはどうするのか。もう石原慎太郎さんもこの世にいないのですから。彼らの算段もまた完全に終わりに近づいています。 そんなMさんに、安倍さんへの正論・批評なんて通じるわけがないです。「愚者に正論を説くことも愚かなこと」という韓非子の言葉をあらためて思い出してください。

    もうこの日本に言論批評の場はなくなったんです。西尾先生や中西さんたちがいなくなったら、もうそれで実質の最後が消え去るでしょうね。 「マーケット」の外にいる私からすれば、消えさったら、まあなるべくしてなったんだろう、くらいにしか思いません。

  30. (前半)

    渡邊 樣

    最近、貴兄から、本欄で、「愚者に正論を説くことも愚かなこと」といふ韓非子の言葉を教へて頂きました。貴兄は平素から、そのやうな愚行を避けて、エネルギーの浪費も避けるやう心掛けてをられるとお見受けします。

    それでゐて、先にも申上げたやうに、「安倍さんはもうゐない。悲しい。それを思ふと、世が暗くなる」と歌ふ人に對して、「安倍さんの件は、ショックとかロスより、まだ、事件事実そのものに日本人が茫然自失しているというのが正確なのではないでしょうか。事実に言葉や感性が追いついていないというべきです」などと優しいお言葉をかけられました。

    この挽歌の作者が、心のうちでは安倍さんの死について何も感ぜず、周圍のムードに乘つて、かく詠んだだけ、從つて、これに言葉をかけても全く通じないことを、貴兄は確信してをられたーーと
    私は確信してゐます。

    そんな一見無駄なことを何故なさるのか。作者以外(にも讀む人はゐませう)に通じるかもしれないといふ一抹の期待の他は、なんといつても、どんな相手をも見捨てないといふ慈悲、心の餘裕
    ・器の大きさを示すものでせう

    これが私だつたら、とてもさうはゆきません。心の中を見つめてみれば、何も感じてゐないことが 分るのに、その作業を怠つたために、感じてゐるやうな氣になつて、周圍と合唱するやうな手合 ひを見かけると、忽ちムカムカして、よくて無視、腹のムシが收まらない場合は口汚く罵るーーと いふことになります。要するに、器が小さいのです。60年安保の際など、それで散々苦勞しまし た。 最近のやうに安倍オマージュ(別の場所での、渡邊さんによる命名です)が溢れると、私はそれ ほど氣にはならないものの、樂しくもありません。といつて、安倍總理讚歌が毎日流れた頃も、 樂しくはありませんでした。さういふ點、小者は損です。自分など、どうあがいても、天下の形勢 に關係ないのだから、氣にしても無意味なのに、イライラ。 貴兄が基本は頑として守りながらも、全般としては暢々如としてをられるのと正反對です。渡邊 さんと私とでは、頭腦その他の能力が桁違ひなのは當然としても、小心はそちら樣に讓りたか つた。 そこで、愚見を貴兄にぶつけ、御批判を仰ぎたくなりました。 私が初めて讀んだ西尾先生の文章は、『新潮』(昭和37年)掲載の 「雙面神脱退の記」といふ 見開き2ページの短文でした。私は電撃的ショックを受けました。保守反動も極まれり(勿論、そ れも、研ぎ澄まされてシャープ)!と感じたからです。當時は、進歩主義が世の絶對善でした。

    それより2年前、60年安保に卷きこまれかかつて逃げたり、『私の國語教室』(福田恆存)を讀んで、歴史的假名遣ひに宗旨易へしたことは、最近この欄に書かせていただきましたが、私は常に、保守反動の側にゐました。何かの最近この欄に書かせていただきましたが、私は 常に、保守反動の側にゐました。何かの見識によつたわけではありません。ただ、素直でない ので、自然にさうなつただけのことです。

    私がもの心ついた頃は、保守と言へば反動と續き、合はせて、極惡非道の意味でした。福田恆 存は「保守反動」を自稱してゐたさうですし、昭和45年の、私の結婚式では、主賓が「私は保守 反動ですが」と前置きして祝辭を述べました。私が專ら反動に馴染み、また、それが珍奇な存在 として、ごく稀に、主賓のやうな珍奇な人から認められることもあつたのです。 といつて、私は極惡非道が好きなのではありません。ただ、人樣が右といへば左、左といへば右 と反對する生來の惡癖が然らしめたのです。世間の壓倒的善には大抵反感を催しました。さうい ふ善は、理非曲直を離れても、ほとんどが胡散臭さを感じさせました。 世の風向きは少しづつ變り、昭和55年に清水幾太郎が「核の選擇」を書いた時は、風向きはほ ぼ逆になつてゐたのでせう。なにしろ、平和教の教祖にして代表的進歩的文化人が核武裝を唱 へるやうになつたのですから。ポシャリ始めた「進歩派」から、有象無象を含む人々がどつと「保 守派」に流れ込みました。 その歸趨を見極めた上で、つくる會の設立を西尾先生がたは決斷されたのではないでせうか。

    な にしろ政治運動なのですから、數が大切で、「雙面神脱退」の時みたいに、「保守派」が西尾only oneーnealy zeroでは話になりません。西尾先生は御自分の純粹さを、かなり抑へられたと、私は 見てゐました。そして、世間一般の風向きに從つて、どつと押し寄せた人々について、細かくは選 別しなかつた。結果、先生がたの目論みどほり、つくる會は相當な成果をあげました。 私が坦々塾に入れていただいたのは、後に、つくる會のさういふ流れが塾にも及んで來た頃では なかつたでせうか。例の安倍挽歌の作者も、昭和56年の中核派による松本樓燒打ち參加を經て、 つくる會→坦坦塾といふ順番で進んだ御一行の一員だつたやうです。 私が入會當初感じた輕い違和感も、後で思へば、それが原因だつたやうな氣がします。以前、人 々の集まりに參加すれば、自然、周りはほとんど進歩派でした。彼等と私の意見の違ひとか、そ の當否とかが問題なのではありません。彼等の言動が場を取り卷く空氣によつて變り、またあつ さりと一つに決まると感じられることが何十年も不愉快だつただけに、坦々塾には、さうでないこと を期待してゐたのですが、這入つてみると、さうもゆかなかつた。純粹進歩派集團ほどではないが、 やや似た雰圍氣があることは否めませんでした

  31. (後半・つづき・池田)

    決定的だつたのは、何度も申しますが、安倍總理の「戰後70年談話」がテーマだつた時です。指 定スピーカーで、この談話を嚴しく批判したのが渡邊さんオンリーワンだつたので、驚いたといへ ば嘘になります。ほぼ豫想してゐたとほり、ここにゐる人達のほとんどが、嘗て福田恆存の名づけ た「烏合の衆」なのだといふことを確認しました。かへつて氣が樂になり、それならと、ごく一部の人 以外とはマジメに附合ふこともやめました。 冒頭にタイトルめかして入れた「現・保守派=旧・進歩派」の文字は、粗雜ではあるが、大雜把な掴 み方としては、さして間違つてゐないといへませうか。

    かういふ傾向は論壇、出版界も同じですね。そこで、貴兄から、別の機會にいただいた私信を、生々しく思ひ出しました。曰く 「HさんもMさんも『保守マーケット』で食ってる人ですよね。ただでさえコロナ禍で、このマーケットは大幅縮小したのでしょうが、この2人などは、安倍さんの死に、『しまった』と思ってるはずです。 主義の内容は別にして、安倍さんべったりなことを書けば、全国の安倍さんファンに向けて何とか最低限は雑誌や本は売れる。その安倍さんがいなくなってしまったわけですから。こうした商売人たちは、八木さんや小川榮太郎さんたち、正真正銘の安倍さんシンパよりもっとタチが悪いと思います。一個人としての安倍さんの御霊に、愛情さえないわけですから。 『商売人』の頭の中は簡単に予想できます。安倍さんという売り手看板がなくなった以上、今度は『安倍さんオマージュ』で売れるかもしれない、と算段を踏んでるんでしょう。こうして、言葉の水準はさらにさらに低下していきます。だけど、オマージュなんて長続きはしないでしょう。そのあとの保守マーケットはどうするのか。もう石原慎太郎さんもいないのですから。彼らの算段も完全に終わりに近づいています。 そんなMさんに、安倍さんへの正論なんて通じるわけがないです。『愚者に正論を説くことも愚かなこと』という韓非子の言葉をあらためて思い出してください。もうこの日本に言論批評の場はなくなったんです。西尾先生や中西さんがいなくなったら、もうそれで実質の最後が消え去るでしょうね」 うーん、お説に完全に同意せざるを得ません

    その上で、愚見を少々申上げ、それに對する貴見を承れればしあはせです。

    「商売人」に對するおことば、ずゐぶん辛辣ですが、元來、商賣とはさういふものではないでせうか。もちろん愛情を傾け盡くした結果、商賣としても大成功ーーといつた理想形もありませうが、それはごく稀なことでせう。Hさんについて、昔、坦々塾の淺野正美さんは「ノンポリにして、商賣の達人」と評されました。ポシャることなく、平均以上の業績を擧げるのは、この種の人々で、一つのポリシーに拘はると危いのでは?因みに私は、西尾先生に、「Hさんはノンポリで、ビジネス・オンリーだから嫌ひです」と申上げたところ、苦笑されながら、ほぼ同意して下さいました。先生は全て(私などがハテ?と首を傾げるやうな場合も)心得てをられるのですね。

    お觸れになつた中西輝政さんと西尾先生の間柄について、私の見たところを話させて下さい。中西さんが、後足で砂をかけるやうに、つくる會を出て行つた經緯を覺えてゐます(つくる會のシンポでの、中西さんの何度もの發言も)。西尾先生はかなり御立腹で、この日録で指彈されました。どんな「砂」をかけたかも記されました。そして、中西さんは安倍總理の側に走り、そのブレーンとして活躍してゐると傳へられました。

    その頃、この日録で、 故 Bruxelles (坦ケ眞理子)女史が中西輝政論文をタネに、文章論を展開しました。女史は、修飾節が2行も3行も續いて讀みにくい例を引き、これを「惡文の極」と斷じました。その少し前、私は中西さんの(著書は手にしたことがないが)雜誌掲載の論文を讀まうとして、分りにくさに辟易、讀まねばならない義理はないので、ぢきに投げだしました。その人の文章を惡文と切り捨ててもらへれば、私には都合がいい。私は喜んで日録にコメントを寄せ、Bruxelles女史に贊意を評しました。女史からは「細かいところまで、深く讀んでくれてありがたう」と禮を言はれました。

    その兩方に目を通された西尾先生から私に電話があり、「あなたとなら、話が合ふよ。著書を送つて文通しなさい」との御指示。女史の氏名、住所などを教へて下さる際、「タイラカのタイラは坦々塾の坦。カは片假名のケ」とおつしやつたのをハッキリと覺えてゐます。

    何年か後、中西さんは雜誌に「さらば安倍晉三 もはやこれまで」といふ一文を書きました。ブレーングループから追ひ出されたか、自らおん出たかのどちらかでせう。私はBruxelles女史と、坦々塾の鈴木敏明さんにメールで、何があつたのか訊きました。お二人とも事情は御存じなくても、「中西さんは、機を見るに敏だから」と同じことを言はれました。

    その後、先生と電話で中西輝政論を2度ばかりやりました(「さらば安倍晉三」には觸れず)。そして、私同樣、先生も中西さんがお嫌ひだと信じてゐました。そこへ(私からすれば)唐突にも、西尾幹二・中西輝政の對談本『日本の「世界史的立場」を取り戻す』の出版。これには驚きました。向うが安倍さんにサヨナラしたとはいへ、チトをかしくないですか。

    間もなく、坦々塾で、同書についての先生の御講演。少々ゴテてやるか、そんな氣持で出かけました。ところが、お話を聞いて再度驚きました。本の内容はともかく、中西さんが西尾先生を警戒してゐること、對談で、中西さんは某國のパワーを頻りに強調したけれど、その論據として、確たるものを持つてゐないこと、その他2~3點ーー全て、中西さんの缺點・弱みーーを、先生は整然と指摘されました。なんだ、御承知の上でのことだつたのか!ホッとすると同時に、先生の器の大きさと宏量なことを實感しまし翌日だつたか、電話で先生と何度めかの中西論を交しました。(つくる會への)「裏切りはもう許してゐる。今後附合ふ氣はないが」とおつしやいました。八木秀次さんをさへ「許すかもしれない」と。さういへば、先に擧げたHさんはともかく、嘗て嚴しく批判された田中英道・渡部昇一氏などとの、その後のお附合ひでも、彼等のマイナス面を十分承知された上でのことと、別の折りに語られました。

    一般論として、60年安保でのワッショイから轉向した有名人の誰彼についての人物評を、先生と交したこともあります。私がほぼ全員を「許せない」としたのに對して、先生は7~8割がたを「許すべきだ」とされました。

    先生は出自が保守反動ですから、時を得た”保守系”の人々が今もまつはりついて來ることが多いが、それを片端から振り拂ふやうなことはされません。無原則なのではなく、寛容なのです。しかし、本質はきちんと見拔いてをられるーー私はさう確信してゐます。

    單獨で周邊に害毒を撒き散らすのではない、one of themは排斥せずして、有效に活用するといふお考へもあるのではないでせうか。初めに觸れた、「安倍さんはもうゐない!」と歌つた人など、その最たるものでせう。○○○の管理は、自分の心の中を覗いた經驗がなくとも、十分に務まります。本人は錯覺して「西尾先生の裏方としては、先生に飛んで來る批判の矢が痛いと感じるのです」などとうそぶき(これも、そんな氣がするといふだけのことでせう)、ジャンヌダルクを氣取る始末。松本樓燒打ちが正義と感じてゐるつもりだつた頃と、心理構造は全く變つてゐません(願望と實際の區別がつかず、すべて都合のいい方にしてしまふのだから、便利ですね)。

    ただ、以前は暴徒とされたものが、ジャンヌに昇格したことは要注意でせう。社會全體としては、明かに墮落ですね。亡國へ一歩近づいたことは間違ひありません。貴兄がしきりに「終りの始まり」と言はれるのは、かういふことをも含むのでせうか。問題點はその邊にありさうですね。

    私個人としては、國家社會のことは措いて、かかる手合ひに氣を取られることのない、心の平安を得たいと願ひます。それには、お教への韓非子の箴言などは有效でせうね。でも、その韓非子も李斯の讒言によつて、囚へられ、死に至つたとか。他にも、學ぶべきことは多いでせうね。日暮れて道遠しなぞと言つてゐる場合ではない。

    ともあれ、あれこれありがたうございます、以上にお言葉を賜れば、渡邊さんからは、私の望む全てを教はり、思ひ殘すことはないだらうと思はれます。重ねて御禮申し上げます。でも又お教へを乞うた場合はどうぞよろしく。

    池田俊二

    (池田さんからいただいた返信を渡辺が許可を得て掲載させていただきました)

  32. 池田さま

    「革命」という言葉がありますけども、この言葉の一番悪しき面は、「人間とは容易に変わるものなのだ」ということですね。たとえば19世紀の人間と20世紀の人間は、「進歩」という面において大きな隔たりがある。そうした進歩的世界観の典型はもちろんマルクス主義でしょうが、別にマルクス主義ではなくても、「人間は進歩し変わっていく」という視野は、近代のいたるところにみられます。人類は無数の「革命」を経験していくんだ、という把握ですよね。

    これに対して「人間は古代から変わらないんだ」という視点が対立する。たとえばヨーロッパ哲学の世界では、哲学の諸問題はギリシャローマで出尽くされており、あとは作曲を変装する指揮者のように、繰り返しを巧みに演じられるかどうかにかかっている、ということが常識です。たとえばハイデガーの死の哲学は、プラトンがすでに「哲学は死の準備だ」といったことの変奏曲に過ぎない。哲学=保守というわけではないですが、こうした「人間は変わらない」という人間観をもてるかどうかが、本当の革命派と保守反動派の分岐になるのではないかと思います。

    60年安保闘争の騒ぎだって、突然発生した「革命的」なものではない。あれは別にマルクス主義革命に同調したことで起きたわけではなく、戦後いったん潜在化していたアメリカへの激しい感情が十数年ぶりに暴発暴動したということもいえるし、あるいは反米ではないですが、その約50年前の日比谷暴動のような、無情念的ナショナリズムの暴発の再来とみることも不可能ではない。つまるところ「人間は変わらないのだ」ということで歴史事象をみるのが「保守」のたぶん本当の意味なのでしょう。

    だから、池田さんとこれは同じ見解なんですが、教科書運動も、客観的目的はいいとしても「人間は変わらないんだ」ということを証する事実をたくさん生んでしまったといえます。何より、「教科書運動ですべてがよくなる」という発想自体が革命論の発想ですね。

    1990年代後半くらいから、教科書運動に典型な保守ブームには、この「革命」の気配が濃厚でした。チャンネル桜なんかもそうでしょうね。私が昨年顔を出したチャンネル桜の座談会のyoutubeコメント欄に「保守革命が必要になってきた」というアホ書き込みがありましたが、「保守革命」という最低センスの造語に、この時期のナショナリズムの高揚が、ぜんぜん「保守」と関係ない証をみてとることができると感じます。

    安倍さんはその時期の「保守革命」のヒロイズムを担った人です。教科書運動だって、安倍さんなしでは稼働しませんでしたからね。第一次内閣ときはいったん躓いたけども、長期政権になった第二次内閣ではそのヒロイズムが完全に定着する。

    ここで出現するのが「商売人」です。商売人は、何かを扱い利益にする人間のことをいいます。この場合の「何か」は、政治ムードとスローガンですね。小川榮太郎さんの最近の本に『保守主義者、結集せよ』という恥ずかしい題名のがあったと思いますが、「結集」は、政治的にやれるかやれないかの話で、文芸評論家がいうスローガンやムードではない。けど、スローガンやムードが商売になり、本や雑誌が売れて後援会や決起集会が誰かの収益になっていく。かくして、「保守革命」が商売対象になったわけです。

    けれども、この「保守革命」マーケットは次第に後退していく。紙の媒体の急激な衰退や日本人の精神的劣化ということももちろん深いかかわりがあるでしょう。けど何より大事なことは、スローガンやムードが単にスローガンやムードであるということを日本人が見抜いてしまったことにあるのではないかと思いますね。憲法改正も拉致問題も北方領土も教科書採択もほとんど進展しないまま歳月がながれていく。何なんだ、と感じて人々は保守の本も雑誌も集会も無関心になる。マーケットは当然激減する。そこに来てのコロナ禍です。

    追い詰められた「商売人」たちにとって、なお残された希望の光が安倍さんだったのは間違いないことです。安倍ヒロイズムの購買層はまだ相当に残存し、次元の高くないスローガンでも、安倍さんの名前とくっつければまだ売れてくれる。「商売人」はムードやスローガンの真の実現よりも、「売れる雰囲気」の継続こそが問題になる。ところが安倍さんが突然いなくなった。今まで商いの最後の柱といってよかった購買層の安倍さんファンの相当数をどうすればよいのか。

    とりあえずは、オマージュで維持しよう、ということになるのは当たり前の推移でしょう。でもオマージュは何ヵ月かで終わり、全国の安倍ファンの大半も無関心層に沈んでいくことになるでしょう。終わり、は、商売人さんたちにも厳しくやってくることになるわけです。繰り返しになりますが、関係ない私はそんなことをどうとも思いません。文春から朝日に一時期鞍替えしたHさんあたりなら、なかなかいい商いの知恵をお持ちかもしれませんが(笑)

  33. 【SNS犯罪】

    皆樣

    時下、如何お暮しですか。
    御覽になつてゐないかもしれませんが、西尾先生のインターネット日録も、最近は淋しくなりました。私は渡邊望大先生に泣きつき、お相手をしていただきながら、時々ぽつぽつと投稿してゐます。

    ところが、8月9日以來、私の投稿は長谷川管理人の手によつて、ブロックされてゐます。理由は、内容が女史の氣に食はないからのやうです。

    これは越權・違法な犯罪ですので、抗議・ブロック解除要求のメールを數度出しましたが、返信はありません。以下は、その最後のものです。お笑ひ草までにお送りします。おヒマ潰しにでも活用していただければさいはひです。御健勝を祈り上げます。 池田 俊二
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    長谷川 樣

    いい旅をなさつたやうで、結構でした。油布島とは懷しい。あそこへ牛車で渡るのは、干潮の時でしたか。

    下記でお歸りをお待ちしてゐました。御旅行の留守中に行動すべきだといふアドヴァイスもありましたが。
    「ブログの管理人が、オーナーの同意なしに、”承認待ち”、掲載拒否その他のブロック工作をした場合」、刑法上、どんな罪名・罰則が待つてゐるか・・・御存じですか。

    流石に中核派(奧樣はその本流ですか。それとも、松本樓燒き打ちに參加されたのは、ただのシンパとして?)の血を引いてをられると、感服しました。と申しても、訊いてみると、中核派の手口は一樣ではないさうですね。殘忍卑劣な點はほぼ共通しますが、
    ◎極めて緻密な智能犯的なものから、
    ◎すぐに底の割れる、お粗末・淺慮な、思ひつき程度のものまで、犯行形態は樣々なやうですね。

    奧樣の手口が、どれに當るのか未だ分りませんが、萬一といふ場合に備へて、
    ①今囘、奧樣により阻止された、小生の日録への4囘の投稿(8月9日~13日)の、畫面上の控へ(いづれも、「承認待ち」の文字あり)が、遠隔操作で消されても支障なきやう、魚拓に取りました。
    ②なほ、その前(7月31日)に「あきんど樣」と題して、小生は2通投稿しましたが、これはほぼ同文で、小生のミスです。そのあとの方に、やはり「承認待ち」の文字が這入つてゐます。これは、ダブリを防ぐ、親切な措置かもしれませんが、一應魚拓に取りました。
    ③以上の、「承認待ち」と稱するブロックについて奧樣に直接申告したメール3通(8月9日~12日、一度も返信なし)も、魚拓に取りました。②による親切な措置を施したまま、解除し忘れたせゐで①に至つたといふ辯解を封じるためです。もつとも、「あきんど樣」の「承認待ち」のあと、8月2日「黒ユリ樣」、8日「筋違ひの忖度など」・「渡邊樣」3篇は、「承認待ち」を經ずに掲載されてゐますから、上記が完全に意圖的犯行であることの證據は、既に十分ですが。
    ④これは未だ實行してゐませんが、奧樣と私の間では、メールを出せば必ず返信ありーーの例として、先生からの「全集について、池田に書かせよ」との指示を傳へて下さつた際の
    やりとり、先生から御病氣についてお話があつたあとの、悠可さんの「小林秀雄に腰かけてもの言ふ人々」コメントをめぐるやり取り、直近では、拙コメントから、先生入院の病院名削除の御聯絡などを魚拓に、と思つてゐますが、「そこまでの必要はないかも」とのアドヴァイスもあり、未だ手をつけてゐません。あまり適切な例ではない(全部、最初は奧樣から頂いたものばかりで、こちらが先便といふものは思ひつきません)かもしれません。

    なほ、中核派がどれだけ卑劣かについては、實態を見たことがありませんが、失禮ながら、今囘は、先生の老化につけ込む意圖もないとは斷定できませんので、最惡 の場合にも慌
    てぬやう、畫像、ペーパー資料で記録を少し調べました。いい勉強になりましたが、恐怖も生じ、あまり愉快ではありません。ただし、世間を賑はすSNS犯罪の渦中に自分も這入つた。まさか・・・が、世間竝みになつたとの思ひもあります。

    現在のところの準備はその程度で、私の希望はただ一つ、日録への私の投稿妨碍を解除して下さること(犯行の中止)のみです。OKなら、それ以上の擧には出ないつもりで、只今
    現在はをります。

    ただし、私は人の評價が苦手で甘くなりがち、簡單に妥協した後、えっ、そこまでやるのか!?とホゾを噛んだことも多いので、そんな弱點を曝さずに濟むやう、自分なりに警戒してゐます(特に、投稿をなきものにしたり改竄したりは、やりたい放題、自分の控へさへ、リモコンにより、やられ放題になることは、一應心得ました)。

    今囘は「承認待ち」のおかげで、私の力ではありませんが、日録には稀有な名篇ができ上りつつあると思つてゐます。御禮を申し上げねばならないかもしれません。その部分も、お得意の手で削除なさいますか。

    今の樣々な社會現象にとつて、奧樣は鏡のやうな存在です。奧樣の動き、聲などを寫せば、そのまま社會の諸現象が描ける。ーー無料でモデルに使はれたとの思ひから、犯行に至つたのかもしれませんが、こちらはそれ以上のことを傳へる言葉を持たないので、お氣の毒ながら、しかたありません。

    それにしても、長谷川さんのコソ泥みたいな行爲と、長谷川さんより數10歳若い Wさんの
    keen sense of justice との落差! これが同じ人間と言へるのでせうか。品性の違ひなどと、片附けられない思ひです。ああいふ、平素穩やかな、言葉の尖らない人は怖いですね。彼氏の平素の言説は、禮儀正しく、罵倒などしませんが、内容は、私の數倍は嚴しく、辛辣です。長谷川さんには、それを感じ取る力はないでせうね。

    それがあれば、彼氏の優しい諭しの言葉に對して、「本当にそうですね。何だろう、大きな怪我をしたとき、最初は痛くない。後で痛みを感じる」などと、見當違ひの科白は出ないでせう。

    稻田朋美さんが防衞大臣を辭めたあと、廣島へ來て、奧樣は彼女を大歡迎、お土産を持たせたことなど、「セブブな・・・」で、嬉しさうに報告されましたね。私はアンデルセンの「裸の王樣」を引いて冷かし且つ諫めたつもりでしたが、全く通じませんでした。奧樣のキョトンとした表情が、畫面の奧に見えるやうな氣がしました。同時に、アドミニウス(?)の「賣國奴は愛國者の面をつけて現れる」といふ箴言を引用しました。實際は、そんな毛唐はゐません。箴言の作者は私です。失禮致しました。

    以上、御聯絡まで。今囘は奧樣に通じる言葉を使ふやう心がけましたが、不十分だつたかもしれません。
    池田 俊二

    (追伸)つい先程まで、上記を ”セレブな・・・”に投稿する積りでした。すぐに、長谷川さんによつて消されるにしても、誰かの目に觸れ、騷ぎになるかもしれない。さうなるといいーーそれくらゐ、「卑劣な犯行」に、更には、自分はそこまで舐められたかと、腹を立ててゐました。

    けれども、相手をいきなり再起不能の窮地に追ひ込むことはひとまづ控へた方がいいのではないか、追ひ込む手立てや犯行情報擴散ルート(これを、昨日から、リストアップしてゐます)は、いつでも、如何やうにも工夫できるのだから)との思ひに、今は瞬間的に至つてゐます。

    ただし、精神的に脆い(長谷川さんの強靱さは格別!)小生は、カッとしたり、クシュンとしたり、刻々に變化、どちらへ轉ぶか、自身にコントロール能力がありません。1時間後にはどう變りますやら・・・ 。まづは穩やかに→うーん、このコソ泥を許してなるものか、の繰り返しです。呵呵。そして嗚呼!

    また思ひ出しました。長谷川女史曰く「裏方としては、西尾先生に飛んで來る批判の矢が痛いと感じるのです」!!!よくぞおつしやつたり!常に、痛みに堪へてをられるのですね。御立派。

    (再び、皆樣へ)數日經ちましたので、試しに、日録へもう一度。それで、犯人の性格がまた少し・・・。お附合ひ下さりありがたうございます。

  34. (以上何篇かの拙コメントに附された、「あなたのコメントは承認待ちです」の文字が消えました。
    ただし、変な横一本棒はそのまま。拙コメントは本当に載ったのでせうか。ーー確認のために、私からの渡邊さんへの返信を、ここに試驗通信を兼ねて投稿します。お許し下さい)

    革命的發想

    渡邊 樣

    内容濃く、示唆に富み、かつ痛快な御返信、日録で、感銘深く拜讀いたしました。
    それに對する愚感は、本來日録で申上げるべきでせうが、小生、日録の方は、1週間以上前から、「承認待ち」といふ名の下に、出入り禁止處分を受けてゐます。私としては、貴兄に思ひを聞いていただきたいといふのが主眼ですから、さして痛痒を感じませんが、まづは筋違ひになつたことの釋明とお詫びを申上げます。

    「『教科書運動ですべてがよくなる』という発想自体が革命論の発想」ーー同感です。ただし、私はこの運動に物的に寄與したことはないものの、精神的にはかなり熱心に應援しました。、そして「すべてがよくなる」とも、「教科書が間違つてゐるから、世の全てが惡くなつてゐるのだ」とも考へたことは否めません。革命論的ですよね。

    しかし、「哲学の諸問題はギリシャローマで出尽くされており」といふ常識は、ずゐぶん若い頃から備へ、意識的に、そのやうな方向へ議論を進めたものです。昭和44年(貴兄がこの世にお出ましになるよりも大分前ですね)、自分の編輯する雜誌の對談で、こんな發言をしました(相手が、論語、資治通鑑などを持ち出して、「古典を馬鹿にしちやいかんと思ふ」と言つたのに對する反應です。

    ーーたとへばトインビーは、若い頃はほとんどギリシャ・ラテンの古典だけで教育されたさうですね。さうして古代史の教師をしてゐたのだが、第一次大戰の勃發によつて歴史的開眼をする。當時彼はオックスフォードの學生のために、ツキヂデスを講義してゐたのだが、突然に、「我々が現在この世界で經驗しつつあるものは、既にツキヂデスがその時代の中で經驗してしまつたことなのだ」と悟つたといふんですね。さうして、歴史家を志す者にとつて古典教育はほかにかけがへのない恩惠である、と言つてゐます。ツキヂデスの歴史書と、「資治通鑑」と、全く同じことですね。

    (と尤もらしいことを言ひましたが、歴史家トインビーに毀譽襃貶があることは、當時知りませんでした)。かういふ説を久しく奉じながら、教科書に關して、つい我を忘れさうになったのは、トップが西尾先生だつたから、といふことで、まづは許して貰ふ積りです。

    それはともかく、邱永漢といふ作家が鼎談本『歴史よもやま話』で、「人類といふのは進歩しないものだ」と沁々と述懷したのは印象深く、この人には歴史的センスがあると感じました(彼もこれを推し進めて、香港の將來を讀めるとよかつたのですが、いくら中共でも、これだけ世が変つてゐるのだから、少しは進歩しただらうと、つい甘くなり、誤算をおかしたやうで、氣の毒でした)。

    私自身、意識としては、「人間は進歩し変わっていく」とは決して考へないつもりです。でも、「『人間は変わらない』という人間観をもてるかどうかが、本当の革命派と保守反動派の分岐になるのではないか」とおつしやられると、ギクッとします。上記の教科書問題などはマシな方で、心奧まで、しかと構へができてゐる自信がないのです。保守反動・極右を自任してゐるにしては、だらしなく、情なくもなります。

    「チャンネル桜の座談会のyoutubeコメント欄に『保守革命が必要になってきた』というアホ書き込みがありましたが、『保守革命』という最低センスの造語に、この時期のナショナリズムの高揚が、ぜんぜん『保守』と関係ない証をみてとることができる」ーーですか。すべて正論ですね。手嚴しくもある。

    私としては、これに同意し、貴兄と共に ”アホ ”どもを嗤ひたい。でも、天下晴れて・・・といふわけには行き兼ねる氣もします。無意識の際、ぐらつくことがあるかもしれないからです。

    「教科書運動も、客観的目的はいいとしても『人間は変わらないんだ』ということを証する事実をたくさん生んでしまった」とは大變な皮肉。でも、「つくる會は終つた。『國民の歴史』一册を殘して」とおつしやつた西尾先生は、この評を肯はれることでせう。でも、例の「安倍さんはもうゐない。心が暗くなる」御仁(今も、どこかの支部長?)には、なんのことか、決して理解できないでせうね。松本樓燒き打ちの時、採擇で前進した時、そして現在。それぞれにおける自分を見つめれば、全く變つてゐないことにすぐ氣づくはずですが、さういふことを決してしないのが、あの種の人々の特徴ですから。

    「安倍さんはその時期の『保守革命』のヒロイズムを担った人」ーーとの仰せには私の駄感など無用。これ以上適切な評語はないでせう。

    「何より大事なことは、スローガンやムードが単にスローガンやムードであるということを日本人が見抜いてしまったことにあるのではないかと思いますね。憲法改正も拉致問題も北方領土も教科書採択もほとんど進展しないまま歳月がながれていく。何なんだ、と感じて人々は保守の本も雑誌も集会
    も無関心になる。マーケットは当然激減する。そこに来てコロナ禍です」ーーやれやれ。マーケットの激減ですか。幕切れ近しですね。私が賤業保守と名づけた人々はまた新しい商売に。例の通りといふのが正解ですね。

    もつとも、安倍挽歌のジャンヌさんなどは、何も「見拔いて」ゐないに決まつてゐますが、ああいふ人々は風に流されるだけで、風向き決定なぞにかかはらないのですから、「日本人」として算へられないのですね。

    そのマーケットについて、「文春から朝日に一時期鞍替えしたHさんあたりなら、なかなかいい商いの知恵をお持ちかもしれませんが」ですか。うまくオチがつきましたね。これを讀み了へて、youtubeの西尾幹二 vs H 對談を思ひ出し、見ました。貴言を思ひだして、30分近く笑ひが止まりませんでした。

    以上お粗末でした。御迷惑でせうから、これで打ち切りますが、貴文について考へてゐると、次から次へと考へが發展し、少くとも私一個には、大變な利益です。

    池田 俊二

  35. 黒ユリ 樣

    8月8日附けの、私宛貴コメント、たつた今見つけました。私が長期間見落してゐたのか、それとも貴コメントも、幾つかの拙コメント同樣、「承認待ち」に留めおかれたのでせうか。さういへば、7月21日の西江さんのコメントも、今日初めて見たやうな氣がします。更に、さういへば、コメント數表示も昨日までの32→35(本日)と、一擧に殖えたやうに思はれ、呆氣に取られてゐますが、私の勘違ひかもしれないので、何も申しません。

    いづれにせよ、返信をせず、失禮しました。私は2日に、「黒ユリ樣」の出だしでコメントを投稿し、これに對するお言葉をいただけるかと、ずゐぶん待ちましたが、それが現れないので、ムシがよすぎたか、と諦めた次第です。今日見つけた8日の貴コメントが正にそれに當るものでした。とても立派な内容で、いい勉強になり、喜んでゐますが、今さら、どう御禮を述べても、氣が拔けた感は否めないので、ごく簡單にーー。

    「そんな連中に引っかかるほど、昔の日本人は、共産主義というものの脅威を知っていたのか、と私は驚きました」ーーなるほど、さうも言へますね。先輩がたは敏感だつた、偉かつたといふことですね。後の、共産主義のことなど何も知らずに、彼の國に氣樂に出入りする連中とは相當な違ひ。

    「当時の事を本当に『総括』せずに来たのか、内心忸怩たる思いがあったのかは、分かりませんが・・・」ーー私にも本當のことは分りませんが、想像すると、大多數の内心はnothingではないでせうか。あれより11年後に松本樓を燒打ちしたジャンヌさんなども多分・・・。西尾先生は、舊ナチスについて、「頭と尻尾を切り落とし、胴體はそのまま、戰後社會に紛れこんだ」と評されました。それが社會を不健全な、歪んだものにしたことは言ふまでもありません。その中でも、「内心忸怩」は上等、nothingは手のつけやうがありません。

    「革マル」「民青」「民学同」ーー名前だけは聞いたことがあるやうな氣がします。「皆、自分だけは『真理』を知っていて、『行動を起こし、社会を変えることが出来る』と思っ
    ていた」ーーなるほど、さうでせうね。

    会田雄次が、「若者のエネルギーを吸い上げることに関して、共産党のやり方の上手さには舌を巻く。それに対し自民党の無策にはあきれる」と言ひましたか。至言でせうね。共産黨に學ぶべきことは他にも多いのではないでせうか。

    でも、「『公的機関を利用』できるという」最大の利点があつたのだから、「『無罪』だと言い切ることはできないだろう、と私は思います」ーー同感ですね。當然でせう。

    「長周新聞」のことは初めて知りました。記事を紹介されつつの犀利な解説、實に興味深く拜讀しました。曰く
    「(長周新聞は)非常に分かりやすく、かつ鋭い分析の記事を書いていたので、注目しました」
    「住民の立場に立ち、実に分かりやすい内容だと思いました。これだけ読むと、私はこの新聞のファンになりかけました」
    「・・・『安倍晋三自身・・・キャッチフレーズの「美しい国」も日本統一教会の初代会長久
    保木修己の教えなのだから・・・「日本を取り戻す」といいながら、売り飛ばしていないか?』 こうした書きぶりも、なるほどという感じです」
    私も ”なるほど ”です。
    「結局はこの新聞には『共感』できないと思いました」
    おやおや。どうしてですか。
    「米国の対日政策が根本にあり、それと結びついた日本の右派が、戦時中は日本の統治に協力した朝鮮の面々と協力して、独占資本の大企業の利益に奉仕し、統一教会信
    者はもちろん、一般庶民を搾取している・・・という話です」
    「長周新聞が応援するのが『れいわ新選組』だそうです」
    再び、”なるほど”です。納得しました。

    この部分は、全て初耳ですが、飛び拔けて面白かつた。もう一度讀み直します。

    ありがたうございます。またお教へを。でも、拙コメント、こんなに間があいたのでは、お目に觸れないかもしれませんね。

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