憂国忌シンポジウム(五)

 つまり日本人で国境意識というものを生み出したのは、中国を学んだ儒者達ですが、中国そのものには、国境観念がない。本国の儒教と学んだ儒教との違いを今申し上げているわけです。

 そこでパラドックスは次に移るのですが、これも仮説ということを理解していただきたいのです。国学というのが儒学の中から出てきますが、この国学というのはどういうわけか、国境観念を持っていないんです、実は。

 本居宣長は、これはじつに不思議なことなんですが、国学は、天照大神は日本一国の神ではなくて、全世界普遍の神だというふうに信じるわけです。したがって、国学の考え方は中国の儒教にむしろ似ている。そういう意味では、国境の観念がないんです。天照大神は、全世界の神であると。これで通用しろと言っているわけですから、ここから国境意識は生まれません。

 つまり、本居宣長には、元々政治から離れるという意識がずっとありまして、彼からは国家を構想する力はでてこない。国学には国家観念が希薄だといわれます。内面的文学的すぎるのであります。宣長はね。それはそれでいいんです。

 ですから、日本の日本たるもの、国家イデオロギーが出てくるのは初期の儒学者と、それからずっと下って水戸学が出てくる幕末です、国家意識が。水戸学がそれを可能にしたわけですけれども、これは初期儒学者たちの、影響が幕末にでてきたということです。それが、水戸学です。

 さて、三島さんは水戸学ではなく、この本居宣長に似ているんです。天照大神は日本一国の神ではなくて、全世界普遍の神だと。三島さんの天皇論は、読むとどこまでもそういう感じがします。どこまでも、日本の天皇は「特殊」だ、「普遍」だという話ではないんです。突き抜けてその先が、彼はその先が普遍だといいたいのでしょうが、普遍とか特殊ということは、ここではやめる、そういうことに捕われないということでしょう。

 天照大神は全世界の神である、それを貫くというのが、三島さんの精神運動であったと思います。そして、ここから一つ逆転して考えるのですが、本居宣長や国学が盛んに唱えられる時代というのは不幸な時代とよく言われます。戦時中の日本は国学が流行します。そして三島さんが、「今日に至る戦後日本、これはやはりこの国が、決して幸福な安定した国家ではない、ある危機が宿っている」と言っている。ということは、宣長も三島さんにも、国家というか天皇というものを突き抜けてそれが、世界の普遍の神だと言わざるを得ないような、情熱があるということは、これはある意味でこの国が、大きな危機に晒されているということを物語っているのではないかと、私にはそんな風に思えます。

「憂国忌シンポジウム(五)」への1件のフィードバック

  1. >宣長も三島さんにも、国家というか天皇というものを突き抜けてそれが、世界の普遍の神だと言わざるを得ないような、情熱があるということは、これはある意味でこの国が、大きな危機に晒されているということを物語っているのではないかと、私にはそんな風に思えます。

    今回のお話は物凄いインパクトがありますね。どんな国にも理屈抜きの屋台骨となるものが、国民の支えとなっていることは間違いないのでしょうが、近代においてはそれが一番強いのが外ならぬ天皇陛下を擁する日本であるという事実なのでしょうね。
    例えて言えば、夫婦の関係に置き換えたとき、それは解りやすいかもしれません。本来ならお互いの存在を違和感なくいられたら一番自然で楽な状態ですが、それをいざ意識し始めたときに、その存在の在り方に不安を見付だし躊躇し始め、迷いが生じるものです。しかしその半面、意識に比例して強く深く感じられる絆も生まれます。
    そうしたものは必ず必要とされ、それなくして夫婦は存在できず、その定めをどう受け止めるかが夫婦のその後に大きな影響を及ぼすと言えます。
    本来夫婦は無限であると信じていながら、実は限界もあることを薄々感じ、しかしそれが意識できれば逆に節度は保たれ、意識しない間には別の「過剰」な意識が支配していると言えるかもしれません。じゃあそんな面倒なものは無くしてしまえと「離婚」が手段としてありますが、そうした選択の無防備さはこのお話によって以外にも解りやすくなることに、不思議さを感じずにはいられません。
    特に男にとって妻は神たる存在ですから、この意識はより男性に強く現れるかもしれませんね。
    少し飛躍しずきましたでしょうか。

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