『男子、一生の問題』の反響にこと寄せて(五)


 私が上記の書きこみに心を悶々としていたころ、遠隔地に転勤となる小池広行さん――当日録によく出てくる東電社員の――がお別れに同僚の林勝彦さんと連れ立って訪ねてきた。三人でした送別会の酒席で、私は上記書きこみの軽薄なもの言いがいかに私に不快であったかを語った。お二人とも『男子、一生の問題』は十分に読みこんで私に会いにきていたので、本の話題がしばらく出た後であった。

 「私は私の本の読者に100パーセント同じ生き方をせよなんてまったく言ってないんですよ。いやなら読まなければいい。毛沢東語録じゃないんですからね。」

 「マニュアル社会なんです」と小池さんが思いがけないことを言った。
 「え?」
 「今はびっくりするような時代なんですよ。例えば交通標識に『右を見て、それから左を見て歩きなさい』と出ているとしますね。そうすると、今の人は即座に内容を理解するのではなく、そういうことは何処の規定に書いてあるのですか、とまず尋ねてかかるんですよ。」
 「まさか?」
 「勿論これは極端なたとえ話ですよ。でも、大体がそうなのです。本を読むと、教則本のようにこれを実行しなければならないのだと思いこんでしまうのですよ。」
 「だから、自分にはこれは実行できるかできないか、っていう話についなっちゃうのですね。若い人を見ているとみんなそうですよ」
 と林さんが受けついだ。

 インターネットの例の書きこみ者が若い人なのかどうか私は知らない。しかし私の本を読んで、ひとつひとつ実行を迫られていると思っていることは間違いない。
 「そんな風に思って本を読んだら、一冊新しい本を読むごとに人生を変えなくてはならなくなりますね。」と林さんは笑った。

 「結局本を読んで、その本の著者にすがりたいという心理が基本にある」と小池さんは、現代の病理を語った。人間の心が弱くなっているということに、自立して他人の本を読めない根本の原因がある。そこから二人の話題は私の知らないエネルギー関係の会社の社員の心理風景に移っていった。

 

「『男子、一生の問題』の反響にこと寄せて(五)」への1件のフィードバック

  1. この記事へのコメント
    わたしは41ですから若くはないです。マニュアル人間かといえばそのとおりです。感想として、西尾先生のような生き方は、自分にはできないと思ったままを書いたものです。先生がなぜそこまでご不快であるのか、まったくわかりません。
    Posted by M78 at 2004年07月13日 14:15

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