安倍晋三氏よ、いざとなったら職を賭して闘ってほしい(二)
今の日本は米中の代理戦争の舞台となっている。旧田中派から福田、加藤、山崎(拓)氏に至るまでの親中派を小泉首相が押さえることに成功しているのはアメリカの力を背に負うているからである。しかしその分だけアメリカに屈服し、利益を奉納している。郵政民営化はアメリカへの日本からの富の移転であり、皇室典範改定による天皇制度のなし崩し的否定は日本の歴史を骨抜きにする「日本のアメリカ編入」の第一歩である。代理戦争において一方を抑えることに成功すれば、他方への屈服と譲歩が強まるのは理の当然である。
われわれの思想の立場は米中のいずれにも与しない日本の立場の堅持であり、主張である。石原氏であっても、安倍氏であっても、麻生氏であっても、そのことをやってくれるなら誰でもいい。逆にそのことをやってくれないなら、どの名前の政権も最初から評価しない。
言論界における思想家は政局占いみたいなことをすべきではない。オピニオン誌(言論誌)がこれら政治家をスター扱いにし、巻頭に掲げたりするのはおかしい。思想にとって政治家は思想実現の手段にすぎない。政権の顔色をうかがうような思想家のあり方、次の政権は誰かを探り、そこからものを考えるような言論誌のあり方は間違っている。言論誌にあってはどこまでも言論が主であって、政治は従である。
政治は現実に妥協するであろう。それは仕方ない。しかし思想に妥協はない。政治家に対しては要求あるのみである。目的とする思想のために地位を捨ててでも奮戦してもらいたいと考える。そう願うのはわれわれの立場である。
「たなからぼた餅」を狙っているだけの安倍氏などは見たくはない。伝えられる通りに安倍氏が政権に至近距離にあるなら、この二案件で後へは一歩も引かない勇者であってほしい。それでこそ次の世代の政治家の資格が保証される。
かりに首相になれなくても、勤皇の士、真の愛国の士の実を残せば、凡百の政治家から群を抜いてその名が政治史に刻まれるだろう。
私はそういう政治家を氏に期待している。言論誌、オピニオン誌の思想家諸氏よ間違ってもこの点で志の低い「政局評論家」になってはいけない。年頭に際しこのことだけは切にお願いしておきたい。
安倍氏に頑固たる信念を貫いてほしいのは分かる。しかし、同じようにタカ派と呼ばれる麻生氏や、中川氏はどうなのでしょうか。
夏の解散時、唯一悩んだことは安倍氏の言動がどうあるべきかと、彼が郵政民営化を支持する態度をどう理解すべきかでした。
私が咄嗟に抱いた感情は、なるべく目立たないようにしてほしいという感情だけでした。
あの渦中、まともな人間の正しい判断は全て埋没する恐さを、私は初めて経験した。人間社会というものはこうして崩壊の道に進むのか・・・と、正直私は悔しさと恐ろしさの間で悩みに悩んだ。
「まともではない・・・これを異常と言わず何と呼ぶのだ」と、誰もいない店の壁に罵声を投げ掛けた。
私たち一般国民ははかない道端の草となって政治を支えるしか方法がないのだと認識していた。
しかしそれはまともな社会の中でのみ通用する考え方であり、こうした異常事態では、いかに一般人といえども、その人間性は問われるものとなることを知った。それとは次元を変えて、安倍氏の姿勢をどう受け止めるべきなのかという問題が存在します。
つまり、首相になるためのテクならば何がなんでも行使すべきだという、単純な安倍氏待望論。
それと同じベクトルで存在する時期尚早論。
おそらく先生のご判断はそれらを一番批難されているものと判断します。