皇室問題の論じ方(四)

 『正論』2月号(今店頭にあるもの)で私は再び皇室典範改正問題をとりあげた。朝日新聞に書いたものと同内容を3倍の字数に拡大し、少しゆったりと述べたのだが、今まで言わなかった次のような新しい観点をもとり入れた。

 天皇制度はなぜ必要なのか。正面からそう問われて、確信をもって答えるにはどうしたらよいか、私はずっとそのことを考えて、いまだに適切な答え方を見出せないでいるのである。

 天皇制度は絶対に必要であるという命題をあたかも自明のごとくに考える人にとっては、疑問そのものが成り立たないだろう。また必要ではないと頭からきめつけている人にとっても問いの起こる余地はない。しかし大半の日本人は、天皇制度はなぜ必要なのか、と問われて、何となく必要と思うものの、きちんと答えたことはない。大切なものだと思っているが、なぜ大切なのかと問われて、やはり答えることができない。

 かく言う私自身がそうである。歴史を学んで天皇制度の絶妙さ、古代から現代まで権威と権力を二分してきた中国とも西洋とも異なる王権の独自性の価値を知り、それが失われた後の歴史の死を恐れてはいる。けれども歴史の死の姿はどうしても想像の域を越えない。日本人は誰も天皇のいない歴史を経験していない。未経験に属することはすべてこうなるであろうという推測であって、確実な知識たり得ない。

 少くとも自由とか、平等とか、人権といった価値の尺度では測れないもの――それが天皇の制度である。国際化とかグロバリゼーションとか世界史的普遍性といった概念にどうしても一致しないもの――それが天皇の制度である。

 私は『正論』2月号に次のように書いている。

 

 天皇家のような神聖家族にあっては、婚姻で神聖でない血脈が入ることによる神聖性の稀薄化は神秘の消滅、権威の失墜、そして連続性の死を意味する。

 私は平等とか人権とかいった近代の理念のまったく立ち入ることのできない界域が社会の中に存在することの必要について今語っているのである。個人がどんなに努力しても及ばない世界が存在することの意味について今考えている。人間は決して自由ではない。歴史は個人の自由を超えている。天皇にも自由意志はない。それを無言で教えているのが近代史の届かない所にある王朝の歴史である。歴史の短い民族には欲してもこれが得られない。日本民族には稀有な天与の宝が授けられているといっていい。

 私たちの伝統は私たちが意識し得ないなにかである。天皇個人の努力や意図をもはるかに超えている。天皇は神ではない。神を祭る祭祀継承者であり、いわば神主の代表である。

 平等とか人権といった近代の理念の立ち入ることのできない界域が社会の中に存在する「必要」と私は書いた。個人がどんなに努力しても及ばない世界が存在することの「意味」とも記している。けれども自由とか平等とか人権とかいった近代西洋の概念に日本人は一方では身をさらして生きている。だからここで「必要」とか「意味」といったものの、本当は私にはこれが分らないのである。

 必要とか意味とか言っているのは、別のことばでいえば「信仰」ということだろうか。そう考えればよいのだろう。私はそういうつもりで「必要」とか「意味」ということばを用いていることに自ら気がついた。

 そうはいっても、本心をいうと、ここでいう「必要」や「意味」を確信をもって、緻密に分析的に語る自信がいまだに私にはない。「あなたは信仰を持っているか」と問われて、けれんみなく、堂々と自己の信仰を披瀝できる人は幸わせである。信仰は懐疑を伴って初めて誠実になる。懐疑を深めることで、信仰も深まる。

 そう考えれば、天皇の制度は日本人にとって道徳や歴史の起源であると明言するよりも前に、信仰の世界であるとためらいがちに言った方が正しいだろう。なぜ必要なのかと問われて答えられない。しかし必要なのである。なぜ大切なのかと問われるとやはり答えられない。しかし大切でないとは大概の日本人は思っていない。そう国民が無意識に考えているとしたら、これはなんといっても信仰の領域であろう。

 日本人には信仰心がないとその昔、西洋旅行をした知識人はよく口にした。教会の暗い座席で西洋人が祈祷している姿を垣間見て、信仰心の篤い西洋を羨み、現世的な日本人を蔑むように語る日本人が多かった。私はそのとき正月に神社の社殿に向う日本人に宗教心がないなどとどうして言えるだろう、と訝しんだ。

 皇室典範改定の議論が湧き起こって以来、人々の心に火が点いて、ゆっくり野火が燃え広がるように、ミニコミ紙やオピニオン誌から、テレビや新聞の討論を経て、国内を動かし、官邸を揺さぶる議論の大波がこの国を蔽い始めた。女性天皇と女系天皇は違うと、巷でひとびとは囁きだした。少しづつその規模は大きくなっている。

 昨日私の家に来た大工さんが「先生、女系と女性はどう違うのか教えて下さい」というので、私は大きな女系の略系図を図解して説明し、即座にわかってもらった。「なるほど、系図をつくると皇室はどんどん遠くへ行っちまう。とんでもねえや。」

 これはほかでもない、日本人の信仰の姿でなくて何であろう。天皇の問題はすぐれて日本人には宗教の問題なのである。中国も韓国もこれには干渉できない。靖国の問題に干渉しても、天皇の問題に外国人は手を触れることはできない。

 天皇の制度はなせ必要か、なぜ大切かに関して大抵の日本人はうまく答えられなくていいのである。信仰や宗教の問題に簡単に、割り切った答を出せないのが当り前であるのと同様であると考えていいだろう。

 
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 付記
 これ(Age of infomationのブログ)は日比谷の集会に参加した人の報告です。

  日比谷野外音楽堂での14日の催しにご参加くださり、寒い中で、雨にふられつつ写真までとってくださりありがとうございました。私は日録の「皇室問題の論じ方」(四)で述べたような、懐疑的な内容、天皇制度はなぜ必要で、なぜ大切なのか自分でもうまくいえないといった内容の話をしました。大工さんの例もだし、たぶんこれは信仰の問題なのだろう、ともいいました。もっとも地味な内容でした。おとりあげになっていた話題は私のではありません。 

 会場には1500人以上いました。デモが始まると街中からの途中参加者が増えました。約2000人が日比谷から銀座通りをデモ行進し、東京駅をこえて、私はズボンがひざから下すっかり濡れて、それでも最後までついていきました。5,6歳の幼い子もいました。皇室典範改悪ハンターイとシュプレヒコールにもずっと参加しました。デモは旗と傘と雨合羽の長蛇の列で、けっして小さなデモではありませんでした。空中写真があればいいな、とだれかいっていました。登壇者で最終地点までいったのは私だけだったらしく、マイクを持たされ挨拶しました。しかしすでに散会後で、半分の人は立ち去っていました。靴の中に水がはいっていました。
 
  学生時代に絶対にデモに行かなかった私が、どいう風の吹き回しになっているのでしょう。
 
  残念ながら、この日の行事もデモも産経にさえ報道されませんでした。チャンネル桜は放映するでしょう。

「皇室問題の論じ方(四)」への38件のフィードバック

  1. 提案があります。

    「救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救う会)」の運動方法に、各国会議員に個別にアンケートをするというのがあります。それを発表し、次回からの投票の参考にするということをしています。

    それと同じように、今回の皇室典範改正問題も地元の国会議員に電話でも何でもいいですから、アンケートをし、集計しませんか?

    設問はシンプルに限ります。

    1:貴方は女性天皇と女系天皇のちがいがはっきりわかりますか?

    2:女系天皇に賛成ですか?

    現在皇統断絶問題TBセンターというのがあるので、そこに集計結果をどんどん入れていけばどうでしょうか?

    国会議員が最も恐れているのは、国民からの審判です。次回落選するかもしれないというのが、彼らの最も大きなプレッシャーです。

  2. 強要か自発的なものか
    強要と捉えた場合その時々の権力の意志だが 全住民への徹底は無理な話

    では自発的で在るならば 住民の天皇制から受ける利益を考えることで答えが出る
    権威と権力の分散 これが基本で 分散に於ける住民の利益は 分散していない殆どの他国の権力に拠る政治が秕政と成る事から その免がれることを自然と理解し望んだものと思う

  3. 日本人にとって、なぜ天皇制が必用かつ重要なのか?なぜならば日本及び日本人の象徴たる天皇の存在及び制度は、日本人のアイデンティティそのものに他ならないから、と私は考えます。

  4.  女系天皇問題。これは保守的な人ですら問題点を言ってもなかなか理解してもらえません。理論では解ってくれるのです。神武天皇以来ずっと男系天皇であったという伝統の大切さは。しかし理論でわかっていても感性が受け付けないみたいです。つまり天皇制を天皇家と考えている。普通の家では娘しか子供がいなかったら娘に財産を全部相続させるでしょう。間違ってもほとんど付き合いのない親戚に娘を家から追放してまで財産を全部相続させることはない。
     ただし長子優先、長男優先については世論調査ではほぼ拮抗しています。早急に皇室典範を改訂するべきではない、もっと議論すべきであるという意見の方も結構いる。したがって、日本国民は天皇制と日本国憲法の価値観が相容れなくてもかなわないと思う人はかなりいるのでしょう。
     私は男系天皇護持の意見の方は、結局、第一に、保守思想の一派と、第二に、歴史オタク的な人、第三に、思想うんぬんではなく優れた感性、いわばインスピレーション的なもの、すなわち隠れた信仰心のようなものの発露ではないかと思うのです。私はどちらかと言えば第三です。
     私は昨日の東京でのデモ行進を含め2回男系天皇護持の集会に参加しましたが、徒労感が大きいです。しかし、結局動くしかないでしょう。おそらく、男系天皇問題で精神的に大きな錯乱状況を起こす人は必ずしも政治的保守派とは限らない。誰が錯乱状況を起こすかわからない。非常に危険な問題です。
     ただこの問題、万が一、女系天皇容認について、小泉総理の皇室護持のための女系天皇容認論等緊急声明が無ければ、法案を提出した政権与党自民党を野党に転落させるなりして、皇室に乱暴に介入する輩は崩壊する、そのくらいのことが起きなければ、或いは第二次関東大震災等異常な天災地変が起きなければ、天皇制は自然消滅していくような気がします。そらおそろしいことです。
     なお、天皇制は共産党の造語、天皇制度は共和制論者の造語、天皇家は誤解をまねくので、この文章は一般的になじみ深い天皇制という言葉をあえて使用しました。

  5. 西尾先生のお仕事に初めて触れたのはニーチェ著作のご翻訳でした。それから数十年を経て、新しい歴史教科書に触れ、最初はニーチェの翻訳者としてのお名前と重なることがありませんでした。皇位継承の問題についてトラックバックさせていただきました。「わからない」ものを継承することの大切さについて先生が書いておれることに勇気づけられた者の一人です。ご健勝をお祈りしております。

  6. 正月三が日だけでも9,373万人の人が初詣に出かけています
    http://www.npa.go.jp/safetylife/chiiki14/20060106.pdf
    かたや、千葉のネズミーランドへの人出は30万人

    その昔の知識人はイザ知らず、西洋に対するコンプレックスなど毛ほども持ち合わせていない我々の世代は、排他主義的な毛唐のバテレンよりもわが国の神道や皇室にシンパシーを感じ、誇りを持っています

    異教徒を時に認めないような信仰心などなくて結構
    我々には我々の神がおられます

    大体において、魂の救済(教会)と支配権(王)がそれぞれ担当するところが違うゆえに毛唐の場合は政教分離ができたのです
    というか、せざるをえなかった

    わが国の天皇は神と連結されています
    で、その神が何を担っておられるかといえば、つまるところ人民の福祉です
    うつし世での生活を支えておられるのです
    で、あるからして、政治が扱う領域と重なり合うのです

    言わば、同じ目的に対して、政治という手段があり、また神のご加護もあるというのが我が国の特徴といえます

    ゆえに、毛唐のように教会と世俗の権力を政教分離しなかった

    天皇と時の政治権力というものは分離ではなく、いうならば分業・・・それぞれ手分けしてその責を担ってきたのです

    これが、我が国で政教分離というわけのわからない概念がなじまない理由だと考えます

    皇室や神社の問題に関してこしゃくな理屈を述べ立てる者どもは、コミュニストか邪教の信奉者でしょう

    皇室とか「我々の」神様というものは、ご先祖様からずっとこの国に生を受けた、言わば「根っこ」がこの国にある我々にしてみれば、「理屈」など必要のないことです

  7. 神道という宗教は、日本のほかに類を見ない宗教ですので、その判断は難しく、あいまいになりがちです。
    私自身は、祖父の代より神道を排除すべしという仏教徒です。神道と仏教を両方理解しないままに、「信心」している日本人が多い現状を、わたしは否定的にとらえています。

    ただ、皇位継承については、憲法を改正して、明治憲法と同じ記述に戻すべきだと思います。国民が、皇位継承をどなたがされるかなど、決定していいものではありません。それでは、天皇家を単なる人気者家族の程度まで、引きずり落とすことになります。

  8.  天皇の存在価値というものを考えた場合、「男系男子の皇統」ということ以外に特別に価値を感じることはないでしょう。

     最初の頃は(二代とか三代目の頃)、「建国者の息子」「建国者の孫」ということで威光があったのでしょうが、十代、二十代となるにつれて、「建国者」の記憶も薄れてくるものですよね。
     そうなると、男系男子で継承されているということ以外には、特別な価値を感じなくなるでしょう、普通の感覚として。。。。

     今も、建国者から数えて百何代かになっているのに、それでも何か「特別な感情」を持つのは、初代からずっと男系男子の継承が守られていることを知ればこそです(遡っていくと建国者までつながっているし)。

     つまり、天皇の存在価値は、卑近な言い方をすれば、天皇に値打ちがあるとすれば、男系男子の継承者である以外にはないといえるわけです。
     となれば、男系男子の皇統を女系に変えるということは、天皇に備わっている唯一の値打ちを消してしまうことに他ならないことになります。

     この問題は、男系か女系かということではない。
     「天皇の値打ちを保つか」それとも「天皇の値打ちをなくしてしまうか」ということになるわけです。

     女系天皇などに「値打ち」はない!!(天皇として認められない)
     女系天皇容認者は「天皇無価値化」を唱えているに等しい!!

     「値打ちのない天皇もどき」を存続させても意味はない(税金の無駄!)
     「値打ちのある天皇」を存続させることにこそ意味がある(税金を投入する価値もある)

     男系天皇なら税金を払うけど、女系天皇(っていうか、天皇じゃないし)ならいてもしょうがないので税金払わない!!

    (天皇の「正当性」ということを「ぶっちゃけて」説明すれば、「値打ち」があるかないかとなるのではないか?)

  9. 私のつたないブログをとりあげてくださってありがとうございました。
    メモも取っていなかったので、記憶が曖昧でいい加減なことを書いて
    しまって申し訳ありません。あの発言は西尾先生ではなかったんですね。
    会場の人数も2000人もいたとは。私、目もいい加減です。。
    あの雨の中最後まで歩かれたのは大変だったでしょう。
    どうぞご自愛下さいませ。

  10. 3点ほど。

    1.「女系天皇」などという言い方は、やめた方がいいのではないでしょうか、少なくとも、正しい皇統観(「女系天皇」反対)の皆様は。「女系天皇」も天皇の1つのあり方と勘違いされます。

    2.「皇統断絶」という言い方も女系派を勢いづかせるのではないでしょうか。
    「皇統断絶の危機」というと、その危機を脱するために「女系天皇」を「容認」するのだ、という「反論」(にはなってないんですが、売り言葉に買い言葉的な意味での「反論」)を惹起します。
     今、進められているのは、「皇統断絶」というより、「皇統破壊」です。もちろん、破壊されることで、断絶してしまうのですが。

     
    3.コイズミ首相による皇統破壊を「暴挙」というのは、コイズミ氏を喜ばせるだけではないでしょうか。「信長ですら行わなかった暴挙」などというと、コイズミ氏は、感極まるぐらいに喜んでるんじゃないでしょうか、オレは信長を超えた! とか。せめて、「愚挙」にしておきませんか。(あと、国語的に正しいのかわかりませんが、「妄挙」とか)

     報道(されないということも含めて)や記事を見てると絶望的な気分になってきますが、西尾先生の、ぶれることのないご活躍に期待しております。

  11. 次の愛子様と結婚する人いるのか?
    現在の皇太子様でも結婚困難だったのに、今後皇族との結婚
    望む人が現れるとは思わない。
    究極はクーロン人間か ?
    あまり男系、女系にこだわると皇族家は断絶になりかねない。
    とにかく形として残すことが先決。
    そう考えませんか、皆さん。

  12. 「割り切った答えを出せない」のが一つの答えだと感じます。大学時代の左翼思想講師は「素晴らしいという理論的根拠がない」と授業で主張していましたが、私は即座に「理論や根拠で素晴らしいと言うのは、ジャコバンの理性神と同じ発想である」とやり返した記憶があります。藤原正彦氏のように、美しいものの論理的根拠はないのでしょう。そう感じていましたし、西尾先生がおっしゃることに安堵もいたしました。

  13. 天皇制度は何故必要なのか

     毎々拝読させていただいております。先生がお感じになっておられる疑問は、わたくしにとっても子供の頃からの疑問であり長らくあれこれと愚考を積み重ねてきましたが、大まかに以下のようなものではなかろうかと最近では考えるようになりました。

     一言で言えば日本が『話合い至上原理主義』の『大きな和』の国であり、私達日本人が何事も車座(=輪:Wa)になって話し合う事で全ての問題が必ず正しく解決されると無自覚かつ無条件に信じているからであろうと思っております。
     そして、このような『話合い』が機能する為には、その話合いの『場』(韓国出身:呉善花女史ご指摘の日本的概念)を保つために、参加者と共にあってかつその誰とも利益を共有しない第三者が必要とされるのではないでしょうか?

     『話合い』とは平たく言えば、議論の参加者がお互いの世界観測情報を交換して共有する行為であり、最終的に得られる観測結果が正しくなるためには、提供される情報に誤りや偏見が無い事が大事になります。
     されど、聖徳太子の17条の憲法の筆頭にもあるように、人とはすぐに徒党を組む愚かな存在でもあります。そのような観測の場を司る者にとって一番大切な条件とは、嘘をつかなくても良い立場の人間である事でありましょう。
    (これは古典落語であっても長屋の熊さん八っつぁんが困ったときに相談に行くのが社会を引退したご隠居さんであったりする事の素直な延長線上にあるのだと考えれば、無学文盲の庶民も大昔から納得して陛下の御威光を認めていたと納得していただけるかと存じます。こんな所にも断絶の無い日本社会が見て取れる訳です、きだ・みのる氏の著作も参考になるかもしれませんね>御閲覧の皆様。)

     我々日本人にとっての天皇陛下とはまず第一に、万人に平等な『必ず話を聞いてくださる』お方なのです。
    (故に先生が『人の話を聞かない』『虚言を弄して言霊を汚す』現首相を論難するお気持ちも判るようになりました。そんな先生を与太郎さんだと言って笑う方もおられる事でしょう。)

     むろん現実にはこれは古代社会であっても既に巨大な規模の日本社会では難しい事ですが、いにしえの昔から勅撰和歌集などで歌の前での平等を広く世に示してきた事や、今日でも陛下が国会を開いて国政に人々の声を反映しておられる事からも、これこそが我々が神代の終わりから現代社会に至るまで天皇陛下を必要としている理由なのであろうと思っております。

     そして、そのようなまるで座敷童のような『我々とともに在るが、我等の誰でもない』奇跡のような存在を現実社会に実現させるための手段が『神話』であり『伝統』であり『男系継承』なのではないかとも考えております。

     少し脱線すると、中学生の頃に読んだ旧約聖書にはユダヤの民が『王』というものを持つべきか否かを延々と話し合う下り(土師記?)があり子供心に奇異に思ったものですが、今にして思えば我々の日本社会にはダビデ王以前の社会構造や政治力学が限定された形ではあっても保存されているのではないか・・・等と愚考する今日この頃です。いや、人間というのは真に面白いものです。そしてその面白い人間に観測される世界はさらに驚嘆すべき存在ですね。

  14. ピンバック: matsuda's journal
  15. 女系天皇容認,天皇不要を提示する日本人は,
    結局のところ,自分自身しか信じないごう慢さを秘めた人間なのだと思います.
    我々の祖先が守ってきた伝統の叡智を信じるならば,
    その子孫である我々にできるのは守り伝えて行くことだけでしょう.

    ただ,現在の日本人にとって非常に厄介な問題は第二次大戦のトラウマです.
    多くの国民になんら報いることなく集結した戦争が皇室と国民の間に
    溝を作ってしまった事実は否めません.
    しかし,現在の日本の安定と繁栄は,皇室が存在しつづけてきた歴史と
    無関係ではあり得ません.
    そこに日本人の叡智の結晶を見るべきです.
    我々は時間をかけてでも皇室と国民の間の信頼関係を再び構築せねばなりません.
    それには皇室が変質してしまっては元も子もなくなってしまいます.
    誇るべき伝統を尊重し,守ることこそが重要なのだと思います.

  16. ピンバック: 星空の下で
  17. 信仰というと、故・小林秀雄先生の「現代人は信ずることができない。」と言うような発言を思い出します。私は年上の長谷川様のブログでテレビで「競馬の時に天皇が来られた時に観客が静まりかえる。」というような記載している部分に感嘆してしまいました。私にはそれが何よりも説得力があるのです。

  18. ピンバック: Toyo'sライフワーク
  19. 産経新聞に報道されなかったと書いていますが、
    翌日の紙面にちゃんと載っていますよ。

  20.   インターネットサイト2ちゃんねるの皇室典範改訂問題に関する各スレッドを見ていると男系護持派が勢力を増しているようです。一方、女性天皇&女系天皇もいらないという共和制論者&フェミニスト達の意見広告もちらほら見かけます。
     男系護持派は、そろそろ自らの運動をいかに位置づけるか、自分は何故運動せねばならないのかということを考えていかなければならないと思います。女系天皇容認論にもメリットはあります。永代女性宮家の創設です。不敬なことは承知ですが私は皇太子殿下と黒田清子さんが晩婚だったのはビジュアルが悪かったからだと思います。それに比べて他の内親王&女王はビジュアルは各人様々ですが美人か可愛いです。少なくとも結婚に困ることはないでしょう。もっともトンデモナイ男にひっかかる可能性はなきにしもあらずですが。女王の中には結婚適齢期に達している人もいます。女王が臣籍降下すれば皇族の外堀がますます埋められていきます。したがって、旧宮家の皇族復帰とともに女性宮家の創設は前向きに検討すべきでしょう。
     かつての保守派論客の大御所西部邁氏と保守思想漫画家小林よしのり氏は私が以前ここに投稿した見地、つまり天皇制を家族とみることで、家族の保守こそが現代日本に受け入れられる伝統であり、したがって女系天皇容認論を主張しているようです。しかし、この発想は現代の保守的な考え方の持ち主の意見を代表しているだけであり、とても伝統を保守する作法とはいえない。もし現代の保守的な考え方の持ち主の意見を代表するのが保守思想であれば西部邁氏も小林よしのり氏の反米論はおかしくなってくる。何故、反米論は論壇から干されてもかたくなに主張し続けるのに皇室典範改訂問題では現代の保守的な考え方の持ち主の意見のマジョリティーに賛同するのか?おそらく西部邁氏と小林よしのり氏は天皇制を近代主義に対する抑止力であるからという社会システム論的見地から有意義な制度であるとしか考えていない。私もどちらかといえばそういう見地から天皇制を支持していたのですが、やはり、今、魂が荒ぶっていることを考えればそこには天皇制に対する宗教的信仰心が宿っているのではないかと思います。そして天皇制は少なからぬ人々の宗教的信仰心をある時掻き立てる力があるからこそ、近代主義に対する抑止力として偉大なる力を発揮するのでしょう。
     皇室典範改訂問題における男系護持運動はとにかく運動の力が大きくなればなる程、そしてオカルト的ではあるが、皇室典範改訂を積極的に推進する者に災いがふりかかればよいのです。今のところオカルト的要素ではここ一週間で自民党&小泉総理はライブドア強制捜査、ヒューザー問題といっきょにネガティブ要素が噴出してきました。科学的見地からいえば皇室典範改訂問題と何の関係も無いことは明らかですが歓迎すべきことです。
     仮に皇室典範改訂問題がすんなりと有識者会議案で可決されれば天皇制の宗教的力が弱まります。それを阻止するための運動、すなわち意図自覚的に社会的波紋を広げ、天皇制とはいいかげんな心構えでは触れてはいけない存在であるという力を見せ付けることこそが男系護持運動の要諦であると私は確信しております。
     ただ、今の皇室典範のままでは天皇制は自然消滅してしまいます。その具体的打開策も必要です。大まかに言えば旧皇族の復帰&女性宮家の創設であり、有識者会議案を廃案にしてしまうことです。ただ、あまり引き伸ばしてしまえば皇族の外堀がますます埋められていきます。引き伸ばしといっても女性皇族の年齢から考えれば10年現行皇室典範改訂問題を棚上げにするという訳にはいかない。
     やみくもに男系護持を叫ぶことはそれだけでいいことであり歓迎すべきことです。そして、一部の人はその宗教的情熱と同時にそれをコントロールしてよき結果をもたらす理性を持てばいい。それが皇室典範改訂問題においてもっとも妥当な解決案を導くことにほかならないと考えます。
     

  21.  皇室典範改訂問題について若手が運営されている有力保守系ブログを閲覧してみましたが、ほとんど皇室典範改訂問題についてはふれられていません。今の若手保守派はほとんどが単なる反中反朝鮮にしか過ぎないということは前々からわかっていたことですが、そこそこ頭のいい方が運営されているサイトも大東亜戦争の意義、靖国神社の意義で終わってしまっている。現代日本人における歴史、アイデンティティーのルーツはもはや先の大戦における総括というところで止まってそれより遡ることは難しいのかもしれません。
     靖国栄えて国体滅ぶではどうしょうもありません。靖国神社は日本人にとっては非常に神聖な場所ではあるし戦没者追悼施設としては絶対的なるものであるとは思いますが、日本の国柄を体現するという意味では絶対的なるものではないでしょう。
     そして今だにおそらく小泉支持の観点から皇室典範改訂問題に積極的にかかわらない人もいる。これも解せないことです。そもそも当面選挙もなく小泉総理の退陣は今年9月と決まっている。それならば、もはや小泉総理を援護射撃する必要も無いし小泉内閣がレイムダックに陥って次の内閣総理大臣が小泉院政の呪縛から解き放たれる方がいいにきまっています。
     どうか若手の有力保守派ブログを運営されている方は皇室典範改訂問題に興味を持ってもらいたい。そもそも有識者会議吉川座長、園部座長代理は隠れ共産主義者ではないですか。吉川座長については私は雑誌で知った情報しか知りませんが園部座長代理については、隠れ共産主義者であることについて私は一次情報を持っています。
     むろん天皇抜きのナショナリズムというのもありです。しかしそれはもはや右翼・保守・リベラル・左翼も共有している概念なのです。これは結局言葉遊びにしか過ぎないんですね。右翼・保守は社会秩序の維持に国家なり国柄をもってくる。それに対してリベラル・左翼は国家に代わって社会、国柄に対して人権思想を持ってくる。さてみなさんは社会、人権思想に規律されることを望んでいるのか。人権保護法案で人権思想の下に理不尽な弾圧をされることを許すのか。天皇抜きのナショナリズムがそういう危険性を引き起こすきっかけになるというのがわからないのか。社会・人権思想は反国家の思想ではなく国家を乗っ取るための詭弁にしか過ぎないのです。
     おそらく男系護持派はこの戦い敗れるでしょう。しかし敗れるとわかっても闘わなければならない。大東亜戦争肯定論、靖国神社を守ること以上に賛同者が少ない戦いであることには間違いない。それでもなんとしても一矢を報いなければならない。
     私はことこの問題については西尾先生は保守派論客の中では机上の空論ではなくある意味追い詰められながら真剣に考えておられると思います。この戦いに敗れたとしても反米論で論壇から干されることに美意識を感じる人たちよりもはるかに国士であることは間違いありません。

  22. ピンバック: KuropanのIQ70
  23. ピンバック: なめ猫♪
  24. 私は本当に勉強不足で、西尾先生の日録にコメントさせていただくのもおこがましいような者ですがどうぞお許しください。
    ですが、”天皇制(といってもよろしいものか、天皇家、としたほうがよろしいでしょうか)が必要である理由”について考える、ということになんとなく違和感を持ったからです。
    私たち全員、天照大神、もし天照大神を実在と認めないのであれば、神武天皇の御世から、日本国民は天皇家に代々ご恩を頂いていますよね。そしてその事実は天皇制が必要か不必要かという次元の問題を飛び越え、天皇家から頂いているご恩に報いていくこと自体が私達がもっとも幸福に生きるための方法であり、最も生きがいのある生き方ということを、私は諸先輩方、先人から教えていただきました。
    ・・・純粋に、恩知らずは本当の意味において不幸になる、ということなのですが。
    呪いとか、あの世とか、そういう事じゃもちろんなく。。。
    長い歴史のなかで常に日本国民、ひいては世界の人々にまで感化を与え、無償の慈悲を私達に注いでくださっている2000年以上に及ぶ歴史を、その頂いてきた”ご恩中心”として学ぶ歴史観が足りないことが、今の新しい歴史教科書を作る会といった活動に反映しているのだと思うのですが。。。
    正統の歴史を学んだら、少なくとも日本国民は心動かされて、要不要等という議論は出ないのではないかと・・・思います・・・。(ただの幻想でしょうか)

  25. ピンバック: 憂国、喝!

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