むかし書いた随筆(六)

 末尾が切れて不完全な掲示となりましたので、完成稿をもう一度掲示します。なお、デューラー四使徒の絵も不完全掲載であったことをお詫びします。

***夜の美術館散歩***

 ヨーロッパの美術館はしばしば夜も開かれている。昨秋、私は久し振りに三ヶ月ほどドイツに行った。夜になると大抵オペラや芝居を見にいったが、毎晩というわけにもいかず、行く処がなくて困る夜もあった。そういうときに美術館が開いているのはじつに有難い。

 例えば、ドイツ中世絵画で名高いミュンヘンのアルテ・ピナコテークは、火曜と木曜の二晩だけ、午後7時から9時まで開かれている。館内には昼間のように団体の観光客はない。森閑とした巨大画面の谷間に、訪れた靴音だけが冷え冷えと響いていた。

 14-18世紀の西欧絵画を主に蒐(あつ)めた、おそらく目下西ドイツ最大のこの美術館に、昔私は飽きるほど足を運んでいたので、デューラーが何処にあり、グリューネヴァルトが何枚くらいあるかまで覚えていた。今度も私は疲れていない元気のいいときには、これらドイツ中世絵画に面と向かった。疲れているときには、どういうわけか、今度は色も線もどぎついまでに勁(つよ)いドイツ的世界を避ける気持が動いた。クラーナハの妖しい美、バルドゥングの怪異さ、グリューネヴァルトの精神性――どれ一つをとっても見る者の心に過度の緊張を強いて来ないものはない。一日の仕事を終えた夜の散歩者の気分にはそぐわない。

 どうせ夜の二時間くらいではこの大きな美術館を回り切れるものではない。私はそう考え、夜入ったときにはあちこち移動せず、一、二の部屋にじっと腰を落ち着けているのがいいように思った。

 そこでドイツの絵を避けた日には、私は好んで17世紀オランダ絵画の、穏やかな室内のリアリズムの傑作が並んでいる側面の小部屋に足を向けた。労働する女性の全身に射す明るい光と影、四角い窓や戸に区切られた室内の落ち着いた空間構成、糸の織り目の一本も見逃さない衣裳の襞(ひだ)の細密描写――フェルメールやテルボルフの代表するあのオランダ市民の日常生活を描いた数々の傑作は、神話や聖書にばかり取材したドイツ中世の、イエス・キリストや受難者たちを残酷陰惨に描いたあのもう一方の暗い世界とは何というへだたりがあるだろう!

 私はグリューネヴァルト、バルドゥング、クラーナハ、アルトドルファーといったドイツ中世画家たちの作品に取り巻かれ、ベンチに座って、独りじっとしていることがあった。すると画家たちの宗教的幻想が、まるで異様な一大音響となって、私の身の周りに飛び交い、もつれ合い、降りかかってくるように思えた。それらの絵は神秘的で、超俗的で、物語性に富み、日常にはないものを現実化してみせる、中世絵画に特有のメルヒェンめいたファンタジーに満ちあふれていた。

 私はそういう画家の幻覚の数々――底知れぬ絵画的豊かさだと言ってもいいのかもしれないが――に当てられ、言いようもない不安を覚えることも少なくなかった。それは形のない玩具を与えられてどう扱ってよいか戸惑う子供の心理にも似ていた。

 そういうドイツ中世画家の中で、明確な形、均斉のとれた即物的描写という点で、私の心にただひとり例外をなす画家がいた。幻想ではなく、厳密に規定された調和と法則の美において秀で、しかも、宗教的情熱を決して表立てては主張しない男性的な禁欲の画家。いうまでもなく、デューラーがその人で、ミュンヘンのこの美術館にも、代表作「四使徒」がある。

 、聖書を手にした四使徒の立像、その忘れ難い眼光は、一度見た者の心を去らないだろう。しかしデューラーは決して分かり易い画家とは言えない。秀(すぐ)れた作品は肖像画に多く、地味で、文学性に乏しい。いま述べたドイツ画家の特有の、宗教的幻想を述べる率直さが彼にはない。『人体比例論』という書物を著した理論家が彼の中には住んでいる。

 初め私も彼にはなじめなかった。オランダの画家のあの家庭的な優しさも彼にはない。イタリアの画家のような絢爛(けんらん)たる色彩美も彼には乏しい。しかし私は今度の旅で、ドイツそのものに疲れたときに、この最もドイツ的な画家にかえって癒(いや)された。「ドイツ的」とは、ドイツ的情緒を否定し、これに打ち克とうとする精神の方向を指しているからであろう。

初出(原題「美術随想 ドイツの美術館」)「産経新聞」1981年9月4日夕刊

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